「フランキー堺」の版間の差分
Anaka Satamiya (会話 | 投稿記録) m セクション切れの修正 |
m Bot作業依頼: 「SHŌGUN」関連記事の改名に伴うリンク修正依頼 (将軍 SHŌGUN) - log |
||
127行目: | 127行目: | ||
* [[鮎のうた]](1979年10月 - 1980年4月、NHK連続テレビ小説) - ナレーション |
* [[鮎のうた]](1979年10月 - 1980年4月、NHK連続テレビ小説) - ナレーション |
||
* [[あ・うん]](1980年 - 1981年、NHK) - 水田仙吉 |
* [[あ・うん]](1980年 - 1981年、NHK) - 水田仙吉 |
||
* [[将軍 |
* [[将軍 SHŌGUN]](1980年、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[NBC]]) - 矢部 |
||
* [[桃太郎侍#高橋英樹主演 (日本テレビ)版|桃太郎侍]] 第191話「人情まわり舞台」(1980年、日本テレビ) |
* [[桃太郎侍#高橋英樹主演 (日本テレビ)版|桃太郎侍]] 第191話「人情まわり舞台」(1980年、日本テレビ) |
||
* [[赤かぶ検事奮戦記]]シリーズ(1980年 - 1992年、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]・[[松竹]]) - [[柊茂]] |
* [[赤かぶ検事奮戦記]]シリーズ(1980年 - 1992年、[[朝日放送テレビ|朝日放送]]・[[松竹]]) - [[柊茂]] |
2021年7月11日 (日) 00:58時点における版
フランキー さかい フランキー 堺 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1960年 | |||||||||||
本名 | 堺 正俊 | ||||||||||
生年月日 | 1929年2月13日 | ||||||||||
没年月日 | 1996年6月10日(67歳没) | ||||||||||
出生地 | 日本 鹿児島県鹿児島市車町[1] | ||||||||||
死没地 | 日本 東京都港区(東京都済生会中央病院)[2] | ||||||||||
職業 | 俳優、コメディアン、ドラマー | ||||||||||
活動期間 | 1955年 - 1996年 | ||||||||||
主な作品 | |||||||||||
テレビドラマ 『私は貝になりたい』 『あ・うん』(NHK版) 『赤かぶ検事奮戦記』シリーズ 『太平記』 映画 『幕末太陽傳』 『モスラ』 『君も出世ができる』 『駅前シリーズ』 『社長シリーズ』 『私は貝になりたい』 その他 『霊感ヤマカン第六感』(2代目司会) | |||||||||||
|
フランキー 堺(フランキー さかい、本名;堺 正俊、1929年2月13日 - 1996年6月10日)は、日本のコメディアン、俳優、ジャズドラマー、司会者。鹿児島県鹿児島市出身。慶應義塾大学法学部卒業。
来歴・人物
鹿児島県鹿児島市車町(現在の上本町の一部)出身[1]。父親は鹿児島の士族の家系の出身であり、明治・大正時代に活躍し、映画『ノンキナトウサン』の主役としても知られる曾我廼家五九郎は親戚にあたる。
小学校在学中はボーイソプラノの歌い手として注目され、合唱団としてNHK鹿児島放送局のラジオ番組に出演した。
一家で東京府大田区池上へ引越し、池上第二小学校[3]、私立麻布中学校を経て、慶應義塾大学法学部卒業。中学時代の同級生には、小沢昭一、加藤武がいた。他の同級生になだいなだ、内藤法美、仲谷昇、大西信行らがいた[4]。
1946年8月のバレエ「白鳥の湖」日本初演(第一次東京バレエ団)では男性ダンサーが足りず、立ち役は早稲田、慶應、上智の各大学の演劇部の学生が演じ、慶應大の学生だったフランキー堺も出演している。
大学時代から進駐軍のキャンプでバンド「シックスレモンズ」のジャズ・ドラマーとして演奏し、芸能界へ進む。芸名のフランキーは進駐軍相手に演奏を行うため通りがいいように名付けた。1954年にフランキー堺とシティ・スリッカーズを結成して、スパイク・ジョーンズをまねた冗談音楽を演奏[5]。築地のクラブで演奏していると、俳優伴淳三郎と知り合い、念願の役者へ。
