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落語立川流

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
立川流落語会から転送)
落語立川流
創立者 立川談志
団体種類 一般社団法人
設立 2024年6月6日
所在地 日本の旗 日本 神奈川県川崎市宮前区有馬1丁目22番19-501号
北緯35度34分35.3秒 東経139度34分39.5秒 / 北緯35.576472度 東経139.577639度 / 35.576472; 139.577639座標: 北緯35度34分35.3秒 東経139度34分39.5秒 / 北緯35.576472度 東経139.577639度 / 35.576472; 139.577639
法人番号 9020005016460 ウィキデータを編集
起源 落語立川流(任意団体、1983年~2024年)
主要人物 立川志の輔(竹内照雄)(代表、2024年~)
土橋亭里う馬 (10代目)(帯津和夫)(代表、2011年~2024年)
立川談志(松岡克由)(家元、1983年~2011年)
活動地域 日本の旗 日本
活動内容 落語を主とする寄席芸能に関連する事業
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落語立川流(らくごたてかわりゅう)は、東京における落語家の団体の1つである。七代目立川談志[注釈 1]とその一門により創設された。

特徴

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  • 団体創設の経緯から、落語のいわゆる定席[注釈 2]へ出演できない。立川流が定席に出た例外として、末廣亭2006年4月中席の立川藤志楼(高田文夫落語芸術協会の顔付けに加わる)、国立演芸場2006年6月上席の立川談笑落語協会の顔付けに加わる)のみであったが、2017年8月に立川談之助が浅草の落語芸術協会の定席に出演したのを皮切りに、立川流所属の落語家が同協会の定席に客演する機会が多くなっている[注釈 3]
そのため、立川流としては永谷商事所有の「お江戸上野広小路亭」や「お江戸日本橋亭」での興行[注釈 4]や同場で開催される落語芸術協会、五代目円楽一門会など他流との混合寄席、また浅草東洋館で行われるボーイズ・バラエティー協会東京演芸協会の興行(日替わりで1名程度)などに出演するほか、不定期にホールや市民会館などで独演会や一門会を開催している。「余一会」(寄席で各月31日に行われる特別興行)は立川流からも参加する場合がある。なお、談志の没後は、新宿末廣亭では二度にわたり立川流一門会が開かれている。
  • 創設者である談志を頂点とする家元制の組織体系を採っていた。プロ落語家志願者を育てるための従来の師弟関係(Aコース)のほかに、一般人もお金を払うだけで弟子になれる制度があったが(Cコース)、Cコースは落語家にはなれなかった。談志の死去に伴い家元制度は廃止となった[1]
  • 直弟子なら家元へ、孫弟子ならその師匠への上納金制度があったが、これも家元制度と共に廃止された。
  • 談志の一門のみによって構成されるので、実質的に談志一門として認識される。例外はあるものの、ほぼ全員が立川の亭号を名乗る(例外として現役では十代目土橋亭里う馬、亭号剥奪期間中のらく兵、過去の在籍者では四代目桂文字助二代目快楽亭ブラック朝寝坊のらくなどのケースがある)。
  • 江戸落語四流派の中では演芸番組『笑点』のレギュラー出演者[注釈 5]が2024年3月まではなかった[注釈 6]が、2024年4月より『笑点』「若手大喜利」出身者の立川晴の輔が初めてレギュラー出演者となった[2]
  • Aコースは落語家のみで構成され、色物は存在しない(例外あり)。立川流が主催する興行では外部から色物芸人も呼ばれることはある。
  • 他の落語家団体に存在している専属の出囃子担当者(三味線奏者)がいない。必要な場合は他団体や外部の演奏者に委嘱する形となる。
  • 発足から長らく法人組織化されていなかったものの、2024年6月6日に一般社団法人としての登記を申請したことが明らかになった。団体となったことで不測の事態の対応や団体の活動の円滑化を行うことができるとしている[3][4][5]
  • 2019年現在、東京・大阪の落語家の他団体に存在している二世落語家(親・子続けて落語家)が存在しない。
  • 女性の入門者も数名在籍しており、2023年5月5日に立川こはる改メ立川小春志が、立川流として初の女性落語家の真打となった。
  • 談志の生前から、原則毎年正月(談志の誕生日にあたる1月2日)には一門が集まり、新年会を行う。一門の落語家は紋付袴を着て根津神社に参詣した後、上野東天紅に集まって新年会を開催する。会の最後は談志が好きな歌「ふるさとのはなしをしよう(歌:北原謙二、詞:伊野上のぼる、曲:キダ・タロー)」「浅草の唄(歌:関敬六、詞:サトウハチロー、曲:万城目正)」を歌いながら会場をぐるぐる回る[6][7]

