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「船場 (大阪市)」の版間の差分

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== 街路と街並み ==
== 街路と街並み ==
=== 町名 ===
船場地域には'''通(とおり)'''と呼ばれる東西にのびる街路が23本、'''筋(すじ)'''と呼ばれる南北にのびる街路が13本あり、通と筋が直交し、40[[間]]四方の正方形を単位とした碁盤目状の街区を作っている。
船場の町名は整然としており、多くが通し丁目になっているが、町域は時代によって異なる。一町限りの町名は以下の通り。

;(まち)
:過書町・梶木町・上人町・四軒町・伏見町・呉服町・古手町・中船場町・百貫町・升屋町・上魚屋町・浄覚町・雛屋町・博労町・北鍋屋町・南鍋屋町・西笹町

;(ちょう)
:大川町・大豆葉町・本靱町・本天満町・善左衛門町・亀井町・三郎右衛門町・御堂前町・浜町・長浜町・椹木町・伝馬町・源左衛門町・金沢町・金田町・茨木町・上難波町・北渡辺町・南渡辺町

また「淡路町切丁、津村北之丁、津村東之丁、津村中之丁、津村西之丁、津村南之丁」という町名もあった。通し丁目をとった町は「北浜・今橋・高麗橋・道修町・平野町・淡路町・瓦町・備後町・安土町・本町・南本町・唐物町・北久太郎町・南久太郎町・北久宝寺町・南久宝寺町」であり、また「ちょう」と称する通し丁目の町には、尼ヶ崎町、七郎右衛門町があった<ref>宮本(1960)16-19頁</ref>。

=== 通りと筋 ===
船場地域には'''通(とおり)'''と呼ばれる東西にのびる街路が23本、'''筋(すじ)'''と呼ばれる南北にのびる街路が13本あり(但し東横堀川岸の唐物町以南には南北の一筋が附帯していた。これは川が当地で一丁東に曲折していたからである。)、通と筋が直交し、40[[間]]四方の正方形を単位とした碁盤目状の街区を作っている。

大阪の町は涼を入れるために海から吹く風を多く受け入れるような構造に街区が発達していた。つまり南北線よりも東西線に沿う家の方が住み易くなっていた。船場においても東西線が発達し南北線は従となり、横町となった。上町の大阪城に向かう東西線を'''通り'''と言い、南北線は'''筋'''で町とは言わなかった。通りの商店は格式をもつ古い店だが、筋では同種類の問屋がはみ出されたような形になっていた。そしてこの四角の碁盤目の一町区域では、多く東西の通りにある家の領域が深く入り込んで、筋に沿った家並みは皆小さかった。船場ではこの区域の中ほど、家と家との間に東西にわたって三尺ばかりの下水溝を通した狭い[[路地]]があった。そこは大概黒い潜り戸がつき、上には忍び返しなどが出来て、町を歩いていくと家裏と家裏とが向き合ったところだけ日の光をうけて、盆栽の鉢植えや洗濯物などが乾かされていた。また船場の家は皆小さいながらも、屋根の上に一つづつの涼み台、櫓をもっていた<ref>宮本(1960)8-11頁</ref>。

=== 小路 ===
船場には'''小路'''と呼ぶ所が四つあった。小路というのは[[京都市|京都]]の[[京都市内の通り#図子(辻子)と路地|辻子]](図子)にあたる。'''浮世少路'''は今橋通りと高麗橋通り中間の狭路、'''淀屋小路'''は船場中の北浜より一丁目南にて、東より、西は西横堀に通ずるものをいう。また本町通りと安土町通りの間、難波橋筋より東にある狭路を'''衣張小路'''といい、北久太郎町、南久太郎町の間、心斎橋筋と御堂筋の間にあるものを'''御前小路'''といい、北久太郎町より本町まで、御堂筋と渡辺筋との間にて、南北に通ずる狭路を'''狐小路'''といった。また南本町通りの心斎橋筋と丼池の間に石橋があって、これを「'''夢の浮橋'''」といった<ref>宮本(1960)7-8頁</ref>。

=== 町割 ===
船場の町割は凡そ40間のものが基本型で、開町当時はこの町割を東西に二つ、時に三つをもって1丁目とし、1ブロックをもって1丁目と数え、船場は北より本町まで、いずれも12丁目まで、以南は殆ど8丁目まであった。貞享3年の大阪絵図では、4丁目ないし5丁目まで数えているが、この数え方は東横堀基準にブロック二つづつをもって1丁目としているから、5丁目は御堂筋でおわる。それより以西、西横堀までの2ブロックには別個の固有名詞の町名を附してあるものもある。その後、明治5年の改正で通し丁目が徹底された。

町割の基軸に関しては、上町地域の基軸となっている東西方向の主要街路(通り)が船場へと通じ、船場の町割の基軸として継承されている。さらに、下船場においては、これらの通りの軸上に開削された堀川が、下船場の町割の基軸となっている。すなわち、上町から下船場に至るまで、通りから堀川へと町割の基軸が継承されている<ref>阿倍貴弘、篠原修『近世城下町大坂 江戸の町人地における城下町設計の論理』土木学会論文集D2(土木史)Vol.68, No.1, 2012, p.72</ref>。
町割の基軸に関しては、上町地域の基軸となっている東西方向の主要街路(通り)が船場へと通じ、船場の町割の基軸として継承されている。さらに、下船場においては、これらの通りの軸上に開削された堀川が、下船場の町割の基軸となっている。すなわち、上町から下船場に至るまで、通りから堀川へと町割の基軸が継承されている<ref>阿倍貴弘、篠原修『近世城下町大坂 江戸の町人地における城下町設計の論理』土木学会論文集D2(土木史)Vol.68, No.1, 2012, p.72</ref>。

町割が設定された当初は、通の幅員は4.3間であり、筋の幅員3.3間に対して広く設定されていた。これは船場では通が重視されたためであり、殆どの大[[船場商家|商家]]は通に面し、筋に面することは稀だった<ref>辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について -特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年、p.176</ref>。
町割が設定された当初は、通の幅員は4.3間であり、筋の幅員3.3間に対して広く設定されていた。これは船場では通が重視されたためである<ref>辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について -特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年、p.176</ref>。旧来の大商家は殆ど東西の通りに立地し、南北の筋には少なかった。これは東西横堀川を通じて船場への物質の配達がなされたので、自然に東西の通りに大商店が立地するようになった。この点は南北を通りとする京都と相異する。それでも御堂筋、堺筋は古来から南北交通の幹線であり、そこで南北の筋に間口を並べる地割にされていた。南久宝寺町や博労町辺りでも南北筋の地割があり、東西横堀に面する所もこの地割であった<ref>宮本(1960)15-16頁</ref>。

船場地域は大坂城の西に位置することから、城へ向かう方向である竪(たて)は東西方向となり、竪に直交する横(よこ)は南北方向となる。船場の東端・西端をそれぞれ南へ流れる堀川を東横堀川・西横堀川と称するのもこれによる。歴史地理学の伝統的な城下町の分類では、短冊状の街区の長方向が竪方向であるものを竪町割りと呼ぶが、船場地域の基本的な町割りは東西に長い竪町割りで、東から丁目数にして5程度の町が多かった<ref>松尾信裕『豊臣時代の伏見城下町と大坂城下町』大阪歴史博物館研究紀要 第13号、2015年2月、p.37</ref>。ただし、西横堀筋は全て南北方向に長い横町割りで、渡辺筋・佐野屋橋筋・御堂筋の各一部にも横町割りが見られた。明治以降に東西の通から南北の筋に賑わいの中心が移ったが、東西方向の竪町割りは依然健在で、平成以降は竪町割りに統一されている。なお、現在の町名では「町」は全て「まち」と読む。
船場地域は大坂城の西に位置することから、城へ向かう方向である竪(たて)は東西方向となり、竪に直交する横(よこ)は南北方向となる。船場の東端・西端をそれぞれ南へ流れる堀川を東横堀川・西横堀川と称するのもこれによる。歴史地理学の伝統的な城下町の分類では、短冊状の街区の長方向が竪方向であるものを竪町割りと呼ぶが、船場地域の基本的な町割りは東西に長い竪町割りで、東から丁目数にして5程度の町が多かった<ref>松尾信裕『豊臣時代の伏見城下町と大坂城下町』大阪歴史博物館研究紀要 第13号、2015年2月、p.37</ref>。ただし、西横堀筋は全て南北方向に長い横町割りで、渡辺筋・佐野屋橋筋・御堂筋の各一部にも横町割りが見られた。明治以降に東西の通から南北の筋に賑わいの中心が移ったが、東西方向の竪町割りは依然健在で、平成以降は竪町割りに統一されている。なお、現在の町名では「町」は全て「まち」と読む。

