コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「鈴木大拙」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: 手動差し戻し モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
189行目: 189行目:
**『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』 [[一燈園|燈影舎]]<燈影撰書30>、1999年、増補新版2008年
**『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』 [[一燈園|燈影舎]]<燈影撰書30>、1999年、増補新版2008年
**『相貌と風貌 鈴木大拙写真集』 [[禅文化研究所]]、2005年
**『相貌と風貌 鈴木大拙写真集』 [[禅文化研究所]]、2005年
*[[秋月龍みん|秋月龍珉]] 『鈴木大拙』 [[講談社学術文庫]]、2004年。元版『鈴木大拙の言葉と思想』[[講談社現代新書]]、1967年
*[[秋月龍珉]] 『鈴木大拙』 [[講談社学術文庫]]、2004年。元版『鈴木大拙の言葉と思想』[[講談社現代新書]]、1967年
*森清 『大拙と幾多郎』 [[朝日新聞社]]〈[[朝日選書]]〉、1991年/岩波現代文庫(増補版)、2011年
*森清 『大拙と幾多郎』 [[朝日新聞社]]〈[[朝日選書]]〉、1991年/岩波現代文庫(増補版)、2011年
*『禅 鈴木大拙-没後40年-』 [[北國新聞社]]編集局編、時鐘舎新書、2006年、新版2011年
*『禅 鈴木大拙-没後40年-』 [[北國新聞社]]編集局編、時鐘舎新書、2006年、新版2011年

2020年8月16日 (日) 08:50時点における版

鈴木 大拙
(すずき だいせつ)
1870年11月11日 - 1966年7月12日
1953年頃撮影
貞太郎(ていたろう)
大拙(だいせつ)
生地 石川県金沢市下本田村(現・本多町3丁目)
没地 東京築地聖路加病院
宗派 臨済宗
寺院 円覚寺正伝庵
今北洪川釈宗演
弟子 柳宗悦松方三郎
著作大乗起信論』〔英訳〕(1900年)
『大乗仏教概論』〔英文〕(1908年)
『禅論文集1-3』〔英文〕(1927年、1933年、1934年)
『浄土系思想論』(1942年)
『禅思想史研究第一 盤珪禅』(1943年)
『日本的霊性』(1944年)
『臨済の基本思想』(1949年)[1]
テンプレートを表示

鈴木 大拙(すずき だいせつ、本名:貞太郎(ていたろう)、英: D. T. Suzuki (Daisetz Teitaro Suzuki)[2][3][4]1870年11月11日明治3年10月18日) - 1966年昭和41年)7月12日)は、についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。[要出典]1949年に文化勲章日本学士院会員

名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は「加賀の三太郎」と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した[5]

生前、1963年ノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している[6]

来歴

鈴木大拙、ベアトリス夫妻の墓
金沢市野田山墓地

石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。

第四高等中学校を退学後、英語教師をしていたものの、再び学問を志して東京に出た。東京専門学校を経て、帝国大学選科に学び、在学中に鎌倉円覚寺今北洪川釈宗演参禅した。この時期、釈宗演の元をしばしば訪れて禅について研究していた神智学徒ベアトリス・レイン(Beatrice Lane)と出会う(後に結婚)。ベアトリスの影響もあり後年、自身もインドチェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となる。また釈宗演より「大拙」の居士号を受ける。大拙とは「大巧は拙なるに似たり」から採ったもので、『老子道徳経』と『碧巌録』が典拠であるという[7]

1897年に釈宗演の選を受け、米国に渡り、東洋学者ポール・ケーラスが経営する出版社オープン・コート社で東洋学関係の書籍の出版に当たると共に、英訳『大乗起信論』(1900年)や『大乗仏教概論』(英文)など、禅についての著作を英語で著し、文化ならびに仏教文化を海外に広くしらしめた。

1909年に帰国し、円覚寺の正伝庵に住み、学習院に赴任。英語を教えたが、終生交流した教え子に柳宗悦松方三郎等がいる。1911年にベアトリスと結婚。1921年に大谷大学教授に就任して、京都に転居した[8]。同年、同大学内に東方仏教徒協会を設立し、英文雑誌『イースタン・ブディスト』(Eastern Buddhist )を創刊した[8][注 1]1939年、夫人ベアトリス・レイン死去。大拙に先立つこと27年であった。

