石町 (名古屋市)
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石町 | |
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北緯35度10分38.21秒 東経136度54分43.5秒 / 北緯35.1772806度 東経136.912083度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 東区 |
町名廃止 | 1976年(昭和51年)1月18日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[2] |
ナンバープレート | 名古屋[3] |
位置は国土地理院1万分の1『名古屋東北部』(1955年)による |
石町(こくちょう)は、愛知県名古屋市東区の地名。1丁目から3丁目があった。1976年(昭和51年)1月18日、同区泉一丁目および同二丁目に編入された[1]。
地理
[編集]東は鍋屋町、西は中市場町2丁目、南は武平町2丁目・下竪杉町1丁目・富士塚町3丁目・七小町、北は武平町1丁目・東片端町1丁目・上竪杉町6丁目・東片端町2丁目・冨士塚町1丁目に接する。
学区
[編集]人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 619人[4] | |
1955年(昭和30年) | 685人[4] | |
1960年(昭和35年) | 622人[5] | |
1965年(昭和40年) | 549人[5] | |
1970年(昭和45年) | 508人[6] | |
1975年(昭和50年) | 478人[6] |
歴史
[編集]地名の由来
[編集]名古屋城下町開発に際して、穀物商が多く所在したことに由来するという説が主流であるというが、『尾張志』は清洲越しであり、築城の際には当地において石垣を切り出したともいう[7]。
沿革
[編集]- 明治初年 - 一部が中市場町に編入される[1]。
- 明治4年 - 小牧町を編入する[1]。
- 1878年(明治11年)12月20日 - 名古屋区成立に伴い、同区石町となる[1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 名古屋市成立に伴い、同市石町となる[1]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 東区成立に伴い、同区石町となる[1]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、一部が同区石町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、栄区石町が中区石町となる[1]。
- 1946年(昭和21年)4月15日 - 中区石町の全域が東区石町に編入される[1]。
- 1976年(昭和51年)1月18日 - 東区泉一丁目および同二丁目に編入され、廃止[1]。
史蹟
[編集]- 松本奎堂の塾跡
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 名古屋市計画局 1992, p. 737.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b c 名古屋市総務局企画室統計課 1957, p. 73.
- ^ a b c 名古屋市総務局企画部統計課 1967, p. 67・68.
- ^ a b c 名古屋市総務局統計課 1977, p. 41・42.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 547.
参考文献
[編集]- 名古屋市総務局企画室統計課 編『昭和31年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1957年。
- 名古屋市総務局企画部統計課 編『昭和41年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1967年。
- 名古屋市総務局統計課 編『昭和51年版 名古屋市統計年鑑』名古屋市、1977年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。
関連項目
[編集]武平町1丁目・東片端町1丁目・上竪杉町6丁目・東片端町2丁目・富士塚町1丁目 | ||||
中市場町2丁目 | 鍋屋町 | |||
石町 | ||||
武平町2丁目・下竪杉町1丁目・富士塚町3丁目・七小町 |