コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「神奈川県立希望ケ丘高等学校」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
295行目: 295行目:
* [[山田和樹]](高49、[[指揮者]]、[[ブザンソン国際指揮者コンクール]]優勝)
* [[山田和樹]](高49、[[指揮者]]、[[ブザンソン国際指揮者コンクール]]優勝)
* [[山本昌代]](高31、[[作家]]、[[文藝賞]]受賞、[[三島由紀夫賞]]受賞)
* [[山本昌代]](高31、[[作家]]、[[文藝賞]]受賞、[[三島由紀夫賞]]受賞)
* [[青崎有吾]](高52、[[作家]]、[[鮎川哲也賞]]受賞、主力作品の学園ミステリ「風ヶ丘高校シリーズ」は母校をモデルにしている。ただし場所は保土ヶ谷区にずらされている)


=== マスメディア・芸能 ===
=== マスメディア・芸能 ===

2019年8月24日 (土) 11:18時点における版

神奈川県立希望ヶ丘高等学校

管理棟・普通教室棟
過去の名称 神奈川県尋常中学校
神奈川県中学校
神奈川県第一中学校
神奈川県立第一中学校
神奈川県立第一横浜中学校
神奈川県立横浜第一中学校
神奈川県立横浜第一高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 神奈川県の旗 神奈川
学区 全県一学区
設立年月日 1897年
創立記念日 6月18日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
定時制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
学期 3学期制
高校コード 14113F
所在地 241-0824
神奈川県横浜市旭区南希望が丘79-1
北緯35度27分22.08秒 東経139度30分45.55秒 / 北緯35.4561333度 東経139.5126528度 / 35.4561333; 139.5126528座標: 北緯35度27分22.08秒 東経139度30分45.55秒 / 北緯35.4561333度 東経139.5126528度 / 35.4561333; 139.5126528
地図
神奈川県立希望ケ丘高等学校の位置(神奈川県内)
神奈川県立希望ケ丘高等学校
神奈川県立希望ケ丘高等学校 (神奈川県)
神奈川県立希望ケ丘高等学校の位置(日本内)
神奈川県立希望ケ丘高等学校
神奈川県立希望ケ丘高等学校 (日本)
外部リンク 神奈川県立希望ヶ丘高校
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
テンプレートを表示

神奈川県立希望ヶ丘高等学校(かながわけんりつ きぼうがおかこうとうがっこう)は、神奈川県横浜市旭区南希望が丘に所在する公立高等学校。略称は“希高”(きこう)、もしくは神奈川県立横浜第一高等学校から取って“神高”(じんこう)とも言われる。

概観

1897年(明治30年)、神奈川県最初の県立中学校である、神奈川県尋常中学校として横浜市西区藤棚町(旧久良岐郡戸太町)に創立された[1]。その後、名称を神奈川県中学校(1899年)、神奈川県第一中学校(1900年)、神奈川県立第一中学校(1901年)、神奈川県立第一横浜中学校(1913年)、神奈川県立横浜第一中学校(1923年)と改称する。1923年9月1日の関東大震災においては罹災者を校内に受け入れ、復興拠点の一つとなった。1945年5月29日の横浜大空襲によって校舎焼失、現在の横浜市金沢区六浦(旧久良岐郡六浦荘村)へ移転する[2]

戦後の学制改革を経て、神奈川県立横浜第一高等学校(1948年)、神奈川県立希望ヶ丘高等学校(1950年)と改称し、男女共学となる。1951年9月、横浜市旭区南希望が丘(旧都筑郡二俣川村)へ移転した。現在地は相模鉄道の寄付による[3]

沿革

(沿革節の主要な出典は公式サイト[4][5]

特別教室棟・体育館・文化部棟
グラウンド
陸上競技場
正門

設置学科

基礎情報

校歌

  • 神奈川県立横浜第一高等学校校歌(通称「旧校歌」)(作曲山田耕筰、作詞佐佐木信綱
  • 神奈川県立希望ヶ丘高等学校校歌(通称「新校歌」)(作曲三善晃、作詞飯田侑)

教育目標

  • 学習はすべて自発的に行い、自学自習を重んじ、自己の能力と資質を最大限に伸ばす
  • 行動はすべて自主的に行い、自律自制を旨とする
  • 社会人としての意識を明確にし、和衷協同を旨とする
  • 社会人としての言動、礼法に注意し、感情を慎み、特に情操豊かな人となる
  • 節度ある学校生活を通じて、心身の健康をはかる

教育課程

全日制

  • 生徒の大半が大学に進学して専門的に学ぶことを希望しているので、大学での教育に耐えうる学力の養成を念頭においた授業が月、水、金曜は1コマ50分×6時限で展開されており、火、木曜は1コマ50×7時限で展開される。
  • 1・2年次に基礎・基本をしっかりと身につけ、幅広く学ぶことで視野を広げる。2年生まで全員が同じ科目を履修する(芸術は1つを選択)。これにより自分の適性を見極め、3年次での進路選択につなげている。
  • 1・3年次にある総合的な学習の時間では、自分の趣味・関心に基づいた自由研究を行う。1年次は個別研究、3年次では多彩な20講座以上にも及ぶゼミに所属して研究する方式をとっている。

