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「Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagician 20161024」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
被依頼者のコメント: 内容が「そう」なので要約も「そう」なるのは当然です
382行目: 382行目:
:いいえ、「はるみエリー氏の言う常識に従わない人」を追放すればwikipediaを「はるみエリー氏の言う常識」という観点へと偏らせることが出来るのだから、計り知れない利益となるでしょう。同じことをしようとして金融の専門家氏は「自分は専門家である」と主張することで「金融の専門家氏の言う常識に従わない人」を議論から追い出そうとしました。この一例だけでも、どれだけの利益があるかは言うに及ばないと思うのですが。
:いいえ、「はるみエリー氏の言う常識に従わない人」を追放すればwikipediaを「はるみエリー氏の言う常識」という観点へと偏らせることが出来るのだから、計り知れない利益となるでしょう。同じことをしようとして金融の専門家氏は「自分は専門家である」と主張することで「金融の専門家氏の言う常識に従わない人」を議論から追い出そうとしました。この一例だけでも、どれだけの利益があるかは言うに及ばないと思うのですが。
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2016年11月22日 (火) 04:33 (UTC)
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2016年11月22日 (火) 04:33 (UTC)

{{返信|[[利用者:はるみエリー|はるみエリー]]氏}} {{oldid|62098602|こちらの発言|prev}}に対してです。
:>''被依頼者はWikipedia:常に要約欄に記入するの熟読が必要だと''
:私は「熟読しろ」とまでは言いませんが、その[[Wikipedia:常に要約欄に記入する]]の、わざわざ太字で書かれている最初の一文だけでも良いので読んで戴ければと思います。ガイドラインには従いましょうよ。出来ないなら出来ないなりに、せめて努力ぐらいはするべきだと考えます。
:>''他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明を行う場に''
:>''要約欄を利用して他の利用者へ文句みたいなことをを''
:要約なのですから内容を要約したのですよ。内容が「''他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明''」や「''他の利用者へ文句みたいなこと''」なので要約しても「''他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明''」や「''他の利用者へ文句みたいなこと''」になっているに過ぎません。内容が変わったら要約ではありません。
:>''ノートページを「個人的な見解を開陳する演壇」として使用''
:そりゃ「個人的な見解」を「開陳」しなけりゃ対話なんて出来ませんよ。はるみエリー氏はご自身が「開陳」している見解が「個人的な見解」ではないとお考えなのでしょうか。であればどんな「見解」だとお考えなのか知りたく思います。
:>''[[ノート:誘導尋問]]でも、[[Wikipedia:ページの分割と統合]]を理解されていないとしか思えない主張''
:こちらは後程[[ノート:誘導尋問]]の方で。
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2016年11月28日 (月) 06:54 (UTC)


== 第三者のコメント ==
== 第三者のコメント ==

2016年11月28日 (月) 06:54時点における版

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの参加姿勢について議論の場を設けたいと思います。--ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

経緯

Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論における、利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんの議論姿勢について大きな問題を感じました。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で、利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんについてコメント依頼の場を設けるべきという指摘も見られたために、改めて議論の場を設けた次第です。

Wikipedia‐ノート:中立的な観点における利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんによる「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない[1]」、「西洋人以外は西洋人に劣っていると考えている者が西洋人のみに利益を与える行為[2]」という発言は論争相手の社会的立場を決めつける批判であり、Wikipedia:個人攻撃はしないに違反していませんでしょうか。

結局、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに激しく反論された利用者:Alice OPP会話 / 投稿記録 / 記録さんは、「もう怒る気力すらないorz 正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ」とまで追い込まれ、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagicianを提出されましたが、不適切な行為であったことを謝罪され、現在は議論から半分撤退したような状態となってしまいました。

Wikipedia‐ノート:中立的な観点における議論はつい最近閲覧したのですが、Alice OPPさんの提案に賛意を持ちました。しかし、気が付いた時には、Alice OPPさんは心身共にくたびれておられ残念に思った次第です。もし、世界最狂の魔法使いCray-Gさん等に問題があって、Alice OPPさんが完全に撤退されされた場合、Wikipedia‐ノート:中立的な観点において本来あるべき議論から遠のいてしまう懸念もありえるため、早急に議論すべき課題であると感じました。

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、個人的対立を起こしやすい発言をされるため、たびたび問題点を指摘されても個人的対立の延長線上(どっちもどっち)であると捉えられやすい傾向が高いように感じます。Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008ではまさにそういう指摘がされてます。そのため、逆に、問題の本質が隠れてしまっていたのではないかと考えています。よって、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限らず、これまでの活動という長いスパンの行動について情報を寄せていただく場を設けることで、改善が可能かどうかについて議論が出来ればと思います。

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、以前から暴言をされる傾向を指摘されていますが[3]、改善ができているかどうか、また、激しい反論スタイルと言いますか、議論姿勢について適切かどうかなどコメントをお願いします。--ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

依頼者のコメント

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、甚だしく不適切な発言をされる傾向があり、Wikipedia‐ノート:中立的な観点等の各種方針や井戸端等への議論は控えていただいたほうが良いのではないかと感じました。各種方針や井戸端などは、方針をきちんと理解している参加者によるコメントを求める場であると言えるでしょう。まずは、自分が方針をきちんと理解することに時間をかけていただきたいと思います。Wikipedia:コメント依頼/MaddestmagicianWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606で指摘された問題について、改善の努力をされているようには見えませんでした。

また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もあると感じました。

たとえば、Alice OPPさんが世界最狂の魔法使いCray-Gさんにより社会的立場を決めつけられたことを個人攻撃だと指摘したことについて、このように発言されています。

Wikipedia:個人攻撃はしないの内容を確認することを要する」と主張しました。ですが、その個人攻撃が発言のいづれの部分であるのかを具体的に指摘していません。「Alice OPP氏は私ことCray-Gが方針違反をしていると無根拠に人格攻撃をしています」。せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには個人攻撃と看做さざるを得ません。人格攻撃詭弁の一種であり、論点をすりかえる効果を持ちます。つまり議論が霍乱され合意の形成を妨げることになります。それだけでも充分に問題があるのに、その上それを無根拠に行なっているとなれば、流石に個人攻撃と看做さざるを得ません。ですが、それを直ちに方針違反だと騒ぎ立てることを私は望みません。何故ならば、それはきっとちょっとした手違いであって、きっとAlice OPP氏は私ことCray-Gに対し先の無根拠な人格攻撃全ての根拠を明らかにするに違いないからです。そしてきっと人格攻撃の全てを取り下げて、誠意を以って対話してくれるものと信じているからです。

[4]

論旨としては「自分の発言のどれが個人攻撃であるのか具体的な指摘をお願いしたい。具体的な指摘もなく個人攻撃だと指摘される行為こそが、個人攻撃ではないか」と、冷静にかつ簡潔に述べることも可能な内容です。これ以前に、Alice OPPさんは何度も「個人攻撃だ」と直ちに指摘されているのに、なぜ、「根拠が明確にしていない」などという堂々巡りになってるのか理解に苦しみました。一方的に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが理解を拒んでいるようにしか感じられません。さらに、「>せめて根拠を明確にするぐらいはして戴かないことには」以降のくだりは、いちいちこの場で言う必要があるんでしょうか? 感情的に理屈っぽく文句を書き連ねているだけであり、まったく議論に不要な発言でしょう。

世界最狂の魔法使いCray-Gさんは冗長な発言が多いのですが、できるだけ論理的で冷静に、感情的になって議論に不要な理屈っぽい表現を書き連ねることを停止し、適切な分量のコメントを心がけていただけませんかね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントがわかりづらい(読むことさえつらい)ことは、Wikipedia‐ノート:中立的な観点に限ったことではないです。議論から脇道にそれた理屈っぽい反論を長々とされることは、世界最狂の魔法使いCray-Gさん自身は精神衛生上スッキリできるのかもしれませんが、その他の人々に多大な負担を強いる行為であり、議論を正常な方向へ進むことを妨げる効果しかありません。複雑で微妙な内容を議論するときほど、論理的で明確で、かつ、冷静でわかりやすい発言(議論から脇道に逸れた発言を延々と言わない)をするように心がけてもらいたいと思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんと意思疎通を図るのは非常に困難ですし、根拠を明確にしてもまったく理解されないとなると堂々巡りを繰り返すだけだと感じますね。あまりにも過度で、かつ、攻撃的で暴言を伴うとなると関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。—ぽてから会話2016年10月24日 (月) 00:49 (UTC)[返信]

返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) Alice OPPさんが重罪に値する不始末を犯したけれども、もう切腹したのだから、これ以上、Alice OPPさんの名誉を貶めるような発言はせずに静かに弔おうとかいう発言についてですが、なにかの悪い冗談ですよね?--ぽてから会話2016年11月4日 (金) 10:59 (UTC)[返信]

返信 (世界最狂の魔法使いCray-Gさん宛) 世界最狂の魔法使いCray-Gさんの比喩から、私のように考える人が出てもおかしくない、ということを伝えたいために、あえて、上記のように表現しました。比喩とはそういうものです。なにかの冗談ではなく本気の比喩であったようですね。世界最狂の魔法使いCray-Gさんがこれを知的に理解し消化できるかどうかが、重要になってくるでしょう。さて、「はるみエリー氏宛」の返信内に、なぜか私の名前が持ち出され、いきなりなんの根拠も示されることなく攻撃され始めました。こういう議論態度は、関係者に多大なる疲弊を与えると言えるでしょう。一切自覚はないということでしょうかね?--ぽてから会話2016年11月7日 (月) 13:20 (UTC)[返信]

利用者:Maddestmagician会話 / 投稿記録 / 記録(世界最狂の魔法使いCray-G)さんは、ここ数日投稿がありませんが、ウィキブレイクによる冷却期間を自主的にとられるのは有益でしょう。世界最狂の魔法使いCray-Gさんは個人的対立を起こしやすい発言をされるということもあり、たびたび問題点を指摘されても個人的対立のほうがクローズアップされて「被依頼者だけではなく相手側にも問題がある」となったりして、逆に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの問題の本質が隠れてしまうということが重なっていたと思ってます。これまで、第三者に「被依頼者の長文や比喩がわかりづらい」ことが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの主な問題点であると解釈されることがありました。しかし、コメントが難解な長文であるために第三者に問題の本質がわかりづらくなっていただけであり、それもあって世界最狂の魔法使いCray-Gさんが自分の問題点を自覚しづらくなるというふうに、連鎖反応が起こっていたと思います。このコメント依頼では、「世界最狂の魔法使いCray-Gさんの議論態度はウィキペディアでは相応しくない」という合意がおおむね得られたと思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんが、長文や比喩をやめればそれで解決できるということではなく(とはいえ長文や難解な比喩は極力控えてもらったほうが良いですが)、やはり、議論姿勢そのものに他者の消耗を招きかねない要素があると思います。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの問題点については的確に指摘がなされていると思いますね。とくに、利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録問題の長期化・複雑化の一因が、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの議論姿勢にあり、そのために、コミュニティに甚大な被害が生じたという複数の当事者によるコメントには、説得力を感じます。まだ、自身の議論態度改善の必要性を全く認識されていないので、執筆記事以外の議論や依頼系へのコメント参加は控えてもらいたいですね。今後は同様のこと(議論の他参加者が完全に消耗してしまったり、引退・半引退を招くような事態)は、絶対に繰り返してはならないと言えるでしょう。—ぽてから会話2016年11月17日 (木) 23:06 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家をみて、世界最狂の魔法使いCray-Gさんがこんな暴言をしていたなんて、今、気が付きました。よく見たら「最初から「目的外利用者ではない」などとは思っていませんよ。誰がどう見たって「ヘッジファンドダイレクト」の利害関係者が乗り込んできた一員(雇われた外注)にしか見えないでしょう。」のときに、詐欺かなんかなんて言っちゃってたんですね。これについては、「猛省を要するものと自覚します」ということですが、なにについて猛省されたのでしょうか。それにしてもこんな名誉棄損発言をしてしまう議論態度は、不適切極まりないですね。Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家を見て、改めて、金融の専門家問題の長期化・複雑化の一因が、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの議論姿勢にあると強く思いましたし、そのために、コミュニティに甚大な被害が生じたという複数の当事者によるコメントにはいっそう説得力を感じますね。Type casketosさんは、世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントが長文だとかいうことではなく、「他者を軽視・無視」し失敗しても責任をとられない姿勢についても、問題の一つであると指摘されていますが、実に的確といえるでしょう。Type casketosさんが引退されてしまわれたのは、金融の専門家さん&ソックパペットのせいだけではなく、はっきりと、世界最狂の魔法使いCray-Gさんに原因があるとおっしゃっていますが、Type casketosさんの議論態度に問題があったとは思えません。Type casketosさんやジャム・パンナさんが引退・半引退せざるをえなくなったほどの消耗は、金融の専門家のせいだとか自分のせいだなどとするコメントには強く抗議します。Type casketosさんにいったいどんな過失があったというのでしょうか。だいたい、雇われ外注であれば目的外利用じゃないですか。詐欺かなんかとかであれば単なる宣伝より悪質なのに、そんな悪質目的外利用かもと初めから思いつつ、どうすれば宣伝しやすくなるかを教えていたってことになりますよね。いや、私は、最初は方針がわからないから目的外利用している人に方針を教えて宣伝じゃないかたちでの参加をさせるつもりがあった可能性も考えてたんです。でも、はじめから詐欺かなんかの関係するというレベルの雇われ外注にしか見えないという発言を見て、自分の解釈が間違っていたことを認識させられました。世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、独断で、目的外利用をやりやすいようにやり方を伝授していますよね。それは、Wikipedia:投稿ブロックの方針#宣伝・広告投稿、目的外利用にど真ん中で抵触する行動でしょう。なんで、悪質性が高い目的外利用をしてる疑いがあると思いつつ、カウンセリング的手法を適用した説得(?)とか合意とかしないといけないんですかね? 内心詐欺かなんかの雇われ外注だと思っていたのに、宣伝行為に対処していた「他者を軽視・無視」して、要領の良い目的外利用のやり方を教えて宣伝行為に荷担するなんて、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの過失も、うっかりレベルじゃなくて初めから確信的行動から生まれた過失じゃないですか。ここまで大きい問題であったことに、今気が付きました。依頼を提出しといてなんですが、初めはここまでの根深い問題だとは思ってなかったことを告白します。世界最狂の魔法使いCray-Gさんと議論で関わった方には、思い出すのも不愉快であったでしょうに、文章も相当な時間をかけてわかりやすく推敲してくださって、当時の状況を率直にコメント下さったことについて感謝申し上げます。ジャム・パンナさんが復帰されたことについては心より喜ばしく思っていますし、このコメント依頼を提出したのは正解であったと思う次第です。やはり、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの問題は第三者にとってわかりづらいということも改めて感じます。しかし、わかりづらいがゆえにパッと見て問題を理解してない人が「問題ない」と言ったとしても、実情を知った今となっては、そうしたほとんど理解してないコメントに流されてはいけない、また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが自身の問題を自覚されないままで終わるわけにはいかない、と強く思いますね。Wikipedia:投稿ブロックの方針#宣伝・広告投稿、目的外利用Wikipedia:投稿ブロックの方針#利用者を危険にさらす個人攻撃(他の利用者の安全を脅かす攻撃Wikipedia:投稿ブロックの方針#コミュニティを消耗させる利用者に該当する行動とも言えるでしょうし、「他者を軽視・無視」する議論態度の自覚もなされないままでは、ごく控えめに言っても執筆記事以外の議論や依頼系へのコメント参加は遠慮してもらうしかないでしょう。--ぽてから会話2016年11月18日 (金) 09:54 (UTC)[返信]

>なにについて猛省

内と外とは分けなきゃならんってことです。「外」には「外」のルールがあるので「外」のことに触れるなら「外」のルールに従わなければならず、「内」のように「一意見」を発言してはならないのです。なのにあの時は話に流されて確認が不充分なまま「内」と同じ感覚で「一意見」のつもりで発言してしまった。そのことを猛省しています。

世界最狂の魔法使いCray-G(会話) 2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)

上記の私への返信ですが、すみませんが、まったく意味が理解できませんね。理解出来ない理由は、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの文章が独りよがりで稚拙な文章であるためです。すみませんが、第三者が理解できるように推敲をやり直してもらえませんかね。時間をかけてもらうのはかまわないので、きちんと推敲して意味が通じる文章に直してから投稿してください。言ってることがわからなければ聞き返せば良い、というコメントも見られるので、そうします。--ぽてから会話2016年11月21日 (月) 16:22 (UTC)[返信]

揉めないようにしてくださいなどと人に言ってる暇があるなら、あなたが揉めないようにしてください。あなたの作り出した揉め事がこんなに大きくなってるのですが、まったく自覚がないようですね。今まさに、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの文章が独りよがりで稚拙であるために、意味が理解できないという揉め事までわざわざ作り出されていますが、上記は無視ですかね? 「自演乙」とか、「イチャイチャするな 」とかふざけて喧嘩を売りにいってるようにしかみえない発言を繰り返されてる状態で対話拒否をされるということであれば、行き着く先はブロックしかないでしょう。--ぽてから会話2016年11月27日 (日) 11:43 (UTC)[返信]

被依頼者のコメント

今回のコメント依頼に関してはこれまでと異なり書きたいことがあるのですが、数日程度遅れる見込みです。遅くとも週末には書けると思います。

#経緯の最終段落の「改善ができているかどうか」、「議論姿勢について適切かどうか」に関しては、私自身もコミュニティーの見解を確認したいと考えておりますので、忌憚無きご意見を賜れればと思います。

宜しくお願い致します。

世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年10月24日 (月) 02:48 (UTC)[返信]

  • 被依頼者です。ずいぶんと遅くなってしまいました。幾度か書こうと試みたのですが、指摘を行なうと自分でも「冷静な発言」とは言い難い内容となることからクールダウンをしておりました。ですが今以ってなお、「冷静な発言」と呼べる内容にはなりませんでした。なので、以下の二点を指摘するに留めて、引き続きコミュニティーの見解を確認するべく忌憚無きご意見を賜わり続けるようにしたいと考えます。
    • ぽてから氏へ:Alice OPP氏は「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。武士道が如き潔さであり責任感のある称賛されるべき行為です。それを「消耗した」からだの中途半場に「半分撤退したよう」だのと侮蔑されるべきではありません。無論、議論に於いては最後まで参加して合意を形成してもらうことこそが「責任を取る」ことであるのは当然です。ですがだからと言って侮蔑されるべきではありません。
    • 有足魚氏へ:議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
  • 以上です。引き続きコミュニティーの見解を確認すべく、諸賢の忌憚無きご意見を賜わりたいと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月4日 (金) 08:39 (UTC)[返信]

返信 (ぽてから氏宛) どういう前提があると一言も言っていないことに其処まで想像力が働かせられるのかがわかりません。

重罪に値する不始末を犯した
そんなことは一言も言っていません。むしろ、特に罰を受けるに値しない「些細な出来事」でしかなく、端的に言ってAlice OPP氏が責任感が強過ぎ潔よ過ぎたことで「完全に撤退した」のだと考えています。
静かに弔おう
そんなことは一言も言っていません。むしろ、ノートでも述べた通り、私はAlice OPP氏に議論に戻ってきてもらいたいと考え「是非とも提案者に戻ってきて戴き積極的に議論に参加して戴きたい」と言っています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 06:42 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) 私の方からは私の見解をノートにて説明しました。それに反論も無く自身の主張を繰り返すだけでは、いつまでも事態は変化せず、互いに同じ主張を繰り返し続けるだけの永遠の水掛け論にしかなりません。「議論は共同作業ではない」と主張しているはるみエリー氏には不可能なことなのかも知れませんが、私としては事態を前進させる為に協力的になって戴きたいと考えます。

思い付くままに方針・ガイドラインから以下に引用してみました。
大半の人には不要と思われるので折りたたんでおきます。
ウィキペディアは、信頼されるフリーなオンライン百科事典、それも質・量ともに史上最大の百科事典を、共同作業で創り上げることを目的とするプロジェクト、およびその成果である百科事典本体です。 — Wikipedia:ウィキペディアについて
ウィキペディアは、信頼されるフリーな百科事典を、それも、質においても量においても史上最高の百科事典を目指して、共同作業で創り上げるプロジェクトです。 — Wikipedia:ウィキペディアへようこそ
ウィキペディアで記事を作成するという共同作業は、異なる観点、異なる情報源、そして異なる記述法と論法を持つ編集者によって行われます。そのような状況の下で中立的な観点を達成するために、編集者は多様な観点と懸念事項に相応の注意を払いながら耳を傾け、評価しながら記事の内容について真剣な議論を積極的に行わなくてはなりません。これがウィキペディア(および他のウィキメディア財団のプロジェクト)における合意の目的です。 — Wikipedia:合意形成#目的
記事を中立的なものにするためには、我々の共同作業が不可欠です。それはウィキペディア成功の秘訣のひとつでもあります。 — Wikipedia:中立的な観点#はじめに
テンプレートが貼られた時は、無言でテンプレートをはがすのではなく、テンプレートを貼った人とノートページで話し合ってください。何も言わずにテンプレートをはがすと、他の人と話し合う意思がない、共同作業に向かない人だと見なされてしまいます。ウィキペディアはプロジェクトの性格上、他の利用者との協調をとても重視します。協調できない方は、残念ながら、プロジェクトの進行を阻害するとして、ウィキペディアへの参加を拒まれることがあります。といっても、別に難しいことは何もありません。他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築くように心がけていれば、何の問題もありません。 — Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすること
妨害的編集は常に意図して行われるとは限りません。利用者が適切に編集する方法を理解していないために、たまたま妨害行為に該当するような編集をしてしまうこともあります。社会の一員として振る舞うための経験や共同作業を行う上で必要な技能の欠如のために、妨害になる場合もあるでしょう。 — Wikipedia:妨害的編集
これだけの数の方針・ガイドラインがwikipediaを編纂することが共同作業であると述べていて、また特にWikipedia:合意形成#合意に向けた作業に於いては「合意に向けた議論は常に「理由」を示して「相手を説得する」努力が求められます」とあります。その努力を怠ることは結果として、まさに其処に書いてある通りに「議論が決裂して対立した怒鳴り合いになる場合には、そこに合意の可能性はなく、記事の品質に悪影響を及ぼ」すこととなるでしょう。
議論が共同作業ではないと考えているのであれば、この際それでも文句を言いませんから、もう少し方針やガイドラインを重視して戴けないものでしょうか。つまり「努力が求められている」のだということをご理解戴きたいのです。私独りがどれだけ努力をしても合意の可能性は無いままです。
◆現状、私は最後に引用した二つにある「他の利用者と友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「共同作業を行う上で必要な技能の欠如」を指摘されているところです。
これは言い換えると、「他の利用者はるみエリー氏やぽてからと友好的に話しあい、信頼関係を築く」ことを困難にする「(はるみエリー氏やぽてから氏と)共同作業を行う上で必要な技能はるみエリー氏やぽてから氏が立脚する観点への理解の欠如」を指摘されているわけです。
で、「欠如を指摘されている」ことは理解出来ました。が、それを「異論は認めない」とばかりに「欠如を指摘」することを繰り返されるだけでは、「如何なる」欠如があるのかを私は理解出来ないままです。このままでは、既に述べた「永遠の水掛け論」にしかならず、互いに(どころか第三者まで巻き込んで)消耗し続ける以外の未来はありません。
wikipediaは共同作業により成り立っています。その中で議論だけは例外だと主張するのならそれでも文句を言いませんから「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月7日 (月) 08:59 (UTC)[返信]

返信 (むよむよ氏宛) 言いたいことはいくらもあるのですが……

こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。
「異様な雰囲気」ですか。今後はその「異様な雰囲気」なるものを察知出来るようになれるよう留意しておきたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月8日 (火) 09:32 (UTC)[返信]

返信 (Husa氏宛) その指摘は不当と考えます。が、誤っているわけではありません。分析の途中で下記の二点が不足していることにより、分析が不充分な状態で早計な結論が導き出されてしまっているだけです。

挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている
説得ですので、金融の専門家氏さえ理解出来れば良く、またそれが確実に果たせなければなりません。それは、金融の専門家氏の立脚する観点とは異なる観点に立脚する人(以下「他の人」と言う)にも理解出来るように記述することに優先します。なので「他の人」の中には正確に理解出来ない人が居る表現である可能性を完全に無視した発言です。なので次に示す点に基づいて、それがHusa氏(と言うか「他の人」)に詭弁であると認識されることは当然です。
上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である
討論はともかく「共同作業であるところの議論」に於いては、その「詭弁」となっている部分を「反論と言う形で指摘」することで、同じ内容である「詭弁ではない表現」へと修正させ、それによって認識の相違点を明らかにする作業です。なので私(と言うか金融の専門家氏)にとって「詭弁ではない適切で正しい内容」をHusa氏(と言うか「他の人」)が「詭弁であり誤った不当な内容」と認識することは当然のことであり、其処から「共同作業であるところの議論」が始まるのです。異なる観点に立脚する人の発言が「詭弁であること自体」には問題はありません。ですが、指摘されてもそれを修正しないのであれば(認識の相違点が不明なままで水掛け論をしても認識の相違点が発見される可能性は極めて低いので)問題があります。
ノートでも同様に「詭弁である」と主張されていますが、「反論と言う形で指摘」されていませんし、「詭弁である証明」もされていません。なので私には、私の主張を「Husa氏から見ても詭弁ではない表現」へと変更することが出来ません。私にとっては当然以前の当たり前である大前提に対して見解の相違が存在する(=立脚する観点が異なる)のでしょうが、何処にどのような相違があるのかが私独りでは決してわかりません。私はHusa氏の協力を必要としています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 01:13 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛)

詭弁とは説得を目的として行われることが前提
その行為は「丸め込む」と呼ばれます。丸め込んだ場合は説得と異なり、後で冷静さを取り戻した時に元に戻ってしまいます。
読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません
起きます。特に充填された語藁人形論法、そして省略三段論法で頻出します。
  • 充填された語のBで挙げられている「回復した」は、その土地が「かつての我が国の領土」であり「不当に奪われた」と認識している人と、その土地は「相手方の正当な領土」であると認識している人とで「詭弁でなかったり詭弁であったり」します。
  • 藁人形論法のストローマン#簡単な例の「雨の日が嫌いだ」では、「『嫌いなもの』は『全て無くなったほうが良い』と誰もが考えている」と考えている人は、Yの発言を詭弁であるとは思わないことでしょう。
  • 省略三段論法では前文にある「省略三段論法で、前提の一部を述べないのは、それが推定されるものだからである。」が問題で、「推定出来る人」には詭弁ではありません。ですが「推定出来ない人」には詭弁です。
省略三段論法については、以前に井戸端ではるみエリー氏に話したことがあります。森藍亭氏にとっては「他の可能性を考えることが出来ない=推定出来る」前提だったので詭弁ではありません。ですがはるみエリー氏には「他の可能性を考えることが出来た=推定出来ない」前提だったので詭弁です。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 05:13 (UTC)[返信]
論理展開に誤りを含んでいる、ということは状況によって変化しません
はい、その通りです。
後からどう理屈を補っても誤っています
そうです。その通りです。あぁ、漸く此処まで来られました。
その「誤っている」ことを愚かにも「誤っていると想像することさえ出来ない程に信じ込んでいる」人が世の中には居るのです。その「信じ込んでいる」ことが「誤っている」ことを理解してもらう為に行なうのが議論です。
此処で、その「「信じ込んでいる」ことが「誤っている」事実」を「伝えるだけ」では「理解してもらう」ことは普通は難しいです。伝えただけで理解出来るような単純な問題であれば、普通は対立が明らかになった頃には理解が出来、問題が大きくならないからです。問題が大きくなり対立から論争へと発展しているならば、それは伝えただけでは理解出来ない「複雑な問題」である場合か、乃至は、一方が理解出来ない「振り」を装って秘密の目的を達成しようとする「目的外利用者」である場合です。
はるみエリー氏が現在行なっていることは、私に対して、「私が信じ込んでいること」が「誤っている事実」を「伝えているだけ」です。「何処がどのように誤っているのか」を説明していません。いや努力をして下さっていることは解ります。ですがその「努力」が「誤っている事実を何度も繰り返して伝えているだけ」なので、私には「はるみエリー氏が誤っていると主張していることはわかりました。が、何処がどのように誤っているかを主張していませんので、『はるみエリー氏が誤っていると考えている』事実までしか伝わっていません。如何なる根拠があろうが関係無く『はるみエリー氏が誤っていると考えていることは誤っている』と主張しているのでないのであれば、何処がどのように誤っているかを説明して下さい」と繰り返すより他に無いのです。
このままではお互いに消耗するのみで、事態は全く進展しません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 07:09 (UTC)[返信]
もしかしたら誤解をされてしまうのではないかと危惧し、付記します。前記内容は井戸端で私がはるみエリー氏に返信して以来、私がはるみエリー氏へ伝えようと繰り返してきた内容同じ内容です。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月9日 (水) 10:18 (UTC)[返信]

