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2021年7月3日 (土) 01:36時点における最新版
歙州(きゅうしゅう)は、中国にかつて存在した州。隋代から北宋にかけて、現在の安徽省黄山市一帯に設置された。
隋代[編集]
589年(開皇9年)、隋が南朝陳を滅ぼすと、新安郡が廃止されて、歙州が置かれた。607年(大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、歙州は新安郡と改称され、下部に3県を管轄した[1]。隋代の行政区分に関しては下表を参照。
隋代の行政区画変遷 | |||
---|---|---|---|
区分 | 開皇元年 | 区分 | 大業3年 |
州 | 東揚州 | 郡 | 新安郡 |
郡 | 新安郡 | 県 | 休寧県 歙県 黟県 |
県 | 休寧県 歙県 黟県 |
唐代[編集]
621年(武徳4年)、唐が汪華を平定すると、新安郡は歙州と改められた。742年(天宝元年)、歙州は新安郡と改称された。758年(乾元元年)、新安郡は歙州の称にもどされた。歙州は江南東道に属し、歙・休寧・黟・績渓・婺源の5県を管轄した[2]。
宋代[編集]
1121年(宣和3年)、北宋により歙州は徽州と改称された。徽州は江南東路に属し、歙・休寧・黟・祁門・績渓・婺源の6県を管轄した[3]。