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2022年10月6日 (木) 23:18時点における版
明徳義塾中学校・高等学校 | |
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北緯33度25分19.8秒 東経133度25分43.5秒 / 北緯33.422167度 東経133.428750度座標: 北緯33度25分19.8秒 東経133度25分43.5秒 / 北緯33.422167度 東経133.428750度 | |
過去の名称 | 明徳中学・高等学校 |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人明徳義塾 |
設立年月日 |
1973年(中学校) 1976年(高等学校) |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学科内専門コース |
中学校 普通クラス(堂ノ浦) 国際特進クラス(竜) 高等学校 総合コース(堂ノ浦) 特別進学コース(竜) 英語コース(竜) 中国語コース(竜) 日本語コース(竜) |
学期 | 3学期制 |
学校コード |
C139310000074 中学校) D139310000072 (高等学校) | (
高校コード | 39509K |
中学校コード | 390155[1] |
所在地 | 〒785-0195・781-1165 |
(本校堂ノ浦キャンパス) 高知県須崎市浦ノ内下中山160番地 (竜キャンパス) 高知県土佐市宇佐町竜564番地 | |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
明徳義塾中学校・高等学校(めいとくぎじゅくちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、高知県にある私立中学校・高等学校である。中高一貫教育を実施しており、須崎市浦ノ内下中山に堂ノ浦キャンパス(本校)、土佐市宇佐町竜に国際キャンパスがある。
概要
校名「明徳」は中国の古典「大学」の一節からとられた。明徳とは、天地自然の法則や先人の教えを明らかにすることである[2]。 1984年4月1日に校名がそれまでの「明徳」から「明徳義塾」に変更されている。
在学生のうち、保護者と同居する自宅からの通学可能圏外からの留学生の比率が高いので、留学生全員が入居可能な寮を用意している。強制的な全寮制ではなく、生徒の希望に応じて入寮する教育方針であるが、実際には留学生の大部分が寮生活をしている[3]。また、すべての生徒にクラブ活動への参加を義務づけている[4]。現在までに海外からは21の国と地域[2][5]から留学生・日本人帰国子女を受け入れている。また、700名収容の寮があるため高知県外からの生徒の受け入れも積極的で、青森県・岩手県・山形県を除き44の都道府県[6]から生徒を受け入れ、海外・県外からの学生は全校生徒の約70%を占める。
テレビ東京で2018年7月23日に放送された『YOUは何しに日本へ?』(2時間スペシャル版)では、全校生徒1000人中YOU(外国人)が350人と紹介され、モンゴルの相撲部とタイの漫画部の生徒への取材がされた[7]。
野球部、剣道部、ゴルフ部などが全国大会で優勝経験がある(後述)。
キャンパス
コース
- 中学校
- 普通クラス(堂ノ浦キャンパス)
- 国際クラス(竜キャンパス)
- 高等学校
- 総合(堂ノ浦キャンパス)
- 国際(竜キャンパス)
- 特別進学コース
- 英語コース
- 中国語コース
- 日本語コース
沿革
(この節の出典[2])
- 1972年(昭和47年)12月 - 学校法人明徳中学校認可
- 1973年(昭和48年)4月 - 明徳中学校 開校
- 1976年(昭和51年)4月 - 明徳高等学校 開校
- 1978年(昭和53年)6月 - 体育館・剣道場・相撲道場落成
- 1983年(昭和58年)4月 - 野球道場完成
- 1984年(昭和59年)4月 - 明徳義塾中学校・明徳義塾高等学校と校名改称
- 1986年(昭和61年)4月 - 特別進学コース設置
