「コサキンDEワァオ!」の版間の差分
792行目: | 792行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
||
*[http://web.archive.org/web/20081204063812/http://www.tbs.co.jp/radio/kosakin/ コサキンDEワァオ!] - 閉鎖(2008年12月4日時点の[[インターネット |
*[http://web.archive.org/web/20081204063812/http://www.tbs.co.jp/radio/kosakin/ コサキンDEワァオ!] - 閉鎖(2008年12月4日時点の[[インターネットアーカイブ|アーカイブ]]) |
||
<!--ここでは単独番組としてのコサキンシリーズの変遷について述べる--> |
<!--ここでは単独番組としてのコサキンシリーズの変遷について述べる--> |
||
{{前後番組| |
{{前後番組| |
2017年9月4日 (月) 15:00時点における版
このページのノートに、このページに関する記述内容の検証についての案内があります。 |
免責事項とは別に、この記事には、ファンサイト的、噂話レベルの記述が多々あり、信頼性、有益性に以前から問題が指摘され、いたずらによるネタ話が残るおそれもあります。 |
コサキンDEワァオ! | |
---|---|
ジャンル | バラエティ番組 |
放送方式 | 後述参照 |
放送期間 |
1981年10月8日 - 2009年3月28日 |
放送時間 | 後述参照 |
放送回数 | 1655 |
放送局 | TBSラジオ |
ネットワーク | JRN |
パーソナリティ | コサキン(小堺一機・関根勤) |
出演 |
鶴間政行、有川周一、舘川範雄 ほか |
提供 |
日産自動車(NISSANミッドナイトステーション枠時代) 大塚製薬(スーパーギャング枠時代。武道館イベントの後援スポンサー) シグマ(『コサキン快傑アドレナリン』時代) 小学館(ヤングサンデー名義。Junk枠時代にコーナー提供) |
公式サイト | 公式サイト |
『コサキンDEワァオ!』(コサキンでワァオ!、Kosakin DE Wow![1])は、1981年10月から2009年3月までTBSラジオで放送された、コサキンこと小堺一機と関根勤がパーソナリティのラジオバラエティ番組。
同局をキー局にJRN系列各局でも放送されていた。
正しくは、『コサキンDEワァオ!』は1994年10月からの番組タイトルだが(後述)、当項目ではそれ以前にTBSラジオにて小堺と関根がパーソナリティを務めた、同じ趣旨の番組についても取り上げる。
概要
他のラジオバラエティの例に漏れず、リスナーからの葉書(ないしは電子メール)とパーソナリティのフリートーク中心で構成されるが、「意味ねぇ〜」のキャッチフレーズに代表される独特の世界観を作り上げてきた(後述)。
1981年10月8日に放送開始の長寿番組だが、最初は、当時月-金の帯番組『夜はともだち』を担当予定だった松宮一彦(当時TBS[2]アナウンサー)が木曜日に生放送のテレビ番組のレギュラー(『ザ・ベストテン』の中継リポーター「追っかけマン」)が入ったためのピンチヒッターとしてのスタートであった。そのため、初期の番組表には松宮の名前だけがそのまま入っていた。翌1982年1月には、正式にレギュラー昇格した(以後、放送年月日の記述はすべてTBSラジオでの放送日)。
開始当時のタイトルは、小堺の苗字と関根の当時の芸名の「ラビット関根」からつけたコンビ名「コサラビ(Kosarabi)」を冠し、『夜はともだち コサラビ絶好調!』となった。
放送時間と番組名はたびたび変わっている(後述)。タイトルに「コサキン」を冠するようになったのは1985年10月7日開始の『コサキンワールドなんでもねぇんだよゲベロッチョ』。シリーズ終了まで使われた『コサキンDEワァオ!』の名前を冠するようになったのは1994年10月15日。『ワァオ!』の由来は、西郷輝彦の歌う「真夏のあらし」が当時の番組内で人気となり、その歌詞に出てくる絶叫「(この恋は〜、)ワァオ!」がネタに多用されていたことによる。
もともとは生放送だったが、二人が多忙になったことなどから、シリーズ後半は事前に収録したもの(原則として撮って出し形式)を放送していた。
2002年7月から2003年3月まではスカイパーフェクTV!2(現在のスカパー!e2)のC-TBSウェルカムチャンネルでも、スタジオ風景の映像を含めて放送されていた。
また、番組のダイジェスト版がインターネット配信され、毎週更新されていた。
1996年8月22日放送分で放送1000回を迎え、2006年4月1日放送分で放送1500回を迎えた。
2006年10月6日放送分で放送開始から25周年を迎えた。
2009年2月、同年3月いっぱいで終了することが発表された[3]。 3月22日に赤坂サカスにて記念の公開イベントが開催された。最終回で放送するイベントの録音を兼ねており、番組とゆかりのある「ずん」や水木一郎、冠二郎、イワイガワなどのゲストが出演した他、終了後は来場者がコサキンの2人といつも番組製作に携わっていた鶴間正行、有川周一などの面々とハイタッチをする「ふれあいイベント」で幕を閉じた。抽選による事前申し込みのリスナー100名を含め、1500人以上が詰め掛ける盛況で二人によるアンコール後も尚ファンは一向に帰らず、鶴間が「コサキン以外に人生の楽しみを見つけて下さい。」と挨拶し、ようやく幕を閉じた。最終回(通算1655回)は翌週3月28日土曜日(TBSラジオ)放送分となった。
出演者
パーソナリティ
詳細は個人の項目を参照のこと。ここでは当番組特有のキャラクター付けについて補足する。
- 小堺一機
- 番組での愛称は「ムックン」。番組当初、曲をかける際に小堺のダジャレを交えた無理矢理な曲名紹介[4]をしていたことから、「無理矢理くん」が「ムックン」になった。構成作家の有川がリスナー時代に投稿して採用された。この愛称は当番組以外で使われる事がなく、また名前由来のニックネームでないため、時々新参リスナーより「なぜムックンなのですか?」という質問の葉書が送られ、年に数回のペースで由来を説明していた。
- 番組内では主に、「服やDVDをすぐ買ってしまう」「同じDVDを必ず二度買ってしまう[5]」「女性にモテる[6]」「ベテランなのにかわいい」「金持ちの一流芸能人」というキャラクター(すべて実話に基づいている)である。
- 番組の進行役であり、リスナーからの投稿を読むのは主に彼が担当している。だが、漢字、特にプロ野球選手の名前に関しては自身が興味がないこともあって読み間違いが多い。過去には「たかぎとようちやしゅ(高木豊内野手)」、「のしげ(野茂〔英雄〕)」などと誤読し、関根に笑われたり、リスナーにネタにされたりしている。リスナーからの投稿がツボに入ると笑いすぎて読めなくなることもあった。
- また、勝手な妄想・毒舌トークに走る関根へのツッコミ役でもあるが、時折関根と一緒になって暴走する場合もあった。
- 関根勤
- 番組での愛称は「ラビー」。由来は旧芸名のラビット関根(1983年10月6日放送分までこの名義で出演)。芸名をラビット関根から関根勤に改称した際、本人が、「沢田研二がジュリーと呼ばれているように、僕もニックネームとしてラビーを残したい」と発言した事に由来する。
- 番組内では主に、「愛犬家[7]」「ゴルフクラブをすぐに買ってしまう」「女人鑑定家」「女性にモテない」「妻や娘に話を聞いてもらえない」「恋愛はすべて受身」「人の名前を思い出せない(実例:目黒の中華料理屋の娘、マジカルの女、ちょっと前のCM女王、えぼ鯛の広げたのみたいな他多数)」というキャラクター(すべて実話に基づいている)である。
- 主に投稿に対して茶々を入れる役であり、「裏関根」を全開にして妄想・おバカトークを繰りひろげていた。
- 最終回では「他でウケなくても、この番組が糧になっていた。この番組がなかったら、芸能界を引退して似顔絵描きをしていたかもしれない」という趣旨の話をした。
構成作家
鶴間は番組開始当初からの構成作家で、番組構成の仕事のほか、コサキンのトークの相槌を打ったり、コサキンおよびリスナーがトークやネタで暴走した場合に流れを元に戻したりする「影の進行役」も担っていた。有川、舘川、楠野は番組常連リスナー(ハガキ職人)からスタッフ入りした。ヘビーリスナーと呼ばれる古くからのリスナーは、構成作家陣(特に有川、舘川、楠野)を、彼らの頭文字を取って「アタック隊」と称していた。
本来芸能人がメインとなるラジオ番組では構成作家がスタジオに同席することはあってもあくまで裏方であり、放送中に喋ることすら珍しいが、コサキンのラジオ番組では構成作家たちも本業と別にほとんど番組のレギュラー『出演者』と化していた。オープニングでは小堺、関根に続いて自己紹介するほか、放送中リアクションをとったり、コサキンの2人に振られてしゃべったりしていた。有川個人やアタック隊をメインにしたコーナー、企画も存在していた。
番組変遷
放送時間はTBSラジオでのもの。元々は生放送であったが、1990年代以降は録音放送が増えだし、2000年代には、録音が基本となった(末期は、公式サイト上で火曜がハガキ・電子メールの締切である旨を告知していた[8])。
- 夜はともだち コサラビ絶好調!(1981年10月 - 1982年9月30日 木曜21:40-23:55、1982年4月から21:10-23:50)
- 後に関連書籍などで取り上げられる際は、『夜はともだち 絶好調!』と表記される。
- るんるんナイト コサラビワオ!(1982年10月7日 - 1983年10月6日 木曜21:00-23:40)
- 後に関連書籍などで取り上げられる際は、『るんるんナイト ワオ!』と表記される。コサラビを名乗っていたのはこの時まで。
- NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルス電リク60分(1983年10月7日 - 1984年4月6日 月-金曜〔コサキンは金曜日担当〕24:00-25:00)
- NISSANミッドナイトステーション ザ・欽グルスショー(1984年4月14日 - 1985年10月3日 月-土曜24:00-25:00 コサキンは1985年4月6日放送分まで土曜日、4月4日放送分から最終回まで木曜日をそれぞれ担当)
- コサキンワールド なんでもねぇんだよゲベロッチョ(1985年10月7日 - 1986年4月4日 月-金曜23:10-23:25 『所ジョージの進め!おもしろバホバホ隊』内)
- コサキンシリーズでは唯一の箱番組となる。スケジュールの都合上録音放送(週5日分を貯め録り)となったが第1回目のみ生放送で行われ、所との掛け合いを聴かせた。また実際のタイトルコールは上記のとおりだったが、その後関連書籍(コサキン本)等で活字にされる際は『コサキンワールド』のみの表記が多く用いられている。ちなみに鶴間は「バホバホ隊」の構成も担当していた。
- スーパーギャング -コサキン無理矢理100%-(1986年4月9日 - 1991年10月2日 水曜25:00-27:00、1991年7月3日から25:00-26:00)
- コサキン増刊号(1989年4月15日 - 1991年10月5日 土曜24:00-25:00)
- 「一週二番組」構成となる。『増刊号』だけに、「本編」となる『無理矢理100%』とはまた違う構成で同じ「意味ねーワールド」を展開。コサキンソングのベスト5投票やセミレギュラー佐野量子のトークコーナー等があった。また、番組終了まで続けられた「意味ねーコント」は『増刊号』からのものである。なお『無理矢理100%』は生放送が基本であったが、『増刊号』は録音であった。初期の番組スポンサーは青年漫画雑誌『ヤングチャンピオン』(秋田書店)であった。
- 『増刊号』の放送回数もコサキンシリーズの通算放送回数にカウントされた。同番組も開始半年後の10月15日放送分より全国ネット。本編と比べ多くのネット局が存在していた一方、本編ネット局の一部では放送されなかった。
- コサキン快傑アドレナリン(1991年10月12日 - 1994年10月8日 土曜24:00-25:30 1992年4月11日から24:00-26:00)
- 『スーパーギャング』枠からの撤退を受けて再び「一週一番組」制に。
- コサキンDEワァオ!(1994年10月15日 - 1995年4月1日 土曜18:00-19:00、大相撲開催時には15分の相撲番組『まった無し!大相撲』が入り、18:45まで)
- 恋する電リクBINGO BONGO フライデースペシャル コサキンDEワァオ!(1995年4月14日 - 1995年10月6日 金曜21:00-22:55、同じく『まった無し!大相撲』があると15分短縮、21:15から)
- 木曜UP'S コサキンDEワァオ!(1995年10月12日 - 1997年4月3日 木曜25:00-27:00)
- 『コサキンのUP'S』とも表記。
- 1年ぶりに深夜枠、全国ネットへ復帰。
- 水曜UP'S コサキンDEワァオ!(1997年4月9日 - 2000年3月29日 水曜25:30-27:00、1997年10月8日から25:00-27:00)
- 先述同様、『コサキンのUP'S』とも表記。この頃までは、生放送されることもあった。
- コサキンDEワァオ!(2000年4月5日 - 2002年3月27日 水曜25:00-27:00)
- 『UP'S』『Junk』枠の時間帯ではあるが、この時期は深夜番組枠のレーベルが設定されておらず各曜日が単独番組の扱いであった為、上記のタイトルとなっている。