船場では40間平方が地割の基本型であったが、中にはこの半分すなわち20間のところもあった。淀屋小路や浮世小路がこの例であった。御堂筋以西の南方、寺院付近にも不規則な町割があった。船場の1丁目の範囲は溝を境として南北二つの町に所属していた。

船場の1丁内の地割は大小様々であるが、大体1ブロックを東西に八つに分割したものが多い。これを標準とすれば間口5間、奥行き20間となる。問屋は間口5間以上をその平均型とした。船場区内の1町内における番地配列の基点の定め方は一定していない。大体北東隅から起こり、西に進み道を南に越えて西から東に返り、南東隅におわるものと、その逆の場合と、あるいは北西隅に始まり、東に進み道を南に越え、東より西に進み南西におわるものと、その逆なる場合との総計四つの場合が見られる。従って番地をたずねることは比較的に易く、京都式の如く道を挟んで千鳥式のものがないので便利であったという<ref>宮本(1960)20-21頁</ref>。

=== 船場の橋 ===
大阪の[[橋]はすべて「はし」と呼ばれず「ばし」と[[濁音]]をもって呼称された。ただ例外的に「はし」と言われたのが、海部堀の「上のはし」「中のはし」「下のはし」、[[堂島大橋]]、桜宮大橋、[[十三大橋]]、[[住吉反橋]]が「はし」と発音され、他は皆「ばし」と呼んでいる。東横堀に架かる橋ももとより「ばし」ばかりである。また、大阪の川は皆「がわ」で「かわ」とはあまり言わない。[[堀川 (大阪府)|天満堀川]]、[[旧淀川|安治川]]の二つだけである。また東横堀、西横堀は普通川の字をつけない。東西が川で、南北は堀で済ました<ref>宮本(1960)394頁</ref>。

;東横堀
:葭屋橋、今橋、高麗橋、平野橋、思案橋、本町橋、農人橋、久宝寺橋

;西横堀
:西国橋、船町橋、斎藤橋、筋違橋、呉服橋、京町橋、瓦町橋、相生橋、安土橋、信濃橋、江達橋、篠橋、新渡辺橋、助右衛門橋

<gallery widths="140px" heights="140px" perrow="5" caption="旧北船場・中船場地域" style="font-size:small">
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Naniwa-Bridge.jpg|[[難波橋]]
Naniwa-Bridge.jpg|[[難波橋]]
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; バス
; バス
船場地域を運行するバス路線として、[[大阪シティバス]]の[[大阪シティバス中津営業所#8号系統|8号系統]]がある。
船場地域を運行するバス路線として、[[大阪シティバス]]の[[大阪シティバス中津営業所#8号系統|8号系統]]がある。

== 備考 ==
=== 大大阪時代の建築 ===
(※は現存せず)
==== 船場 ====
;北浜
* 北浜平和ビル ※ - 1887年(明治20年)
* 正和・伏見法律事務所 - 明治30年代
* 旧広田商事 ※ - 明治末~大正初期
* 西田三郎商店 ※ - 明治末~大正初期
* [[帝国座]] - 1910年(明治43年)
* 旧桂隆産業ビル([[北浜レトロビルヂング]]) - 1912年(明治45年)
* つねなりすたじお ※ - 1913年(大正2年)
* 北浜[[野村財閥|野村]]ビルディング ※ - 1921年(大正10年)
* 北浜ビルディング ※ - 1921年(大正10年)
* 島ビル ※ - 1922年(大正11年)
* 旧[[大林組]]本社屋([[ルポンドシエルビル]]) - 1926年(大正15年)
* [[住友財閥|住友]]ビルディング([[三井住友銀行大阪本店ビル]]) - 1926年(昭和元年)
* 旧近畿建築会館・旧伊藤千太郎邸 ※ - 1926年(大正15年)
* 高宮画廊 ※ - 大正時代
* 三共商事株式会社 - 大正~昭和初期
* 北浜清友会館 ※ - 大正末~昭和初期
* 旧[[愛日小学校]] ※ - 1929年(昭和4年)
* 旧国光生命保険相互会社大阪支店ビル - 1932年(昭和7年)
* 旧大阪証券取引所・旧市場館([[大阪取引所]]) - 1935年(昭和10年)
* 淀屋橋政経ビル ※ - 1935年(昭和10年)
* [[石原ビルディング]] - 1939年(昭和14年)
* 大阪理容所 ※
;今橋
* [[大阪市立愛珠幼稚園]] - 1901年(明治34年)
* [[大阪倶楽部]] - 1914年(大正3年)
* 旧[[朝鮮銀行]]大阪支店 ※ - 1915年(大正4年)
* 旧[[八木通商]]ビル・旧大阪府[[農工銀行]] - 1917年(大正6年)
* 旧報徳銀行大阪支店([[新井ビル]]) - 1922年(大正11年)
* 旧[[鴻池銀行]]本店・旧[[三和銀行]]本店 ※ - 1924年(大正13年)
* 旧[[大阪市消防局]]中央消防署今橋出張所 - 1925年(大正14年)
* 集英小学校 ※ - 1927年(昭和2年)
;高麗橋
* 旧大阪教育生命保険([[オペラ・ド・メーヌ高麗橋]]) - 1912年(明治45年)
* 旧小林医院 ※ - 大正末期
* [[第一勧業銀行]]高麗橋支店 ※ - 1926年(大正15年)
* [[高麗橋野村ビルディング]] - 1927年(昭和2年)
* [[日本基督教団浪花教会]] - 1930年(昭和5年)
* トキワビル - 1930年(昭和5年)前後
* [[三井住友銀行大阪中央支店]] - 1936年(昭和11年)
;伏見町
* 芝川家「旧洋館」 ※ - 1890年(明治23年)
* [[三越#大阪店|三越]]百貨店 ※ - 1920年(大正9年)
* 旧野田屋三郎宅([[青山ビル]]) - 1921年(大正10年)
* 旧澤野ビルヂング([[伏見ビル]]) - 1923年(大正12年)
* 旧芝蘭社家政学園([[芝川ビルディング]]) - 1927年(昭和2年)
;道修町
* 旧小西儀助商店([[旧小西家住宅史料館|小西家住宅]]) - 1903年(明治36年)
* [[塩野義製薬]]旧社屋 ※ - 1924年(大正13年)
* 旧武田長兵衛本店([[武田薬品]]工業道修町ビル) - 1927年(昭和2年)
* 旧薬種問屋新良貴徳兵衛商店 ※ - 1928年(昭和3年)
* 大日本製薬 ※ - 1930年(昭和5年)
;平野町
* 旧[[協和銀行#東京貯蓄銀行|東京貯蓄銀行]]大阪支店(旧日本短資) ※ - 1920年(大正9年)
* [[生駒ビルヂング]] - 1930年(昭和5年)
* [[小川香料]]大阪支店 - 1930年(昭和5年)
* [[大阪瓦斯ビルヂング]] - 1933年(昭和8年) 
* 旧[[小原化工]]株式会社支店 - 1936年(昭和11年)
;淡路町
* 芝川商店ビル ※ - 1920年(大正9年)
* [[清水猛商店]] - 1923年(大正12年)
* [[船場ビルディング]] - 1925年(大正14年)
* 旧[[第一勧業銀行]]淡路町支店 ※
;瓦町
* [[岸本瓦町邸]] - 1931年(昭和6年)
* 瓦町三和ビルディング([[山口銀行 (大阪)|山口銀行]]本店) ※
;備後町
* [[堺筋野村ビルディング]] ※ - 1924年(大正13年)
* [[綿業会館]] - 1931年(昭和6年)
* 旧野呂克ビル ※ - 1931年(昭和6年)
;本町
* 市田ビル(市田商店大阪支店) ※ - 1931年(昭和6年)
* 東区役所 ※ - 1935年(昭和10年)
* 吉田鹿之助商店 - 1936年(昭和11年)
;南本町
* [[明治屋ビル]] - 1924年(大正13年)
=== 南船場 ===
;北久太郎町
* 寺田ビルディング ※ - 1936年(昭和11年)
;南久太郎町
* 住友船場ビルディング ※ - 1930年(昭和5年)
* 大谷仏教会館 ※ - 1933年(昭和8年)
;北久宝寺町
* [[三木楽器|旧大阪開成館三木佐助商店]] - 1924年(大正13年)
* [[三井銀行]]船場支店 ※ - 1931年(昭和6年)
;南久宝寺町
* [[三十四銀行]]南支店 ※ - 1923年(大正12年)
* 旧朝日堂 ※ - 1928年(昭和3年)
* 山本幸商店 - 1935年(昭和10年)
;順慶町通(南船場)
* [[原田産業株式会社旧原田商事]] - 1928年(昭和3年)
* 旧川崎貯蓄銀行大阪支店([[堺筋倶楽部]]) - 1931年(昭和6年)
;安堂寺橋通(南船場)
* 旧[[三菱商事]]大阪支店([[大阪農林会館]]) - 1930年(昭和5年)
;末吉橋通(南船場)
* [[富士火災海上保険]](日本簡易火災保険) ※ - 1931年(昭和6年)
==== 下船場 ====
;土佐堀
* [[大阪産業信用金庫|旧大阪産業銀行]] - 大正末期
* 菅澤眼科クリニック - 1928年(昭和3年)
* 旧山内香法律特許事務所([[山内ビル]]) - 1933年(昭和8年)
* 山根商店 - 昭和初期
;江戸堀
* 日本海上火災保険 ※ - 1922年(大正11年)
* [[日本基督教団大阪教会]] - 1922年(大正11年)
* [[大同生命肥後橋ビル]] ※ - 1925年(大正14年)
* 太平ビル([[ダコタハウス]]) - 大正末期
* 旧堀見太郎邸 ※ - 1928年(昭和3年)
* 旧土佐堀川可動堰([[錦橋]]) - 1931年(昭和6年)
* 旧児玉竹次郎邸([[江戸堀コダマビル]]) - 1935年(昭和10年)
* 船町ビル ※ - 1937年(昭和12年)
;京町堀
* [[中山製鋼所]]ビル ※ - 1913年(大正2年)
* 京町ビル ※ - 1926年(大正15年)
* 安田ビル - 1936年(昭和11年)
;靱本町
* [[KISCO株式会社|旧岸本産業株式会社]]大阪倉庫 ※ - 大正期
* 崎山ビル ※ - 大正中期
;立売堀
* 立売堀ビルディング - 1927年(昭和2年)
;新町
* 旧[[新町演舞場]] ※ - 1922年(大正11年)
* [[長瀬産業大阪本社ビル]]旧館 - 1928年(昭和3年)
* [[細野ビルヂング]] - 1936年(昭和11年)
* [[大阪市立電気科学館]] ※ - 1937年(昭和12年)
;北堀江
* 旧東條病院 ※ - 1929年(昭和4年)
;南堀江
* 道頓堀変電所 ※ - 1913年(大正2年)
* 川西湊町ビル - 1935年(昭和10年)