晩年は鎌倉に在住、北鎌倉の東慶寺住職井上禅定と共に、1941年に自ら創設した「松ヶ岡文庫」(東慶寺に隣接)で研究生活を行った。1949年には、ハワイ大学で開催された第2回東西哲学者会議に参加し、中華民国胡適と禅研究法に関して討論を行う。同年に日本学士院会員となり、文化勲章を受章した。1950年より1958年にかけ、アメリカ各地で仏教思想の講義を行った。1952年から1957年までは、コロンビア大学客員教授として滞在し仏教とくに禅の思想の授業を行い、ニューヨークを拠点に米国上流社会に禅思想を広める立役者となった。ハワイ大学エール大学ハーバード大学プリンストン大学などでも講義を行なった。鈴木はカール・グスタフ・ユングとも親交があり、ユングらが主催したスイスでの「エラノス会議」に出席した。またエマヌエル・スヴェーデンボリなどヨーロッパの神秘思想の日本への紹介も行った。ハイデッガーとも個人的に交流があった。1959年に至るまで欧米各国の大学で、仏教思想や日本文化についても講義を行った。

1960年に大谷大学を退任し名誉教授となる。90代に入っても研究生活を続けた。

1966年に、絞扼性イレウス腸閉塞)のため[9]東京築地の聖路加病院で死去、没年95[注 2][注 3][注 4]

没後は、鈴木学術財団松ヶ岡文庫)が設立された。

墓所は金沢市野田山墓地の鈴木家墓所と、北鎌倉東慶寺、なお同じ境内に、岩波書店初代店主岩波茂雄や、西田幾多郎和辻哲郎安倍能成らの墓がある。毎年命日である7月12日には、大拙忌法要が行われる。

家族

東京ブギウギ」の作詞者・鈴木アラン(勝)は、大拙とベアトリスの実子とも養子とも言われる。その妻がジャズ歌手の池真理子で、その間に生まれたのがセラピストの池麻耶である[13]

《霊性の自覚》と《即非の論理》

大拙は仏教の核心に、霊性の自覚を見出した。大拙の生涯の思索の大部分はその《霊性の自覚》に向けられていたといってもよく、これが普遍性や世界性を持つと確信したので、仏教思想を欧米へも紹介したのである。大拙が見出した仏教の霊性的自覚というのは《即非の論理》の体得である。

彼の著作群は膨大な量に上るが、その多くが《霊性の自覚》や《即非の論理》を巡るものとしてとらえることができる。たとえば『禅論文集1-3』は、における霊性的自覚つまり悟りの具体相と心理的過程をとらえている。『禅思想史研究第一 盤珪禅』は盤珪の不生禅を霊性的自覚としてとらえなおしたものである。『日本的霊性』は日本における《霊性の自覚》の歴史を解明した書である。『臨済の基本思想』は臨済が唱えた一無位真人のうちに《霊性の自覚》を見出したものである。『浄土系思想論』は浄土思想を《霊性の自覚》の立場から扱ったものである。

年表

詳細は鈴木大拙館の略歴を参照[2]

主な著書

  • 『鈴木大拙全集 増補新版』 (全40巻、岩波書店、1999年-2003年)
    • 旧版『鈴木大拙全集』(全32巻、1968-71年、復刊1980-83年)
    • 『禅思想史研究』(全4冊、岩波書店、復刊1987年)
  • 『鈴木大拙禅選集』 (全11巻別巻1[注 5]春秋社、新装版2001年)
  • 『語る大拙 鈴木大拙講演集1 禅者の他力論』、『同 2 大智と大悲』 (書肆心水、2017年)
  • 『日本的霊性』 角川ソフィア文庫(完全版、2010年、解説末木文美士
  • 『浄土系思想論』(法蔵館、新版1999年/岩波文庫、2016年)
  • 『無心ということ』 角川ソフィア文庫(新版2007年)
  • 『禅とは何か』 角川ソフィア文庫(新版2008年)
  • 『一禅者の思索』(講談社学術文庫、1987年)。講演、随想集
  • 『禅の第一義』(平凡社ライブラリー、2011年)。初期代表作
  • 『新編 東洋的な見方』(上田閑照編、岩波文庫、1997年、ワイド版2002年)。随想集
  • 『東洋の心』(春秋社、新版2011年) ISBN 4393133994 - 講演集・同社で多数刊。
  • 『東洋的一』(大東出版社、新版2010年) ISBN 4500007504、同社で多数刊。
  • 『仏教の大意』(角川ソフィア文庫、2017年、解説若松英輔/中公クラシックス、2017年、解説山折哲雄)。講義録
  • 『鈴木大拙の世界』(燈影撰書15:燈影舎ISBN 4924520306。随想集
  • 『禅のつれづれ』(河出書房新社、2017年)。随想集、新書版