- 水曜Junk コサキンDEワァオ!(2002年4月3日 - 2004年9月22日 水曜25:00-27:00)
- コサキンDEワァオ!(2004年10月2日 - 2009年3月28日 土曜24:00-25:00)
ネット局
番組終了時のネット局
放送局 | 放送時間 | 放送期間など |
---|---|---|
TBSラジオ | 土曜 24:00-25:00 |
制作局 |
北海道放送 | 日曜 25:00-26:00 |
1995年10月から終了まで(『UP's』から『JUNK』時代より引き続き) 『スーパーギャング』1986年4月から1991年9月 『増刊号』1989年秋から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 |
山形放送 | 日曜 21:00-22:00 |
2004年秋から2005年秋、2007年秋から2008年春 2008年秋から終了まで |
信越放送 | 土曜 21:00-22:00 |
2007年秋から最終月(ナイターオフシーズン(概ね10月-3月)限定) (最終回は放送されなかった) |
山梨放送 | 月曜 20:00-21:00 |
2007年春から終了まで 『増刊号』1990年春から1991年秋 『快傑アドレナリン』1991年秋から1993年春、1993年秋から1994年秋 |
静岡放送 | 水曜 21:00-22:00 |
2005年春から終了まで(放送時間は度々変えられていた) |
北陸放送 | 日曜 23:00-24:00 |
2005年秋から2006年春、2006年秋から終了まで |
北日本放送 | 日曜 22:00-23:00 |
2004年春から終了まで 『増刊号』1989年秋から1991年秋 『快傑アドレナリン』全期間) |
福井放送 | 月曜 20:00-21:00 |
2007年春から終了まで |
和歌山放送 | 日曜 22:30-23:30 |
2007年秋から最終月(最終回は放送されなかった) |
山陽放送 | 火曜 23:00-24:00 |
1995年10月から1997年9月(『UP's』時代)、2007年春から終了まで 『増刊号』1989年秋から1990年春 『スーパーギャング』1986年春から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 |
南海放送 | 月曜 21:00-22:00 |
2008年秋から2009年春 『増刊号』1989年秋から1990年春 |
高知放送 | 日曜 23:00-24:00 |
2007年秋から終了まで 『増刊号』1990年春から1991年秋 『快傑アドレナリン』1993年春から1994年秋 |
長崎放送 | 土曜 20:00-21:00 |
2006年秋から終了まで(ナイターオフシーズン限定) 『増刊号』1989年秋から1991年秋 |
琉球放送 | 土曜 25:00-26:00 |
1995年10月から2004年9月(『UP's』から『JUNK』時代)、2005年春から終了まで 『スーパーギャング』1986年4月から1987年4月、1989年10月から1991年9月 |
過去のネット局
放送局 | 放送期間など |
---|---|
C-TBS ウェルカムチャンネル |
『JUNK』時代の2002年7月(開局時)から2003年3月(土曜 21:00-23:00 他、週5回の再放送あり) |
青森放送 | 『増刊号』1989年秋から1990年春頃 |
秋田放送 | 『増刊号』1989年秋から1991年秋頃、『快傑アドレナリン』全期間 |
ラジオ福島 | 『増刊号』1989年秋から1990年頃、『快傑アドレナリン』1994年春から秋 |
中部日本放送 | 2004年秋から2005年秋、『増刊号』1989年10月から1990年3月、同年10月から1991年3月 |
朝日放送 | 『スーパーギャング』1989年10月11日から1991年9月 |
中国放送 | 2005年春から2006年春 |
山口放送 | 『快傑アドレナリン』1993年秋から1994年秋 |
四国放送 | 『増刊号』の一時期のみ |
RKB毎日放送 | 1995年10月から2004年9月(『UP's』から『JUNK』時代) 『スーパーギャング』1986年4月から1991年秋 『増刊号』1989年秋から1991年秋、『快傑アドレナリン』全期間 |
熊本放送 | 『増刊号』の一時期のみ |
宮崎放送 | 『増刊号』の一時期のみ |
- 参考資料
ネタの傾向〜意味ねぇ、くだらねぇ〜
『コサキンDEワァオ!』の番組テーマとも言えるキーワードは「意味ねぇ、くだらねぇ」。文字通りネタそのものの常識から逸脱した意味のなさ、くだらなさをもって笑いの基本としている。例えば、コサキンを含む有名人に「意味ねぇキャラクター付け」をするものである。内容はその人物が起こした出来事を勝手な解釈で誇張したもの、もしくは当人のイメージとは正反対のキャラクターをでっちあげたものばかりで、ほとんど"言いがかり"である。しかし、意味深なネタもあった(カツラ疑惑の人物を指す「小熊ちゃん」など)。
特に大物時代劇俳優(里見浩太朗、加藤剛、高橋英樹、平幹二朗、北大路欣也、伊吹吾郎、あおい輝彦、西郷輝彦など)や水野晴郎らを女性アイドルのように扱うネタや、宇津井健を題材にしたネタ[9]は、番組初期から最末期まで定番の投稿ネタとして扱われ続けた。
コサキンによるフリートークや投稿に対するコメントも、「中学二年生男子の放課後の雑談」と例えられるようなくだらなさや、テレビでは見せない「裏小堺・裏関根」と言うべき毒舌、および欽ちゃんファミリーとしては稀な下ネタが混ざった内容となっていた。
このような「意味ねぇ、くだらねぇ」番組内容となった背景としては、小堺と関根が『夜はともだち』の木曜日担当として番組を始めた当初、ラジオ番組に不慣れな二人が迷走し、投稿ハガキも数枚程度しか届かなかったことにある。所属事務所の専務である川岸咨鴻[10]にも強く叱責され、二人は番組を続けることがつらくなってしまったという。関根は「新人なので番組を辞めたいとは言えない、だから番組をクビになるようなことをしよう。一生懸命やったけどクビになりました、と言おう」と小堺に提案すると、小堺も同意した。そして後述のコサキンソングやくだらないネタ・トークを積極的に取り入れたところ、評判や投稿数が上向きになり、有数の長寿番組へと育つことになった[11][12]。
番組の最後は、出演者・スタッフ全員で「パッホーン!」と叫ぶのが恒例となっていた。これは『欽ちゃんのどこまでやるの!?』でコサキンが「クロ子とグレ子」として演じていた時のギャグを流用したものだった。このほかにも当番組以外では通じない「意味ねぇ」用語・絶叫が多数存在していた。
終了時の主なコーナー
- ライルの遠吠え
- オープニングコーナー。関根が絶叫しながらリスナーのネタを読む。定番は「会話」、「人違い」など。「ライル」は関根の愛犬の名前で、由来は以前の飼い主だった「飯尾」の直訳「ライステイル」を縮めたもの[13]。
- コサキンおしゃべり情報局
- コサキンの二人が主にその週に起こった出来事を報告する。時には舞台やイベント関係の告知もある。
- コサキンおはがき情報局
- リスナーから寄せられたハガキやメールを紹介する。小堺・関根が出演したイベントや番組の感想(という体での妄想文章がほとんどで、イベント開催前に送られてくることすらあった)、写真ネタ(「意味ねぇ写真」、そっくりさんの写真)[14]を取り扱うことが多い。
- 『欽グルス』時代から2005年10月までは、"おはがき"の部分が無い「コサキン情報局」のタイトルであった。ゲストを招いた回では、このコーナーがゲストトークに充てられ、リスナーがゲストについての細かな情報を投稿し真偽を確かめることが恒例となっていた。
- コサキンコント劇場(2004年10月以降は毎月第1週)
- 有川・舘川(かつては楠野も含む)の台本によるコントを、コサキンらが演じる。過去、傑作コントの台本のみをまとめた本が4冊発行されており、2007年以降は、過去の名作作品を集めたCD「コサキンコント劇場」シリーズが発売された。
- 意味ねぇCD大作戦
- 「欽ちゃんのドンといってみよう!」のコーナーだった「レコード大作戦」と同じ内容。ベスト3ネタや意味ねぇストーリーに、曲のフレーズや、TPを使ったネタを紹介する。「意味ねぇCD大作戦」ではそれらに加え、歌い方やそれを歌った歌手の人物像まで考慮に入れていた。当初はおハガキ列島のテーマとして採用し、独立したコーナーに昇格したという経緯がある。2時間放送の時代はこのコーナーが二部制だった時期もあり、「初心者向けの前半戦」「上級者向けのマニアックな後半戦」と分けられていた。
- 月刊浅井ニュース(2008年4月から、不定期)
- 浅井企画期待の若手を紹介するコーナー。紹介役はヘビーリスナーには「ニセ社長」として知られる、浅井企画専務の川岸咨鴻が務めた[10]。
- おハガキ列島
- 番組の最後に放送される、週ごとに定めたテーマに沿ったネタを紹介するコーナー。定番は「ベスト3」、「キャスティング(配役)」、「キャッチフレーズ」、「絶対ある、絶対ない[15]」など。いわゆる三段オチの場合が多い。リスナーからも「意味ねぇ結婚式」「意味ねぇ新番組」といったテーマを募り採用していた。テーマにもよるが、コーナーの終盤になると長文のネタが読まれる傾向があった。
- これを頼んだらこれが出てきました
- 一人がこれを買ってきてと言ったら一人がこれが出てきました。というコーナー。例えばインド料理店で「朝丘雪路」くださいと言ったら、ナンが出てきた等。かつての「人まちがい」コーナーの「店員と客の会話」ネタを踏襲している。
- コサキンWho's Who?(不定期)
- 意外な人物(例えばスポーツ選手や女優など)が歌った曲をその人名を伏せて放送し、誰が歌っていたのかの解答をリスナーから募集する。
- コサキンSS大賞(不定期)
- SSとは「サウンドステッカー」の略で、コマーシャルの前後に流れる番組タイトルをかぶせた短い音楽のこと。放送局によってはジングル、アタックなどとも称される。このSSに乗せる意味ねぇ会話や絶叫をリスナーから募集し、優秀作品は番組内で使用される。
- コサキンバカ発言(上半期、下半期)
- その年のリスナーが印象に残った、普通いい年した大人がしゃべらないようなコサキンのバカ発言(関根の発言の方が多い)を番組に送ってもらうというコーナー。もともとはあるヘビーリスナーが、自発的に自らがばっかでぇ〜と思うようなコサキンの発言(いわゆるバカ発言)の数々をセレクトし、それを封書にまとめて年に数回番組に送っていた[16]のが始まりでコーナー化された。
このうち、情報局、おハガキ列島は『欽グルス』時代から、CD大作戦、コント劇場は『無理矢理100%』『増刊号』時代から続いたコーナー。また、Who's Who?は『快傑アドレナリン』時代にも存在していた[17]。SS大賞も10年以上続いた企画である。
『欽グルス』以降は、「コサキンのフリートーク→情報局→リスナーの電話参加企画(夕方時代や末期は無し)→CD大作戦やコント劇場などの企画→おハガキ列島」という番組の流れが大きく改装されることは一切なかった。
終了時以前の長期にわたったコーナー
- コサキンNEWS WEEKLY→コサキン's EYE!→コサキン's レポート
- 番組冒頭のフリートークのコーナー。二人の近況や興味あることなどについて約20分語り合う。「コサキンおしゃべり情報局」とほぼ同内容。
- 意味ねぇベスト3→意味ねぇしりとり→コサキン用語辞典→コサキン人名辞典→コサキン新語辞典→コサキンことわざ辞典
- リスナーからのネタ投稿コーナー。各企画ごとに形式はあるが、基本的に内容は何でもあり。しりとり以降は毎週決められた頭文字から始まるネタを募集した。途中から辞典となっているが結局ベスト3ネタなどが寄せられていた。過去のコサキン本のほとんどはこれらのコーナーで採用されたネタで構成されている。
- ラビーの絶叫コーナー
- 『欽グルス』時代から放送された、関根が進行役として投稿ハガキを読む唯一のコーナー。おハガキ列島の一部として、テーマ投稿の前にネタが紹介された。最初は「絶叫ベスト5」として「アメリカザリガニよ、英語をしゃべれー!」といった意味ねぇ一言ネタを関根が絶叫していた。『無理矢理100%』以降は意味ねぇ会話ネタが主流となり、「人まちがい」「タクシーの運転手と客の会話」「店員と客の会話」などのシリーズが生まれた。『無理矢理100%』時代に終了するが、その後もおハガキ列島のテーマとして意味ねぇ会話が登場したり、「ライルの遠吠え」として企画が復活するなど、定番ネタのひとつとなっていた。
- リスナーの電話参加企画
- 番組開始当初から電話によるリスナー参加型企画があり、様々なコーナーが放送された。リスナーが物まねを披露する企画とクイズ企画がほとんどで、初期には関根の演じる物まねを当てる「物まねクイズ・似てね〜!」という企画もあった。特に「意味ねーイントロ&曲当て(替え歌)クイズ[18]」は後述する関根が歌う意味ねぇ替え歌が多数登場し、人気を博した。後期は最近の放送内容から出題する「クイズコサキン知ってれホン」 が長年放送されたが、2004年9月の同コーナー終了をもって電話参加企画も終了した。
- 浅井企画所属の若手芸人が出演したコーナー
