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2020年8月31日 (月) 00:06時点における版
個人情報 | |
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国籍 | イギリス |
生誕 | 1979年8月8日(45歳) イギリス 北アイルランド、ダウン県ヒルズボロ |
身長 | 183 cm (6 ft 0 in) |
体重 | 76 kg (168 lb) |
ウェブサイト | Richard Lyons Official Web Site |
スポーツ | |
競技 | レーシングドライバー |
種目 | カートレーシング |
プロ転向 | 1996年 |
成績・タイトル | |
国内大会 | フォーミュラ・ボグゾールjr・ウインターシリーズ(シリーズチャンピオン、1996年) 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DoCoMo TEAM DANDELION RACING #40/ローラB351 MF308)(シリーズチャンピオン・2勝、2004年) 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 ザナヴィ ニスモ Z/日産 フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン・2勝、2004年) |
リチャード・ライアン(英語: Richard Lyons、1979年8月8日 - )は、北アイルランドのレーシングドライバー。
プロフィール
- 身長:183cm
- 体重:76kg
- 血液型:RH+A
経歴
父親の趣味がレーシングカートであったため、幼少の頃からカートには親しんでいた。
9歳でカートレースにデビュー。1996年にフォーミュラ・フォードで4輪レースに初参戦し、その年にはフォーミュラ・ボグゾールjr(ウィンターシリーズ)のシリーズチャンピオンに輝く。1998年にもフォーミュラ・ボグゾールjrに参戦しシリーズ2位。また、元F1ドライバーのジョナサン・パーマーが主宰するフォーミュラ・パーマー・アウディに参戦し、1999年にはシリーズ2位となるなど、ヨーロッパのジュニア・フォーミュラではその名を轟かせた。2000年はスポーツレーシングワールドカップ、フォーミュラ・ルノーに共にスポット参戦している。
ヨーロッパのジュニア・フォーミュラで活躍していたライアンであったが、F3000などの上位クラスにステップアップするチャンスに恵まれず、方針を転換し、戦場を日本に求めて2001年に初訪日。全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに参戦を開始した。2002年は一旦シートを喪失したが、第3戦美祢よりDANDELION RACINGから復帰し、その後2005年までの間チームの主力として活躍した。その間2003年には、第5戦鈴鹿にて初勝利を飾り、2004年は、優勝者が6人も輩出するなど混戦模様のシリーズとなっていたが、第2戦菅生及び第4戦鈴鹿で勝利を挙げ、2位アンドレ・ロッテラーとは全くの同ポイントながら、有効完走着順が上位のため、ライアンが年間チャンピオンとなった。
一方、2002年からは全日本GT選手権・GT500クラスにも無限×童夢プロジェクトのNSXで参戦を開始し、NSXが得意とする第6戦もてぎで初勝利を達成する。2003年はNISMOに移籍し、スカイラインGT-Rを操って第2戦富士で勝利しシリーズ3位と躍進した。2004年は、日産陣営のエースである本山哲のパートナーとなって、日産の主力チームである1号車のフェアレディZをドライブすることになった。開幕戦の岡山と、第6戦のオートポリスの2勝を上げ、シーズンを通じて安定した成績を収め、シリーズチャンピオンを獲得。日産の2連覇に貢献した。また前述の通り、ライアンはこの年フォーミュラ・ニッポンでもチャンピオンに輝いたことから2冠を達成しており、彼のドライバー人生において最良のシーズンとなった。翌2005年も、チーム・パートナーとも体制を継続してSUPER GTに参戦し、第3戦セパンで優勝するなど善戦したが、シリーズ3位に終わり日産3連覇の夢は達成できなかった。
2005年で一旦日本を離れ、チャンプカーやF1へ挑戦することを目指したがシートを得ることが出来ず、2006年のSUPER GT第4戦セパンからF1に進出した山本左近に代わって参戦し、復帰戦で2位表彰台を獲得している。2007年は再び本山哲とコンビを結成しシリーズチャンピオンを狙う。開幕戦の鈴鹿で2位、第3戦富士で勝利、第6戦鈴鹿で3位と3回表彰台に上ったものの、他のレースは全てのトップ10圏外かリタイアという浮き沈みの激しさが足を引っ張ってしまい、シリーズ8位と成績は低迷した。
2008年からはトヨタ陣営のTOYOTA TEAM CERUMOに移籍し、トヨタ陣営のエースの一人である立川祐路とコンビを組んで参戦している。第3戦 富士500kmで優勝。これでライアンはホンダ、日産、トヨタ 3メーカーで優勝を経験したことになる。
2009年からはDANDELION RACINGに復帰し、フォーミュラ・ニッポンに参戦する。
また冬季開催の国別対抗戦であるA1グランプリに2006年冬から2007年春にかけてアイルランド代表として出場、最高位5位、総合19位に終わる。
レース戦績
- 1996年
- フォーミュラ・フォード
- フォーミュラ・ボグゾールjr・ウインターシリーズ(シリーズチャンピオン)
- 1998年
- フォーミュラ・ボグゾールjr(シリーズ2位)
- フォーミュラ・パーマー・アウディシリーズ
- 1999年 - フォーミュラ・パーマー・アウディシリーズ(シリーズ2位)
- 2000年
- スポーツレーシングワールドカップ<スポット参戦>
- フォーミュラ・ルノー<スポット参戦>
- 2001年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(Team Morinaga NOVA #9/G FORCEGF03C MF308)(ノーポイント)