返信 (赤羽さん氏宛)結婚式の例えは上手い」と思った、とのことなので伺います。

長文となり比喩表現と相まって相手に圧迫感を与え~~怖いと感じるのかも
これは、「長文を投下する相手を恐れる人」が存在する可能性を「赤羽さん氏は」認めることが可能である、とのことで宜しいでしょうか?
いや申し訳ありません、誤解をしないで欲しいのですが、これは決して「長文を投下する相手を恐れる人が存在し得る、と赤羽さん氏が主張している」とか何とか断定しているのではありません。単に「私にはそのようにしか読み取れません」と主張しているに過ぎません。この誤解を糺すことにご協力をお願いしたいのみです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 00:41 (UTC)[返信]

返信 (Aoioui氏宛) 有足魚氏の発言の件なのですが。「記事を改善する時」と全く同じで、意見の対立があろうと心象が悪かろうと、協力的に行動する限り改善に問題は無いと考えます。

私自身は、件の発言はジャム・パンナ氏へ向けた発言であると考えているので、私自身に影響はありません。また有足魚氏は既に私への評価を私に伝えていて、その評価と相反していませんので、件の発言により有足魚氏の提案や氏自身への評価が変動することもありません。単にジャム・パンナ氏に同情し慰めの言葉を掛けただけだとしか考えられず、有足魚氏が何等かの批難を浴びる要素が見当たりません。はるみエリー氏の言うように「話題にする必要もない」ことだと考えます。
にも拘わらず、Aoioui氏が批難したこと及び有足魚氏が直ちに除去を行なった事実を、私は脅威に感じています。
余談ではありますが、この場で話題にしたことで私のみならず他の参加者や、今後(があったとして)私のコメント依頼やブロック依頼、或いはその他の議論の場で私のことを調べようとした利用者の目に触れさせることになってしまったことの方が話をややこしくするのではないかと危惧します。単に黙っている以外にも、有足魚氏の会話ページで伝えるという方法もあったのではないかと愚考します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 10:52 (UTC)[返信]

返信 (有足魚氏宛) 私に「崇高」な目的があるのではないかとの発言に対してです。

もしも「wikipediaの理念に基づいてwikipediaを史上最大で最も信頼されるフリーの百科事典へと至らしめることに寄与する為に微力を尽くす」ことを「崇高な目的」から除外するのであれば、そんなものは存在していません。
過去にも「演技でやっているのかと思っていた」と言われたことがあるのですが、その場でも答えた通り、そうではありません。ですので謝罪は不要です。
最初に難解な論理を持ち出したかと思えば、その後冷静に議論をまとめています
それが何の根拠になっているのか全くわかりません。「難解な理論」がどれを指しているのかもわかりません。そして、対話の為に理論を用いることと、対話の結果を纏めることとでは、そもそも話が根本的に違います。対話の結果は結果に過ぎません。途中経過にどんな理屈があろうが、結果に不要なら普通は含めません。
熱心に説得したかと思えば、その後最初から彼が目的外利用者だったとわかっていたかのような
誤解にしてもちょっと酷いです。私は「最初から彼が目的外利用者だろうと思っていた」けれども、単に「最初から彼が目的外利用者だと決め付けていた」のでは無い、というだけです。「思っていること」と「決め付けること」とでは意味がとてつもなく違うと考えます。
追記すると、「目的外利用者」とは「目的外利用」を行なう者であり、「目的外」とは先に述べた「wikipediaの理念に基づいてwikipediaを史上最大で最も信頼されるフリーの百科事典へと至らしめること」に反することです。「wikipediaの理念に基づいてwikipediaを史上最大で最も信頼されるフリーの百科事典へと至らしめることに反しない宣伝」が不可能であるとは考えていません。
上記の通り、私は私自身に二面性があるとは考えていません。考えてみて戴きたいのですが、今までから本件コメント依頼に続くブロック依頼までの全てに於いて、私に対して「一切全く何の問題も無い」という評価は私自身を含めてさえゼロです。
二面性があるから評価が分かれているのではなく、私自身の行動の一部が「その人にとって許容範囲内か許容範囲外か」で評価が分かれているに過ぎません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 13:00 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) 上記有足魚氏へのコメントで充分にご理解戴けるであろうと考え、言葉を重ねません。不充分であるならば、何が不充分なのかお知らせ下さい。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 13:18 (UTC)[返信]

失礼。見落としがありました。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家のまとめの件がありましたね。後ほど返答致します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 13:28 (UTC)[返信]
先の「後程」は明日になります。はるみエリー氏にピーッをされているのですが、それを私の流儀で指摘して良いものか、或いははるみエリー氏の流儀で指摘するべきものなのかを悩んでいます。今はこの「私の流儀」に問題があると指摘されている場なので、どちらの流儀で指摘するべきなのか判断が難しいです。どちらにするか一晩考えてから返答します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月10日 (木) 14:20 (UTC)[返信]
考えてみれば柒月例祭氏からあまり賢そうな感じには見えないかもしれないし、もしかすると余計に馬鹿にしていると受け取られるかもしれないけれど、細かく段階を踏んでいくとかの方法もあると助言を戴いていました。これを応用して中道中庸ではなく)な方法を試みてみようかと思います。
はるみエリー氏への返答
はるみエリー氏からの質問には多重尋問が含まれています。はるみエリー氏の発言の前日に消されてしまいましたが、多重尋問は(広義の)誘導尋問で用いられる技術の一つです。誘導尋問は議論を錯綜させ、コミュニティーの消耗につながり、しかも合意の形成を阻害します。誘導尋問を目的として多重尋問を用いているのでないのであれば、多重尋問をやめてまともな質問をして下さい。
これではるみエリー氏が「多重尋問をやめてまともな質問」をしてくれたならば、私も色々と考えを改めなければならないことが明白になります。ですが私の考えでは、はるみエリー氏はきっと「何処が多重尋問であるのか」と質問を返してくるだろうと予想します。その場合に、
  1. 今後、はるみエリー氏から「何処が多重尋問であるのか」との質問受けた時に私は「多重尋問をやめてまともな質問をすれば済むだけです」と答える。(=はるみエリー氏の流儀)
  2. 今後、はるみエリー氏から「何処が多重尋問であるのか」との質問受けた時に私は「何処がどのように多重尋問であるのか」を答える。(=私の流儀)
のいづれかを選択することになります。
あれこれ単に問題(=選択すること)を先延ばしにしただけですね。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 02:00 (UTC)[返信]
大変申し訳ありません。今頃になって、はるみエリー氏が私の発言内にある「色々と考えを改めなければならない」を誤読する可能性に思い至りました。
はるみエリー氏が誤読し且つ私の予想を裏切って「多重尋問をやめてまともな質問」を行なった場合、はるみエリー氏にとっては省略三段論法のさらに段階が増えた省略五段論法とでも呼ぶべき論理的誤り=詭弁=「罠」が成立することになります。はるみエリー氏が誤読せず且つ私の予想を裏切って「多重尋問をやめてまともな質問」を行なった場合、それはつまり私が「色々と考えを改め」ても構わないということですから、詭弁は成立しません。そして最後に、はるみエリー氏が誤読していなかった場合には、敢えて私の予想を裏切って「多重尋問をやめてまともな質問」を行ない、その後で「誤読していた、詭弁である」と主張することで、私が「考えを改めたこと」を糾弾することが可能になります。
もしも私の予想を裏切って「多重尋問をやめてまともな質問」を行なう意思があるのであれば、誤読しないように注意して戴きたくお願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 04:53 (UTC)[返信]
残念ですが、多重尋問は「私が何を何だと答えたかに関係無く、必ず私を糾弾出来るように仕組まれた質問」です。そのままで答えることは出来ません。うっかり気付かずに素直に答えたら、内容に関係無く「自己の正義感を満たす為にコミュニティーを無視して独善的に結論を下す、協調を図る意思の無い人物」の烙印を押されてしまいます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 08:08 (UTC)[返信]

返信 (JapaneseA氏宛)

「二重の人格を演じてなどいない」と言えば済む事でしょう
少なくともはるみエリー氏は、「私が二重の人格を演じている」とは言っていません。ですから「二重の人格を演じてなどいない」と私が答えることは、「私が藁人形論法を使う」ことになります。そんなことをしたら、議論の錯綜がより以上に酷くなることになってしまいます。
はるみエリー氏はむしろ、「私は二重の人格を演じてなどいない」と主張したことを「前提とした上で」質問をしています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 08:08 (UTC)[返信]
はるみエリー氏は「二重の人格を演じられているかのような対応を」と言っています。これは私が「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない」と言っているのと同様に、「二重の人格を演じている」や「西洋至上主義者によるプロパガンダである」のような「決め付け」た主張ではなく、単に「自分にはそうとしか見えないので釈明を要求する」という主張に過ぎません。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 08:36 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) では、多重尋問を避けて回答します。それを藁人形論法とか言われると困ります。また多重尋問を避ける為に回答が長くなります。それを「長文」とか言われると困ります。

なぜ、二重の人格を演じられているかのような対応をされたのでしょうか。
早速有り得る可能性が三つあります。
  1. 「目的外利用者だろう」と思っていながら、金融の専門家氏を「目的外利用者ではない」かのような扱いをしたのは何故か
  2. ジャム・パンナ氏と同じく「目的外利用者だろう」と思っていながら、ジャム・パンナ氏を「アンチ」等と悪く言ったのは何故か
  3. 腹の底では「目的外利用者だろう」と思っていながら、金融の専門家氏の行為や発言が正当であると認めているような発言をしたのは何故か
  • 先ず1.に関してですが、既に有足魚氏にも言った通り「思っていた」だけで、「わかっていた」わけでも「証拠があった」わけでも「決め付けていた」わけでもないからです。「疑わしきは罰せず」は、かなり常識的な判断だと思っています。
  • そして2.に関してですが、既にHusa氏に言った通り、対話する相手に伝わるように話していたからです。金融の専門家氏はジャム・パンナ氏をそのように認識していましたし、その根拠も公言していました。氏にとって、最大限譲歩しても認識可能だったのは客観的な事実とは、「被依頼者が適切な出典に基づいて事実を執筆」した記載内容を「依頼者が宣伝目的と主張して除去」したことだけだったわけです。なので、この時に氏の認識出来ていたことは「適切な出典に基づいて事実を執筆」したのだから「宣伝目的と主張して除去」されたことは不当であり、不当であることを「証明」する為に議論を行なおうとしたが、「非論理的な主張(=金融の専門家氏から見ると詭弁=我々から見ると詭弁ではない)」を繰り返すだけでジャム・パンナ氏は論理的な説明を無視して話を聞こうとしていない(=金融の専門家氏から見ると対話拒否=我々から見ると金融の専門家氏の論点回避への正当防衛)状態でした。その所為で「金融の専門家氏から納得出来る説明」は無く、当然に「平行線で、改善の可能性も見えない」「膠着状態」となりました。その状態は、問答無用で金融の専門家氏を追放するのでなければ、金融の専門家氏が状況を理解することで膠着状態を脱し改善の可能性を求める、即ち説得する以外に思い付きませんでした。なので金融の専門家氏が状況を理解「出来る」表現で状況を説明しました。その表現が(当然と言うか偶然と言うか)「ジャム・パンナ氏を悪く言う」ような表現以外には私には見付けられなかったのです。
  • 3.に関しては2.と同様で、「先ず受け入れられる可能性が存在すること」を認識してもらわなければ説得にならないからです。「お前は記事破壊者だ」といきなり言ったら、金融の専門家氏は単に「また新しいアンチが来た」としか思わなかったことでしょう。そんな状態で説得とか、無駄な労力です。
  • 無駄な労力にちなんでついでに言いますと、ジャム・パンナ氏が気に病んでいたと言う「wikipediaへようこそ!」発言なのですが、私は当時「金融の専門家氏はもう少し巧妙に行動するだろう」と予想していたのです。まさかあんな初心者丸出しと言うか目的外利用者丸出しと言うか、わき目も振らずに目的へ向かって猪突猛進まっしぐらな行動を執るとは思っておらず、思っていた以上にスピーディーに「滞りなく次のステージに進む」運びとなって、面喰ったぐらいです。半年から一年程度は私自身が「進言なんだか入れ知恵なんだか」で言ったような行動を執ると予想していて、一年も下積みをすれば色々と飲み込めてきてwikipediaの理念に沿う形で上手く合意形成が出来るようになるだろう、もしもそうならなかったら一年後あたりにいざ行動を起こされた時には説得した責任を取って宣伝を止める為に尽力しなきゃならんよな、などと思いながらウォッチリストに入れていたら、更新頻度が非常に多く驚きました。あれだけの労力を掛けたのにと失望し、版指定削除をされるような言葉を吐くやら進言なんだか入れ知恵なんだかわからないことを投下するやらに至ることとなった次第です。
安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったことをご理解されましたでしょうか。
この質問にも問題があります。
  1. 何を以って「安易に」と言っているのか、が問題です。はるみエリー氏の見解では「金融の専門家氏が目的外利用者ではないことが明瞭になっていないのに」という内容を「安易に」と表現しています。
  2. 「正確な現状」とは何か、で意見が分かれます。はるみエリー氏の見解では「金融の専門家氏が目的外利用者であったこと」を私が把握していなかったことを以って「正確ではなかった」と表現しています。
  • 何故このような見解の相違が発生しているかと言うと、まとめでも書きましたが、私の見解では、あの問題は「「平行線で、改善の可能性も見えない」「膠着状態」だったこと」だからです。この認識は今でも変わっていません。そしてまとめに細かく書いた通り「その問題」は解決しました。「金融の専門家氏が目的外利用者であるか否かが確認されていない問題」は解決していませんが、それは別の問題だと認識しています。
被依頼者以外の誰もが誰一人として問題解決であるとは考えていない時点
異議を申し立てます。「金融の専門家氏が目的外利用者であるか否かが確認されていない問題」が解決した、と思っている人は被依頼者である私を含めても一人も居ませんでした。また「「平行線で、改善の可能性も見えない」「膠着状態」だった問題」が解決した、思っている人は私以外にも居ました。
あの安易な解決宣言はかなり異質です。
もしも私があの解決宣言で「金融の専門家氏が目的外利用者である疑惑が晴れたので解決しました」とか何とか言っていたならば、私も異質であると認めます。ですがそもそも私は「金融の専門家氏が宣伝目的で編集しているか否かが件のコメント依頼の問題なのではない」との見解でしたので、あの解決宣言に問題は無いと考えていて、今でもその考えに変わりはありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月11日 (金) 11:51 (UTC)[返信]

返信 (赤羽さん氏宛) あぁ、なるほど誤読していました。「長文」ではなく「結果的に長文」ですね。「(準理詰めや比喩が須らくそうなってしまう)長文」が相手に圧迫感を与えている、と。論点は長文ではなく「準理詰めや比喩」である、と。主張内容を理解しました。「雰囲気」の件があったので引き摺られてしまったようです、お騒がせしました。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (ジャム・パンナ氏宛)

恐ろしく長くなりましたので折り畳みます。
被依頼者は削除されたコメントで金融の専門家氏の専門知識を否定していました
いいえ、否定していません。
ぶっちゃけ投資顧問の許認可を得るのは専門知識無しでは不可能ですし、法改正以後は専門知識がある程度でも不可能です。
恐らくは「版指定削除を受けた私の暴言が指すモノ」は一般に「専門知識不要でなれる」ことから「暴言が指すモノ」なんじゃないかぐらいに考えている=「専門知識を否定」と判断したのでしょうが、「暴言が指すモノ」の全てが「専門知識不要でなれる」わけではありません。
金融の専門家氏に宣伝行為をやめさせるよう説得していますよね。
いいえ、そんなことをした憶えはありません。まさかと思って件のノート:ヘッジファンドを読み直しましたが、やはり「いいえ」です。
私は金融の専門家氏に対して「件の加筆が読者理解・記事成長に役立つ」と主張していることを前提とした上で「読者理解・記事成長に役立つ加筆」をやめるように「説得」したのです。
その「金融の専門家氏の主張によれば読者理解・記事成長に役立つ加筆」をジャム・パンナ氏が「宣伝行為」だと思っていることは知っています。ですが私は金融の専門家氏に対して宣伝行為をやめるように説得したことはありません。その「~~加筆」と「宣伝行為」とが物理的に同じものであったことから、ジャム・パンナ氏からは「宣伝行為をやめさせるよう説得し」ていたように見えたかもわかりません。ですが、私は飽くまで「加筆内容が宣伝に相当するか否かとは無関係に」「その加筆をやめるように説得」しただけです。
ジャム・パンナ氏に伝えることを目的として、仮に悪意を想定して話をすると、<悪意に解釈>私の説得により金融の専門家氏は「折角下調べして準備し宣伝には該当しないと討論しても勝てるように理論武装したというのに、wikipediaの基本原則に反するので加筆内容が宣伝に該当するか否かとは無関係にやめるべきだという主張に対して討論で勝てる道筋が想定出来ない」と判断して引き下がったものと考えます。後半は詭弁です。正しくは「その加筆が本当にwikipediaの基本原則に反しているか否か」という論点が残っています。これを私は四面楚歌の中から救い出した実績を以って誠意に基づく対話だとの信用を得ていたことを背景にして、「何よりも重要な」と大上段に構えて威圧すること、及び「利便性どころか人の生き死にさえ左右する内容であっても議論すら発生することなく除去」という極端な例を挙げて「利便性」程度では太刀打ち出来ない重要性を持っていると威嚇することにより、その論点に於ける議論の不利を悟らせました。一応念の為なのか、金融の専門家氏は注意深く抵抗を試みました。即ち、本当に誠意による助言であるか否かを問うたのです。誠意無しならば威圧も威嚇も虚仮脅しの可能性が高い=詭弁の穴を突く意味があります。</悪意に解釈>しかしこれは、それまで同様に誠心誠意答えれば済む話であり、実際にそうしました。以って金融の専門家氏は、先の詭弁に気付いていたか否かはともかくも、それが「丸め込む為の詭弁」ではなく「誠意に基づいた説得」であることを理解しました。
そうやって誤解が解け相互理解が出来た結果、金融の専門家氏と私との間で、件の加筆(ジャム・パンナ氏の言う宣伝行為)をやめる、という合意が形成されました。合意が形成されたことによりヘッジファンドに於ける編集合戦は解決し、その後ソックパペット(?)を含め再発する兆しは現在に至ってもなお見当たりません。
この説得の開始から解決まで、私は金融の専門家氏の加筆が宣伝行為であるとの論拠どころか仮定さえ一切使用していません
あの説得は、単にルールの理解が浅い初心者に指導をしていただけで、宣伝を止めさせる目的ではなかったということですか?
私が件の対話に於いて金融の専門家氏に強要したことは「宣伝行為をやめろ」ではなく「今すぐ全部リバートしろ」です。私が件の対話に於いて金融の専門家氏に要求したことは「合意を形成しろ、合意が形成される前に編集すんな」です。
正しく合意が形成された内容ならば、それが宣伝であろうが何であろうが全く問題はありません。そして「内容が明らかに宣伝であれば合意が形成されるはずがない」だけの話です。
私の件の対話に於ける目的は「平行線で、改善の可能性も見えない状態」を何とかすることであり、その手段として「誤解を解くこと」を選択し、その為に「ルールの理解が浅い初心者に指導をする(=理解を得る)こと」が必要でした。何の為に「平行線で、改善の可能性も見えない状態」を何とかしようと考えたのかは、合意形成の為の対話が可能な状態にする為です。
Wikipedia:投稿ブロック依頼/金融の専門家森藍亭氏が「本件は、「利用者の行為についてのコメント依頼」を通して解決を図るべきケース」と判断してブロック依頼を一蹴しました。私はこれを「~~を通して話を聞いてもらえない問題の解決を図るべきケース」と主張していたと解釈します。「~~を通して宣伝をやめさせることで解決を図るべきケース」と主張していたと解釈することは「当時の私には」無理でした。
結果として二回目のブロック依頼であるWikipedia:投稿ブロック依頼/金融の専門家20160930では反対票ゼロの満場一致でブロック賛成となりました。しかし何人かどころか依頼者自身でさえ「目的外利用者(=宣伝)と断定すること」を明言までして避けて、他の理由での賛成票としています。あれだけ騒ぎ廻った後の二度目の投稿ブロック依頼の時点でさえ、です。最初のブロック依頼の段階では勿論のこと、件のコメント依頼の段階では、目的外利用者=宣伝と断定する人はもっと少なかったであろうことは想像に難くないはずだと考えます。
どういった状態になれば目的外利用者と「わかった」状態で、どのようなものが証拠なのでしょうか?
五本の柱に反した目的の為に五本の柱に反した行動をする意思を持っている」ことが「わかった」状態が「目的外利用者」と「わかった」状態です。「五本の柱に反した目的の為に五本の柱に反した行動」をした証拠が「目的外利用者である」証拠です。
ジャム・パンナ氏はそれが「わかっていた」のかも知れません。ジャム・パンナ氏はその「証拠を得ていた」のかも知れません。私には「わからなかった」し「証拠も得ていなかった」し、二度目のブロック依頼の場でさえ「わからなかった」人や「証拠を得ていなかった」人や「その評価を避けた」人が居た、という話です。それを「私が愚者であるからだ」とジャム・パンナ氏が思うのであれば、「wikipediaは「そのような愚者」に対しても参加を認めていて「そのような愚者」とも合意を形成するように求めている」ことを思い出して戴きたいと希望します。
私は金融の専門家氏が「目的」を持っていたことは「確信」出来ました。しかしその「目的」が「五本の柱に反している」か否かまでは「わかりません」でした。今でもわかっていませんし、上手に対処すれば「五本の柱に反する」ことなく「目的」を達成する何通りかの方法があったのではないかと考えています。しかし金融の専門家氏は「上手に対処」することよりも「急いで対処」することを選びました。「急いで対処」することを選んだ事実は、宣伝目的、目的外利用者であった疑いを強くしました。人によっては「急いで対処」しようとした事実を「証拠」として「わかった」と判断する人も居るでしょうし、圧倒的大多数はそれに異議を唱えなくなる程度には「疑惑は濃厚だ」と判断するでしょう。結果、反対票ゼロ保留票ゼロで無期限ブロックとなりました。それは金融の専門家氏の選択の結果であり、自己責任です。私や私の行動は関係ありません。
あの時のわたしは金融の専門家氏を目的外利用者だと「決め付けていた」愚か者
「決め付け」るのは誰もが普通にやっていることです。バイアスと言うそうです。
なので「決め付け」ていることは「愚か者である」ことを意味しません。単なる観点の相違、立脚する観点が異なるだけです。
それは他所はともかくwikipediaでは、議論によって解決するべき問題です。
具体例として本件依頼の冒頭の「~~にしか見えない~~という発言は~~社会的立場を決めつける」ものであるという主張を挙げれば、
  • 彼は悪人/善人/美人/愚者/賢者/金持ち/貧乏人である
  • 彼は悪人/善人/美人/愚者/賢者/金持ち/貧乏人にしか見えない
とでは私は「決め付ける」表現であるか否かに相違がある観点に立脚しています。が、どちらの表現も「決め付ける」表現であるとする観点があり依頼者がそうである、という話だと思います。それは観点の相違に過ぎず、いづれか一方が「愚か者である」ことを意味しません。
同様に、社会的立場を決めつける「批判」であるとの発言も、西洋至上主義が「批判」されるものであるか否かに関して、私は西洋至上主義は(批難はともかく)批判されるべきものではないと考える観点に立脚していて、依頼者は西洋至上主義は批判されるべきものであると考える観点に立脚しているに過ぎません。私から見ると「西洋至上主義は批判されるべき」と「決め付け」ているように見えていますが、それは依頼者が「愚か者」であることを意味しません。むしろ依頼者から見れば「決め付け」など行なっていないわけですから、「愚か者」であると断じることこそが不当な「決め付け」になります。
もしも「決め付け」と「愚か者」とが関連する事象があるのであれば、私は「自身の「決め付け」が「決め付けに過ぎない」可能性を認めようとしない」場合だと考えています。
金融の専門家氏の履歴、WikipediaCleanはご覧になっていなかったのでしょうか。
勿論見ました。見た上での判断です。
見た結果として、私は金融の専門家氏とWikipediaClean氏とを、それぞれに違いがあると判断し、その違いに基づいて異なる扱いをしました。ジャム・パンナ氏には違いが無いと思ったのかも知れませんが、私には大きな違いがあったのです。
つまりその、金融の専門家氏の方なら私でも対話で何とか誤解を解けそうに思えた、とか、そういう恣意的な違いではあるのですが。その違いに基づいて、金融の専門家氏には声を掛けました。その違いに基づいて、WikipediaClean氏には声を掛けませんでした。
金融の専門家氏を調子に乗らせていながら、そのあとは放置。
折角苦労して合意形成の為に対話が可能な状態になったのに、件の会社もその経営者も立項基準を満たしていないと思っている私が嘴を挟んだら、まとまる話もまとまらなくなります。
その上、私の認め得る件の会社の特筆性は金融商品取引法#金融商品取引法(証券取引法)改正の歴史の2013年の件を受けて2014年の件(法改正)が起こったことぐらいのもの(そして既に該頁に記載済み)であり、しかもこれが前後即因果の誤謬ではないという条件下でだけ認め得るものなので、まさしくピンポイントに金融の専門家氏が「消したがっていたと目される」個所のみを残す価値ありとする見解です。
誰がどう考えたってまとまるはずがありません。私が迂闊に嘴を挟むよりは、参加してくれたJapaneseA氏に任せておいた方が良い結果につながると考えたものです。特に後からはるみエリー氏も参加してくれました。はるみエリー氏は(ご自身が興味無い分野に限りますが)議論に参加していない全くの第三者(多分に閲覧者だと思いますが)への配慮も忘れない細やかなバランス感覚を持ったウィキペディアンだと私は評価していますので、もはや私が参加する意義は皆無でしょう。
それと、放置と言っても合意形成に加わらなかっただけで、井戸端でも件のノートページでも介入はしていますよ。残念ながら最初の全部リバートしろ以外の説得は全て失敗しましたので、結果としては放置したのと同じぐらい無価値でしたが。
「早速有り得る可能性が三つあります。」なんて、他人事みたいな良い方
これへの返答は致しません。
よくもいけしゃぁしゃあと~~私を悪く言って金融の専門家氏を懐柔することにしたってことですよね
「懐柔」という表現が適切か否かは微妙ですが、既に話した通り「誤解を解いた」だけです。
以下、私が金融の専門家氏に対して言った「ジャム・パンナ氏を悪く言った」と目される発言を探してきて引用してみました。
見落としがあるかも知れません。下線が該当部、依頼者=ジャム・パンナ氏、被依頼者=金融の専門家氏です。
  • 無論、被依頼者をブロックしたら、その後に依頼者が記事を望み通りに書き換えるであろうことは想像に難くありません
  • 被依頼者が立脚する観点から見ると、依頼者が「アンチ」であり且つその行動が「一方的で主観的な主張」に基づいた「記事破壊」であることは理解しています
  • そして本来であれば、ノートでの議論により「依頼者が宣伝目的と主張して除去」したことが適切であったか否か(≒悪者は依頼者であること)が客観的に明らかになる(被依頼者視点)はずであったのに、実際には被依頼者の方針違反により議論が錯綜しました。
  • そうしなければ議論が錯綜したままなので、第三者に確認可能な客観的事実が「金融の専門家氏が方針違反者であること」以外にはなかなか見付けられない状態が継続することになってしまいます。イコール「詳しいことはわからないけど、とりあえず方針違反者を追放しておきますので、問題を起こしている者が居なくなった後で正常な議論を再開して記事を適切な状態にして下さいね~」とかなって金融の専門家氏の言うところの「アンチ」の天下になってしまうのです。
  • 客観的事実としてこの議論は現在、依頼者たるジャム・パンナ氏による「宣伝に見えるような加筆は控えてほしい(ので除去しました)」との主張に対して被依頼者たる金融の専門家氏が「出典には~~「1社」しか掲載されていない~~Wiki(pedia)における宣伝の定義から見て、当該記述は全く問題ない(ので除去に反対します)」と反論した後は、両陣営とも互いに自陣営の主張を補強する根拠を並べると共に、論敵に対して「宣伝!宣伝!」「思い込み!根拠の無い穿った考え方!」と「罵り合い」に終始し、全く議論になっていません
  • 大変残念ながら、金融の専門家氏にとって衝撃的な事実を伝えなければなりません。wikipediaでは、論争相手に対して「「貴方はちょっと非常識だ」という総合判断」を伝えてはいけないのです。
  • 単純に言って、一人の素人が何かを発言したならば、専門家99人が一斉に反対して漸くプラスマイナスゼロになる=発言価値が等価になると思って下さい。素人がもう一人増えたら専門家が198人必要になるのです。素人(=非専門家)一人の発言は、同時に「他の九十九科」全ての発言、イコール99人分の発言に相当する重みがあるのです。その重みを重視して十二分に配慮することでこそ、wikipediaは専門家だけが寄り集まって編纂した何が書いてあるのかチンプンカンプンな百科事典とは一線を画す、万人が理解出来る有意義な百科事典となれるのです。
  • 何故ならば「見えない人に見えろ見えろとどんなに言ったところで見えることは無い」からです。このことは(専門家ならば)実社会で「何度言っても出来るようにならない部下/新入社員」に遭遇したことがあるであろうことから、感覚的に理解して戴けるものと思っております。
  • 正解は唯一、如何なる罵倒を受けようともひたすら耐え忍び、決して冷静さを失うことなく、根気良く、誠意を以って、合意形成の為の対話を続けることしかありません。或いは、一旦放置してウィキブレイクを取ることも有効な場合があります。
上記以外に「ジャム・パンナ氏が該件で私に謝罪なりフォローなりを要求し、それが無かったことで何様のつもりかと問う程に批難し得る私の発言」となりますと、ノート:ヘッジファンドでの私の最後の発言やそれ以降の、時系列が合わないものしか思い至りませんが、その後に時間が経ったので混同している可能性も考えられます。或いはもしかしたら、いやもしもの話なんで気を悪くしないで戴きたいのですが、ジャム・パンナ氏を悪く言った金融の専門家氏に対して「金融の専門家氏がジャム・パンナ氏を悪く言ったことを私が反論も批難も批判もせず放置して対話を進めた」ことに謝罪が無いことを批難している可能性も考えられないわけではないとは思います。
親しい人間同士で、裏できちんと話を通しているならともかく
これへの返答は留保します。
他者を道具として利用し、不快感を与えたり疲弊させても問題ないという価値観
道具として利用し」への返答は留保します。
「不快感を与えたり疲弊させても問題ない」とは考えていません。
これまで繰り返し「不快感を与えたり疲弊させ」たことを指摘されてきてそれに「問題がある」ことは認めています。改善の努力をしています。それに協力してくれている人がこんなにも沢山いて、こんなにも労力(=言葉)を尽くしてくれています。私の利用者ページをご覧戴ければわかる通り、私は既に四回もブロック依頼を出されています。それでもまだ見放されていないのは、改善が進みつつあることを認められているからだと考えています。そして同時に、それが完璧にまだなっていないこともわかっていて、これまでと同様に努力を継続するつもりでいます。
わたしの当時の心情のコメントも無視されており、謝罪もなく、誠意を全く感じません。正直、謝罪はなくても一言なにかあるだろうと、常識的に考えてあるだろうと
これへの返答は留保します。
「~~への返答は致しません」としているものが一件、「~~への返答は留保します」としているものが三件あります。
もう一つの方にも
金融の専門家氏の件は私にも責任が
責任を感じ過ぎだと考えます。ジャム・パンナ氏が行なったことが完璧であったと言う気は全くありませんが、責任を追及されなければならないような瑕疵は無いと考えます。
乱暴な言い方になりますが、wikipediaでは良くある些細な出来事です。Alice OPP氏のブロック依頼がそうであるように。背中でも叩きながら「なぁに気にすることは無いさ、次は上手くやろうぜ」というのが、ジャム・パンナ氏にかけるべき言葉だと私は思います。ですが私はそれを出来る立場にありません。
代わりに有足魚氏が声を掛けてくれました。有難いことです。しかし批難を浴びて訂正するに至りました。極めて不本意に思っています。
繰り返します。ジャム・パンナ氏は「完璧ではなかった」ことに責任を感じ過ぎです。あの程度の「完璧ではなかった」など、wikipediaでは掃いて捨てる程にありふれています。もっと自信を持って下さい。我々は今此処wikipediaに、史上最大で最も信頼されるフリーの百科事典の他人様に見せる記事を執筆する為に集結しているのです。完璧であるに越したことはありませんが、完璧である必要は全くありません。ですが他人様に見せるものを書くのですから、せめて「自信」を持たなければ閲覧者に失礼です。自信を持って下さい。例えそれで失敗しても、見知らぬ誰かが必ず助けてくれます。私に出来ないことを有足魚氏がやってくれたように。それがwikipediaでの共同作業というものだと私は考えます。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (有足魚氏宛) そうですか。誤解が解けなかったことは残念です。

