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「プロ野球再編問題 (2004年)」の版間の差分

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==== ダイエー再建の影響 ====
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8月10日、[[UFJ銀行]]、[[三井住友銀行]]、[[みずほコーポレート銀行]]は、[[ダイエー]](以下、ダイエー本社)に対し、再建に際し[[産業再生機構]]の活用を検討する方針であることを通告した。ダイエー本社も近鉄本社同様、[[バブル崩壊]]の影響を受けて、[[2001年]]8月末時点での連結有利子負債が、ダイエーオーエムシー(のちの[[OMCカード]]、現:[[セディナ]])を除いて1兆8000億円に達し、2001年2月に創業者の[[中内]]が退任した。100以上の不採算店舗の閉鎖や[[ローソン]]の[[三菱商事]]への売却、保有する[[リクルートホールディングス|リクルート]][[株式]]の売却、[[オレンジページ]]の[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]への売却などを行ったものの、本業である[[スーパーマーケット]]の売上高低落に歯止めがかからず、再建が危ぶまれていた。
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また中内が力を入れていた「福岡三事業」(ダイエー、[[福岡ドーム]]、ホテル)の扱いを巡っては、2003年12月に、ドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社である[[コロニーキャピタル]]へ売却することが決まった。ダイエーは[[日本プロフェッショナル野球協約]](以下「協約」)第27条の「外国法人の参加禁止」、第28条の「非日本国籍者の球団持株比率を49%以内に制限」の規定からダイエー本社が保有、この過程でダイエー本社の[[高木邦夫]]社長と、三事業の最高首脳である[[中内正]](功の次男、ダイエーのオーナー)、[[高塚猛]](ダイエー社長)との間で確執が生じ、2004年4月には高塚が事実上の失脚に追い込まれるなど混乱が続いていた。ダイエーの合併の計画が頓挫したのは、「球団の運営についてはコロニー側に通知する必要があり、30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」という契約を結んでいたためである。もしこの契約を違反した場合には、900億円の損害賠償がコロニーに対して生じることになる。
また中内が力を入れていた「福岡三事業」(ダイエー、[[福岡ドーム]]、ホテル)の扱いを巡っては、2003年12月に、ドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社である[[コロニーキャピタル]]へ売却することが決まった。ダイエーは[[日本プロフェッショナル野球協約]](以下「協約」)第27条の「外国法人の参加禁止」、第28条の「非日本国籍者の球団持株比率を49%以内に制限」の規定からダイエー本社が保有、この過程でダイエー本社の[[高木邦夫]]社長と、三事業の最高首脳である[[中内正]](功の次男、ダイエーのオーナー)、[[高塚猛]](ダイエー社長)との間で確執が生じ、2004年4月には高塚が事実上の失脚に追い込まれるなど混乱が続いていた。ダイエーの合併の計画が頓挫したのは、「球団の運営についてはコロニー側に通知する必要があり、30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」という契約を結んでいたためである。もしこの契約を違反した場合には、900億円の損害賠償がコロニーに対して生じることになる。

2020年7月11日 (土) 10:08時点における版

2004年プロ野球再編問題(プロやきゅうさいへんもんだい)は、2004年に日本プロ野球球団の大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブが、合併を前提に話し合うと発表したことを始まりとして議論されたプロ野球の業界再編問題である。

概要

2004年6月13日にオリックスと近鉄の合併構想(=近鉄の球団保有権をオリックスへ売却した上で統合)が表面化。これに対し両球団のオーナー・経営陣があまりの事の唐突さに労働組合日本プロ野球選手会と野球ファンの猛烈な反発を受けた事がこの問題の発端である。

さらにこれを機に、経営難に陥っているパシフィック・リーグ各球団が人気のあるセントラル・リーグ球団からの救済を求めたことに加え、球界の独占的な支配を図っていると一般から見なされた読売ジャイアンツ(以下巨人。また肩書きも当時のもの)オーナー・渡邉恒雄を始めとした一部球団オーナーが球団数を大幅に削減しようと考えていたことにより、8 - 10球団の1リーグ制への流れが急速に進んでいったことも明らかになった。

これを受け、選手会長の古田敦也はオーナー達との対話を求めようとするが、7月8日に渡邉[注釈 1]が、スポーツ記者の「明日、選手会と代表レベルの意見交換会があるんですけれども、古田選手会長が代表レベルだと話にならないんで、できれば、オーナー陣といずれ会いたいと(言っている)」との問いかけに対し「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」と発言[1]、対話拒否の態度を示した。これにより選手会とファンはますます合併推進派に対する感情的な猛反発を強め、問題は野球界のみならず政界・経済界・労働界までも巻き込むこととなった。

第2の合併」こそ経緯のあやふやさもあって実現を見なかったものの、オリックスと近鉄との合併は周囲をほとんど無視する形で一方的に決定された。経営困難に陥った企業が同業他社との合併に救済を求めるのは特別な事ではないが、他社への身売りではなく合併を選んだことへの野球ファンの反発が大きかった。それに対して、周囲がいくら反発しても経営の悪化が解決するわけではなく企業努力として当然とする反論も出されたが、発表から1年も待たずに合併を推し進めようとしたことから球団存続の危機感にあるファンの動向を見守る期間が十分に与えられるとは言えない事もあり企業努力に対しても疑問を持たれ、ファンの反発を抑えることはできなかった。選手会は「2リーグ12球団維持」を求め、翌2005年からの新規球団参入を求めプロ野球機構(NPB)と数度の交渉を持ったものの確固たる約束を得ることができず、選手会はついに9月18日19日の2日間にわたって日本プロ野球史上初のストライキを決行した。その後行われた両者の交渉によって、新規参入の確約をはじめとした合意を得ることとなった。

新規参入にあっては、かねてから近鉄買収に名乗りを上げていたものの果たせなかったライブドアと、ライブドア同様のITベンチャーであり、ライブドアに続く二番手として名乗り出た楽天とが競う形となり、「IT戦争」と大きな話題となった。当時の世論は『この問題の突破口を開く形を作った』『近鉄の救世主』等の理由からライブドアを支持する意見がほとんどだったものの、実際には健全な経営が行われていると見なされた[注釈 2]楽天が加入を認められた。楽天はプロ野球界では1954年の高橋ユニオンズ以来、50年ぶりの新球団・東北楽天ゴールデンイーグルスを設立。

2004年はこれらの問題のみならず、日本プロ野球界の抱える数多くの問題点が一気に噴出した年だった。特に球団オーナーの内、自由獲得枠選手の獲得に関わる金銭不正授受問題(一場事件)で巨人・阪神・横浜3球団のオーナー(渡邉、阪神・久万俊二郎オーナー、横浜・砂原幸雄オーナー)及び阪神・野崎勝義球団社長が辞任、さらに西武鉄道グループの不正経理問題で西武ライオンズ堤義明オーナーが辞任と、ソフトバンクへ売却された福岡ダイエーホークスを含め翌年まで存続した11球団の内半数の6球団(巨人・阪神・横浜・西武・ダイエー→ソフトバンク)のオーナーが交替するという異常事態となった。

その後、これらの諸問題は時の流れと共に一応の解決を見たものもあれば、形骸化したものもある(#再編時の問題と一連の諸問題などを参照)。

事実経緯

近鉄の本拠・大阪ドーム(2005年) (後のオリックス・バファローズの本拠地)
オリックスの本拠・神戸総合運動公園野球場(撮影当時Yahoo!BBスタジアム(2003年))。

オリックスと近鉄の合併

大阪近鉄バファローズの親会社近畿日本鉄道(以下、近鉄本社)は、バブル期の事業拡大策が裏目に出て、2003年3月期連結決算では有利子負債が1兆3000億円に達した。近鉄本社では北勢線三岐鉄道への譲渡、東京近鉄観光バス他2社のクリスタルへの売却、都ホテル近鉄百貨店の不採算店舗の閉鎖、大日本土木に対する民事再生手続開始申請OSK日本歌劇団への援助打ち切りなどのリストラ策を打ち出している中、年間40億円と言われる赤字を抱える球団の保有の是非がグループ内で問われるようになり、東京三菱銀行(現・三菱UFJ銀行)などの主要取引銀行からも再三、球団の売却を求められていた。

近鉄は赤字解消策の一つとして、2004年1月31日に球団名から「近鉄」を外して命名権(ネーミングライツ)を売り出すという構想を発表した。しかし、この構想は他球団からの猛反発を受けて2月5日にすぐさま取り下げられた。

窮した近鉄本社は球団の売却ないしは清算の検討に入ったが、5月中旬、オリックス(以下、オリックス本社)の会長でもある宮内義彦球団オーナーの強い勧めに応じオリックスとの合併交渉に入った。この事実は6月13日付『日本経済新聞』朝刊の1面記事で明るみに出て、近鉄本社と近鉄球団は同日記者会見を開いて交渉の事実を認めた[2]。その中で近鉄本社の山口昌紀社長(当時)は「(球団は)回収の見込みがない経営資源」と発言した。

近鉄側の記者会見を受けてパ・リーグは6月17日に理事会を緊急招集。両球団から事実関係の説明を受けた他4球団は、合併に事実上の賛意を示した[3]。一方、選手で組織する労働組合・日本プロ野球選手会は6月18日に声明を出し、「議論が十分尽くされていないにも関わらず、球団数減少止む無しとのムードが作られている。本当に近鉄の買い手はいなかったのか」との危惧を明らかにした。