学校行事

全日制

  • 5月 - 陸上競技大会[31]
  • 6月 - 記念祭[32]
  • 7月 - 球技大会
  • 9月 - 合唱祭
  • 10月 - 修学旅行(2年次)
  • 3月 - 3年生を送る会(通称「3送会」)[33]、球技大会

定時制

  • 11月 - 希望祭

課外活動

全日制

運動部
  • 陸上競技部
  • 硬式野球部[34]
  • サッカー部[35]
  • ラグビー部
  • ハンドボール部(男子・女子)
  • バレーボール部(男子・女子)
  • バスケットボール部(男子・女子)
  • 硬式テニス部(男子・女子)
  • ソフトボール部(女子)
  • バドミントン部
  • ダンス部(女子)
  • ブレイクダンス部(男子)
  • 卓球部
  • 剣道部
  • 柔道部
  • 弓道部
  • 水泳部
  • 山岳部
  • 体操部
文化部
  • 吹奏楽部[36]
  • 軽音楽部
  • フォークソング部
  • 室内楽部
  • 合唱部
  • ギター部
  • 美術部
  • 茶道部
  • 科学部
  • 文芸部
  • 写真部
  • 交通研究部
  • MFC(マンガファンクラブ)[37]
  • パントマイム部
  • ドレスクリエイト部
  • KHI(希望ヶ丘放送委員会)[38]
同好会
  • 囲碁・将棋同好会
委員会
  • 記念祭運営委員会
  • 合唱祭運営委員会
  • 球技大会運営委員会
  • 図書委員会

