コンテンツにスキップ

「野間峻祥」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m Bot作業依頼: セントラル・リーグ分のTemplateについて (Template:広島東洋カープの選手・スタッフ) - log
169行目: 169行目:
* {{Instagram|noma.37}}
* {{Instagram|noma.37}}


{{広島東洋カープ}}
{{広島東洋カープの選手・スタッフ}}
{{広島東洋カープ2014年ドラフト指名選手}}
{{広島東洋カープ2014年ドラフト指名選手}}



2023年1月27日 (金) 05:26時点における版

野間 峻祥
広島東洋カープ #37
2017年11月14日 日南市天福球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県三木市
生年月日 (1993-01-28) 1993年1月28日(31歳)
身長
体重
180 cm
83 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 外野手
プロ入り 2014年 ドラフト1位
初出場 2015年3月27日
年俸 5000万円(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

野間 峻祥(のま たかよし、1993年1月28日 - )は、兵庫県三木市出身のプロ野球選手外野手)。右投左打。広島東洋カープ所属。

経歴

プロ入り前

小学校1年生の時に両親が離婚。姉や弟と共に母親のもとで育った[2]

三木市立自由が丘中学校時代は神戸須磨クラブに所属。後にプロでも元チームメイトとなる戸田隆矢は1学年後輩に当たる。

兵庫県神戸市にある村野工業高校から岐阜県関市にある中部学院大学に進学。大学では、俊足強肩を武器に、1年時から対外試合のスタメンに起用。東海地区大学野球リーグでベストナイン7回、首位打者1回、盗塁王2回という実績を残し、3年時からは2年続けて明治神宮大会に出場した。同大会では、九州産業大学浜田智博から、通算で3打数3安打を記録[3]。4年時には準々決勝まで進んだものの、江越大賀今永昇太を擁する駒澤大学に1-3で敗れている。

2014年度プロ野球ドラフト会議で、広島東洋カープから1巡目指名を受けた。有原航平の重複指名における抽選で、独占交渉権を獲得できなかった後の再入札での単独指名だった。契約金1億円プラス出来高払い5,000万円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で入団[4]。会議前に一軍監督へ就任したばかりの緒方孝市が、新人外野手時代に付けていた背番号「37」を着用することも決まった。中部学院大出身のプロ野球選手は、西濃運輸を経て2012年にドラフト4位で阪神に入団した小豆畑眞也以来2人目で、中部学院大学から直接プロに入った選手は野間が初めてであった。

広島時代

2015年は、2月21日に、オープン戦の初戦に当たる読売ジャイアンツ戦で、「1番・右翼手」としてスタメンで出場。この年のNPBの新人選手では最も早く、6回裏に小山雄輝から本塁打を放った。オープン戦の初戦で本塁打を放った広島の新人選手は、1984年小早川毅彦以来31年振りであった。オープン戦には12試合に出場。打撃面で22打数3安打と振るわなかったものの、守備や走塁が一軍の首脳陣に高く評価されたことから、開幕一軍入りを果たした。3月27日に、東京ヤクルトスワローズとの開幕戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)8回裏に、代走として一軍デビュー。2日後(3月29日)の同カードで「1番・右翼手」として公式戦初のスタメン出場を果たすと、第1打席でプロ初安打(二塁打)を放った。4月2日の横浜DeNAベイスターズ戦(横浜スタジアム)では、プロ初の猛打賞、初打点、初補殺を記録。4月19日の対中日ドラゴンズ戦(広島)では、オープン戦に続いて、NPBの新人選手では最も早く公式戦での初本塁打を記録した。相手投手が前述した浜田で、一軍デビューが野間との対戦でもあったことから、「新人投手が一軍公式戦で初めて対した新人打者によるプロ初本塁打」というNPB史上初の記録も達成した[3][5]
レギュラーシーズン中は、終始一軍に帯同[6]。シーズン途中から主に代走や守備要員として起用された関係で、一軍公式戦127試合に出場しながら、通算の打席数は188にとどまった。通算打率も.241であったが、セントラル・リーグ2位の6三塁打をマーク。外野守備でリーグ4位の6補殺を記録したほか、「隙あらば野間」というフレーズが生まれるほどのインパクトを残した[6][7]

守備に就く野間(2017/9/28マツダスタジアム)