沿革

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誕生以前の前史

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落語協会分裂騒動は、落語立川流の誕生とは直接に関係しないが、間接的に大きな関わりのある重要なエピソードである。

1978年5月9日落語協会に分裂騒動が勃発した。前会長の六代目三遊亭圓生(当時:最高顧問)の副産物とも言える大量に存置されていた二つ目の真打への昇進を巡り、大量真打昇進で滞貨一掃を図った協会会長五代目柳家小さんと、安易な昇進に反対する圓生最高顧問が対立。圓生は落語協会からの離脱を決意し、圓生の弟子である五代目三遊亭圓楽に加え、三代目古今亭志ん朝、立川談志ら一部の幹部が圓生に同調し落語協会離脱の動きを見せた。 5月24日に設立が公表された新団体「落語三遊協会」に、圓生一門と志ん朝のほか、七代目橘家圓蔵、圓蔵の弟子の五代目月の家圓鏡(後の八代目橘家圓蔵)らが参加を表明した。談志は最も強力な賛同者と目されていたものの、公式発表直前に突如として協会残留の意向を示し、この新団体に参加することはなかった。

翌25日、江戸落語の定席である上野鈴本演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場の各寄席の席亭会議で、落語三遊協会に寄席への出演を認めないことを決めた。当初、落語協会所属の落語家の半数が三遊協会に移籍すると見られており、鈴本演芸場の席亭は三遊協会に好意的な立場であったが、実際に移籍を決めた人数は予想されたものよりも少なく、新宿末廣亭の席亭である北村銀太郎の「一見良さそうな顔ぶれだが一握りの売れっ子と無名の若手しかおらず、層が薄い。売れっ子がテレビ出演や地方興行の仕事で寄席を休んだ場合に適当な代演がおらず、これでは毎日(通常は10日間)の公演をまわしていけない」という意見が決定打となった。この決定により、三遊協会からはさらに脱退者が相次ぎ、5月31日に北村の仲介で圓蔵、圓鏡、志ん朝らは協会に復帰し、翌6月1日に正式に落語協会を脱退して落語三遊協会を結成したのは圓生の一門のみであり、しかも圓生の直弟子[注釈 7]からも脱落者を出す有様であった。

1979年9月3日、三遊協会の主軸であった圓生が急死した。これにより落語三遊協会は自然消滅し、分裂騒動は圓生側の全面的敗北に終わった。三遊協会所属の落語家は総領弟子の圓楽一門を除き、いずれも落語協会に復帰した。圓楽一門は新たに「大日本落語すみれ会」を結成。その後何度か改称の後、1990年に「円楽一門会」に改称して現在に至っている。

落語協会ではこの騒動後、真打昇進に関して師匠推薦に代わり「真打昇進試験」制度を導入することとなったが、後述するように合否の運用基準が不明瞭なこともあり、談志の批判、落語協会離脱につながることとなった。

この騒動は圓楽と談志が黒幕になり、圓生を唆して仕掛けたという説が存在している。目的は彼らのライバルであり、当時は将来の落語協会会長と目されていた志ん朝の香盤を落とすことであったとされている[注釈 8]。しかし、最終的に協会に戻った志ん朝は、表向きは「会長小さんの温情」という形[注釈 9]で香盤が下がらなかった。