=== 町名の変遷 ===
;北浜<ref>宮本(1960)53-54頁</ref>
{{familytree/start|style=font-size:50%}}
{{familytree|border=1|a| |aa| |aaa| |b| |bb| |bbb| |c|a=梶木町<br>(一部)|aa=梶木町|aaa=過書町<br>(一部)|b=過書町<br>(一部)|bb=北浜<br>二丁目<br>(一部)|bbb=北浜<br>二丁目|c=北浜<br>一丁目}}
{{familytree| |!| | | |`|-|v|-|'| | | |`|-|v|-|'| | | |!| | |!}}
{{familytree|border=1|a| | | |aa| | | | | |aaa| | | |b| |bb|a=北浜<br>五丁目|aa=北浜<br>四丁目|aaa=北浜<br>三丁目|b=北浜<br>二丁目|bb=北浜<br>一丁目}}
{{familytree/end}}
<br />
{{familytree/start|style=font-size:50%}}
{{familytree|border=1| | | | |a| | | |aa| |aaa|a=七郎右衛門町|aa=浜<br>四丁目|aaa=拾三人町}}
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{{familytree|border=1|a| |aa| |aaa| |b|a=浜町<br>長浜町<br>椹木町<br>西笹町|aa=七郎右衛門町<br>二丁目|aaa=七郎右衛門町<br>一丁目|b=大川町}}
{{familytree/end}}

;今橋<ref>宮本(1960)108-109頁</ref>
{{familytree/start|style=font-size:50%}}
{{familytree|border=1|a| | | |aa| | | |aaa| |b|a=尼ヶ崎町<br>二丁目|aa=尼ヶ崎町<br>一丁目|aaa=今橋<br>二丁目|b=今橋<br>一丁目}}
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{{familytree|border=1|a| |aa| |aaa| |b| |bb|a=今橋<br>五丁目|aa=今橋<br>四丁目|aaa=今橋<br>三丁目|b=今橋<br>二丁目|bb=今橋<br>一丁目}}
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;高麗橋通<ref>宮本(1960)126-127頁</ref>
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{{familytree|border=1| | | | | | |a| | | |aa| |aaa| |b|a=上人町|aa=高麗橋<br>三丁目|aaa=高麗橋<br>二丁目|b=高麗橋<br>一丁目}}
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;伏見町<ref>宮本(1960)164頁</ref>
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{{familytree|border=1|a| | | | | | | | | |aa| |aaa|a=瓢箪町|aa=天満町|aaa=靱町}}
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{{familytree|border=1|a| | | | | |aa| |aaa| |b|a=呉服町|aa=伏見町|aaa=本天満町|b=本靱町}}
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{{familytree|border=1|a| |aa| |aaa| |b| |bb|a=伏見町<br>五|aa=伏見町<br>四|aaa=伏見町<br>三|b=伏見町<br>二|bb=伏見町<br>一}}
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;道修町<ref>宮本(1960)210頁</ref>
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{{familytree|border=1|a| |aa|a=四拾軒町|aa=又市町}}
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{{familytree| | | |`|-|-|-|(|`|-|-|(| | | |)|-|-|'|)|-|-|'|!}}
{{familytree|border=1| | | | | | |a| |aa| |aaa| |b| |bb|a=道修町<br>五丁目|aa=道修町<br>四丁目|aaa=道修町<br>三丁目|b=道修町<br>二丁目|bb=道修町<br>一丁目}}
{{familytree/end}}

;平野町<ref>宮本(1960)226頁</ref>
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{{familytree|border=1|a| |aa| |aaa| |b| |bb| |bbb| |c| |cc| |ccc| |d| |dd| |ddd|a=屋ぶた町|aa=平野町<br>十丁目|aaa=善左衛門町|b=平野町<br>九丁目|bb=平野町<br>八丁目|bbb=平野町<br>七丁目|c=平野町<br>六丁目|cc=平野町<br>五丁目|ccc=平野町<br>四丁目|d=平野町<br>三丁目|dd=平野町<br>二丁目|ddd=平野町<br>一丁目}}
{{familytree| |`|-|v|-|'| | | |!| | | |`|-|-|-|^|-|v|-|^|-|-|-|'| | | |`|-|-|-|+|-|-|-|'| | | |`|-|v|-|'}}
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== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 楳垣実『船場言葉』近畿方言学会、1955年
* 楳垣実『船場言葉』近畿方言学会、1955年
* 宮本又次『船場』ミネルヴァ書房(風土記大阪第1集)1960年
* 辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について-特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年
* 辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について-特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年
* 香村菊雄『定本船場ものがたり』創元社、1986年
* 香村菊雄『定本船場ものがたり』創元社、1986年

2024年12月18日 (水) 09:05時点における最新版

船場地域の地図(『最新調査大大阪市街全図表』 昭和16年 (1941年))
船場地域の地図(『最新調査大大阪市街全図表』 昭和16年 (1941年))

船場(せんば)は、大阪府大阪市中央区の地域名。大阪市の中心業務地区 (CBD) に当たる。大坂の町人文化の中心となった所で、船場言葉江戸時代から戦前期にかけて規範的・標準的な大阪弁と見なされていた。

概要

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範囲

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船場の範囲は、以下の河川と人工の堀川に囲まれた(囲まれていた)、南北約2km、東西約1kmの四角形の地域である。

東端 - 東横堀川阪神高速1号環状線南行き)
西端 - 西横堀川(阪神高速1号環状線北行き。1962年埋立)
南端 - 長堀川長堀通1964年埋立)
北端 - 土佐堀川

江戸時代の町組の名残で、本町通の北を北船場(きたせんば)、本町通の南を南船場(みなみせんば)と呼び分けることもある。東は上町、南は島之内、西は下船場、北は中之島に接する。現在ではまれであるが、上町を東船場、下船場を西船場とみなして、船場を中船場と称することもある[1]

船場の語源については、以下の説が挙げられている[2]

  • しばしば戦争があった場所で、「戦場」と呼ばれた。
  • 大坂城の馬を洗った場所で、「洗馬」と呼ばれた。
  • 砂浜であったため「砂場(さば)」と呼ばれ、これが転訛して「センバ」となった。
  • 古代は船着き場であって、着船場の「着」の字を省いて「船場」となった[3]

