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2021年8月1日 (日) 06:15時点における版
音無秀孝 | |
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2011年シンザン記念表彰式 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県 |
生年月日 | 1954年6月10日(69歳) |
騎手情報 | |
所属団体 | JRA |
所属厩舎 |
田中良平(1979/3 - 1981/10) 領家政蔵(1981/10 - 1981/12) 田中良平(1981/12 - 引退) |
初免許年 | 1979年 |
免許区分 | 平地 |
騎手引退日 | 1993年2月28日 |
重賞勝利 | 6勝 |
G1級勝利 | 1勝 |
通算勝利 | 1212戦84勝 |
調教師情報 | |
初免許年 | 1995年 |
経歴 | |
所属 | 栗東T.C. |
音無 秀孝(おとなし ひでたか、1954年6月10日 - )は、日本中央競馬会 (JRA) 栗東トレーニングセンター所属の調教師であり、元栗東所属騎手。
来歴
中学校を卒業した後、大阪のレストランでコックとして3年間働いていたが、この間に競馬ファンとなり、自身も騎手として競馬界に飛び込むことを決意する。1973年から騎手見習いとして騎乗を開始、1979年からは田中良平厩舎に所属し正式な騎手となった。
1985年の優駿牝馬をノアノハコブネで制すなど、1993年の騎手引退までに1212戦で84勝を挙げている。
日本中央競馬会発足後、クラシックを制した騎手で通算100勝以下の騎手は彼以外には山本勲(通算99勝、1957年皐月賞)しかいない。引退後2年間は田中章博厩舎で調教助手を務めた。1995年に厩舎を開業する。
1995年6月24日に中京競馬第12競走でキーペガサスが管理馬として初出走、初勝利は厩舎10戦目であった同年7月23日の小倉競馬第11競走北九州記念をイナズマタカオーで飾っている。
リンカーン、カンパニー、オレハマッテルゼ、サンアディユ、サンライズバッカス、オウケンブルースリなどの活躍馬を世に送り出し、騎手時代以上の活躍が目立つ。
特徴
開業時に他厩舎から転厩してきたイナズマタカオーで重賞を2勝するなど開業当初から調教師として手腕を発揮していたが、2000年ごろから成績が飛躍的に向上し、現在では毎年のように調教師リーディングの上位を賑わす存在である。これには、リンカーンなどに代表される近藤英子所有の素質馬を管理し始めたことや、条件戦での積極的な関東遠征、東田幸男調教助手を始めとする厩舎スタッフらの手腕とチームワークなどが理由として挙げられる。
また坂路主体の調教も厩舎の特徴であり、西高東低の現状に於いて、これが前述の関東遠征での好結果に繋がっている。
2003年より2010年まで厩舎所属騎手として生野賢一がいた
エピソード
- オモシロイ、イヤダイヤダなどの珍名馬が所属することでも有名な音無厩舎だが、それらを所有する馬主小田切有一との関係は深い。音無の騎手時代の代表騎乗馬ノアノハコブネやミスラディカル、さらに1980年の初勝利時の騎乗馬ヒノサトや最終騎乗となった1993年京都牝馬特別のフェイムオブラスも小田切の所有馬であった。当時、小田切は田中良平厩舎にその所有馬の多くを預けていたこともあり、音無は若い頃から小田切に可愛がられていた(現在も"秀ちゃん"と呼ばれている)。その縁と信頼関係は、調教師となってからのエガオヲミセテやワナでの重賞勝利や、オレハマッテルゼでの高松宮記念優勝による悲願のGI初制覇へと結実している。
- 所属馬一頭一頭の過去のデータが一目瞭然できるというソフト(自らが考案)を利用し、調教時計を始めとする詳細事項を自らの手でパソコンに入力、さらにそのデータは馬主にも届けるというマメな一面も持ち合わせている。
- 栗東トレセンでは同郷のよしみから橋口弘次郎調教師と仲が良く、二人の会話は新聞記事のネタになることもある。2007年のアイビスサマーダッシュで管理馬サンアディユが勝利した際、音無は小倉競馬場に出張中であったため、表彰式での表彰台には代理で橋口が立った(臨場業務代行)。
- 2007年8月4日(土)、新潟競馬場にてレースに出走する管理馬アレクシオスの装鞍中、バランスを崩して倒れた同馬の下敷きになってしまい、肋骨を5本折る重傷を負った。しかし週明けの月曜日(6日)、絶対安静とされる中、上記の“データ入力”の為コルセットを装着した状態で厩舎へ現れるという肉体的かつ精神的タフさをも見せている。
騎手成績
1着 | 2着 | 3着 | 騎乗数 | 勝率 | 連対率 | |
---|---|---|---|---|---|---|
平地 | 84 | 104 | 88 | 1201 | .070 | .157 |
障害 | 0 | 0 | 0 | 11 | .000 | .000 |
計 | 84 | 104 | 88 | 1212 | .069 | .154 |
日付 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|
初騎乗 | 1979年3月3日 | - | サカエホーオー | - | - | 8着 |
初勝利 | 1980年7月20日 | - | ヒノサト | - | - | 1着 |
重賞初騎乗 | 1982年1月31日 | シュンエイ記念 | エアーシャトル | 15頭 | 6 | 3着 |
重賞初勝利 | 1982年10月31日 | 京都牝馬特別 | ミスラディカル | 13頭 | 5 | 1着 |
