松本佳介
松本佳介 七段 | |
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名前 | 松本佳介 |
生年月日 | 1971年12月27日(52歳) |
プロ入り年月日 | 1995年10月1日(23歳) |
棋士番号 | 216 |
出身地 | 埼玉県 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 剱持松二九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 松本佳介 |
順位戦クラス | C級2組(17期) |
2024年4月12日現在 |
松本 佳介(まつもと よしゆき、1971年12月27日 - )は、将棋棋士。埼玉県出身、剱持松二九段門下。棋士番号216。
棋歴
[編集]中学1年の時に天童市で行われた全国中学生選抜大会で準優勝(優勝は瀬川晶司)。その年の12月に奨励会に入会。1986年には3級から4級に降級するという苦い経験をするも、三段リーグを勝ち抜いて1995年10月にプロ四段となる。同時にプロ入りしたのは、田村康介である。
プロ入り直後、第27回新人王戦で斎田晴子を破ったのを皮切りに、デビューから10連勝を達成。これは藤井聡太に次ぎ近藤正和と並んで史上2位タイの記録であり、その中には、後にタイトルホルダーとなる深浦康市からの白星及び第46回(1996年度)NHK杯テレビ将棋トーナメント予選通過となった3連勝も含まれている。
竜王戦でも実力を発揮し、初参加の第9期をランキング戦準決勝まで勝ち進み(桐谷広人に敗北)、昇級者決定戦でも矢倉規広に勝利して5組昇級。 翌第10期ではランキング戦を勝ち進み決勝でも中田功に勝利し、2期連続で昇級。ちなみに、当時は竜王ランキング戦連続2回昇級の昇段規定がまだなかったため、この時には五段昇段に至らなかった。第12期でも4組で決勝まで勝ち進み(決勝で久保利明に敗北)、3組に昇級。これが竜王戦における、松本の最高位である。(2023年現在)
第71期(1999年度)棋聖戦では、3次予選に進出。四者リーグの1回戦で当時名人位を保持していた佐藤康光を破る活躍を遂げた。(丸山忠久及び羽生善治に敗れ本戦進出はならず。)
第53回(2003年度)NHK杯テレビ将棋トーナメントでベスト16。二回戦では当時朝日オープン選手権者だった堀口一史座を破る活躍を見せた。
その一方で、順位戦は不得手とする傾向があり、昇級に恵まれなかった。第66期(2006年度)及び第71期(2012年度)で3勝7敗と不振に喘ぎ、降級点を喫してしまった。C級2組の降級点が累積2点となった第71期を最後にフリークラスに転出した。
棋風
[編集]大駒の捌きを得意とする居飛車党であり、威嚇するように強手を連続する。 1996年12月12日の第10期竜王戦5組ランキング1回戦で、当時棋聖位を保持していた三浦弘行に勝った際も、相居玉のまま大駒交換を繰り返しながら相手陣を崩す戦法を試みた。
人物
[編集]- 名前の佳介を「けいすけ」と誤読されることが多い。ちなみに大内延介の「介」も「ゆき」と読む。
- 3学年下の実弟である松本秀介も元・奨励会三段。年齢制限(26歳)を迎えた第27回(平成12年度前期)三段リーグで、千葉幸生・上野裕和に次ぐ3位の成績で次点獲得と同時に勝ち越しによるリーグ在籍期間延長の恩恵を受ける。翌第28回でも次点を取ればフリークラスへの編入権を獲得できるところだったが、負け越したため退会を余儀なくされた。
- 島朗の王座戦観戦記によると、栃木県の那須地域に別荘を持っており、現在はその自然に恵まれた静寂な環境に定住しているという。
昇段履歴
[編集]- 1984年12月奨励会入会 [1] - 6級 =
- 1989年 - 初段
- 1991年11月三段リーグ〈1992年度前期〉からリーグ参加)[2] - 三段(第11回奨励会
- 1995年10月 1日 - 四段(第17回奨励会三段リーグ優勝) = プロ入り [1]
- 2001年 1月25日 - 五段(勝数規定/四段昇段後公式戦100勝、通算100勝)[3]
- 2008年 7月 1日 - 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝)[4]
- 2022年 4月 1日 - 七段(フリークラス規定)[5]
主な成績
[編集]棋戦本戦出場
[編集]- 第46回NHK杯テレビ将棋トーナメント(1回戦で森雞二に敗北)
- 第10期竜王戦(1回戦で近藤正和に敗北)
- 第49回NHK杯テレビ将棋トーナメント(1回戦で深浦康市に敗北)
- 第53回NHK杯テレビ将棋トーナメント(1回戦で野月浩貴、2回戦で堀口一史座に勝利し、3回戦で森下卓に敗北)
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[6]
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竜王戦 出典[7]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1995 | 54 | 昇段前 | 9 | 6組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C248 | 10 | 5組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C210 | 11 | 4組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C205 | 12 | 4組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C207 | 13 | 3組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C205 | 14 | 3組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C218 | 15 | 3組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | C212 | 16 | 4組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | C218 | 17 | 4組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | C218 | 18 | 4組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | C216 | 19 | 4組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | C220 | 20 | 4組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | C235 | 21 | 5組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | C234 | 22 | 5組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | C224 | 23 | 5組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | C222 | 24 | 5組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | C213 | 25 | 5組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | C225 | 26 | 6組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | F宣 | 27 | 6組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | F宣 | 28 | 6組 | -- | |||||||||||||
2015 | 74 | F宣 | 29 | 6組 | -- | |||||||||||||
2016 | 75 | F宣 | 30 | 6組 | -- | |||||||||||||
2017 | 76 | F宣 | 31 | 6組 | -- | |||||||||||||
2018 | 77 | F宣 | 32 | 6組 | -- | |||||||||||||
2019 | 78 | F宣 | 33 | 6組 | -- | |||||||||||||
2020 | 79 | F宣 | 34 | 6組 | -- | |||||||||||||
2021 | 80 | F宣 | 35 | 6組 | -- | |||||||||||||
2022 | 81 | F宣 | 36 | 6組 | -- | |||||||||||||
2023 | 82 | F宣 | 37 | 6組 | -- | |||||||||||||
2024 | 83 | F宣 | 38 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
脚注
[編集]- ^ a b 『近代将棋 1995年11月号』199頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1992年6月号』196-197頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 「棋士の昇段など(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「松本佳介五段が六段に昇段(2008年7月1日付)」『日本将棋連盟』2008年7月1日。
- ^ 「昇段・引退・休場棋士のお知らせ」『日本将棋連盟』2022年4月1日。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。