引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。
一つには、有足魚氏の言う「二面性」に関して、
  1. 最初に難解な論理を持ち出し」て議論を錯綜させたこと、「目的外利用者だったとわかっていた」のに説得などという余計なことをしてコミュニティーを消耗させたこと、「本件依頼で揉めているような、他人の真意を見抜けていない」発言で相手を怒らせていたこと等から、「非常識で、コミュニケーションに難がある」印象を与える
  2. 冷静に議論をまとめ」ることが出来たこと、「熱心に説得」して解決したこと、「冷静に自分の真意を見抜いて」いたことから、「知的で常識もあり、他人とのコミュニケーションも問題なくこなせる能力」があると判断出来る
  3. この両者が矛盾している=二面性がある
  4. この二面性=矛盾を説明するには、後者(2.)の実力がありながらもわざと前者(1.)の印象を与えるように振る舞っている=それによって何らかの利益を得ている=実験や目的等の隠された真意がある、と「推測せざるを得ません
二つには「はじめから」何もかもわかっていた(と有足魚氏が疑っている)ことに関して、
  1. 当時、金融の専門家氏を説得することは不可能に思えたので、Cray-Gが説得=「やり込め」始めたのは無謀としか言えなかった
  2. しかし結果として説得=「やり込め」ることに成功し、挙句の果てには最終的にブロック依頼で一切揉めることのない満場一致の賛成で事実上の追放にまで持ち込めた
  3. 全てが終わった今になって考えてみると、確かに不可能ではなかったことは理解出来る
  4. しかしそれは「全てが終わった今」だから言えることで、当時は言えなかったはずである
  5. 即ち、言えなかったはずの当時にCray-Gは無謀としか言いようの無い説得=「やり込め」を始めたのだから、「全てが終わった今」でなければわからないはずの「何もかも」を当時から=「はじめから」Cray-Gは「わかっていた」としか思えない
  6. これだけの「被害」が出ることを「わかって」いながら「やり込め」ることを「強行」したことから推測するに、その「目的」はCray-Gにとっては崇高な「目的」であるに相違無い
  7. その「崇高な目的」=真意を隠して応対をしていたのだから、その「真意」が何かが明らかにならない限り「不審であるという印象はぬぐえません
三つには、有足魚氏の言う「金融の専門家氏をやり込めた」行為に関して、
  1. 当時、金融の専門家氏を説得することは不可能に思えたので、Cray-Gが説得=「やり込め」始めたのは無謀としか言えなかった
  2. もっと「解決」出来る見込みがあり「被害」が出ない方法があったのに、Cray-Gは無謀な説得=「やり込め」を始めた
  3. それが「やったら結果がどうなるか、を知る為の実験」だったと考えれば、「はじめから何もかもわかっ」ていたというような不自然な仮定無しに、「無謀」であっても「強行」したことを無理無く説明出来る
  4. そう考えるとすっきりします
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (126.0.234.196氏宛) よかった、やはりあの流儀は駄目だったんですね。私の議論態度に問題があると言われている状況で、私とは異なり且つ何等の問題を指摘されていない議論態度があれば、それを模倣することが是とされていると仮定することは合理的だと思います。自分でも駄目だと思う議論態度を模倣する苦痛からの解放を明に是とした発言をして下さったことに感謝します。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (Kojidoi氏宛) 井戸端の件は当方主張としては「例えを出さずに短く書いたらより悪い問題が発生した」との認識です。ですが「例えと例は違う」との指摘もありました。後程井戸端に補足しておきます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (Type casketos氏宛) 少なくとも私はType casketos氏の行動の中に「悪影響」と呼ばれることが適切な「何か」があったとは思いません。「完璧ではなかった」だけです。そして「完璧である」人は誰もおらず、全員が「完璧」を目指して向上に励んでいると考えています。

その他の異議、反論、反省点
KSSの味方を装った説得作戦
異議を申し立てます。ジャム・パンナ氏への先の返信の通りなので採録しません。
他の人は別の方法を考えており
ならばそれをすれば良かったのです。何故にしなかったのでしょうか?
私の解決宣言が「本当に」独善的であると思って「いた」のであれば、私の解決宣言の直後にでも、その「調べた証拠」を突き付けて「動かぬ証拠がある」とブロック依頼を提出するべきでした。そうすれば、その「動かぬ証拠」に基づいて審議が行われ、ブロック依頼が受理され、解決宣言の直後から始まったノート:ヘッジファンドダイレクト#同社の推奨ファンドに関する記述について以降の議論の参加者の全員と、その後に金融の専門家氏が井戸端で立ち上げた話題に付き合った全員が、その消耗を避けることが出来たはずです。無論ジャム・パンナ氏の心労だって軽減したかもわかりません。
なのに何故に「その時」にそうしなかったのでしょうか。私が証拠あるを知らぬままに一所懸命説得しようと無駄な努力しているのを眺めているのが楽しかったからでしょうか? 違いますよね? では何故なのでしょうか。
それはその「調べた証拠」が「動かぬ証拠」ではなかったからではないでしょうか? それは「目的外利用者であろう」と多くのウィキペディアンに「印象付け」る材料に過ぎなかったからなのではないでしょうか? その材料によって「目的外利用者であろう」と多くのウィキペディアンに「印象付け」てブロックに賛成させる計画だったのが、金融の専門家氏が私の説得を聞く姿勢を見せ、あまつさえ「宣伝らしき記述をやめる」という合意を形成してしまったものだから「目的外利用者ではなさそう」な「印象」を構築してしまい、今更「目的外利用者であろう」と「印象付け」る材料を提示したところで、相当数のウィキペディアンが「目的外利用者である」という「印象」を抱いてくれなさそうだ(=投稿ブロックに反対する者が相当数現れる)と予想されたからではないのですか? その印象操作が出来なくなったのが私の説得行動故にであることは確かですし、信じて行動したら印象操作となっていた(=過失だった)場合までどうこう言う気はありません。ですが印象操作に失敗したのは私の所為であることが「糾弾」に値するという主張には納得出来ません。
終わった今であれば、言えることは色々とあるでしょう。それを「その時」に言えなかったのなら、それは後知恵バイアスであり結果論に過ぎません。その「印象」が「結果として」正しかったとしても、「印象操作」を失敗させたことを批難される謂われはありません。
「結果論」ではない、「印象操作」ではなかった、と主張するのであれば、その「動かぬ証拠」を公開し、その「動かぬ証拠」があったにも関わらず「金融の専門家氏を糾弾することを控え多数のウィキペディアンが消耗するに任せることを選んだ印象操作以外の理由」を説明することが「今この場で」出来るはずです。そうすれば、それに基づいて反省することが出来ます。「その時」に何を判断出来たのかを、「その時」に得られたはずのどんな情報を見落としてしまっていたのかを、その情報の有無がどれだけ有意な確率で「理解を求めない方が良い」ことを示しているのかを、その「動かぬ証拠」と照らし合わせて検証することで。
私は現在のところ勝率ゼロ割(一時はやっと一件目かと思いましたが)なので、つまり証拠を持ち合わせていません。ですがWikipedia:善意にとるに反した方が良い場合があると主張するのであれば、その客観的条件(少なくとも私が立脚する観点に於いて理解出来る条件)が無い限り賛同出来ません。「納得できなかろうが理解出来なかろうが黙って俺の言う通りにガイドラインに反しろ」と言われても首肯することは出来ません。
ですが私は今回のType casketos氏の言葉により、一つ反省せねばならない点があることに気付きました。
これは文字通りの後知恵ではありますが、私にはあの時、もう一つ出来ることがあったことに気付いたのです。私はあの時、人間同士の対話に於ける姿勢の話の他に、或いは合意が得られるまで編集するなという話をする時に、金融の専門家氏が宣伝目的=記事主題の関係者であると疑われている事実と共に
また、自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合には、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを明記した上で、提案をして、合意を得た後に、編集することが推奨されています。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。 — Wikipedia:自分自身の記事をつくらない#ウィキペディアにすでにあなたについての記事があるとき
を示して、これを守る限り記事主題の関係者である=宣伝目的であるとしても方針違反やガイドライン違反にはならない旨を、逆に、これを守れなかったならば記事主題の関係者である=宣伝目的と「看做され」てしまう状況下にあることを説明するという選択肢もあったのです。そしてその為に、それ以前から善意に取ることをもう少し抑えて「疑われている状況である」ことを前面に出すことで威圧し、ジャム・パンナ氏やType casketos氏の発言を私の発言に説得力を持たせる為の材料として利用することで威嚇し、金融の専門家氏に対してもう少し上からの目線で「言う通りにしておかないと投稿ブロックされちゃうよ? それは嫌なんだよね?」と牽制しつつ理解を求めていけば、最後にWikipedia:自分自身の記事をつくらないを示すことで編集出来ないように追い詰められたかも知れません。
そう考えれば、私のことを「善意のお人好し」が問題を起こしたと言う主張にも整合性が取れると思います。私がもっと悪意に取って、人格攻撃を行ない、他のウィキペディアンを利用し、脅迫を行なうことで主導権を握れば金融の専門家氏を服従させ意見封殺を行ない耐えられなくして怒り狂わせ、怒り狂って暴れ始めたところでそれを理由に投稿ブロックに持ち込むべきだったのに、「善意のお人好し」が能天気に対応した所為で金融の専門家氏を服従させることが出来ず好き勝手に騒ぐに任せるより他に無くなった、というのは確かに私の行動故です。
また同時に、そういう視点で見ればAssemblykinematics氏の言う「Wikipedia:善意にとる(等のガイドライン)に縛られて、なかなかうまく動けなかったように見受けられます」との発言にも道理が通ります。つまりAssemblykinematics氏は、私の行動を「善意のお人好しが能天気に対応した」のではなく「方針、ガイドラインに違反しないことに拘る(=縛られる)あまりに前述のような『為すべきであった方策』を執れなかった=なかなかうまく動けなかった」との見解であることが理解出来ます。てっきりジャム・パンナ氏向けの解釈だと思って反論もせずにいましたが、そうではなかったことが理解出来ました。
これが本件コメント依頼に於いて被依頼者たる私の見解を好意的に解釈している論陣側からの見解であることを鑑みれば、本件コメント依頼から派生した金融の専門家氏に対する私の対応に関しては、総論として「この私論は真面目に受け取るべきではないが単なる冗談だと笑い飛ばして無視することもまたすべきではない」とのことだと判断します。
これまで腕と誠意だけで世の中を渡ってきた私には経験の無い難しい見解でありその為の技術話術も持ち合わせていないことから、これまで以上に劇的な変化は難しいだろうとは考えます。しかし、これまでの長文比喩暴言に関する各意見もこの見解の相違に起因している可能性が考えられることから、充分な注意を払っていかなければならないものだと考えます。
長文比喩暴言に関する各意見にまで「この見解の相違」が起因している可能性を疑うのは、知らない人には飛躍しているように思えるでしょうから説明します。かつて私は口の悪さに関して他のウィキペディアンを顧客と思って対応する提案を受けた際に、顧客とは利益を奪い合う間柄であり同じ仲間であるウィキペディアンとは立場が異なると認識していたことから相互理解に至らなかったことがあったのを鑑みてのことです。この時にToshi999氏が顧客に例えたことは、私の立脚する観点が特異過ぎた所為で相互理解に至らなかっただけで、実は「この見解の相違」と全く同じ理由で適切な比喩だった可能性が疑われるからです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (JapaneseA氏宛) ブロック相当か否かに関しては、その疑惑は残っている状態だと考えます。

私のブロック依頼が依頼者による取り下げ宣言から実に一週間以上が経過してから終了となりました。これは金融の専門家氏の最初のブロック依頼が解決報告から一日と経たずに終了となったのとは対照的です。
つまり「あの状態からブロックと合意される可能性は無いとコミュニティーは判断する」と自己の責任を以って言える(=ボタンを押せる)管理者が只の一人も居なかったわけです。
被依頼者の誤った(と多くの利用者が批判している)対応
私は間違っているとは思いませんでしたし、思っていませんし、これからも思いません。Wikipedia:善意にとるWikipedia:論争の解決#ステップ2: 論争の相手と話し合うWikipedia:新規参加者を苛めないでください、に従い、これからも対話による解決を図り続けます。追放されない限り。
周りくどい事を言って、理解できない比喩を使って、他の利用者を消耗させる事
対話が「下手」だと指摘されている点に関しては改善を試みていて、些少なりとも成果を挙げていると評価しています。改善の成果が無いと評価するのであれば、それは(私自身の評価も含めて)個々人の評価です。私がどうこう言えるものではありません。
そんな信念がなく単に意地を張っているだけであれば、
そうですね、些少しか成果が無くとも意地を張って改善を続けています。
基本的に、私との対話がスムーズに進む種類の人と進まない種類の人とが居る、と認識しています。現在「私との対話がスムーズに進まない種類の人」とも対話がスムーズに進められるようになることを目標としています。本件依頼で「私との対話が苦手/嫌、と言いながらも私との対話をスムーズに進められている人」ぐらいに出来るようになることが当面の目標です。
意図的に「下手」を演じているわけではないので、コミットする気はありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) ノートでの発言ですが、私のことなら「この程度」でも何でも耐えますが、Alice OPP氏の名誉が掛かっているので「この程度」で済ませるわけにはいきません。

はるみエリー氏に限らず、Alice OPP氏を罪人か何かのように扱うのはやめて下さい。
切腹は「身の潔白を証する」為に行なうものです。Alice OPP氏の「身の潔白」を認めて欲しいと思います。何故にAlice OPP氏を罪人か何かのように扱ってまでAlice OPP氏の「身の潔白」を認めまいとするのか理解が出来ません。
  1. Alice OPP氏はWikipedia‐ノート:中立的な観点#「差別主義についてはどうか」の変更提案にて変更提案を行ないました。(此処での議論を以下、該提案議論と呼びます。)
  2. 該提案議論にて私ことCray-Gが提案に反対し、その後、該提案議論が錯綜しました。
  3. Alice OPP氏は「Cray-Gが該提案議論を錯綜させた原因である」と判断し、Cray-Gのブロック依頼を提出しました。(このブロック依頼を以下、該ブロック依頼と呼びます。)
  4. しかし該ブロック依頼は、同じく「Cray-Gが該提案議論を錯綜させた原因である」と判断し本件コメント依頼にて熱心にCray-Gを論難しているはるみエリー氏でさえ賛成票を投じず、同有足魚氏、Aiwokusai氏に至っては反対票を投じ、さらには「他の被依頼者の言動を歯がゆく感じているっている人間からすれば、余計なことをしてくれたなと思われてしまうような軽率なおこない」と批難されるまでに至りました。
上記状況を受けてAlice OPP氏は謝罪と共に依頼を取り下げた上で、Cray-Gが該提案議論を錯綜させた原因であるか否かとは関係無く、「該ブロック依頼が尚早であった「手落ち」を認め、その「手落ち」が方針等の理解不充分によるものであり、決して該提案議論を自己の主張に有利に導く為に論敵を排除する目的だったのではない」ことの証として「その後は該提案議論に影響を及ぼさない=参加しない」という制限を自己に課したものです。
それを何故に「『心身共にくたびれ』たから該提案議論から『半分撤退したような状態』になった」だの、「Cray-GがAlice OPP氏を『重罪に値する不始末を犯した』『全面的に悪い』と主張している」だの、「Alice OPP氏の身にもなれ」だのと言うのですか。
Alice OPP氏に罪はありません。「ちょっとタイミングが悪かった」だけの話です。Alice OPP氏への悪印象を与えるものとして挙げられている「繰り返しブロックをチラつかせ」た行為でさえ、全き善意に基づいた行ないであったことに疑いはありません。
私はAlice OPP氏の全面的無罪を強く主張します
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (ぽてから氏宛) ちょっと仕事が忙しかっただけで、自主的なウィキブレイクではありません。生活費を稼がなければならない立場なので、難しい話をする時にはちょくちょく間が空くことがあります。気にしないで戴けると助かります。

なにについて猛省
内と外とは分けなきゃならんってことです。「外」には「外」のルールがあるので「外」のことに触れるなら「外」のルールに従わなければならず、「内」のように「一意見」を発言してはならないのです。なのにあの時は話に流されて確認が不充分なまま「内」と同じ感覚で「一意見」のつもりで発言してしまった。そのことを猛省しています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (111.87.58.182氏宛) 自演乙

「相手方」に問題がありそれが主要な要因であることには強く同意しますが、それは大きな問題ではありません。「そういった相手」とも対話を行ない合意を形成することで問題を解決するのがwikipediaの理念です。「因」と「縁」が共にあって初めて「問題が顕現」するのです。「話が通じない」方にいくら説いて聞かせても無駄なのですから、「話が通じる」方に色々と言うのは当然の判断です。
私には現在、この理念を実現するにあたっての課題(=縁)があり、「相手方」(=因)よりはそれを実現出来る見込みが高いからこそ、こうして沢山の人が私に指導をして下さっているのです。上手な指導だとは思っていませんが、それでも能うる限りの力を尽くしてくれています。私もその期待に応えるべく、上手ではないながらも改善の努力を続けています。
余談ながら、先に有足魚氏への返信で書きました通り、二面性に関してはちょっと違うのではないかと考えます。「時には優しく時には激しく」を「二面性と言っている」という単純な問題ではなく、もう少し複雑で根深い原因があって「二面性と言っている」のではないかと想像しています。それを馬鹿正直に真正面から指摘するとまた「問題が顕現」するので、それを避けつつ「悟ってもらう」話術を私が身に付けなければならない課題があるわけです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 02:14 (UTC)[返信]

返信 (CCRotus氏宛) 伝わる相手なら、たった三文字でもこんなに沢山のことが伝わるのですがねぇ。対話が楽になるのでアカウントを取って戴けたことは本当に助かります。

「話が通じない」と判断するハードルが低いので
判断するハードルの高い低いという単純な問題では無いと主張します。種類が違うだけです。
金融の専門家氏は私にとって「話が通じる」ハードルが低かったが「他の人」には高かった。同じ種類である私も「他の人」には高いと認識されている。同様に私(や金融の専門家氏)にとっては「他の人」の全てに対して「話が通じる」ハードルが高いと認識している。しかし「他の人」同士は、私が金融の専門家氏に対して「話が通じるハードルが低い」と認識したのと全く同じに、「他の人」同士で互いに「話が通じるハードルが低い」と認識している。そういうことです。
被依頼者との対話を軽視する利用者との対立構造の表れであると指摘します
この表現、何とかならないものですかね。いや対案が無いので単なる苦情なんですが。
  • その「極一部の数名」の中には「対話を軽視」しているか否か不明瞭な人も居ますが、そうではない人、それどころか熱心で誠意溢れる人さえ居ます。ハンロンの剃刀に基づいて、十把一絡げに「軽視している」と看做すのは如何なものかと考えます。
  • その「利用者同士の対立構造の表れ」と言うのは、例えば映画の主題になったり刑事手続法に記載されていたりまでしている概念の頁を「この利用者が執筆した内容だから」という理由で検索すればすぐに知れる内容でも出典無しだからと主張して、そういう場合に適切なテンプレートが沢山用意されているのを知らない振りをして単純に除去して廻るとか、そういうことを言うのだと考えます。コメント依頼にて「こいつのこういうところが気に入らない」と主張することに関しては、もう少し適切な表現がされるべきなのではないかと考えます。
で、この「対案が出せない」あたりを今まさに私が責められているのですから、こうやって苦情を言うのも「如何なものか」なわけですが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月19日 (土) 08:10 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) こちらの発言に対してです。

金融の専門家さんのような人だけ
何の説明も無しに「常識!常識!」とだけ言われて混乱している新規参入者には、「wikipediaに参加する為に必要な色々」を理解出来るという利益があるでしょう。その新規参入者が善人か悪人かは別の話です。
だれも1円も得しません
いいえ、「はるみエリー氏の言う常識に従わない人」を追放すればwikipediaを「はるみエリー氏の言う常識」という観点へと偏らせることが出来るのだから、計り知れない利益となるでしょう。同じことをしようとして金融の専門家氏は「自分は専門家である」と主張することで「金融の専門家氏の言う常識に従わない人」を議論から追い出そうとしました。この一例だけでも、どれだけの利益があるかは言うに及ばないと思うのですが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月22日 (火) 04:33 (UTC)[返信]

返信 (はるみエリー氏宛) こちらの発言に対してです。

被依頼者はWikipedia:常に要約欄に記入するの熟読が必要だと
私は「熟読しろ」とまでは言いませんが、そのWikipedia:常に要約欄に記入するの、わざわざ太字で書かれている最初の一文だけでも良いので読んで戴ければと思います。ガイドラインには従いましょうよ。出来ないなら出来ないなりに、せめて努力ぐらいはするべきだと考えます。
他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明を行う場に
要約欄を利用して他の利用者へ文句みたいなことをを
要約なのですから内容を要約したのですよ。内容が「他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明」や「他の利用者へ文句みたいなこと」なので要約しても「他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明」や「他の利用者へ文句みたいなこと」になっているに過ぎません。内容が変わったら要約ではありません。
ノートページを「個人的な見解を開陳する演壇」として使用
そりゃ「個人的な見解」を「開陳」しなけりゃ対話なんて出来ませんよ。はるみエリー氏はご自身が「開陳」している見解が「個人的な見解」ではないとお考えなのでしょうか。であればどんな「見解」だとお考えなのか知りたく思います。
ノート:誘導尋問でも、Wikipedia:ページの分割と統合を理解されていないとしか思えない主張
こちらは後程ノート:誘導尋問の方で。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2016年11月28日 (月) 06:54 (UTC)[返信]

第三者のコメント

  • コメント
    • Maddestmagicianさんが議論慣れしてしているという事実はわたしのような議論が下手な者には羨ましい限りですが、確かに、ぽてからさんの言うように、「長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しい」と思います。これは改善というレベルでは難しいかもしれませんし、詳しく説明しようとしているからこそ長文になっているかもしれないという可能性もあるのですが、もうちょっと簡潔にしてほしいです。一方でご自身の発言の後にこのようなまとめ[5]をされているのは読みやすく感じました。暴言については、どうでしょう、少なくともWikipedia‐ノート:中立的な観点を見る限り、過去のコメント依頼や投稿ブロック依頼でピックアップされた発言よりもひどい発言はしていないように見えます。そもそもが差別的表現に対しての議論ですので、表現そのものが差別的かどうかということを論じるに際し、一定の差別的(と誰かが考えるような)表現が出てくることは仕方ありません。問題はその差別的ニュアンスが「表現そのもの」から「個人」へ移動する場合でしょう。
    • そういった意味合いでは、Alice OPPさんの暴言の方が目立っているように感じました。例えば議論開始後すぐの発言[6]、「西洋人を侮辱する発言が見られます。これはいけない。」までは「表現そのもの」への差別的懸念でしょうけども、それが後半の「世界最狂の魔法使いCray-G氏の認識の甘さ憂いております。」で突然「個人」へ矛先が向いています。ここから、「詭弁」「あなたの書き込みは異常」「ブロックの時が近づいております[7]、「正直無期限ブロックになっても同情はできません。言っちゃ悪いけどさ。[8]、「9年以上にわたり活動していながらウィキペディアにおける実績がほぼ皆無の「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏につきましては、今回のブロック依頼が「卒業式」になるものと思われます。[9]、「「世界最狂の魔法使いCray-G」ことMaddestmagician氏の活動はウィキペディアにおいて有害[10]という発言などが飛び出している。このような発言の後にAlice OPPさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician_20161008を提出しているのだから、こと暴言とその行動に関してはAlice OPPさんの方が問題が大きかったのだ、と考えます。--Aoioui. 2016年10月24日 (月) 05:48 (UTC)[返信]
  • 自分も依頼者と同じような懸念を長年抱いていましたが、自分が対象になるのが怖くて今まで見て見ぬふりをしてきた面があります。端的に言えば、被依頼者は非常にコミュニケーションにかかるコストが高いです。コミュニケーションが全くできないわけではないので、今まで特に大きな対処はされてこなかったのだと思うのですが、しかしそれをいつまで許容し続けるかという問題はあります。初心者なら様子見が最善の策でしょうが、もう何年もこの調子ですからね。
  • 「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある」という依頼者の指摘はもっともであり、字面だけ追っていると論理的にふるまっているように見えるので、論争相手が論破されて感情的になっていると思われてしまうのです。Wikipedia‐ノート:中立的な観点の議論でも、最初の「西洋至上主義者によるプロパガンダにしか見えない」という被依頼者の主張は攻撃的なレッテル張りですし、その論理も屈折していてわかりにくいことがAlice OPPさんをいら立たせてしまった原因だと思います。たしかに感情的になってしまった方が悪いと言ってしまえばそうですが、他人を不快にするような議論の展開をすることが責められないのはおかしいです。被依頼者にはよく反省していただきたいと思います。このようなやり方で論争相手に「勝利」しても、それは健全な合意とは言えません。--有足魚会話2016年10月24日 (月) 10:02 (UTC)[返信]