6月21日、合併承認への第1関門であるプロ野球実行委員会が開かれ、セ・リーグ6球団を含めた10球団は合併を「了承」した。しかし、この時点では、選手に対する救済措置や保護地域フランチャイズ)をどこにするかなど未確定の部分が多く、合併に必要な手続である「承認」は得られなかった。

実行委員会終了後、両球団は合併へ向けて具体的な話し合いに入り、7月1日に行われたパ・リーグ会議において、

  1. 新設合併とし、新会社の出資比率はオリックス本社80%、近鉄本社20%とする。
  2. フランチャイズ兵庫県(オリックス)と大阪府(近鉄)を併用。
  3. 新球団が優先的に確保(プロテクト指定)できる選手は両球団あわせて28人。

との案を明らかにした。しかし、翌日に行われた12球団代表者会議ではセ・リーグ側の同意が得られず、球団の合併や破産時の選手救済策である支配下選手枠の臨時拡大(1球団当たり70人を80人に)と、新球団の日本プロフェッショナル野球組織(NPB)への加盟料(30億円)免除を決めただけで終わった。特に阪神タイガースは2フランチャイズ制に強硬に反対。ただ、阪神も高校野球の関係でダブル本拠地を望んでいたためにこの件については矛盾が生じており、実際、阪神球団内部は、当時の岡田彰布監督ら容認派と星野仙一シニアディレクター、野崎球団社長ら選手に同情する者らとで態度が分かれていた。また、28人枠についても新人選手・フリーエージェント選手・外国人選手の扱いを巡って紛糾した。

7月5日、12球団代表者会議において「両球団の新球団への保有選手は25人とする」「大阪府と兵庫県のダブル本拠地を暫定的に2005~2007年の3年間認める。阪神も同様に3年間両府県のダブル本拠を認める」とした骨子をまとめた。

7月7日、オーナー会議は代表者会議でまとめられた骨子を大筋で了承したが未確定の条項があるため、正式承認は合併合意書への調印と実行委員会の承認を待って、9月に開催予定の臨時オーナー会議で行うとした。

8月10日、両球団は合併基本合意書に調印した。合意書には7月1日のパ・リーグ代表者会議で提案した内容が盛り込まれた。ただ、この時点では球団名や本拠地会場についての明言は避けた。

8月26日、近鉄本社の株主2人が、同社の代表取締役4人を相手取り、オリックスとの合併の差し止めを求める仮処分大阪地方裁判所に申し立てた。翌27日には選手会側もNPBを相手取って合併を行わないよう求める仮処分を東京地方裁判所に申し立てた。

8月31日、プロ野球実行委員会は、訴訟の行方を見極める必要があるとして合併承認を見送った。

9月3日、東京地裁は「すでに近鉄とオリックスの合併は12球団の代表者会議で承認されている。特別委員会で議決に諮る事項ではない」として選手会側の申立を却下した。また大阪地裁も4日、「近鉄の第三者への売却は、合併より近鉄本社に有利になる見込みは無い」として、株主側の申立を退けた。選手会・株主側はこれを不服として即時抗告東京高等裁判所大阪高等裁判所に対して行ったが、東京高裁では6日に、大阪高裁では7日に、それぞれ棄却された。

9月6日、実行委員会は両球団の合併を承認した。ただし広島は「(合併反対の)ファンの声は無視できなかった」と棄権し、全球団賛成ではなかった。広島に限らず、先立って行われたセ・リーグ理事会において、「これではただの吸収合併。近鉄は身売り(オリックス以外への球団譲渡)した方がいいのではないか」とオリックス・近鉄両球団、「1リーグ」を求めるパ・リーグ側の対応に不信感をもつ意見が出ていた。

9月8日、オーナー会議は合併を正式に承認した。なおこの時点で合併形式は、当初予定されていた新設合併ではなく、

(企業としての合併)

  1. 近鉄はオリックスに営業を譲渡し解散する。
  2. 近鉄本社はオリックス球団に対して第三者割当増資として20%出資する。増資後のオリックスの持株比率はオリックス本社80%、近鉄本社20%とする。

(球団としての合併)

  1. 近鉄本社は、近鉄球団のNPBへの参加資格を、オリックス本社・オリックス球団に譲渡。
  2. 参加資格の二重保有は野球協約で禁止されているため、オリックスの2個の参加資格を「統合」する(1つにまとめる)。

に変更された。新設合併の形式をとらなかったのは、「企業としての合併」の際、営業譲渡の形式による方が税制面で有利だったためである。また近鉄球団社長の小林哲也は、合併後の球団名は「オリックス・バファローズ」に内定している事を明らかにした。

9月23日、選手会は団体交渉で、主要要求条項だった「両球団合併の1年間凍結」を取り下げ、合併を事実上容認した(選手会の対応を参照)。

9月24日、オリックスは合併後の球団名を「オリックス・バファローズ」、メインの本拠地大阪ドーム(現:京セラドーム大阪)とすると正式に発表した。なお神戸総合運動公園野球場(この当時は「Yahoo!BBスタジアム」、2005年より「スカイマークスタジアム」、現在は「ほっともっとフィールド神戸」)も準本拠地として使用し、全ホームゲームをほぼ半数ずつ割り当てることになった。球団事務所・合宿所はいずれも当面は引き続き神戸市に設ける。

10月12日、新監督に仰木彬が就任、69歳での監督就任は当時の史上最高齢となり事実上3年ぶりの球団復帰となった。

第2の合併

7月2日付の『スポーツニッポン』は、千葉ロッテマリーンズヤクルトスワローズが極秘裏に合併交渉を行っている、と報じた。共に5球団が本拠地を置く首都圏の球団である事から、横浜ベイスターズを含めて合併対象になるのではないかとの憶測が飛び交う中での記事だったが、両球団及び親会社は報道を否定した。

7月7日のオーナー会議に、26年ぶりに出席した西武ライオンズ堤義明オーナー(コクド会長)は記者会見の席上、「西武ライオンズ・千葉ロッテマリーンズ・北海道日本ハムファイターズ福岡ダイエーホークスの4球団間で新たな合併を模索している」と述べた。ここにおいて、近鉄・オリックス両球団合併の背後で取り沙汰されていた「1リーグ10球団」構想が表面化する事になる。しかし、日本ハムは札幌移転元年のため合併の可能性はほとんどなかった。つまり残り3球団で合併を模索していたことになる。

同日、広島東洋カープ松田元オーナーは「あまりにも話が早く進みすぎる。もっと慎重にすべきだ。あまりにも経営者サイドでものを見すぎだと思う」と警鐘を鳴らしたが、翌日にはロッテの重光昭夫オーナー代行が「来季のパ・リーグを5球団で運営した場合、球団の赤字が5億〜10億円程度増加する」との試算結果を明らかにし、1リーグ10球団化の必要性を強調するなど「第1の合併は既定路線であり、第2の合併を強力に推進する」とのパ・リーグ側の立場は変わらなかった。

しかしその後、合併の動きは表沙汰にならず、8月31日のプロ野球実行委員会でも第2の合併チームについての公表は行われなかった。9月8日のオーナー会議後の記者会見で堤が、第2の合併はロッテとダイエーの2チームだったが、合意に至らなかったことを公表する。

また、1リーグ8球団制の実現のため、巨人、オリックス、西武ら1リーグ推進派の中ではヤクルトを中日ドラゴンズに、広島を阪神に吸収合併させる事も水面下で検討されていたとされる。ところが、当事者である阪神、広島、中日は1リーグ化に真っ先に反対している立場だった。

読売ジャイアンツのパ・リーグ移籍発言

7月23日、読売ジャイアンツの渡邉恒雄オーナー(読売新聞グループ本社会長)は「仮にパ・リーグが4チームになった場合はパ・リーグへの移籍も視野に入れる」という発言を行い、波紋が広がった。

この件について、9月3日付『毎日新聞』が渡邉オーナーへの独占インタビューを掲載した。それによると「1リーグにしてしまうと連盟事務局の整理も必要になってくるが退職金引き当て分を積んでいない」ことを指摘。また、セ:パを6:4で行うとリーグ戦の運営面でも支障をきたすことがあるため、5:5でバランスよく運営した方がいいことも視野に入れている。更に第2の合併問題についても触れており、渡邉オーナーは「ダイエーとロッテだろう。しかしもしそれができなければ西武ともうどこか1チームの合併もありえよう」としている。

この発言を聞いたセ・リーグ側は一斉に反発したが、パ・リーグ側では、1リーグが認められないならそれも一つの案として評価する声が多かった。選手会は「巨人がどちらに行っても構わない。それは問題では無く、球団数削減が問題だ」との立場をとった。

結果的にはこの発言が、巨人戦の収益無しでは存立し得ないセ・リーグのほとんどの球団やファンにも今さらながら危機感を与え、球団数削減に揺れるパ・リーグのみならず球界全体へ現状維持を望む世論を拡げていく契機となった。

渡邉は読売新聞社長時代の1993年3月29日にもフリーエージェント制(FA)の導入をしなければ、新リーグ結成すると宣言し、西武・ダイエーとノンプロ数社の名前を挙げ6球団で「新リーグ構想」を提唱したことがある。

