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プロ入りから3年目の1979年度(第38期)[[順位戦]]C級2組で8勝2敗の成績で3位となり、C級1組に昇級。1983年度には、第42期C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、B級2組へ昇級。比較的順調に昇級する。
プロ入りから3年目の1979年度(第38期)[[順位戦]]C級2組で8勝2敗の成績で3位となり、C級1組に昇級。1983年度には、第42期C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、B級2組へ昇級。比較的順調に昇級する。


1986年度、第27期[[王位戦 (将棋)|王位戦]]でリーグ入り。挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす([[大内延介]]、[[二上達也]]らに勝利)。翌期も残留している([[大山康晴]]、[[森けい二|森雞二]]らに勝利)。
1986年度、第27期[[王位戦 (将棋)|王位戦]]でリーグ入り。挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす([[大内延介]]、[[二上達也]]らに勝利)。翌期も残留している([[大山康晴]]、[[森雞二]]らに勝利)。


第1期[[竜王戦]](1988年度)の竜王ランキング戦(1987~1988年)は、順位戦で上位であったため、2組からのスタートとなった(''[[竜王戦#第1期竜王戦|第1期竜王戦]]'' を参照)。この年度の2組で準優勝し、1組昇級を決めるとともに、初代竜王の座を争う本戦に進出。本戦では[[中村修 (棋士)|中村修]](1987年3月に[[王将戦|王将]]を2連覇)を相手に1勝を挙げ、7位となる。
第1期[[竜王戦]](1988年度)の竜王ランキング戦(1987~1988年)は、順位戦で上位であったため、2組からのスタートとなった(''[[竜王戦#第1期竜王戦|第1期竜王戦]]'' を参照)。この年度の2組で準優勝し、1組昇級を決めるとともに、初代竜王の座を争う本戦に進出。本戦では[[中村修 (棋士)|中村修]](1987年3月に[[王将戦|王将]]を2連覇)を相手に1勝を挙げ、7位となる。

2020年7月16日 (木) 23:08時点における版

 東 和男 八段
平成28年11月、姫路市で行われた人間将棋にて
名前 東 和男
生年月日 (1955-08-17) 1955年8月17日(69歳)
プロ入り年月日 1976年7月16日(17歳)
棋士番号 128
出身地 長崎県佐世保市
師匠 高島一岐代九段
段位 八段
棋士DB 東 和男
2015年4月1日現在
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東 和男(あずま かずお、1955年8月17日 - )は、将棋棋士棋士番号は128。長崎県佐世保市出身。高島一岐代九段門下。日本将棋連盟理事を3期6年務めた(2011年5月 - 2017年5月)。

棋歴

プロ入りから3年目の1979年度(第38期)順位戦C級2組で8勝2敗の成績で3位となり、C級1組に昇級。1983年度には、第42期C級1組順位戦で9勝1敗で1位となり、B級2組へ昇級。比較的順調に昇級する。

1986年度、第27期王位戦でリーグ入り。挑戦者にはなれなかったが、入りやすく落ちやすいリーグである王位リーグで、残留を果たす(大内延介二上達也らに勝利)。翌期も残留している(大山康晴森雞二らに勝利)。

第1期竜王戦(1988年度)の竜王ランキング戦(1987~1988年)は、順位戦で上位であったため、2組からのスタートとなった(第1期竜王戦 を参照)。この年度の2組で準優勝し、1組昇級を決めるとともに、初代竜王の座を争う本戦に進出。本戦では中村修(1987年3月に王将を2連覇)を相手に1勝を挙げ、7位となる。

1993年度、第62期棋聖戦でリーグを突破し、本戦トーナメントに進出。

2007年の第66期順位戦を最後にフリークラスに転出。満65歳となる2020年度まで現役の予定。

棋風

純粋な居飛車党である。

相居飛車(相手も居飛車)の場合は、相矢倉で盤面全体で戦う将棋が圧倒的に多い。相手が初手▲2六歩と指して相掛かりに誘導すれば、△8四歩と突いて、それに応じる。

相手が振り飛車の場合は、自玉を堅く囲わず、急戦で対抗することが多い。

2002年前後からは、相居飛車では後手番一手損角換わり、対・振り飛車では相穴熊を指すことも多くなっている。

人物

  • 2011年、日本将棋連盟の理事選挙に出馬し、当選。常務理事として、関西本部を担当。
  • 2016年に発生した将棋ソフト不正使用疑惑をめぐる混乱に対する責任を問われ、2017年2月27日に行われた臨時総会で東を含む理事5人の解任案が提出された。しかし東と佐藤秀司については過半数の賛成を得られず否決され、続投することとなった[1][2]。そしてこの臨時総会で解任された青野照市の後任の専務理事に選任され[3]、5月29日の任期満了まで務めた。2017・18年度は立候補せず、退任した。

昇段履歴

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

  • 1971年 6級 = 奨励会入会
  • 1974年 初段
  • 1976年7月16日 四段 = プロ入り(三段で12勝4敗)
  • 1980年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1984年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1992年12月18日 七段(勝数規定)
  • 2015年4月1日 八段(フリークラス規定)[4]

主な成績

在籍クラス

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

2008年4月にフリークラス宣言。以降、順位戦には参加せず(引退までフリークラス)。

出典

関連項目

外部リンク