後に映画へ進出し、『幕末太陽傳』や『駅前シリーズ』などに出演。幕末太陽傳での左平次の演技が決定打となって、1957年のブルーリボン賞主演男優賞を受賞する[5]。ブルーリボン賞受賞の弁では「今撮影している映画(『母三人』1958年公開)は、笑わせ役者から泣かせ役者に踏み出す第一歩」と抱負を語った[5]。
BC級戦犯の悲劇を描いた『私は貝になりたい』、人情派検事の奮闘を描いた『赤かぶ検事奮戦記』などの社会派ドラマ、『モスラ』や『世界大戦争』などの特撮まで、幅広く活躍した。
朝日放送のクイズ番組『霊感ヤマカン第六感』では野末陳平の後任として2代目司会者を務め、軽妙かつ温厚な司会ぶりで視聴者に親しまれた。
多額の私財を投じて東洲斎写楽の研究を行っていたことでも有名である。1995年の篠田正浩監督映画『写楽』では、版元・蔦屋重三郎を自ら演じるとともに、企画総指揮・脚色も務めた。これは、『幕末太陽傳』でフランキーを主演に起用した川島雄三監督が「次回作はフランキー主演で写楽を撮る」と告げたまま急死してしまったため、その遺志を継いで30年後に完成させたものだった。なお、同じく写楽の映画を撮ることを念願としていた巨匠・内田吐夢とも意気投合したが、内田も夢を果たせずに没した[6]。
落語家・8代目桂文楽に入門しており、噺家として桂文昇の名を持っていた。
1967年から大阪芸術大学で演劇論を講じ、1974年より大阪芸術大学舞台芸術学科の教授に就任、学科長も務めた[7]。1994年に紫綬褒章を受章。
1996年6月7日未明に大阪市のホテルで吐血して緊急入院、6月10日、肝不全のため東京都港区の済生会中央病院で死去、67歳没[2]。
長男は和久峻三の娘と結婚している。次男は福沢諭吉の曽孫の娘と結婚している[8]。
『モスラ』で共演した小泉博は堺の死について「ショックだった」と語っている[9]。
受賞[10]
- ブルーリボン賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」「倖せは僕等のねがい」
- キネマ旬報賞主演男優賞〔昭和32年〕「幕末太陽伝」
- 芸術祭文部大臣賞〔昭和33年〕「私は貝になりたい」
- 芸術祭文部大臣賞(映画)〔昭和38年〕「天と結婚」
- NHK映画賞主演男優賞「末は博士か大臣か」
- 芸術祭企画賞(ドラマ)〔昭和39年〕「もぐらの唄」
- モンテカルロ国際テレビ祭シルバー・ニンフ賞(第30回)〔平成2年〕「山頭火」
- 紫綬褒章〔平成6年〕
- 藤本賞(平6年度)〔平成7年〕
- エランドール賞(特別賞,平7年度)〔平成8年〕「写楽」
- 日本アカデミー賞(特別賞企画賞,第19回)〔平成8年〕「写楽」
- 日本アカデミー賞会長特別賞(第20回,平8年度)〔平成9年〕
- 毎日映画コンクール特別賞(第51回,平8年度)〔平成9年〕
出演作品
テレビドラマ
- わが輩ははなばな氏(1956年 - 1959年、ラジオ東京テレビ) - はなばな氏 ※実際の堺一家が出演した
- 私は貝になりたい(1958年10月31日、ラジオ東京テレビ) - 清水豊松
- 東レ サンデーステージ / 足にさわった女(1960年7月3日、日本テレビ)
- テレビ指定席 / 流人天国(1961年5月14日、NHK)
- こんばんは21世紀(1964年4月12日、東京12チャンネル) - 弁護人
- ザ・ガードマン(TBS・大映テレビ室)第293話「逃げろ!妻からの殺人指令」
- 大河ドラマ(NHK)
- こりゃまた結構(1967年、TBS)
- 売らいでか!(1969年、よみうりテレビ) - 山内杉雄
- 江戸川乱歩シリーズ 明智小五郎 第10話「屋根裏の散歩者」(1970年、テレビ東京)
- 速歩自源流(1969年、NHK)
- 男は度胸(1970年、NHK)
- 大忠臣蔵(1971年、NET) - 赤埴源蔵
- 人形佐七捕物帳 第2話「謎の銀かんざし」(1971年、NET) - 歌川国貞
- 東芝日曜劇場
- 風船のあがる時(1972年、HBC) - 五郎
- あぁ!新世界(1975年、HBC)
- 時計(1977年、HBC) - 中西銀次
- 馬逃げた!(1979年、HBC) - 戸部
- 銀座わが町(1973年、NHK)
- 顔で笑って(1973年、TBS) - 吉本太郎
- 落日燃ゆ(1976年、NET) - 吉田茂
- 水戸黄門 第7部 第33話「十七年目の泣き笑い -伊勢崎-」(1977年1月3日、TBS・C.A.L) - 一八
- 夜明けの刑事 第111話(最終回)「歌手になりたかったのに!!」(1977年3月23日、TBS・大映テレビ) - 尾長大助