ダイエー再建の影響

8月10日、UFJ銀行三井住友銀行みずほコーポレート銀行は、ダイエー(以下、ダイエー本社)に対し、再建に際し産業再生機構の活用を検討する方針であることを通告した。ダイエー本社も近鉄本社同様、バブル崩壊の影響を受けて、2001年8月末時点での連結有利子負債が、ダイエーオーエムシー(のちのOMCカード、現:セディナ)を除いて1兆8000億円に達し、2001年2月に創業者の中内㓛が退任した。100以上の不採算店舗の閉鎖やローソン三菱商事への売却、保有するリクルート株式の売却、オレンジページJR東日本への売却などを行ったものの、本業であるスーパーマーケットの売上高低落に歯止めがかからず、再建が危ぶまれていた。

また中内が力を入れていた「福岡三事業」(ダイエー、福岡ドーム、ホテル)の扱いを巡っては、2003年12月に、ドーム球場とホテルをアメリカの企業再生専門投資会社であるコロニーキャピタルへ売却することが決まった。ダイエーは日本プロフェッショナル野球協約(以下「協約」)第27条の「外国法人の参加禁止」、第28条の「非日本国籍者の球団持株比率を49%以内に制限」の規定からダイエー本社が保有、この過程でダイエー本社の高木邦夫社長と、三事業の最高首脳である中内正(功の次男、ダイエーのオーナー)、高塚猛(ダイエー社長)との間で確執が生じ、2004年4月には高塚が事実上の失脚に追い込まれるなど混乱が続いていた。ダイエーの合併の計画が頓挫したのは、「球団の運営についてはコロニー側に通知する必要があり、30年間はダイエーが福岡ドームを使用していかなければならない」という契約を結んでいたためである。もしこの契約を違反した場合には、900億円の損害賠償がコロニーに対して生じることになる。

ダイエー本社再建には産業再生機構の活用が不可欠と判断した銀行3行は8月27日、高木社長と会談を持ったが、高木社長は自主再建を主張し、物別れに終わった。

ダイエー本社が特殊会社である産業再生機構傘下に入れば、ダイエー球団の存立が問題になる。産業再生担当国務大臣の金子一義は8月31日、「球界再編とダイエー本社再建とは主旨が違う」と前置きした上で「機構が主導してはダメだ」と、産業再生機構が間接的にダイエー球団を保有する事に否定的な見解を述べた。

ダイエー本社は9月3日、銀行3行に対し、ゴールドマン・サックス、ドイツ証券の証券2社と、サーベラスリップルウッドの企業再生投資ファンド2社が、自主再建のスポンサーを申し出ていることを明らかにした。しかし、アメリカの企業であるゴールドマン・サックスやサーベラス、リップルウッド、ドイツ企業のドイツ証券がダイエー本社の大株主になれば、協約第27条に抵触する恐れがあり、ダイエー球団の将来に影を落とすことになった。

その後、ダイエー本社は再建策について産業再生機構を使わないで民間で再建を目指すことを主張し、取引主力3銀行会社も「機構を利用しない場合は資金援助を取り付けない」と強硬姿勢を打ち出したが、10月13日に銀行各社の説得に応じる形で機構利用を正式決定した。

結果的にはダイエー本社が強硬姿勢を取り続けたことにより、進みかけていた「第2の合併」が時間切れとなり、1リーグ制移行が挫折した[注釈 3]

選手会の対応

臨時大会からスト権確立まで

7月10日、選手会は臨時大会を招集し、近鉄・オリックス両球団合併について、

  1. 近鉄に対し、オリックスとの合併交渉を1年間凍結し、その間、両球団の合併が野球界にとって最良の選択か否かを討議するよう求める。
  2. その間、NPB側に対し、近鉄が球団名へのネーミングライツを導入することを許可するよう求める。
  3. 合併承認に至る手続として、協約第19条に定める「特別委員会」(実行委員会の審議事項中、選手契約に関する事柄について、実行委員会への上程の前段階として設けられる機関。両連盟会長、球団代表4名、選手代表4名で構成)の招集を求める。特別委員会の招集がないまま合併が決定されるようであれば、コミッショナーへの提訴などの法的手段を講じる。
  4. 「あらゆる手段を尽くしても来シーズンからの合併が強行されようとした場合」(選手会決議より)、ストライキ権行使もあり得る。ただしストライキ実施に当たっては、ファンへの配慮を十分に行う。

の4点を決議すると共に、球団経営の改善策として、選手を含めた球界が検討するべき事柄として、

  1. アメリカメジャーリーグが導入している「ラグジュアリー・タックス」(贅沢税)導入
  2. 高額年俸選手を対象とする年俸減額制限の緩和
  3. プロ野球ドラフト会議の完全ウェーバー方式
  4. フリーエージェント選手の移籍にかかる補償金の廃止
  5. 新規参入球団に課せられる加盟金の金額(新規参加60億円、譲受参加30億円)の見直し
  6. テレビ放映権のコミッショナー一括管理

などを提案した。

また、この日より始まったオールスターゲームより、選手たちは12球団のチームカラーを織り込んだミサンガを着用して、「両球団の早急な合併と議論を尽くさないままの1リーグ化反対」の意思表示を開始した。このミサンガはファンにも販売された。材質は、とても容易に切れるような代物ではなかったという。

なお、オールスターでは12球団のファンが事前に集まり、合同で応援することが慣例となっていたが、第1戦では「『球界を破壊しようとしている人物(渡邉)がオーナーを務める球団』だからという理由で、巨人の応援団は排除され、巨人の選手に対して、他球団選手の応援歌が流れる等、応援ボイコットのような現象が発生した」という憶測が流れた。これは第1戦が行われたナゴヤドームでは、巨人の応援団は当時は応援活動を行っていなかったため(読売ジャイアンツの応援団#ナゴヤドームにおける応援活動についてを参照)、やむを得ずそのような応援方法を取ったと推測される。第2戦では巨人の選手に対し通常通り応援が行われていたことからも、意図的な締め出しやボイコットではなかったことがうかがえる。

その年のフレッシュオールスターでは、優秀選手賞を獲得した巨人の岩舘学に対しても「地獄に堕ちろジャイアンツ」「地獄に堕ちろナベツネ」など、心ないヤジが飛んだ。この件に関して、スポーツニッポンは「岩舘に対して」地獄に堕ちろというヤジが出たとの記事を掲載したが、あくまでヤジの対象は巨人軍や渡邉だった。

7月16日、近鉄選手会は合併反対の署名募集運動を開始した。初日となったこの日、大阪ドーム前には中村紀洋ら1軍選手全員が集まり、ファンの支援を訴えた。7月23日、中日ドラゴンズ選手会が参加したことで、運動は当事者2球団外にも拡がり、7月29日には、オーナーとの関係で動向が注目されていた巨人選手会も、この日だけではあるが加わった。8月5日には広島選手会が参加し、12球団選手会全てが足並みを揃えた。

8月12日、選手会はスト権を確立した。同日までの開票で、組合員752人中賛成648、反対7、無効扱い6(未開票91)という結果だった。

9月5日、近鉄選手会の礒部公一会長は「試合前にミーティングをし、最後まで戦う姿勢でいたいという意思統一を行いました」として選手会主導による無期限のストライキ発動を提案。翌6日、神戸市で選手会の会合が行われ、8日に開かれるオーナー会議の内容によっては11、12日の公式戦の選手会主導のストライキを実施することが決定された。

法廷闘争

  • 8月27日、選手会はNPBを相手取って合併を行わないようにする仮処分請求を東京地裁に申し立てた。
  • 9月3日、東京地裁は「すでに近鉄とオリックスの合併は12球団の代表者会議で承認されている。特別委員会で議決に諮る事項ではない」として選手会側の訴訟を却下する判断を示した。選手会側はこれを不服として東京高裁に即時抗告を行った。
  • 9月8日、東京高裁は選手会が打ち出した合併差し止めの仮処分申請の即時抗告を棄却する決定を下した。しかし同時に「日本プロ野球選手会には団体交渉権がある」「団体交渉で誠実交渉義務を尽くさねば不当労働行為にもなる」「日本プロ野球組織の対応は誠意を欠いており、今後は誠実な交渉を求める」とも指摘した。

9月8日オーナー会議の結果

  • 9月8日、プロ野球オーナー会議が開かれ、当事球団である近鉄とオリックス以外の10球団で合併に関する採決が行われたが、広島が「カープは地域によって支えられており、その地域の理解を得られない採決には参加できない」と表明しこれを棄権。残りの9球団の賛成により近鉄とオリックスの合併が正式に決定・承認された。またもう1つの争点だった「もう1組の合併」については、堤から対象球団がロッテとダイエーだった事が明らかにされたものの、自主再建・球団単独保有に固執するダイエー本社の拒否で「何の進展もなかった」と、計画が頓挫した事が報告された。2005年シーズンは11球団(セ・6チーム、パ・5チーム)で開催されることが確認された。
  • また交流試合(日本版インターリーグ)や加盟権料引き下げの問題などについては今後検討課題として話し合いが持たれることになった。選手会は8日の会議内容を受けて、ストライキの実行を示唆した。

9月9・10日の団体交渉

このオーナー会議の結果を受けて 9月9・10日の両日、大阪市内にて NPB ・球団側と選手会との労使交渉(団体交渉)が行われた。この席で以下の暫定合意点に申し合わせが行われ、これにより 9月11・12日に選手会が予定したストライキはひとまず回避された。しかし、交渉終了後にロッテの瀬戸山隆三代表が「近鉄とオリックスの合併は覆らない」と、“交渉は形式だけだった”とも受け取れる発言をして選手会を失望させ、ファンとの溝を深めていくことになる。古田選手会長が記者会見場を退席する際、瀬戸山代表から求められた握手を拒否したのはその象徴的事例である。