- 第30回インターナショナルPokka1000km ・GT500クラス(TEAM TAKE ONE #30 綜警McLaren GTR/McLaren F-1GTR 19R GTR)(決勝3位)
- 2002年
- 2003年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DoCoMo TEAM DANDELION RACING #40/ローラB351 MF308)(シリーズ6位・1勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #22 モチュールピットワークGT-R/日産 SKYLINE GT-R BNR34 VQ30DETT)(シリーズ3位・1勝)
- 2004年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DoCoMo TEAM DANDELION RACING #40/ローラB351 MF308)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 全日本GT選手権・GT500クラス(NISMO #1 ザナヴィ ニスモ Z/日産 フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズチャンピオン・2勝)
- 2005年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DoCoMo TEAM DANDELION RACING #1/ローラB351 MF308)(シリーズ3位・1勝)
- SUPER GT・GT500クラス(NISMO #1 ザナヴィ ニスモ Z/日産 フェアレディZ Z33 VQ30DETT)(シリーズ3位・1勝)
- 2006年
- SUPER GT・GT500クラス<Rd.4から参戦>(NISMO #22 MOTUL NISMO Z/日産 フェアレディZ Z33 VQ30DETT→VK45DE)(シリーズ10位)
- 2006~2007年 - A1グランプリ(アイルランド代表)(綜合19位)
- 2007年 - SUPER GT・GT500クラス(NISMO #23 XANAVI NISMO Z/日産 フェアレディZ Z33 VK45DE)(シリーズ8位・1勝)
- 2008年
- 2009年
- 全日本選手権フォーミュラ・ニッポン(DoCoMo TEAM DANDELION RACING #40/スウィフト017.n HR09E)(シリーズ10位)
- SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ10位・1勝)
- 2010年 - SUPER GT・GT500クラス(LEXUS TEAM ZENT CERUMO #38 ZENT CERUMO SC430/LEXUS SC430 UZZ40 RV8KG)(シリーズ9位)
- 2012年 - SUPER GT・GT300クラス(Hitotsuyama Racing #21 ZENT Audi R8 LMS/Audi R8-LMS CJJ)(シリーズ20位)
フォーミュラ・ニッポン
年 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2001年 | Team Morinaga NOVA | SUZ 8 |
TRM 8 |
MIN Ret |
FSW 9 |
SUZ 11 |
SUG 12 |
FSW Ret |
MIN Ret |
TRM 13 |
SUZ 12 |
NC | 0 | |
2002年 | DoCoMo TEAM DANDELION RACING | SUZ | FSW | MIN 7 |
SUZ 8 |
TRM 11 |
SUG 2 |
FUJ 7 |
MIN Ret |
TRM 7 |
SUZ Ret |
10位 | 6 | |
2003年 | SUZ 9 |
FSW Ret |
MIN Ret |
TRM 3 |
SUZ 1 |
SUG 5 |
FSW Ret |
MIN Ret |
TRM 3 |
SUZ 9 |
6位 | 20 | ||
2004年 | SUZ 8 |
SUG 1 |
TRM 8 |
SUZ 1 |
SUG 4 |
MIN 8 |
SEP 9 |
TRM 2 |
SUZ 3 |
1位 | 33 | |||
2005年 | TRM 1 |
SUZ 5 |
SUG 2 |
FSW 4 |
SUZ 3 |
MIN Ret |
FSW 4 |
TRM 13 |
SUZ 5 |
3位 | 30 | |||
2008年 | TP Checker TEAM IMPUL | FSW | SUZ | TRM | OKA | SUZ1 | SUZ2 | TRM1 | TRM2 | FSW1 13 |
FSW2 13 |
SUG | NC | 0 |
2009年 | DOCOMO TEAM DANDELION RACING | FSW Ret |
SUZ 6 |
TRM 7 |
FSW 3 |
SUZ 13 |
TRM Ret |
AUT 10 |
SUG 13 |
10位 | 11 |
全日本GT選手権/SUPER GT
外部リンク
LAWSON IMPUL | Team LeMans | HFDP RACING | ahead IMPUL | ||||||||
1 | 松田次生 | 7 | 国本京佑 | 10 | 塚越広大 | 20 | 平手晃平 | ||||
2 | ブノワ・トレルイエ | 8 | 石浦宏明 | ||||||||
NAKAJIMA RACING | PETRONAS TOM'S | DOCOMO DANDELION | CERUMO/INGING | ||||||||
31 | ロイック・デュバル | 36 | アンドレ・ロッテラー | 40 | リチャード・ライアン | 48 | 立川祐路 | ||||
32 | 小暮卓史 | 37 | 大嶋和也 | 41 | 伊沢拓也 |