- 『快傑アドレナリン』時代に、当時ピン芸人だったウド鈴木がレギュラーコーナーを担当し、その後キャイ〜ン、La.おかき[19]がメインを務めるコーナーがそれぞれあった。それ以降は週替わりで若手芸人(あさりど、エネルギー、イワイガワ、しゅく造め)がネタを披露する「コサキンヤング部」「コサキンヤング部24(ツー・フォー)劇場[20]」が番組末期まで放送された。最末期には、前述の「月刊浅井ニュース」が不定期で放送された。『無理矢理100%』時代には「ルー大柴のパックインミュージック[21]」「ラッキィ池田の2時2時ダンス[22]」といったコーナーもあったほか、当時浅井企画社員の五社勇[23]や川岸咨鴻[10]らがレギュラー出演したコーナーまであった。
- コサキン本タイトルコーナー
- コサキン本発売のたびにタイトル案を募集するのだが、実際に発売された以降も「次回発行時のために」とタイトル案を募集し続けるコーナーに変化。当時すでにコサキンを離れていた構成作家の楠野一郎をネタにした作品が多く、代表的なものには「LF一郎」「お台場一郎」「反町クスノ」「クスノ・ボンバイエ」「レオナルド・ディカ・クスノ」などがある。しかし、結局当初の目的であった本のタイトルについては「ポヨヨーン」「モレッ」等シンプルなタイトルに決定し、リスナーからのネタが採用されることは一度も無かった。とはいえ秀作も多かったことから、後にこの時のネタ作品だけを収録した「コサキン本タイトル集 クスノ」が発売されることになった。
- 鮪川鯛一(まぐろがわたいいち)のGoGo遊園地ツアー
- 鮪川鯛一とは、番組の構成作家の有川周一がサザエさんに出演したらこういう役名になるだろう、というリスナーのネタから生まれたキャラクター(魚偏をつけると有は鮪、周は鯛になる。命名は1990年4月11日放送分にて)。[24]有川を遊園地に連れて行き、ジェットコースター等の絶叫マシンに乗せ、その怖がる様を鑑賞する企画が生まれ、以後、恒例となった。レイティング週間によく行われ、有川への罰ゲームとして行われたこともあった。「ちっとも楽しくない〜!」「ジャ〜ジャ〜ジャ〜ジャ〜!」[25]「ウチ帰るよぉ〜!」「男!結構、男!」等、数多くの名言が生まれた。この企画での音声を下町兄弟がリミックスしたものがCD『有川君の絶叫』として1995年9月21日に発売された(オリコン最高位83位)。さらには映像を収録したDVDの発売や、有川の絶叫が携帯の着信音にもなるなどの拡がりを見せていた。[26]
- 始まるきっかけは次の通り。小堺が「いただきます」の放送を鹿児島からすることになっていたためにコサキンの放送も鹿児島から行なうことになった(「いただきます」も当時の「コサキン」も生放送であった)が、当日の天候が悪く、当日移動した関根と有川の乗った飛行機が羽田空港へ引き返してしまった。その時に飛行機が揺れ、有川の異様な怖がりが発覚。関根が天候不順のために引き返してその日は鹿児島と東京からの二元放送にすると告知しているバックで有川が怖がっている様子(そのとき関根は有川に向かって「うるさいよ」と言っている)を録音したテープを放送したところ、リスナーに大受けした。その影響もあり、CD大作戦では有川の絶叫する模様がネタとして多用された。
- 最後のGoGo遊園地ツアーは、2006年9月30日の放送で漫画家の秋本治から「富士急ハイランドの『ええじゃないか』に乗って欲しい」と提案されたもので、有川が「富士急ハイランド行くぞ!必ず行くぞ!楽しみにしててね!絶対裏切らないよ!」と番組内で約束した。2007年4月7日・4月14日の2週に渡って「GoGo遊園地ツアーin富士急ハイランド」が行われたが、秋本との約束であった肝心の「ええじゃないか」搭乗は、天候急変(みぞれ)のため延期となり、(結果的に)再挑戦を果たせぬまま番組そのものが終了する格好となってしまった。
番組で使用された音源
大別すると、既存曲をネタにした「コサキンソング」、番組独自の「ラビーの替え歌」、ゲストの発言を使った「TP」に分けられる。
コサキンソング
コミックソング、あまり聞かれない何だか妙な歌、意味不明な歌、おかしな歌、有名人の意外な歌、ヒット曲であっても聴き方によって珍妙に聞こえる歌などを「コサキンソング」として紹介している。「CD大作戦」では、これら「コサキンソング」が使用されることが多い。2004年にブレイクした松平健の『マツケンサンバII』や1987年にブレイクした吉永小百合の『奈良の春日野』なども、ブレイクする以前から紹介していた。
『伊集院光 日曜日の秘密基地』(TBSラジオ)の「おバ歌謡」や、『赤坂泰彦のミリオンナイツ』(JFN系)の「うさんくさいポップス」、『山下達郎のサンデー・ソングブック』(JFN系)の「珍盤・奇盤特集」など、コサキンソングと同様のコンセプトを持つコーナーが多数存在する。それらの中で紹介されたものの中には「コサキンソング」として紹介されたものと重複する物も多数存在する。
- リカちゃんトリオ「リカちゃんトリオの唄」
- 元祖コサキンソング。『欽グルス』時代は、テレホンサービスの「リカちゃん電話」のセリフをコサキン風に変える投稿コーナーのテーマ曲だった。途中から「さぁ今度はあなたの番よ」というセリフでカラオケも挿入されている。リカちゃんのボーイフレンドがまだ「わたる」君だった頃の歌。
- 香山リカ「リカちゃんのタンゴ」
- 高田浩吉「大江戸出世小唄」
- 番組初期のコサキンソング。高田の歌手デビュー曲(1935年発売)であり、コサキンソングとしては最古の音源である。
- バーブ佐竹「青いゴムゾーリ」
- 小林旭「アキラのホイホイ節」
- 番組初期のコサキンソング。
- 舟木一夫「夏子の季節」
- 最後の「夏子 夏子 すばらしい〜〜〜〜〜」のブレスの長さに「歌い終わるまでにカール・ルイスが100m走り終わる」といわれていた。舟木の歌では「只今授業中」「渚のお嬢さん」「太陽にヤァ!」等、多くの楽曲がコサキンソングとして取り上げられた。
- 萩本欽一「山に登れば」(作詞/作曲・萩本欽一)
- コサキンとは切っても切れない、師匠格の「大将」が歌った歌。素朴な歌い口と「山に登れば水虫踏んだ」からの全般にわたるシュールな歌詞が印象的だった。
- 坂上二郎「学校の先生」
- その「大将」の相方として切っても切れない「二郎さん」の大ヒット曲。CD大作戦では「二郎さん、付き人剛州を語る」として曲のセリフ部分が使われ、剛州は「今では(芸能界を辞め)運送会社に勤めている」ということにさせられた。
- 吉永小百合「奈良の春日野」
- 後に明石家さんまがこの曲を取り上げたことで話題を呼ぶ。多方面で知られるようになってからは、コサキン内でこの曲がかかることはなくなった。
- 吉永小百合とロイヤル・ナイツ「うどんの唄」
- 映画『うず潮』の挿入歌。シングル「瀬戸のうず潮」のB面曲。メインの歌唱はロイヤル・ナイツの担当で、吉永は間奏にて台詞を語っていた。
- こまどり姉妹「涙のラーメン」
- 上記「うどんの唄」と対比されるかの如く放送されていた。
- 万里れい子「太陽がほしい」
- 冒頭の「欲しい、欲しいぃ~」という絞り出すようなボーカル、最後の「ソルカリエンテェ~[27]」という歌詞が注目され、CD大作戦でも多用された。
- トーマス・オマリー「六甲おろし」
- アルバム『オマリーのダイナミック・イングリッシュ』収録曲。片言の日本語も味があるが、音程の著しい調子外れ具合とそれを意に介さない生き生きとした歌唱が特に話題となる。
- 王貞治・本間千代子「白いボール」
- 王の実直な(抑揚のない)歌唱に注目が集まる。程無くして「グラウンドの棒読み」というキャッチフレーズがつけられた。
- ジャンボ鶴田「ローリング・ドリーマー」
- 鶴田の実直な(抑揚のない)歌唱に注目が集まる。程無くして「リングの棒読み」というキャッチフレーズがつけられた。
- 近藤正臣「雪が降る」
- 歌うというより、近藤が彼独特の情感を込めた語り(「寒い…凍えてしまう…」)でパフォーマンスしている作品で、リスナーの心をわしづかみにした。
- 野際陽子「非情のライセンス」
- クレオとパトラ「タバコの煙りはきらい」
- 絶世の美女として知られる古代エジプト最後のファラオ・クレオパトラ7世の名を歌手名に冠した女装の男性デュオ。ヒッピー・ムーヴメントとムード歌謡と中性的な妖しさを融合した怪作。
- 布施明「ときめき」(主に2番)、「愛は不死鳥」
- 特に「ときめき」のラストで布施が魂を搾り切るように熱唱する所が番組内では「最近はこんな風に熱唱する歌手っていなくなっちゃったよね」と特にコサキンの二人に再評価されている。
- 杉良太郎「君は人のために死ねるか」
- 細川俊之・中村晃子「パローレ・パローレ(あまい囁き)」
- メインである中村晃子の歌にはほとんど触れられず、それよりも「もっとよく見せて・・・」「本当の気持ちさ・・・」「(君という名の恋物語を)僕はまだおしまいまで読んではいないんだよ・・・」など細川がおネムな声で囁く台詞がCD大作戦でも長年にわたり多用され続けていた。
- シャルル・アズナヴール「イザベル」
- 主に中盤でのほとんどあえぎ声のようなハイテンションな「イザベル!」の連呼部分が使われる。
- 美川憲一「スカーレット・ドリーマー」(作詞・小谷夏、作曲・都倉俊一)
- 主に最後の「玉姫様のように〜」という歌詞と「あ゛ぁ〜」というため息が使われる。「コサキンベスト5」のコーナーでランクインした際は、サビと最後の部分しか放送されなかった。
- ピーター「人間狩り」
- 小堺がピーターに会った際にこれを歌ったところ、ピーターからは「よく覚えてるわね?そんな曲」と言われた。
- 中井貴一「君はトロピカル」「リタ・デ・ジャネイロ」(2曲とも作詞・安井かずみ、作曲・加藤和彦)
- 特に「君はトロピカル」は、サビの最後に繰り返される「わっはぁ〜ん」という絶叫とも擬音ともいえない気だるい歌詞が、リスナーに衝撃を与えた。「リタ・デ・ジャネイロ」は曲のエンディングでの「リィ〜タァ!」という脱力したシャウトが使用されたが「わっはぁ〜ん」の方がネタに使用される数が圧倒的に多かった。中井のファンである大石恵がゲストに来た時にこの2曲を聞かせたところ、「いや〜、イメージが…」と大きなショックを受けていた。
- 石黒賢「君にミステイク」
- さわやかなキャラクターとは裏腹の棒読みの歌い口。『コサキン快傑アドレナリン』時代に行った、コサキンソングの人気投票で「君はトロピカル」を抑えて2位を獲得。しかし石黒にコメントを求めたところ、当然の反応であるが不快感と困惑を隠していなかった。
- 三浦洋一「ギアを入れろよ」
- 男らしくもたどたどしい歌い口や「ちょっとちょっとちょっと!ちょっとキツイんだよ!」というサビがリスナーの心を掴み、上記のコサキンソングの人気投票で1位を獲得。しかし三浦からはコメントを貰う事が出来なかった。三浦の逝去後は、番組のポリシーによりこの曲を聴くことは出来なくなってしまった。
- 海道はじめ(坂越達明)「スナッキーで踊ろう」(作詞・三浦康照、作編曲・船村徹)
- マリア四郎「もだえ」
- 「うそでぃぇーもいぃーかぁーら、あいさぁーれー、たいのー」という歌いだしがどうにも形容の出来ない歌い方で、特に小堺のツボにはまった。ジャケットを見る限りでは若い頃の田村正和のような端正な顔立ちなのだが、歌い方がコサキン用語で言う「ナヨッとしたホゲ声」で、もの凄くギャップがある。「CD大作戦」では、最後の「ンもだえるぅ〜」の部分が頻繁に使用されていた。
- ルー大柴「俺がルー大柴だ!」「YOKOHAMA」「イマジン」「甘い囁き」
- 微妙に音程がずれていたり、歌っているうちに吹き出したりしたことから、番組内では「ヘタウタ」と呼ばれていた。
- 石田純一「ジゴロ」
- ゲストで登場した本人が「調子に乗ってました」と反省するほど軽いボーカル。
- C.W.ニコル「SHOJI船長」
- 捕鯨船の船長の優しさをカントリー調で歌い上げる。終盤に「せんちょぉ〜〜〜〜〜」と叫ぶ辺りがCD大作戦で使われた。
- 増位山太志郎(のちの10代目三保ヶ関親方)「そんな女のひとりごと」「けい子」
- 歌手としてヒット作を飛ばした空前絶後の力士。ただしコサキンではそんな栄光は関係なく小スケベ声と称される甘い声だけがネタにされる。なぜか関根は不快感を持っているらしく、「(「けい子」を聴いて)相撲の稽古でもしてろよ!」「歌は上手い、声も甘い、そして、小スケベ。いや、大スケベだ!」と放言していた。「そんな女のひとりごと」では「真樹さんの紹介で」や「奈美さんに叱られる」等の歌詞が多用された。
- 島津ゆたか「ホテル」
- 増位山同様、小スケベ声がネタとして使われる。こちらは増位山とは違い関根がぼやくようなことはなく、番組のイベントに島津がゲスト出演したこともあった。
- 藤波辰巳「マッチョ・ドラゴン」
- 当時の藤波の入場テーマ曲の本人歌唱バージョン。その素朴で豪快な歌唱を番組では「幼稚園児が歌っている」と評したが、本人がゲスト出演したときにはさすがにそれを言及することはできなかった。曲中のギターの音から「チョワヨ〜ン」とも呼ばれている。
- 野坂昭如「YWCA」
- 風間杜夫「ララバイ・ロックンロール」
- サビの「ララバイ 今夜 愛し合う」の「愛し合う」が、小堺には「アリッシンッ」とシャウトしているように聞こえ、サビの終わりの「夢さBad night、ワァオ!!」という絶叫が「吼えザル」と呼ばれた。
- 原田芳雄「iigusa」(作詞・桃井かおり)
- 一時関根のものまねネタとなる。原田の歌声の一節ごとの語尾に強烈かつ妙なビブラートが効いている。特に「言い草がぁぁぁぁぁ」のビブラートの部分は「CD大作戦」で多用されたが、コサキンの二人からは「原田さん喋る声はあんなに素敵なのに」「UFOが飛ぶ時の音」「怪光線」などと散々な言われようだった。
- 杉浦直樹&石立鉄男「女嫌いのバラード」