暫定合意点の内容
  1. 近鉄・オリックス両球団の合併の1年間の凍結については交流試合(日本版インターリーグ)など2005年シーズンの日程のシミュレーションを立てた上で改めて検討する。
  2. NPBは加盟料(新規参入60億円、譲渡の場合は30億円)を撤廃し、保証金制度を設置する。
  3. ファンの心配を払拭するため、2005年度についてはセ:パ=6(以上):5(以上)のチーム数を確保する。
  4. ドラフト制度改革などの専門委員会を設置する。
  5. これらの回答期限を9月17日17時とし、それによって合意がなされた場合には9月18日以降のストライキを中止する。

交渉の主な争点は、選手会が「近鉄存続の可能性」だったのに対して、球団側は「団体交渉の受け入れ」と「プロ野球の閉鎖性の改善」にあったと言える。

9月16・17日の団体交渉

9月16・17日、改めて球団側と選手会の団体交渉が東京で行われた。

選手会は近鉄・オリックス両球団の合併の1年間凍結、あるいは下記後述のライブドア楽天からの申請(計画)による 2005年度シーズンからの加盟などを求めて話し合いを行ったが、球団側の「合併凍結は行わない」「加盟申請の審査には時間がかかる」などの姿勢は変わらず、交渉は難航した。17日の17時までだった交渉期限を2時間延長しても合意には至らず、結果的に同日20時半頃交渉が決裂し、選手会・球団側の双方は21時10分頃より会見を行い選手会側は18・19日のストライキ決行を発表した。

交渉の主な争点は、選手会が「パ・リーグ6球団の維持」だったのに対して、球団側は「9月8日のオーナー会議の最終決定の維持」にあったと言える。ただ、実際は球団側にも選手会に理解を示す球団もあり、2リーグ制を望む、巨人を除くセ・リーグ5球団やパ・リーグの日本ハムやダイエーが、合併の凍結は無理でも来季からの新規参入は認めようとした。しかし、巨人、オリックス、西武、ロッテが、来季の新規参入を「時間がない」という理由で認めようとしなかった。

ストライキ決行の発表の後、選手会の会長だった古田敦也は、各キー局の深夜のニュース番組に生出演し、その経緯などを説明していった。順番としては最後になったフジテレビすぽると!で、視聴者から古田の決断に賛同するファクシミリが多く寄せられ、その中には古田の体調を気遣う内容も多くあり、古田は感極まり思わず涙を流した。

大多数の野球ファンは、このストライキを支持したが、中にはストライキに踏み切った選手会を痛烈に批判し、コミッショナーやプロ野球オーナーたちの球団数の削減案を支持する新聞記者も、少数派であるが存在した。

9月18・19日のストライキ

公式戦ストライキはプロ野球70年の歴史で初めてとなった。

9月22・23日の団体交渉、そして妥結へ

  • 9月22・23日、名古屋市内にて3度目の団体交渉が実施され、その結果23日には以下に示す7項目(骨子)の合意に達し、一連の球界再編問題に対して、ひとまず「終結宣言」が出された形となった。
選手会と球団側の合意点
  1. NPB(プロ野球組織)は2005年シーズンにセ・パ12チームに戻すことを視野に入れて新規参加チームの参加審査を行う。
  2. 1について、審査小委員会を設け、1ヶ月程度をメドとして答申に諮る。
  3. 加盟料(新規60億円、譲渡30億円)を廃止し、代って預かり保証金制度を取り入れる。
  4. 小委員会の審査過程を明らかにする(透明化を図る)。
  5. 2005年度に新規参加が認められた場合はNPBはそれが円滑に実施できるように協力をする。
  6. 選手分配ドラフトへの新規参加チームの参加を認めて、戦力を均衡できるように協力する。
  7. NPBと選手会との間で「プロ野球構造改革協議会」(仮称)を新設する。

この妥協に対して、多くのプロ野球ファンは「選手会とファンが勝った」と喜んだが、結果的には「12球団存続」で満足されてしまい合併中止には至らなかった為、合併当事者の近鉄・オリックスのファンには失望感や反発があった。

コミッショナーの対応

合併問題発覚後の対応

2004年8月23日、特別委員会開催を拒否された選手会から、24日に特別委開催の指令を要求されたコミッショナーの根來泰周は「(23日の)実行委員会の意見は選手契約に関することではないと解釈した」と話し、指令する意思のないことを示した。

スト直前の対応

9月16日、事態打開のため、根來が新規参入などに関する提案書と見解を明らかにした。 また、提案について説明し、「コミッショナーにはストライキをやめろとか、合併をやめろと言える権限はない。しかし見るに見かねて意見を提案した」と述べた。審査委員会や有識者会議の新設については「球団の新規加入や球界の諸問題は、仲間内で話し合っているとみられがちなので、外部の意見を取り入れた方がいいと判断した」という。

コミッショナーの見解要旨

何ら権限のないことを認めざるを得ないが、現下のプロ野球の未曾有の混乱を見るとき何らかの提案をし、その収束を図るべきものと考えた。当然自己の進退を含んで考慮した結果である。改革は三位一体、すなわち球団側、選手側、野球機構が一体となって取り組むべきことであり、選手の協力なくして成就するものでないから、あえてこの時期に、その協力を得る意味で提示したものである。一億総懺悔の立場から、よりよき制度運営を求めて改善を図るべきで、今ストに突入することがあれば、球団がさらに疲弊し、ついには解散、倒産に至ることもあり得るだろう。一層の自重を求めるものである。

コミッショナーの提案要旨

  1. 新規加入球団審査委員会(仮称)の設置 - 法律、経済、経営などの専門家、プロ野球OBなど7人程度で構成し、新規加入を申請している球団について、その可否を審査する。
  2. プロ野球有識者会議(仮称)の設置 - プロ野球のみならず、法律、経済、経営全般に通じた有識者によって構成し、リーグ、国際交流試合、加盟料、プロ・アマのあり方、選手OBの再就職先確保、協約の抜本的改正、ドラフト制度・FA制度――などを検討する。
  3. 加盟料 - 当面、加盟料は預かり金としてNPBが保管。その金額は、当該球団が10年以内にプロ野球から撤退することがあった場合の所属選手の1年分相当の参稼報酬額の合算額とする。

スト後の対応

9月17日、根來は選手会によるスト決行の結論を受けて辞意を表明したが、9月29日に行われた臨時オーナー会議で後任のコミッショナーが決まるまで留任することになった。2005年になっても後任のコミッショナーは決まらず、結局根來は辞意を撤回した。後任が固まったのは3年後の2008年になってからだった。

新規参入表明

ライブドア

2004年6月29日のテレビ東京のニュース番組「ワールドビジネスサテライト」は「インターネット関連企業のライブドアが近鉄の買収を近鉄本社に申し入れる」と報じ、翌30日にライブドアは記者会見で報道内容を認めた。しかし近鉄・オリックス双方は「既に断っており、今後も申し入れは拒否する」と表明した。特にライブドアに近鉄買収を持ちかけたとされる人物が選手会の関係者であるとライブドアが明らかにしたことから、オリックスの宮内オーナーは選手会会長の古田を非難した。 また、読売の渡邉オーナー(当時)が「オレも知らないような人が入るわけにはいかんだろう」と、プロ野球組織加入に恣意的要素の存在を疑わせる発言をするなど、波紋が拡がった。

7月4日ライブドア堀江社長(当時)、大阪ドームで観戦(2004年7月4日撮影)。

近鉄本社・球団の予想以上の抵抗に遭ったライブドアは、近鉄を買収できない場合は新球団を設立してプロ野球に参加する方針を固め、8月19日、9月にもプロ野球に参入する姿勢を明かした。この時点では「新球団は大阪府を保護地域(野球に関する利益を守られる地域)、専用球場は大阪ドーム、球団名は『バファローズ』の名を取得できるよう交渉する」などの構想が掲げられていた。

8月22日にライブドアは広島の松田オーナーに対して挨拶状を送り、プロ野球参入時の協力などを要請した。これに対し松田オーナーは好意的な姿勢を示した。また阪神の久万俊二郎オーナーも「私でよければ応じたい。10年は持ちこたえる覚悟があるか聞きたい」と、ライブドア社長・堀江貴文との会談に前向きな姿勢を見せた。

9月8日のオーナー会議で近鉄・オリックス両球団の合併が承認されたことで、ライブドアは近鉄の買収を断念。9月16日、新しいプランのもとでNPBに対し正式に参加申請を行った。記者会見では運営会社「ライブドアベースボール」を設立した事、保護地域を宮城県、専用球場を宮城球場とした事を発表した。

9月21日の実行委員会では、「申請の受理から30日以内(10月15日まで)に審査結果をライブドア側に通知する」方針を確認した。これまで球団側は「選手などと契約していない会社を『球団』と呼べるのか疑問だ」としていたが、協約第35条には「球団から(中略)申請のあった事項にかんし」「決定を球団に通達しなければならない」と書かれていることから、今回の方針の確認は、「ライブドアベースボールを『球団』と認めた」とも受けとれる。なお協約には、契約選手・監督・コーチの人数の上限の規定はある(第79・80条)が、下限の規定は無い。