誕生

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1983年の落語協会真打昇進試験では、林家源平柳家小里ん林家種平、林家上蔵 (現:三代目桂藤兵衛)、蝶花楼花蝶(七代目蝶花楼馬楽・故人)、林家正雀古今亭八朝林家らぶ平 (現・らぶ平(フリー))、立川談四楼、立川小談志(四代目喜久亭寿楽・故人)の10名が受験した。当時理事であった談志が不在中、談志の弟子2人(談四楼と小談志)が不合格となる一方、初代林家三平の弟子で、力量が明らかに劣ると思われた源平が合格した(他の合格者は小里ん、花蝶、正雀)。談志はこの試験の結果と考査基準に異を唱え、大半の弟子と共に脱会、立川流落語会を創設した。談志は家元制度を確立し、初代家元となる。

結果

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前述の通り、圓生一門の落語協会離脱の際に東京の寄席の席亭は番組編成上、落語協会・落語芸術協会所属者以外の出演は困難であるとした。立川流に関しても同様のスタンスであり、そのため立川流は一門として寄席に出演する意志は当初から持たず、代わりにホールでの落語会を中心に活動している。「日本すみずみ出前寄席」という企画では99,800円で真打1人、二つ目2人、前座1人の計4人を全国各地に派遣した。

家元談志の死去と法人化

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2011年11月21日の談志の死去に伴い、2012年1月に一門で話し合いが持たれ、その結果家元制度を廃止したうえで、総領弟子の土橋亭里う馬が新代表となり再スタートした。志の輔によると、談志没後は里う馬と松岡慎太郎(談志長男、談志役場社長)が二人三脚で立川流を守るために様々なことを成し遂げてきたという[5]。里う馬は2024年1月まで代表を務め、代表を立川志の輔に譲った[8]

長らく任意団体が続いていたが、2024年6月、一般社団法人として法人登録を行った。代表は立川志の輔、副代表に立川談春立川志らくが就いた[3]。法人登録については、6月7日に議員会館で行われた落語議連の議員の会合[9]や高座などで談春が明かしていたが、中日新聞が6月18日付夕刊の文化面でいち早く報じ[3]、その2日後に読売新聞が報道[4]。演芸専門誌「東京かわら版」7月号に志の輔のインタビューが掲載された[5]。事務方は立川志ららが中心に動いているという[5]。22日にラジオに出演した立川談笑が事情を多少語ったりはしたものの、関係者による正式な記者会見やニュースリリースは行われず[10]、後日ホームページの冒頭に2行で案内が掲載された。

出演場所

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前述の通り、落語立川流は東京の定席寄席(浅草演芸ホール・鈴本演芸場・新宿末廣亭・池袋演芸場)で定席興行を打つことができない。代わって永谷商事が所有するホールなどでの活動が中心となっていたが、2024年より永谷商事の寄席への出演機会が大幅に削減されることとなった。また、同じ経緯で都内の定席に出演できない五代目円楽一門会の「両国寄席」(毎月お江戸両国亭で行われる定席興行)への賛助出演(ぜん馬、志遊のみ出演)や、2017年11月以降、不定期に主に新宿末廣亭や池袋演芸場の落語芸術協会定席興行への客演(1名交互出演の形で顔付けられる)を含めた他流への出演、浅草東洋館で行われる東京演芸協会およびボーイズ・バラエティー協会の定席興行にも1~2名程度出演する。

ただし「余一会」(1~7月の奇数月および8・10月の31日に、各定席寄席で行われる特別興行)などでは、事実上落語協会の専用定席となっている鈴本を除き、出演の制約を受けないため「余一会」として、立川流の一門会が行われることもある。

一方、生前の談志を始め、志の輔、談春、志らく、生志、談笑といったいわゆる「売れっ子」たちは、自分の独演会を積極的に開くことを主要な活動としている。他の者が出演する場は、主に立川流の一門会であり、いわば彼らの定席である。