- 浮浪雲(1978年、テレビ朝日・石原プロモーション) - 西郷隆盛、勝海舟の偽者
- 銀河テレビ小説 / 春の珍客(1979年、NHK)
- マー姉ちゃん(1979年4月 - 9月、NHK連続テレビ小説) - 菊池寛
- 鮎のうた(1979年10月 - 1980年4月、NHK連続テレビ小説) - ナレーション
- あ・うん(1980年 - 1981年、NHK) - 水田仙吉
- 将軍 SHŌGUN(1980年、アメリカ・NBC) - 矢部
- 桃太郎侍 第191話「人情まわり舞台」(1980年、日本テレビ)
- 赤かぶ検事奮戦記シリーズ(1980年 - 1992年、朝日放送・松竹) - 柊茂
- 特別編必殺仕事人 恐怖の大仕事 水戸・尾張・紀伊(1981年、朝日放送・松竹) - 与市役
- 必殺シリーズ10周年記念スペシャル 仕事人大集合(1982年、朝日放送・松竹) - 与市役 ※上記と役名は同じだが、同一人物であるかは不明
- ザ・ハングマン4(1984年、朝日放送・松竹芸能) - ゴッド・神山玄蔵
- ポニーテールはふり向かない(1985年、TBS・大映テレビ) - 麻生雄次
- 土曜ワイド劇場 養子探偵団(1986年、朝日放送・松竹) - 名村利平
- 山頭火 〜何んでこんなに淋しい風ふく〜[11](1989年、NHK)
- 鬼平犯科帳 第1シリーズ 第16話「盗法秘伝」(1989年、フジテレビ) - 伊砂の善八
- 獄門島(1990年、フジテレビ) - 了然
- 本多の狐-徳川家康の秘宝(1992年9月29日、朝日放送)
- 特選!黒のサスペンス「視線・証拠無し」(1993年10月4日、関西テレビ)
- 坊っちゃん -人生損ばかりのあなたに捧ぐ-(1994年1月1日、NHK) - 狸
- 横溝正史シリーズ・女怪(1996年4月26日、フジテレビ) - 硯川酒肴(流行探偵小説作家)
- 土曜ドラマ / ぜいたくな家族(1996年9月7日、NHK) - 草野昭三 ※テレビドラマ遺作
映画
- 名探偵アジャパー氏(1953年、新東宝)- 与田輝夫とシックス・レモンズの一員
- 青春ジャズ娘(1953年、新東宝)- ドラムの青木
- 愛のお荷物(1955年/日活)[5]
- 初恋カナリア娘(1955年、日活)
- 丹下左膳 第一部 乾雲の巻、第二部 坤竜の巻、第三部 昇竜の巻(1956年、日活) - 鼓の与吉
- 牛乳屋フランキー(1956年、日活)[5]
- フランキー・ブーチャンのあゝ軍艦旗(1957年、日活)
- 幕末太陽傳(1957年、日活) - 主演・居残り佐平次[5]
- フランキーの宇宙人(1957年、日活) - 主演 ※クライマックスでは一人14役を演じた
- 倖せは俺等のねがい(1957年、日活)
- 母三人(1958年、東宝) - 中原清治[12]
- ぶっつけ本番(1958年、東宝) - 主演・松木徹夫[13]
- 駅前シリーズ(1958 - 1969年、東宝)
- 私は貝になりたい(1959年、東宝)
- 貸間あり(1959年、東宝)
- 独立愚連隊西へ(1960年、東宝) - 八路軍・梁隊長
- モスラ(1961年、東宝)
- 特急にっぽん(1961年、東宝)
- 世界大戦争(1961年、東宝) ※芸術祭参加作品
- 南の島に雪が降る(1961年、東宝)
- 雲の上団五郎一座(1962年、東宝)
- 忠臣蔵 花の巻・雪の巻(1962年、東宝)
- 社長シリーズ(1962年 - 1967年)
- 台所太平記(1963年、東宝)
- ばりかん親分(1963年、松竹)
- 末は博士か大臣か(1963年、大映)
- ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗 (1964年、東宝)
- ラーメン大使(1967年、大映)
- 君も出世ができる(1964年、東宝)[5]
- 旅行シリーズ(1968年 - 1972年、松竹大船)
- 喜劇 “夫”売ります!!(1968年、東映)
- 妾二十一人 ど助平一代(1969年、東映)
- 極道ペテン師(1969年、日活)
- 喜劇・命のお値段(1971年、松竹)
- 喜劇 男の子守唄(1972年、松竹)
- 喜劇 日本列島震度0(1973年、松竹大船)
- 宮本武蔵(1973年、松竹) - 本位田又八
- 喜劇 百点満点(1976年、東宝)
- 日本の仁義(1977年、東映) - 石毛忠