なお、監督は当時の阪神駐米スカウトのトーマス・オマリーが決定した。

10月26日、インターネットで行ったアンケート結果を受け、チーム名を仙台ライブドアフェニックスにすると発表した。

11月2日の実行委員会とオーナー会議で楽天東北楽天ゴールデンイーグルス)の新規加盟が承認され、ライブドアの新規参入はならなかった。

楽天

9月15日、日本国内最大手のインターネットのショッピングモール「楽天市場」を運営する楽天が、プロ野球への参入を検討していることを公式に表明した。

本拠地は同社の創業者で社長の三木谷浩史の出身地である兵庫県に置き、ヤフーBBスタジアムをフランチャイズにすること、地方主催は岡山県倉敷市倉敷マスカットスタジアムなどを用いること、近鉄・オリックス両球団の合併後発足する新生オリックスの保有枠から漏れた選手らを中心に結成することなどを具体的に挙げており、またインターネット通販などを使ったグッズの直販などファン拡大にプラス作用することが考えられるといわれている。

9月18日には楽天の役員を通じて長野市鷲澤正一市長に長野オリンピックスタジアムを本拠地にすることについて打診があったことが判明した。これを受けて鷲澤や長野県田中康夫知事は「楽天側からの希望があれば支援したい」と表明している。打診内容は本拠地か、もしくは年間数カードを開催する準本拠地としてのものだったとされる。22日には鷲澤市長と田中知事が長野市役所内で協議し、県と市が協力して誘致活動を行っていく方針を確認した。

一方20日には三木谷社長と当時の太田房江大阪府知事の会談があり、大阪ドームが本拠地候補の想定内であること、太田知事も「条件面でできる限りのバックアップをしたい」と応じたことが明らかになった。 だが大阪・兵庫は阪神と、オリックス・近鉄の合併により誕生する新球団が保護地域としていることがネックとなり、大阪ドーム及びヤフーBBを本拠地として申請することを断念した。三木谷社長はのちに、親交のある宮内オーナーから直々に遠慮するよう指示されたことを明かしている。

そして三木谷社長は22日、先にプロ野球への加入申請を行ったライブドアが本拠地として申請している宮城球場を本拠地として、「楽天野球団」として24日に加盟申請を行うことを表明した。同時に「長野も素晴らしいスタジアムを持っている。年間10~15試合できればいいかなと思っている」として、オリンピックスタジアムでも定期的な試合開催を検討していることを明らかにした。また仙台を本拠地とできなかった場合、長野を本拠地とする可能性については「それはない」としながらも、「地元の人達が、どう盛り上がるかにかかっている」と、準本拠地化については前向きな姿勢であることを示した。この楽天の計画について鷲澤市長は「素晴らしく名誉な話。ぜひ(誘致したい)と思う」と述べ、歓迎の意向を再度表明した。しかし、その後楽天は東北地方を中心とした球団創りに方針を転換したため、長野を準本拠地とする構想は事実上消滅した。

10月5日、楽天は新規参入が認められた場合のゼネラルマネジャー(GM)として、太平洋クラブライオンズ(現・西武)のフロントや、アメリカのマイナーリーグバーミングハム・バロンズでのオーナーを経験したスポーツライター・評論家のマーティ・キーナートを招聘したと発表し記者会見を行った。また10月13日には元中日→西武→阪神の選手として活躍し、中日で1回、西武で2回のリーグ優勝に貢献したスポーツキャスターの田尾安志を監督として迎え入れることを発表した。

10月22日、チーム名を東北楽天ゴールデンイーグルス(通称楽天イーグルス)に決定。三木谷社長曰く「(ゴールデンイーグルが意味する)イヌワシ東北6県全てに生息しており、優雅に飛んで狙った獲物をはずさない。いい名前だと思う。長いので『楽天イーグルス』と呼んでもらいたい」。

11月2日、オーナー会議で参入が正式に承認された。これにより、1954年にパ・リーグに新規参入した高橋ユニオンズ以来半世紀ぶりに新しいプロ野球チームが宮城・仙台市に誕生することになった。企業の経営体質や将来へ向けた経営の安定性が認められてのプロ野球参入決定となった。

仙台市#スポーツも参照

第1回公開審査会

10月6日、東京で楽天、ライブドアに対する第1回公開審査会(ヒアリング)が開かれた。このヒアリングは審査の公正さ、透明さを明確にするため一般(報道関係者ら)の会場への立ち入りを規制し、それらは別室のモニターテレビでチェックするという形が取られた。

この中で両社に対し、本拠地となる宮城球場の改修に際しての対応、監督・フロント体制、経営面の資金調達などの質疑を交わした。当時宮城球場は老朽化が著しく、プロ本拠地として使用する為には大規模な改修が必要となっていたため、同球場の改修計画に関するヒアリングも重点的に行われた。楽天側は「段階的に増改築を施し、2005年開幕時には23,000人収容で暫定オープンし、将来的には3万人規模に拡大させる」、一方のライブドア側は「2005年のシーズン途中を目途に改修工事を完了させ、3万人収容でオープンさせる」とそれぞれ提案した。改修工事費用についてはそれぞれ親会社が負担し、楽天は32億円程度、ライブドアは20~30億円程度の予算を要するとした。

第2回公開審査会

10月14日に第2回の審査会が行われ、財政面での審議を行った。その中でアダルトサイトの扱いに関して討議され、ライブドアは「サイトは道路や広場を提供しているので何をしているかは監視できない」とし、一方の楽天は「本人確認はクレジットカードなど年齢確認が明確なものを使って厳正にやっており、青少年には利用できないようにしている」と説明した。

その他の新球団構想

上記のライブドア・楽天の他、全国各地でも新球団構想が次々と発表された。これらの中には楽天の参入により球界再編の動きが収束した後にNPB球団から独立リーグへ方針転換し、実現に至った構想もある。

静岡県の新球団構想

8月23日東京都内のスタジオで収録されたBS朝日の番組で、社会人実業団野球チーム・シダックス野球部野村克也監督が「合併によってチームが減るのであればシダックスが参加したほうがいいのではないか」という発言をした。

番組は野村監督と竹中平蔵金融財政担当大臣との対談で行われ、静岡市静岡県草薙総合運動場硬式野球場を本拠地、浜松市浜松球場を準本拠地とし、野村監督がアマチュアから引き続いて指揮を取ることなどを提案している。

だが、シダックス野球部は2006年シーズンを最後に廃部となりその後も新球団構想は具体化に至っていない(2019年現在)。また野村は後に楽天の監督に就任することになる。

新潟県と金沢市の新球団構想

2004年10月5日新潟県の企業家らが中心となって「新潟に県民球団を創る会」の準備委員会が設立された。2008年春に完成予定であった新潟県立野球場の完成に合わせ、新球団「新潟アルビレックス」を結成、2007年秋に加盟申請を行うことを目標に活動するというもの。委員会はサッカーJリーグアルビレックス新潟社長(池田弘新潟総合学園理事長)を中心として設立され、新潟商工会議所の関係者など県内の財界関係者らが発起人として名を連ねた。

2004年に石川県金沢市プロ野球球団の誘致、ドーム球場の建設を目指す市民団体「金沢に来まっしプロ野球の会(金沢カモンズ)」が設立された。同団体は、金沢市に3万5000人収容のドーム球場「百万石ドリームドーム(仮称)」の建設やプロ球団の誘致・新球団設立を目標とし、二宮清純らが設立した「野球の未来を創る会」とも連携する方針を打ち出していた。

その後、新潟の「創る会」は球界再編の動きが収束したことを受け、方針を当初の「NPB加盟球団の創設」から「独立リーグの創設」に転換。金沢カモンズと合流して検討作業を進め、2006年春に独立リーグの創設構想を公表し、2006年秋に「北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(現ベースボール・チャレンジ・リーグ)」が設立された。同リーグ傘下の球団として、新潟県を本拠とする「新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ」と石川県を本拠とする「石川ミリオンスターズ」がそれぞれ設立され、さらに長野県富山県を含めた計4球団によって翌2007年から公式戦を行っている。

また新潟ではその後、再びNPB球団の誘致を求める動きが起こっている。2009年に竣工した新潟県立野球場(HARD OFF ECOスタジアム新潟)では同年7月以降セ・リーグ公式戦4試合が開催され、施設面で高い評価を得たことなどから、新潟県と新潟市では同年9月から既存のNPB12球団に対し同球場への本拠地誘致を水面下で開始し、2010年3月24日には県・市・県内財界関係者などから成る「プロ野球新潟招致委員会」が発足。今後NPBとセ・パ12球団に対して活動を進め、まず公式戦の開催数増加を図り、その上で年間10試合前後を開催する「準フランチャイズ」の招致、最終的には本拠地の誘致を目指す方針を示し、早ければ2012年シーズンには準フランチャイズ化を実現したいとしている。

ベースボール・チャレンジ・リーグ新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ石川ミリオンスターズも参照

松山市の新球団構想

2004年12月に、プロ野球球団の誘致を目指すため松山市内の企業経営者ら31人で市民団体「坊っちゃんスタジアムをプロ野球の本拠地にする会」が愛媛県松山市に発足した。

その後、松山の新球団構想も「独立リーグの発足」に方針転換され、2005年に発足した独立リーグ「四国アイランドリーグ」(現・四国アイランドリーグplus)の愛媛マンダリンパイレーツとして実現を見ている。