立川流日暮里寄席
「日暮里サニーホール」で毎月2日間開催されている一門の定期興行。夜席。前座から真打まで一門の噺家が複数出演する。一般2,000円
立川流広小路寄席(昼席・夜席)
「お江戸上野広小路亭」で毎月開催されている一門の定期興行。前座から真打まで一門の噺家が複数出演、昼席のみ色物が入る。2024年1月より毎月昼席1日のみの開催となり、夜席は終了となる(夜席の代替として「立川流特選落語会」を開催)。一般2,000円
立川流日本橋寄席
「お江戸日本橋亭」で毎月2日間開催されている一門の定期興行。昼席。前座から真打まで一門の噺家が複数出演する。2023年12月をもって終了。一般2,000円
立川流すがも亭(2023年11月~)
「スタジオフォー」(東京・巣鴨)で毎月2日間開催。昼席。前座から真打まで一門の噺家が複数出演する。前売 2,000円
立川流いろは寄席(2023年11月~)
「梶原いろは亭」(東京・上中里)で毎月2日間開催。昼席。前座から真打まで一門の噺家が複数出演する。前売 2,000円
池袋東口・立川流みないけ座夜席(2024年1月~)
新たに豊島区南池袋の「コミュニティスペースminaikeZa」で毎月2日間開催される。前売2,000円
新宿永谷若手道場
歌舞伎町「永谷フリースタジオ新宿Fu-+」で毎月開催されている一門の定期興行。主に二ツ目クラスの一門の噺家が複数出演する。2023年12月をもって終了。1000円
荒川区防犯寄席
荒川区が防犯イベントとして年数回開催する無料の寄席。立川流専門ではないが、立川流一門の出演が圧倒的に多く、真打クラスも多く出演している。
立川流マゴデシ寄席(2017年1月17日~2023年12月27日)
こしら・志ら乃以下の談志の孫弟子世代にあたる立川流の若手落語家により、原則毎月17日と月末(2022年1月より追加)、お江戸上野広小路亭で開催される落語会。
立川流10日月例千里寄席
2022年2月スタート。出演者は孫弟子世代の二ツ目4人。毎月10日19時より、ばばん場(東京・高田馬場)で開催。
立川流落語会
2008年から、国立演芸場の特別企画公演として毎年5月末に2~3日連続で行われている寄席形式の落語会。色物[注釈 10]を除いては立川流の落語家のみが出演している。近年は、弟子・孫弟子などの真打披露も兼ねることが多い。2023年10月以降の国立演芸場の建て替えに伴う代替として、2024年5月は渋谷区文化総合センター大和田の6階伝承ホールで行われる[11]
2006年、衆議院議員の稲葉大和[注釈 11]に弟子の国立演芸場への出演を依頼した談志の意を汲み、立川流顧問である吉川潮と所属事務所社長の松岡慎太郎が、文部科学大臣の小坂憲次(故人)と文化庁文化部長だった寺脇研(肩書はいずれも当時)を通して立川流落語家の国立演芸場の定席への出演を陳情したが、落語協会と落語芸術協会側に打診した演芸場側から難しい[注釈 12]という返事が1年後にあり、結果、2008年から一門のみ出演する落語会がスタートした[12]。談志生前からの企画ではあるが、談志本人の出演はなかった。
このほか、毎年8月の新宿末廣亭余一会(8月31日)が「立川流一門会」となっている。
談志まつり
談志の命日の11月21日に合わせて、談志の直弟子を中心に2023年まで有楽町よみうりホールで複数日開催された追善のホール落語会。談志ゆかりのゲストを多数招き、トークなども入ったにぎやかな内容だった。会の企画制作は談志役場、公演主催は落語立川流・夢空間ほか。談志の13回忌を機に終了した[13]
傳志会(2017年3月31日~2021年11月29日)
志の輔・談春・生志・雲水によるイイノホールでの落語会。会において「立川流」と名乗ってはいないが、毎回この4人以外は登場しない。落語会の運営はサンライズプロモーション東京。

顧問

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立川流設立時、権威付けの意味合いで、談志と親しい、格上ないし惚れ込んだ著名人に名を貸してくれるよう頼んだのが始まり。その名残から名義だけ(森繁久彌ほか)のものもいれば、昇進試験の際の審査も行うもの(野末陳平吉川潮ほか)まで多様であった。特に元顧問の吉川は、談志が全面的に信頼を寄せていたため、談志に対する発言力が大きく(二代目快楽亭ブラックの除名を決めたのは吉川とされる)、事実上の筆頭顧問として立川流の運営に関わっていた。談志没後「お別れの会」で弔辞を述べたのは共に顧問である山藤章二石原慎太郎である。談志没後の顧問の追加はなく、具体的な影響力はほぼなくなったものの、存命者は一門からは顧問として遇されている。