- 杉浦・石立共演のテレビ朝日のドラマ『さらば女ともだち』の挿入歌。デュエットソングであるにもかかわらず、杉浦と石立の噛み合わなさっぷりが聴きどころ。お互いに歌を合わせる気がまるで無い為か、サビの終わりの部分が「女嫌いの〜、バラードド〜」と聞こえてしまう。この曲も、石立の逝去後は番組内で聴ける事が困難になった。
- 冠二郎「炎」「ムサシ」「バイキング」
- 1992年大晦日の紅白歌合戦を見ていた関根が、「アイアイアイライク演歌」と演歌なのに英語の歌詞が入る「炎」を絶賛。ゲスト出演した冠は「自分をホイットニー・ヒューストンだと思っている」などと発言し[28]、ユニークなキャラクターからコサキンの「アニキ」の一人に名を連ねた。これをきっかけに冠はネオ演歌シリーズを確立する事となる。
- 若林豪「ずるいよ」
- 『コサキン快傑アドレナリン』時代に放送された、無臭ニンニクを用いた健康食品のCMソング。元々のCMには歌がなかったが、若林の「ずるいよ、こんなものがあったなんて」「(電話番号の語呂合わせで)ニンニクサイコーとご記憶ください」という台詞を交えた、渋さとお茶目さに溢れるCMがリスナーに大好評だったため、スポンサー側がそれに応えるべくCMソングを制作した。
- 高英男「男と女」
- 日本屈指のシャンソン歌手である高による、シャンソンの定番曲であるが、何回もリフレインされる「ダバダバダ、ルバダバダ」という歌詞のしつこさや「聞えルバダバダ」「トワ・エ・モァバダバダ」といった無理矢理な訳詞がネタにされた。
- 美谷和枝「人生は過ぎゆく」
- シャンソン風の曲調だが、サビがどうしても「ラビさんが、ラビさんが好きなのにどうして」と聞こえてしまうことで話題になった。最後の、恐怖さえ感じさせてしまう「行かないでェ!!」という叫びも聴きどころ。
- 奥村チヨ「抱擁」
- 妖艶さ全開の曲調で、コサキンおよび男性リスナーを「オギオギ(コサキンにおける、性的興奮を表す擬音)」させまくった。
- 岸本加世子「ああ落ちる Part2」(作詞・なかにし礼、作曲・都倉俊一)
- 間下このみ「キャベツ畑の子供たち」
- 当時海外で流行し日本でも話題を呼んだ幼児向け玩具「キャベツ畑人形」にインスパイアされる形でリリースされた迷曲。実際は間下をはじめとして数人の子供たちにより歌われた。間下の幼児ならではの無茶で無駄に元気な歌唱法に唖然とさせられる。
- ジ・アーズ「午前2時」
- 『スーパーギャング』時代、午前2時の時報を過ぎるたびに、決まってこの曲のサビ部分(または小堺が真似たもの)が流れた。
- 水前寺清子「ありがとうの歌」
- TBSテレビで高い人気を誇ったホームドラマ『ありがとう』のテーマ曲。ただしコサキンではそれとは関係なく、映画の想い出(という建前のナンセンス長文ネタ)を紹介するコーナー「想い出のスクリーンミュージック」でのオチとして多用された。
- 藤木孝「24000のキッス」
- 歌声が小堺がはしゃぎ気味で歌っているように聞こえたため、最初に放送されたときは歌手名を「小堺一機」、曲名は「体育倉庫で24000のキッス」として紹介された。
- 大杉久美子&大杉恵麻「すきすきうさこちゃん」
- 大杉親子によるノベルティ・ソング。恵麻(リリース当時3歳)の無垢な歌唱が聴きどころ。番組側ではコサキンソングとして仕掛けたかったが、リスナーの反応がほとんどなかった。後年「加藤剛さんの本名」等のネタに使われた。
- 能瀬慶子「アテンション・プリーズ」(作詞・喜多條忠、作曲・浜田省吾)
- 小堺曰く「ピアノで出せない音」「譜面に起こせない音」。「あーてんしょんぷり〜ぃ〜ぃ〜ぃ〜」と歌っている部分が使用された。
- 大場久美子「エトセトラ」「ディスコ・ドリーム」「スプリング・サンバ」
- 小堺曰く「(度が)合わない眼鏡をかけてるような音程」。
- 松平健「お嫁サンバ」「マツケンサンバ」シリーズ
- いずれも松平の舞台公演で歌われたもの。1988年に紹介された「お嫁サンバ」は郷ひろみのヒット曲だが、イントロでの「イェイ!」というつかみから最後まで妙にノリノリな松平の歌いっぷりが、当時の彼のイメージとのギャップを生み話題を呼んだ。また、同時期に紳士服のコナカのCMで松平が見せた“サイドステップ”の振り付けも、松平人気に拍車をかけた。その11年後の1999年には、「イントロがやたら長い曲」として「マツケンサンバ」シリーズが紹介された。マツケンサンバが最初に紹介された当時は番組内で話題に上るのみだったが、後に他媒体でも紹介され、特に「マツケンサンバII」は2004年に一大ブームを巻き起こした。元々ヒット曲だったものを穿った視点でコサキンソングにした曲は多いが、マツケンサンバは、結果論ではあるがコサキンがいち早く目を付けた後に大ヒットとなった稀有な例である。
- 細川俊之「小倉百人一首」
- 歌ではなく朗読作品。大学生協で販売されていたものをリスナーが投稿し、瞬く間に人気を博した。ネタとして放送されるときは一首丸ごとの事もあるが、歌の一部分だけを使ったネタも多かった。例えば、「紅葉なりけり」の「もみ(じ)」と「〜と知りながら」の「しり(ながら)」を組み合わせて「尻尻揉み揉み」というおバカなフレーズにされたり、歌の一節毎に継ぎはぎして「悲しけれ 短き足(葦)の きりぎりす」等と意味ねぇ俳句に作り変えられたり、細川自身の曲「パローレ・パローレ」での台詞(「もっとよく見せて…」など)や、その他のコサキンソングと組み合わされたりなど、「CD大作戦」のネタの素材として頻繁に使用されていた。細川の甘くダンディな声による真面目な朗読と、そこから作られたネタのバカバカしさとのギャップの大きさがリスナーを楽しませていた。
- 西城秀樹「激しい恋」
- CD大作戦では、歌詞よりも、イントロでの「ピキュンピキュン」というSEが何かを連想させるらしく多用された。
- 水木一郎「マジンガーZ」、「ぼくらのバロム・1」、「おれはグレートマジンガー」
- かつて営業で水木と一緒になったコサキンは、ヒーローソングの巨匠である彼も、流石に曲中の雄たけびに照れを見せていたことを覚えていた(詳細は「ラビーの替え歌」を参照)。その後水木はゲスト出演し、数々の「雄たけびソング」や知られざるバラードを披露した。コサキンやリスナーには「アニィ」と慕われていた。水木も番組25周年記念イベント、放送終了記念イベントで「『雄叫び』『絶叫』というのはコサキンから始まった」という趣旨の発言をしていた。
- ささきいさお「戦え!ポリマー」(アニメ「破裏拳ポリマー」主題歌)、「恋にいのちを」、「好きにならずにいられない」、「GIブルース」、「MAZINGER Z」(「マジンガーZ」英語版[29])
- 平尾昌晃「星は何でも知っている」
- 平尾がロカビリー歌手時代に歌った大ヒット曲。CD大作戦では平尾がだらしなくしゃべるセリフ部分(「きっと、きっと、嬉しかったんだよ…」など)が多用された。
- 西郷輝彦「真夏のあらし」「涙をありがとう」
- CD大作戦では、「真夏のあらし」の間奏でのセリフ「(この恋は〜)ワァオ!」や最後の「イェイイェイ、ヤァー!」が多用された。概要節の記述にもあるように、終了まで15年続いた番組タイトル『コサキンDEワァオ!』の元ネタである。
- 藤島桓夫(ふじしまたけお)「若い元気なお相撲さん」
- 小堺はある時「桓夫(たけお)」の読み方をど忘れして「藤島…さん」と紹介し、以降ネタとされフルネームで曲紹介されることは殆どなくなった。藤島桓夫は「月の法善寺横丁」のヒット曲で知られる演歌歌手で「若い元気なお相撲さん」はそのカップリング曲だった。
- CD大作戦では、サビの曲名を「若い元気なオス」と区切ったのが多用された。
- 喜美正二郎「すずらん通り」「昼も夜も眠れない」
- 太子乱童「愛の絶唱」
- ソロで3種類の歌唱法を取り入れた曲。最初は普通に朗々と歌っているのだが、途中でいきなり「き゛ぃ゛ぃ゛み゛の゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛ぅ゛」というダミ声になり、最後は妙に強弱している。特に普通→ダミ声に変わる箇所がネタにされている。関根が「これ(=ダミ声)をやっていなければ絶対に売れていただろう」と言うほど歌唱力については絶賛していた。
- 佐久間浩二/勝彩也「まぼろしのブルース」
- 「抹茶ヨウカン」
- 「腹式呼吸でアイラブユー」
- スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの曲「アイ・プット・ア・スペル・オン・ユー(I Put a Spell on You)」の番組での呼び名。(腹式呼吸とは程遠い歌唱の)西村知美が歌っているということになっている。合間の絶叫が特徴的であったため、CD大作戦のネタとしても多用された。
- 「腹式呼吸でウママママー」
- スクリーミン・ジェイ・ホーキンスの曲「リトル・デーモン(Little Demon)」の番組での呼び名。やはり(腹式呼吸とは程遠い歌唱の)西村知美が歌っているということになっている。サビで実際に「ウママママー」と歌っているように聞こえたり、最後の絶叫が特徴的であったため、CD大作戦のネタとしても多用された。
- 「ウニのテーマ」
- ディジー・ガレスピーの曲「スウィング・ロー、スウィート・キャデラック(Swing Low, Sweet Cadillac)」の番組での呼び名。「イーバリバリバリバリ」という絶叫がクロマニヨン人、もしくは車だん吉が歌っているということになっている。
- 「恋の気をつけ何でもねぇんだよゲベロッチョ」
- 童謡「まつぼっくりの歌」「チューリップ」
- CD大作戦で「真夜中にかかってきたら怖いいたずら電話」のネタに多用された。「変なこども」が歌っているということになっている。
- 「長嶋茂雄のウィスパーカード」
- J-WALK「何も言えなくて…夏」
- この歌を聴いた関根が「いつまで過去引きずってんだよ!めそめそしてんじゃねえよ!」と激怒し「めそめそ男の未練歌」と名づけた。歌い始めると節の終わりに「めそめそ」と歌い、J-WALK自体も「めそめそ男達」と名づけた。
- ラビット関根「猿の惑星」(作曲・浜口庫之助)
- 映画「猿の惑星」のテレビドラマ版がアメリカで製作され、日本でも放映されることになった時のテーマ曲。パーカッションとブラスによる壮大な曲の合間に、関根が「人間が来たぞ!イーッ、イーッ!」と絶叫していた。関根曰くこのテレビドラマ版は5週間程度で打ち切られ(実際は4ヵ月ほど放送された)、関根の歌はわずか3回しか放送されなかったが、コサキンにて日の目を見ることになった。
- 加藤剛「三匹のこぶた」「風と雲と虹と」
- 河村隆一「evergreen 〜あなたの忘れ物〜(カバーアルバム)」
- 舘ひろし「青い山脈'88」
- 舘が主演した同名映画の主題歌で、藤山一郎が歌った曲のカバー。間奏に漏らす「ウア〜ァ〜」とため息を漏らす所をネタにしているが、当の本編も保健室の先生役でも「学校で潜入捜査」と舘の芝居が刑事芝居にしか見えないと散々。また、映画上映時に舘側が示したとされる本曲のシングルカット拒否も番組で話題に登った。舘の他の作品では「いとしのマックス」(代表取締役刑事の挿入歌)や「冷たい太陽 NEW BLOOD VERSION」(あぶない刑事リターンズの主題歌)も話題になった。
- ナディア・ギフォード「ラスト・クリスマス」
- サンディエゴ「君の瞳に恋してる」(スペイン語ヴァージョン)
- 「ラスト・クリスマス」同様、空耳から人気となった洋楽曲。メロディがラテン調に、歌詞はスペイン語にアレンジされており、サビが「オケベゲーロ、ヘソゲムスコーヨ」としか聞こえないため、話題になった。
- 橋幸夫「あの娘と僕-スイム・スイム・スイム」
- 有川の父が経営していたスナック「酔夢」(すいむ)があまりにもダサいネーミングのため、一時期は有川に関わるネタの際にはほとんどこの曲のコーラス部分「スイムスイムスイム〜スイムで踊ろう」が使われていた。この曲での「スイム」とは1960年代に少しだけ流行した、泳ぐような格好をしながら踊るリズムダンス(ニューリズム)の一種。
- 橋幸夫「刺客道」
- 三波春夫「堀部安兵衛」
- 『忠臣蔵』に登場する四十七士のひとり、堀部安兵衛を題材にした曲。ただし、コサキンで使われたのはセリフ部分の最後「(見破られたか、)残念至極」「行かねばならぬ」の部分だけであった。
- 三田佳子「幸せよここまでおいで」
- 大女優が唄っていた意外な一曲。さわやかな曲調でありながら、いきなり「クイズをしましょう」と誘っている歌詞が話題となった。
- 北島三郎「誠」
- CD大作戦では女と思ってた人が実は男だったというくだりで「俺は、俺は男だ〜」の部分が多用された。
- 大塚博堂「ダスティン・ホフマンになれなかったよ」
- 放送開始以前に亡くなったシンガーソングライター・大塚博堂のデビュー曲。なぜ日本人が外国人に、しかも名指しでダスティン・ホフマンになろうとしたのか、さらになぜなれなかったと悔やんでいるのかという謎の曲として扱った。
- 辺見マリ「ダニエル・モナムール」
- 主に間奏の「ジュテェ〜ム、ダニエェ〜ル」という色っぽい合いの手が使われた。また辺見の元夫である西郷輝彦の曲と組み合わせて使われることも多かった。
- 風間ひろしとメロディー・クイーン「君がほしい」
- イントロでのシンセサウンドが重厚な雰囲気の曲調とのミスマッチさを醸し出していた。
- 子門真人「アマゾンライダーここにあり」
- 「仮面ライダーアマゾン」の主題歌。主にイントロのシャウトから「アーッ!!」の部分が抽出されて使われていた。
- 平幹二朗「周知の事実」
- 1969年に越路吹雪と共演したミュージカル「結婚物語」の挿入歌。男は歳を取るにつれ魅力的になるという内容であるが、放送当時騒がせていた平の同性愛疑惑も相まって「女は、もう駄目。」という歌詞が多用された。
