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2021年9月18日 (土) 07:18時点における版
天龍 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 | 横須賀造船所[1] |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | スループ[2] |
建造費 |
698,106.728円[3] または542,639円[4] |
艦歴 | |
発注 | 1877年12月1日建造裁許[5] |
起工 | 1878年2月9日[6] |
進水 | 1883年8月18日[7] |
竣工 | 1885年3月5日[8] |
就役 | 1886年春[9] |
除籍 | 1906年10月20日[8]雑役船に編入[3] |
その後 |
1911年12月21日廃船[3] 1912年売却報告[10] |
要目(竣工時) | |
排水量 |
1,547英トン[4][11] または1,520英トン[12] |
垂線間長 |
212 ft 4 in (64.719 m)[4] または212 ft 6+1⁄2 in (64.783 m)[12] |
最大幅 |
35 ft 6+3⁄4 in (10.839 m)[4][9] または35 ft 5+3⁄16 in (10.800 m)[12] |
深さ | 22 ft 0 in (6.706 m)[4] |
吃水 | 平均:16 ft 11+1⁄2 in (5.169 m)[4] |
ボイラー | 高円缶片面戻火式 4基[13] |
主機 | 横置還働式2段2気筒レシプロ 1基[13] |
推進 | 青銅製2翼スクリュー[9] 1軸[14] |
出力 | 計画:1,250実馬力(250名馬力)[2] |
帆装 |
3檣バーク型[15] 帆面積:7,795平方フィート[4] |
速力 |
計画:12ノット[2] 11.5ノット[4] または11ノット[8] |
燃料 |
石炭定量256トン[4] 1904年:石炭201トン[16][17] |
乗員 | 1890年10月定員:214名[18] |
兵装 |
17cmクルップ旋回砲 1門[2] 15cmクルップ旋回砲 1門[2] 12cmクルップ側砲 4門[2] |
その他 |
船材:木[8] 艦番号:31(1878年5月8日-)[19] |
天龍(てんりゅう)は、日本海軍の軍艦で、 艦種はスループになる[2]。 艦名は天竜川にちなんで名づけられた[8]。
概要
海門の姉妹艦として横須賀造船所(後の横須賀海軍工廠)で建造された[20]。 1894年(明治27年)からの日清戦争に従軍、1898年(明治31年)に艦艇類別等級標準が制定されて三等海防艦とされた[8]、 日露戦争にも従軍[8]。 1906年(明治39年)除籍、雑役船に編入され[3]、 舞鶴海兵団練習船として用いられたが[9]、 1911年に廃船となり売却された[3]。
艦型
3檣バーク型[15] のスループ[2]。 海防艦とする文献もある[12][15]。 『#Conway(1860-1905)』では海門と同型艦のスクリュー・コルベット(screw corvette)に分類している[21]。 また『日本海軍艦船名考』では巡洋艦と称している[8]。 船材は木で[8]、 横須賀造船所で建造する木造船体の軍艦は天龍が最後になった[9] (次の建造艦「葛城」では鉄骨木皮となる[22])。 計画要目は以下の通り。
1885年(明治18年)1月に竣工前の重心検査を行った所、復原性能の不足が判明した[9]。 このため竣工時には艦隊へでは無く、横須賀鎮守府へ引き渡して、横須賀造船所で舷側水線部にバルジを装着した[9]。 このバルジは水線幅を増加する目的であり、吃水線上下の限定的な範囲だった[9]。 バルジの外面、内面共に木材で作られ、片舷約460mmで水線幅は海門より960mm増加した[9]。
機関
機関は「海門」と同一である[23]。 (機関の詳細は「海門#機関」を参照)。 蒸気圧力は65ポンド/平方インチに上昇した[2] (『帝国海軍機関史』によれば「海門」と同じ60ポンド/平方インチ[13])。 また青銅製スクリュープロペラは「海門」が4翼に対し、天龍は2翼[9]と、 形状を変更した[24]。
- 公試成績
実施日 | 種類 | 排水量 | 回転数 | 出力 | 速力 | 場所 | 備考 | 出典 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
自然通風全力 | 71rpm | 1,102実馬力 | 11.25ノット | 初の施工時 | [23] | |||
1,547英トン | 1,162馬力 | 11.51ノット | 試運転成績 | [1] |
また日露戦争前の成績として1,167馬力、12ノットという値もある[17]。
兵装
表の兵装は『横須賀海軍船廠史』による[2]。 その他の文献による兵装は以下の通り。
- 『日本近世造船史明治時代』:17cm砲1門、15cm砲1門、12cm砲4門、7.5cm砲1門、1インチ機砲4基[4]
- 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』:17cm砲1門、15cm砲1門、12cm砲4門、その他[3]
- 『Conway(1860-1905)』:5.9インチ砲1門、4.7インチ砲4門、3インチ砲1門、1インチ機砲4基[21]
改装