2016年は、2年連続で開幕一軍入りを果たした。しかし開幕から8打席ノーヒットと精彩を欠いたため、開幕直後の4月3日にプロ入り後初めて出場選手登録を抹消された[8]。その後シーズンの大半を二軍で過ごしたが、9月10日に天谷宗一郎と入れ替わり一軍に復帰した。なお、チームはその日25年ぶりのリーグ優勝を果たした。復帰後の出場機会は14打席(13打数)と限られたが、7安打を放ち打率.538を記録した。最終的には前年の127試合から100試合以上出場を減らし21試合の出場に終わった。

2017年は、キャンプ中に右腹斜筋筋挫傷で負傷離脱した影響もあり[9]、3年連続開幕一軍はならず、4月22日に一軍登録された[10]。代走、守備固めとして一軍に帯同し98試合に出場した。

2018年は、2年ぶりに開幕一軍入りを果たす。開幕後しばらくは前年同様代走・守備固めでの起用がメインで打席数が少なく打率も低迷していたが、「7番・右翼手」としてスタメン出場した4月21日の中日戦(ナゴヤドーム)で猛打賞を記録したのを皮切りに打撃が大幅に向上。打率は3割を大きく超え、正中堅手の丸佳浩が負傷離脱している間はほぼ全試合に中堅手として起用されるなど一気にブレイクを果たした[11]。5月19日のヤクルト戦(マツダスタジアム)では2点を追う3回裏に自身初の満塁ホームランを放ち、チームを逆転勝利に導いた。その後も6月6日の北海道日本ハムファイターズ戦で自身初のサヨナラタイムリー、6月28日の巨人戦で菅野智之から逆転3ランホームランを放つなど随所で活躍を見せたが、7月21日の巨人戦での守備の際に左足を痛め途中交代し、翌日に登録抹消された[12]。8月7日に復帰し、再びスタメンに固定。以降はやや調子を落としながらも3割近い打率をキープし、8月21日からは約1ヶ月間、不調の田中広輔に代わり1番打者として起用された。最終的には126試合に出場し、初めて規定打席に到達。打率.286、5本塁打、46打点、17盗塁という成績を残した。シーズンオフの契約更改では1800万円アップの年俸3400万円(推定)でサインした[13]

2019年

2020年

2021年

2022年

選手としての特徴・人物

チーム屈指の高い身体能力の持ち主[14]。50メートルを5秒7で走る俊足[15]と遠投110メートルを誇る強肩を生かした守備に加え[16]、打撃ではパンチ力を秘めている[17]

広島に入団後は、チームのいじられ役として愛され、ムードメーカーとしても活躍している[18]

入団時の監督である緒方孝市から大きく期待されており、緒方が入団時に背負った背番号「37」が託されている[16]。また、2019年に丸佳浩の人的補償で巨人から移籍してきた長野久義が、フロントから緒方が全盛期に背負い、前年まで丸が着けていた背番号「9」を打診されるも、「将来、野間に着けて欲しい」との配慮から断っている[19]。しかし、背番号9は空き番を経て2022年途中に入団した秋山翔吾が着けることになった。

広島入団後は同僚で年下の鈴木誠也西川龍馬と互いをいじり合うなど仲が良く、公私ともに親交が深い[14][17]

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2015 広島 127 188 170 21 41 7 6 1 63 10 8 2 6 1 10 0 1 37 2 .241 .286 .371 .656
2016 21 25 24 4 7 0 0 0 7 1 1 1 1 0 0 0 0 3 1 .292 .292 .292 .583
2017 98 85 74 34 14 1 0 0 15 2 10 5 4 0 7 0 0 13 1 .189 .259 .203 .462
2018 126 447 405 64 116 14 7 5 159 46 17 10 4 2 30 0 6 69 2 .286 .343 .393 .736
2019 123 353 314 52 78 10 5 2 104 16 14 2 6 1 27 3 5 56 5 .248 .317 .331 .648
2020 70 56 50 10 12 0 0 0 12 1 2 3 2 0 4 0 0 17 0 .240 .296 .240 .536
2021 74 270 250 27 68 7 2 2 85 12 9 1 1 0 17 0 2 29 3 .272 .323 .340 .663
2022 85 338 317 42 99 21 3 0 126 16 7 5 4 0 16 0 1 53 5 .312 .347 .397 .745
通算:8年 724 1762 1604 254 435 60 23 10 571 104 68 29 28 4 111 3 15 277 19 .271 .324 .356 .680
  • 2022年度シーズン終了時