- 2001年(平成13年)4月 - 竜国際キャンパス開校
- 2013年(平成25年)4月 - 竜国際キャンパスに新寮「養徳寮」と新食堂が完成
行事
9月には文化祭があり、文化祭は3日間連続して行われている。
中学の卒業式が2月の公立高校推薦入試終了直後に、高校の卒業式が1月のセンター試験終了直後に行われている。これは、3月後半まで入試があるので、直前に多忙にならないようにするためである。しかし、2・3月には補習も行われるので卒業式の後も学校へ来る生徒も多い。
主な部活動
国際演劇部
イギリスのオックスフォード大学から演出家を招き、英語劇を年3回公演している。スローガンは部員がシェイクスピアの作品の中から選んだ「Turn All To The Best」。
マーチングバンド部
従来の吹奏楽部より改組(時期未詳)。3年に1度、明徳の海外姉妹校とジョイントコンサートを開催している。
サッカー部
近年、夏のインターハイ・冬の選手権出場など活躍が見られる。三都主アレサンドロなど多くのOBを輩出している。
2000年度の冬の選手権出場時には段原一詞が監督を務めていた。
主な戦績
- 冬の選手権3回出場
- 夏のインターハイ5回出場
野球部
- 平成以降の甲子園大会に於ける成績は、高知県内ではトップ(平成元年以降、24年間での高知県甲子園出場校全勝利数50勝の内、明徳義塾40勝)である。
- 甲子園大会での初戦は1987年のセンバツでの関東第一高等学校への敗戦を除きすべて突破していたが、2011年センバツ初戦で日大三高校と対戦して敗れた。馬淵史郎監督就任以来、続いていた初戦突破が20連勝で途切れてしまった。
- さらに夏の選手権大会では1984年の初出場以来、連続初戦勝利数を延ばしていたが2015年に敦賀気比高校〈同年の春センバツ優勝校〉戦で延長10回裏3-4xと敗れ、サヨナラ負けを喫した。夏の大会で明徳義塾としては初めての初戦敗退となり、記録も「16回」でついにストップした。
- 選手権で同校が甲子園出場した1998年(横浜)、2010年(興南)、2012年(大阪桐蔭)は「春夏連覇」が達成されたが、いずれも「(平成時代での)春夏連覇」を達成した高校と対戦している。
出来事
- 1981年 - 第12回明治神宮野球大会で愛知県立大府高等学校を3-1で破り初優勝。
- 1982年 - 甲子園初出場。センバツ2回戦で和歌山県立箕島高等学校と延長14回の大熱戦を展開する。
- 1983年 - センバツ準決勝で水野雄仁擁する同じ四国の徳島県立池田高等学校に1-2で敗れるも、出場2回目でベスト4入り。
- 1985年 - 野球部指導者が、大学野球の監督を招聘しようとして少女売春の斡旋を行い逮捕された。この不祥事により、出場が確実視されていた春のセンバツの推薦を辞退した。
- 1992年 - 夏の甲子園で松井秀喜5打席連続敬遠して物議となり、大きな話題となった。
- 1998年 - 夏の甲子園で横浜高校と準決勝で対戦し、8回表まで6-0でリードするものの6-7でサヨナラ負けとなった。
- 2002年 - 夏の甲子園で智弁和歌山高校に7-2で勝ち、甲子園大会で念願の初優勝を果たす。
- 2004年 - センバツ準決勝で済美高等学校 (愛媛県)と対戦、中盤6点差を追いつくものの6-7の1点差で敗れ、ベスト4止まりに終わる。
- 2005年 - 夏の甲子園に8年連続12回目の出場が決まっていたが、大会直前に喫煙と暴力事件が発覚し出場を辞退した。
- 2012年 - 夏の甲子園で大阪桐蔭高校に0-4で敗れるも、8年ぶりのベスト4。(なお、夏は10年ぶり。)
- 2014年 - 国民体育大会で高崎健康福祉大学高崎高等学校を3-2で破り初優勝。
- 2017年 - 第48回明治神宮野球大会で創成館高等学校を4-0で破り同大会2回目の優勝を飾る。
甲子園での実績(高等部)
2022年(令和4年)度終了時
- 2002年(平成14年)度 第84回全国高校野球選手権大会: 優勝
- 通算 42回出場 62勝40敗