コメント へのいちと申します。

世界最狂の魔法使いCray-Gさんは、並外れた洞察力をお持ちなのですが、とても謙虚な方で、ご自分の洞察力を過小評価しているのだと思います。つまり、自分が知っていたり気付いたりしたことは、他の方にとっても明白だろうと思うのでしょう。「そこを説明しないと通じないだろうな」ということを説明しないことがあると思います。今回のWikipedia‐ノート:中立的な観点についていえば、最初のコメントがそうでした。
Cray-Gさんは、Alice OPPさんが件の文面について「西洋から東洋を見下す表現になっているから改めよう」と主張するのを聞いて、じつは件の文面が逆に西洋人の視野の狭さを表すような表現になってしまっていることにAliceさんが気付いていないか、気づいているのにあえてそのことを隠しているのだ(少なくともそう見える)と思ったわけですから、まず初めに「実は件の文面は西洋人の視野の狭さを表すような表現になっている」ということを共通認識として持てるように、陽に指摘すればよかったのだと思います。Cray-Gさんは、そんなのはあたりまえのことだと感じたのか、その説明を省いてしまいました。そこから噛み合わないやり取りが始まってしまいました。
とはいえ、このようなことはいま振り返ってわかることで、対話の相手にどんな思い込みがあるのか、どんな説明が効果的かというのを短いやり取りの中で正確にとらえるのは難しいものですから、Cray-Gさんばかりを責められないですよね。また、Cray-Gさんのコメントにはたしかに長文が多いですが、百科事典を作ろうというウィキペディア参加者にとってみれば、読解が難しいというほどにはなっていないと思います。--へのいち会話2016年10月25日 (火) 12:01 (UTC)[返信]
続けてもう一点。Cray-Gさんがしばしば論点から外れて人格攻撃に及ぶという指摘がありますが、誤解だと思います。
例えば、「1+2=5である」という人がいたら嘘つきですが、「1+2=5だとすれば1+3=6である」という人がいても嘘つきということにはならないでしょう。そこには「1+2=5」だけでなく「1+3=6」などという嘘まで含まれているのに、です。
Cray-Gさんの発言の中には、そこだけ取り出すと人格攻撃のように見えるものがあるとは思いますが、冷静になって前後の文脈を読めば人格攻撃になってはいないと思えるものばかりではないでしょうか。--へのいち会話2016年10月25日 (火) 12:20 (UTC)[返信]

コメント 私が被依頼者と関わったのはWikipedia‐ノート:中立的な観点のみですからその中での話ですが、被依頼者は少なくとも「無能」とは無縁の方です。同ページで議論のまとめを行う際にも非常にわかりやすいまとめを作ってくださいました。また、全言動が攻撃的なわけではなく、いわゆる愉快犯でもありません。
しかし、Wikipediaは共同作業で成り立つコミュニティですので、周囲の平均的な執筆者の力量や思考方法を推し量ることが出来ずに軋轢が生じるのは、このコミュニティにおいてはマイナスですし、被依頼者にとっても益が少ないでしょう。また、被依頼者は数度コメント依頼やブロック依頼が出され、言動に苦言を呈する利用者も多くおられます。もし被依頼者が「ブロック判定などではシロだが、出来れば関わりたくない人物」だという世評が定着してしまえば、被依頼者との議論を忌避する利用者が増え、被依頼者のWikipedia活動にも影響が出てきてしまうのではないか、と思います。--Susuka会話2016年10月25日 (火) 13:30 (UTC)[返信]

コメント 世界最狂の魔法使いCray-G様とは、何度か袖刷りあった者です。まず、暴言については、ブロック依頼でコメントした通りです。次に、依頼者や他の方のコメントにあるように、議論での御発言には難解な表現が多々あると思います。表現は人それぞれなので責めるつもりはありませんが、私のようなバカにも理解できるようにシンプルに仰って頂きたく思います。--JapaneseA会話2016年10月27日 (木) 05:53 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家における被依頼者の発言[11]については、大きな疑問を感じます。被依頼者は、利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録について、「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと大げさに擁護しています[12]。しかし、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などという、被依頼者なりのユーモア精神の発揮を狙った大言壮語的な演説については、なにも面白くありませんし、まったくなにが言いたいのかわかりません。被依頼者は、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について、間違った知識を持っているという自覚がないまま、何もかも知っていると思い込んで発言をされているとしか考えられません。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家で被依頼者が、「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[13]」と発言した直後に、JapaneseAさんがWikipedia:投稿ブロック依頼/金融の専門家20160930を提出し、被依頼者とは正反対の認識による合意が形成され、金融の専門家さんが無期限ブロックとなりましたが、それでも、まったく本件問題は解決することなく、次々とソックパペットが作成されました。つい、数日前に、続々とソックパペットの実態が明らかとなっていき、今は、やっと、ノート:ヘッジファンドダイレクトの議論妨害が数日なくなったというところです。いよいよこれから、ノート:ヘッジファンドダイレクトノート:高岡壮一郎でまともな議論を再開しようとしているところであり、被依頼者は、いったいどんな根拠を提示して「以上、本件は解決したと看る根拠を説明しました。[14]」と発言されていたのか、いまだもって理解ができません。もちろん、前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」[15]という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。被依頼者は、議論が好きでコメント意欲の高い方だと思いますが、被依頼者のような発言をされる方がいると、ただでさえソックパペット対応で疲労しているシャム・パンナさんなどを、ますます疲弊させることにつながると思います。被依頼者は、その後、ソックパペットに対して不適切な発言を行って削除依頼に提出されましたが、結局、Wikipediaで言葉遊びを楽しんでいるだけなのでしょうか。被依頼者による、誤った問題認識によるコメント依頼での発言は、まったく問題解決に結びつかないと思いました。こんな発言を多数のノートで行っているとしたら、多くの利用者の疲弊を生むことにつながると思います。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 09:13 (UTC)[返信]

被依頼者のコメントを読み、大きな不快感を感じました。いったい、「腹切り」をなんだと思っているのでしょうか。また、被依頼者は、議論で対立した相手が全面的に悪いとしか思っていないということもわかりました。こんな認識しか持てないということであれば、今後、一切の議論には関わってもらいたくありません。Wikipediaと、「人類数千年の歴史[16]」、「共産主義[17]」、「腹切り」はなんの関係もありません。軽々しくそんな誇大表現を出して議論を茶化すのはやめてください。被依頼者なりのユーモアは、不快感しか生みません。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 09:40 (UTC)[返信]
コメント へのいちです。上にコメントした通り、Cray-Gさんのコメントは読解が難しいほどではないと思っているので、「なにが言いたいのかわかりません」と仰られると、放っておけません。
> 前述の「現状井戸端で暴れ廻っている」ことを「むしろ積極的な初心者を歓迎し理念に沿った教育を施すこともまたwikipediaの未来をより強固にするものであり、熟達したウィキペディアンこそがその任を果たすにふさわしい」、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という発言も、結局、なにを話しておられるのか理解できません。
とありましたので、私が理解したところをご説明させていただこうと思います。
まず、はるみエリーさんは誤読しているのだと思いますが、Cray-Gさんは、初心者が井戸端で暴れまわることを指して「歴史の大前提」だと言っていたのではないでしょう。Cray-Gさんが「歴史の大前提」だといっていたのは、どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない、というようなことではないでしょうか。私は一読してそのように理解しました。確かに大げさな表現ではあると思いますし、「大前提」というのが何を指すのかはっきりとは書かれていませんが、文脈から論旨を推し量ればまあ理解できる範囲かと思います。「腹切り」については、確かに穏やかではないので他の言葉を選んだ方がよかったかとは思います。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 12:16 (UTC)[返信]
へのいちさん、解説ありがとうございます。
> どんな集団においても、後継者(初心者)を育てるにはそれなりのコストが掛かるとはいえ、そのコストを嫌うあまりに後継者の育成をおろそかにするような集団は長続きしない
このようなことを言いたかった可能性はあったと思います。ただし、その根拠を示すために、「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」などと発言されたのかどうかについては、いまだに理解できません。おそらく、「人類数千年の歴史」や「共産主義」について無知だから適当に凄そうな単語を並べただけなのだと考えて、自分を納得させています。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 12:40 (UTC)[返信]
へのいちです。ご返答いただきありがとうございます。私は私の読み取りで腑に落ちたということでしたが、どうにも意図が読み取れないようなときには訊き返してみればいいということですよね。初めからすべての人に誤解なく伝えるのは、そもそも誰にとっても難しいのですから。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)[返信]

被依頼者のコメントを読みました。自分の名前を挙げられたのでコメントしますが、残念ながら被依頼者の主張が本心からのものとは思えませんでした。なぜなら、被依頼者のAlice OPPさんへの態度は、自らの「勝利」を誇るものにしか見えなかったからです。要は自分の言い分が正しかったのだからAlice OPPさんが屈服したのだということですよね。しかもそれが「称賛される行為」とするのは意地の悪い皮肉のように思えます。このような態度は慎むべきです。--有足魚会話2016年11月4日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

  • コメント 被依頼者の発言は突っ込みどころだらけだと以前から感じていました。「腹切り」の話は、不謹慎にもほどがあり、いまだに不快感を払拭することはできません。
>議論とは共同作業です。勝利も敗北も存在しません。結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。
これは、どういう意味で結婚式のケーキカットの話を出されているのでしょうか。議論と結婚式のケーキカットは、どちらも、「共同作業」だと言いたいのでしょうか? 果たして、2人の人生の幸福をともに切り開くという縁起を担ぐ儀式であるケーキカットと、他人の考えを批評したり自分の意見を主張する議論という行為が、同じような共同作業だと言えるでしょうか。結婚式でしか行わないケーキカットという儀式と、Wikipediaの記事をどうしようかという議論を、同じまな板の上に載せるという感覚について、共感できる人はほとんどいないのではないでしょうか。こういう不適切な発言を連発されると、発言される度に、こうやって議論の本題と関係ないところで突っ込んでいかないといけないので、どんどん脇道に逸れていくし余計に疲労感を感じるのだと思います。わざと茶化しているように見えますが、普通に発言して、こうなってしまうのでしょうか。そうであれば、求められてもいないのに、自発的に議論に関わるのは今後は遠慮してほしいです。--はるみエリー会話2016年11月4日 (金) 12:57 (UTC)[返信]
へのいちです。「これは、どういう意味で」とのことなので、こちらにも私が理解したところを。
はるみエリーさんは、「議論」というものを「“他人の”考えを批評したり“自分の”意見を主張する」ものだというふうにとらえているのですね。Cray-Gさんは、まさにそのことについて、議論において取り扱われる考えや意見というものは“他人の”だとか“自分の”だとか属人的にとらえるものではなく、また、片方の側が一方的に批判したり主張するものでもなく、お互いに出し合ったいろいろな考えを、共同して批判的に検証し、参加者全体にとってより良い結論(妥協点になることもあるかも)を得るための共同作業だということを言っているのだと思います。まさに、二人で手を携えて幸福につながる道を切り拓くという比喩にふさわしくはないでしょうか。私はこの考えに共感します。私は一読してこのように理解したので、この比喩がふさわしいかどうか突っ込んでいったりする必要は感じませんでした。わき道にそれずに本論に集中できると思います。はるみエリーさんにとっては、共感できずに引っ掛かりを覚え、本論に集中できなくなるということですね。まあ、比喩というのは考え方の背景に共通点が多ければ伝わりやすいですが、そうでなければかえって伝わりにくいものですから、他人の使う比喩がわからないということもよくありますよね。そんなときには訊き返してみればいいということだと思います。--へのいち会話2016年11月4日 (金) 14:16 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者は、議論に比喩を用いるきらいがあり、この比喩が原因で議論が錯綜し、結論への経路が複雑になってしまうと思われます。上記で「共同作業」の解釈について議論になったのもその一例でしょう。Wikipediaの編集は原則ユーザーの任意で成り立っているのですから、議論が不必要に複雑化するのは望ましくありません(議論への参加は義務でもなんでもないので、敬遠されかねません)。被依頼者に限らず、議論は正確な、しかし簡潔な表現を心がけるべきです。--Susuka会話2016年11月4日 (金) 14:36 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者の発言の比喩は表現的に正直好ましくないものもあります。長文が多い点だけでなく,不適切に受け取られかねない発言(不適切な発言も含む)についても以前のブロック依頼の際にも様々な人から苦言が呈されたことは被依頼者本人は重々承知のはず(逆に言えば,そういうことが再発したら今度は後は無い立場だというのもわかっているはず)。なのに,なんで腹切ったとかそういう言い回しを使うんですかね? 少なくとも被依頼者は対話のためのエネルギーはかなり使わされる利用者だとは思います(ぶっちゃけ消耗させられたのでは? という指摘もあながち間違いではないでしょう)。最近は以前に比べれば長文は控えめになった感じはしますが,それでもまだまだ多いです。被依頼者は長文を読まされる立場のことをあんまり考えてないんでしょうかね。長文が続けば読み解くだけでも結構エネルギーをかけなければなりませんし,比喩や婉曲的な表現があればさらに読み解くのにエネルギーをかけなければなりません。もっと簡潔明瞭な文章を書いていただいて,読み手側の負担を減らしてほしいです(それと挑発的な文言や婉曲的な言い回し・解釈に戸惑う比喩など余計な言動は不要です)。あと,不適切な発言(もしくはそう受け取られかねない発言)は議論を合意から遠ざけるだけなので控えてほしいです。--かげろん会話2016年11月4日 (金) 15:38 (UTC)[返信]
  • コメント長文が読みにくいとは言いませんが、余分な比喩で膨らませるのは止めた方がいいのでは。比喩があった方が分かりやすいのではないか、という善意からだとは思いますが、多々指摘されているようにその比喩自体が難解、あるいはその比喩を読み解くのに必要な前提が共有されていないせいで話が横道に逸れるのは被依頼者にも、当然議論相手にも良いことではないでしょう。他方、分かりにくいって言う人は「これはこういう意味?」って聞けばいいだけじゃないですかね。そこら辺の手間惜しむこともないんじゃないかなと。
ただ、十分な社会経験おありの方に対して釈迦に説法かもしれませんが、一読して理解できないような、あるいは誤読されるような、あるいは本旨以外が多く要点がぼけるようなプレゼンは、大体却下されるものだと自戒を込めて付言します。--126.0.234.196 2016年11月5日 (土) 02:32 (UTC)[返信]
追記。被依頼者は比喩のセンスがないと思います。センスと言っても2種類あって、一つは①その比喩が対象とする状況をちゃんと表現しているかという点、もう一つは②その比喩を用いることが自分の伝えたいことを伝えるのに適切であるかという点。①の意味では問題ないと思っています。善意をもって読解する限りにおいて被依頼者の言いたいことは(それなりの労力を要し、かつその労力を強いているという認識はして頂きたいですが)理解できますし、その比喩の意図しているところも理解できます。しかしながら②の意味では完全にナンセンスです。切腹などという言葉を使わずとも「過度な責任感からその必要はないのに議論から撤退した」と言えば済むだけの話。共産主義云々を言わずとも「後続の言辞にそこまで目くじら立てるつもりはない」と言えばいいだけの話。それを余計な比喩で飾り立てるから、その不適切な比喩自体に引っ張られて健全な議論ができないのは、誰に取っても良いことではないです。上記の理由から私は被依頼者の比喩は「不適切」で「センスがない」と思います。しかし、はるみエリー氏の難詰は余りにも悪意に取りすぎでしょう。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 11:43 (UTC)[返信]
この比喩」については、人によって受ける印象が大きく異なるのは容易に想像できることであり、強い嫌悪感を感じる人はいるでしょう。その点については、はるみエリー氏が悪意にとっていると非難する理由にはならないと思われます(はるみエリー氏は女性であると思いますが、女性のほうがショッキングに感じやすいのではと)。被依頼者の突飛なコメントは、議場を攪乱し、翻弄して疲弊させることにより、「そこまで言うことはないんじゃないか」と逆に被依頼者に擁護する人が出るのを狙う効果も見込んでいると考えられます。結局、以前から指摘されている通り、被依頼者とまともな議論を交わすことは不可能だということですね。「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」を駆使して論争相手を圧迫する(有足魚氏発言より)ことを、やめるつもりはないのですから。--106.154.93.185 2016年11月7日 (月) 12:44 (UTC)[返信]
被依頼者へのコメントではなく本題からずれるため寸評は控えますが、私のコメントにレスがついている形ですので一言だけ。第一文「のみ、限定で」賛同致します。--126.0.234.196 2016年11月7日 (月) 14:17 (UTC)[返信]
ブロック依頼提出ですか。そこまでして急ぐ逼迫した問題があるわけでもないと思いますが、まあいいです。
被依頼者の追加コメント及びノートでのやりとりを見る限り、被依頼者に「理解」してもらおうというのがアプローチとして間違っているのではないかと思っています。本コメント依頼で方々から指摘された問題点を解消するための「行動」として以下の努力の必要性を認めるか認めないか、質問させて下さい(そこまでの強制をする権限は誰にもありませんので、確約してくれとは言いません。)
①長文は控える。極端な話、3行程度に要約する。十分な内容を伝えるために長文化するのは仕方ないと思われるでしょうが、端的に制限をかけた方が改善されたことが分かりやすいでしょう。重要な点に限って要約することで、下記の点にもメリットがあると思います(言わずもがなですが、要約するというのは分かりやすい言葉で端的に伝えることであって、単純に言いたいことを短縮して理解困難な文章を作ることではないです。念のため)。
②不要な比喩は控え、直截的な発言を心がける。ただし被依頼者の判断基準自体が疑われている状況ですので、「必要」ではなく「説明上比喩を用いることが不可欠」なレベルまで控えて頂きたい。
③文脈から切り離して発言単独で悪意に取られかねない、または好印象を与えない言葉を採用しない。具体的には今回の「切腹」やそれ以外の皮肉に「取られかねない」発言の全て。被依頼者が皮肉を込めたかどうかに関わらず、皮肉に取られかねない発言になってないか、投稿前に一度と言わず二度三度、場合によっては時間を空けて読み直して下さい。
ブロック依頼でも改善が見られれば解除して良い、という意見が見られますので、ブロック依頼の行先に関わらず有用であると思い提案させて頂きました。これらに対して必要性を認められない、有効だとは思わないと仰るのであれば、まあ読み捨てて下さい。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 10:23 (UTC)[返信]
当方「「理解」してもらおうというのがアプローチとして間違っていると思う」と書きましたが、「「理解」してもらうのが無理」とは考えておりません。但し本コメント依頼で指摘されている、些細な比喩解釈等の枝葉末節以外の問題を解決するためには、そんな難しいところまでやる必要はないと考えています。すなわち「アプローチとして間違っている」と思って上記提案をしています。以上、誤解のないよう一応補足します。--126.0.234.196 2016年11月10日 (木) 12:47 (UTC)[返信]
とりあえず、いろんな人に言えることですが、「大勢にとって合意が取れそうなところ」と「自分の意見」は明確に分けて発言してもらいたいところ。前者に後者を紛れさせてあたかも自分の意見が総意かのように記述するのは詭弁でしかありません。敢えて具体的に指摘はしませんが。--126.0.234.196 2016年11月18日 (金) 10:00 (UTC)[返信]
プロバイダが変わったのでIP表示が変わってしまいましたが、126.0.234.196です。「お前の言ってることは独りよがりで稚拙だから推敲してやりなおせ」って、これ挑発してるんですかね?「分からなかったら聞けばいい」とは言ってますが、「ここはこういう意味か」「ここが分からないから説明してくれ」とか言いようはいくらでもあるでしょうに。読解力の不足か、読もうとする善意の欠如を相手の文章力に転嫁しているようにしか見えません。まさに被依頼者の表現の適切性等も問題視されているところに被依頼者を非難する側がこのような表現をされるのは、見ていて二重基準的な不快感を感じます。ただし、被依頼者の主張の「内」とは何か、「外」とは何かを明示的に示していないので真意が分かりにくいことは認めます。--2400:2411:C741:BD00:D8E2:8AA7:B789:27A0 2016年11月21日 (月) 23:44 (UTC)[返信]
  • コメント 大変残念ではありますが、被依頼者は不適切な比喩についての多数の忌憚なき意見に耳を傾けることもないまま、不適切な比喩を撤回する意向もなく、いつまでも納得しないで自分が正しいと主張を重ねるだけです。さらに言えば、被依頼者は、自身の無知に帰因する不適切な比喩であることを認めないまま、逆に相手を見下し非論理的な演説をする始末です。こういう議論態度のどこが共同作業なのでしょうか。これ以上議論を重ねても被依頼者に改善の兆しが見られるとは思えません。「これはどういう意味ですか?」と聞き返した後、こんな議論をノートで延々と続けるなどは無駄に消耗するだけです。被依頼者は、コミュニティを消耗させる利用者であると判断せざるをえません。被依頼者による不適切な比喩の使用が継続する可能性がある限り、今後、被依頼者により疲弊させられる利用者が出ることのないよう、予防措置をとる必要があると思います。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 07:25 (UTC)[返信]

コメント 最近あったヘッジファンドダイレクト高岡壮一郎がらみの論争に関わっていたので、僭越ながらコメント申し上げます……m(_ _)m。

「これは人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い……」という比喩が登場した書き込みでは、

  • そしてwikipediaの認める、即ち目的に沿った行動の範囲内で行なわれている限り、「目的外利用」ではあり得ません。それはそれを逸脱した時に発生する事件なのであり、「きっといつか逸脱するに違いない」という「思い込み」で断ずるべきものではない、という話です。

と発言されています。上述の記事の論戦は2016年3月頃から始まっており、宣伝的な記述を書き込んだり否定的な記述を除去しようとする勢力だけなく、出典のない否定的な記述を書き込もうという勢力がいました(書き込みの例)。そして、実際に無期限ブロックを受けた利用者がいました。そこで思い出されるのがType casketos様です。この方は社会正義や業界人としての矜持として本件に関わられたような感じの方でしたが、結局ヘッジファンドダイレクト関連の活動実績しかなく、ある意味では目的外利用と言われても仕方ない状況だったと考えられます。ですが結局ブロックされずに今に至っており、これは世界最狂の魔法使いCray-G様が述べたことに基づいているのだと思います。「人類数千年の歴史の中で崩れたことの無い、共産主義でさえ打ち崩すことの出来なかった大前提」という比喩については、当初理解に苦しみましたし、共産主義を持ち出すことに不快感を示す方がでかねない発言てはありますが、前後の流れでニュアンスはだいたい受け止められました。

なお、#被依頼者のコメントにある

  • 「心身共にくたびれ」たから「議論から半分撤退したような状態」になったのではなく、自らが犯した過ちに対して「責任を取って」「腹を切った」のであり議論から「完全に撤退されされた」のだと考えます。

あたりの書き込みについては、「腹を切った」が人によっては不快を持つ表現だったとはいえ、世界最狂の魔法使いCray-G様が抱いた認識と伝えたかったニュアンスがそれ程悪いとは思えません。Alice OPP様はWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161008で多くの編集者の方々から非難されており、散々な状況でブロック依頼を取り下げています(取り下げと謝罪)。鬼の首を取ったように依頼を出しものの、結局は自身が批判を受けるという例は多く、もっとひどい言われ方をしてもおかしくないケースでしょう。それに対して世界最狂の魔法使いCray-G様は「武士の情け」をかけたようなコメントをしたと思いますし、コメントする頻度が控えめなのも、感情的にならないよう配慮されてのものだと考えられます。

また、

  • 結婚式のケーキカットで「新郎と新婦のどちらが勝ったどちらが負けた」などと考える者が居ないように、議論でどちらが勝ったどちらが負けたと考える者も居ません。

についても、へのいち様同様、自分も共感を覚えます。具体的な事例をあげると、自分が立項した記事のノートで指摘を受けたことがありますが、この時は双方冷静にやり取りをし、当初の版からこちらの版のようになりました。せっかく書いた記述が削減されてしまいましたが、結果的にすっきりして読みやすくなったと思い、指摘いただいた方に感謝した次第です。

なお、今年京都賞を受賞された金出武雄先生は、著書の中で「例え」と「例」は違うということを強調されていました。「たとえ(比喩)」は誤解や正しく伝わらないことが多く、具体的な「例題」を3つぐらい伝えるのが好ましいということだったと記憶しています(違っていたら申し訳ありません……)。世界最狂の魔法使いCray-G様は頭の切れる方だと思いますので、曖昧な比喩ではなく、歴史的な故事や過去のWikipediaの議論を踏まえて意見を伝えられると良いのかもしれません。

あとあえて被依頼者にならって例えさせていただくと、世界最狂の魔法使いCray-G様は鏡のようで、自身に攻撃的なところや至らない点があると、それが映し出されたり跳ね返ってくる方なのかもしれません。また、背景や考え方の違う人間や家が一緒になるということで、Wikipediaでの活動は結婚式の準備に例えることができると思いました。正論だけれども感情を考慮せずに意見を言うだけで、式場との調整なども相手に任せてしまうような人、もしくは当事者の感情を無視して家の都合を押し付ける親、のような存在になってしまうと、相手を怒らせてしまうでしょうし、三行半を突き付けられてしまうのかもしれません……。--Assemblykinematics会話2016年11月7日 (月) 09:18 (UTC)[返信]

Vigorous actionさんのコメント依頼における発言を見ると、やはりどこか通常の利用者とは違う観点をお持ちであり、その思想信条を強くもったままWikipesiaに参加されているなとは思いました。多くの人に挑発や婉曲的な言い回しや、他人を揶揄する悪癖があると捉えられていても、根本的には直そうとはされていないように見えます。どの程度コミュニティを疲弊させているか、その影響の度合いはともかくとして、おそらくこのまま最後までいってしまうのではないかなという印象を受けました。ご自身では問題を問題と捉えられていないことが一番の問題であると思います。標準空間の編集が極端に少ない方ですので、かち合わない人は全く無縁で済むのかもしれませんが。--Aiwokusai会話2016年11月7日 (月) 09:41 (UTC)[返信]

被依頼者の問題としてすでに「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」などが挙げられていますが、それら自体は直ちに大きな問題ではないと思います。しかし被依頼者は、それらすべてを駆使して論争相手を圧迫しており、それが非常に問題なのです。論争相手が疲弊して議論から去っても、自身が正しかったからで、合意形成のための努力をした結果だという態度であり、善意に取れば被依頼者は自分のしていることに無自覚なのでしょう。--有足魚会話2016年11月7日 (月) 10:03 (UTC)[返信]

返信があったのでコメントします。被依頼者により、自分はそういう意味で比喩を用いたのではないという水掛け論が継続されており、「「永遠の水掛け論」を避けることに協力してもらえないものでしょうか?[18]」などという発言が見られたことで、被依頼者は、自身の問題点に無自覚であることが改めて確認されました。被依頼者が、不適切な比喩を立て続けに発言したせいで水掛け論が勃発しているのです。被依頼者には、自身に反論してくる人には意味不明な比喩を持ち出した後に水掛け論を持ち出してうやむやにし、途中でなにかきれい事や正論を主張に混ぜることで自分の非を認めずにやり過ごすという一種の議論慣れ、みたいなものが見られると思います。結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」というそれだけのことだったと判断します。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 10:59 (UTC)[返信]

被依頼者コメントに返信するようなかたちでやむなく、再び新たな不適切な比喩の話についてコメントせざるをえませんでしたが、私にとっても、もともと不本意であったために、上記の一部コメントをノートに移動します。なお、私自身にとくに、落ち着きの点で問題は発生していません。被依頼者側にはその点においても問題の発生が見られると判断します。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:54 (UTC)[返信]
少し落ち着かれてはいかがでしょうか。被依頼者の不適切な比喩は問題ではありますが、それは表現の問題にすぎず、明らかな方針違反とは言えないものです(明らかな暴言であれば表現自体が大きな問題になりますが、この件ではそうではないです)。現にこのコメント依頼に寄せられたコメントでも、被依頼者の問題についての指摘がありますが、深刻にとらえている人は大勢とはいいがたいです。自分は深刻にとらえていますが、その理由は[19]ですでに述べたとおりです。これ以上比喩の話を続けても実りはないのではないでしょうか。--有足魚会話2016年11月7日 (月) 11:14 (UTC)[返信]
  • コメント 私も、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」と思います(本ページのノートにおける議論も詳しく読解する気はありません)。であればこそ被依頼者には、今後は議論が脇道に逸れかねないような不必要な比喩を避けていただきたいと考えます。--Susuka会話2016年11月7日 (月) 11:24 (UTC)[返信]
結局、コメント依頼を通じて判明したのは、「被依頼者による議論姿勢が不適切であるという忌憚なき意見が多数寄せられたにもかかわらず、被依頼者が一つも受け入れることが出来ないということが確認された」ということを述べており、比喩だけを取り上げてはいません。被依頼者の「腹切り」の比喩については、方針がどうのという以前に不謹慎極まりない発言であり、撤回して謝罪すべきであるという意見は変えません。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 11:40 (UTC)[返信]

言わずもがなであると思い発言していませんでしたが、はっきり言わないと被依頼者には通じない可能性があるので、追記します。はるみエリーは、「百科事典づくりが共同作業である」ことを否定する発言を行っていません。したがって、被依頼者による「はるみエリーが百科事典づくりが共同作業であることを否定している」ことを前提とした誹謗は、前提が間違っているため論理破綻しています。言い換えると、嘘を前提として攻撃している、といっても過言ではありません。このような根拠なき批判は、Alice OPPさんへの行為と同様に、Wikipedia:個人攻撃はしないに該当します。さらに、ぽてからさんについても同様に批判されていますが、これこそでっち上げ以外のなにものでもなく、完全にWikipedia:個人攻撃はしないに該当します。被依頼者の問題点が「難解な文章」「長文」「不適切な比喩」「奇抜な観点」の駆使により議論で相手を疲弊させ、それを合意形成のための努力をした結果だとアピールするのみにとどまらず、複数の人物に対して、でっち上げを前提として個人攻撃を行うということも今回確認できたと思っています。--はるみエリー会話2016年11月7日 (月) 14:27 (UTC)[返信]