元顧問

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  • 吉川潮(演芸評論家、2014年辞任)

組織構成

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立川流はA・B・Cの3コースがあったが、のちに廃止(時期は不明)。Aコースは落語家、Bコースはビートたけし他の芸能人を中心とする有名人、Cコースは一般人で構成され、それぞれ昇進基準が異なっていた。

昇進基準

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Aコースの職業落語家は噺のほか、舞踊などの修得が必修とされ、家元の面前での試験により昇進の可否が決定される。B・Cコースの基準はそれに比して緩やかである。Bコース初の真打は、1988年11月昇進の立川藤志楼こと高田文夫であった。

Aコースの弟子は、

  • 二つ目昇進は、落語50席と都々逸長唄かっぽれなどの歌舞音曲
  • 真打昇進は、落語100席と歌舞音曲

の修得が求められる。2012年6月の新体制発足以後は、前座修行が最低3年必要になった(入門からわずか1年半で、新体制発足直前に二つ目に昇進した談笑門下の立川吉笑のような例が今後なくなる)。家元である談志は昇進の条件として「持ちネタが2席でも、客を爆笑させることができればよい」ともしていたが、その基準をクリアできる弟子はいないのが現状である。以上のように実力主義のため、落語協会、落語芸術協会のような入門順などは基本考慮されていない。2023年5月5日より、立川流初の女性落語家である立川こはる改メ立川小春志(立川談春門下)が同派としては初めて女性で真打に昇進した[14]

2002年5月、「二つ目への昇進意欲が感じられない」として、一門の前座6名が破門を言い渡された。これにより前座が1名になってしまったため、翌月に立川談吉(現:立川小談志)が立川談一の名で復帰。2003年5月、復帰試験が行われ立川談修のみが合格。不合格となった立川志加吾と立川談号は2003年8月に名古屋を拠点とする雷門小福門下に移籍し、それぞれ雷門獅篭雷門幸福(現:登龍亭獅篭、登龍亭幸福)となった。2004年1月、立川キウイ立川談大(2010年死去)は、一門の新年会席上で再度復帰試験を受ける。判断に窮した談志は立川流真打達に判断を一任。厳しい意見が相次いだが、二つ目ではなくあくまでも前座としての復帰という条件を談志が提示、談志の意を汲んだ談四楼、志の輔らの音頭によって、ようやく一門復帰を許された。

また、2019年5月、立川志らく門下の二つ目7人について全員を前座に降格とした。これは、志らくが主宰する劇団の稽古に一門の弟子たちが一度も見学に来なかったことを理由に「弟子が師匠に対して興味がないのなら弟子である必要はありません」としている。この中には同年夏に真打昇進が決定していた立川志獅丸や、3月に二つ目に昇進したばかりの立川志ら鈴も含まれているが、いずれも期間を決めた上(志獅丸は真打昇進の前日まで)での前座再修行としている[15]。その後、同年7月1日付で志獅丸は真打に昇進(形式上、異例の前座からの真打昇進)となり、志奄、らく兵、らく人、がじらの4名が二ツ目へ復帰した(志ら門、志ら鈴は「二ツ目に昇進したばかり」との理由でこの時点で二ツ目に復帰できなかったが、2020年1月1日付で二つ目に復帰した)[16][17]

構成員

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家元

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  • 立川談志(2011年死去。落語立川流家元 死去時は真打)

談志の死去後、家元は廃止された。

旧Aコース(弟子)

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香盤順[18]

真打

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二ツ目

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前座

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  • 立川笑王丸
  • 立川のの一
  • 立川志音
  • 立川談声
  • 立川公四楼
  • 立川談九

故人

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破門・廃業・除名・退会等(主なもの)