著名な出身者

分野別五十音順

政治・行政

経済・経営

学術・研究

文学・芸術

マスメディア・芸能

陸海軍・自衛隊

その他

著名な教職員

旧学区

2005年度の学区撤廃以前は『横浜西部学区』に属していた。旧学区の県立高校は、

脚注

  1. ^ 校舎跡地周辺は同窓会桜蔭会、神奈川県教育会館、神奈川県高等学校教育会館等により管理されている
  2. ^ 浮世絵師歌川広重による金沢八景の「内川暮雪」の舞台近郊金沢八景内川暮雪”. 神奈川県立歴史博物館. 2013年11月23日閲覧。
  3. ^ 相模鉄道(当時川又貞次郎社長)が希望ヶ丘駅(開通1948年5月26日)近郊の土地を神奈川県に寄付をした
  4. ^ 沿革”. 神奈川県立希望ケ丘高等学校(全日制). 2019年2月5日閲覧。
  5. ^ 学校案内”. 希望ケ丘高等学校定時制. 2019年2月5日閲覧。
  6. ^ (神奈川県告示第18号)「神奈川県尋常中学校ヲ久良岐郡戸太町戸部ニ設置ス但シ開校ノ期日ハ追テ告示ス」
  7. ^ 文部大臣蜂須賀茂韶の代理として文部次官都筑馨六神奈川県知事中野健明が来校した際に記念式典を開催した
  8. ^ 第2次中学校令によって「尋常中学校」が「中学校」に改称されたため
  9. ^ 現在の神奈川県立小田原高等学校の前身である神奈川県第二中学校が設立されたため
  10. ^ 「学校ノ名称ニ何々立ノ文字ヲ冠セシム」との文部省令が発せられたため
  11. ^ 東京帝国大学教授井上哲次郎が来校して講演を行うと共に陸軍戸山学校軍楽隊が来校して演奏会を開催する
  12. ^ 現在の神奈川県立横浜翠嵐高等学校の前身である神奈川県立第二横浜中学校の設立が文部省により認可されたため(大正2年文部省告示第56号)1913年(大正2年)3月17日付『官報』”. 国立国会図書館デジタル化資料. 2013年6月13日閲覧。
  13. ^ 現在の神奈川県立横浜緑ケ丘高等学校の前身である神奈川県立横浜第三中学校が設立されたため
  14. ^ 関東大震災により庁舎を焼失した戸部警察署が校内に移転し、日本赤十字社奈良県支部の救護班や工兵第14大隊陸軍第14師団所属)を受け入れると共に罹災者のための避難バラック棟群が校庭に設営されて復興拠点の1つとなる。横浜商業高校(現横浜市立大学横浜市立横浜商業高等学校)陸上部が校舎改築のため校内において練習していたことが契機となって震災復興行事として1924年5月に陸上競技の定期対抗戦(通称「Y校戦」)が開催される。太平洋戦争による中断を挟んで戦後は球技対抗戦も加わって、横浜市立横浜商業高等学校との定期対抗戦として1969年まで続いた
  15. ^ 校長が大正デモクラシーの中で「苦学生にも門戸を」と私立学校を設立し、神奈川県立横浜第一中学校の校舎施設を利用して社会事業として経営した
  16. ^ 1928年12月4日の横浜港沖での御大礼特別観艦式(御召艦戦艦榛名)の行幸奉迎記念として調整された
  17. ^ 陸軍大臣荒木貞夫の揮毫により剣道場には「心身無碍」の扁額、嘉納治五郎の揮毫により柔道場には「力必達」の扁額が寄贈される
  18. ^ 文部大臣鳩山一郎神奈川県知事横山助成が来校した際に記念式典を開催した。1933年11月11日には同窓会より海防艦満州の時鐘が寄贈される
  19. ^ 1934年2月13日には山田耕筰が来校して講演を行う。それまでは奈良時代の歌人・大伴家持の「海行かば」を代用校歌として使用していた
  20. ^ 学制改革により旧制中学が新制高校に改組されたため
  21. ^ ナンバースクール廃止に従い、現在地の最寄駅名に改称したため
  22. ^ 神奈川県知事内山岩太郎が来校した際に記念式典を開催する
  23. ^ 1967年6月22日に横浜市長飛鳥田一雄が来校して講演を行う
  24. ^ 同窓会よりグランドピアノが寄贈される
  25. ^ 同窓会より応援旗(通称「神高旗」)が寄贈される
  26. ^ パシフィコ横浜国立大ホールにて記念式典を開催し、神奈川県知事岡崎洋東京大学教授佐藤次高による講演が行われる
  27. ^ 1999年3月29日文部省告示高等学校学習指導要領が実施される
  28. ^ 県立高校教育力向上推進事業 教育推進校 <学力向上進学重点>”. 神奈川県教育委員会. 2013年6月13日閲覧。
  29. ^ 2009年3月文部科学省告示高等学校学習指導要領が実施される
  30. ^ 県立高校教育力向上推進事業 Ver.Ⅱ 教育実践校 <学力向上進学重点>”. 神奈川県教育委員会. 2013年11月23日閲覧。
  31. ^ 大和スポーツセンター競技場で開催
  32. ^ 京都帝国大学の開校記念式に出席していた文部大臣蜂須賀茂韶の代理として文部次官都筑馨六神奈川県知事中野健明が来校した際に記念式典を実施した6月18日を開校記念日としており、6月18日前後の週末に校内において開催される。金沢校舎(旧海軍航空技術廠工員寮)にて旧制第一高等学校(現東京大学教養学部)の紀年祭(現駒場祭)を模して文化祭として行われたのが始まり
  33. ^ 大学共通第1次学力試験及び大学入試センター試験により卒業式前に開催されていた予餞会の開催が困難となったため代替行事として実施される
  34. ^ 1951年に第33回全国高等学校野球選手権大会に出場する。これ以降、2013年まで神奈川県立高校の夏の甲子園大会への出場はない(神奈川県の公立高校として夏の甲子園に出場した5校のうちの一つ)
  35. ^ 1972年に第51回全国高等学校サッカー選手権大会に出場する
  36. ^ 大会・演奏会を学生指揮で演奏している覚えてる一つになった瞬間”. 朝日新聞デジタル2014年7月12日掲載. 2014年11月20日閲覧。2005年に東日本学校吹奏楽大会コンクール部門に出場する。2011年12月25日に横浜市立南希望が丘中学校と横浜市立希望が丘小学校と共に東日本大震災で被災した岩手県立大槌高等学校吹奏楽部を横浜に招待して合同慈善演奏会「ホープフルコンサート2011」を開催した遠くの親友、吹奏楽の絆 横浜と岩手・大槌の高校生”. 朝日新聞デジタル2013年3月24日掲載. 2013年11月23日閲覧。2013年12月27日には東日本大震災の被災地支援として神奈川県立湘南高等学校神奈川県立川和高等学校の吹奏楽部と合同慈善演奏会「KSK Winter Concert」を開催した被災地支援、私達の音色で 神奈川県立3高校吹奏楽部”. 朝日新聞デジタル2013年12月20日掲載. 2014年2月8日閲覧。2014年12月27日には神奈川県立高校の3校に加えて岩手県立大槌高等学校吹奏楽部を横浜に招待して合同慈善演奏会「KSK Winter Concert 2014 With 大槌高校」を開催し、岩手県大槌町に音楽ホール等を建設するための寄付を募った県立3高と岩手・大槌高、合同慈善コンサート”. 朝日新聞デジタル2014年12月28日掲載. 2015年1月4日閲覧。
  37. ^ まんが甲子園では2007年全国第5位、2009年全国第3位、2010年全国準優勝、2013年全国第9位である
  38. ^ 2007年6月にラジオ日本内の高校球児応援番組「甲子園に行こう」において本番組にラジオドラマを寄贈し、参加した64校の中で優秀賞を受賞した
  39. ^ 履歴書(岡安 類)”. 大阪教育大学. 2019年2月13日閲覧。

参考文献

  • 「神中神高希望ヶ丘高校百年史<歴史編><資料編>」(1998年7月神奈川新聞社刊行)

関連項目

外部リンク


この記事は、プロジェクト:学校プロジェクト:学校/高等学校テンプレートにしたがって作成されています。