  • コメント被依頼者については思うところが二点ございます。まず一つ目は「長い文をだらだらといくつも投下し続ける」、二点目は「他人とコミュニケーションを取るのが第一目的で、議論に結論を出す事や記事の改善は二の次のように見える」ところです。
一つ目の長文癖について。私もよく長いコメントを投下します。このコメントも長くてごめんなさい。ただ普通は長文投下したらしばらく黙るんですよ。自分だったら一つの議論に1~2つ長文投下したらもう黙ります。でも被依頼者は数千バイトレベルのコメントを何個も投下し続けるんですよね。一つのコメントに言いたい事を凝縮する努力を放棄してダラダラと連日書き殴る。こういう人が1人でもいると必ず似たような人が湧いてきてコメントの応酬になりバイト数が膨れ上がり可読性が悪くなり、普通の人が寄り付けなくなる異様な雰囲気を醸し出します。私はそういう人達を「連日長文投下マン」と名付けているのですが、その中でも被依頼者は際立つ強さを感じます。
二点目についてはより性質が悪いと思います。自分が書いたコメントに誰かが反応するのが楽しくってしょうがないから、被依頼者は議論を短くさっさと終結させようという気が無いんですよ。10万バイトかけるより1万バイトで結論が出た方が普通は良いじゃないですか。そういう感覚が無いんでしょうね。これが長文癖の諸悪の根源でもあります。これはもう治らないでしょうね。
被依頼者と直接関わりがあり、被依頼者への印象が決定的に悪くなった事例としてWikipedia:コメント依頼/金融の専門家をあげます。リアルタイムで見ていた人なら賛同していただけるかと思うんですが、被依頼者のせいで超がつくほど問題のある目的外利用者へのブロックが遅れて被害が拡大しています。利用者:金融の専門家と自己満足を満たすだけのしょーもない長文コメントのやり取りを連日続けて普通の人の議論参加を遠ざけ、突如「問題は解決した」などと宣言して幕引きを図ろうとしました。解決なんてしていないと異議が出ると屁理屈を並べ立て、他の場所へと移ってまた別の議論に精を出し始めたようです。肝心のヘッジファンドダイレクトでの記事改善には関わらず消えてしまい、自分を含めて関わっていた人達はソックパペット群の矢面に立ってボロクソに言われる始末です。そういう泥臭い作業はせずにコメント依頼で言いたい事だけ言って飽きたらさっさと去って行くのはどうなんでしょう。この人は殿様か何かなんでしょうか。
企業への暴言を吐いて削除されるなど他にも色々と言いたい事はあるのですが長くなったのでそろそろまとめます。「非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり」という依頼者からの評はこれ以上無いぐらい的を射てますね。絶対に一緒の場にいたくない人です。ただし現在出されているブロック依頼に賛成するかというと、うーん…。この人は記事名前空間に関わる議論にはそれほど顔を出さないですしみんなでスルーしちゃえばそんなに害は無いんですよ。スルーできない他の人もどうかと思います。最後に一言、上の方で活発に行われている比喩表現云々については端的に申し上げてどうでもいい瑣末な問題じゃないですか。そういう本質じゃないところを突こうとするから、いつも問題がぼやけるんじゃないですか。ケーキカットの比喩の件を槍玉にあげればあげるほど「そんなしょーもないことどうでもいい」とブロック依頼で反対票が積み上がるでしょう。--むよむよ会話2016年11月8日 (火) 08:10 (UTC)[返信]

コメント 多くの場足、すべての問題ですべての利用者の見解が一致するということは期待できなくて、意見が異なる人たちが出現することは大前提としてあって(そもそもそうでなければ議論がスタートしない)、その人たちが意見交換をして妥協点を探って合意を目指すという場合には、被依頼者のように一つ一つロジックをオープンにするようなやりかたはとても建設的です。被依頼者のやり方は、異なる意見を持っている人同士がお互いの妥協点を探るために不可欠なステップだと思いますが、残念ながら、被依頼者の相手方は「妥協点を探る」のではなく「自分の意見を押し通す」ことを目的に行動しており、そのために1つ1つ順番に確認していくような手法が嫌なんでしょう。そういう堅実な手法に対抗するために、言葉の端々を切り取って、本筋とは離れたところでやり玉にあげるというテクニックが使われているように見えます。

  • 被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。過去のコメント依頼でも指摘されているように(Wikipedia‐ノート:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606参照)、被依頼者の発言は、丁寧に一つ一つ順を追って説明した結果、それなりのボリュームになります。そのこと自体にはまったく何の問題もありません。それを長いとか妨害とか言っている側に、それだけ順を追って説明しなければならないような論理の飛躍があるのでしょう。お互いが、一つ一つの前提をしっかり確認しながら対話することで、主張の相違点を明確にしたり、妥協点を模索することが可能になります。それを拒むのは、理屈なんかどうでもいいから俺の言うとおりにせい、というに等しいです。長くて読むのがしんどいなら、じっくり時間をかけて読めばよろしい。途中で理解できなかったなら、ここのところが理解できなかったといえばよろしい。
  • たとえば、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったと考えます。あれをしっかり読んで理解することができなかった側に問題があるでしょう。まあ、状況からして、相手側が丁寧な長文を落ち着いて冷静にしっかり読んで理解して鎮静に至る、というのはいかにも期待できなさそうであり、手っ取り早くぶん殴って黙らせる、という手法のほうが効率が良いというのはあるでしょうね。目的が善であれば手段は乱暴でもいいと考えるか、それはあかんとするのか、本音と建前で悩ましい部分ではありますけれど、まあ少なくとも「ちゃんと説明して助け舟も出したからね」っていう地盤を固める効果はあったと思います。そこらへんに関連してすごくどうでもいいことで、ちょっとあげ足を取るならば、アカウントと署名のことを指摘できるだろうと思います。井戸端で「アカウント名と署名が違うのはいかがなものか」という話題に対して被依頼者は反応してらっしゃいましたけども、被依頼者が「金融の専門家」氏に対して、貴殿のアカウント名には問題を引きこおこす要因がある、と指摘しています。それはまさに指摘通りでありますが、それは被依頼者にも同じようなことが言えて、「最狂」とか「クレイジー」とかいう表現が、いかにも私は荒らしに来てるんですよという印象や先入観を与えます。(以前のコメント依頼で、ギャップ狙いなのかも、といいましたけどね。)被依頼者風の皮肉やユーモアと受け取ってほしいのですが、『ワイマールのロッテ』に「初対面の人にユーモアのセンスがあることを前提にするのはどうかと思います」っていうセリフがあって(これはロッテの娘が、ゲーテに再会する前のロッテに向かって言うセリフなんですけど)、要するに、被依頼者がロジックの箸休めにニヤリとするような小ネタを挿入しても、相手には通じんときは通じんし、むしろ逆効果だったりするということです。
  • トラブルの舞台がちょいちょいWikipedia:論争のある記事だったりして、私から見ると、そんなところに首を突っ込むと何をどうしたって問題がこじれて脱線して話の枝葉や言葉遣いでもめたあげく、コメント依頼だ、ブロック依頼だのにこじらせて、いつも似たような顔ぶれでもめているという印象です。そういうところに首を突っ込むとそうなる、ってとこですねえ。
  • なかには、三段以上のロジックがあると考えるのをやめてしまう人たちがいて、その人たちのためにちょいちょい「比喩」が登場しており、それがかえって彼らを苛つかせているという面はあります。私から見ると、それは考えるのをやめた側が悪いのですが、帰結として苛ついた人々がコメント依頼やブロック依頼という実力行使で押しとおろうとすることになっており、その点では「比喩」は被依頼者さんの思うような効果はあげていないですねえ。「赤い」を説明しようとして血を例示したら不吉だと批難されたあげく、トカゲの血は青なんですけど?とか言われる、みたいな。
  • というわけで「ブロック依頼」には反対票を投じました。ただまあそうはいっても、こうしばしば「長文」がトラブルを招いているのであれば、被依頼者さんの側でも、いくらか対策を講じたほうがいいかもしれませんね。私個人は被依頼者さんの「長文」は全く問題じゃないと思っていますけれど、問題だという人が少なからずいて、そのせいで論争がおかしな方向に暴走してしまうことがちょいちょいあるのであれば、やっぱりなにか手を打ったほうが賢明だとは思います。あまり賢そうな感じには見えないかもしれないし、もしかすると余計に馬鹿にしていると受け取られるかもしれないけれど、「A=B、B=C、C=D、D=E、E=F、F=GなのでA=Gです」というのではなく、「A=Bという点には同意できますか?」とかって刻んでいくとかね。少なくとも長文は回避できますが、相手方が「だから何だというんだ、今はGの話をしてるんだ」といいそうですけどね。--柒月例祭会話2016年11月8日 (火) 12:51 (UTC)[返信]
  • コメント 「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事??? 耳を疑います。柒月例祭氏は議論のための議論を奨励する立場なのでしょうけど、ウィキペディアは議論するための場ではなく百科事典をつくる場です。「金融の専門家」をのさばらせておくことが最も害が大きく、それを阻止することが求められていたのです。ウィキペディアは、議論のための議論を継続して自己恍惚感に浸る場ではないということを、依頼対象者(と柒月例祭氏)は理解されていない、ということが問題点の自覚を妨げていると言えましょう。
三段以上のロジック??? これも耳を疑います。「腹切り」「ケーキカット」などという突飛な比喩の使用にはなんの論理もありません。「wikipediaを編纂することが共同作業」という方針持ち出しは意図不明すぎです。それについては、ぽてから氏の指摘
>世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある
のひと言で言い尽くされています。論理性が完全に欠如しているのは明らかであり、どう擁護しようとしても無理でしょうさすがに。「長文」だけがトラブルを招いているというわけではないので、問題を矮小化しないでください。
ガチガチの理系なんで雰囲気とか言われても難しいのですが」などという論理的に成り立たない言い訳を続けていますが、どうして、こんな子どものような稚拙な言い訳が「筋が通っている」「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」」となるのでしょうか? ガチガチの理系でコミュニケーション能力の高い研究者は世界中にごまんといるのに、理系=雰囲気が察知できない、という決めつけが筋が通っているとは考えがたいものがあります。むよむよ氏はべつに「異様な雰囲気」を察知して欲しいと言ってるわけでもないでしょうに。被依頼者には、対話相手の発言をストレートに理解するというところから、つまり、アウトプットのみならずインプットの段階で問題があります。--106.154.92.202 2016年11月8日 (火) 13:26 (UTC)[返信]
流石に余りに酷いので一言。御自分の引用された文章くらいちゃんと理解して使って下さい。「非常に理屈っぽいが、常に論理的というわけでもなく」というのは通常の日本語では「論理的であるときもあるがないこともある」と読むべきです。その文を引用しつつ次の文で「論理性が”完全に”欠如しているのは明らか」と言ってしまうのは、それこそ「完全に」論理的ではありません。--126.0.234.196 2016年11月8日 (火) 14:45 (UTC)[返信]

コメント 「被依頼者に反感を持っている多くの人は、被依頼者のコメントがただ単に長いというだけの理由で、読みもせず、理解しようともせず、可読性がどうのとか、妨害だとか言っているにすぎないと考えます。」という柒月例祭氏のコメントについてですが、「ただ単に長いというだけの理由」で読みもしないとか理解しようとしていない人とは、具体的にどなたをさしておられるのでしょうか。

どうも、被依頼者を擁護したいあまりに、感情的に「被依頼者にはほとんど全く問題はありません。」と発言しておられると拝見いたしましたが、なぜ、被依頼者に問題が無いのかという肝心の論理的説明はなされていません(問題ない、と感情的に繰り返されているだけです)。被依頼者のコメントは、三段論法にも演繹法にも帰納法にも頭括型・尾括型・双括型のいずれにも該当せず、論理的な形態を逸脱しているということだけは、はっきりと断言できます。度々引用されていますが、ぽてから氏による、

>世界最狂の魔法使いCray-Gさんのコメントは、非常に理屈っぽいが常に論理的というわけでもなく、婉曲表現や感情的表現も用いられる傾向があり、かつ、長文でまわりくどく述べられることもあるため、意図を掴むのが難しいことがある場合もある

というコメントは実に的を射ているものであり、被依頼者のコメントは、論理性が著しく欠如している場合が多いということは否定しようのない厳然たる事実です。論理展開としては、詭弁に近い展開を用いておられます。たとえ多少長文ではあっても、むよむよ氏のコメントは詭弁ではありませんので理解が容易です。古い利用者ですから、これまでいろいろあったでしょうし、感情的になられる気持ちも察せられますが、事実と異なるコメントをしてまで擁護に終始することで事態が改善に向かうことはあり得ないと考えます。被依頼者のような能力のある方が今後ウィキペディアでご活躍いただくためにも、実際には誤りである論理展開が用いられていることをご自覚いただき、被依頼者が関わると必ず議論が紛糾するような事態とならないよう、今後は発言の際ロジックには最新の注意を払っていただくよう説得されるべきであると考えております。--Husa会話2016年11月8日 (火) 15:17 (UTC)[返信]

Husaさんと同意見です。被依頼者の発言は一見もっともらしいことを繰り返していますが、実質的に自身の行為や主張の説明になっていないことが多いです。--有足魚会話2016年11月9日 (水) 11:25 (UTC)[返信]

コメント  ノート:ヘッジファンドダイレクトにおける被依頼者の以下の発言は、詭弁に類するものであり、ロジックが存在していません。以下の被依頼者の発言を拝見し、「金融の専門家」における被依頼者の説明は見事だったとする、柒月例祭氏の発言は完全に誤りであると認識いたしました。被依頼者のこの発言は議論の攪乱にしかなっていないものと考えます。 (以下、被依頼者の発言をノート:ヘッジファンドダイレクトのこの発言から引用)

  • そしてウィキメディア・プロジェクトは広告収入を避ける為に寄付を募っていますが、これが昨年だけで七千万㌦(㌦100円換算で七十億円)にまで昇っています。何の為にそんなに資産を投じているのでしょうか。圧倒的大多数のウィキペディアンが広告にアレルギーを持っているのです。
  • 良くても「とりあえずJapaneseA氏の内容にしておいて、その後は改めて合意形成が出来たらそれに差し替える」という形の表明が何件かある程度で、下手をすれば「議論は長いし何だかよくわかんないけど宣伝っぽいよね」で満場一致です。
  • これは進言なんだか入れ知恵なんだかわかりませんが、本件では一旦受け入れておいて、先に投資顧問業者のプロジェクトだか何だかを立ち上げ、特筆性が認められる投資顧問業者のページをジャンジャンと「Wikipedia:スタブにならないように注意して」立項し実績を作れば、色々と主張の根拠に説得力が得られるものと考えます。
  • 現時点では「何でヘッジファンドダイレクトだけ?」という単純な疑問に「素人目にもわかる説得力」を持って答えられません。なのに投票とか自滅行為です。

上記発言は、議論を無駄に長文にしただけでノート:ヘッジファンドダイレクトにおいては不要な見解であり、かつ、詭弁が含まれています。最大限善意に解釈しても、「説明が見事」と評価するのは不可能です。さらにいっそうまずいことに、被依頼者の対応が、ソックパペットによる被害を拡大させる効果を発揮したと考えられます。このような詭弁を駆使してソックパペットによる荒らし行為を助長されたことについて、被依頼者はなにひとつ問題を認識されていません。すでに2015年のWikipedia:コメント依頼/Maddestmagicianで「Maddestmagicianさんの巨大バイト数におよぶ、個人攻撃・虚飾表現・脱線が多分に含まれる編集行為」が指摘されています。しかし、結局、この時点から変わらず問題の多い編集行為を継続されていることが、金融の専門家氏とのコメント一つを拝見しただけでも容易に理解できるものであります。被依頼者は昔から活動されている方なので知己が多いという事情があるのは理解していますが、だからといって、事実を無視してまでも、ほとんど全く問題がない、などのひと言で片付けられる段階ではもはやありません。被依頼者を過度に批判するつもりはありませんが、問題が継続していることを否定するのは不可能です。ノートでの議論において、ウィキメディア・プロジェクトへの批判を展開される等の編集行為が、被依頼者が理想とされる「共同作業」であったり、「議論」であったりするというのでしょうか。実際の行動と発言に乖離が認められ、他人には理詰めで追及される一方、自分の発言の論理展開は詭弁を用いられるなどは、随分と自分に甘くはありませんか。自らの議論姿勢について反省を求める次第です。--Husa会話2016年11月8日 (火) 18:43 (UTC)[返信]

被依頼者が、「挙げられている引用は全て、金融の専門家氏を説得する目的で「金融の専門家氏へ向けた内容」であることを見落としている」と主張していますが、これは嘘です。そもそも、詭弁とは説得を目的として行われることが前提であり、Husaさんは説得目的であることを見落としていることは上記発言から証明できません。また、詭弁(「主に説得を目的として、命題の証明の際に、実際には誤りである論理展開が用いられている推論」)が論理展開に誤りを含んでいる、ということは状況によって変化しませんは、読む人によって詭弁だったりそうではなかったりということは起きません上記の性質を持つ内容が「他の人」にとって「詭弁」であることは当然である、という主張も嘘ということになります)。「実際には誤りである論理展開」は後からどう理屈を補っても誰から見ても誤っています。被依頼者は、「詭弁を用いて説得を続ける」行為を継続されていますが、これは、決して「共同作業」ではありません。ノートにおいても詭弁を用いた説得を続けています。対話相手に詭弁を用いることは議論における裏切り行為ともいえ、いつまでも納得しなければ、コミュニティを消耗させる効果しかありません。--はるみエリー会話) 2016年11月9日 (水) 04:24 (UTC)--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 05:39 (UTC)[返信]
被依頼者は、少しは落ち着かれたほうが良いと思います。ノートにおいても、相手の発言を歪めた前提で議論を始めるのはストローマンという誤った論法であることは間違いありません。はるみエリーがしているように、正々堂々と誤りがない引用を前提として議論を始めてください。被依頼者に求められているのは、まずは、第三者のコメントを静かに聞いて咀嚼する、ということです。しかし、実際にとられている行動は、次々と説得を目的として詭弁等を繰り返す、という「共同作業」からはほど遠い行いです。--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 05:39 (UTC)[返信]
ひさしぶりにログインしてみたら、わたしにも関係のある話がされていたので、蛇足だとは思いますが、当事者としてどう感じたかを書いておきます(わたしも被依頼者と同じように金融の専門家氏の対応から逃げているので、あまり説得力はないかもしれないですが・・・)
  1. わたしは金融の専門家氏らソックパペットの履歴をさかのぼって確認し、その投稿やノートでのやりとりをを見て、目的外利用者だと確信してブロック依頼を出し、依頼をお断りされてWikipedia:コメント依頼/金融の専門家を提出しました。私としてはヘッジファンドヘッジファンドダイレクトを載せようとするなど、ここまであからさまなら誰にでもわかるだろうと思っていました。この時に、ちゃんと自分が見ていたパペットの履歴などをまとめていればよかったのですが、ノウハウを知らなかったので、とても不十分なものになってしまいました。
  2. わたしと金融の専門家氏が泥沼のような言い争いをしていた時、被依頼者が登場して説得を始めました。最初はとても論理的に話しているように見えて、目的相利用がだめだと説明してくれていると思ったので、お任せすれば大丈夫なんじゃないかなと思いました。
  3. 被依頼者はコメント依頼で、金融の専門家氏は名乗っているように金融の専門家であると扱い、ウィキペディアでのルールを理解させてまっとうな執筆者にしようと説得しました。なので、わたしは被依頼者が、金融の専門家氏を目的外利用者ではないと思っていて、本当に金融の専門家だと思っていて、わたしの現状理解とも期待とも違ってしまっていましたが、善意で説得しているのだと思いました。わたしには、あれだけ時間を割いて説得を続ける理由が、他に思いつかなかったからです。あと、金融の専門家氏への説得で、間接的にディスられているように感じる表現があり、それはやめてほしかったです。「正解は唯一、如何なる罵倒を受けようともひたすら耐え忍び、決して冷静さを失うことなく、根気良く、誠意を以って、合意形成の為の対話を続けることしかありません。」と言われていましたが、わたしは金融の専門家氏を罵倒していたでしょうか・・
  4. 被依頼者が金融の専門家氏に好意的に親身に対応し続けたので、金融の専門家氏はどんどん調子に乗りました。被依頼者は、金融の専門家氏の状態が、非依頼者が味方だと思って調子に乗っている状態だと理解していました(本人がそう言っていましたので)その結果、井戸端での提議が乱立し、私も金融の専門家氏から色々暴言を受けました。
  5. 被依頼者の説得で金融の専門家氏が自制したのは一瞬で、また問題行動を繰り返すようになりました。コメント依頼で問題解決と言われたことで、さらに大きな自信を持つようになりました。
  6. 被依頼者は、金融の専門家氏の行為は初心者だから目をつぶるべきと言われました。つまり私は金融の専門家氏の行為に甘んじ続けないといけないということでした。この時点で、わたしは被依頼者によって事態が改善することはないし、自分は金融の専門家と被依頼者を相手にしてどうにかしなければいけない状態だということに気がつきました。それは私にはハードすぎる難問で、とてもできるとは思えませんでした。
  7. わたしはストレスで不眠ぎみになり、そんな私への家族の心配もあって、問題を放置してウィキペディアで活動するのを止めました。無責任だとわかっていましたが、完全にキャパオーバーでした。
  8. 後ろめたくて顛末だけは追っていたので、被依頼者のWikipedia:コメント依頼/金融の専門家での発言(削除された内容も)読みました。「最初から「目的外利用者ではない」などとは思っていませんよ。誰がどう見たって「ヘッジファンドダイレクト」の利害関係者が乗り込んできた一員(雇われた外注)にしか見えないでしょう。」という発言と、ヘッジファンドダイレクトへの強い軽蔑(今は削除されているのかもしれませんが)を読んで、わたしは衝撃を受けました。目的外利用者だと確信しているという事実と、あの一連の説得が、全然かみ合わなかったからです。ステマーだと思って、「wikipediaをより素晴らしい百科事典に出来る専門知識所有者を歓迎します。wikipediaへようこそ!」と言っていた、わたしにはそれがどういうことか、理解できませんでした。わたしと金融の専門家氏は、非依頼者におちょくられていたのではないか、わたしが必死になっているのを見て笑っていたのではないか、そう思ってとてもつらい気持ちになりました。そして、そのわけのわからなさに恐怖を感じました。金融の専門家氏やソックパペットは「宣伝」というはっきりした目的があって、いらだったし怒りを感じたけど、「恐怖」はなかったです。ですが、被依頼者に対してわたしが感じているのは、本意がわからなさ過ぎてこわい、この人ともう一度関わることがあったどうしたらいいかわからない、ということです。正直、金融の専門家氏を説得しようとしていたのか、そうじゃないのかすら私にはわかりません。そして、この難解さが被依頼者の特徴だし、と言われても、そんなこと初めて関わる人にはわからないです。
なので、自分のノートでAssemblykinematicsさんにあたたかいコメントをいただいたのですけど、「死ね」とか直接表現しなければ割と何でもオッケーなこの場所で、記事を執筆していけるのか、非依頼者とどこかで関わることになったらどうしようという思いもあって、ウィキペディアで活動していく自信があんまりありません。もちろん、こんな風に思うのは、自分の根性のなさが一番大きいのですけど。--ジャム・パンナ会話2016年11月9日 (水) 10:42 (UTC)[返信]
被依頼者の特徴として、ウィキペディアの議論で実験めいた行動をとるというのがあります。ヘッジファンドダイレクト関係の行動はそう考えるとすっきりしますが、これは自分の推測に過ぎないのであまり強いことは言えないですね。ただ、被依頼者の言動を字面のまま解釈するとしても、自身の真意を隠して応対をしていたということですから、今後そういう言動は慎んでいただきたいと思います。--有足魚会話2016年11月10日 (木) 08:23 (UTC)[返信]
  • コメント ジャム・パンナさん、戻ってきてくださって本当に良かったです。やっとノート:ヘッジファンドダイレクトからソックパペットが撤退しましたので、気が向いたらお越し頂ければと思います(もちろん、来られなくても一向にかまいません)。私も、被依頼者と議論で関わることの辛さを何度か感じました。ジャム・パンナさんは、てっきり利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に疲弊させられたとばかり思っていましたが、被依頼者の利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に対する態度が、間接的にジャム・パンナさんを痛烈に攻撃しているようなかたちとなっていた、ということを初めて知りました。本当に大変おつらかったと思います。私も同じような目にあったことがあり、多少はお気持ちを理解できると思っています。しかし、ジャム・パンナさんは責任を感じることはありません。根性があるとかないとかも気にされる必要はありません。被依頼者による利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録への対応は適切ではなかった最悪中の最悪であったと確認ができたと思います。被依頼者の議論態度により、ソックパペットの被害を拡大させコミュニティが消耗している実例が公になりましたが、被依頼者は、それでも自分に非はない、と言い続けられるおつもりでしょうか。--はるみエリー会話) 2016年11月9日 (水) 11:20 (UTC)--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
  • うーーーん。議論の仕方、意見の書き方については多くの人からすでにコメントがされており私から言うことは特にないですが、各種方針・ガイドラインを引用しながら立て板に水のように「ウィキペディアとはなんぞや」を語られるのに、肝心の通常記事での編集では「出典を付けながら記事を作っていく」ということをやってくれないのはちょっと残念です(eg. 誘導尋問)。--Yapparina会話2016年11月9日 (水) 11:58 (UTC)[返信]
    • 返信 (はるみエリーさん宛)被依頼者による利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録への対応は最悪中の最悪であったと確認ができた」という発言は必要ですか? ケーキカットのくだりもそうですけど、些細な言葉まで気にされるはるみエリーさんが、「最悪中の最悪」などというような乱暴な言葉で(それがたとえどんな人物であれ)話し合いの相手を格付けされるというのは、信じられないというか、目を疑うのですが。--Aoioui. 2016年11月9日 (水) 13:01 (UTC)[返信]
格付けしてはいませんが指摘を受け修正します。ケーキカットは全く意味が異なるということであり、誇張気味程度の問題とも異なります。被依頼者による利用者:金融の専門家(ノート / 履歴)への対応は適切ではなかった」という発言の主旨を変更するつもりも撤回するつもりもありません。--はるみエリー会話2016年11月9日 (水) 13:28 (UTC)[返信]
で、あればどのように対応すれば適切であったか、についても言及すべきでは?ジャム・パンナ氏が疲弊したと仰っている以上、事実被依頼者の対応は適切ではなかったのでしょう。しかしそれは予見性がなければ結果論に過ぎません。ジャム・パンナ氏の見解に一つコメントするとすれば、被依頼者は金融の専門家氏を目的外利用者であると考えていたが、上手く説得できれば「特定企業の目的外利用者」から「専門知識を持った利用者」にできるのではないか、と考えていたと見れば別に一連の言動に違和感は感じませんでした。勿論見通しが甘かったこと(相手があまりにもアレだったこと)やそれによって問題を長期化させた一因となったことについては被依頼者は「結果的に」非難されて仕方ないと思いますし、安易に解決したと宣言したことなどは私も不適切と考えます。
あとケーキカットはの比喩は「全く意味が異なるとはるみエリー氏が考えている」のであって、「全く意味が異なる」と断定はしないで頂きたい。事実、へのいち氏や-Assemblykinematics氏が共感を示されていますし、私も多少のずれは感じますが「全く」とまでは思いません。--126.0.234.196 2016年11月9日 (水) 13:57 (UTC)誤脱修正--126.0.234.196 2016年11月9日 (水) 13:59 (UTC)[返信]
被依頼者の問題はすでに指摘されている通りです。なかでも、ジャム・パンナさん等に対して非協力的で皮肉的なコメントがみられるのは残念でもあり不適切であったと思います。ノート:ヘッジファンドダイレクトの参加者を痛烈に批判し、自分のコメントだけが本来の議論なのだと主張しているようにも見えます。しかし実際は、被依頼者は安易に解決したとか現実とは正反対の独りよがりな発言をしておられ、たんに「最後まで現状を正確に把握していなかった」ことを自ら明らかにされるかたちになりました。被依頼者による最初のコメントも問題の本質から非常に遠い指摘であり、ここを出発点とされたことで、必然的に議論の長期化を招いてしまう状況となったと思います。利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録対策で大きな力を発揮したのは、LudwigSK氏による検証のような事実に基づく検証であり、被依頼者のような机上の空論は、逆に被害をうみ出す結果となってしまいます。被依頼者が間接的に批判しているジャム・パンナさん等の対応について、そこまで糾弾する必要があったのかなと疑問に感じます。被依頼者が、圧迫すべきではない相手に圧迫を与えるコメントを連発されたのは、被依頼者の現状把握が間違っていたためでもあったと思います。きちんと現状把握が出来ていないのにご意見番のように参加すると、逆に被害を発生させかねません。被依頼者の参加により議論の長期化や関係者の疲弊が生まれてしまったことに疑問の余地はなく、利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録のコメント依頼に参加されないほうが良かったと思います。被依頼者は、「共同作業」に必要なコミュニケーション能力に問題を抱えているということを自覚されていないままであれば、今後も同様のケースを回避できないと思います。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 09:13 (UTC)[返信]