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  • 立川談志門下
  • 桂文字助門下
    • 桂文字ら
  • 立川談四楼門下
    • 立川康四楼
    • 立川長四楼
    • 立川語楼
    • 立川琉四楼
  • 立川志らく門下
    • 立川らく丸
    • 立川らく吉
    • 立川こらく
    • 立川らく坊
    • 立川らくみん
    • 立川うぉるたー(2017年より落語家休業中。志らくから「タコ太郎」の芸名をもらい、酒井莉加(志らく夫人)主宰の劇団「謎のキューピー」で役者としての活動は続けていたが、2020年、一門サイトから名前が消えた)
    • 立川らく葉
    • 立川怒志
    • 立川らく者
    • 立川志ら松
  • 立川志の輔門下
  • 立川談春門下
    • 立川はる一
    • 立川春太
    • 立川はるく
    • 立川春吾
    • 立川春樹
    • 立川春松
    • 立川はるか
    • 立川春太郎
    • 立川春来
    • 立川ちはる
    • 立川春次郎
  • 立川談笑門下
    • 立川笑吾
    • 立川笑笑
    • 立川笑坊
    • 立川笑ん
    • 立川錦笑
  • 立川談修門下
    • 立川花修

移籍

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談幸一門の落語芸術協会移籍の際に、芸協での香盤は談幸は2年間は「準会員」として扱われており、2017年1月に「正会員」となった後も芸協の香盤では真打でも別枠として扱われた。2019年6月より香盤に入れられ、2016年真打昇進者の下に列せられた。一方で師とともに移籍した吉幸、幸之進は離脱時点で立川流二ツ目であったが、芸協では吉幸は1年間、幸之進は2年間前座修業の期間を改めて課された。
他流ではあるものの、特に吉幸は立川流で約10年近い前座修業に加え、その後二ツ目を7年経験しており、その者に改めて前座の修業を課した事には業界でも物議を醸し、立川志らくは自身のブログで「彼を前座に戻すということは、芸術協会は立川流を認めていないことになる。つまり談志を否定していることになる」と芸協を痛烈に批判している(後に削除した)[22][注釈 13]。その後、吉幸は芸協移籍後の2019年5月上席より真打に昇進しており、芸協移籍後4年(芸協で二ツ目昇進から3年)で真打に昇進していることから、立川流での修業期間も反映されたと考えられている[注釈 14]。幸之進は2025年5月上席の真打昇進を予定している。

旧Bコース(談志が認めた有名人)

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☆は真打昇進している(昇進披露を行った)者。

故人

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除名 (主なもの)

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Bコースメンバー整理の際に除名された主な人物。

旧Cコース (談志が認めた一般人)

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  • 立川久蔵
  • 立川呑志
  • 立川志隆(現・濱乃志隆)
  • 立川七志
  • 立川朝志
  • 立川談二三
  • 立川新談
  • 立川談地妻
  • 立川抜志
  • 立川志長
  • 立川談薬
  • 立川志ん朝
  • 立川小龍包
  • 立川談茶可
  • 立川談我良
  • 立川成行
  • 立川堅志
  • 立川談骨
  • 立川久六
  • 立川志ん介
  • 立川旭志
  • 立川小ミチ
  • 立川凡志
  • 立川清志楼
  • 立川談ペット
  • 立川談々丸
  • 半澤伸
  • 福田浩章
  • 大久保祐司
  • 小笠原慎治
  • 宝田一夫
  • 中村雅則
  • 谷野幸二
  • 吉田章
  • 大橋薫
(立川平林はCコースからの入門)

系図

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  • 現在Aコースに所属しているものを列記した(破門や脱会したものは含まない)。
  • 順は香盤ではなく、入門順である。真打は太字、前座は小文字で示した。
  • †印は物故者、名跡の後の数字は代数を表す。
  • 小談志、平林、談吉は談志門下だったが、談志の死去により移籍した。その後、談吉は左談次の死去により、さらに移籍した。
立川談志(7)
 
土橋亭里う馬(10)
 
 
 
 
 
 
 
立川左談次
 
立川左平次
 
 
 
 
 
 
 
立川談四楼
 
立川わんだ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川寸志
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川だん子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川只四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川半四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川談声
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川公四楼
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川談九
 
 
 
 
 
 
立川ぜん馬(6)
 
 
 
 
 
 
立川龍志
 
立川小談志(2)
 
 
 
 
 
 
 
立川談之助
 
 
 
 
 
 
立川志の輔
 
立川晴の輔
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の八
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の春
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志のぽん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の彦
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の太郎
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の麿
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志の大
 
 
 
 
 
 
立川文都(6)
 