主な英文著作(訳書新版)

  • 『禅と日本文化 正・続』(北川桃雄訳、岩波新書)- 後者は旧かな版
  • 『禅』(工藤澄子訳、ちくま文庫、ワイド版2017年) ISBN 4480021574
  • 『禅学入門』(講談社学術文庫、2004年)- 英文著作を自ら訳した。
  • 『禅に生きる 鈴木大拙コレクション』(守屋友江編訳、ちくま学芸文庫、2012年、編年体で書簡併録) ISBN 4480094458
  • 『禅学への道』(坂本弘訳、アートデイズ、2003年) ISBN 4861190126
  • 『神秘主義 キリスト教と仏教』(坂東性純・清水守拙訳、岩波書店、2004年/岩波文庫、2020年)
  • 『禅堂生活』(横川顕正訳、岩波文庫、2016年) ISBN 4003332334
  • 『大乗仏教概論』(佐々木閑訳、岩波書店、2004年/岩波文庫、2016年) ISBN 4003332342 
  • 『禅仏教入門』(増原良彦訳、春秋社、新版2008年/中公クラシックス、2017年)- 元版「選集7」
  • 『禅による生活』(小堀宗柏訳、春秋社、新版2008年)- 元版「選集3」
  • 『真宗入門』(佐藤平訳、春秋社、新版2011年)
  • 『禅八講 鈴木大拙最終講義』(角川学芸出版〈角川選書〉、2013年、常盤義伸編/酒井懋訳) ISBN 404703522X
  • 『鈴木大拙 コロンビア大学セミナー講義』(重松宗育・常盤義伸編訳、方丈堂出版(上・下)、2017年)

CD

  • 『CD版 禅者のことば 鈴木大拙講演選集』(全6巻:アートデイズ、2003年)
  • 『禅と科学』、『最も東洋的なるもの』、『禅との出会い―私の自叙伝』
    鈴木大拙講演(新潮CD:新潮社、新版2007年)。旧版は同・カセット
  • 『CDブック 大拙 禅を語る-世界を感動させた三つの英語講演』
    (アートデイズ、2006年、重松宗育監修・日本語訳) ISBN 4861190665
  • 『CD版 禅 東洋的なるもの 鈴木大拙講演集』(全4巻:アートデイズ、2017年)

関連文献

  • 『鈴木大拙 人と思想』 久松真一山口益古田紹欽編、岩波書店、1971年、復刊1980年
  • 『回想 鈴木大拙』 西谷啓治編、春秋社、1975年
  • 『鈴木大拙の人と学問 禅選集・別巻』 松ケ岡文庫編、春秋社、新装版1992年、2001年
  • 古田紹欽 『鈴木大拙 その人とその思想』 春秋社、1993年
  • 『鈴木大拙坐談集』(全5巻、古田編)、読売新聞社、1971-72年
    1人間の智慧、2東洋と西洋、3現代人と宗教、4弥陀の本願、5禅の世界
  • 『大叔父・鈴木大拙からの手紙』 林田久美野編・解説、法蔵館、1995年
  • 西村惠信 『鈴木大拙の原風景』 大蔵出版、1993年/大法輪閣(新装改訂版)、2016年
    • 西田幾多郎宛 鈴木大拙書簡 億劫相別れて須臾も離れず』 西村惠信編、岩波書店、2004年
  • 竹村牧男 『西田幾多郎と鈴木大拙 その魂の交流に聴く』 大東出版社、2004年
    • 『〈宗教〉の核心 西田幾多郎と鈴木大拙に学ぶ』 春秋社、2012年
  • 『秋月龍珉著作集6 人類の教師・鈴木大拙』、 『7 鈴木禅学入門』、三一書房、1978年
    • 『絶対無と場所 鈴木禅学と西田哲学』 青土社、1996年。旧版は上記『第8巻 鈴木禅学と西田哲学の接点』
  • 安藤礼二『大拙』 講談社、2018年
  • 蓮沼直應『鈴木大拙 その思想構造』春秋社、2020年
 ※以下は主に入門・案内書
  • 図録『大拙と松ケ岡文庫』 多摩美術大学美術館編、方丈堂出版、2017年
  • 『鈴木大拙 没後40年』 松ヶ岡文庫編、河出書房新社KAWADE道の手帖〉、2006年
  • 『鈴木大拙と日本文化』 浅見洋編、朝文社、2010年 - 記念シンポジウムほか
  • 『鈴木大拙 日本人のこころの言葉』 竹村牧男解説、創元社、2018年 - 小著
  • 上田閑照・岡村美穂子(秘書)編 『鈴木大拙とは誰か』 岩波現代文庫、2002年 - 下記も収録(一部)
    • 『思い出の小箱から 鈴木大拙のこと』 燈影舎<燈影撰書29>、1997年
    • 『大拙の風景 鈴木大拙とは誰か』 燈影舎<燈影撰書30>、1999年、増補新版2008年
    • 『相貌と風貌 鈴木大拙写真集』 禅文化研究所、2005年
  • 秋月龍珉 『鈴木大拙』 講談社学術文庫、2004年。元版『鈴木大拙の言葉と思想』講談社現代新書、1967年
  • 森清 『大拙と幾多郎』 朝日新聞社朝日選書〉、1991年/岩波現代文庫(増補版)、2011年
  • 『禅 鈴木大拙-没後40年-』 北國新聞社編集局編、時鐘舎新書、2006年、新版2011年
  • 大熊玄 『鈴木大拙の言葉』 朝文社、2007年、新版2009年、2015年