コメント 発言に関して言えばWikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20150606の頃に比べたら見やすくなっているとは思います。まあ確かに被依頼者のコメント中の一部分だけを見れば揶揄に見えなくもないですが、よく読んでみるとそうでないのが多いと思いますし、意図を掴むのが難しいという事についてもよく読めばある程度意図は掴めるかと思います。ただ、被依頼者は理詰めまでとはいかないですがそれに近いくらい自分の発言をつまびらかにされると思うので、それが結果的に長文となり比喩表現と相まって相手に圧迫感を与えているのかもしれないと思いますね。その点では有足魚さんが言われるように被依頼者と議論となったら怖いと感じるのかもしれません。私は被依頼者の言動はさほど問題だとは思いませんし結婚式の例えは上手いなと思っているのですが、長文だと読みづらいという方もいっしゃるので、なるべく簡潔に平易な表現を使われた方が良いと思います。--赤羽さん会話2016年11月9日 (水) 18:48 (UTC)[返信]

世界最狂の魔法使いCray-G 私としては「長文を投下する相手を恐れる人」が存在する可能性は認めていません。長文そのものを恐れるというよりは表現の問題であると見ています。--赤羽さん会話2016年11月11日 (金) 20:00 (UTC)[返信]

今後の流れについて提案があるのですが、ひとまず第三者のコメントが落ち着くまで待った方がいいと思います。ブロック依頼は最終手段であって、被依頼者は過去のブロック依頼でブロックせずの判断が出ていることから、なおの事慎重であるべきだと思います。そのうえで、被依頼者の抱える問題のうち重大なものを議論の上整理して(小さな欠点まであげつらうことは、印象が悪くなるだけで逆効果です。)、解決方法も添えて被依頼者に理解を求める必要があると思います。それで改善が図られれはそれでよく、次の手段を考えるのはうまくいかなかったときにまた議論すればいいでしょう。--有足魚会話2016年11月10日 (木) 08:23 (UTC)[返信]

情報 現在の情勢

  • 問題の無い素晴らしい利用者

柒月例祭、へのいち

  • 問題がほとんど無いのでブロックに絶対反対

いすか、Aoioui、Ashtray

  • 問題を感じるがブロックまでせず

WDS487、むよむよ、森藍亭、市井の人

  • 問題があるがブロックについては態度不明

Susuka、ジャム・パンナ

  • 問題があるので短期ブロック

JapaneseA、MankasTempo

  • 問題があるので長期ブロック

はるみエリー、ぽてから、Husa、有足魚、Aiwokusai、Senatsuki

このような状況ではまずブロックなどされない。2015年のブロック依頼でも賛成10反対6で却下されている。先走ったブロック依頼によりまともな議論が成立しなくなった状況を依頼者は真摯に反省し、今後は稚拙な管理活動は控えるといいだろう。--AllCutman会話2016年11月10日 (木) 09:19 (UTC)[返信]

返信 (有足魚さん宛) 既にこのコメント依頼がかなり長くなっているので、まとめてみるのもいいかもしれませんね。わたしは少なくとも「比喩」の指摘後からMaddestmagicianさんが、少なくともこの依頼では比喩を抑えた表現をされているので、改善に向かっているのだと感じてはいますが。しかし、特別:差分/61862086において「世界最狂の魔法使いCray-Gさんについてですが、あまり深く考えすぎないほうがよろしいと思います。正直自分もあの屈折したものの考え方には付き合いきれないし、付き合う必要もないと思っています。」とおっしゃっていた有足魚さんがこのような提案をなさるのは、ちょっと疑問です。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:27 (UTC)[返信]
利用者‐会話:ジャム・パンナにおける自分の当該コメントは不適切なものであったので、訂正いたしました。--有足魚会話2016年11月10日 (木) 09:47 (UTC)[返信]
妥当な提案であると思います。また、提案者が被依頼者をどのように感じているかは、提案内容とは関係がないので、提案内容に問題があるということでもなければ話題にする必要もないと思います。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 09:34 (UTC)[返信]
返信 (はるみエリーさん宛) いや、わたしも提案内容に問題を感じているわけではないです。これは、当然ながら場と個人の改善に向けた手続きですよね? それなのに「付き合う必要もない」と考えている方がこのような提案をしたり、まして、「あの屈折したものの考え方」と中立的でない見方をされてる方が、改善に向けて何をするのだろうか、という話なんです。はるみエリーさんなら、分かっていただけると思うのですが……相手がどんな人物であれ、それを改善しようと努めるとき、また(外部サイトではない)他方で「あの屈折したものの考え方」と言っていた場合、はるみエリーさん的に本当に「話題にする必要もない」と考えるのですか。マズい表現だな、とは思わないですか? わたしは、改善に向かってともに努力するにあたり、このような発言を他方ですることに問題があると考えています。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:44 (UTC)[返信]
訂正がありましたので、問題は解消したと思います。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 09:52 (UTC)[返信]
 追記 有足魚さんの訂正を確認しました。ありがとうございます。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 09:54 (UTC)[返信]
返信 (Maddestmagicianさん宛) 脅威にお感じになったこと、そして別の方法があったというご指摘、ありがとうございます。わたしはこういう方法を取りました。そして問題は解消しました。--Aoioui. 2016年11月10日 (木) 13:07 (UTC)[返信]

返信 主にHusaさんのコメントを中心に

基本的な前提として、コメント依頼に臨むにあたってのスタンスが違っているのかなあと思います。ウィキペディアというのは(現実社会と同じように)様々な人々が対等な立場で参加することで成り立っていて、多様な社会です。現実・ネット上いずれにせよその人の経験や執筆分野やそこでの慣習などが違っているので、同じものを見ても「長すぎる」という人もいれば「短すぎる」という人もいます。で、時として少数の利用者の間だけで議論していると煮詰まったりして閉塞感が出るので、第三者の見解を募るわけです。
たとえばカレー屋を開こうとして毎日味見しているうちに、この味が良いんだか悪いんだか分からなくなったり、3人の間で意見が分かれたりしたときに、第三者をたくさん集めて味見してもらうわけです。最初の3人が「辛さが足りない」と考えていても、後から来た10人が「辛い」といえば辛いと考えたほうがいい(辛いから美味しいのかと、辛いから不味いのかは確認する必要があるけれども)。後から来た10人のうち、1人は「甘すぎる」といい、3人は「甘い」といい、2人は「辛い」といい、2人は「辛すぎて食えない」と言った、なんて場合には「人によって意見が分かれる」というのが結論です。10人全員が「甘い」というわけでも全員が「辛い」というわけでもないゾーンだということですね。
そういうコメント依頼の場で、「甘い」と言った人に「あなたの味覚はおかしい、甘いというのは間違いだ」とか言い始めるのはちょっと違うんですよ。それは要するに、「辛い」と言ってくれる人が集まるまで納得しない、自分に賛同する意見を言ってくれる人を集めているだけです。むしろ、「へえ、自分とは違う意見の人もいるんだなあ」と感じ入るべきところです。また、「甘い」「辛い」で意見が分かれた場合に、辛みを足すことはある人にとっては「改善」かもしれないが、別の人には「改悪」なわけです。そういう場合は、「改善がみられる」のではなく「歩み寄ってくれている」とみるべきなんですよ。
コメント依頼というのは、「A氏はおかしい」と言ってはじめるのではなく、「私とA氏でこう揉めてるんだけども皆さんどう思いますか」と始めて、あとは第三者の意見が数多く集まるまでは我慢してじっと待ってるべきなんです。そりゃまあ当事者であれば、自分にとって不利な意見が集まれば面白くなかったり反論したくなる気持ちはわかりますけど、そこはこらえなければいけません。(私が当事者だったとしても、そこまで耐えられるかは難しいかもしれません。)
今回は既にコメント依頼からブロック依頼に突き進んでいましたから、私はブロックに反対の立場を明確にする必要があると思ったし、だからこのコメント依頼でも「私は被依頼者の側だ」と立ち位置をはっきりさせました。
が、本当はそうやって「自分はこっち側につくよ」とかって「陣営を分ける」みたいなことは避けるべきだと思っています。たとえば、イギリスとアルゼンチンの両方が領有権を主張している島があるとして、自分はイギリス人で、イギリスの領土だと思っているけれども、だからといって「自分の領土なんだから自分の思う通りにするぜ」みたいな態度でその島にイギリス軍を上陸させたら相手方が過激な対抗策をとってくるのは明らかなので、そういうことは自重し、できるだけそっとしておくとか、その島にはお互いに近づかないようにしておくとか、どうしても島に行く理由があるならば相手方に丁重に慎重に礼儀正しく根回しして、「どっちの領土だ」には言及しない形でふんわり回すとかですね、そういうやり方をすべきなんです。そこを「ここは俺らの領土だぜー!相手は追い出すぜー」なんて高らかに宣言して実力行使しようとしたら、それはもう戦争する気満々なんだなとみられるわけです。
これは双方に対して申し上げることなんですが、私個人は被依頼者さんの主張や立場に賛同するけれども、そうではない人も少なからずいるということはわかったうえで、「このあたりの領域はそういうゾーンだぞ」ということを意識してふるまっていただければと思います。それを欠いてお互いが艦隊を並べて対峙するような情勢になってしまっちゃったら、私は仕方なくこっち側につくだろうけれど、正直「そもそもここまで加熱する前の時点で折り合っとけよ」と思うわけですよ。
あと、「全く問題のない素晴らしい利用者」とまで括られてしまうと、私の前回の発言は、いくらか言葉足らずのところがあったかもしれません。私はブロック依頼のほうも念頭に、(ブロックによってしか解決できないような)問題は全く無い、というような趣旨で考えていました。丁寧に順を追って説明するやり方は良い、長いことなんて全く気にならないと私は思う(私は長いとさえ感じないが、これを長いという人がいるだろうなあとは思う)けれども、それを悪習だとか長くて読む気も起きないという人が現れるとか、ヒートアップしている人に「まあまずは『パイドン』読めよ」なんて本を渡しても読むわけないだろうなとか、そこらへんはスマートな立ち振る舞いはありうるかもねえとは思います。困った人にあたったときに、西部劇のガンマンみたいに撃ち殺してしまうのか、ソクラテスみたいに極論を持ち出して延々と論じてみたり、いろいろやり方はあるだろうけれど、どちらも結局死刑になってしまうわけで、まあ難しいシチュエーションは「これは難しいシチュエーションだなあ」と言っちゃえばいいのかなって思います。
これは蛇足になりますけども、これまでのあちこちのやりとりは、どうも「言葉尻をとらえる」議論が多すぎると思います。「腹切り」だの「共産主義」だの単語に反応してみたり、「論理の積み重ね」という表現に対して論理学の用語を持ち出してみたり、それらはWikipedia:論争の解決でいうところのレベル2です。そういう枝葉のところにいちいち反応して論難するのではなく、発言の総体や要旨に絞って議論するべきです。(私のこの指摘自体がまさにそれ、という話はさておき。)--柒月例祭会話2016年11月10日 (木) 11:00 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭さん宛) 比喩の使用は最小限としていただきますようにお願いします。このコメント依頼においては、被依頼者に比喩の使用を最小限とするようにお願いしている事情がありますので、他利用者も、できるだけ比喩の使用を控えているという状態です。申し訳ありませんが、人によって解釈が分かれる抽象的なたとえ話や比喩、まわりくどい表現等の使用は極力控えて頂き、できるだけ簡潔なコメントにするように心がけていただけますでしょうか。上記コメントにおかれましては、リライトされるほうが望ましいと思います。他利用者も気をつけている状況ですのでご協力お願いします。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 11:35 (UTC)[返信]
返信 (柒月例祭さん宛) (追記)以下の発言については、どのコメント依頼にも当てはまる内容ではありません。
>コメント依頼というのは、「A氏はおかしい」と言ってはじめるのではなく、「私とA氏でこう揉めてるんだけども皆さんどう思いますか」と始めて、あとは第三者の意見が数多く集まるまでは我慢してじっと待ってるべきなんです。
このコメント依頼は、依頼者と被依頼者の間に揉め事は発生しておらず、第三者の立場として提出していますのでとくに該当しません。したがって、柒月例祭さんは現状を正確に把握されていないと判断せざるをえません。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 13:06 (UTC)[返信]

まとめを提案しておきながら、自分の意見をまとめないのはおかしいので、自分の考えを整理するために過去の被依頼者の言動などを改めて拝見し、自分なりの分析をしてみました。というのも、今までこの件にかかわっているうちに、自分の考え自体も変わってきたからです。

まず初めに、自分が当初抱いていた被依頼者に対しての印象についてです。自分にとって被依頼者は、失礼を承知で申し上げるならば非常識で、コミュニケーションに難がある人物であるように見えていました。しかし、詳しく調べてみると、意外にも常識的で素直にコミュニケーションをとっている場面もあることに気付きました。つまり、被依頼者の言動には二面性があるのです。例えば、Wikipedia:中立的な観点での議論では、最初に難解な論理を持ち出したかと思えば、その後冷静に議論をまとめています。ヘッジファンドダイレクト関連では、金融の専門家さんを熱心に説得したかと思えば、その後最初から彼が目的外利用者だったとわかっていたかのような発言をしています。そして、このコメント依頼では、自分の発言について冷静に自分の真意を見抜いています[20]。このような二面性は、被依頼者の評価を二分させることにつながっています。人によって評価が異なるのは、どちらの面を見ているかの違いによるものであると思います。

以上のことから、被依頼者は知的で常識もあり、他人とのコミュニケーションも問題なくこなせる能力がありながら、何らかの目的のために問題のある人格を演じているだけなのではないかと思うようになりました。もし自分のこの推測が正しいのならば、自分は誤解をしていたのですから、被依頼者に謝罪しなければなりません。

そして最後に、もし上記の推測が正しいのなら、被依頼者にお願いがあります。どんな崇高な目的があるにせよ、ウィキペディア上で他人を欺いて、何かを試すような行いはやめていただきたいと存じます。この依頼で取り上げられているように、Alice OPPさんやジャム・パンナさんは精神的に大きなダメージを負いました。たとえ正しいことを為すためだったとしても、他人を傷つけることは可能な限り避けなければなりません。今後は論争相手に対しても誠実に、寛大な心を持って接していただきたいと存じます。--有足魚会話2016年11月10日 (木) 11:50 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者による利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に対する議論態度について、被依頼者はどのように考えておられるのかコメントを求めます。なぜ、二重の人格を演じられているかのような対応をされたのでしょうか。また、安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったことをご理解されましたでしょうか。現時点ではソックパペットの動きは停止していますが、被依頼者が関係していた時点ではまったく問題の解決は図られていませんでした。被依頼者以外の誰もが誰一人として問題解決であるとは考えていない時点での、あの安易な解決宣言はかなり異質です。被依頼者の見解を聞かせてもらわないことには、被依頼者の問題点をどうやって自覚していただけばよいのかなど改善に向かっての話は困難であると思います。一部、被依頼者による問題点の自覚は無理ではないか、とのコメントも見られますが、現時点では無理なのかどうか判断つきかねます。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 12:27 (UTC)[返信]

有足魚さんへの返信についてですが、論理的欠陥が存在するため十分に理解ができません(いちいち細かな実例をあげることを控える意味で最小限の指摘に留めます)。むしろ、有足魚さんの主張を十分に咀嚼されないままに慌てて投稿されていると理解しています。私への返信は、一日といわず、一週間程度十分に考慮された上で、論理的にも欠陥がない状態で投稿されたほうが良いと思います。--はるみエリー会話2016年11月10日 (木) 15:20 (UTC)[返信]
「被依頼者による利用者:金融の専門家(ノート / 履歴)に対する議論態度について、被依頼者はどのように考えておられるのかコメントを求めます。」と質問した後、被依頼者より「失礼。見落としがありました。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家のまとめの件がありましたね。後ほど返答致します。」と回答がありました。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家のまとめの件について、現時点で言及がありませんのでまともな回答をお願いします。なお、被依頼者による「多重尋問」だかに関する話題は論点のすり替え詭弁の一種)でありなんら回答になっていません。--はるみエリー会話2016年11月11日 (金) 07:35 (UTC)[返信]

コメントその2。ここまでの議論を見て再コメントします。ブロック依頼では(条件付き)反対票としましたが(「依頼サイド(って誰と誰?)にもブロック~」という御意見には、「それは全く不要である」と判断します)、問題ありという認識です(問題はあるのでブロック、問題はあるがブロックではない、の違いです)。以下自戒を込めて申しますが、なんというか、ムダに相手を怒らせているように思います。ユーモアを交える事も多少の雑談も悪いとは思いませんし、「腹切り」が即NGワードとも言いません。しかし、場に応じた使い方があるでしょう。楽しい話をする場ではないのに、「ピーッ」などは不適切でしょう。これでは、おちょくっている、まともに対話に応じる意思がない、と判断されても仕方ないでしょう。また、流儀がどうこう言う必要はなく「熟考熟慮するので返事は遅れます」で済みますし、「多重尋問~」などと言わずに「二重の人格を演じてなどいない」と言えば済む事でしょう(二重の人格を演じていなければ、怒って反論したっていいんですよ)。これでは、議論のための議論を楽しんでいる、と判断されても仕方ないでしょう。私は、品行方正な利用者ではありませんし(むしろその正反対)、明確な悪意がなければヒートアップしての多少の暴言は気にせず、ですが、その私から見ても「これは普通言わないだろう」が多いように感じます。また、難解な表現を使い続ける利用者:HASIDATE会話 / 投稿記録 / 記録氏を思い出します。氏は議論妨害などを理由とし無期限ブロックとなりましたが、対話が困難だった事もその遠因ではないかと思っています。少なくとも私は、発言の改善(この言い方は失礼かもしれませんが)を期待しており(で、なければ無期限賛成票で終わりにしています)、HASIDATE氏の2の舞にならない事を願っています。--JapaneseA会話2016年11月11日 (金) 07:46 (UTC)[返信]

コメント もし私の理解に誤解があれば御二方に御詫びしますが、もはや私には被依頼者が何を仰っているのか理解できません。--JapaneseA会話2016年11月11日 (金) 08:18 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者による利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録に対する議論態度について、被依頼者はどのように考えておられるのかコメントを求めます。被依頼者より「失礼。見落としがありました。Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家のまとめの件がありましたね。後ほど返答致します。」という回答意志は確認していますが回答はまだであり、論点のすり替えが継続している状態です。質問への誠実な回答をお願いします。--はるみエリー会話2016年11月11日 (金) 09:10 (UTC)[返信]

コメント 126.0.234.196 さんへ、被依頼者は削除されたコメントで金融の専門家氏の専門知識を否定していましたので、「「上手く説得できれば「特定企業の目的外利用者」から「専門知識を持った利用者」にできるのではないか」、と考えていた」、ということはあり得ません。知識云々だけでなく、非常に馬鹿にしたコメントをされていました。

コメント 被依頼者は「「思っていた」だけで、「わかっていた」わけでも「証拠があった」わけでも「決め付けていた」わけでもないからです。」とおっしゃっていますが、実際コメント依頼と並行して、ヘッジファンドで金融の専門家氏に宣伝行為をやめさせるよう説得していますよね。目的外利用者でなければ宣伝行為は行っていないはずなので、説得する必要はないのではないですか?あの説得は、単にルールの理解が浅い初心者に指導をしていただけで、宣伝を止めさせる目的ではなかったということですか?どういった状態になれば目的外利用者と「わかった」状態で、どのようなものが証拠なのでしょうか?「思っていた」だけだから、というのは、言い逃れに感じられます。また、被依頼者から見て、あの時のわたしは金融の専門家氏を目的外利用者だと「決め付けていた」愚か者だというわけですね。金融の専門家氏の履歴、WikipediaCleanはご覧になっていなかったのでしょうか。

金融の専門家氏を調子に乗らせていながら、そのあとは放置。そのことについて説明がありません。

「早速有り得る可能性が三つあります。」なんて、他人事みたいな良い方はやめてください。これはあなたの話なんですよ。

なので金融の専門家氏が状況を理解「出来る」表現で状況を説明しました。その表現が(当然と言うか偶然と言うか)「ジャム・パンナ氏を悪く言う」ような表現以外には私には見付けられなかったのです。」よくもいけしゃぁしゃあとこんなことが言えますね。怒りで手が震えます。被依頼者は、金融の専門家氏をヘッジファンドダイレクトの宣伝が目的の目的外利用者だと思っており、ヘッジファンドダイレクトという会社を軽蔑しており、金融の専門家氏は金融の専門知識を持っていないと思っており、内心馬鹿にしていたが、目的外利用者だと決めつけていないので、目的外利用者とは扱わず、説得するために私を悪く言って金融の専門家氏を懐柔することにしたってことですよね。親しい人間同士で、裏できちんと話を通しているならともかく、何なんですかこれは。ありえない。(目的のために他者を悪く言うのが悪いことだというのを論理的に説明しろなんて言わないでくださいね)わたしはあなたに何も言われていません。フォローも謝罪もありません。あなたは何様のつもりですか。他に思いつかなかったら、どんな手段を取ってもいいとでも思ってますか?

長文や比喩について苦言があってもそれを止めない姿勢からは、改善しようとする意志は感じません。また、他者を道具として利用し、不快感を与えたり疲弊させても問題ないという価値観をお持ちですので、これ以上ウィキペディアで活動してもらいたくありません。わたしの当時の心情のコメントも無視されており、謝罪もなく、誠意を全く感じません。正直、謝罪はなくても一言なにかあるだろうと、常識的に考えてあるだろうと思っていました。 以上のことから、今のわたしは圧倒的にブロック支持です。--ジャム・パンナ会話2016年11月11日 (金) 13:32 (UTC)[返信]

  • コメント
    • 大分話がこじれて、というか噛みあってないように見えます。わたしの理解では不足かもしれませんが、Maddestmagicianさんが多重尋問とおっしゃっているのは、多重尋問の実例と照らし合わせて考えてみるに、例えば「安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったことをご理解されましたでしょうか。[21]を例に取ると、
      • この質問にイエスと答えた場合、「安易に解決した等の発言をされたことについて現状把握が正確ではなかったこと」を肯定してしまい、
      • この質問にノーと答えた場合、「理解してない」ことになる、
    • から、多重尋問なのではないでしょうか。--Aoioui. 2016年11月11日 (金) 16:40 (UTC)もう片方を断言するのはよくなさそうなので書き直しました。--Aoioui. 2016年11月11日 (金) 16:55 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者による以下の説得が適切であったかどうか、
>なので金融の専門家氏が状況を理解「出来る」表現で状況を説明しました。その表現が(当然と言うか偶然と言うか)「ジャム・パンナ氏を悪く言う」ような表現以外には私には見付けられなかったのです。
また、ジャム・パンナ氏を悪く言ったことについてひと言も謝罪がない現状についてどうか、今後も同様のことが繰り返される可能性があるか、ということが、次ぎに議論すべき論点の一つではないかと考えます。--Husa会話2016年11月11日 (金) 17:14 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者が金融の専門家氏を説得する前に、「ジャム・パンナ氏を悪く言う」ような表現についてジャム・パンナ氏に対してウィキメール等を使って話を通しておけば、問題なかったと思います--aki42006会話2016年11月12日 (土) 00:42 (UTC)[返信]
  • コメント議論の進め方として、「比喩」にせよ「例示」にせよ、長くなって見通しが悪くなって困るから控えてくれ、という要求があることは認めます。が、そうした「議論の進め方についての要求」を一方的につきつけて、それに従わないからどうの、という論法には抗議しておきます。そうした「議論の進め方」に「条件」をつけたいのであれば、私からも「条件」があります。
  • 事実でないことを「事実だ」「確認された」と一方的に断定したり、宣言してみせるのは控えてください。「AについてはBということでいいですか」「いいですよ」と、両者の間で合意ができたことを一つ一つ積み上げるようにしてください。そうでない場合には、「これは誰々の見解である」と主体的に記述するようにお願いします。(主体的な見解が積み上がることによって、「事実」ではないとしても、「総意」は形成され得ます。個々のアカウントの適正さが前提になりますが。)--柒月例祭会話2016年11月12日 (土) 03:05 (UTC)[返信]

被依頼者からコメントがありましたが、金融の専門家さんへの対応が不審であるという印象はぬぐえませんでした。やはり被依頼者は、はじめから何もかもわかった上で相手をやり込めるための実験を行っていたのではないかと推測せざるを得ません。--有足魚会話2016年11月12日 (土) 03:51 (UTC)[返信]

  • コメント 㭍月例祭さんの二番目のお願いに賛成します。わたしが申し上げた多重尋問の実例はまさに一方的な断定により発生しています。先の例を再び例にとれば、「(一方的な断定)をご理解されましたでしょうか。」としたために、イエスノーで答えられない状況が発生しています。それを避けて答えようとすれば、回りくどく言葉を尽くさねばならないでしょう。このため、返答が長文化しているのだと思います。--Aoioui. 2016年11月12日 (土) 04:00 (UTC)[返信]

はるみエリーさんの議論姿勢に問題があることは確かです。相手のあら捜しをするような態度は自身の印象を悪くしますし、何より問題解決から遠ざかる結果を生みます。--有足魚会話2016年11月12日 (土) 04:40 (UTC)[返信]

指摘内容が適正かどうかの判断は敢えて避けますが、「詭弁」「ストローマン」だというのならどのような発言がどのような理由により詭弁なのか、「正確に引用していない」「歪めている」というのならばどの引用が正確ではないのか、を指摘しなければレッテル張りに過ぎず、被依頼者の仰る通りそれを立証する責任は一般論として指摘する側にあるものと考えます。他方、それに対する被依頼者の態度も、正直なところ失望しました。自身が納得していない「相手の流儀」で返答するなどというのは皮肉や揶揄以外の何ものでもなく、ここで被依頼者に求められている議論態度から大きく掛け離れたものと考えます。--126.0.234.196 2016年11月12日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
  • コメント 被依頼者は、自分の行動は「wikipediaの理念に基づいてwikipediaを史上最大で最も信頼されるフリーの百科事典へと至らしめることに寄与する為に微力を尽くす」という目的しかないとおっしゃってますが、その目的のためなら、手段は選ばないように見えます。だから真摯に見えるときもあるし、めちゃくちゃに見えるときもあるんでしょう。金融の専門家氏を説得するためなら私を悪く言うのは構わないし、Alice OPP氏の件の相手の怒りを誘うような発言も何か意図があったんでしょう。でも、その意図は本人だけが知っていて明らかにされないし、常識的・道徳的に考えて、その方法がありかなしかということは、どうでもいいように見えます。(被依頼者の謝罪があるかどうかに注目していたのは、被依頼者が自分のやっていることをどう思っているかがわかると思ったからです)このコメント依頼がなければ、わたしは被依頼者の真意がわからないままでした。Assemblykinematicsさんが金融の専門家氏の件は私にも責任があるとおっしゃっていますし、私自身ウィキペディアのことでわかっていないことが多く、色々失敗して迷惑をかけたのはわかっています。でもそれでも、事態を改善しようとして他の人を利用するのはやりすぎだと思うし、手段を問わないことを問題だと思っていないなら今後改善しません。わたしは他の人に自分と同じ思いをしてほしくないのですが、ブロック依頼は取り下げられてしまったんですね。コメント依頼も取り下げられたということですが、ブロックするほど問題ないからブロックせず、いろんな意見があったね、解散ということですか?今終わりだと、あんまり意味がなかったように見えるんですが・・・。せめてHusa氏が指摘している2点をはっきりさせ、建設的な提案が出てから終わりにすることはできませんか?--ジャム・パンナ会話2016年11月12日 (土) 06:41 (UTC)[返信]
取り下げられたのはブロック依頼であってコメント依頼じゃないでしょう。少なくとも依頼者の発言にはないし、「提出後に新たなコメントが集まり始めましたし、議論の分散を防ぐためにもコメント依頼で議論を継続するために一度取り下げといたします。」という発言がある以上コメント依頼での議論は継続するという考えでは。--126.0.234.196 2016年11月12日 (土) 06:49 (UTC)[返信]
  • コメント どうも被依頼者のふるまいが「ディベートのためのディベート」に偏っている印象は受けます。それも「最狭義のディベート」として解説されているのに近い意味でのディベートです。井戸端での「日本の軍人」関連の発言を見てその印象を強くしているところです。つまり、独自に論点を設定し、(自分の本音とは関係なく)一方の論者を演じ、あえて議論を盛り上げて何らかの結論を得ようとしている。しかし、こうしたやりとりは、ルールをわきまえている同士が例えば大学院の研究室などで腕試しとして試みるなら構いませんが、ウィキペディアにはなじまないでしょう。ジャム・パンナ氏やはるみエリー氏のリアクションを見れば明らかなように、そもそも議論のルールの共有が困難だからです。こうした場でディベートを有効に機能させるには、「相手の知識背景や読解能力や思考パターンを適切に読み切る判断能力」・「相手にかかわらず否応なく自分の言いたいことを伝えきれるだけの強力な文章力」が必要ですが、被依頼者は明らかにそれらに欠けているように思います。そして残念ながらその状況を一朝一夕に改善することは難しいでしょう。結論としては被依頼者は当面は議論に首を突っ込むのは自粛なさったほうが良いだろうと考えます。
一方、被依頼者側の問題を考慮しても、この一連の騒動が被依頼者一人のふるまいに帰するものとは思えません。被依頼者を批判している側にも問題があることは明らかです。柒月例祭氏の 2016年11月12日 (土) 03:05 (UTC)の発言、Aoioui氏の 2016年11月12日 (土) 04:00 (UTC)の発言には全面的に賛成です。また、ジャム・パンナ氏におかれては、ご同情は申し上げますが、すこし落ち着いてくださいとも申し上げざるを得ません。いくらなんでも過剰反応しすぎです。どなたかおっしゃっていましたが、スルーしておけば問題ないのですよ。--Kojidoi会話2016年11月12日 (土) 07:37 (UTC)[返信]
  • コメント 議論姿勢についてです。このコメント依頼で最も議論姿勢に問題があるのは被依頼者であると考えていますが、二番目は柒月例祭氏であると考えております(ノートも参照)。しかし、逆に、他利用者に対し「議論姿勢をこのように改めてほしい」という要望発言が最も多いのは被依頼者であり、二番目は柒月例祭氏です。まず、自分自身に対して多少は態度を改めるということを初めに行い、さらに他者に対しても依頼する、ということであればまだわかります。ただし、自分自身の議論態度は変えないまま他者への批判だけを繰り広げると、問題が大きい者が他者のより小さな問題を言うことで自分自身の問題を矮小化しようと受け取られる可能性があり、さらに、「まったく何もわかっていない」という印象を与えることもあるということを指摘しておきます。比喩については、長くなって見通しが悪くなるからという理由だけで控えて欲しいという要求がされているのではありません。--Husa会話2016年11月12日 (土) 08:16 (UTC)[返信]
ジャム・パンナ氏を悪く言ったことについてひと言も謝罪がないままということもあり、今後も同様のことが繰り返される可能性があると考えます。被依頼者のコミュニケーションは、無自覚に行われていると考えられますのでこれからもそう大きくは変わらないことでしょう。通常、説得の際には、自分自身を貶めつつ行うというプロセスを経ることはあると思います(自分も昔は失敗したこともあるけれども、あなたもココは良くないのではないですか、等)。しかし、他人を貶めて説得するという例では、仮に、説得に成功したとしても、貶められる人が消耗させられてしまうということになります。トラブルの仲介や議論は、被依頼者の力量に比べて負担が大きすぎる行為であると考えます。そこまでいかずとも、井戸端等でも質問と関係の無い、非論理的な視点をわざわざ提示するなどで、議論を長くすることを好む傾向があると考えています(この点に関しては、Kojidoi氏のディベートを用いた分析は一理あると思います)。被依頼者自身の長文、ということだけではなく、被依頼者が提示する奇抜な非論理的視点により議論そのものが冗長になるということは、被依頼者の関与がある限り続いていくということになってしまいます。--Husa会話2016年11月12日 (土) 08:16 (UTC)[返信]
  • コメント横入りで恐縮ですが、私見を述べさせて頂きます。私(Type casketos)は一連の「金融の専門家ソックパペット(以下、KSS)問題」にしか関わっていない半端者なので、私のような立場の人間が許容出来ない方は無視してください。また、被依頼者からの返信・反論コメントも必要ありません(して頂いても構いません)。分不相応な長文なので折りたたんでおきます。(折りたたみが不適切なら、どなたでもタグを削除してください)