現在の町名

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北から南の順

街路と街並み

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町名

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船場の町名は整然としており、多くが通し丁目になっているが、町域は時代によって異なる。一町限りの町名は以下の通り。

(まち)
過書町・梶木町・上人町・四軒町・伏見町・呉服町・古手町・中船場町・百貫町・升屋町・上魚屋町・浄覚町・雛屋町・博労町・北鍋屋町・南鍋屋町・西笹町
(ちょう)
大川町・大豆葉町・本靱町・本天満町・善左衛門町・亀井町・三郎右衛門町・御堂前町・浜町・長浜町・椹木町・伝馬町・源左衛門町・金沢町・金田町・茨木町・上難波町・北渡辺町・南渡辺町

また「淡路町切丁、津村北之丁、津村東之丁、津村中之丁、津村西之丁、津村南之丁」という町名もあった。通し丁目をとった町は「北浜・今橋・高麗橋・道修町・平野町・淡路町・瓦町・備後町・安土町・本町・南本町・唐物町・北久太郎町・南久太郎町・北久宝寺町・南久宝寺町」であり、また「ちょう」と称する通し丁目の町には、尼ヶ崎町、七郎右衛門町があった[4]

通りと筋

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船場地域には通(とおり)と呼ばれる東西にのびる街路が23本、筋(すじ)と呼ばれる南北にのびる街路が13本あり(但し東横堀川岸の唐物町以南には南北の一筋が附帯していた。これは川が当地で一丁東に曲折していたからである。)、通と筋が直交し、40四方の正方形を単位とした碁盤目状の街区を作っている。

大阪の町は涼を入れるために海から吹く風を多く受け入れるような構造に街区が発達していた。つまり南北線よりも東西線に沿う家の方が住み易くなっていた。船場においても東西線が発達し南北線は従となり、横町となった。上町の大阪城に向かう東西線を通りと言い、南北線はで町とは言わなかった。通りの商店は格式をもつ古い店だが、筋では同種類の問屋がはみ出されたような形になっていた。そしてこの四角の碁盤目の一町区域では、多く東西の通りにある家の領域が深く入り込んで、筋に沿った家並みは皆小さかった。船場ではこの区域の中ほど、家と家との間に東西にわたって三尺ばかりの下水溝を通した狭い路地があった。そこは大概黒い潜り戸がつき、上には忍び返しなどが出来て、町を歩いていくと家裏と家裏とが向き合ったところだけ日の光をうけて、盆栽の鉢植えや洗濯物などが乾かされていた。また船場の家は皆小さいながらも、屋根の上に一つづつの涼み台、櫓をもっていた[5]

小路

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船場には小路と呼ぶ所が四つあった。小路というのは京都辻子(図子)にあたる。浮世少路は今橋通りと高麗橋通り中間の狭路、淀屋小路は船場中の北浜より一丁目南にて、東より、西は西横堀に通ずるものをいう。また本町通りと安土町通りの間、難波橋筋より東にある狭路を衣張小路といい、北久太郎町、南久太郎町の間、心斎橋筋と御堂筋の間にあるものを御前小路といい、北久太郎町より本町まで、御堂筋と渡辺筋との間にて、南北に通ずる狭路を狐小路といった。また南本町通りの心斎橋筋と丼池の間に石橋があって、これを「夢の浮橋」といった[6]

町割

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船場の町割は凡そ40間のものが基本型で、開町当時はこの町割を東西に二つ、時に三つをもって1丁目とし、1ブロックをもって1丁目と数え、船場は北より本町まで、いずれも12丁目まで、以南は殆ど8丁目まであった。貞享3年の大阪絵図では、4丁目ないし5丁目まで数えているが、この数え方は東横堀基準にブロック二つづつをもって1丁目としているから、5丁目は御堂筋でおわる。それより以西、西横堀までの2ブロックには別個の固有名詞の町名を附してあるものもある。その後、明治5年の改正で通し丁目が徹底された。

町割の基軸に関しては、上町地域の基軸となっている東西方向の主要街路(通り)が船場へと通じ、船場の町割の基軸として継承されている。さらに、下船場においては、これらの通りの軸上に開削された堀川が、下船場の町割の基軸となっている。すなわち、上町から下船場に至るまで、通りから堀川へと町割の基軸が継承されている[7]

町割が設定された当初は、通の幅員は4.3間であり、筋の幅員3.3間に対して広く設定されていた。これは船場では通が重視されたためである[8]。旧来の大商家は殆ど東西の通りに立地し、南北の筋には少なかった。これは東西横堀川を通じて船場への物質の配達がなされたので、自然に東西の通りに大商店が立地するようになった。この点は南北を通りとする京都と相異する。それでも御堂筋、堺筋は古来から南北交通の幹線であり、そこで南北の筋に間口を並べる地割にされていた。南久宝寺町や博労町辺りでも南北筋の地割があり、東西横堀に面する所もこの地割であった[9]

船場地域は大坂城の西に位置することから、城へ向かう方向である竪(たて)は東西方向となり、竪に直交する横(よこ)は南北方向となる。船場の東端・西端をそれぞれ南へ流れる堀川を東横堀川・西横堀川と称するのもこれによる。歴史地理学の伝統的な城下町の分類では、短冊状の街区の長方向が竪方向であるものを竪町割りと呼ぶが、船場地域の基本的な町割りは東西に長い竪町割りで、東から丁目数にして5程度の町が多かった[10]。ただし、西横堀筋は全て南北方向に長い横町割りで、渡辺筋・佐野屋橋筋・御堂筋の各一部にも横町割りが見られた。明治以降に東西の通から南北の筋に賑わいの中心が移ったが、東西方向の竪町割りは依然健在で、平成以降は竪町割りに統一されている。なお、現在の町名では「町」は全て「まち」と読む。

船場では40間平方が地割の基本型であったが、中にはこの半分すなわち20間のところもあった。淀屋小路や浮世小路がこの例であった。御堂筋以西の南方、寺院付近にも不規則な町割があった。船場の1丁目の範囲は溝を境として南北二つの町に所属していた。

船場の1丁内の地割は大小様々であるが、大体1ブロックを東西に八つに分割したものが多い。これを標準とすれば間口5間、奥行き20間となる。問屋は間口5間以上をその平均型とした。船場区内の1町内における番地配列の基点の定め方は一定していない。大体北東隅から起こり、西に進み道を南に越えて西から東に返り、南東隅におわるものと、その逆の場合と、あるいは北西隅に始まり、東に進み道を南に越え、東より西に進み南西におわるものと、その逆なる場合との総計四つの場合が見られる。従って番地をたずねることは比較的に易く、京都式の如く道を挟んで千鳥式のものがないので便利であったという[11]

船場の橋

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大阪の[[橋]はすべて「はし」と呼ばれず「ばし」と濁音をもって呼称された。ただ例外的に「はし」と言われたのが、海部堀の「上のはし」「中のはし」「下のはし」、堂島大橋、桜宮大橋、十三大橋住吉反橋が「はし」と発音され、他は皆「ばし」と呼んでいる。東横堀に架かる橋ももとより「ばし」ばかりである。また、大阪の川は皆「がわ」で「かわ」とはあまり言わない。天満堀川安治川の二つだけである。また東横堀、西横堀は普通川の字をつけない。東西が川で、南北は堀で済ました[12]

東横堀
葭屋橋、今橋、高麗橋、平野橋、思案橋、本町橋、農人橋、久宝寺橋
西横堀
西国橋、船町橋、斎藤橋、筋違橋、呉服橋、京町橋、瓦町橋、相生橋、安土橋、信濃橋、江達橋、篠橋、新渡辺橋、助右衛門橋

船場の通

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(北から南の順)