- 具志堅用高「カンムリワシの詩〈勝利者のバラード〉」
- 坂井真紀「恋のザッツワチャドゥ」
- ジャネット・ジャクソン「Nasty]
- 渡辺裕之「だいじょうぶマイ・フレンド」
- 発売当時に封切られた同名映画の主題歌で、オリジナルは作曲者の加藤和彦の歌唱だが、映画の出演者が歌ったバージョンも何枚かリリースされており、そんな中で渡辺のバージョンはCD大作戦で何度もネタに使用された。舌足らずなボーカルが特徴的。
- ミスター・ワイルド「さすらいの一匹狼」
- 小松みどり「ゴルフ小唄」
- 下ネタの隠語を歌詞に含む「お座敷小唄」。サビの「キュッキュッキュッ」のコーラスと爆発のSE音の組み合わせがネタのオチとして多用された。
- 西村知美「きゃきゃきゃのきゃ」
- 渡辺篤史「オレについてこい」
- 渡辺がドラマ「パン屋のケンちゃん」の中で演じたホームラン先生のイメージソング。曲間に展開される熱い雄叫びが渡辺の持ち味である飄々とした語り口とのギャップを生み、コサキンの中でテキサスヒットとなった。
- 竜鉄也「奥飛騨慕情」
- 歌詞の「奥飛騨に」を「奥ヒダに」と解釈されることが多かった。
- 柳沢慎吾「BE MY GIRL」
- しばしばテレビのバラエティで取り上げられるほどの名(?)曲「ピエロ」のB面曲。コサキンでは「ピエロ」よりもこの曲にスポットを当てていた。
- 高橋義郎の指笛
- シャーリー・バッシー「GOLD FINGER」
- 映画「007 ゴールドフィンガー」のテーマソング。CD大作戦では、主に手の動きの表現手段としてこの曲の一小節が多用された。
- 和田弘とマヒナスターズ「お百度こいさん」
など多数。
コサキンソング以外の番組内での使用曲
- 小堺一機「With」(エンディングテーマ)
- 1985年に発売され、1986年の『コサキン無理矢理100%』開始以降23年もの間、(土曜18時台の放送時を除いて)毎週放送され続けたエンディングテーマ。番組の「意味ねぇ」精神とは異なった真面目な歌ではあるが、後述のおハガキ列島のテーマ曲とともに、コサキンを象徴する曲と言える。コサキン終了後は『小堺一機と渡辺美里のスーパーオフショット』(ニッポン放送)のエンディングテーマに使用されている。
- 小堺一機「I LOVE TOYS!」
- KOINONIA「More Than A Feelin'」(「おハガキ列島」前半BGM)[30]
- 益田幹夫「Skippin' High」(「おハガキ列島」後半BGM)[30]
- 1984年に『ザ・欽グルスショー』でおハガキ列島がスタートして以来、同コーナーのテーマ曲として一度も変更されることなく、25年に渡って使用され続けた。番組内では、「More Than A Feelin'」と「Skippin' High」をつないで、一つの曲であるかのように放送していた。
- マンハッタン・トランスファー「Four Brothers」(スーパーギャング『コサキン無理矢理100%』のオープニングテーマ)
- ハーブ・アルパート「Tijuana Taxi(ティファナ・タクシー)」(『コサキン増刊号』のオープニングテーマ)
- ダルファー「グランドスラム」(UP'sからJunk時代のオープニングテーマ)
- 渡辺貞夫「カリフォルニア・シャワー」(コント劇場の「ユニーク関根のユニークモーニング」のテーマ曲)
- ジェイ・ガールズ「イエロー・ワールド」(「門脇覚のヒゲ占い[31]」のテーマ曲)
- トム・ジョーンズ「よくあることさ」(「クイズコサキン知ってれホン」のテーマ曲)
- 水谷豊「故郷(ふるさと)フィーリング」(コント劇場の「俺の愛妻物語[32]」のテーマ曲、元々は水谷主演のドラマ『オレの愛妻物語』主題歌)
- 森田公一とトップギャラン「人間はひとりの方がいい」(コント劇場の「新・俺の愛妻物語」のテーマ曲)
- ジェリー藤尾「夫婦」(コント劇場の「2001年・俺の愛妻物語」のテーマ曲)
- Ola & The Janglers「Let's Dance」(「ラッキィ池田の2時2時ダンス[22]」BGM)
- 国生さゆり「バレンタイン・キッス」
- 野口五郎「19:00の街」
- 関根・小堺のそれぞれの夏の舞台公演が夜7時(19時)開演であるためチケット発売告知の際などに関根がよく歌う。毎年5 - 7月頃の情報局コーナーの恒例となっていた。関根と野口は『カックラキン大放送!!』で共演していたが、「ゴルフレッスンはスパルタだ〜」や「コーヒー飲みすぎで手が震えてる〜」「三井ゆり〜」など余計な一言を付け加えて歌っていた。
- ピチカート・ファイヴ「東京は夜の七時」
- 『コサキンDEワァオ!』が土曜18時台に放送されていた際、エンディングでもうすぐ夜の7時になることからネタとして使われた曲。関根が歌詞・曲調をうろ覚えで「東京7時夜7時、早く会いたい、彼とデート〜」と歌っていた。
- 川島なお美「シャンペンNo.5」
- 川島のデビュー曲で、同じく関根にうろ覚えされた曲。まるで聴いたことがあるかのように「シャンペンナンバーファーイブ!」と川島の物まねで歌っていたが、実際の歌詞に「シャンペンNo.5」という語句は1ヶ所もない。
- ハナ肇とクレージーキャッツの曲各種
- コミックソングとして使い勝手が良いため、CD大作戦にてよく歌詞を利用された。「ハィそれまでヨ」の最後の「ジャーン!」という不協和音は、ネタに強引にオチをつけるためにリスナーに多用されていた。また、ハナの「アッと驚く為五郎」の「あっ!」の部分が「勝野洋の帰宅第一声」等としてよく使われていた。
- イルカ「なごり雪」
- 歌詞の「(なごり雪も降る時)を知り〜」を「お尻〜」として使われた。
- 山崎ハコ「呪い」
- 中島みゆき「うらみ・ます」
- 歌詞の不気味さから一時「CD大作戦」で多用された。
ラビーの替え歌
番組当初から、小堺に内緒で録音して曲のコーナーでいきなり流すというドッキリ企画であったり、「意味ねぇイントロ&曲当てクイズ」「替え歌&イントロ当てクイズ」として独立した企画であったりなどで、関根が歌う替え歌を放送することは多々あった。曲当てクイズの場合、歌詞の大筋は有川、舘川らの構成作家が作り、関根がアドリブを付け足したりイントロや後奏で思いつきのセリフ・絶叫を作り上げる事が多い。放送時に初めて替え歌を聴かされる小堺が笑い転げることが多かったが、関根も大半は録音したことを全く覚えておらず、自分で笑ってしまうこともしばしばあった。『快傑アドレナリン』以降、曲当てクイズは消滅し替え歌も作られなくなったが、2000年代になって替え歌のリバイバルブームが起こり、往年の替え歌が久しぶりに放送されたり新曲が作られたりした事があった。総計で200曲以上にも及ぶレパートリーが存在している。
- 「アゲイン」(原曲・渡辺徹「AGAIN」)
- 「パパは変人」(原曲・高島忠夫「パパは恋人」)
- ほとんど原曲で、関根は随所に高島忠夫の声まねで「イエイ!」と合いの手を入れているだけ。よく聞くとそれぞれの「イエイ」の感情の込め方が違っていたり、フェイントをかけたりなど、「アゲイン」からの進化が見られたが、最後は「イエーイ、イエすみなさ〜い」と、やはりダジャレであった。
- 「ラビーのプロフィール」(原曲・倉沢淳美「プロフィール」)
- プロフィールと言いつつも、実際は関根が好き勝手なことを言っているだけで、内容は全く意味がない。
- 「ヤラシー」(原曲・井上陽水「ジェラシー」)
- タイトル通り、関根が「ヤラシー」と思ったことを羅列した歌で初期の名作の一つ。ラストで絶叫するまではほぼ原曲に合わせて歌っている。最後は小堺が「バン!」と言って関根を撃ち、関根が悲鳴をあげて強制的に終了される。小堺が替え歌に参加している数少ない曲である。
- 「我が良き友よ」(原曲・かまやつひろし「我が良き友よ」)
- 「竜雷太のディープキッステレフォンサービス」(原曲・『これが青春だ』の同名アルバムより“大岩雷太先生の訓示”)
- スタッフが制作したものではなく、初期の投稿ネタの傑作。竜雷太のせりふの上に関根が「(人を信じない奴を俺は嫌いだ!!)ブチュ〜、(人に騙されるのを恐れる余り、人を信じない奴を俺は嫌いだ!!)チュパァ〜…(若者としてまったく認めない!!)ウゥ〜ン、ディ〜プ…」とウィスパーをかぶせる。実際のテレフォンサービスとはまったく関係がない。
- 「100%魚」(原曲・シブがき隊「100%…SOかもね!」)
- 「意味ねーイントロ&曲当てクイズ」の初回に放送。文字通り魚のことを歌っているのだが、最後が「トカゲは爬虫類ルイルイルイ、太川陽介、ヒゲ濃いぞー!毎日剃ってる!」と全く意味のない絶叫のため、リスナーは「100%太川陽介ヒゲ濃いぞ」と答えて不正解。しかし、この答えももっともだということで、その後は曲名は「〜ヒゲ濃いぞ」でも可となった。曲当てクイズ初期は、「100%…SOかもね!」を原曲とした作品が多かった。
- 「黄身たち白身たち」(原曲・西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」)
- 「エロイヨ」(原曲・徳永英明「風のエオリア」)
- 「ヤラシー」の続編とも言うべき、裏関根の本領を発揮した傑作。やはり「エロい」と思ったことを羅列している。日本武道館で行われたイベントでは、関根が「黄身たち白身たち」などと共に熱唱し、1万人のリスナーが「タンパクシツ〜!」「エロイヨー!」と絶叫した。後年ラビーの替え歌リバイバルブームに乗じてセルフリメイクした「エロイヨ2003」という曲もある。
- 「丹波哲郎ヨーロ霊ヒー」(原曲・「山の人気者」)
- 「おいら見た事ないのにヨーロ霊ヒー、死んだ事ないのにヨーロ霊ヒー…」と、"霊界の宣伝マン"と呼ばれた丹波哲郎をテーマにした曲。この曲を聴いた小堺は苦しくなるほど笑いころげた。最後は「死後の世界はヨーロ霊ヒーッ!」と絶叫して締めている。
- 「トーテムポールの上から2番目の顔」(原曲・谷村新司「昴」)
- 歌というより絶叫に近く、初めにぼそぼそと何か言っていたかと思うとサビに入る前に「ああ〜トーテムポールの上から2番目の顔〜!イエーイ、ジャーン!!」と突然終わってしまう。原曲とリンクしているのは、この「ああ〜」だけであった。
- 「君はニラより美しい」(原曲・布施明「君は薔薇より美しい」)
- 「ぼくらの水木一郎」(原曲・水木一郎「ぼくらのバロム・1」 - 特撮テレビ番組『超人バロム・1』主題歌)
- 「グッドナイト・ヤギ」(原曲・ザ・キング・トーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」)
- 曲自体は「ヤギの目の上に眉毛を描いて走って逃げろ」「ヤギのあごひげを剃って、全身も剃っちゃえ」というような意味ねぇもの。曲当てクイズで出題された際に小堺が「簡単です」というヒントを出したが、リスナーは原曲を知らなかったのか、自信満々に「ヤギ!」とだけ答えて不正解。「簡単すぎる」とスタジオ内は爆笑、翌週のおハガキ列島でも別のリスナーがこのことをネタにし、気がつけば番組内で「ヤギブーム」が巻き起こり、のちに「ヤギ」というタイトルのコサキン本が出版されるまでになった。また、この数週間後の意味ねぇイントロクイズで、リスナーが最初から正解を諦めて[18]「田中邦衛が歌う、『俺の頭はハト臭い』」と答え、ヤギと共に「ハトブーム」が発生した。
- 「俺はグレート13歳下のダンサー」(原曲・水木一郎「おれはグレートマジンガー」)
- 「ミートボール」(原曲・トム・ジョーンズ「サンダーボール」 - 映画『007 サンダーボール作戦』主題歌)
- ミートボールや肉団子に対する想いを情熱的に歌っている。「前歯で割け!」「奥歯で砕け!」「丸ごと飲め!」そしてラストの「揚げ立てだったのね、ウワーッ!」という絶叫は必聴。原曲はライブ盤を使用しており、観客の拍手で曲が締められている。替え歌の中でも特に完成度が高いと言われる一曲。
- 「有川」(原曲・かぐや姫「神田川」)
- 有川周一の独身時代の生態を赤裸々に歌い上げた内容で、あまりの歌詞のひどさに関根が途中で吹き出してしまった。きちんと歌えたテイクもあるが、関根曰く「真面目に歌うと生々しすぎてかわいそうなので」、吹き出したテイクの方が放送された。'90年12月実施の「意味ねー替え歌リクエストベスト10」では、真面目に歌えたテイクの方が放送された。続編として有川周一の結婚後を題材とした替え歌「有川2」も存在する。
- 「贈る秋葉」(原曲・海援隊「贈る言葉」)
- 「お下劣体操第一」(原曲・「ラジオ体操第一」)
- 「関根勤のウィスパーカード」(原曲・「長嶋茂雄のウィスパーカード」)
- 原曲と同じくアメリカ民謡の「峠のわが家」をBGMに、関根が「僕、浅井企画の関根勤です。君、お便器?…ポンキッキ…」と意味ねぇウィスパーをかぶせる。
- 「新陳代謝よありがとう」(原曲・水前寺清子「ありがとうの唄」)
- 「スタンド・バイ・におい」(原曲・ベン・E・キング「スタンド・バイ・ミー」)
- 「真夏の夜の暑い」(原曲・松任谷由実「真夏の夜の夢」)
- 例年より熱帯夜が多くて寝られない夏に、普段クーラーを付けない関根が耐えきれずにクーラーを付けて、一気に熱量が失われていく様子を歌った。替え歌(曲名当て)クイズで出題されたが、曲名が日本語になっていないため、絶対に正解出来ない。
- 「田中邦衛の頭は鳩臭い」(原曲・寺尾聰「ルビーの指環」)
- 「意味ねぇイントロ&曲当てクイズ」でリスナーが言ったネタを元に作られた。歌詞では「今日も4羽分の臭い」と表現されている。元々前述のリスナーの思いつきのネタなので、「鳩臭い」という語句には何の意味も根拠もない。後年のコサキンでは堀内孝雄の方がよっぽど顔が鳩臭いということになっていた。