私見

まず、(本頁ノート含めて)私の過失や軽率な言動でKSS問題の解決に悪影響があったとの指摘がありましたので、その点をお詫びします。また、被依頼者に関してKSS以外の議論は確認していませんし、本頁(ノート含む)の分量が多いため、議論の重複や見落とし等あるかもしれませんが、その点もお詫びします。(本コメントでは便宜上、金融の専門家とそのソックパペットはまとめてKSSとして書いています。また、誤解を避けるため、普通なら省略できる主語を挿入するなど冗長な表現になっております。)

被依頼者がKSS問題で行った言動に対し、当時私は失望を抱きました(怒りや恐怖は感じていません)。そして、本コメント依頼を読んだ上で、改めて失望を深めました。自分なりに考えを整理したので、幾つか書かせて頂きます。

  • (論点1)責任の取り方

被依頼者が取った行動(KSSの味方を装った説得作戦)は、問題を複雑化させ、他の議論参加者に余計な負担を強いました。ここまでは過失の範囲内かもしれませんが、問題の後始末に責任をもって協力しなかったことは明白な問題だと思います。 「もしもそうならなかったら一年後あたりにいざ行動を起こされた時には説得した責任を取って宣伝を止める為に尽力しなきゃならんよな」と当時の心境を振り返っておられますが、実際には何も責任を取ろうとしなかった(と私には見える)ことが残念でした。(現時点では被依頼者が責任を取ることを期待していないので、何もしなくて大丈夫です。)

  • (2)他者を軽視・無視

また、金融の専門家に対するコメント依頼[22]において、(私を含む)他の議論参加者が指摘する論点を軽視・無視し、被依頼者が主張する論点のみに合意無く集約させ、合意無く「解決済み」を宣言するなど、強引に議論の主導権を奪いました。被依頼者の独善的な行動は、問題を長期化・複雑化させた点や、議論参加者の負担を増大させた点で問題だと思います。 被依頼者がKSS問題の議論に途中参加して「wikipediaへようこそ!」などと発言していた際、私には被依頼者の意図が全く理解出来ず、善意のお人好しがKSSを本物の専門家として歓迎しているのかと最初は本気で勘違いしました。それにより、余計な議論に付き合ったり、コメントを書き込むことに私は多大な手間を取られました。表には見えない部分ですが、「KSSは当該企業の中の人間であり、説得しようとしても意味が無い」ということを被依頼者に伝えるため、当該企業HPやネットを調べたりすることで私は多大な時間を無駄な調査に使ってしまいました。 被依頼者は当時の状況について、「問答無用で金融の専門家氏を追放するのでなければ、金融の専門家氏が状況を理解することで膠着状態を脱し改善の可能性を求める、即ち説得する以外に思い付きませんでした」と述べています。被依頼者自身はそうだったかも知れませんが、(私を含む)他の人は別の方法を考えており、井戸端等で提案していた人もいます。KSSに限らず不正行為一般に関して「疑わしきは罰せず」というのが原則だという点には完全に同意しますが、疑いが強くなった時点で問題の記事や議論からは離れてもらうように促し、それでも執拗に食い下がるようならばブロック等の措置を取るというのは妥当な手順だと私は思います。(私はこの辺の手順はわからず、他の方の動きを待っていました。)

被依頼者がKSSに対して説得作戦を企てた際のポイントを整理します。

  • (ポイント 2-A)被依頼者は過去に、(金融の専門家のことを)「最初から「目的外利用者ではない」などとは思っていませんよ。誰がどう見たって「ヘッジファンドダイレクト」の利害関係者が乗り込んできた一員(雇われた外注)にしか見えないでしょう。」[23]と述べています。
  • (ポイント 2-B)一方で、被依頼者は、(金融の専門家が)「一年も下積みをすれば色々と飲み込めてきてwikipediaの理念に沿う形で上手く合意形成が出来るようになるだろう」と思っていたとのことです。

上記2-ABを併せると、被依頼者は、「当該企業の利害関係者が乗り込んできた一員」にしか見えない金融の専門家が、wikipediaで1年間も下積みを続けると思っていたということになります。しかし、企業のステマ要員が成果の上がらない状態でwikipediaでの下積み活動を1年間も継続するとは、私には到底思えません。また、当時の私やジャム・パンナ様がKSSと論争していたログを調べればわかりますが、KSSは連日凄まじい勢いで編集や議論を展開していました。被依頼者が解決宣言をした後に、KSSが「下積み」状態に入る可能性があったとは、(当時の私の認識でも)到底思えません。結局、被依頼者の作戦は失敗に終わりました。「更新頻度が非常に多く驚きました」と書いていますが、それは事前にKSSの活動履歴を調べれば(少なくとも私には)容易に予測できたことです。

被依頼者がKSSのコメント依頼で「解決宣言」をする前の段階の私は、「金融の専門家氏が目的外利用者であり」かつまた「説得を促しても意味が無い」という点について、議論の新規参加者を説得できるだけの証拠を揃えるために時間を使って調査をしていました。しかし、唐突に被依頼者がKSSのコメント依頼で「解決宣言」をしたため、正直な所、多大な時間を無駄にしたことで私は全てが馬鹿らしくなってwikipediaから完全に離れようかと思いました。しかし、私が井戸端で呼びかけたことで議論に巻き込んだ方々がいる以上、無責任に問題を放棄すべきではないと考えて再び議論に参加するようにしました。複雑化・長期化によって私も散々KSSから追加の暴言を食らう羽目になりました。しかし、ネット上の暴言に私は感覚が麻痺しているので特にダメージはありません。それよりも、被依頼者の言動によって多大な時間を浪費させられたことの方が私にとっては大きな迷惑でした。

(私を含む)他者の見解を軽視・無視し、到底成功する見込みがない(と私には思われる)作戦を独断で計画・実行し(→ 私は時間を浪費する羽目になった)、失敗した時点で問題の責任を取ろうとしなかった被依頼者に対し、私は深く失望しております。一人の大人の人間として信用することができません。最狂・maddest・Cray-G(crazy)という名前なので、道化か何かの役を演じて楽しんでおられるのかもしれませんが、少なくとも私には何も面白くはありません。(演者は芝居が終わるまで「演じていました」とは言わないので、本人に確認を取ろうとしても意味がない。)

以上、大変な駄文・長文失礼しました。--Type casketos会話2016年11月13日 (日) 15:00 (UTC)[返信]

コメント その3。結論だけいえば、被依頼者の誤った(と多くの利用者が批判している)対応(勿論第一には一連のパペットのせいですが)によって、二人の方が非常に消耗されたわけです。残念ですが、被依頼者コメントから今後は同じ事はしない、とは判断できかねます。また、これまでの行動には悪意がないと善意に取りますが、一方善意に取りきれない方がいらしても仕方ないとも思います。これでは、ブロック依頼提出はやはり正しかったと判断するしかないでしょう。また、コメント依頼はもう終了してブロック依頼を進めるべきだ、と仰る方が現れても仕方ないとも思います。以前に申し上げたかもしれませんが、荒らしはともかく、目的外利用者としてブロックされた利用者は何かしらの信念があったのでしょう(なお、Wikipediaとは相容れなかっただけで、彼らは悪人ではありません)。周りくどい事を言って、理解できない比喩を使って、他の利用者を消耗させる事に、どのような信念があるというのでしょうか?他の利用者が消耗しようが、周りくどい事を言ったり、理解できない比喩を使うのが信念であれば、もう止めません。しかし、そんな信念がなく単に意地を張っているだけであれば、今すぐ改める事を約束して下さい。--JapaneseA会話2016年11月14日 (月) 14:13 (UTC)[返信]

コメント 被依頼者の議論姿勢においてですが、基本的に大きな問題はないという意見を表明しておきます。 確かに被依頼者は独特の言い回しや長文、例えを出して議論を展開するということの多い利用者ですが、それによって相手が疲弊するかどうかは全く別の問題です。

特にこれまでの被依頼者の参加した議論においては、多くの場合で「被依頼者ではなくむしろ対話相手側に問題がある」ために起きた疲弊であるという指摘をしておきます。

被依頼者の議論のスタンスは基本的に一致しています。それは「相手との合意を取り付ける為に最も効果的な(と被依頼者が思っている)方法で相手との会話を進める」という手法です。 その手法において、議論相手(ここでいう相手とは被依頼者が会話を投げかける相手ただ一人)以外の方が不快な思いをする、という可能性は否定できないし、事実そうした事案がこのコメント依頼でも報告されているわけで、その点についてはもう少し一定の配慮をしてもいいと思います(難しいことですが)。

しかしながら、金融の専門家氏との対話そのものや、そのやり取りによってコミュニティが疲弊した、などの意見はあまりに一方的な見解だと思います。 被依頼者が「相手との合意」を至上と掲げること自体はWikipediaの理念に沿ったものです。ただし、その手法が現在のWikipediaにおいてあまり馴染みのないものであるため、見る人によっては違和感を覚えるような言動をされていると感じる方がいることは理解出来ます。 しかし、それは被依頼者が誤った行動を取った結果ではなく、これまでのWikipedia日本語版での「マズい言動や行動をしている利用者に対する対処方法」が稚拙であるがために起こる違和感です。

どこだったか忘れましたが、被依頼者と誰かの会話の中で「Wikipedia日本語版での議論においては、わざわざ相手を怒り狂わせることを言っておいてコメント依頼だのブロック依頼だのを連発する」 という議論手法への問題意識の表明がありました。 私はこの意見は非常に的を射てると思っていますが、事実、金融の専門家氏との対話においても同様の手法が取られようとしていました。 この手法はWikipediaの理念と一致していませんが、Wikipedia日本語版ではよく見られる光景です。 その状況に対して、被依頼者が何とか「相手との合意を取るためにやろうとした行動」としては、あのやり取りは決して悪いものではなかったと思います。(もちろん上記の金融の専門家氏以外への配慮という課題はあったにせよ) また、議論相手と合意を取るためには、議論相手に合わせたコメントをするのが必要不可欠であり、相手によってやり方を変えたその結果として他の方が主張された「二面性」や「二重の人格」と錯覚されるようなコメントをされることがあるのだろうと認識します。しかしそれは、被依頼者が二面性を持つためである、というわけではなく、相手の立場に合わせたコメントを残された結果でしょう。

いわゆる「マズい言動や行動をしている利用者」の多くはWikipediaの理念に沿った言動をしていない場合が多く、そうした利用者に対して例えや比喩を出してなんとか今の状況と議論の主軸を理解してもらおうという行動は良く理解出来ます。 ただ、残念ながらその結果、内容を理解して議論の本道に戻ってきた「マズい言動や行動をしている利用者」は多くなく、被依頼者のやった成果が見えにくい状況になっているものと思います。が、これは「マズい言動や行動をしている利用者」側の問題であり、それを何とかしようとした被依頼者の問題ではありません。 (付け足すなら「それを何とかする」のは非常に難しいハードルであり、今のWikipedia日本語版にそれが出来る利用者は極々少数であろうとも思います。(下手したらいないかも))

被依頼者はよく「会話に要するコストが高い」と言われることのある利用者ですが、それについても「訳の分からん主張をしている相手」と合意を取るには、ある程度の長文、例え、その相手特有の言い回しが必要となるのは当然ですし、コストにしても被依頼者よりも、その相手である「訳の分からん主張をしている相手」のほうがよほどコストが高いのです。 依頼者のコメントの中で「被依頼者だけではなく相手側にも問題がある」となったりして、逆に、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの問題の本質が隠れてしまう」とコメントがありますが、問題の本質はむしろ逆側にあり、隠れているのは「ここは被依頼者のコメント依頼なのだから相手の行動は大きく扱わないという通例によって触れられることの少ない逆側の問題点である」るという意見もあるというのはハッキリ表明しておきますし、相手側の問題はこのコメント依頼の中で重要な問題であるという点は指摘しておきます。--111.87.58.182 2016年11月18日 (金) 04:42 (UTC)[返信]

コメント 使用する端末が違うのでIPが変わりましたが…とか毎書くのが面倒なのと同一性確保のため一応アカウントを取得しました。111.87.58.182です。
被依頼者より返信があったためお返事いたします。
いやはや。そこに「自演乙」と書き込む辺りが、Cray-Gさんの性癖ですねぇ(笑)私はそういうの大好きですが、そういうとこですよそういうとこ!!
本題です。Cray-Gさんが「「そういった相手」とも対話を行ない合意を形成することで問題を解決するのがwikipediaの理念」であると認識されていることは承知しております。し、それがこれまでの議論における金融の専門家氏との対話であったり、このコメント依頼における対話姿勢の表れであることも分かります。私、そして恐らくはその他多くの利用者は、Cray-Gさんと比べると「話が通じない」と判断するハードルが低いので、早々に「駄目だこいつ…早くなんとかしないと…」と匙を投げ、その相手を排除する方向に舵を切る、というのが私とCray-Gさんのスタンスの最初の違いなのでしょう。私はこの点、Wikipediaの通例に倣うならば私の判断基準の方が多数派であり、周りの感じる違和感も少ないと思います。が同時にこれは本来であればCray-Gさんのスタンスの方が望ましいとも思っています。そもそも上記を理解していない方から見れば、Cray-Gさんの対応が摩訶不思議なものに見えているのでしょうね。(理解している方なら同意していない方でもそうは見えない)
二面性について。私としては「「時には優しく時には激しく」を「二面性と言っている」」と言うわけではなく、と話を進めたいところですが、なるほど「根の深い問題が」と言ってしまうと確かにそうかもしれません。かき回すのもなんなのであまり触れません。
(ここからはCray-Gさん宛ての返信ではありません)
さて、今まさにこのコメント依頼でも、「話が通じない」と判断した人によって「駄目だこいつ…早くなんとかしないと…」という議論の流れが発生しています。が、これは例えば金融の専門家氏のときのような「誰の目にも明らかな問題利用者にどう対処するか」というスタンスの問題ではなく、被依頼者との対話を軽視する利用者との対立構造の表れであると指摘します。私からすれば、一部の利用者が気に食わない利用者に対して、あの手この手でブロック材料を仕立て上げ、なんとかして排除しようとしているように見えているし、その材料も「自分のせいで発生した問題を相手に擦り付けて問題だと騒ぎ立てている」と認識しています(と書くとここで被依頼者に苦言を呈した人間は全員そうだと言っているのかと誤解されそうなので、先に言っておくと、客観性・論理性のない我田引水な主張を繰り返し、被依頼者との対話軽視(ただコメントのやり取りをするのが対話ではありません)を行っている極一部の数名向けです)。
被依頼者の抱える問題は問題として過少評価することなく被依頼者に引き続き認識、改善を期待したいところですが、対話もまともに行わず、論点もまともに分析できず、Wikipediaの理念も方針も理解せず、個々の主張とコミュニティの総意の区別も出来ない状態で「被依頼者には大きな問題があった」とする結論を導き出そうとする対話姿勢には断固抗議しておきます。--CCRotus会話2016年11月19日 (土) 06:39 (UTC)[返信]
>被依頼者の抱える問題は問題として過少評価することなく被依頼者に引き続き認識、改善を期待したいところですが、対話もまともに行わず、論点もまともに分析できず、Wikipediaの理念も方針も理解せず、個々の主張とコミュニティの総意の区別も出来ない状態で「被依頼者には大きな問題があった」とする結論を導き出そうとする対話姿勢には断固抗議しておきます。
これは、誰の対話姿勢でしょうか? 存在しない架空の人を作り出して抗議しているようにしか見えません。そうなると、架空の人についての上記批判は架空の批判ということになると思います。—はるみエリー会話2016年11月19日 (土) 17:25 (UTC)[返信]
コメント明言することによって予想されるリスクを考慮して明言しませんでしたが、残念ながら言わなければ分かって頂けないようなので明言します。
上記はぽてから氏とはるみエリー氏を指した発言です。
お二人と被依頼者とのやり取りは議論になっていません。対話にもなっていません。一方的な主張の押し付けです。そのため、被依頼者の抱える問題をこのコメント依頼を通して改善してもらうための会話になっておらず、ただただ会話の粗探し、ブロック依頼に結びつけるための材料探しになっています。
お二人は「そんなことはない」と仰るでしょう。しかし私にはそう見えています。そして恐らくそう見えているのは私だけではありません。
被依頼者には問題がある。それを指摘する。それはいいでしょう。しかしそれを指摘し改善をしてもらうための対話と、ただ相手をあの手この手で批判する対話とは全く異なります。
被依頼者は自らの問題に対して問題を認識し改善する意思を見せています。「いや被依頼者はそういう素振りを見せているだけで改善の意思はない!」そうではありません。指摘内容の相互理解が出来ていないのです。そして、その相互理解を妨げている大きな要因はお二人の議論姿勢です。お二人は被依頼者を批判することが目的になってしまっているせいで、自らの発言や行動を客観的、論理的に俯瞰出来ていません。被依頼者と対話するためではなく、批判をするために構築してしまった論理は、矛盾や偏りを起こし、それを被依頼者によって指摘され、なお一層の混乱と衝突を被依頼者との間に招いています。
私が見る限り、お二人の姿勢では、ブロック依頼を経てさらに議論が長期化し、皆が疲弊して話題が途切れるまで、被依頼者との理解に辿り着くことはありません。そしてその疲弊をお二人は被依頼者のせいだと仰るでしょう。しかし、ことこのコメント依頼に関して言えば、その疲弊を招こうとしているのは被依頼者ではなく、お二人です。対話相手との相互理解を妨げる言動を繰り返しながら、その理解が得られない結論に達した際に「疲弊した」と仰ってもそれは当たり前です。自ら疲弊する要因を振りまきながら、その当然の結果を他者のせいにすることは看過できません。
お二人もこの議論で持ち出しておられますが、「コミュニティを消耗させる利用者」という概念があります。疲弊を招く利用者によく用いられる概念です。議論の疲弊に際し、仮にその片側に毎回被依頼者がいたとしても、そのもう片方が同じ問題を抱えていれば、それは被依頼者の責任のみに集約できる話ではありません。現にこのコメント依頼でも片側には被依頼者がいますが、少なくとも私は疲弊の原因は被依頼者ではなくお二人だと考えています。相手を叩き出すための議論に理解は訪れません。その結果の辿り着く場所は疲弊です。その当然の帰結を導こうとしているのはお二人です。すでにここでも、お二人への苦言が散見されるはずです。その意見を「わかっていない者の発言」として無視しないでください。
追伸
当然のことながら上記は私の目から見た一方的な意見です。お二人にどう聞こえるかは想像に難くはないのですが、あえてストレートに書きました。--CCRotus会話2016年11月22日 (火) 14:17 (UTC)[返信]

コメント IP:111.87.58.182会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois(111.87.58.182(aa20111001946f573ab6.userreverse.dion.ne.jp)東京 ( 29 )、新宿区 ( 14 ))氏は、ほとんど編集記録もないが、ここのコメントを無視して過去の被依頼者の行動をもとに長々と評論できるだけの下知識をいったいどこで仕入れられたのですか? Type casketos氏やジャム・パンナ氏の疲弊は、Type casketos氏やジャム・パンナ氏のせいだというのですか? 金融の専門家となんで合意をとらないといけないのですか? 上記の議論をまったく無視した上で嘘も含まれているので非常に不審です。過去の被依頼者との議論経験などもご表明ください。ここの議論から判断しますが「>被依頼者が「相手との合意」を至上と掲げること自体はWikipediaの理念に沿ったものです。」なんてことは真っ赤な嘘ですよ。被依頼者は、Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家によると、「企業を名指しして、「○○詐欺か何かなんじゃないか」「いい加減な△△対応をして会員××が増えただけ」」などと、緊急版指定削除しなければならなくなるほどウィキペディアの理念に反した名誉を棄損する暴言をしています。暴言が名誉棄損で緊急版指定削除されるなんてウィキペディアではまれなことだと思うのですが、「被依頼者の言動がまれに見るほどマズイ」ことは、Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家事件で証明されてしまっています。上記新宿auIPによると「「マズい言動や行動をしている利用者」の多くはWikipediaの理念に沿った言動をしていない場合が多く」ということですが、Wikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家でわかるように被依頼者はウィキペディアの理念に沿った言動をしていないので、IP:111.87.58.182会話 / 投稿記録 / 記録 / Whois氏の主張を丹念によむと、むしろ、被依頼者はどうみてもマズイ、という結論にしかなりません。たんに、被依頼者のWikipedia:削除依頼/Wikipedia:コメント依頼/金融の専門家を知らないか、被依頼者がログアウトしてIPで擁護意見を言ってるだけ?とさえ思います。上記IPの主張を聞いて、ますます被依頼者の行動には大きな問題があった(相手の問題ではない)ことがわかりましたし、被依頼者への信頼感を失いました。被依頼者は「詐欺かなにか」と思っているような問題行為をしている側と合意をとろうとするような行動は、迷惑でしかないんですよ。被依頼者がこのまま反省を述べることがなければ、いくらウィキブレイクしていたってブロックしておかないと再発しますよ、とだけ言っておきます。--106.154.88.203 2016年11月18日 (金) 06:10 (UTC)[返信]