  • 土佐堀通 - 幅員12間の幹線道路。古くは北浜通、土佐堀浜通と呼ばれた。1911年に拡幅されるまで東端は東横堀川に達しておらず、船場の北東隅は蟹島新地(かにしましんち)と呼ばれる遊興地となっていた。堺筋交点に大阪取引所淀屋橋南西袂に「淀屋の碑」が所在する。御霊筋以西は住友ビルディング三井住友銀行大阪本店ビルが所在し「住友村」の一画を成す。
  • 淀屋小路(よどやしょうじ) - 心斎橋筋 - 御霊筋間にのみ敷かれた小路。元は渡辺筋まであった。淀屋の屋敷に由来する。
  • 内北浜通 - 江戸時代の町名から古くは梶木町(かじきまち)通と呼ばれた。東端は一つ南の今橋西詰となり、東横堀筋に接続する。適塾大阪市立愛珠幼稚園がある。
  • 今橋通 - 御堂筋に面して東側に日本生命、西側に淀屋橋odona大阪倶楽部がある。
  • 浮世小路(うきよしょうじ) - 京都でいう突抜に相当する。
  • 高麗橋通 - 2005年5月まで堺筋に面して三越大阪店があった。
  • 伏見町通 - 芝川ビルが有名。御堂筋を挟んで西側に阪和興業、東側にKISCOがある。
  • 道修町通 - 武田薬品塩野義製薬をはじめとする製薬会社のオフィスが集中し、東京日本橋本町とともに日本を代表する薬品街。神農(しんのう)さんとして知られる少彦名(すくなひこな)神社があり、11月22日から11月23日勤労感謝の日の前後の神農祭の神社の宗教行事の期間は周辺の街が賑わいを見せる。境内には春琴抄の碑が、隣接してくすりの道修町資料館がある。
  • 平野町通 - イトーキ資料館、湯木美術館があるほか、御堂筋に面してガスビル(大阪ガス本社)が、堺筋に面して生駒ビルヂングがある。
  • 淡路町通 - 御堂筋を挟んで西側に御霊神社が、2丁目には船場ビルディングがある。
  • 瓦町通
  • 備後町通 - 堺筋に面してりそな銀行本店がある。
  • 安土町通 - 御堂筋に面する本願寺津村別院(北御堂)に突き当たる。北御堂境内の南西には系列の相愛中学校・高等学校および相愛大学本町キャンパス、南東には大阪第二有楽ビル、御堂ビル(竹中工務店本社・大阪本店)が所在する。
  • 絹張小路(きぬばりしょうじ) - 板屋橋筋 - 堺筋以西・藤中橋筋手前のみ敷かれた小路。元は東横堀筋 - 藤中橋筋まであった。
  • 本町通 - 幅員12間の幹線道路。北船場と南船場の境界。大阪産業創造館(大阪企業家ミュージアム)、メットライフ本町スクエア(旧大阪丸紅ビル)、御堂筋に面して南東にセントレジスホテル大阪がある。
  • 鰻小路(うなぎしょうじ) - 東横堀筋 - 八百屋町筋間にのみ敷かれた小路。
  • 南本町通 - 江戸時代の南本町1丁目上半の通称から古くは米屋町(こめやまち)通と呼ばれた。御堂筋に面してヨドコウ本社がある。
  • 本町の曲り - 東横堀筋の一部。
  • 中央大通 - 幅員80mの幹線道路。船場の区間は1970年に完成。唐物町(からものまち)通と北久太郎町(きたきゅうたろうまち)通の2本の通りとその間の街区が道路用地に充てられている。唐物町通が東行き、北久太郎町通が西行きの平面道路に拡幅され、平面道路の間に繊維問屋が集まる船場センタービルが建ち、その上を高架道路と阪神高速13号東大阪線が走っている。地下には地下鉄中央線が走る。町名は1970年より船場センタービルが船場中央となり、1989年より唐物町残余が南本町に編入、北久太郎町残余が南久太郎町と統合されて久太郎町となった。中央区役所がある。
  • 久太郎町通 - 中央大通の整備までは南久太郎町通と呼ばれた。御堂筋に面する真宗大谷派難波別院(南御堂)に突き当たる。南御堂境内の北にはH型のツインビルである大阪センタービル(北棟)・大阪御堂筋ビル(南棟。旧伊藤忠ビル)、南東には山門を兼ねた南御堂ビル(大阪エクセルホテル東急)が所在する。
  • 北久宝寺町通
  • 南久宝寺町通 - 問屋街で知られ、大阪久宝寺町卸連盟によって東横堀筋 - 心斎橋筋間の歩道にアーケードが設置されている。
  • 博労町通 - 御堂筋に面して西側に難波神社がある。
  • 順慶町(じゅんけいまち)通 - 現在の町名は南船場。三休橋筋との交差付近は宝石貴金属卸が集まる宝飾問屋街となっている。
  • 安堂寺橋(あんどうじばし)通 - 現在の町名は南船場。
  • 塩町(しおまち)通 - 現在の町名は南船場。かつては砂糖商が多く居住しており、1925年(大正14年)から1939年(昭和14年)まで大阪砂糖取引所が設置された。
  • 長堀通 - 幅員50mの幹線道路。1964年、長堀川が埋め立てられるまでは末吉橋(すえよしばし)通と呼ばれた。現在の町名は南船場。

通の覚え歌

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(参照:[13][14]

浜梶木はまかじき

今は浮世と(に)いまはうきよと(に)高伏道こうふしど

ひらあひらあ瓦に備後安土かわらにびんごあづち

本米唐物ほんこめからもの

久太久太にきゅうたきゅうたに久久宝きゅうきゅうほ

博労ばくろう順慶じゅんけい

安堂塩町あんどうしおまち

はま

梶木町、橋、浮世小路、麗橋、見町、修町、野町、路町、町、備後町、安土町、町、屋町、唐物町、北久太郎町、南久太郎町、北宝寺町、南久宝寺町、博労町、順慶町、安堂寺町、塩町(長堀通)

船場の筋

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せんば心斎橋筋商店街
丼池筋
歩道銘板

京都洛中のように多くの町名・町筋が伝統的に継承されず、また京都市神戸市とは異なり大阪市は幹線道路の愛称しか表記しておらず、さらには、船場が東西方向の町割であることから、筋の名称は現在ではそれほど認知されていない。ただし、電柱や街灯、アーケードの出入口、船場センタービルとの交差部などに筋の名称が表記されている箇所がある。

(東から西の順)

  • 東横堀筋 - 東横堀川沿い。蟹島新地は1783年に築かれた新地であり、東横堀筋は土佐堀通ではなく今橋通からスタートする。本町の曲りで東へ追加される筋へ移った直後、中央大通の高架道路の傾斜の影響で分断され、中央大通を縦断することはできない。
  • 箒屋町(ほうきやまち)筋 - 本町の曲りで東へ追加される筋へ東横堀筋が移るため、同所以南で箒屋町筋と名称を変える。
  • 板屋橋(いたやばし)筋 - 一丁目(いっちょうめ)筋とも呼ばれる。
  • 八百屋町(やおやまち)筋
  • 堺筋 - 幅員12間の幹線道路。御堂筋の拡幅以前の目抜き通りで、大大阪時代に建てられたビルも数多く現存する。
  • 藤中橋(ふじなかばし)筋 - 難波橋(なにわばし)筋とも呼ばれる。かつては大川に難波橋が架橋され、中国街道に接続する往来の多い道路で、隣の堺筋と繁栄を二分していた。しかし、1911年の市電敷設計画に反対したことが明暗を分け、1915年にはシンボルだった難波橋が堺筋に架け替えられた。その7年前の1908年に長堀川に藤中橋が架橋され、難波橋を失った難波橋筋は藤中橋筋とも呼ばれるようになった。
  • 中橋(なかばし)筋
  • 三休橋筋 - 栴檀木橋(せんだんのきばし)筋とも呼ばれる。大阪市の道路整備計画により歩道幅が確保され、大阪ガスなどから寄贈されたガス灯が並び、風情のある景観となっている。
  • 丼池(どぶいけ)筋 - 繊維問屋街。大阪で最初にアーケードが出来たのが丼池筋である。1993年老朽化により大阪最古のアーケードは撤廃された。現在は丼池ストリートとも呼ばれている。
  • 心斎橋筋 - 島之内側の心斎橋筋商店街が有名であるが、船場側にもせんば心斎橋筋商店街および心斎橋筋北商店街が形成されている。
  • 御堂筋 - 幅員24間の幹線道路。1937年の拡幅までは淡路町通との交点で屈折していたため、同所以南の北御堂・南御堂のある区間を御堂筋、以北を淀屋橋筋と称した。大阪の象徴ともいえる目抜き通り。
  • 御霊(ごりょう)筋・狐小路(きつねしょうじ)・佐野屋橋(さのやばし)筋 - 北御堂・南御堂によって分断されるため、御霊神社の沿道となる北御堂以北が御霊筋、北御堂 - 南御堂間が狐小路、南御堂以南が佐野屋橋筋と呼ばれる。なお、狐小路は旧・北久太郎町通(現・中央大通西行き)まであったが、1970年の中央大通の竣工によって旧・唐物町通(現・中央大通東行き)までに短縮された。
  • 渡辺(わたなべ)筋 - 淡路町通との交点で屈折しているため、同所以北は魚棚(うおのたな)筋とも呼ばれる。
  • 西横堀筋 - 西横堀川沿い。かつて「横堀」という町名だったことから単に横堀筋とも呼ばれる。中央大通の高架道路の傾斜の影響で、中央大通を縦断することはできるものの、高さ制限2.0mとなるので注意。