 
 
 
 
 
立川談春
 
立川小春志
 
 
 
 
 
 
 
立川志らく
 
立川こしら
 
立川かしめ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら乃
 
立川のの一
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ゑん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら玉
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく朝
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく次
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らべ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志獅丸
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく兵
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川がじら
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく人
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら鈴
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川うぃん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志ら門
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川らく萬
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志らぴー
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川志音
 
 
 
 
 
 
立川生志
 
立川生九郎
 
 
 
 
 
 
 
立川雲水
 
 
 
 
 
 
立川志遊
 
 
 
 
 
 
立川談慶
 
立川平林
 
 
 
 
 
 
 
立川キウイ
 
 
 
 
 
 
立川談笑(6)
 
立川吉笑
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑二
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川談洲
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑えもん
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
立川笑王丸
 
 
 
 
 
 
立川談修
 
立川談吉
 
 
 
 
 
 
 
立川談大
 

上納金制度

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かつて入門者は、家元への上納金の納付が義務付けられていた。家元が亡くなり、理事会制度となったため、現在は廃止されている。

Aコース
入会金10万円。前座・見習・二つ目は月2万円、真打は月4万円(ただし、真打で会費総納入額270万円に達した者は満了となる)。
Bコース
入会金10万円。月々2万円。
Cコース
入会金2万円。月々5千円。

※2001年6月より

滞納者の弟子に対する厳しい処遇

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2000年8月、滞納者が多数いる事が発覚した。談志は滞納者に破門を申し付けたが、滞納分の同額から3倍の支払いを条件に復帰を承認する。支払い不能であった立川談々・國志館・志っ平・小談林は、そのまま破門された。國志館は五代目三遊亭圓楽門下に移り三遊亭安楽となり、現在は全楽を名乗る。志っ平は十代目桂文治門下に移籍し前助、文治没後柳家蝠丸門下となって二つ目に昇進、柳家小蝠となった(その後2014年真打昇進、2018年1月に死去)。小談林は色物に転向、のちに落語芸術協会にバイオリン漫談「マグナム小林」として加入している。

立川流に関する書籍・文章

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談志健在時・談志没後・談志13回忌に出版された以下の3冊は、表紙デザインや弟子が各自文章を書くなどのフォーマットが共通している。

  • 立川談志+落語立川流一門「談志が死んだ──立川流はだれが継ぐ──」(講談社、2003年)
  • 立川談志+落語立川流一門「増補版 談志が死んだ ―立川流はだれが継ぐ」(dZERO、2013年12月)
  • 立川談志+落語立川流一門「シン・談志が死んだ 立川流はどこに行く」(小学館、2023年11月)

弟子・一門・関係者による書籍

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  • 立川志加吾「風とマンダラ」(1)~(4)(講談社、モーニングワイドコミックス、2000年~2001年) 、※ 電子書籍版複数あり。
  • 吉川潮「戦後落語史」(新潮新書、2009年)
  • 立川談四楼「談志が死んだ」(新潮社、2012年)、講談社刊の同名とは別内容。
  • 立川談之助「立川流騒動記」(2012年6月、ぶんがく社
  • 広瀬和生「談志亡きあとの立川流」 (「21世紀落語史」第79回、2019.9.19、本がすき。(光文社))
  • 立川談慶「談志語辞典」(2019年、誠文堂新光社
  • 吉川潮「いまも談志の夢をみる 落語立川流、家元と顧問の五十年」(2022年、光文社
  • 立川談志・落語立川流一門 「シン・談志が死んだ」(2023年11月、小学館