コメント あるIPの方がコメント依頼で意見を言うことについて、「ほとんど編集記録もない」とか「下知識をいったいどこで仕入れられた」とかは全く関係ないことで、その内容を見るべきでしょう。そもそもIP:106.154.88.203会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisさんにはひとつの編集記録もありません。あるひとつの意見と、そういう自己矛盾を孕んだ意見、どちらが偏って見えるかは、明らかなことと思います。--Aoioui. 2016年11月18日 (金) 07:51 (UTC)[返信]
A「○○に煮え湯を飲まされた」
B「何それ怖い。熱湯を飲ますなんて不謹慎な比喩を用いる人はブロックが妥当」
怖い世界になったもんだと僕は思うのでした。--EULE会話2016年11月19日 (土) 06:01 (UTC)[返信]
返信 (EULE氏宛)  「煮え湯を飲まされる」などの慣用句の使用については、上記議論では話題に出ていません。むしろ、誰も意味を誤認することがない慣用句の使用は人によって意味の取り方が別れる比喩と比べると、使用が奨励されていると思われます。「怖い世界になったもんだ」という感想はまるでこの議論と関係がなく、議論攪乱にしかなっていませんので、議論と関係ない単なる感想はご自分の利用者ページをご利用ください。--106.154.91.106 2016年11月19日 (土) 07:13 (UTC)[返信]
「腹を切る」を「死人扱いして相手を揶揄する言葉」と説明している辞書があるなんて、怖い出版社があるもんだと僕は思うのでした。
冗談はさておき、「腹を切る」は「誰も意味を誤認することがない慣用句」だけど。「意味の取り方が別れる比喩」じゃないけど。ちゃんと辞書調べた?「情けは人の為ならず」のように誤用も含めて正反対のの意味合いがあるものや、「片手落ち」のように社会通念において認められている避けるべき語句ならわかる(正直どうかと思うけど)。慣用句を知らないことと、不適切な慣用句はまったく別もんです。
それを「腹を切る」で説明しても、ご理解できない可能性があるので(理解できたらそもそもこんなバカげた展開にはならないはずなので)、「腹を切る」よりは、知っている人が多いであろう「煮え湯を飲ませる」に置き換えてます。知らないこと自体は罪ではないのですが、知らないことを誇ったり正当化するのは、正当化できません。--EULE会話2016年11月19日 (土) 07:41 (UTC)[返信]
「腹を切る」を「死人扱いして相手を揶揄する言葉」という説明も上記議論では出てきていません。冗談であっても、虚偽はいけません。「切腹」は慣用句ではないので、慣用句であることを前提として話されるのは単なる議論攪乱にしかなっていません。--61.24.181.106 2016年11月19日 (土) 08:35 (UTC)[返信]
61.24.181.106 氏に。ちゃんとノートや過去のコメントを読みましょう[24][25]。(善意にとって)単なる確認不足であれば、知らずに人を嘘つき呼ばわりしたことになりますし、そうでなければ悪質な印象操作です。議論攪乱との指摘も失当でしょう。発言者の意図がどうであれ、EULE氏が指摘した発言が「あったこと」は冗談でも虚偽でもなく事実です。--森藍亭会話2016年11月19日 (土) 12:55 (UTC)[返信]
(蛇足)編集競合しましたがそのまま。「自分で自分の首を絞める」という慣用句を、「暴言だ、誹謗中傷だ、個人攻撃だ」と言って騒いだ方が過去にいた[26]ことを思い出しました。当時は「知らないのが悪い」と切って捨てられましたが、ごくわずかな努力で知ることが出来る環境下において知らないことを正当化でき、かつ賛同者がそれなりにいるとは時代も変わりましたね。--森藍亭会話2016年11月19日 (土) 13:29 (UTC)[返信]
EULE氏が「熱湯を飲ます」ことを「不謹慎な比喩」を用いているから「ブロックが妥当」と言った人を仮定して、「怖い世界になったもんだと僕は思う」と感想を述べた件については、上記議論と関連のある話ではありません。EULE氏は、「熱湯を飲ます」のような慣用句の意味を誤認した人が「ブロックが妥当」と表現したかのように表現していますが、そういう人は議論参加者にはいません。むしろ、被依頼者には、突飛で難解な比喩を使われることなく、「熱湯を飲ます」のような人によって意味を取り違えることのない慣用句を使ってもらいたいものです。EULE氏が「怖い世界になったもんだと僕は思う」と思われた前提となったたとえ話は、この議論とは接点を有しない話であることを理由に、「議論攪乱」と感じることはありうる話です。むしろ、EULE氏が確認不足であることを示しているからです。森藍亭氏におかれましても、確認不足であると指摘せざるをえません。ただし、この難解で長文となってしまっている議論を把握できていないことは、むしろ普通であるという状態でもあると考えます。これ以上は関連のない話を追求する必要はないと考えます。--Husa会話2016年11月19日 (土) 13:19 (UTC)[返信]
本コメント依頼で何度も指摘されている「腹を切る」[27]が「煮え湯を飲ます」と似たレベルで、「突飛で難解な比喩」ではない、というだけでしょ?少なくとも「腹を切ったら死んでしまうので二度と戻ってこれません」なんてのは「自分の首を絞めるなんて死ねと言っているのか」と同レベルと思いますが。無闇に悪意に取り勝ちなのもどうかと思いますがね、勿論言葉の選択が適切かどうかは別の問題ですが。--126.0.234.196 2016年11月19日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
過去の事例についてのコメントは控えます。被依頼者が「Alice OPP氏の全面的無罪」を主張するために、「腹を切った」という表現を使われたことが、先ほどの被依頼者のコメントで明らかとなりました。この件は、もうそれでいいのではないでしょうか。被依頼者による「腹を切った」は慣用句でもなく歴史的な意味とも異なる独自な意味を込めた使用法であったため、EULE氏の理解も、その他の人の理解も当てはまっていません。私は、被依頼者が「Alice OPP氏が自ら犯した問題を責任をもって精算した」と主張するために「腹を切った」と使用されたと考えていましたが、被依頼者が主張しているのは「全面的無罪」とのことですので、まったく異なる意味で用いていたと知りました(とはいえ、被依頼者の「全面的無罪」についても比喩であるため、被依頼者が独特の意味を込めて使っている可能性がありますが)。これでは、「腹切り」や「腹を切る」をどれだけ調べても、被依頼者が比喩に込めた正確な意味を知ることは不可能であると考えます。被依頼者による「腹を切った」を、一般的に責任をとるという意味で「腹を切る」と使う場合からの転用であると考えたとしても、「責任を取って辞職する」というレベルの強い意味で使う「腹を切る」から、被依頼者がAlice OPP氏に戻ってきてほしいと思っていることを類推することはできません。そういう状況においては、歴史的な「腹切り」を想定される人もいるでしょう。いずれにせよ、不適切な表現であるということには賛同します。被依頼者はこれ以外にも、自衛官自衛隊員の区別がつかないなどの事例もありますので、自らの問題の責任を取るという意味で「腹を切る」と使われる意味を正確に知らないとか、歴史的な「腹切り」が刑罰の一種であるという歴史的事実に無知だった可能性も考えられます。が、なんにせよ、「腹を切る」とか「切腹」の正確な意味を知っている人が、被依頼者の突飛な比喩を理解することが容易であったとは考えられません(理解を示した人が「このような意味ではないか」と類推していた内容も、被依頼者の示した理由とは厳密には一致していなかったのですから)。正直に言いますと、被依頼者のコメントは、日本語として正確に理解できるような内容ではないと考えます。「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」という被依頼者の太字コメント一つとっても、意味が理解できません。--Husa会話) 2016年11月19日 (土) 14:11 (UTC)--Husa会話2016年11月19日 (土) 14:31 (UTC)[返信]
Husa氏は歴史的な「腹切り」が刑罰の一種であるという歴史的事実なんて主張していますがそれはどうでしょうかね。切腹が刑罰の一種としても使われたこと自体は否定しませんが、歴史的事実としては、殉死であったり諫死であったり戦に敗れて「敵の手にかかるよりは」であったり「身の潔白を示すために」であったり「責任をとって」であったり、多種多様な局面で行われた様式化された自殺っていうだけで、殊更、刑罰って意味を含むものじゃないでしょう。刑罰としても使われたから切腹=刑罰なんて言ってしまうと、特にそれをもって世界最狂の魔法使いCray-G氏は歴史的事実に無知なんて大上段に構えてしまうと、Husa氏も歴史的事実をちゃんと分かっているのか疑問に思えてきてしまうんですが。。。--119.104.46.246 2016年11月19日 (土) 16:50 (UTC)[返信]
腹切りは時代によっても意味が異なりますが、刑罰の一つでもあったということを歴史的事実ということに問題はないと思います。被依頼者が「全面的無罪を強く主張」するためにとか、「身の潔白を証する」為に行なう、とかいうために「腹切り」を持ち出されたのは、どの可能性を考慮しても歴史的事実と適合していないと思います。全面的無罪の人が腹切りをする必要などあるのでしょうか。あらゆる可能性を考えても、被依頼者が言いたかったことを「腹切り」で表現できていないと思います。もちろん、被依頼者が言いたいことのごく一部を理解できた方がいたことまでは否定していません。--はるみエリー会話2016年11月19日 (土) 17:40 (UTC)[返信]
はるみエリー氏へ。そもそも「腹を切る」が辞書に載ってる慣用句であることや、氏が死人扱いしているから不謹慎だと指摘されたことについて、ご自身はどう思っているのですか?--EULE会話2016年11月20日 (日) 01:16 (UTC)[返信]
>不謹慎にもほどがあります。こんなことを言われる身にもなってください。Alice OPPさんだけに責任があるとか、Alice OPPさんが「腹を切」らなければならないほどの過ちを犯したという表現、死者扱いすることなど、なにもかもが二重、三重に不適切です。被依頼者が個人攻撃を行ったことを隠蔽する目的で、美談のように装いながら、結局は、責任逃れを発言しているだけです。この発言については重く受け止め、即刻、撤回と謝罪をするべきです。-
私の発言を引用します。恣意的に拾うことはやめてください。「死者扱いする」というのも一種の比喩であるのは誰でもわかると思います。そんな短い誰も誤認しようのない比喩でさえ使うなとEULE氏が追求されているということでしたら、この議論において比喩を使用したことについて謝罪します。EULE氏は被依頼者が適切に使用していたとお考えなのでしょうか? 議論を全て読んでいないかもしれませんが、あの文脈で責任をAlice OPPさんになすりつけて美談であるかのように言って責任逃れをしている、というふうに思うほうがおかしい、被依頼者の表現は正常な意味で使用されているということでなければ、このような話題を継続することはまったくこのコメント依頼においては蛇足であり、進行の妨げにしかならないと思います。なお、いかにEULE氏が主張されようとも、被依頼者が不適切な日本語を用いたという事実について、ひっくり返ることはありえないと思っています。自分のことについてであればいいですが、他人について失礼で不適切な表現を使用したことについては撤回されるべきだと思います。「全面的無罪」と考えているということを表明された以上は、不適切な日本語だったことがいっそう明らかとなったのですから、なおさらです。「Alice OPPさんが「腹を切」らなければならないほどの過ちを犯したという表現」を用いてしまったことは、被依頼者が不適切な日本語を使用したために生じた過失なので、撤回と謝罪以外にAlice OPPさんについて失礼な発言をした責任を取る方法はないと思います。もっといえば、被依頼者の不自由な日本語に振り回された側にも消耗が発生し、いわば被害者です。発言前に辞書を引かなければならなかったのは、被依頼者です。EULE氏は被依頼者にこそ、辞書を引いてから発言するよう忠告するべきではないでしょうか。--はるみエリー会話2016年11月20日 (日) 06:14 (UTC)[返信]
>「死者扱いする」というのも一種の比喩であるのは誰でもわかると思います。
いや、わかりません。被依頼者が「死者扱い」という意味で比喩を使っていたという指摘なら、被依頼者はそんな意味で使ってません。まして普通の慣用句にはそんな意味がないので、普通の人は死者扱いしているなどと思いもよりません。比喩と慣用句はまったく違います。しかし、はるみエリー氏が「死者扱いする」という比喩で「腹を切る」という言葉を使ったという弁明なら、わかります。ただ、それははるみエリー氏やぽてから氏が勝手にそう思っていたというだけの話で、被依頼者が妥当でない比喩を使うとはまったく関係ない話です。はるみエリー氏が提出されたものではございませんが、ブロック依頼の冒頭には、

Wikipedia‐ノート:中立的な観点において利用者:Alice OPP(ノート / 履歴 / ログ)さんが、議論から撤退されたことについて、被依頼者により消耗させられたためであるといっても過言ではないという確信を持ち改善が見込めないと判断したため、ブロック依頼へ移行いたします。とくに、被依頼者が議論相手のAlice OPPさんについて、生きている人を死んだことに例える発言[1]は不謹慎ではないかという指摘に対し、適切な発言であると繰り返されるなどもあり[2](最近では、このようなニュースもあります)、このままでは、Alice OPPさんの議論復帰はまず見込めないでしょう。

「とくに」と強調までして、被依頼者が「生きている人を死んだことに例える発言」をしたとなってます。これはどう見ても、はるみエリー氏が死人扱いの比喩をしたとは読めません。典型的な藁人形論法です。
はるみエリー氏が不適切な比喩を使ったことに謝罪などいりません。それを使って生じている結果についてコメントをお願い致します。
>被依頼者が不適切な日本語を用いたという事実について、ひっくり返ることはありえないと思っています
ええ、ですからHusa氏に言いました通り、他のことで不適切ではないかと指摘すること自体は不当だと思っておりません。それこそ議論における比喩法や表現技法の問題は、古代から論じられているポピュラーな話題であり、いくらでもすればよろしいかと思います(アリストテレスでもトゥールミン・モデルでも、いかようにも議論のしがいがあるでしょう)。しかし、辞書に載ってる慣用句に関して、ブロック依頼が出されたという事実を私は重く見ております。
極論を言えば、私としては被依頼者がどうなろうと構いません。私は被依頼者を擁護するためにコメントしているのではなく、辞書に載ってる慣用句を発端にして、ブロック依頼にまで及んだことが不味いと思ってコメントしております。重要なことなので強調して再度申します。他に妥当な理由があろうが、辞書に載ってる慣用句を発端にして、ブロック依頼にまで及んだことは不味いです。あくまでご自身達には認識はないのでしょうが、言葉狩りや人身攻撃にも繋がる話です。
>あの文脈で責任をAlice OPPさんになすりつけて美談であるかのように言って責任逃れをしている、というふうに思うほうがおかしい、
そうであれば、被依頼者が「腹切った」と言う言葉を適切であれ、不適切であれ、使ったことは本質的に関係無いということでよろしいでしょうか。「腹を切った」という慣用句を使わずとも、ストレートに「責任を取ってブレイクしたと思います」と述べたとしても問題だったということですよね。そうであれば、それを比喩の問題や日本語の問題にからめて論じられているのは詭弁としか言いようがありません。
さらに言えば、それは被依頼者はそう思った(感じた)という話だけでしかありません。はるみエリー氏はそうは思われなかったというなら、それに対する反論は「私はそう思わない」だけしかないはずです。Alice OPP氏を召喚してるならともかく、外部の人間が、相手はどう思ってるか、なんて議論を延々として、ブロック依頼にまで及んだとしたら、それはたかが言葉狩りの問題より深刻な話かと存じ上げます。個人がそう感じたことが問題だと言ってるわけですから。そう推察された当人でもないのに。--EULE会話2016年11月20日 (日) 08:05 (UTC)[返信]
>被依頼者の表現は正常な意味で使用されているということでなければ、このような話題を継続することはまったくこのコメント依頼においては蛇足であり、進行の妨げにしかならないと思います。
と前コメントで表明していますが、EULE氏が被依頼者が正常な意味で使用されていると主張していない以上、蛇足であり、すでに進行の妨げになっていると判断します。この場の進行を妨げるような自説の表明は停止してください。(これまでのコメントを読まれることを強く推奨します。)--はるみエリー会話2016年11月20日 (日) 10:41 (UTC)[返信]
ところがそうはいかないのです。コメント依頼という場は、被依頼者を生贄の祭壇にあげてみんなでサンドバッグする場ではないのです。依頼者や批判者にも問題があれば、それも第三者は指摘する場でございます。ご自身にとって都合が悪いからといって対話拒否をされないことをお願い致します。--EULE会話2016年11月20日 (日) 11:02 (UTC)[返信]
そもそもEULE氏によるこの発言この発言も典型的なストローマンに該当しますがいちいち追求するつもりはありません。これ以上、木を見て森を見ずといった、議論のための議論を継続することはいたしません。--はるみエリー会話2016年11月20日 (日) 14:43 (UTC)[返信]
>木を見て森を見ずといった、議論のための議論
これは違います。Husa氏へもコメントしている通り、あるいは有足魚氏の指摘の通り、最終的にコミュニティがどう判断するにせよ、被依頼者の問題点が他にあることは否定してませんし、むしろ他の方が重要でしょう。しかし、他に妥当な理由があろうと、極端なことを言えば「女だから」とか「ユダヤ人だとか」というような理由も混ざっていれば、そこで議論は紛糾するし、そこでいくら「全体を見て議論をして欲しい」などと言っても、いらない論点を設けた人間が悪いんです。その点に関して、はるみエリー氏やぽてから氏がそういうことをしていると私は考えてます。
また、批難を受ける方としても、明らかに非がないか、あるいはそこまで問われるような物ではない事柄にまで、厳しく批判されれば反発するのは当然でしょう。そこで反発したことを持って、さらにその態度自体が不適切だなどとやれば、余計に議論なんてまとまらない。
あと補足ですが私のはストローマンには該当しません。なぜなら見た全員が単なる比喩だとわかるからです。--EULE会話2016年11月23日 (水) 02:49 (UTC)[返信]
「腹を切る」を慣用句だと知っている人から見れば、ここで起きている議論は「煮え湯」を不謹慎だと言っているのと変わらないと言っているのです。煮え湯に関して「そんな馬鹿な話があるか」って思われてるでしょうけど、それとまったく同じ感想を「腹を切る」が慣用句だと知ってる人は思うんです。
もちろん、別に当初において「腹を切る」が慣用句だと知らなかったこと自体は構いません。そこから単に「切腹」だとか「腹を切ったら死んでしまうので二度と戻ってこれません」などと意味を歪曲して、あたかも被依頼者がそう言っているようにされるのは不当ですが(まあ、単に「切腹」だけでも問題ないと思うけど議論が拡散するので止めます)。
>Husa氏へ
Husa氏自身がどう思われているかは皆目知りませんが、現にこのIP氏のように「腹を切る」という慣用句に対して、被依頼者が言ってもいない「切腹」「腹を切ったら死んでしまうので二度と戻ってこれません」と、ご自身たちが述べて、最初から被依頼者がそういう意図も含めて述べたかのように振る舞っておられます。これが私は許せないのです。
Husa氏にはノートで説明しました「例証の比喩」に関して問題意識を持たれていることは不当だと思っておりません。でもそれは「腹を切る」とはまったく別の話です。逆に言えば「腹を切る」は問題ないからケーキの比喩は妥当などと言うつもりは毛頭ございません。まったく別の話ですから。それを「比喩」という単語1つを使って結びつけていることが暴論かと思います。当然のことながら「腹を切る」の使用は問題ないから、比喩の観点以外の金融の専門家に関わる騒動などで被依頼者が全般的に問われていることの一切の問題なしとしようと試みてるなんてこともありません。
いや、そうじゃなく、Husa氏自身も「腹を切る」はブロック依頼の根拠になるほど、問題のある「比喩」だったと主張するのであれば、徹底的にやりましょうか(競合してしまったので、徹底的にやるという方向で)。--EULE会話2016年11月19日 (土) 14:35 (UTC)[返信]
私自身は、被依頼者が、一般的な「腹を切る」や「切腹」という意味で使っていなかったという点において不適切な表現であったとは考えていますが、問題は、長文や比喩の使い方だけであるとは認識していません。論点を逸らすことは控えたいので、ここで、被依頼者の比喩が適切かどうかを議論するつもりはありません。--Husa会話2016年11月19日 (土) 14:43 (UTC)[返信]
まあHusa氏やその他の方が、被依頼者の発言・表現の意味が分からない、問題だと考えているのは分かりますが。で、他方「理解できる」「ニュアンスは分かる」(こともある)という人もいるわけですね。さらに言えば、理解できないなら理解できないなりに聞き返せば良いと考える者(私ですが)もいます。現に、「被依頼者の表現」と「被依頼者の意図しているところ」が異なるという感想をHusa氏は持っている=被依頼者の重ねての説明によって主旨を理解した(少なくとも当初の比喩で「Husa氏が読解した内容」と異なることは理解した)、のですよね?。人によって寄って立つ知識基盤が違う、というだけの話に問題意識を強く主張されても、そんなもの許容レベルの問題であって、貴方がそう思うのはそうなんでしょうね、としか言えません。否定することではありませんが、反論を受ける謂れもありません。誰も指摘しないため敢えて直接的に言いますが、問題点は一度まとめて言えばいいだけの話であって、問題のカテゴリが違うのでなければ言を変え日を変えて「新たにこんな問題がある」「こんな指摘しているのに問題が改善されていない」などと繰り返す必要はありませんし、まして異なる意見の表明に対して「お前は問題点を正しく理解していない」といったような反論をつけるのは、単に執拗なだけであって、批判者側に問題がある印象を強くし(ブロック依頼でも指摘されてましたね)、結果として本コメント依頼をいかなる形の問題解決からも遠ざけることになると考えます。
EULE氏。IP氏のように、とのことですが、私のことだとすれば、私は「最初から被依頼者がそういう意図も含めて述べた」とは考えてませんよ?ノートでそういったことが指摘されていたので無理筋の例として挙げただけで。--126.0.234.196 2016年11月19日 (土) 14:58 (UTC)[返信]

コメント Wikipedia:井戸端/subj/自衛官について「日本の軍人」と定義することはできるのか?で、被依頼者は、自衛官自衛隊員の区別もつかないままに議題と論点の異なるコメントをされました。それ事態はとくに問題であるとは考えません。被依頼者は、自身が前提知識もないまま回答を行ったことを指摘されると、今度は、質問者の山田晴通氏に対して「本件話題は多重尋問であり本件話題自体が議論誘導を目的とした不適切な話題提起である」という主張以外は無意味」などと、逆切れともとれる発言をしています。一般的に、多重尋問とは、「はい」と答えても「いいえ」と答えても一つの状態を答えるような状態を指します。山田晴通氏の質問への答えは、「はい」と「いいえ」で正反対の回答を行うことになり、正解は「いいえ」であると考えます。ですから、被依頼者による多重尋問であるという指摘は明確に否定されるべきであると考えます。同じく、はるみエリー氏について多重尋問だと批判していることについても、「はい」と答えても「いいえ」と答えても一つの状態を答えることにはならないため、被依頼者の指摘は明確に否定されるべきであると考えます。被依頼者の問題は、長文だからとか比喩を使うから、ということだけではありません。これだけ多くの長文のコメントをされているにも関わらず、問題点を認識されたと把握出来る記述がほとんどされていない、ということによって判断されるべきと考えます。また、諸々の議論から「被依頼者による他者への攻撃性」がすさまじいために、他利用者を疲弊させているということも言えると考えます。その攻撃性をソックパペットに対しては発揮することなく、なぜか、ルールを守って参加している利用者を悪く言うことなどで次々と発揮されているので、コミュニティの消耗が発生しています。被依頼者による不適切な議論態度はWikipedia:井戸端/subj/自衛官について「日本の軍人」と定義することはできるのか?においても継続しており、さらに質問者の山田晴通氏にまで不当に攻撃性を発揮されている有り様であると考えます。簡単に言うと、「ルールを守って参加している利用者を悪く言って攻撃する」ということを繰り返している、ということは言えると考えます。--Husa会話2016年11月19日 (土) 12:30 (UTC)[返信]

同じことを何度も繰り返したくないのですが、無視されているのでもう一度言います。被依頼者の問題のある行動は、一つ一つ切り分けると重大なものとは言えません。しかし、被依頼者はそれらをすべて駆使して議論を支配してしまいます。これによって多数の利用者が疲弊させられてきました。しかし、被依頼者を批判する者も擁護する者も、目先の論争相手の揚げ足取りばかりで本質的な議論をしようとしません。比喩の話一つとっても、それだけなら「変な人だなあ」で終わりで、自分がこれ以上続けても意味はないと言っているのに未だにその話をしていますよね。今まで何年も被依頼者の問題が野放しにされてきた理由が分かりましたし、このことに非常に失望しています。こういうことは言いたくありませんが、議論のための議論を好む人に、被依頼者について議論する資格はありません。それは被依頼者の抱える大きな問題そのものだからです。--有足魚会話2016年11月20日 (日) 09:25 (UTC)[返信]

コメント 頑張って被依頼者のコメントを読んでいるところですがまだ読み終わっていません。疲れました。とりあえず、「>はるみエリー氏に限らず、Alice OPP氏を罪人か何かのように扱うのはやめて下さい。」と、太字で書かれていることについてですが、「罪人か何かのように扱ってる」という決めつけで話をスタートされていて、今度は、多重尋問=詭弁を持ち出されています。これに、「はい」と返事すると、「はるみエリーはAlice OPP氏をこれまで罪人か何かのように扱ってきたけど、今後は罪人か何かのように扱うことをやめます」という意味になってしまいます。「いいえ」と返事すると、「はるみエリーはAlice OPP氏をこれまで罪人か何かのように扱ってきたけど、これからもやめません」という意味になってしまいます。自分の発言を見直しましたが「Alice OPP氏を罪人か何かのように扱った」なんて発言はしてません。はるみエリーに対して、多重尋問だとか散々中傷しておいて、自分こそが典型的な多重尋問をされていますが、あまりにもひどすぎませんでしょうか。まったく議論態度の改善は見られず、むしろ悪化してると思います。被依頼者は、はるみエリーが書いていないことを信じ込まれるなど読解力にも乏しいと思われ、さらに表現力にも問題があるので、通常のコミュニケーションはもう絶望的ではないでしょうか? なぜ、はるみエリーが「Alice OPP氏を罪人か何かのように」扱った悪者にされてしまっているのでしょうか? 被依頼者は、ウィキペディアの方針を守って参加している良い人を悪者に仕立てあげることで、自分を相対的に善良な者に見せる、ということをされていると思います。利用者:金融の専門家会話 / 投稿記録のときにもジャム・パンナさんを悪者にすることで相対的に自分は良い人であるかのように仕立てあげました。悪者にされたほうがかわいそうすぎます。こういうひどい仕打ちを何度も行ってコミュニティを疲弊させているのか・・・と自分もやられてはっきりひどいと感じました。もうどうしようもなく悲しいです。ジャム・パンナさんや山田晴通さんを悪者にし、今度は、はるみエリーを「Alice OPP氏を罪人か何かのように」扱った悪者に仕立てあげられたことについて、生まれてこの方、他人を「罪人かなにかのように」扱ったことは一度もありません。こんなに悪者扱いされたのは、生まれて初めてです。これをやられたら絶対に疲弊すると思います。最初から「Alice OPP氏を罪人か何かのように」扱ったということが決めつけられていて、「はい」と言っても「いいえ」と言っても覆せませんし、本当にひどい、以外にどう言えばいいかわかりません。きっと、議論の場で感情的に言ったら、感情的に言った方も悪いとかということになってうやむやになる、というのがこれまでのパターンではないでしょうか。そういう作戦で今度もまた逃れようとしているようにさえ思えてきます。また、2400:2411:C741:BD00:D8E2:8AA7:B789:27A0さんが、ぽてからさん宛の被依頼者の返信を「真意が分かりにくい」けどぽてからさんの「読解力の不足」だと言ってることについてですが、まったくそれは違うと思います。これまでぽてからさんと議論で対話してきましたが、読解力が不足していると感じたことはありません。ぽてからさんへの返信が何を言おうとされているのか、真意どころかまったく理解できないのは普通だと思います。日本語の文法的に欠陥があります。「私のようなバカにも理解できるようにシンプルに仰って頂きたく思います。」とか「もはや私には被依頼者が何を仰っているのか理解できません。」と仰ってるJapaneseAさんともこれまで何度も対話してきましたが、読解力の不足を感じたことはありません(あまりよく知らない分野の知識不足、ということはあるかもしれませんが)。ぽてからさんやJapaneseAさんの読解力の問題ではなく、被依頼者の表現力の問題だと思います。さらに、ジャム・パンナさん、山田晴通さん、はるみエリーを悪者扱いされていることについては、読解力や表現力以前の、コミュニケーション能力の欠如だと思います。被依頼者が、ジャム・パンナさん、山田晴通さん、はるみエリーを悪者扱いすることで、自分を相対的に悪くない人に見せるという手法を使われています。こういうコミュニケーションをとられることにより、被依頼者のせいで疲弊する人がどんどん増えていきます。これからも悪くない人が悪者扱いされて悲しい思いをされたり、最悪の場合、ウィキペディアを引退されてしまう可能性もあるため、被依頼者による議論参加は不可(自分の会話ページしか編集できないということにするしかないかも)、とする以外、防ぐ方法を見つけることができません。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 01:40 (UTC)[返信]

被依頼者は「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」などと意味不明なことを書かれ、それを指摘すると「不当な言い掛かり」、「残念ですが当方は全うな日本語を書いている」と逆に文句を言われました。被依頼者によると、常識がある人は「何故に『きちんとした日本語を書いていない』と主張しているのだろうか」と不思議に思っていて、同時に「『きちんとした日本語を書いていない』との主張は何等かの個人的な利益を得る為に行なわれている不当な言い掛かりなのではないか」と疑っているだろうと主張しています(この反論も意味がよくわかりません。個人的な利益などは理解できません。被依頼者のコメントを読むだけでも疲労しましたしだれも1円も得しません。ウィキペディアで編集して得するのは金融の専門家さんのような人だけでしょう)。被依頼者の「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」が、日本語として読解不可能であるということに異論がある方はおられないと思います。しかし、被依頼者にとっては、「引っ掛かりを覚えそうと思える個所が三点ほど想像出来ます。」などは、「全うな日本語」であり、意味不明だと言ってる人が「不当な言いがかり」を言ってるのだそうです。これ以上の会話のキャッチボールは不可能というところまできたと思います。被依頼者と会話のキャッチボールが成り立たない以上、コミュニケーションの改善など無理だと思います。被依頼者といきなりノートであって言いがかりを言われる人がかわいそうすぎます。もうブロックしかないと思います。--はるみエリー会話2016年11月22日 (火) 04:11 (UTC)[返信]

被依頼者は要約欄を他の利用者への呼びかけや編集内容に対する意見表明を行う場にされるなど、目的外利用を行われています。
11月11日から27日(UTC)までで、これだけ本来の用途とは異なる目的外の利用をされています。
被依頼者はWikipedia:常に要約欄に記入するの熟読が必要だと思います。なかには、要約欄を利用して他の利用者へ文句みたいなことをを言われているケースも見られるので、Wikipedia:礼儀を忘れないも読まれる必要があると思います。また、ノートページを「個人的な見解を開陳する演壇」として使用されることがあるので[37]Wikipedia:ノートページのガイドラインも熟読する必要があと思います。Wikipedia:ノートページのガイドラインを理解されていれば、Wikipedia‐ノート:中立的な観点を、西洋至上主義者などという個人的な見解を開陳する演壇の場として使用される事態は起こらなかったと思います。ノート:誘導尋問でも、Wikipedia:ページの分割と統合を理解されていないとしか思えない主張をされています[38]。かなりの方針をきちんと理解されていないというか、自分流に解釈されているようなので、きちんと方針を熟読されないままでは、また揉め事を起こされると思います。方針も理解されないままの状態で中途半端に議論に参加せずに、手を止めて各種方針を読まれるべきです。--はるみエリー会話2016年11月28日 (月) 05:31 (UTC)[返信]

コメント これで最後のコメントとします。私はこう見えて「コミュニティを消耗させる~」での長期ブロックには反対なのです。そうならないように、この場だけではなくこれまでも多々コメントしてきたつもりですが、もはや何を言っても被依頼者には聞き届けられないと判断します。非常に残念です。--JapaneseA会話2016年11月22日 (火) 08:33 (UTC)[返信]

まとめ

Wikipedia:投稿ブロック依頼/Maddestmagician 20161108を提出しました。--ぽてから会話2016年11月8日 (火) 03:09 (UTC)[返信]

提出後に長文コメントが投稿されましたが、「これ以上比喩の話を続けても実りはない」という意見に賛同し、将来的な消耗を避けられる状況には至っていないと判断したことを付記します。--ぽてから会話2016年11月8日 (火) 03:48 (UTC)[返信]

:: 報告 - コメント依頼ブロック依頼は提出者によって取り下げされましたことをご報告致します。--UE-PON2600会話2016年11月12日 (土) 02:12 (UTC)[返信]

UE-PON2600さんへ)私からは、「提出者がコメント依頼を取り下げた」というのがよくわからないのですが、「ブロック依頼を取り下げた」の誤りではないでしょうか?
仮にこのコメント依頼について、提出者さんが取り下げに言及したということであれば、「被依頼者の行動には、否定的な意見と、肯定的な意見の両方があり、どちらか一方に収束したわけではない」「意見が分かれるような事柄である」ということをお互いに確認した上で、手仕舞いとするということであれば、反対はしません。--柒月例祭会話2016年11月12日 (土) 03:33 (UTC)[返信]
コメント - 柒月例祭さんへ。ご指摘の通りです。取り下げられたのは「ブロック依頼」の方でして、自分でもそう書いたつもりだったのですが、書き間違えてしまいました。大変ご迷惑おかけして申し訳ございません。--UE-PON2600会話2016年11月13日 (日) 09:58 (UTC)[返信]