歴史

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1583年豊臣秀吉によって大坂城の築城および大坂城下の開発が開始された。豊臣初期の大坂城下の中心は、大坂城以前にあった旧石山寺内・港湾都市である港の渡辺津 (渡辺津以前は難波津住吉津が存在した) ・玉造といった上町で、また、大川を挟んで上町の北に位置する中島寺内の開発も1585年から開始された。上町の西に位置する船場の開発はこの時期はまだ萌芽的なものであったが、1598年から始まった大坂城三の丸の造営により、城内となった渡辺・玉造の地に居た町人の移転先として船場の開発が本格化する。大坂の陣後、松平忠明による復興の際に島之内と下船場の開発が本格化し、さらに渡辺・玉造の地へ再度町人地が置かれることとなった。また、淀屋常安による中之島の開発も始まり、幕府直轄地となる1619年頃には、城下とは別の町とみなされていた旧中島寺内を天満として大坂城下に取り込み、以降の大坂城下は船場を中心に展開されるようになった[15]

町名の変遷

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(参照:[16]

明治以前

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明治初頭には137町(うち東西方向の町:126町、南北方向の町:11町)あった。

東西方向の町 (北から南の順)

  • 大川町・過書町(かしょまち)・北浜2丁目・北浜1丁目
  • 梶木町
  • 尼崎町2丁目・尼崎町1丁目・今橋2丁目・今橋1丁目
  • 大豆葉町(まめのはちょう)・四軒町(しけんちょう)・上人町(しょうにんまち)・高麗橋3丁目・高麗橋2丁目・高麗橋1丁目
  • 呉服町・伏見町・本天満町(もとてんまちょう)・本靱町(もとうつぼちょう)
  • 古手町(ふるてまち)・道修町5丁目・道修町4丁目・道修町3丁目・道修町2丁目・道修町1丁目
  • 亀井町・善左衛門町・平野町3丁目・平野町2丁目・平野町1丁目
  • 津村北之町・淡路町切町(あわじまちきれちょう)・中船場町・北鍋屋町・淡路町2丁目・淡路町1丁目
  • 津村西之町・津村中之町・津村東之町・三郎右衛門町・南鍋屋町・百貫町(ひゃっかんちょう)・瓦町2丁目・瓦町1丁目
  • 津村南之町・御堂前町・升屋町(ますやちょう)・備後町5丁目・備後町4丁目・備後町3丁目・備後町2丁目・備後町1丁目
  • 浄覚町・安土町3丁目・安土町2丁目・上魚屋町・安土町1丁目
  • 本町5丁目・本町4丁目・本町3丁目・本町2丁目・本町1丁目
  • 南本町5丁目・南本町4丁目・南本町3丁目・南本町2丁目・南本町1丁目下半・南本町1丁目上半
  • 雛屋町・唐物町4丁目・唐物町3丁目下半・唐物町3丁目上半・唐物町2丁目下半・唐物町2丁目上半・唐物町1丁目
  • 北久太郎町5丁目・北久太郎町4丁目・北久太郎町3丁目・北久太郎町2丁目・北久太郎町1丁目
  • 南久太郎町6丁目・南久太郎町5丁目・南久太郎町4丁目・南久太郎町3丁目・南久太郎町2丁目・南久太郎町1丁目
  • 源左衛門町・伝馬町・北久宝寺町4丁目・北久宝寺町3丁目・北久宝寺町2丁目・北久宝寺町1丁目
  • 南久宝寺町5丁目・南久宝寺町4丁目・南久宝寺町3丁目・南久宝寺町2丁目・南久宝寺町1丁目
  • 博労町・茨木町・金田町・金沢町
  • 初瀬町(はつせちょう)・浄国寺町・順慶町5丁目・順慶町4丁目・順慶町3丁目・順慶町2丁目・順慶町1丁目
  • 北勘四郎町・安堂寺町5丁目・安堂寺町4丁目・安堂寺町3丁目・安堂寺町2丁目下半・安堂寺町2丁目上半・安堂寺町1丁目
  • 南勘四郎町・車町(くるままち)・塩町4丁目・塩町3丁目・塩町2丁目・塩町1丁目
  • 長堀平右衛門町(西横堀川以東・長堀川以北)・長堀10丁目(長堀川以北)・長堀心斎町(同左)・長堀次郎兵衛町(同左)・長堀橋本町

南北方向の町 (東から西の順)

  • 北久宝寺町5丁目
  • 上難波町
  • 北渡辺町・南渡辺町
  • 七郎右衛門町1丁目・七郎右衛門町2丁目・浜町・長浜町・椹木町(さわらぎちょう)・西笹町・五幸町(ごこうまち)

明治

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1872年(明治5年)の町名改編で109町(うち東西方向の町:98町、南北方向の町:11町)となった。

  • 大川町
  • 北浜(5~1丁目)
  • 今橋(5~1丁目)
  • 高麗橋(5~1丁目)
  • 伏見町(5~1丁目)
  • 道修町(5~1丁目)
  • 平野町(5~1丁目)
  • 淡路町(5~1丁目)
  • 瓦町(5~1丁目)
  • 備後町(5~1丁目)
  • 安土町(4~1丁目)
  • 本町(4~1丁目)
  • 南本町(4~1丁目)
  • 唐物町(4~1丁目)
  • 北久太郎町(4~1丁目)
  • 南久太郎町(4~1丁目)
  • 北久宝寺町(4~1丁目)
  • 南久宝寺町(4~1丁目)
  • 博労町(4~1丁目)
  • 順慶町通(4~1丁目)
  • 安堂寺橋通(4~1丁目)
  • 塩町通(4~1丁目)
  • 末吉橋通(4~1丁目)

南北方向の町 (東から西の順)

  • 上難波北之町・上難波南之町
  • 北渡辺町・南渡辺町
  • 横堀(1~7丁目)

大正

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1914年大正3年)の町名改編で上難波北之町・上難波南之町が北久宝寺町5丁目・南久宝寺町5丁目・博労町5丁目となり、全110町(うち東西方向の町:101町、南北方向の町:9町)となった。

昭和

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1930年昭和5年)の町名改編で北渡辺町・南渡辺町が本町5丁目・南本町5丁目・唐物町5丁目・北久太郎町5丁目・渡辺町となり、全113町(うち東西方向の町:105町、南北方向の町:8町)となった。

1970年(昭和45年)の町名改編で唐物町(5~1丁目)・北久太郎町(5~1丁目)の各一部が船場中央(5~1丁目)となり、全123町(うち東西方向の町:115町、南北方向の町:8町)となった。

1982年(昭和57年)の町名改編で順慶町通(4~1丁目)・安堂寺橋通(4~1丁目)・塩町通(4~1丁目)・末吉橋通(4~1丁目)・横堀7丁目が南船場(4~1丁目)となり、全111町(うち東西方向の町:103町、南北方向の町:7町)となった。

平成

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1989年平成元年)の町名改編で大川町を北浜に編入、唐物町を南本町に編入、北久太郎町・南久太郎町を久太郎町として統合、南北方向の横堀(1~6丁目)・渡辺町を東西方向の各町に編入の上、安土町を除いて4~1丁目に再編し(安土町のみ3~1丁目に再編)、全71町(うち東西方向の町:71町、南北方向の町:なし)となった。

現代の船場

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繊維問屋や商社、証券会社、銀行の集中により、過密が問題となり、問屋街の郊外移転などが行われていた(例えば繊維問屋街の一部が箕面市大阪船場繊維卸商団地、愛称「COM ART HILL」へ)。

現在、いまだに過密であることに変わりはないが、かつての活気が船場からは失われつつある。一方、地元も様々な運動を開始し、他の地域との協力・交流も始めている。例えば、2005年3月26日には綿業会館(国の重要文化財、中央区備後町2-5-8)で、四団体共同で船場フォーラムが行われた。四団体とは、銀座まちづくり会議(東京)、横濱まちづくり倶楽部(横浜)、都心界隈まちづくりネット(京都)、せんばGENKIの会(大阪)である。

交通

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鉄道
淀屋橋駅 北浜駅 京阪本線
本町駅 堺筋本町駅 C中央線
心斎橋駅 長堀橋駅 N長堀鶴見緑地線
M御堂筋線 S堺筋線

このうち、堺筋本町駅には2011年9月30日に「船場東」、本町駅(下船場に位置する四つ橋線ホームを除く)には2011年10月1日に「船場西」の副名称がそれぞれ、駅名標に追記された[17]

バス

船場地域を運行するバス路線として、大阪シティバス8号系統がある。

備考

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大大阪時代の建築

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(※は現存せず)