四国アイランドリーグplus愛媛マンダリンパイレーツも参照

大阪市の新球団構想

大阪日日新聞2005年2月1日付記事において、大阪市に本店を置き、MKグループ青木定雄会長が代表理事会長を務める近畿産業信用組合が中心となり、「市民球団」を結成してNPBへ新規参入を目指す計画が明らかにされた。

それによると、同信組では球団の設立・運営に関して必要となる金額の具体的調査を独自に実施し、球団設立に際し新規参入のための預かり保証金や選手の年俸などで100億円程度の資金が必要と試算。これに基づいて市民や企業などからスポンサー資金を募り(個人は1口1万円程度で募集)、入場料収入などと合わせて年間収入は54億円程度を見込む、というものであった。また大阪ドームを専用球場とし、大阪近鉄バファローズとしての最後の監督となった梨田昌孝を監督として起用するなど、球団運営に関する具体的な構想も盛り込んでいた。

2月2日、近畿産業信組は先述の市民スポンサー制度に加え、法人企業サポーター制度として各選手を主として関西圏のスポンサー企業と契約を結んで、企業は契約している選手をコマーシャルに起用できるようにするという試みを取り入れることを明らかにした。会見の席上、青木会長は「現在30社程度から協賛を得ている」と説明したが、同信組は法律上兼業を禁じられていることから筆頭株主としての運営はせず、業務純益から5%程度を協賛金として出資する程度に留めるとした。

そして2006年2月16日、当時大阪ドームの運営管理を行っていた第三セクター大阪シティドーム」の経営再建問題の渦中、同ドームの施設と営業権を対象として行われた入札に、MKグループの大阪エムケイが最低入札価格の100億円で応札した。計画書にはMKグループが共同出資者を募って大阪ドームを買収し、前述の市民球団構想を数年後に実現させることなどが記されていた。だが2月22日、管財人はMKの応札内容は不確実性が高いと判断して落札を見送った。その後、管財人は大阪市、オリックス球団と協議した結果、オリックスグループがドームの施設を不動産として取得し、シティドーム社の経営もオリックスを中心に近畿の財界各社の出資によって引き継ぐこととなり、会社更生手続は2007年1月に終結した。

当時、このMKグループの市民球団計画に関しては、企業の関心がどれだけ高まるか、またオリックスと近鉄の経営統合後の球団・オリックス・バファローズが当時、神戸市との二重本拠地を解消する予定の2008年度以後も大阪ドームを本拠球場としたい意向を持っていたことから、それらの課題をいかに解決していくか疑問視する声も上がっていた。結局MKグループ側が前述の大阪ドームの落札見送りを受け、再度入札が行われたとしても応札しない方針を表明したことから、この一連の市民球団構想は事実上立ち消えとなったが、その後2009年2月、同年設立された関西独立リーグ (初代、2013年消滅)に関し「市民球団設立を願う視点からこの趣旨、目的に賛同する」として同リーグに協賛する方針を明らかにした。

この項の外部リンク

労使交渉妥結後

9月27日の実行委員会

この日の実行委員会で以下の決定がなされた。

  • 9月18、19日のストライキに伴う再試合を実施しない。これにより、今シーズンは当初予定されていたセ・140、パ・135からそれぞれ2試合未消化のセ・138、パ・133で打ち切ることになった。公式戦の記録もこれらの試合数を消化した時点のもので決定される。
  • 2005年からセ・パ交流試合(日本版インターリーグ)を開催することを正式に決定し、ホーム&ビジターで各3試合ずつの6回総当り(1チームあたり36試合)を実施する。

9月29日のオーナー会議

  • 9月27日に開かれた実行委員会(前項)の決定どおり、2005年度からの公式戦交流試合(日本版インターリーグ)の開催(ホーム&ビジター各3試合ずつの6回総当り)を正式に承認した。
  • また新規参加を希望する企業への審査小委員会の第1回会合を9月30日に実施し、楽天とライブドアから出されている新規参加計画についての審査を本格開始する。
  • 加盟料(新規60億円、譲渡30億円)撤廃後に新たにスタートする「預かり保証金制度」の内訳が決定した。総額30億円で、そのうちの25億円が預かり保証金そのもの(10年間同じ企業が保有した場合それは返還される)。残りの5億円のうち1億円は加盟に際しての手数料、4億円は野球振興基金への寄付となっている。

10月4日の実行委員会

  • 2005年度のペナントレースの日程について討議され、交流試合(日本版インターリーグ)は5・6月のオールスター開催前に集中して実施する方針で準備を進めると発表した。

10月16日の実行委員会

  • 2005年度のペナントレースのパ・リーグ開幕戦の主催権(2003年の成績に基づく)のうち近鉄(3位)保有分を、オリックス・近鉄の合併に伴って、ロッテ(4位)が譲り受けることを決定。
  • また交流試合の予備日程調整の関係で当初7月9・10日に開かれる予定だったオールスターの開催日を7月22・23日(22日=西武ドーム、23日=阪神甲子園球場)とすると発表。

10月26日の実行委員会

  • 2005年度の交流試合の日程、並びにセ・パの来期の試合数がまとまった。
    • 交流試合は5月6日から6月16日の6週間に集中開催する。
    • これにより試合数はセ・146試合(同一リーグ内:22回総当り・110試合、交流戦:6回総当り・36試合)、パ・136試合(同一リーグ内:100試合 5チームの場合は25回総当り、6チームの場合は20回総当り、交流試合はセと同じ)+プレーオフ・トーナメント(上位3チーム)とする。
  • また楽天、ライブドアの加盟問題についての審査小委員会の報告、2005年度シーズンオフのアジア・チャンピオンズカップ(→アジアシリーズ)の開催検討などが討議されている。

11月2日の実行委員会・オーナー会議

東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地・宮城球場(2005年 当時・フルキャストスタジアム宮城)
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス(楽天野球団)と仙台ライブドアフェニックス(ライブドアベースボール)から出されたプロ野球新規加盟申請の最終審査を行い、資金・財政面や将来性などで勝っている楽天が新規参入を認められた。
  • 宮城球場は1973年から1977年までの間、東京スタジアムが閉鎖された関係でロッテオリオンズが実質的なフランチャイズを置いていたため、楽天は東北地方ではそれ以来2番目のプロ球団となるが、元から仙台市及び東北地方を本拠地とするチームとしては史上初となる。
  • 仙台周辺地域では楽天よりも1ヶ月近く早く東北地方を地盤とした球団を設立することを表明したライブドアベースボールの支持者が8割を占めているといわれ、また早くからライブドアは黒字経営に自信を示していたにもかかわらず、オーナー会議での審査結果は、球団運営は赤字経営となることを前提におき、楽天の親会社の経営状態を評価する発表だったことから、ファンの意向の反映は最低限に止められたとする見解もある。

選手分配ドラフト

11月8日、大阪市内でオリックスと楽天の選手分配ドラフトが行われた。このドラフトではまずオリックスが提示した、オリックス・旧近鉄から選抜されたプロテクト(優先保有)選手25人、並びにフリーエージェントを行使した選手、外国人選手、入団2年目までの選手を除く全選手の中から、まず20人を楽天が選抜。それ以後は入団2年目までの選手を加えてオリックス→楽天の順でそれぞれ20人ずつの選手を選抜し、指名されずに最後に残った選手はオリックスに配分される。オリックスに配分された近鉄選手はオリックスへのトレード、オリックス選手は契約を更改するという手続きをとる。