脚注

注釈

  1. ^ 現在も同協会より刊行されている。
  2. ^ 晩年の大拙の主治医が日野原重明で、その最後も看取った[要出典]。親しくしていた東慶寺住職だった井上禅定は「大拙は惜しいことをした。(好物の)牡蠣をくって亡くなったのだ」という[10]。兼子は学生時代に東慶寺で庭の草抜きをしていた折りに井上から聞いたという[10]
  3. ^ 日野原重明のみたてでは腸間膜動脈血栓症の疑いが強かったが、解剖の結果、拘緊性腸閉塞であったという[11]。なお、『日本的霊性』(岩波文庫、篠田英雄「解説」)での年譜では腸間膜動脈血栓症と表記されている。
  4. ^ 大拙が没した際、ニュースを読み上げた宿直明けのアナウンサーが、原稿に禅と書いてあるのをと読み違えて「蝉の研究で有名な鈴木大拙氏が亡くなりました。著書には英文による『蝉と日本文化』…」と、誤って読み上げてしまい進退伺いを出すことになった。が、慰留された、という[12]。なお彼は自著の著者紹介で「“”の研究家」と誤植されたこともある。[要出典]
  5. ^ 旧版選集は続編も刊行された。

出典

  1. ^ 鈴木大拙 主な著作年表”. 鈴木大拙館. 2014年5月31日閲覧。
  2. ^ a b 鈴木大拙 略歴”. 鈴木大拙館. 2012年2月17日閲覧。
  3. ^ Daisetz Teitaro Suzuki; D.Litt (1935年). “Manual of Zen Buddhism” (PDF) (英語). Buddha Dharma Education Association Inc.. 2012年2月17日閲覧。
  4. ^ D.T.SUZUKI DOCUMENTARY PROJECT. “A ZEN LIFE”. Japan Inter-Culture Foundation. 2012年2月17日閲覧。
  5. ^ 安宅夏夫『鎌倉文学散歩』松尾順造(写真)、保育社、1993年、11頁http://books.google.co.jp/books?id=SATx-hACaFEC&pg=PA11 
  6. ^ Nomination Database”. Nobelprize.org. 2017年10月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
  7. ^ 山田奨治『東京ブギウギと鈴木大拙』人文書院、2015年[要ページ番号]。「大巧は拙なるに似たり」は、『碧巌録』の第百則「巴陵吹毛剣」の頌(じゅ)に「不平を平(たいら)げんことを要するも、大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」とあり、この「大巧は拙(せつ)なるが若(ごと)し」は『老子』第四十五章「大成(たいせい)は欠けたるが若(ごと)きも、其の用は弊(へい)せず。大盈(たいえい)は冲(むな)しきが若きも、其の用は窮まらず。大直(たいちょく)は屈せるが若く、大功は拙(せつ)なるが若く、(以下略)」からの引用である。
  8. ^ a b c 池田洋一郎 (2018年6月7日). “古都ものがたり 京都 鈴木大拙の研究支えた大谷大学 慕われた教授、思想は世界へ”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊 5面 
  9. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)15頁。
  10. ^ a b 兼子盾夫. “仏教とキリスト教”. カトリック藤沢教会. 2019年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年6月3日閲覧。
  11. ^ 日野原重明『死をどう生きたか』中公新書、1983年。 [要ページ番号]
  12. ^ 柴田南雄『わが音楽 わが人生』岩波書店1995年、p.279。
  13. ^ 池麻耶・伊藤玄二郎「祖父・鈴木大拙と私」『かまくら春秋』2015年1月。[要文献特定詳細情報]

関連項目

外部リンク