船場

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北浜
  • 北浜平和ビル ※ - 1887年(明治20年)
  • 正和・伏見法律事務所 - 明治30年代
  • 旧広田商事 ※ - 明治末~大正初期
  • 西田三郎商店 ※ - 明治末~大正初期
  • 帝国座 - 1910年(明治43年)
  • 旧桂隆産業ビル(北浜レトロビルヂング) - 1912年(明治45年)
  • つねなりすたじお ※ - 1913年(大正2年)
  • 北浜野村ビルディング ※ - 1921年(大正10年)
  • 北浜ビルディング ※ - 1921年(大正10年)
  • 島ビル ※ - 1922年(大正11年)
  • 大林組本社屋(ルポンドシエルビル) - 1926年(大正15年)
  • 住友ビルディング(三井住友銀行大阪本店ビル) - 1926年(昭和元年)
  • 旧近畿建築会館・旧伊藤千太郎邸 ※ - 1926年(大正15年)
  • 高宮画廊 ※ - 大正時代
  • 三共商事株式会社 - 大正~昭和初期
  • 北浜清友会館 ※ - 大正末~昭和初期
  • 愛日小学校 ※ - 1929年(昭和4年)
  • 旧国光生命保険相互会社大阪支店ビル - 1932年(昭和7年)
  • 旧大阪証券取引所・旧市場館(大阪取引所) - 1935年(昭和10年)
  • 淀屋橋政経ビル ※ - 1935年(昭和10年)
  • 石原ビルディング - 1939年(昭和14年)
  • 大阪理容所 ※
今橋
高麗橋
伏見町
  • 芝川家「旧洋館」 ※ - 1890年(明治23年)
  • 三越百貨店 ※ - 1920年(大正9年)
  • 旧野田屋三郎宅(青山ビル) - 1921年(大正10年)
  • 旧澤野ビルヂング(伏見ビル) - 1923年(大正12年)
  • 旧芝蘭社家政学園(芝川ビルディング) - 1927年(昭和2年)
道修町
  • 旧小西儀助商店(小西家住宅) - 1903年(明治36年)
  • 塩野義製薬旧社屋 ※ - 1924年(大正13年)
  • 旧武田長兵衛本店(武田薬品工業道修町ビル) - 1927年(昭和2年)
  • 旧薬種問屋新良貴徳兵衛商店 ※ - 1928年(昭和3年)
  • 大日本製薬 ※ - 1930年(昭和5年)
平野町
淡路町
瓦町
備後町
本町
  • 市田ビル(市田商店大阪支店) ※ - 1931年(昭和6年)
  • 東区役所 ※ - 1935年(昭和10年)
  • 吉田鹿之助商店 - 1936年(昭和11年)
南本町

南船場

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北久太郎町
  • 寺田ビルディング ※ - 1936年(昭和11年)
南久太郎町
  • 住友船場ビルディング ※ - 1930年(昭和5年)
  • 大谷仏教会館 ※ - 1933年(昭和8年)
北久宝寺町
南久宝寺町
  • 三十四銀行南支店 ※ - 1923年(大正12年)
  • 旧朝日堂 ※ - 1928年(昭和3年)
  • 山本幸商店 - 1935年(昭和10年)
順慶町通(南船場)
安堂寺橋通(南船場)
末吉橋通(南船場)

下船場

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土佐堀
  • 旧大阪産業銀行 - 大正末期
  • 菅澤眼科クリニック - 1928年(昭和3年)
  • 旧山内香法律特許事務所(山内ビル) - 1933年(昭和8年)
  • 山根商店 - 昭和初期
江戸堀
京町堀
  • 中山製鋼所ビル ※ - 1913年(大正2年)
  • 京町ビル ※ - 1926年(大正15年)
  • 安田ビル - 1936年(昭和11年)
靱本町
立売堀
  • 立売堀ビルディング - 1927年(昭和2年)
新町
北堀江
  • 旧東條病院 ※ - 1929年(昭和4年)
南堀江
  • 道頓堀変電所 ※ - 1913年(大正2年)
  • 川西湊町ビル - 1935年(昭和10年)

町名の変遷

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北浜[18]
梶木町
(一部)
 
梶木町
 
過書町
(一部)
 
過書町
(一部)
 
北浜
二丁目
(一部)
 
北浜
二丁目
 
北浜
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北浜
五丁目
 
 
 
北浜
四丁目
 
 
 
 
 
北浜
三丁目
 
 
 
北浜
二丁目
 
北浜
一丁目


 
 
 
 
七郎右衛門町
 
 
 

四丁目
 
拾三人町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
浜町
長浜町
椹木町
西笹町
 
七郎右衛門町
二丁目
 
七郎右衛門町
一丁目
 
大川町
今橋[19]
尼ヶ崎町
二丁目
 
 
 
尼ヶ崎町
一丁目
 
 
 
今橋
二丁目
 
今橋
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
今橋
五丁目
 
今橋
四丁目
 
今橋
三丁目
 
今橋
二丁目
 
今橋
一丁目
高麗橋通[20]
 
 
 
 
 
 
上人町
 
 
 
高麗橋
三丁目
 
高麗橋
二丁目
 
高麗橋
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
大豆葉町
 
四軒町
 
上人町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
高麗橋
五丁目
 
 
 
 
 
高麗橋
四丁目
 
高麗橋
三丁目
 
高麗橋
二丁目
 
高麗橋
一丁目
伏見町[21]
瓢箪町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
天満町
 
靱町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
呉服町
 
 
 
 
 
伏見町
 
本天満町
 
本靱町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
伏見町
 
伏見町
 
伏見町
 
伏見町
 
伏見町
道修町[22]
四拾軒町
 
又市町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
古手町
 
道修町
五丁目
 
道修町
四丁目
 
道修町
三丁目
 
道修町
二丁目
 
道修町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
道修町
五丁目
 
道修町
四丁目
 
道修町
三丁目
 
道修町
二丁目
 
道修町
一丁目
平野町[23]
屋ぶた町
 
平野町
十丁目
 
善左衛門町
 
平野町
九丁目
 
平野町
八丁目
 
平野町
七丁目
 
平野町
六丁目
 
平野町
五丁目
 
平野町
四丁目
 
平野町
三丁目
 
平野町
二丁目
 
平野町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
亀井町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平野町
三丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平野町
二丁目
 
 
 
 
 
 
 
平野町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平野町
五丁目
 
 
 
平野町
四丁目
 
 
 
 
 
 
 
平野町
三丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
平野町
二丁目
 
 
 
 
 
 
 
平野町
一丁目
淡路町[24]
津村
北之町
 
中船場町
 
淡路町
切町
 
北鍋屋町
 
淡路町
二丁目
 
淡路町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津村
北之町
 
中船場町
 
淡路町
切町
 
北鍋屋町
 
淡路町
二丁目
 
淡路町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
淡路町
五丁目
 
 
 
淡路町
四丁目
 
 
 
淡路町
三丁目
 
淡路町
二丁目
 
淡路町
一丁目
瓦町[25]
津村
西之町
 
津村
中之町
 
津村
東之町
 
三郎右衛門町
 
南鍋屋町
 
百貫町
 
瓦町
二丁目
 
瓦町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
瓦町
五丁目
 
 
 
 
 
瓦町
四丁目
 
瓦町
三丁目
 
 
 
瓦町
二丁目
 
 
瓦町
一丁目
備後町[26]
北青(屋)備後町
四丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
御堂前町
 
 
 
 
 
升屋町
 
備後町
五丁目
備後町
四丁目
 
備後町
三丁目
 
備後町
二丁目
 
備後町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
備後町
四丁目
 
安土町
四丁目
 
安土町
三丁目
 
備後町
三丁目
 
 
 
備後町
二丁目
 
 
 
 
 
備後町
一丁目
安土町[27]
安土町
五丁目
 
安土町
四丁目
 
安土町
二丁目
 
魚屋町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安土町
二丁目
 
 
 
上魚屋町
 
安土町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安土町
二丁目
 
 
 
安土町
一丁目


安土町
七丁目
 
安土町
六丁目
 
安土町
三丁目
 
南青谷町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安土町
三丁目
 
升屋町
(一部)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安土町
三丁目


 
安土町
九丁目
 
 
 
安土町
八丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
升屋町
(一部)
 
浄覚町
 
御堂前町
(一部)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安土町
四丁目
本町・南本町[28]
津村
南之町
 
北渡辺町
六丁目
 
北渡辺町
五丁目
 
北渡辺町
四丁目
 
北渡辺町
三丁目
 
北渡辺町
二丁目
 
北渡辺町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
津村
南之町
 
 
 
