コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「西川慶二」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
棋歴
Cewbot (会話 | 投稿記録)
8行目: 8行目:
1983年度、2期目の[[順位戦]]となる第42期順位戦C級2組で8勝2敗の成績を挙げてC級1組に昇級。
1983年度、2期目の[[順位戦]]となる第42期順位戦C級2組で8勝2敗の成績を挙げてC級1組に昇級。


1986年度に入ると、第12期[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]で本戦入り。本戦でも初戦でA級に昇級したばかりの[[南芳一]]に勝つ活躍を見せた。また、第28期[[王位戦 (将棋)|王位戦]]でも予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグでも[[森けい二|森雞二]]、[[米長邦雄]]に勝つなど活躍した。
1986年度に入ると、第12期[[棋王戦 (将棋)|棋王戦]]で本戦入り。本戦でも初戦でA級に昇級したばかりの[[南芳一]]に勝つ活躍を見せた。また、第28期[[王位戦 (将棋)|王位戦]]でも予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグでも[[森雞二]]、[[米長邦雄]]に勝つなど活躍した。


1988年度、4組からのスタートとなった第1期[[竜王戦]]で3組昇級を決める。そして、第47期順位戦でも、C級1組5期目にしてB級2組昇級を決めた。
1988年度、4組からのスタートとなった第1期[[竜王戦]]で3組昇級を決める。そして、第47期順位戦でも、C級1組5期目にしてB級2組昇級を決めた。

2020年7月16日 (木) 23:06時点における版

 西川慶二 八段
名前 西川慶二
生年月日 (1961-12-06) 1961年12月6日(62歳)
プロ入り年月日 1981年11月3日(19歳)
棋士番号 151
出身地 東京都品川区
師匠 賀集正三
段位 八段
棋士DB 西川慶二
2018年4月1日現在
テンプレートを表示

西川 慶二(にしかわ けいじ、1961年12月6日 - )は将棋棋士。棋士番号151。東京都品川区出身。賀集正三門下。2008年前期の三段リーグで息子の西川和宏(以下、本項では「和宏」と記す。)がプロ入りを決め、通算6例目の親子プロ棋士、戦後初の現役親子プロ棋士となった。

棋歴

1981年11月に四段に昇段しプロ入り。

1983年度、2期目の順位戦となる第42期順位戦C級2組で8勝2敗の成績を挙げてC級1組に昇級。

1986年度に入ると、第12期棋王戦で本戦入り。本戦でも初戦でA級に昇級したばかりの南芳一に勝つ活躍を見せた。また、第28期王位戦でも予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグでも森雞二米長邦雄に勝つなど活躍した。

1988年度、4組からのスタートとなった第1期竜王戦で3組昇級を決める。そして、第47期順位戦でも、C級1組5期目にしてB級2組昇級を決めた。

1990年度、第3期竜王戦3組で準優勝を果たし、2組昇級と本戦出場を決めた。2組には第7期までの4期在籍した。

王座戦は第47期(1998年度)に、棋王戦では第28期(2002年度)、32期(2006年度)にそれぞれ本戦入りを果たした。順位戦B級2組では第53期(1994年度)、第58期(1999年度)で降級点を取ることがあったが(第53期分は第55期の勝ち越しで消去)、それ以外は大きく勝ち越したり負け越したりしない状態が続いた。竜王戦も、第8期(1994/95年)より3組から昇降級しない状態が続いた。

2006年度、第65期順位戦B級2組で2つ目の降級点を取り、18期在籍したB級2組から降級した。2008年度、第21期竜王戦でも16期在籍した3組から降格。以降、4組、5組でも連続で降級し、第24期以降は6組在籍となった。

以降、順位戦は、C級1組で第68期(2009年度)、第69期(2010年度)に連続降級点を喫しC級2組に降格。C級2組でも第71期(2012年度)、第72期(2013年度)で降級点。

2014年度、第73期順位戦C級2組で1勝9敗に終わり、降級点3となりフリークラスに編入となった。

2019年1月17日、病気療養を理由に2018年12月10日にさかのぼって、2019年3月31日まで休場することが発表された[1]。その後、2019年4月と5月に休場延長(2019年5月8日時点で2019年6月30日までの予定)が発表された[2][3]

その後も休場が2020年12月31日まで延長されており、そこから復帰したとしても60歳で迎える年度となる2022年3月31日までに規定を満たさない場合フリークラス規定による引退が決定する[4]

人物・エピソード

  • 囲碁・将棋チャンネル」の「将棋まるごと90分」に出演した際、(四段に昇段した直後の)和宏のインタビュー動画や少年時代の写真も公開された。インタビュー動画では和宏にお酒を飲み過ぎないように」と「警告」を受ける一幕もあった。
  • 和宏が第58期王座戦一次予選で矢内理絵子と対局した際、終局直後に「矢内さんの手(次の一手)は当たるのに、息子の手は当たらない。」と当日控え室で検討していた中川大輔の携帯電話へ吐露した。

棋風

正統派の居飛車党である。

昇段履歴

  • 1975年 5級 = 奨励会入会
  • 1978年 初段
  • 1981年11月3日 四段 = プロ入り
  • 1984年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1988年5月27日 六段(勝数規定
  • 1997年9月24日 七段(勝数規定)
  • 2018年4月1日 八段(フリークラス規定)[5]

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

脚注

  1. ^ 西川慶二八段、休場のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2019年1月17日). 2019年1月17日閲覧。
  2. ^ 西川慶二八段、休場のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2019年4月18日). 2019年5月11日閲覧。
  3. ^ 西川慶二八段、休場のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2019年5月8日). 2019年5月11日閲覧。
  4. ^ 西川慶二八段、有森浩三七段 休場のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2020年1月31日). 2019-20-01閲覧。
  5. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 日本将棋連盟 (2018年3月30日). 2019年6月8日閲覧。

関連項目

外部リンク