- 甲子園では初戦に滅法強く、初戦で敗退したのは1987年、2011年の選抜大会、2015年の選手権大会、2016年、2017年、2021年の選抜大会の6回のみで、1987年選抜は準優勝した関東一に1-3、2011年選抜はベスト4(夏の選手権は優勝)の日大三に5-6、2015年選手権は春の選抜で優勝した敦賀気比高校に3-4(延長10回)、2016年選抜はベスト4の龍谷大学付属平安高校に1-7、2017年選抜は神宮大会準優勝校の早稲田実業に4-5(延長10回)、2021年はベスト8の仙台育英に0-1である。選抜における初戦敗退時の対戦相手監督は5回のうち2回(関東一、日大三)の相手は小倉全由監督である。
卓球部
剣道部
剣道部は2007年の選抜大会で準優勝を果たすなど、全国の強豪になりつつある。
バスケットボール部
バスケットボール部も近年、夏のインターハイ・ウインターカップ出場を果たし、インターハイではベスト8を経験している。
主な戦績
- ウインターカップ(選手権)13回出場
- 夏の総体12回出場
ゴルフ部
1994年に男子ゴルフ部が第15回全国高等学校ゴルフ選手権大会にて優勝を遂げた[11]。
著名な出身者
野球
- 河野博文(元プロ野球選手)1981年3月卒
- 横田真之(元プロ野球選手)1981年3月卒
- 藤本茂喜(元プロ野球選手)1983年3月卒
- 近田豊年(元プロ野球選手)1984年3月卒
- 山本誠(元プロ野球選手)1986年3月卒
- 水尾嘉孝(元プロ野球選手)1987年3月卒
- 町田公二郎(元プロ野球選手)1988年3月卒
- 安田周一郎(元プロ野球選手)1990年3月卒
- 津川力(元プロ野球選手)1992年3月卒
- 宮﨑一彰(元プロ野球選手)1994年3月卒
- 塩屋大輔(元プロ野球選手)1995年3月卒
- 吉川昌宏(元プロ野球選手)1997年3月卒
- 寺本四郎(元プロ野球選手)1999年3月卒
- 高橋一正(元プロ野球選手)1999年3月卒
- 森岡良介(元プロ野球選手)2003年3月卒
- 筧裕次郎(元プロ野球選手)2003年3月卒
- 中田亮二(元プロ野球選手)2006年3月卒
- 松下建太(元プロ野球選手)2006年3月卒
- 伊藤光(プロ野球選手)2008年3月卒
- 石橋良太(プロ野球選手)2010年3月卒
- 北川倫太郎(元プロ野球選手)2012年3月卒
- 岸潤一郎(プロ野球選手)2015年3月卒
- 古賀優大(プロ野球選手)2017年3月卒
- 西浦颯大(プロ野球選手)2018年3月卒
- 市川悠太(プロ野球選手)2019年3月卒
- 代木大和(プロ野球選手)2022年3月卒
- 河野和洋(元プロ野球選手・野球指導者)1993年3月卒
- 長谷高成泰(アマチュア野球選手)1987年3月卒
- 馬淵烈(野球指導者)2008年3月卒
- 中学校のみ在籍
サッカー
バスケットボール
ゴルフ
相撲
その他
不祥事
野球部員による不祥事
2005年、後にプロ入りする松下建太・中田亮二らを擁した明徳義塾は高知県大会決勝で二神一人がいた高知高校に延長12回の末、3-2で勝利し、第87回全国高校野球選手権大会への出場が決まっていたが[12]、1年生野球部員が同年5月から7月にかけ、2、3年生部員6人(このうち3人は甲子園大会にベンチ入りする18人の中に入っていた)から腕や胸をたたかれたり、正座をさせられたりした暴力行為を受けていたことが、7月15日に1年生部員の保護者が学校側に対し、いじめを受けているので学校をやめると申し出たことで問題が発覚。野球部監督が部員6人とその保護者らとともに1年生部員の実家へ謝罪に訪れたほか、学校側は生徒が在校中に使った費用相当額などを返却した[13]。 また、高知大会が始まる前に1、2年生の部員計11人が喫煙していたことも判明。これらの事実について学校側は、日本高等学校野球連盟(日本高野連)に報告していなかった。集団喫煙については、1年生8人、2年生3人の部員が野球部寮内で、持ち込んだたばこを吸っていたという。この11人の中には甲子園大会でベンチ入りする予定だった部員はいなかった[13]。 8月1日から3日にかけて匿名の情報提供があり、日本高野連が関係者を呼んで事情聴取を進め、明徳義塾は3日に行われた組み合わせ抽選で、大会5日目に日本大学第三高等学校(西東京)との試合が決まっていたが、4日、学校は大会本部に出場辞退を申し入れた。全国高校野球選手権大会で代表校が不祥事で出場辞退するのは初めての事態となった[13]。代わりに高知県大会で準優勝だった高知高校が甲子園大会に出場した[14][15]。