結果

オリックス・バファローズ
旧オリックス・ブルーウェーブ
投手 捕手 内野手 外野手
歌藤達夫 日高剛 後藤光尊 村松有人
柴田誠也 吉原孝介 福留宏紀 谷佳知
加藤大輔 前田大輔 塩谷和彦 肥田高志
山口和男 上村和裕 平野恵一 相川良太
小川裕介 長田勝 塩崎真 早川大輔
川越英隆 五島裕二 迎祐一郎
ユウキ 牧田勝吾 由田慎太郎
岩下修一 嶋村一輝
マック鈴木 菊池俊夫
本柳和也 玉木朋孝
大久保勝信
相木崇
野村宏之
松村豊司
萩原淳
山本拓司
塩屋大輔
旧大阪近鉄バファローズ
投手 捕手 内野手 外野手
岩隈久志 的山哲也 北川博敏 下山真二
山本省吾 鈴木郁洋 中村紀洋 坂口智隆
香月良太 横山徹也 水口栄二 吉良俊則
近藤一樹 阿部真宏 大西宏明
高木康成 山崎浩司 井戸伸年
宮本大輔 三木仁
阿部健太 筧裕次郎
谷口悦司 中本和希
宇都格
岡本晃
栗田雄介
吉川勝成
東北楽天ゴールデンイーグルス
旧オリックス・ブルーウェーブ
投手 捕手 内野手 外野手
金田政彦 高橋浩司 斉藤秀光 佐竹学
谷中真二 大島公一 竜太郎
戸叶尚 小島昌也
小林宏 中島俊哉
小倉恒
徳元敏
旧大阪近鉄バファローズ
投手 捕手 内野手 外野手
福盛和男 藤井彰人 吉岡雄二 礒部公一
山村宏樹 新里賢 高須洋介 川口憲史
有銘兼久 近澤昌志 前田忠節 森谷昭人
川尻哲郎 長坂健冶 山下勝己 鷹野史寿
愛敬尚史 坂克彦 益田大介
高村祐 星野おさむ 牧田明久
矢野英司
小池秀郎
朝井秀樹
吉田豊彦
佐藤和宏
  • 礒部ら近鉄の一部の選手は労使妥結の前提となった近鉄選手の移籍先には本人の意思を尊重する、という趣旨の「申し合わせ」を引き合いに、オリックスのプロテクトを拒否。オリックスも近鉄のエースだった岩隈を除いて(後述)これを認め、楽天が彼らを獲得した。この「申し合わせ」の経緯や内容の詳細は10年近く経過した2017年現在でも明らかにされておらず、このことから礒部・岩隈ら彼らの移籍を「わがまま」と批判する意見も存在する。吸収合併する側で、移籍希望すらできないオリックスの選手の中からも彼らや球団の対応を批判する意見もあらわれ、妥結時に、近鉄選手に対し「流れに乗じた動きになるような徒党を組まないでほしい」と要望していたオリックスの小泉隆司球団社長らは今度は自軍選手への対応にも追われた。
  • また例外として扱われた岩隈は、分配ドラフト前には軟化の気配もあり、オリックス側は説得可能と判断しプロテクトした。しかし一転岩隈は態度を硬化させオリックス行きを拒否。オリックスはあくまで自球団が近鉄から球団「譲渡」を受けた立場であることから球団幹部・主力選手らが翻意を促す。しかし選手会は岩隈を支持し「岩隈はオリックスか楽天のどちらか選択できるはず」と譲らなかった。また、この選手分配ドラフトがもともと他球団による過剰選手の「救済」という一面を持っており、楽天はこの救済獲得枠を既存10球団から譲渡された形だったことや、「消滅する近鉄の選手」への同情から他球団の援護も得られなかったことで、オリックスの対応は行き詰まる。オリックスに同情したパ・リーグの小池唯夫会長が「2005年はオリックスでプレーした後、改めて移籍先について検討するのが妥当」と提案したが解決には至らず、12月22日「申し合わせ」の当事者だった小泉球団社長は説得を断念。宮内オーナーの判断を仰ぎ、新球団・岩隈双方の今後に配慮して「超法規的措置」を選択すると声明、楽天への金銭譲渡を決めた。
  • メジャーリーグのエクスパンション・ドラフトのような、新球団への最低戦力保証は行われなかった。このため楽天にはオリックスが合併球団の主力25名として選ばなかった選手を獲得することしかできず、他球団との戦力差から開幕2試合目の対ロッテ戦に0対26で敗れたように大差で敗戦する試合が目立ち、最終的にはシーズン97敗を喫した。
  • 上村和裕(オリックス)と山﨑浩司(近鉄)はオリックスに指名された後、翌2005年のキャンプ前に菊地原毅とのトレードで広島東洋カープに移籍。2人は合併球団でのプレーの無いままに移籍することとなった。山﨑はオリックスへの所属期間が2ヶ月弱であったが、旧近鉄から形式上はオリックスに移籍した経歴が残り、更に2008年には田中彰とのトレードでオリックスに「復帰」している。
  • 楽天は分配ドラフトから漏れた自由契約選手でも、オリックスから山﨑武司(内野手)を、近鉄から根市寛貴藤崎紘範(以上投手)・永池恭男(内野手)を獲得した。

再編時の問題と一連の諸問題

同一リーグ内で2球団が合併して5球団でのリーグ戦となると、1球団だけ試合ができなくなるため総試合数が減る。総試合数を増やせば、同一カードが増えてマンネリ化も予想される。

さらに合併球団が優先的に確保(プロテクト)できる選手の人数や対象、プロテクトされない選手の他球団への配分、打撃投手・ブルペン捕手・スコアラーなどの職員の処遇、プロテクトが労働者の契約先選択の権利の侵害に当たる可能性、合併球団の最終的な本拠地の選定などの問題が指摘された。本拠地に関しては、近鉄の大阪ドーム使用料がオリックスのヤフーBBスタジアム使用料のおよそ10倍であることが赤字の要因とされている。

10球団1リーグ制にした場合の問題としては、オールスター・ゲームをどうするのか、日本シリーズに代わる試合をどうするのか、9位対10位といった下位球団同士の試合を見たいと思う人がどれほどいるのか、NPBの職員はどうするのかなどが指摘された。

また、巨人がパ・リーグに移籍して5球団ずつの2リーグ制にすれば、1リーグ制同様に巨人対ダイエー、巨人対西武、巨人対日本ハムなど、新鮮なカードを組めるという声もあったが、「移籍してもまた同じことが起きる」「巨人中心主義だ」「セ・リーグの多くの球団の経営が破綻する」など既得権に絡む根強い反対があった。

その他、合併問題が明らかになる以前からも指摘されている一連の諸問題として、

  • 選手に関わる問題として
    • 交渉相手ではなく商品としてしか選手を見ない球団側の人身売買的な態度(金銭・無償・交換トレード問題)
    • NPBが選手会を労組と認めず話し合いに応じてこなかった経緯(現行の協約では、野球制度への議題の提出権・参考意見を述べる権利・会議の傍聴権などが選手会に無い)
    • ドラフトの逆指名制度やFAによる戦力の一極集中
    • 選手の年俸抑制策の不十分さ
    • 優秀選手のメジャーリーグへの流出
  • 日本のプロ野球界の閉鎖性に関わる問題として
    • 60億円の新規加盟料が独占禁止法違反だった疑い、それに代わる預かり保証金の金額の是非
    • 大企業の寡占による閉鎖性
  • 球界(特にセ・リーグ)の巨人依存体質
    • 巨人戦収入に依存しその維持の為だけに行動するセ・リーグ5球団(巨人のパ・リーグ移籍発言で危機感を抱くまでは冷淡であったが、急に現状維持へ積極的となる。しかし放映権分配などへの言及はなし)
    • CS放送の普及(途中経過目的で見ていた人達が巨人戦を見なくなったため視聴率が低下、それに伴う巨人戦が基準のテレビ放映権料の値下げ)
  • オーナーへの権力集中に関わる問題として
    • コミッショナー・実行委員会制度の形骸化
    • 球団=広告という各オーナーの認識
    オリックス・宮内オーナー「オリックスの社名がつかなければ、球団を持つ意味はない」
    (合併構想浮上直後のインタビューで、合併新球団の名称について聞かれて)
    阪神・久万オーナー「大金持ちになるためにやるのではない。大金持ちが自分の金を使ってやること」
    (ライブドア社の球界新規参入計画本格化の際、堀江貴文の積極姿勢に対する牽制として)
  • 他スポーツと比較して
  • その他
    • ぜいたく税・リーグ間の球団移籍・新規参入基準などの不備
    • 球団の大都市集中
    • セ・リーグ球団の対巨人戦放映権料に対する過度の依存、中継視聴率の低迷と、球界全体を考えず既得権にしがみつく姿勢
    • 前時代的で、恣意的解釈の余地のある協約の記述(「不朽の国技」「野球の権威」「世界選手権」「利益を保護助長」)
    • 特定の球団に対して偏向的なマスコミの姿勢

などが球界の内外より挙げられている。

社会の反響

政界

小泉純一郎内閣総理大臣は6月15日、「期待と心配の両方がある。セ・パ両リーグ一緒に試合してもらいたいし、球団削減でファンが心配しているのではないかとも思う」と述べた。

8月4日、民主党を中心とする国会議員35人は性急な1リーグ制移行の阻止と第三者協議機関の設置を目指す「日本プロ野球の更なる飛躍・発展とスポーツ文化振興による地域活性化を推進する会」(発起人代表・仙谷由人)を設立。 自由民主党の国会議員16人も同日、「2リーグ制を守り、プロ野球の発展を図る議員連盟」(代表世話人・小林興起)を設立した。

自民党では、大阪府議会議員団が府議全員で構成する「大阪を本拠地とするプロ野球球団の存続を求める議員連盟」を発足させ、8月5日に第1回総会を開いた。

経済界

日本経済団体連合会奥田碩会長(トヨタ自動車会長)は6月14日の会見で、「1リーグ8球団体制の方が合理的で内容もしっかりする」と、1リーグ制に理解を示した。また、9月13日には「新しいセンスがありベンチャーで成功した人が、アメリカのようにオーナーになってもいい」「(外資参入は)協約を直せばいいだけの話」と話し、プロ野球には改革が必要という認識を示した。

全国銀行協会西川善文会長(三井住友銀行頭取)は6月22日の会見で、球団数やリーグ数についてのコメントこそ控えたものの、「合併だけでプロ野球界全体の問題あるいは球団経営の問題が解決するわけではない」と、プロ野球界の根本的な構造改革の必要性を示唆した。

またオールスターゲームのスポンサーだった三洋電機井植敏会長は7月16日、「オールスターはセとパでやるから面白い」と述べ、1リーグに移行した場合、オールスターゲームの代替案として取り沙汰されている「東西対抗戦」案を「スポンサーをする気にはなれない」と批判した。

