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「豊原駅」の版間の差分

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2020年2月15日 (土) 02:43時点における版

豊原駅*
駅舎(2019/10/29)
とよはら
Toyohara
黒田原 (5.2 km)
(5.3 km) 白坂**

地図

豊原駅の位置
豊原駅の位置
豊原駅の
位置
豊原駅の位置
豊原駅の位置 別地図
豊原駅の位置 別地図
豊原駅の
位置
豊原駅の位置 別地図
所在地 栃木県那須郡那須町大字豊原甲2204
北緯37度3分18.34秒 東経140度9分18.73秒 / 北緯37.0550944度 東経140.1552028度 / 37.0550944; 140.1552028座標: 北緯37度3分18.34秒 東経140度9分18.73秒 / 北緯37.0550944度 東経140.1552028度 / 37.0550944; 140.1552028
所属事業者 東日本旅客鉄道(JR東日本)
所属路線 東北本線
キロ程 176.7 km(東京起点)
電報略号 トヨ
駅構造 地上駅
ホーム 1面2線
乗車人員
-統計年度-
55人/日(降車客含まず)
-2011年-
開業年月日 1887年明治20年)7月16日
備考 無人駅(乗車駅証明書発行機 有)
* 1925年から1948年の間は下野豊原駅
** この間に大宮支社仙台支社境界あり(当駅から黒田原寄りは大宮支社管内)
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豊原駅(とよはらえき)は、栃木県那須郡那須町大字豊原甲にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線である。

概要

栃木県と福島県の県境が近い山中の小さな駅で、関東地方では最北に位置する駅である。東北本線は川口駅京浜東北線列車のみ停車)から当駅までが大宮支社の管轄である。ただし、当駅に停車する列車に使用される車両は電車が水戸支社所属、気動車が仙台支社所属、乗務員はすべて仙台支社所属であり、黒磯駅までにおいて大宮支社は施設管理のみとなっている(この特徴は、上越線湯檜曽駅土合駅との類似点でもある)。

栃木県最北端の駅。

歴史

1887年明治20年)7月16日日本鉄道黒磯駅から郡山駅までの開通に伴い日本鉄道の中間駅、豊原駅(とよはらえき)として開業した。当時黒磯から郡山までに、当駅のほかに白河駅矢吹駅須賀川駅が設置された。当駅は現在の位置よりも北東(白坂より)の県境に近い位置に置かれた。

開業からおよそ20年後の1906年(明治39年)11月には日本鉄道が国有化され、さらにその約3年後の1909年(明治42年)10月には線路名称の制定により秋葉原駅から上野駅をへて青森駅までが東北本線とされた。1920年(大正9年)11月には勾配などを避けるために、黒磯駅から白河駅までのルートを変更した。その一環として黒田原駅から白坂駅までがルート変更となり、当駅は現在地に移転した。このときの駅名は開業当初は現在と同じく豊原だった。

1907年(明治40年)8月1日樺太において開業した樺太庁鉄道樺太東線のウラジミロフカ駅が1908年(明治41年)4月1日豊原駅(現・ユジノサハリンスク駅)と改称し、また1920年に台湾台湾総督府鉄道部縦貫線葫蘆墩駅も和風地名である豊原駅と改称してから同名駅が複数あるという状況が続いていたため、1925年(大正14年)4月1日に下野豊原駅(しもづけとよはらえき)に改称となった。

1945年(昭和20年)、樺太の豊原駅へはソ連軍が侵攻し、また台湾は中華民国に接収されたため、当駅は1948年(昭和23年)8月1日にふたたび元の豊原駅(とよはらえき)に戻された。

その後当駅は、国鉄分割民営化により東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線の駅となって現在に至っている。1920年の移転時に建てられた駅舎が長らく使われてきたが、2018年(平成30年)8月より新駅舎の建設工事が進められ、2019年(平成31年)2月に完成、3月23日に完成記念式典が開催された[1][2]

年表

駅構造

2018年まで使われた旧駅舎
ホーム、新白河方を眺める(2010/9/4))

島式ホーム1面2線を持つ地上駅である。ホームへの移動は跨線橋を利用する。駅舎は2019年(平成31年)2月に完成した木造1階建て延べ床面積48平方メートルのもので、那須町の花であるリンドウをかたどった明かり取りが設けられている[7]

黒磯駅管理の無人駅である。無人の駅舎には自動券売機は設置されておらず、乗車駅証明書発行機のみが設置されている。

なお当駅は東京近郊区間、仙台近郊区間のどちらにもに入っておらず、Suicaおよび相互利用が可能な交通系ICカードは使用できない。また、関東地方のほぼ全域が乗り放題となっていたスーパーホリデー・パスも設定から廃止まで一貫して使用できなかった。

のりば

番線 路線 方向 行先
1 東北本線 上り 黒磯宇都宮方面
2 下り 白河福島方面

(出典:JR東日本:駅構内図

利用状況

栃木県統計年鑑によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。

乗車人員推移
年度 一日平均乗車人員
2008 55
2009 49
2010 55
2011 55


駅周辺

このあたりは山の奥で林などがあり人家もまばらな場所であり、幹線在来線の駅でありながらファンの間では秘境駅と言われることもある。

当駅の附近には北東にある成沢集落など小規模な集落が点在しており、そこまで行くと那須豊原簡易郵便局などがある。駅前から10分歩くと黒川が流れ、黒川に架かる橋梁の福島県側に大宮・仙台両支社の境界標が設けられている。また黒川橋梁周辺は国鉄時代から鉄道ファンにとって有名な撮影ポイントとなっている。

当駅から西方向へしばらく行くと東北自動車道那須高原サービスエリアがある。駅前にはトイレが設置されている。

当駅は東日本大震災直後まで那須高原海城中学校・高等学校への最寄り駅となっていたが、校舎が被災したため東京都新宿区大久保の海城学園本部、海城中学・高校本校に暫定移転したのち、2012年(平成24年)度以降は東京都多摩市へ再度移転の上募集停止(後に2017年(平成29年)を以って閉校が決定)となり、最寄り駅の意味を失った。なお、実際は当駅より2つ先の東北新幹線新白河駅からタクシーを使ったほうが早かった。

隣の駅

東日本旅客鉄道(JR東日本)
東北本線
黒田原駅 - 豊原駅 - 白坂駅

脚注

  1. ^ a b 関東最北の駅完成「春は新緑、秋は美しい紅葉」”. 読売新聞 (2019年3月26日). 2019年3月27日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 町のJR駅シリーズVol.2 豊原駅の歴史に触れて」(PDF)『広報那須』第714号、2019年2月、8 - 9頁、2019年3月27日閲覧 
  3. ^ 「鉄道省告示第16号」『官報』1925年3月3日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「運輸省告示第193号」『官報』1948年7月19日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  5. ^ a b “JRが豊原駅舎建て替えを発表”. 下野新聞 (下野新聞社): p. 3. (2018年9月14日)  朝刊
  6. ^ “豊原駅の駅舎建て替え”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 1. (2018年9月25日) 
  7. ^ 豊原駅が新しく生まれ変わります” (PDF). 東日本旅客鉄道大宮支社 (2018年9月13日). 2019年3月27日閲覧。

関連項目

外部リンク