日本学生野球協会は2005年9月、明徳義塾に対して、2005年8月3日から6カ月の対外試合禁止、当時の部長、監督は同日から1年間の謹慎、副部長、コーチについては警告とする処分を発表した[16]。しかし2005年11月、韓国へ修学旅行中だった宿泊先ホテルの売店で2年生野球部員5人が万引き事件を起こしたため、2006年1月25日に日本学生野球協会は、処分を1ヶ月延長することを決めた。2005年8月3日から半年間、対外試合を禁止されていたが今回の処置で、2006年3月2日まで処分が延びた[17]。 日本高野連は2006年3月1日、部員の不祥事による2005年8月3日から7カ月間の対外試合禁止処分を、期日満了の3月2日に解除すると発表した[18]。
サッカー部内でのいじめ問題
- サッカー部に所属していた男子生徒が、入学直後からサッカー部員を含む同級生らから悪口を言われたり蹴りを入れられたり、部員やサッカー部監督らから中傷するような渾名で呼ばれるなどのいじめを受けるようになった。男子生徒はいじめに耐えられなくなり、2014年9月に高知市内の別の私立高校に転校。2015年1月20日にこの生徒と両親が、当時の同級生と保護者および明徳義塾に対し計約210万円の支払いを求め高知地方裁判所に訴訟を起こした[19]。その後2015年9月に和解が成立した(和解内容は非公表)[20]。
脚注
- ^ “高知県所属中学コード表 - 教育開発ONLINE” (PDF). 教育開発出版株式会社. 2018年12月13日閲覧。
- ^ a b c “ごあいさつ【明徳義塾中学校・高等学校】”. 2021年1月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月23日閲覧。
- ^ 明徳義塾中学校・高等学校>スクールライフ>寮生活
- ^ 明徳義塾中学校・高等学校>コース紹介
- ^ 帰国生・留学生受け入れ実績 より
- ^ 世界中から集まる仲間達 より
- ^ YOUは何しに日本へ? 公式サイト
- ^ a b “キャンパス紹介:明徳義塾中学・高等学校”. 明徳義塾中学・高等学校. 2021年8月23日閲覧。
- ^ 朝日新聞>高校野球>甲子園の戦績>選抜>高知
- ^ 朝日新聞>高校野球>甲子園の戦績>選手権>高知
- ^ “全国高校ゴルフ選手権 歴代優勝校”. nikkansports.com. 2014年6月21日閲覧。
- ^ “米子松蔭はセーフ…高校最後の夏が消えた…「夏の甲子園」波紋を呼んだ“出場辞退”三大事件”. デイリー新潮. (2021年7月23日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ a b c “明徳義塾、夏の高校野球の出場辞退 不祥事が判明”. 朝日新聞 2005年08月04日. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “明徳義塾に代わり高知が代表校に決定 全国高校野球”. 朝日新聞. (2005年8月5日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ “高知高・島田監督 今だから話すぜよ!2005年「前代未聞の繰り上げ甲子園」と「幻の自転車男効果」”. 東京スポーツ. (2018年3月9日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ “大学・高校70校を処分 日本学生野球協会”. 朝日新聞. (2005年9月28日) 2021年8月23日閲覧。
- ^ “明徳義塾の処分を1カ月延長 学生野球協会審査室”. 朝日新聞 2006年01月25日. 2020年8月8日閲覧。
- ^ “明徳義塾の対外試合禁止処分、2日に解除 日本高野連”. 朝日新聞 2006年03月01日. 2020年8月8日閲覧。
- ^ いじめ:元明徳義塾高サッカー部生徒 賠償求め20日提訴 毎日新聞 2015年1月20日
- ^ “明徳義塾高と少年側が和解 「サッカー部いじめ」訴訟”. 産経WEST (産経新聞社). (2015年9月17日). オリジナルの2015年10月15日時点におけるアーカイブ。 2021年8月23日閲覧。