- 「若気のいい身体」(原曲・南佳孝「モンロー・ウォーク」)
- 小堺が独身時代に現在の夫人(当時は彼女)が住んでいた代々木上原で「何か」があったことを関根が見事に歌い上げている。「いい身体」とは、小堺が若い頃からこれといって何もトレーニングなどしていないのに、放送当時は中途半端にガッシリした体格で、よく「ビールとビデオでいい身体」と揶揄されていた事に由来する。最後は番組で小堺と噂になった女性(一名だけ「お友達」が混ざっている)の名前を関根がすべて叫んで終了する。
- 「擬音の舞」(原曲・アラム・ハチャトゥリアン「剣の舞」)
- 有名な旋律に乗って関根が意味不明な擬音を絶叫し続けるもの。関根によると、子供の頃に幼馴染の家で「剣の舞」のLPレコードを45回転でかけながらバスタオルを巻いて踊り狂ったことがあり、その頃からイメージがあったらしい。
- 「第イー」(原曲・ベートーヴェン『交響曲第9番・歓喜の歌』)
- 当時関根が出演していたNTV系「MOVE TOWN 2」のプロデューサーの口癖「イー(本当は「エー」なのだがあまりに声が甲高く、周囲にはこう聞こえた)」だけで歌い上げた。このプロデューサーは、倒語(逆さ言葉)を多用する古い業界用語を使う人物で、例えば番組内で紹介した映画「ドライビング・ミス・デイジー」の内容を「ジンガイ(外国人)のチャンバー(老婦人)が、ルークマ(車)に乗って、運転手とゴーサイ(最後)には、ダチトモ(友達)になる」と説明していたことから、よくリスナーのネタにもされていた。
- 「チャラーン」(原曲・ベートーヴェン『交響曲第5番・運命』)
- 「第イー」と同じ手法だが、こちらは林家こん平の絶叫「チャラーン!」で歌い上げた。派生作品に「仮面チャラーン(原曲:「レッツゴー!!ライダーキック」)」、「伊勢佐木町チャラーン(原曲:青江三奈「伊勢佐木町ブルース」)」などがある。これがきっかけかは不明だが、こん平をゲストに迎えたイベント「コサキン卓球大会」も開催された。
- 「ぎんざのNOWの物語」(原曲・石原裕次郎&牧村旬子「銀座の恋の物語」)
- 「金やんイブ」(原曲・山下達郎「クリスマス・イブ」)
- 「小池朝雄だクリスマス」(原曲・ビング・クロスビー「ホワイト・クリスマス」)
- 「加納竜ボウリング」(原曲・ザ・タイガース「シーサイド・バウンド」)
- テレビ東京系「ザ・スターボウリング」に出演していた加納竜について歌った作品。「マイボールやマイシューズを持っているのに司会のクロベェ(黒部幸英)に負けちゃった」「今でも『刑事犬カール』のカールと親交を深めている」といった、いわゆる名指しネタ満載の一曲。間奏での関根の絶叫も聴きどころ。
- 「首の花飾り」(原曲・ザ・タイガース「花の首飾り」)
- 「おまのいぬわりさん」(原曲・童謡「いぬのおまわりさん」)
- 終始「おーま、おーま、おーまおまー」と言っているだけで、最後に「この歌のタイトルは、おまのいぬわりさーん」と絶叫しているという、意味の無さにも程がある作品。関根自身も「替え歌200曲の中で、一番ひどいんじゃないの!?」と認めていた。
- 「ナイトスケベストリート」(原曲・西城秀樹「ブーメランストリート」)
- 同名のリスナー投稿ネタを元に作られた。原曲も情熱的に激しい曲であったが、ラビー版は公然とイチャイチャするカップルに向けた激しい怒りがいつの間にか「オレもやりて〜よぉ!」とオケベ心丸出しの一曲に仕上がっている。
- 「サウンド・オブ・ウルサイ」(原曲・サイモン&ガーファンクル「サウンド・オブ・サイレンス」)
- イントロのギターのアルペジオにあわせて「ピンポンピンポン…」と小さな声でボソボソ歌い始め、二番からは「唇ギター」に変わり、それが次第に激化し、フンガフンガ言って訳が判らなくなり、「あ、ごめんガーファンクル、コード間違えちゃった」と言って疲れ果てて終わるというもの。あまりのうるささに小堺が笑いすぎてぐうの音も出なかった珍曲。
- 「アッ・ブラッ!ブラッ!ブラッ!」(原曲・米米CLUB「ア・ブラ・カダ・ブラ」)
- 全編にわたって「ぶーーーーっ!!」、「トーケー!!」、「イーバリバリバリバリバリ」、「ウンポコー!ウンポコー!」と奇声を上げ続け、最後に松岡憲治の物まねで「よろしゅうお頼み申し上げますーっ!!」と絶叫して終わる。最早原曲が跡形も無くなっていて、替え歌ですら無い。余りのひどさにスタジオに居合わせた全員が「ひーっでぇーっ!!」と絶叫した怪作である。原曲と共通する部分は冒頭の「ア・ブラ」の部分だけである。
- 「ワインレッドのほくろ」(原曲・安全地帯「ワインレッドの心」)
- 「ら゛ら゛ら゛」(原曲・石井明美「CHA-CHA-CHA」)
- 「ふんころがしのタンゴ」(原曲・チェリッシュ「てんとう虫のサンバ」)
- 「スイカでヘディング、あ〜痛い」(原曲・河合奈保子「スマイル・フォー・ミー」)
- 「こむら返りで、シュビビビビン!」(原曲・岩崎宏美「ロマンス」)
- 「2億4千万の名古屋コーチン」(原曲・郷ひろみ「2億4千万の瞳」)
- 「魚市場のかほり」(原曲・布施明「シクラメンのかほり」)
- 「リアスの海岸物語」(原曲・サザンオールスターズ「チャコの海岸物語」)
- 「学生街のボディービルダー」(原曲・ガロ「学生街の喫茶店」)
- 「バンブーダンス」(原曲・アイリーン・キャラ「フラッシュダンス」)
- 「24000の馬場チョップ」(原曲・藤木孝「24000のキッス」)
- 「ツタンカルメン」(原曲・ピンク・レディー「カルメン'77」)
- 「双羽黒はゲルマン魂を見習え」(原曲・西城秀樹「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」)
- 「ウナギじゃないのよドジョウは」(原曲・中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」)
- 「軍人将棋のイラツキ」(原曲・久保田早紀「異邦人」)
- 「わたしのカレーはマジェテ食べてね」(原曲・麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」)
- 「涙のさよならツーラン」(原曲・ピンク・レディー「渚のシンドバッド」)
- 「夏休みを境に不良少女になったメモリー」(原曲・近藤真彦「ブルージーンズメモリー」)
- 「歯磨きのあとのポンジュースはまずい」(原曲・西城秀樹「ギャランドゥ」)
- 「サトウヒロシさんの悩み」(原曲・ザ・キング・トーンズ「グッド・ナイト・ベイビー」)
- 「気持ち悪いの詩」(原曲・さだまさし「防人の詩」)
- 「日焼けヒリヒリ」(原曲・笠置シヅ子「東京ブギウギ」)
- 「味噌」(原曲・中条きよし「うそ」)
- 「悪い炭水化物同士」(原曲・松田聖子「赤いスイートピー」)
- 「加藤嘉の春」(原曲・千昌夫「北国の春」)
- 「いとしのペリー」(原曲・サザンオールスターズ「いとしのエリー」)
- 「森監督は岩顔だった」(原曲・光GENJI「STAR LIGHT」)
- 「Don't Stop Listen 女性リスナー」(原曲・TUBE「シーズン・イン・ザ・サン」)
- 「あまっちゃうナ」(原曲・山本リンダ「こまっちゃうナ」)
- 「沢村栄治」(原曲・舟木一夫「銭形平次」)
- 「ら゛バンバ」(原曲・ロス・ロボス「ラ・バンバ」)
- 「大髪型」(原曲・クリスタルキング「大都会」)
- 「ビューティフル犯人」(原曲・田中星児「ビューティフル・サンデー」)
- 「お髭のチャチャチャ」(原曲・「おもちゃのチャチャチャ」)
- 「ヌードと裸と全裸とスッポンポン」(原曲・河島英五「酒と泪と男と女」)
- 「リック・アストリーの歌」(原曲・リック・アストリー「トゥギャザー・フォーエバー」)
- 「22才の爆発」(原曲・風「22才の別れ」)
- 「土井ボーイ」(原曲・カイリー・ミノーグ「トイ・ボーイ」)
- 「イミテイション・ヘアー」(原曲・山口百恵「イミテイション・ゴールド」)
- 「だいじょうぶマイ・ワンちゃん」(原曲・加藤和彦「だいじょうぶマイ・フレンド」)
- 「ハゲルヤ」(原曲・黛ジュン「恋のハレルヤ」)
- 「見えない」(原曲・安全地帯「月に濡れたふたり」)
- 「英々(ひでひで)」(原曲・「アイアイ」)
- 「林与一は自然食志向」(原曲・なぎらけんいち「いっぽんでもニンジン」)
- 「おおみどりは姉妹」(原曲・「おお牧場はみどり」)
- 「帰ってビロビロ」(原曲・松村和子「帰って来いよ」)
- 「ソウルオリンピック警部」(原曲・ピンク・レディー「ペッパー警部」)
- 「高橋の英ちゃん」(原曲・「山寺の和尚さん」)
- 「川津祐介骨盤体操」(原曲・「森へ行きましょう -Szła dzieweczka-」)
- 「カメラマン賛歌」(原曲・「雪山賛歌」)
- 「さんま・しのぶハイド」(原曲・フランキー・レイン「ロー・ハイド」)
- 「ロックンいつの間にかウィドウ」(原曲・山口百恵「ロックンロール・ウィドウ」)
- 「鍛えてTONIGHT」(原曲・田原俊彦「抱きしめてTONIGHT」)
- 「武道館のマーチ」(原曲・水前寺清子「三百六十五歩のマーチ」)
- 「武道館ブルース」(原曲・高石友也「受験生ブルース」)
- 「夜明けのルー」(原曲・小泉今日子「夜明けのMEW」)
- 「麻雀牌」(原曲・長渕剛「乾杯」)
- 「小島一慶Z」(原曲・水木一郎「マジンガーZ」)
TP
「コサキンDEワァオ!」になったあたりから、過去に出演したゲストの発言等がサンプリング音源で効果音のように番組中に挿入されることがあった。特に出演者が気に入ったTPはヘビーローテーションされ、「意味ねぇCD大作戦」でも頻繁に活用されていた。
- 「あんた達40になったんでしょう?」「踏んづけてやる!」「どんなタマなの?」(ピーコ)
- 「けっこう、いいタマよ」(おすぎ)
- 「スジですね!」(好きなおでんの具)「何でもねぇんだよ」(宇津井健)
- 「俺もわからんよ」「よく知ってるな〜」「関根さん、最高!」「行こうよ、アメリカへ」「並じゃない」「ギュッ、パーン、トーン」ほか(千葉真一)
- 「おぱいこ」(「クレヨンしんちゃん」)野原ひろし役・藤原啓治)
- 「もっと好きになっちゃった、カズチン」(ともさかりえ)土肥温泉(前述)で小堺が当時の彼女に言われた台詞を、小堺がお気に入りだった、ともさかに言わせたもの。
- 「パパぁ〜、パンプキンプリン食べる?」(優香)
- 「関根さん、がんばって!」「関根さん、ちゃんとしなさい」「Mailbox」(リサ・ステッグマイヤー)
- 「感度で勝負です」(坂下千里子)
- 「下がってよろしい」(菊川怜)
- 「クリンチ、ぎゅっ」「男ってバカね」(川村ひかる)
- 「関根さん、注意されてばっかりですよ」(山口もえ)
- 「バーカ、三日くらい寝てろ」「吐け、さあ吐け」「マントヒヒ」(小池栄子)
- 「ダメですね」「ダーメッ」(MEGUMI)
- 「たまごっ」「こんちゃん」「モテチン」「ポッチャリマッチョ発見しました」(堀越のり)
- 「(津川雅彦で)どうしてわかった」(コージー冨田)
- 「めっちゃ、きれい」(三倉茉奈・佳奈)(おすぎ・ピーコ)
- 「スケベ!」(松下由樹)
- 「調子に乗ってました」(石田純一)
- 「何だね、またかね」「ん?」(北村総一朗)
- 「アタックチャンス!!」(児玉清)
- 「いいや、本当いい番組だわ」(稲川淳二)
- 「いいねぇ」「これ最高じゃない」「タスケテ〜!!」(梅津栄)
- 「この野郎、吐けこの野郎、とぼけやがって」(あき竹城)
- 「チビリコマンボ」(ピーター)
- 「え?」「鹿の目ブラック」(なぎら健壱)
- 「(CD大作戦の無意味さに対し)これ毎週やってるの?!」「ヤな番組だな」(中尾彬)
- 「あと、ごはんですよ」「しらすの干からびたの何でしたっけ」「ワレワレハ、地底人ダ」「カツラをかぶってないから」「パクッ」ほか(小林綾子)
- 「あら、(あら、あらどうしちゃったの)」「いやだ、もうちょっと、イヤーン」(IKKO)
- 「見ちゃうよ」「逃げたら承知しねーぞ」(木村大作)
- 「アイヤー」「フダァッ!!」「ここにヒゲがはえてます」「(ブスッ)アーッ!!」(さかなクン)
- 「いや、あーでもー、あー、今ーでも、うわっ」「いや、もー、あのー、そうですね、エヘッ」「ヌクだよ」(温水洋一)
- 「うん、ちょっと違いますねぇ」「ちょっとぉ〜、違うんじゃないですか?」「これ、あれですか?何だって言うんですか?」(和田昭治)
テレビ番組
1993年10月から半年間、TBS系列全国ネット『ザッツ!』枠で、コサキンの企画をそのままテレビ番組にアレンジした『コサキンルーの怒んないで聞いて!!』が放送された。司会は小堺・関根、ルー大柴が務めた。構成作家にはコサキン担当の4人のほか、君塚良一も迎えている。
TBSラジオでのコサキン番組終了後、1年の空白を経て、2010年4月からテレビ朝日が製作して同局系列の衛星放送であるBS朝日で放送[34]されるテレビ番組『コサキンDEラ゛ジオ゛!』が開始された(2013年4月まで)。小堺と関根のみが出演(ゲストを迎える場合有り)、横に控える舘川(構成)・鶴間・有川(共にブレーン)が資料提供や笑い声で参加、ラジオスタジオ風のセットに2人が対座してフリートークやナンセンスギャグ系の企画コーナーを進める構成など、同番組はテレビながらもラジオ時代の「コサキン」番組を色濃く継承した方法で製作されていた。
2014年10月から2015年9月までは、BSフジにて『コサキン道中 ぶらっぶらっぶらっ!』が放送された。旅番組の体裁を採ったバラエティ番組であるが、番組の流れとは関係なく、ラジオでのコサキン同様の即興コントのようなやり取りがしばしば繰り広げられていた。タイトルの「ぶらっぶらっぶらっ!」は、コサキンのコントに登場する意味のない擬音「ブラッブラッブラッ」に、「ぶらぶら歩く」という意味をかけていた。