GI初騎乗 | 1983年6月5日 | 宝塚記念 | ミスラディカル | 13頭 | 5 | 6着 |
GI初勝利 | 1985年5月19日 | 優駿牝馬 | ノアノハコブネ | 28頭 | 21 | 1着 |
主な騎乗馬
- ミスラディカル(1982年京都牝馬特別・阪神牝馬特別・1983年金杯(西)・朝日CC)
- ノアノハコブネ(1985年優駿牝馬)
- ユウミロク(1987年カブトヤマ記念)
調教師成績
日付 | 競馬場・開催 | 競走名 | 馬名 | 頭数 | 人気 | 着順 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|
初出走 | 1995年6月24日 | 3回中京3日12R | 5歳上900万下 | キーペガサス | 16頭 | 7 | 11着 |
初勝利 | 1995年7月23日 | 2回小倉4日11R | 北九州記念 | イナズマタカオー | 16頭 | 3 | 1着 |
重賞初勝利 | 1995年7月23日 | 2回小倉4日11R | 北九州記念 | イナズマタカオー | 16頭 | 3 | 1着 |
GI初出走 | 1995年10月29日 | 4回東京8日10R | 天皇賞(秋) | イナズマタカオー | 17頭 | 14 | 9着 |
GI初勝利 | 2006年3月26日 | 1回中京8日11R | 高松宮記念 | オレハマッテルゼ | 18頭 | 4 | 1着 |
受賞
- 2004年 JRA賞(優秀技術調教師)
- 2005年-2010年 優秀調教師賞(関西)
- 2009年 最多賞金獲得調教師賞
- 2009年 JRA賞(最多賞金獲得調教師)
- 2010年 JRA賞(最多勝利調教師)
- 2010年 最多勝利調教師賞
主な管理馬
- GI級競走優勝馬
- カンパニー(2005年京阪杯、2006年大阪杯、2007年関屋記念、2008年中山記念、マイラーズカップ、2009年中山記念、毎日王冠、天皇賞(秋)、マイルチャンピオンシップ)
- サンライズバッカス(2005年武蔵野ステークス、2007年フェブラリーステークス)
- オレハマッテルゼ(2006年高松宮記念、京王杯スプリングカップ)
- ヴィクトリー(2007年皐月賞)
- オウケンブルースリ(2008年菊花賞、2009年京都大賞典)
- ミッキーアイル(2014年シンザン記念、アーリントンカップ、NHKマイルカップ、スワンステークス、2016年阪急杯、マイルチャンピオンシップ)
- ミッキーロケット (2017年日経新春杯、2018年宝塚記念)
- サンライズノヴァ (2017年ユニコーンステークス、2018年武蔵野ステークス、2019年マイルチャンピオンシップ南部杯、2020年プロキオンステークス、武蔵野ステークス)
- インディチャンプ (2019年東京新聞杯、安田記念、マイルチャンピオンシップ、2020年マイラーズカップ)
- モズスーパーフレア (2019年オーシャンステークス、2020年高松宮記念)
- クリソベリル(2019年兵庫チャンピオンシップ、ジャパンダートダービー、日本テレビ盃、チャンピオンズカップ、2020年帝王賞、JBCクラシック)
- その他重賞競走優勝馬
- イナズマタカオー(1995年北九州記念、1996年中京記念)
- エガオヲミセテ(1998年阪神牝馬特別、1999年マイラーズカップ)
- ユーセイトップラン(1999年アルゼンチン共和国杯、1998年・2000年ダイヤモンドステークス)
- トシザブイ(2002年・2003年目黒記念)
- リンカーン(2004年阪神大賞典、2005年京都大賞典、2006年日経賞)
- サンアディユ(2007年アイビスサマーダッシュ、2007年セントウルステークス、2007年京阪杯)
- ブラボーデイジー(2009年福島牝馬ステークス、2010年エンプレス杯)
- ザレマ(2009年京成杯オータムハンデキャップ)
- オウケンサクラ(2010年フラワーカップ)
- サンライズプリンス(2010年ニュージーランドトロフィー)
- ドモナラズ(2010年七夕賞)
- ダノンヨーヨー(2010年富士ステークス)
- レッドデイヴィス(2011年シンザン記念、毎日杯、鳴尾記念)
- ミッキードリーム(2011年朝日チャレンジカップ)
- クリソライト(2013年ジャパンダートダービー、2014年日本テレビ盃、2015年ダイオライト記念[1]、2016年コリアカップ[2])
- アンビシャス (2015年ラジオNIKKEI賞、2016年大阪杯)
- リアファル (2015年神戸新聞杯)
- クランモンタナ (2016年小倉記念)
- ブラックスピネル (2017年東京新聞杯)
- アメリカズカップ (2017年きさらぎ賞)
- アドミラブル (2017年青葉賞)
- アサクサゲンキ (2017年小倉2歳ステークス)
- ダンビュライト (2018年アメリカジョッキークラブカップ、2019年京都記念)
- スティッフェリオ (2018年福島記念、2019年小倉大賞典、オールカマー)
- ピクシーナイト(2021年シンザン記念[3])
- アリストテレス(2021年アメリカジョッキークラブカップ)
主な厩舎所属者
※太字は門下生。括弧内は厩舎所属期間と所属中の職分。
関連項目
脚注
- ^ ダイオライト記念競走優勝馬 - 南関東4競馬公式サイト 2015年3月12日閲覧
- ^ クリソライトが優勝、クリノスターオーが2着で日本馬のワンツー/コリアカップnetkeiba.com 2016年9月11日閲覧
- ^ “【シンザン記念】4番人気ピクシーナイトが逃げ切り 福永はJRA通算2400勝達成”. ヤフースポーツ (2021年1月10日). 2021年1月10日閲覧。