 
 
南渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
備後町
五丁目
 
 
 
 
 
南渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
備後町
五丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本町
五丁目
 
南本町
五丁目
 
本町
四丁目


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南本町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南本町
五丁目
 
南本町
四丁目
 
南本町
三丁目
 
南本町
二丁目
 
南本町
一丁目下半
 
南本町
一丁目上半
 
本町
五丁目
 
本町
四丁目
 
本町
三丁目
 
本町
二丁目
 
本町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南本町
四丁目
 
 
 
 
 
南本町
三丁目
 
南本町
二丁目
 
 
 
南本町
一丁目
 
 
 
本町
四丁目
 
 
 
 
 
本町
三丁目
 
本町
二丁目
 
本町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南本町
四丁目
 
唐物町
四丁目
唐物町[29]
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐物町
三丁目
 
 
 
 
 
唐物町
二丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
雛屋町
 
唐物町
四丁目
 
唐物町
三丁目下半
 
唐物町
三丁目上半
 
唐物町
二丁目下半
 
唐物町
二丁目上半
 
北久太郎町
一丁目
 
 
唐物町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
唐物町
四丁目
 
 
 
 
 
唐物町
三丁目
 
 
 
 
 
 
 
唐物町
二丁目
 
 
 
 
 
唐物町
一丁目
北久太郎町[30]
南渡辺町
 
 
 
 
 
北久太郎町
五丁目
 
北久太郎町
四丁目
 
北久太郎町
三丁目
 
北久太郎町
二丁目
 
北久太郎町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南渡辺町
 
雛屋町
 
北久太郎町
五丁目
 
北久太郎町
四丁目
 
北久太郎町
三丁目
 
北久太郎町
二丁目
 
北久太郎町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北久太郎町
五丁目
 
 
 
 
 
 
北久太郎町
四丁目
 
北久太郎町
三丁目
 
北久太郎町
二丁目
 
 
 
 
 
北久太郎町
一丁目
 
唐物町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北久太郎町
四丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北渡辺町
六丁目
 
北渡辺町
五丁目
 
北渡辺町
四丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
横堀
六丁目
 
横堀
五丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北渡辺町
 
南渡辺町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
横堀
六丁目
 
横堀
五丁目
 
渡辺町
 
南本町
五丁目
 
唐物町
五丁目
 
北久太郎町
五丁目
 
北久太郎町
四丁目
南久太郎町[31]
十三間町
 
南久太郎町
五丁目
 
南久太郎町
四丁目
 
南久太郎町
三丁目
 
南久太郎町
二丁目
 
南久太郎町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南久太郎町
六丁目
 
南久太郎町
五丁目
 
南久太郎町
四丁目
 
南久太郎町
三丁目
 
南久太郎町
二丁目
 
南久太郎町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南久太郎町
四丁目
 
 
 
南久太郎町
三丁目
 
南久太郎町
二丁目
 
 
 
南久太郎町
一丁目
北久宝寺町・南久宝寺町[32]
 
 
 
 
上難波町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上難波町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
上難波南之町
 
 
 
 
 
上難波北之町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
博労町
五丁目
 
南久宝寺町
五丁目
 
北久宝寺町
五丁目
 
 
 
 
 
 
南久宝寺町
四丁目
 
 
 
南久宝寺町
三丁目
 
南久宝寺町
二丁目
 
南久宝寺町
一丁目
 
北久宝寺町
五丁目
 
 
 
伝馬町
(馬屋町)
 
 
 
北久宝寺町
四丁目
 
北久宝寺町
三丁目
 
北久宝寺町
三丁目
 
北久宝寺町
二丁目
 
北久宝寺町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
北久宝寺町
五丁目
 
南久宝寺町
五丁目
 
南久宝寺町
四丁目
 
南久宝寺町
三丁目
 
南久宝寺町
二丁目
 
南久宝寺町
一丁目
 
北久宝寺町
五丁目
 
源左衛門町
 
伝馬町
 
北久宝寺町
四丁目
 
北久宝寺町
三丁目
(西半)
 
北久宝寺町
三丁目
(東半)
 
北久宝寺町
二丁目
 
北久宝寺町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南久宝寺町
四丁目
 
 
 
南久宝寺町
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南久宝寺町
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南久宝寺町
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北久宝寺町
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北久宝寺町
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北久宝寺町
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北久宝寺町
一丁目
博労町[33]
馬責場町
 
博労町
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博労町
中之町
 
博労町
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博労町
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博労町
 
茨木町
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博労町
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博労町
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博労町
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博労町
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順慶町
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順慶町
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順慶町
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順慶町
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順慶町
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横堀
七丁目
 
 
 
 
 
順慶町
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順慶町
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順慶町
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安堂寺町[35]
西樽屋町
 
塩町切丁
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
安堂寺
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北勘四郎町
 
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安堂寺橋通
四丁目
 
安堂寺橋通
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安堂寺橋通
一丁目
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南勘四郎町
 
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塩町
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塩町
一丁目
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
塩町通
四丁目
 
 
 
 
 
塩町通
三丁目
 
塩町通
二丁目
 
 
 
 
 
塩町通
一丁目
末吉橋通[37]
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宗無町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
七左衛門町
 
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長堀橋
本町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長堀
十丁目
 
長堀
平右衛門町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
長堀
心斎町
 
長堀
次郎兵衛町
 
 
 
 
 
長堀橋
本町
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鰻谷西之町
心斎橋筋一丁目入る
 
末吉橋通
四丁目
 
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三丁目
 
末吉橋通三丁目
鰻谷中之町入る
 
末吉橋通
二丁目
 
末吉橋通
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関連項目

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脚注

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  1. ^ 橋本藤四郎『大阪市地理指導』橋本藤四郎、1911年10月、pp.24-32
  2. ^ 牧村史陽編 『大阪ことば事典』 講談社、1979年、385-386頁
  3. ^ 牧村史陽は船着き場だったことに由来するとの説を妥当としている
  4. ^ 宮本(1960)16-19頁
  5. ^ 宮本(1960)8-11頁
  6. ^ 宮本(1960)7-8頁
  7. ^ 阿倍貴弘、篠原修『近世城下町大坂 江戸の町人地における城下町設計の論理』土木学会論文集D2(土木史)Vol.68, No.1, 2012, p.72
  8. ^ 辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について -特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年、p.176
  9. ^ 宮本(1960)15-16頁
  10. ^ 松尾信裕『豊臣時代の伏見城下町と大坂城下町』大阪歴史博物館研究紀要 第13号、2015年2月、p.37
  11. ^ 宮本(1960)20-21頁
  12. ^ 宮本(1960)394頁
  13. ^ 船場倶楽部 集英地域活動協議会 編『船場ガイドブック2020』2021年、p.2
  14. ^ 大阪市立開平小学校職員 編『わが町船場 -いま・むかし-』大阪市立開平小学校、2010年
  15. ^ 宮本又次『大阪の商人について』工業教育14巻1-2号、1967年、p.8-31
  16. ^ 大阪市北区 編『北区財産区誌』1939年、pp.9-16
  17. ^ 「船場」ブランド復活へ 地下鉄・本町駅などの副名称に”. MSN産経ニュース (2011年9月30日). 2012年2月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年10月1日閲覧。
  18. ^ 宮本(1960)53-54頁
  19. ^ 宮本(1960)108-109頁
  20. ^ 宮本(1960)126-127頁
  21. ^ 宮本(1960)164頁
  22. ^ 宮本(1960)210頁
  23. ^ 宮本(1960)226頁
  24. ^ 宮本(1960)246-247頁
  25. ^ 宮本(1960)250頁
  26. ^ 宮本(1960)252-253頁
  27. ^ 宮本(1960)252-253頁
  28. ^ 宮本(1960)253,266頁
  29. ^ 宮本(1960)266,319頁
  30. ^ 宮本(1960)322頁
  31. ^ 宮本(1960)323頁
  32. ^ 宮本(1960)323,350頁
  33. ^ 宮本(1960)353頁
  34. ^ 宮本(1960)403頁
  35. ^ 宮本(1960)417頁
  36. ^ 宮本(1960)427頁
  37. ^ 宮本(1960)428頁

参考文献

[編集]
  • 楳垣実『船場言葉』近畿方言学会、1955年
  • 宮本又次『船場』ミネルヴァ書房(風土記大阪第1集)1960年
  • 辻野増枝、青木洋子、白木小三郎『「北船場」の町割と町屋の変遷について-特に江戸時代から今日まで-』大阪市立大学生活科学部紀要・第28巻、1980年
  • 香村菊雄『定本船場ものがたり』創元社、1986年

外部リンク

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