2016年10月からは、MONDO TVにて『コサキンのラジオごっこ』が放送されている。『コサキンDEラ゛ジオ゛!』と同様のラジオ収録風の番組スタイルで、投稿を含めた写真ネタを中心にしてトークを繰り広げる[11]。
番組内容の詳細はそれぞれの当該記事を参照のこと。
番組関連の公開イベント
- コサラビファンの集い(1982年12月5日収録、9日放送) - TBSホール。ゲスト・斉藤清六、中森明菜。
- 番組初の公開イベント。番組開始から1年が経過しリスナーも増えてきたことで「リスナーの集いをやろう」という機運が高まり、当時のプロデューサーからの「リスナーから500通の投書を集めろ」という指令を達成したため開催が決定した[35]。この後も数回、リスナーの集いが開催された。
- 高尾山ハイキング大会(1984年4月1日収録) - 高尾山。
- 前日の放送の最後でいきなり告知され、しかも当日がエイプリルフールであるため、リスナーが集まるのか、それ以前に本当に開催されるのかが懸念されたが、実際には約100人のリスナーが集まった。
- ハニワだヨ!全員集合(1984年8月3日収録) - 富士急ハイランド。
- 番組内で「ハニワブーム」が起こっていたころに開催。ハニワをテーマにした工作の展示会や、リスナーによるハニワの仮装で盛り上がる企画であったが、一般の来園客に怪訝な目で見られる結果となってしまった。
- コサキンスポーツフェア
- 第1回は1985年8月29日開催の野球大会。小堺チームと関根チームの対戦で、スポーツには無知なはずの小堺チームが勝利した。
- 第2回は1987年8月8日開催のバスケットボール大会。女性リスナー限定のイベントであった。会場は関根の母校である東京都立八潮高等学校の体育館。
- 第3回は1988年8月30日開催の卓球大会。芸能界の卓球の実力者として知られる林家こん平をゲストに迎えて行われた。
- コサキン無理矢理inPIT(1988年4月7日収録、13日放送) - 汐留PIT。ゲスト・森川由加里、佐野量子。
- コサキン無理矢理生放送(1988年5月4日放送) - TBSホール。番組初の公開生放送。
- コサキン無理矢理inPITでのアクシデントに対するお詫びとして実施された。このイベントでは浅井企画の浅井良二社長が出演し、「次は武道館で、もっとしっかりとしたイベントをやろう」と発言した。浅井は番組内でせっかちな人物として知られており[36]、この発言も同様の気の早いコメントと思われたが、2ヵ月後には本当に武道館イベントが開催されることが決定した。
- コサキン無理矢理in武道館(1988年12月21日収録、28日放送) - 日本武道館。ゲスト・沢口靖子、海老一染之助・染太郎、佐野量子。
- コサキン年忘れカーニバル(1991年12月28日放送) - TBSホール。
- リスナー発案企画として有川周一が欽ちゃんの第35回全日本仮装大賞の予選に挑戦し合格したため、本番への出陣式と直前リハーサルを兼ねて実施された公開録音。詳細は有川の項目を参照のこと。
- コサキンを捜せ!inとしまえん(1992年3月8日収録、14日放送) - としまえん。ゲスト・ルー大柴、ラッキィ池田・ウド鈴木。
- コサキン10周年と番組本『ひとみと悦子』発売記念を兼ねたイベント。宝探しゲームのように、園内に設置された謎を順番に解いていくと最終的にコサキンに会える仕組みだったが、ほぼ全員がゴール出来てしまいパニックに。ウドの初登場回でもあったが、迷子になってしまい園内放送で呼び出された上、この放送に対して「これはジャンピングチャンスか」と反応するなど、天然ぶりを余すところなく見せつけるデビューとなった。「GoGo遊園地ツアー」も同時開催。
- 第1回ミスコサキンコンテスト(1992年5月31日収録、6月6日放送) - TBSホール。ゲスト・マルシア、水木一郎、志茂田景樹。
- 第2回ミスコサキンコンテスト(1994年7月11日収録、16日放送) - TBSホール。ゲスト・冠二郎、宮沢千絵。
- コサキン1000回記念スペシャル(1996年9月23日収録、26日放送) - TBSホール。ゲスト・水木一郎、冠二郎、西村知美、ルー大柴、福島弓子。
- コサキンビデオ『マントヒヒ』発売決定記念公開イベント(1998年9月23日放送) - TBS第1スタジオ。ゲスト・木村郁美(Aコース)、近藤千裕、金子君(電話での登場)(Bコース)。
- コサキンビデオ一万本突破大感謝祭「マントヒヒDEワァオ!」(1999年4月3日収録、7日放送) - 九段会館。ゲスト・島津ゆたか、青木静香、高乃麗、NITRO(優香、吉井怜、堀越のり、唐沢美帆)、木村郁美。
- コサキン大感謝イベント20周年DEワァオ!(2001年11月18日収録、21日放送) - 渋谷公会堂。ゲスト・水木一郎、冠二郎、佐々木功、川村ひかる、坂下千里子、コージー冨田、西田たか子、飯尾和樹。
- LIVE954 ラジオチルドレン、深夜の逆襲!(2002年3月3日収録) - 横浜アリーナ。TBSラジオ夜間番組の共同イベント。
- さよならTBSホールスペシャルJunk真夜中のカレーパンDEワァオ!(2003年3月18日収録、19日放送) - TBSホール。ゴスペラーズの同じJunkの番組「ゴスペラーズ 真夜中のコーラス」と連動。ゲスト・井上和香。
- 放送25周年コサキンEXPO・六本木ヒルズDEワァオ!(2006年10月6日-15日) - 六本木ヒルズ森タワー52階展望台「東京シティビュー」内特設スペース。このうち10月6日には公開録音、放送25周年の記者会見が行われた。(司会:ルー大柴、関根麻里)。ゲスト・水木一郎、黒沢薫(ゴスペラーズ)、秋本治。なお、このイベントに関しては、TBSテレビの王様のブランチの中でも紹介された。
- 放送終了記念イベント「さよならコサキン・ふれあい会」(2009年3月22日収録) - 赤坂サカス
※上記以外にも、小規模なイベント(主に番組本の発売時の記念イベント)が多数実施されている。
関連商品
番組発行の書籍
番組から発行している書籍は、「コサキン本( - ぼん)」とも呼ばれる。
- コサキン小堺一機、関根勤のら゛(三才ブックス、ISBN 4-915540-01-4、1987年)
- コサキンのタクシーの運転手と客の会話 呂゛(日音、ISBN 4-543-02513-X、1988年)
- コサキンの意味ね〜ベスト3 おぴょ(1)(日音、ISBN 4-543-02516-4、1988年)
- コサキンの意味ね〜ベスト3 おぴょ(2)(日音、ISBN 4-543-02517-2、1988年)
- コサキン漫画 ヤギ(日音、ISBN 4-543-02525-3、1989年)
- コサキン漫画 ヤギGOLD(日音、ISBN 4-543-02539-3、1990年)
- 「ヤギ」の成功により製作された続編。タイトル通り、カバーは金色になっている。巻末には「ルー大柴のパックインミュージック」で披露されたポエムや、「ラッキィ池田の誌上2時2時ダンス」も掲載。
- コサキンのひとみと悦子〜BURN THE BRIDGE BEHIND YOU〜(シンコーミュージック、ISBN 4-401-61361-9、1992年)
- コサキンの一機と勤(シンコーミュージック、ISBN 4-401-61417-8、1993年)
- 従来のネタ中心の構成とは違い、小堺・関根の秘蔵写真、インタビュー、対談で構成。コサキン本唯一のハードカバー仕様。
- コサキン用語辞典 アハァ〜ンとスナッキーと悶え(興陽館、ISBN 4-906113-98-2、1993年)
- タイトルはコサキンソングの代表的なフレーズをまとめたもので、鶴間の「リスナーが予約する際、店員に言いづらいタイトルにしたかった」という意図から。「コサキン用語辞典」の作品を中心に構成。巻末には、関根が高校時代に書いた作文「クレオパトラと彼女をとりまく英雄たち」を掲載。
- 酔(すいむ)夢(興陽館、ISBN 4-87723-112-9、1994年)
- コサキン★コント集 右(興陽館、ISBN 4-87723-113-7、1995年)
- コサキン★コント集 左(興陽館、ISBN 4-87723-114-5、1995年)
- 「コサキンコント劇場」で放送されたコントの台本を掲載。「右」と「左」は収録作品が異なる。通常は「上・下」と分冊されるところを、わざと「左・右」にしてある。
- コサキン新語辞典 ポヨヨ〜ン(興陽館、ISBN 4-87723-121-8、1997年)
- タイトルは、コサキンの初代ディレクターだった通称「はだしの杉浦」が、コサキンに寄せたメッセージで「ポヨヨ〜ン」と連発していたことから。「コサキン新語辞典」の作品を中心に構成。写真の違う3パターンのカバーが用意された。この本から、番組リスナー100%編集協力による、コサキン年表が掲載されるようになった。
- コサキンことわざ辞典 モレッ(興陽館、ISBN 4-87723-129-3、1999年)
- タイトルは、コサキンのコント内で多用された何かが漏れるときの擬音。「コサキンことわざ辞典」の作品を中心に構成。
- コサキン本タイトル集 クスノ(興陽館、ISBN 4-87723-130-7、2000年)
- 本のタイトル案(という名目の何でもありのネタ)を集めただけの本として発行。副題は、コサキンの放送作家の楠野一郎が、当時既に番組を離れていたにもかかわらず、かなりネタに使われていたことに由来。楠野ネタだけで1コーナー設けられている。そして、最後の1ページだけ有川、剛州、村上ショージの集合写真のタイトルをつけるというネタだけが掲載された。
- 新・コサキン★コント集 ( )カッコ(興陽館、ISBN 4-87723-134-X、2000年)
- タイトルは、カッコ内に好きなタイトルをつけてくれ、ということから。「コサキンコント劇場」で放送されたコントの台本を掲載。
- 続・コサキン★コント集 「 」かぎカッコ (興陽館、ISBN 4-87723-135-8、2001年)
- ( )カッコの続編。
- コサキンの4548(興陽館書店、ISBN 4-87723-136-6、2001年)
- タイトルは小堺と関根の当時の年齢をつなげたもの(次の4649も同様)。番組20周年記念の意味もあり、表紙は金色、300ページ以上のボリュームを誇る。「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。
- コサキンのシュポ本(ぽん) 4649(興陽館、ISBN 4-87723-138-2、2002年)
- 「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。
- コサキンの中2の放課後 2人合わせて100才(興陽館、ISBN 4-87723-146-3、2005年)
- タイトルは、コサキン特有の「中学生トーク」から。「おハガキ列島」の作品を中心に掲載。
番組外で発行された書籍
- 小堺一機関根勤の社会学 ベターチョイス・ライフのすすめ(CBSソニー出版、ISBN 4-7897-0198-0、1985年)
- 小堺、関根の名前は出ているが、山中伊知郎との共著で、コサキンの番組本ではない。コサキンのコントやショートギャグ、小堺と関根のそれぞれの長編作品を収録。
- 関根勤・ルー大柴 100歳の挑戦(飯塚書店、ISBN 4-7522-6003-4、2004年)
- 山中伊知郎の著書。
その他の商品
- 放送1000回記念CD-ROM コサキンスペシャル(興陽館、ISBN 4-87723-117-X、1996年)
- コサキンパンチ!(興陽館、ISBN 4-87723-124-2、1997年)
- コサキンVIDEO マントヒヒ(興陽館、ISBN RV-004、1998年)
- タイトルは、番組で発覚した小堺の笑いのツボから。少年時代の小堺が見たTV番組でのマントヒヒの映像、およびそのときのナレーションが小堺の笑いのツボに入ったという。一時期は関根やリスナーに声色を変えて「マントヒヒ!」と絶叫されると、小堺が笑い転げて番組の進行が止まってしまう、ということがあった。
- コサキンVIDEO シュポッ!(興陽館、2002年)
- タイトルは瓶の栓を抜く音から。初出は1995年放送の、リスナーが様々な効果音のものまねを披露する企画「コサキンSEナンバー1」のお題としてであるが、その後もSEに様々な含みを持たせてCD大作戦などに多用された。
- コサキンVIDEO 枝付き干しブドウ(興陽館、2002年)
- タイトルは、ゲスト出演した千葉真一が、枝付き干しブドウについてパワーの源である旨を熱く語っていたことから。
- 放送20周年記念CD-ROM コサキン全集パッ本(興陽館、ISBN 4-87723-140-4、2002年)
- 発売当時、既に絶版になっていた「ら゛」から「一機と勤」までの番組本をまとめたもの。
- コサキンDVDシリーズ1 コサキン仮面(興陽館、ISBN 4-87723-143-9、2004年)
- 1986年に撮影・上映会が行われた、リスナー参加映像作品の復刻版。ヒーロー物を意識しているが、内容はコサキンらしく支離滅裂なギャグに終始している。「浅井企画ニセ社長」こと川岸咨鴻[10]や、リスナー時代の楠野一郎も参加している。
- コサキンDVDシリーズ2 有川くんの絶叫 〜GO!GO!遊園地ツアー〜(興陽館、ISBN 4-87723-144-7、2004年)