日清戦争後に呉海軍造船廠で改装工事を行った[25]。 帆装の簡易化、煙突の固定、艦橋の新設、艦首をクリッパー型から直線型に改めた[25]。 また1900年(明治33年)1月(上記改装と同時)に呉海軍造船廠で同形式の新ボイラー4基に交換した[23]。
艦歴
建造
1877年(明治10年) 6月15日に横須賀造船所が250馬力軍艦(後の海門)の設計の認許を求めた時に、同時に同一艦をもう一隻建造することを上申したが、その時は追って指令するとなった[26][5]。 横須賀造船所では着手済みの艦の作業手順を整理するなどを行い、改めて11月24日に建造の認可を至急求め、12月1日に建造が裁許された[5]。 1878年(明治11年) 2月9日起工[6]。 2月19日、横須賀造船所で建造中の2隻は海門と天龍と命名され、翌20日に横須賀造船所は最初に着手した艦を海門、次の艦を天龍と決定したことを発表した[6]。 1883年(明治16年) 2月26日、天龍の等級は三等とされた[27]。 8月18日午後4時から進水式が行われた[7]。 有栖川宮熾仁親王、有栖川宮威仁親王、小松宮彰仁親王、伏見宮貞愛親王、梨本宮菊麿王や大木参議、山縣参議、伊藤参議、黒田内閣顧問、川村海軍卿などが横浜港から横須賀まで蒼龍丸に乗船、進水式に臨席した[7]。 1885年(明治18年) 2月26日に公試運転を行い、3月5日に竣工、横須賀鎮守府に引き渡された[9]。 その後は横須賀造船所で引き続きバルジ装着工事を行い、翌1886年(明治19年)春に就役した[9]。
1886年
1886年(明治19年) 5月26日に長崎港を出港、以後朝鮮での警備を行い[28]、 翌1887年(明治20年)1月12日に長崎に帰着した[28]。
1890年
1890年(明治23年) 8月23日に第一種に定められた。
1891年-1893年
1891年(明治24年) 10月31日、呉港を出港し、清国での警備を行い[28]、 1893年(明治26年) 3月15日長崎に帰着した[28]。
日清戦争
1894年(明治27年) 7月23日に天龍は佐世保港を出港、2日後の25日に日清戦争が開戦となった[28]。 天龍は大連・旅順・威海衛攻略作戦等に参加、 1895年(明治28年) 5月2日に佐世保港に帰国、5月13日に日清戦争は終戦となった[28]。
1896年
1896年(明治29年) 1月18日に呉港を出港し、台湾方面で活動した[28]。 8月25日鹿児島に帰国した[28]。
1897年
1897年(明治30年) 6月26日に呉港を出港し、台湾方面で活動した[28]。 11月26日に火災事故を起こした。
1898年
1898年(明治31年) 1月29日、台湾方面より鹿児島に帰国した[28]。 3月21日、艦艇類別等級標準が制定され、天龍は三等海防艦に類別された[3]。
日露戦争
除籍
1906年(明治39年) 10月20日に除籍され、雑役船に編入[3]、 舞鶴海兵団練習船となって舞鶴軍港に定係された[9]。
1911年(明治44年) 4月1日廃船訓令[29]、 12月21日売却訓令[30]、 1912年(明治45年)3月25日に売却された[10]。
艦長
※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 三浦功 少佐:1884年12月16日 - 1887年10月27日
- (心得)平尾福三郎 少佐:1887年10月27日 - 1888年6月20日
- (兼・心得)片岡七郎 少佐:1888年6月20日 - 1889年5月15日
- (兼・心得)有馬新一 少佐:1889年5月15日 - 1890年5月13日
- (兼・心得)松永雄樹 少佐:1890年5月13日 - 9月17日
- (心得)沢良煥 少佐:1890年9月17日 - 9月25日
- (兼・心得)沢良煥 少佐:1890年9月25日 - 1891年4月6日
- (心得)遠藤喜太郎 少佐:1891年7月23日 - 1893年5月20日
- (心得)世良田亮 少佐:1893年5月20日 - 12月13日
- 世良田亮 大佐:1893年12月13日 - 1895年7月29日
- 遠藤増蔵 少佐:1895年11月15日 -
- 徳久武宣 少佐:1896年12月4日 - 1897年4月17日
- 山田彦八 少佐:1897年4月17日 - 5月29日
- 磯野健 少佐:1897年5月29日 -
- 有川貞白 少佐:1897年10月26日 - 1898年2月10日
- 矢島功 中佐:1898年2月10日 - 12月3日
- 福間隆家 中佐:1898年12月3日 - 1899年3月22日
- 高桑勇 中佐:1899年3月22日 - 1899年6月3日
- 加藤重成 大佐:1899年6月3日 - 12月25日
- 丹羽教忠 中佐:1901年3月23日 - 1902年3月3日
- 高橋助一郎 中佐:1902年3月3日 -
- 上村経吉 中佐:1906年5月10日 - 1906年9月28日
脚注
出典
- ^ a b #日本近世造船史明治(1973)428-433頁、「内国製艦艇表(試運転成績)」
- ^ a b c d e f g h i j k #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.247、天龍艦明細表
- ^ a b c d e f g h #片桐(2014)pp.142-143、天竜
- ^ a b c d e f g h i j #日本近世造船史明治(1973)352-355頁、「艦艇表(計画要領)」
- ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.102
- ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.108
- ^ a b c #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.246
- ^ a b c d e f g h i #浅井(1928)pp.51-52、天龍
- ^ a b c d e f g h i j k l m #海軍艦艇史2(1980)p.20、No.2016の写真解説
- ^ a b #M45(T1)公文備考33/処分(1)画像32-33
- ^ #海軍軍備沿革p.49
- ^ a b c d #帝国海軍機関史(1975)上巻pp.522-523
- ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)別冊表4
- ^ #日本近世造船史明治(1973)367頁。
- ^ a b c #日本近世造船史明治(1973)295頁。
- ^ #帝国海軍機関史(1975)下巻p.263、戦役中艦艇石炭搭載成績表
- ^ a b #帝国海軍機関史(1975)下巻p.282、戦役従軍艦艇及其の最近高力運転成績。
- ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.190-192、明治23年10月18日(勅令235)軍艦団隊定員
- ^ #M11公文類纂16/金剛外6艦番号の件他画像1-3
- ^ #帝国海軍機関史(1975)上巻p.522
- ^ a b #Conway(1860-1905)p.232
- ^ #日本近世造船史明治(1973)296頁。
- ^ a b c #帝国海軍機関史(1975)上巻p.523
- ^ #日本近世造船史明治(1973)367-368頁。
- ^ a b c #日本海軍全艦艇史(1994)上巻p.482、No.1194の写真解説
- ^ #横須賀海軍船廠史(1973)第2巻p.94
- ^ #M16海軍省報告書画像18、艦船所轄並在任附改称及等級
- ^ a b c d e f g h i j #S9.12.31恩給叙勲年加算調査(下)/軍艦(4)画像8-9、舊天龍
- ^ #M44公文備考56/返還画像11。官房第1119号の3「明治44年4月1日 海軍大臣 舞鎮司令長官 雑役船舟還納方ノ件 舞鶴海兵団附属天龍ハ還納ノ上廃船舟ト為スヘシ 右訓令ス」
- ^ #M44公文備考56/売却払下廃却処分(3)画像20。官房第4435号の4「明治四十四年十二月二十一日 海軍大臣 舞鎮司令長官 廃船舟売却処分ノ件 旧軍艦比叡及天龍ハ売却処分方取計フヘシ 但各船附属ノ錨及錨鎖ハ繋留上必要ナルモノノミヲ本船ニ残シ他ハ取外ノ上艦船繋留用品ニ保管○○ノ手続ヲ為スヘシ 右訓令ス(終)」
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- 『記録材料・海軍省報告書』。Ref.A07062092500。 明治16年1月から明治16年12月。(国立公文書館)
- 「往入1421 金剛外6艦番号の件軍務局上申他1件」『公文類纂 明治11年 前編 巻16 本省公文 艦船部1』、Ref.C09112803800。
- 「返還」『明治44年 公文備考 艦船40 巻56』、Ref.C07090177400。
- 「売却払下廃却処分(3)」『明治44年 公文備考 艦船40 巻56』、Ref.C07090178300。
- 「処分(1)」『明治45年~大正1年 公文備考 巻33 艦船7』、Ref.C08020047900。
- 「除籍艦艇/軍艦(4)」『恩給叙勲年加算調査 下巻 除籍艦艇 船舶及特務艇 昭和9年12月31日』、Ref.C14010005800。
- Rober Gardiner, Roger Chesneau, Eugene Kolesnik ed. (1979). Conway's All The World's Fighting Ships, 1860-1905. (first American ed.). Mayflower Books. ISBN 0-8317-0302-4
- 浅井将秀/編『日本海軍艦船名考』東京水交社、1928年12月。
- 海軍省/編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
- 「海軍軍備沿革」、海軍大臣官房、1921年10月。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5。
- 呉市海事歴史科学館編『日本海軍艦艇写真集・巡洋艦』ダイヤモンド社、2005年。
- 造船協会『日本近世造船史 明治時代』 明治百年史叢書、原書房、1973年(原著1911年)。
- 日本舶用機関史編集委員会/編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。
- 福井静夫『海軍艦艇史 2 巡洋艦コルベット・スループ』KKベストセラーズ、1980年6月。
- 福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1。
- 横須賀海軍工廠/編『横須賀海軍船廠史』 明治百年史叢書 第170巻、原書房、1973年3月(原著1915年)。
- 『官報』