- ダイナマイトどんどん(1978年、大映) - 五味徳右衛門
- 翼は心につけて(1978年、共同映画全国系列会議) - 鈴木伸夫
- ハワイアンラブ 危険なハネムーン(1978年、日活)
- 復讐するは我にあり (1979年、松竹) - 河井警部
- 北斎漫画(1981年、松竹) - 中島伊勢
- 嵐を呼ぶ男(1983年、東宝)
- 国士無双(1986年、サンレニティ)
- 親鸞 白い道(1987年、松竹)
- 星の牧場(1987年、東映クラシックフィルム)
- あいつ(1991年、アルゴプロジェクト)
- 超能力者 未知への旅人(1994年)
- 写楽(1995年、西友) ※フランキー自らが長年温めていた企画・総指揮
- 瀬戸内ムーンライト・セレナーデ(1997年、松竹) - 写真屋さん ※映画遺作
テレビアニメ
- まんが日本絵巻(1977年 - 1978年、TBS) - 語り手
劇場アニメ
- ちびっ子レミと名犬カピ(1970年、東映動画) - カピ
バラエティ
- コメディフランキーズ(1963年 - 1964年、TBS)
- 夢をあなたに(1966年 - 1967年、NHK)
- スポットライト(1972年 - 1973年、NHK)
- 霊感ヤマカン第六感(1977年 - 1984年、朝日放送) ※司会
- お好み演芸会(1989年 - 1990年、NHK) ※総合司会
CM
広告
NHK紅白歌合戦出場歴
年度/放送回 | 曲目 | 対戦相手 | ||
---|---|---|---|---|
1958年(昭和33年)/第9回 | 男はよわい | 江利チエミ | ||
1959年(昭和34年)/第10回 | もぐら祭り | |||
1960年(昭和35年)/第11回 | 悲しきインディアン | ペギー葉山 | ||
1961年(昭和36年)/第12回 | 金色夜叉 | 越路吹雪 | ||
|
著書
- 内村直也編 『現代テレビ講座 第2巻 テレビタレント篇』 ダヴィッド社、1960年(「テレビ演技の実際」を収録)
- 『フランキー太陽伝』 報知新聞社、1969年(巻末に自伝「ぼくの『ドラムとドラマ』」を収録)
- 『(フランキー堺の)男性諸君―独断と偏見に満ちあふれたお喋り集』 ルック社、1975年
- 『写楽道行』(SF時代小説)ISBN 4163088806 ISBN 4167507013
- 『芸夢感覚―フランキー人生劇場』(自伝的エッセイ集)ISBN 4087740412
- 『写楽を探せ―謎の天才絵師の正体』(アンソロジー)ISBN 4881351680
- 『俳句のゆたかさ―森澄雄対談集』(対談「遊びの精神」を収録)ISBN 4023305685
- 『(著名人が語る〈学びのヒント〉 第5巻)創るよろこび』(「劇的生活」を収録)ISBN 4897847524
脚注
- ^ a b 鹿児島市(1970) p.1089
- ^ a b “史上初の大調査 著名人100人が最後に頼った病院 あなたの病院選びは間違っていませんか”. 現代ビジネス (2011年8月17日). 2019年12月20日閲覧。
- ^ 池上第二小学校ホームページ
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ a b c d e f g 小林信彦『日本の喜劇人』(文庫版)新潮社、1982年(原著1977年)、97-102頁。ISBN 4-10-115804-5。
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ 系図でみる近現代 第49回 福澤諭吉 福澤克雄 フランキー堺
- ^ 『モスラ』のDVDオーディオコメンタリーの小泉の弁より。
- ^ 日外アソシエーツ現代人物情報
- ^ ドラマスペシャル 山頭火 何でこんなに淋しい風ふく - NHK名作選(動画・静止画) NHKアーカイブス
- ^ 母三人(1958) Movie Walker
- ^ ぶっつけ本番 eiga.com
参考文献
関連項目
外部リンク
- フランキー堺 - 日本映画データベース
- フランキー堺 - allcinema
- フランキー堺 - KINENOTE
- Frankie Sakai - IMDb(英語)
- フランキー堺 - MOVIE WALKER PRESS
- フランキー堺 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇
- フランキー堺 - NHK人物録