- CD コサキンコント劇場(1)服と犬(興陽館、ISBN 978-4-87723-151-4 2007年)
- コサキンコント劇場のCDのサブタイトルは、すべて前半が小堺、後半が関根を連想させる言葉となっている。
- CD コサキンコント劇場(2)長男と末っ子(興陽館、ISBN 978-4-87723-155-2 2007年)
- CD コサキンコント劇場(3)代々木上原〜南砂町(興陽館、ISBN 978-4-87723-164-4 2009年)
- CD コサキンコント劇場(4)太ももと昆虫(興陽館、ISBN 978-4-87723-166-8 2009年)
- CD コサキンコント劇場(5)肉とカレー(興陽館、ISBN 978-4-87723-167-5 2009年)
- CD コサキンコント劇場(6)自転車とゴルフ(興陽館、ISBN 978-4-87723-171-2 2010年)
- CD コサキンコント劇場(7)恋の先輩と雨男 (興陽館、ISBN 978-4-87723-175-0 2011年)
注釈
- ^ http://www.tbs.co.jp/tbsannual/ctbs.html
- ^ 会社としては、現在の東京放送ホールディングス。放送局としては、現在のTBSテレビ、TBSラジオ&コミュニケーションズ。
- ^ サンケイスポーツ2009年2月3日TBSラジオ「コサキン」27年の歴史に幕、同年2月7日放送分
- ^ 例えば小堺の持ち歌である『マージナル』を紹介時に、「マジになるんですよ、小堺一機が。マジになる、『マージナル』小堺一機」という要領であった。
- ^ 本人いわく、「予約開始の時点で予約しているにもかかわらず、そのことを忘れて発売開始でまた買ってしまう」とのこと。
- ^ a b 「なぜかクラスの女の子がスカートをめくって、中を見せてくれた」「女の子に『今日両親がいないから家に来ない?』と誘われた」「土肥温泉に当時の彼女と行ったが、その後彼女にストーカーまがいの行為をされトラウマとなった」「若手時代、収録の合間に代々木上原の彼女(前述の彼女とは別)の家に行き『何か』があった」など、モテエピソードが多数ネタにされていた。一時期関根は小堺を「恋愛の先輩」と呼んでいた。
- ^ 雄犬のライルを溺愛する余り「結婚してくれ」「雌犬になってお前の子犬を産みたい」「松阪牛になってお前に食べられたい」などと言って夫人に「気持ち悪い」と言われる、など。
- ^ 参考(2005年1月時点の公式サイトのアーカイブ)
- ^ 宇津井が『スーパージャイアンツ』に主演した際、全身タイツを着用した彼の股間が目立っていたことが特にネタにされた。
- ^ a b c d e 名前は「ことひろ」と読む。番組初期から、浅井企画の名物マネージャーとして知られていた。ニセ社長の異名は、番組内で車だん吉をネタにしていたところ、川岸がスタジオに直接電話を掛け、社長に成りすましてコサキンを一喝したことによる。その際の川岸の発言「2億年許さん!」は、後に番組本『ら゛』のキャッチコピーに応用され、オビに記載された。
- ^ a b エキサイトレビュー (2016年8月23日). “小堺&関根のひどいトークを聞いてきた。新番組「コサキンのラジオごっこ」記者会見”. 2016年8月24日閲覧。
- ^ 2016年3月30日放送の『ライオンのごきげんよう』で関根がゲスト出演した際にも、同様のエピソードを語っている。
- ^ 「中2の放課後」145ページ。ダウンタウンDXではライルは「腐鮪鯖男(くさりマグロ サバオ)」という名で紹介されているが、これも元々はリスナー投稿ネタで、上野動物園にジャイアントパンダ(トントン)が産まれたときのコサキン流命名のひとつだった。
- ^ 『無理矢理100%』時代、ゲスト出演した明石家さんまに写真ネタを見せた際、「ラジオでわかれへんやないか」「こんなんリスナーかわいそうや、スタジオだけでゲラゲラ笑ろて」「せやから、写真ネタやめぃ!」と終始苦笑交じりでダメ出しされたこともあった。特に「写真ネタやめぃ!」は番組初期の名台詞となり、番組本で写真ネタを収録したコーナー名にまで使われた。
- ^ 初期は「こんなときに絶対言うのが○○、絶対言わないのが××」というテーマだった。
- ^ このバカ発言集が送られてくるたびに、関根は特に「俺、そんなこと言ったっけ?」「これはバカですね。」というフレーズを繰り返していた。
- ^ 『快傑アドレナリン』時代では、小堺、関根と電話参加のリスナーが順番に解答する対決形式だった。
- ^ a b ここでのイントロクイズは、実際は曲名連想クイズであった。例えば坂本冬美の『火の国の女』のイントロを聴き(歌手名、曲名はこの時点で発表される)、そこから「火の国と言えば熊本県」「熊本県の女性と言えば水前寺清子」「よって正解は『三百六十五歩のマーチ』」と連想しなければならず、正解者が極端に少ないクイズであった。
- ^ 飯尾和樹、村山ひとしのコンビ。しかし番組内での彼らの不甲斐なさからLa.おかきの番組残留を賭けた「コント4番勝負」が行われ、リスナー投票により'97年4月第1週で降板となった。La.おかき解散後、村山は放送作家やアイドル評論家として活動し、飯尾はずんを結成してコサキンヤング部開始以降に再登場した。
- ^ ネタの持ち時間が約2分4秒のため。のちに出演者が「若手」と呼ばれるキャリアで無くなったことから「コサキンヤンガー(younger)部」と改題された。
- ^ ルーが「くどいポエム」を朗読するオープニング企画。実際はポエム形式の漫談に近いものであった。1989年2月から1990年4月まで放送された。BGMは実際の「パックインミュージック」のオープニングテーマとサウンドステッカーを使用していた。
- ^ a b 午前2時の時報と同時に強制的に始まるコーナーで、眠気覚ましとしてラッキィと一緒に「モンキーダンス」「クラゲダンス」などを踊ろう、という内容。1989年7月から1990年4月まで放送された。
- ^ a b 浅井企画の名物マネージャーのひとり。坂上二郎を担当していた。
- ^ 小堺は「まぐろがわたいち」と誤読することが多かった。自信を持って「たいちです!」と訂正したことさえあった。
- ^ 絶叫マシンでアメリカのキャンプソング「ジャンボリー」を無理矢理歌わされた時の絶叫。
- ^ 有川の怖がりぶりは業界内で評判となり、タモリ倶楽部では有川を怖がらせることを目的とした企画が二度行われた。一回目は遊園地の絶叫マシンに乗る企画で、数週後に行われた二回目では芸能界屈指の怪談の語り部(稲川淳二・つまみ枝豆)の怪談を聞かせてみよう、という企画だった。このとき一緒に参加したのは金子という当時のタモリの付き人で、有川を「構成作家界の恐がり王」、金子を「付き人界の恐がり王」という肩書きで紹介していた。
- ^ “sol caliente”。スペイン語で「灼熱の太陽」という意味で、歌の途中にも同様の日本語詞がある。
- ^ 正確には、「僕(冠)の部屋に自分のポスターを貼っておかないと、僕自身が冠二郎であることを忘れてしまう」という話題から、小堺の「もしも部屋にホイットニー・ヒューストンのポスターか貼ってあったら?」という質問に対して、冠が「自分はホイットニーかな、と思ってしまう」と答えたものである。
- ^ ささきのあまりにハキハキした英語の発音の為に別名「広東語バージョン」とも呼ばれる。また数多くの水木以外の「マジンガーZ」を歌った歌手の流れから「水木ジョン万次郎バージョン」とも。
- ^ a b ラジオパラダイス(三才ブックス)1988年3月号 p.116「この曲おしえて!」
- ^ コサキンの二代目ディレクターだった門脇がオネエ口調のパーソナリティを務め、"おひつじヒゲ座"から"うおヒゲ座"までの「意味ねぇ」運勢を占う企画。1999年から2000年にかけて放送された。門脇は企画に対して非常に意欲的で、「イエロー・ワールド」も彼による選曲だったという。
- ^ 館川が台本を書いていた、コント劇場の名物シリーズ。有川の新婚生活をネタに、虚実を交えたナンセンスな内容となっていた。
- ^ 歌詞に「悪役やらせると凄くヤな演技、いつも最後に裏切られ、そして殺されてしまう」とあるので「仁義なき戦い 広島死闘篇」ではないかと思われる。
- ^ 同年6月からはテレ朝チャンネルでも放送開始。
- ^ 500通の投書のうち50通は、番組開始当初の常連投稿者によるもの。第1回のファンの集いでは、その常連リスナーを会場のリスナーの中から探す企画もあった。
- ^ 「寿司屋にて、板前が握った寿司をカウンターに置く前に手で受けとってそのまま食べた」など、数多くのせっかちなエピソードが紹介されていた。
- ^ 浅井は番組本「呂゛」「おぴょ」にも同様のメッセージを寄せており、いわゆる天丼ネタの一種であった。
- ^ ただし、第1回の準ミスの1人は日本航空インターナショナルに就職が決まっていたため、出演は3回のみだった。
- ^ この書籍に先駆けて、同じく三才ブックスから発行のラジオパラダイス1987年6月号にて表紙・巻頭カラー5ページ・本編30ページの大特集が組まれた。この号の売り上げが非常に良好だったことで初めての番組本「ら゛」の発売につながった。内容の一部は「ら゛」のものと重なる部分が多いが、斉藤洋美・佐野量子・来生えつこのインタビューや、今となっては貴重な宮川匡代のコサキンネタシーン画などが収録された。また、コサキン名物写真ネタが世に出たのも本誌が初である(鳥獣戯画ネタは当時話題になった)。なお、この特集についての発案は編集後記にもあるとおり当時の編集長尾形誠規によるものであり、「ら゛」発売の折には寿司を贈ったりブース外まで番組を見に来ていたこともあった。なお、本号がラジオパラダイスの創刊から休刊までで最大の発行数を記録し、雑誌では異例中の異例で増刷が行われたというエピソードも残っている。
関連項目
- 芳賀書店
- 富士急ハイランド
- 代々木上原
- キャイ〜ン
- あさりど
- エネルギー
- ずん
- Rまにあ
- イワイガワ
- ローバー美々
- 佐藤まい子
- 西田たか子
- 加藤剛
- 宇津井健
- 水野晴郎
- 浦口直樹
- 阿藤快
- 斉藤洋美
- 舘ひろし
- 小野寺昭
- 斉藤洋美のラジオはアメリカン
- 構成に鶴間が参加しており、共通のリスナーが多く、互いに姉妹番組と称していた。
- 岸谷五朗の東京RADIO CLUB
- 有川周一、舘川範雄が構成を担当。写真ネタなど本放送と相通ずる企画があった。
- 星野源のオールナイトニッポン
- コサキンリスナーであった星野源が、自身のオフィシャルイヤーブック『YELLOW MAGAZINE 2016-2017』でのコサキンとの鼎談を経て、2017年4月18日放送回にコサキン、鶴間政行、舘川範雄をゲストに招聘。コサキンとしては水曜UP'S以来となる深夜ラジオ生放送で、小堺が進行を務め「意味ねぇCD大作戦」を再現するなど、最初から最後まで2時間出ずっぱりとなった。ちなみに2017年3月20日に星野が山下達郎と担当した『WE LOVE RADIO! 山下達郎・星野源のラジオ放談』でもコサキンリスナーであったことを公言したうえでコサキンソングのひとつ「オマリーの六甲おろし」をオンエアした。ちなみに山下も所持しているらしい。
- コサキンのラジオごっこ[1]
- CSテレビチャンネルMONDO TVで2016年10月から放送されている番組。テレビ放送のため、映像や写真を使ったコーナーが多くあるものの、ラジオベースの進行であったり、締めのあいさつが「パッホーン!」であるあたり、当番組のエッセンスを引き継いでいる。
外部リンク
- コサキンDEワァオ! - 閉鎖(2008年12月4日時点のアーカイブ)
TBSラジオ 土曜24時台(1989年4月15日 - 1994年10月8日) | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
コサキン増刊号
↓ コサキン快傑アドレナリン |
||
TBSラジオ 土曜25時台前半(1991年10月12日 - 1994年10月8日) | ||
ちはる ハート無防備
|
コサキン快傑アドレナリン
|
萩原聖人 ダブルフェイク
|
TBSラジオ 土曜25時台後半(1992年4月11日 - 1994年10月8日) | ||
ゆうゆのYouYouタイム
|
コサキン快傑アドレナリン
|
|
TBSラジオ 土曜18時台ナイターオフの番組(1994年10月15日 - 1995年4月1日) | ||
(1994年度)
コサキンDEワァオ! |
||
TBSラジオ 金曜21時 - 22時55分(1995年4月14日 - 10月6日) | ||
恋する電リクBINGO BONGO
(月曜 - 木曜に縮小) |
恋する電リクBINGO BONGO フライデースペシャル
コサキンDEワァオ! |
|
TBSラジオ 木曜25時 - 27時(1995年10月12日 - 1997年4月3日) | ||
シンデレラドリーム
ミッドナイト☆パーティー (24:00-27:00) |
木曜UP'S コサキンDEワァオ!
|
笹野みちるのUP'S Speak OUT!
(火曜から移動) |
TBSラジオ 水曜25時 - 27時(1997年4月9日 - 2004年9月22日) | ||
水曜UP'S コサキンDEワァオ!
↓ コサキンDEワァオ! ↓ 水曜Junk コサキンDEワァオ! |
水曜Junk 雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!
(日曜深夜から移動) |
|
TBSラジオ 土曜24時台(2004年10月2日 - 2009年3月28日) | ||
コサキンDEワァオ!
|