日本銀行福井俊彦総裁は9月9日の会見で、選手会のストライキ決議への一定の理解を示し、「参入を制限しないでほしい」との見解を示した。

シダックス志太勤会長は1リーグ制に賛成し、「その代わり二部リーグ、三部リーグをつくる。二部リーグはプロの二軍とアマのリーグ戦、三部はその他のクラブチームのリーグ戦方式にする。」と主張した。また、JR東海葛西敬之会長は「1リーグにして少ないパイを分け合おうというのは一つの自然な流れだと思う。」としながらも、「今の球団サイドと選手会の対立は、ちょうど我々が国労とやったとき[注釈 4]の状況と似ている気がしますね。ただし、単に1リーグにしただけでは縮小再生産の無限軌道に入って、チーム数をさらに減らす事態になりかねない」との見解を示した。日本国外ではヨーロッパのイタリアの野球セリエAやドイツの野球ブンデスリーガ等に、1部2部制度が導入されている[4]

JR東日本松田昌士会長によると、JR東日本にもこの時、「数十億円」で球団買収の話があった。松田は真剣に検討したが、「スワローズの愛称だけでも取り戻したかったのですが、結局ダメでした」という[5]

労働界

労働界では、7月9日に日本労働組合総連合会笹森清会長が、選手会と会談したいとの意向を表明した。

前日の7月8日、古田はオーナー側に話し合いを呼びかけた。ただし、「会いたい」と言ったわけではなく、報道陣に「直接オーナー側と会ったほうがいいのではないか?」と聞かれて「出来ればそうしたいんですけど、機会を設けてくれないでしょう」と述べた。これがオーナー側に「会いたいと述べた」と伝わった。

これに対して、渡邉オーナーが「無礼なこと言うな。分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が。」と発言した[1]のを受けて、笹森会長は「いかなる企業の経営者であっても話し合いを拒否するのは許されず、怒りを禁じ得ない」と渡邉を非難した。古田と笹森会長の会談は8月12日に行われ、その後のスト権確立、スト条件、スト実施法、損害賠償請求といった法的問題を解決していく上で重要な役割を果たしたとされる。

全国労働組合総連合は7月27日、松原徹選手会事務局長と懇談および意見交換を行ったうえで、翌28日の定期大会において、選手会の署名運動への協力、渡邉による選手の人格無視・選手への人権侵害発言の撤回要求、『読売新聞』に対する抗議運動(不買運動を含む)の具体化を提案した。

マスコミ

再編問題を報道したマスコミは、世論調査などでの選手会への高い支持などから、おおむね選手会に好意的な報道が目立った。毎日新聞に至っては「ストライキはNPBの怠慢である」と厳しく断じている。明確に経営者側に立ったのは自前の球団を持ち渡邉自身が主筆を務める読売新聞とその系列マスコミの報知新聞日本テレビなどと、かつてアトムズ球団を保有していたフジサンケイグループ夕刊フジだけだった。

読売新聞は選手会によるストライキ前後に社説[6]や、合併した両球団の元監督だった一方でストライキに対しては批判的だった西本幸雄のコメントを掲載した。

夕刊フジに至っては、特に編集委員の江尻良文[注釈 5]がストライキに踏み込んだ選手会や当時の古田会長らを痛烈に批判、その後も選手会の動きがあるたびに江尻は「選手会は無能の集まり」という旨の批判を繰り返していた。

その一方で夕刊フジと同系列にある産経新聞は、夕刊フジとは逆に選手会支持・経営者批判をし、9月22日の社説「主張」の「プロ野球再編 オーナーが決断する時だ」の中では「スト決行について、読売新聞の社説は、『ファン裏切る“億万長者”のスト』との見出しで、選手会を激しく非難した。非難されるべきは、選手会の主張に耳をかさず、当初は話し合いのテーブルにも着かなかった経営者側にあるのではないか。」との文章で読売社説の批判[注釈 6]もした。

また、自前の球団を持つTBSは、ストライキを積極的に支持はしなかったが、選手会の批判も避けた。同じく球団を持つ中日新聞も、ストライキの支持の表明はなかったものの、選手会に対する経営側の姿勢については「ファンの目にも奇異に映る」と批判的な社説を展開した。代わりに、『中日スポーツ』の読者欄では、ストライキに反対する投稿を多く採用した。

また日刊スポーツ朝日新聞系列だが、選手会支持の朝日新聞とは異なり、経営者支持の記事を多く載せた。この他、日本経済新聞はリアルタイムでの選手会批判はさほど行わなかったが、翌2005年発行の日本経済新聞社編『球界再編は終わらない』(2005/3 ISBN 4-532-31207-8)で球団合併を高く評価し、1リーグ8球団制にも好意的な内容だった。著者が会社名義であることから、事実上社による経営者支持表明だった。

その再編問題の発端である関西地区では合併騒動に関しては大々的に取り上げるものの、同じく地元球団の阪神・久万オーナーはもともと1リーグ制を支持していたため、「こういうときに限って巨人の肩を持つ」という批判もうけた。後に星野らの説得を受けて、2リーグ制維持を球団の方針とした。

毎日放送読売テレビなど一部のマスコミではほとんどこの問題には触れなかった。また阪神人気一辺倒からか関西の著名人の合併問題への関心・反応も薄く、球団創立時からのバファローズファンだった俳優藤田まことの「プロ野球ファン引退宣言」とハイヒールモモコ、高山トモヒロらが有志が行っていた存続を求める署名活動に参加した程度だった。大阪府の太田知事は、財界の後援を支持基盤のひとつにしていたことなどから、ほとんど経営者側に配慮した日和見的姿勢に終始した。もっとも、合併問題終盤には近鉄選手らに同情的な姿勢や発言もみられたが、「(近鉄の本拠地である)大阪ドームでたくさん阪神戦をして下さい」と発言したことから、旧近鉄ファンの中には今なお彼女への不信、批判も根強く残っている。

ただし、パ・リーグは元来オーナーが鉄道会社阪急南海近鉄東急西鉄[注釈 7]・映画会社(東映大映[注釈 8]中心のリーグで、唯一マスコミ[注釈 9]で親会社となっていた毎日新聞(毎日オリオンズ)は早期に離脱し、球団あるいはその親会社と資本・友好関係があった西日本新聞九州朝日放送(以上西鉄ライオンズ)も球団の西日本鉄道から中村長芳への売却時に関係を解消・縮小したことに加え、映画産業の斜陽化も加わり、パはマスコミ、特にテレビへの対応が後手に回ったのが遠因とする指摘もある[注釈 10]。これに対して、セ・リーグは、確かに阪神や過去に経営していた国鉄[注釈 11]も鉄道会社だが[注釈 12]、読売・中日と有力なマスコミがあり、フジサンケイグループ・TBS・中国新聞[注釈 13]も時期によっては加わっていたことから、マスコミ中心の布陣といえた。しかし、テレビ普及後のファンサービスについては、パが遅れを取り戻すべく力を入れたことも指摘されている。

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 後に後述の栄養費問題でオーナーを辞任したが、その後は会長に就任し以前と全く変わらぬ活動を展開している。
  2. ^ その後、ライブドアは2年後の2006年に証券取引法違反が発覚し、買収を名乗り出た堀江貴文を筆頭とした首脳陣が逮捕されることとなる。
  3. ^ スポーツライターの小関順二も「ダイエー本社が1リーグ制阻止の影の立役者」と評価している。
  4. ^ 国鉄分割民営化のこと。
  5. ^ 江尻は王・長嶋・渡邉を賛美し、古田を嫌悪していたため(詳しくは本人の項を参照)、古田が会長を務めていた時期の選手会にも批判の矛先を向けている面があった。宮本慎也が会長に就任して以降の選手会に対しては古田会長時代よりも批判的論調が減少している。
  6. ^ 産経新聞は、JR福知山線脱線事故の際にも、記者会見で暴言を吐いた読売新聞の記者を批判していた。
  7. ^ 福岡野球の経営時代のライオンズも、スポンサーだった太平洋クラブとその設立母体だった平和相互銀行を通じて総武流山電鉄(現:流鉄)と間接的に関係があった。
  8. ^ 東宝も阪急電鉄系のため、間接的にプロ野球と関係があった。
  9. ^ 前述の映画もマスコミの一つではあるが、この場合は新聞・放送などの報道・情報関係を指す。
  10. ^ パ・リーグの球団で親会社を通じてテレビ局との球団の関係が明確だったのは、南海と毎日放送、阪急と関西テレビ、近鉄と朝日放送だった。ただし朝日放送は阪神とも関係が深かった他、毎日放送も商業的理由からセ・リーグを優先していたため、結果的に阪神との関係が比較的希薄だった関西テレビでの放送が多くなっていた。
  11. ^ 公共企業体のため、実際は関連団体・企業(日本通運日本交通公社など)が親会社となっていた。
  12. ^ 一時期巨人が京成電鉄と、広島が広島電鉄と、中日が名古屋鉄道と資本関係があった。
  13. ^ 一時広島の共同オーナーだった。

出典

  1. ^ a b asahi.com : ニュース特集 - 球団合併問題「『話をしたい』という古田に、渡辺オーナーが『無礼な』」 - 2004年7月8日21:55配信、2015年12月5日閲覧
  2. ^ プロ野球:近鉄との球団合併から10年 オリックス宮内オーナーに聞く
  3. ^ 球団消滅の当事者が語る“球界再編10年”山村宏樹氏「“野球の力”再確認できた」
  4. ^ 俺も言いたい!財界人と1リーグ論争 構成:小川剛
  5. ^ 堤哲『国鉄スワローズ1950-1964』 p22
  6. ^ 2004年9月18日付「ファン裏切る“億万長者”のスト」、9月19日付「何が選手たちの真の望みなのか」、9月20日付「球界の将来像築く『着地点』を探れ」

関連項目