年度別守備成績



外野












2015 広島 99 87 6 1 0 .989
2016 19 14 0 0 0 1.000
2017 92 42 1 0 0 1.000
2018 123 197 3 1 1 .995
2019 109 154 1 2 0 .987
2020 54 33 2 0 0 1.000
2021 72 147 6 1 0 .994
通算 568 674 19 5 1 .993
  • 2021年度シーズン終了時

記録

初記録

背番号

  • 37(2015年 - )

登場曲

  • Dragostea Din TeiO-Zone(2015年 - 2018年)
  • 「Numa Numa 2 (feat. Marley Waters)」 ダン・バラン (2019年 - )
    • サビのフレーズが苗字の「野間」を連想させることにちなんで、東海地区大学野球リーグでの先輩(中京学院大学OB)でもある同僚の菊池涼介が一方的に選曲[20]2015年4月7日の対巨人戦から使用している[3]。なお、O-Zoneのボーカルであるダン・バランは野間が同曲を登場曲に使用していることを知っており、2018年に明治神宮野球場で広島戦を観戦すると「長い間野間さんの登場曲に使ってもらい、本当にうれしい。GOカープ、GO広島!」と話す動画をTwitterで配信[20]。それを偶然見つけた野間は「びっくりした。ありがたいですね」と語り、菊池と2人で「いたずらでもこうなるんだ」と盛り上がったという[20]

関連情報

CM出演

脚注

  1. ^ 広島 - 契約更改 - プロ野球. 日刊スポーツ. 2022年12月15日閲覧。
  2. ^ 広島ドラ1野間峻祥 「女手ひとつ」のサポートを母親が語る
  3. ^ a b c 広島野間、12球団新人最速プロ1号日刊スポーツ 2015年4月20日
  4. ^ ドラ1野間が仮契約「37」継承 Daily Sports Online 2014年11月19日
  5. ^ 中日ドラ2左腕号泣…広島ドラ1野間 史上初!プロ初打者で一発見舞った スポニチ Sponichi Annex 2015年4月20日掲載
  6. ^ a b “隙あらば野間”はカープの投資だ!緒方監督が野間峻祥に見る壮大な夢。”. Number Web. 2016年3月19日閲覧。
  7. ^ 『2016 プロ野球オール写真選手名鑑』スラッガー日本スポーツ企画出版社)、167頁。ISBN 978-4905411369 
  8. ^ 広島野間二軍落ち「消極的な姿が目立った」緒方監督日刊スポーツ 2016年4月3日
  9. ^ 広島野間が離脱、右腹斜筋筋挫傷で2~3週間の安静日刊スポーツ 2017年2月23日掲載
  10. ^ 広島野間、ロッテ香月ら登録/22日公示日刊スポーツ 2017年4月22日掲載
  11. ^ ベースボール・マガジン社『週刊ベースボール』2018年10月1日号 p.13.
  12. ^ 広島・野間が登録外れる 21日巨人戦で左足首を負傷サンスポ 2018年7月22日掲載
  13. ^ 広島野間は1800万増「来年も頑張らないと」日刊スポーツ 2018年11月30日掲載
  14. ^ a b 高校までは無名の外野手 広島・野間峻祥の球歴とは? | BASEBALL KING”. BASEBALL KING. 2021年3月23日閲覧。
  15. ^ 野間峻祥 | 広島東洋カープ | 選手”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年3月23日閲覧。
  16. ^ a b 衝撃!ドラ1野間レーザービーム3発/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2021年3月23日閲覧。
  17. ^ a b ドラ1野間パンチ力も…連日絶賛の嵐”. www.daily.co.jp. 2021年3月23日閲覧。
  18. ^ 実は冷静? 広島打線のムードメーカー・野間が止まらない | 野球情報”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年3月23日閲覧。
  19. ^ 広島・長野の背番号が5に決定「9は野間が将来一人前になって付けたらいいと…」”. SANSPO.COM(サンスポ) (2019年1月10日). 2021年3月23日閲覧。
  20. ^ a b c 広島野間が感激 打席登場曲の世界的歌手からエール - プロ野球 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2022年5月21日閲覧。

関連項目

外部リンク