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「紋別郡」の版間の差分

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'''紋別郡'''(もんべつぐん)は、[[北海道]]([[北見国]])[[オホーツク総合振興局]]の[[郡]]。
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2021年9月6日 (月) 03:37時点における版

北海道紋別郡の位置(1.遠軽町 2.湧別町 3.滝上町 4.興部町 5.西興部村 6.雄武町 黄:明治期)

紋別郡(もんべつぐん)は、北海道北見国オホーツク総合振興局

人口36,426人、面積3,912.64km²、人口密度9.31人/km²。(2024年10月31日、住民基本台帳人口)

以下の5町1村を含む。

滝上町・興部町・西興部村・雄武町は西紋と呼ばれる場合がある。

郡域

1879年明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね上記5町1村に紋別市を加えた区域にあたる。後に常呂郡との間で境界変更が行われている。現存する日本の郡では最も面積が大きい[1]

歴史

郡発足までの沿革

江戸時代の紋別郡域は西蝦夷地に属し、当初は松前藩によって開かれたソウヤ場所に含まれたが、後にモンベツ場所が新たに分立した。

江戸時代後期になると、南下政策を強力に進めるロシアの脅威に備え文化4年紋別郡域は天領とされた。文政4年には一旦松前藩領に復したものの、安政2年再び天領となり会津藩が紋別に出張陣屋を築き警固をおこなった。同6年の6藩分領以降は会津藩領であった。戊辰戦争箱館戦争)終結直後の1869年8月15日大宝律令国郡里制を踏襲して紋別郡が置かれた。

郡発足以降の沿革

北海道一・二級町村制施行時の紋別郡の町村(9.渚滑村[第1次] 10.湧別村 11.紋別村 12.興部村 13.雄武村 赤:紋別市 橙:湧別町 青:区域が発足時と同じ町村および合併を経ていない町村 水色:分立して現存する町村 27.遠軽村 28.滝上村 29.西興部村)

脚注

  1. ^ 近代以降の日本に存在した郡では敷香郡津軽郡に次いで3番目。

参考文献

関連項目