脚注

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注釈

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  1. ^ 談志自身は「五代目」を称している。立川談志 (名跡)#7代目が5代目を自称した経緯を参照。
  2. ^ 定席とは、年間ほぼ毎日演芸を開催している寄席の通常興行のこと。狭義における東京(江戸)落語の定席は鈴本演芸場新宿末廣亭浅草演芸ホール池袋演芸場の4席で、広義として国立演芸場を含む場合もある。立川流が通常出演不可という意味は「狭義」の4席に当たる。
  3. ^ 談之助以外の著名な例として2020年2月19日神田伯山の真打昇進襲名披露興行に立川志らくが出演した他、2021年2月桂宮治の真打昇進披露興行には立川談春、談笑が出演している。
  4. ^ 両演芸場ともいわゆる江戸落語の寄席の定義から外れている。
  5. ^ 初代司会者であった立川談志の出演時期は、落語立川流創設前の落語協会在籍時であった。
  6. ^ 同番組で不定期に放送される真打昇進披露口上も他流派と合同で行われるほか(但し、口上で恒例となっている新真打の師匠や関係者の出演は無い)、地上波や派生番組(『笑点 特大号』等)で行われる「若手大喜利」には立川流の落語家も出演している。
  7. ^ 二番弟子の三遊亭さん生(後の川柳川柳)と三番弟子の三遊亭好生(後の春風亭一柳)。師の圓生との関係が悪化していたことから、三遊協会に加わらない判断をしており、圓生からは破門されて高座名の強制返却となり、それぞれ改名の上で他の一門(川柳は小さん、一柳は八代目林家正蔵)の客分となった。
  8. ^ すなわち、それまでは志ん朝、圓楽、談志であった香盤順を、談志、圓楽、志ん朝に入れ換えようと目論んだ。談志が決行直前に新団体設立の動きから離脱したのは、新団体における志ん朝の香盤を談志の下にすることを圓生が拒否したためと、談志本人も認めるところである。
  9. ^ この「温情」については北村銀太郎の圧力が働いていた。復帰者の処罰(香盤降下)を検討していた小さんに対し、北村は幹部側にも落ち度があったとして協会執行部の総辞職を要求している。また、圓楽とともに「騒動」の首謀者でありながら、直前に裏切って勢力を温存した談志を牽制する小さん派の協会幹部の思惑も含まれていたとされる。
  10. ^ 立川ぜん馬の妻である歌手のさこみちよが「江戸の唄」の演目で色物として出演する(前出の「余一会」では常連となっている)ほか、松元ヒロ(スタンドアップコメディ)、柳家小菊(粋曲、夫は元立川流顧問の吉川潮)、元立川流Aコースの落語家であったマグナム小林(ヴァイオリン漫談)、東京ボーイズ米粒写経などが顔付けされた事がある。また過去には高田文夫が「立川流の落語家」ではなく「漫談」で出演したほか、落語立川流顧問の野末陳平や談志と親交の深い毒蝮三太夫も出演したこともある。
  11. ^ 落語立川流顧問であった元衆議院議員で法務・文部大臣を歴任した稲葉修(故人)の息子。
  12. ^ 演芸場側の責任者から「立川流の落語家を定席の仲入り前と主任として出演させたければ、落語協会と落語芸術協会からの許可をそちら(立川流)で直接もらってください(つまり「立川流が両協会に直接頭を下げてください」というお願い)」という難題を突き付けられ、出演を断念した。
  13. ^ 一方で師である談幸や吉幸本人は、改めての前座修業について肯定的なコメントをしている。吉幸は「お茶くみ一つとってもやり方が違う。(立川流は)太鼓をたたく機会が格段に少なかった。システムが違うしやって良かったと思います」と語っている[22]。なお、談幸は立川流に移籍する前の落語協会在籍時に約4年間、定席寄席での前座修業を経験している。
  14. ^ 通常は二ツ目昇進後約10年が真打昇進の基準[23]とされる。
  15. ^ のちに、立川談春の落語会に出演してからは「立川梅春(たてかわばいしゅん)」に改名して落語を何度か口演している。
  16. ^ Aコース「立川談かん」からビートたけし門下へ移籍、改名後、1986年2月にBコースへ再入門、そのまま「ダンカン」を名乗る。
  17. ^ 師匠の談志から芸名を付けてもらうにもネタが尽きたらしく(師匠曰く『直木賞作家に敬意を表して』と)、師匠から「芸名は自分で考えて来るように」と言われ困っていたところ、新宿駅でふと見た中央線快速の行き先表示『立川・八王子方面』に、コレだと思って芸名にした、という[24]。景山本人もざこば・鶴瓶らくごのごのゲスト出演の際に立川八王子の由来を同じように語っている。
  18. ^ 1990年頃に所属。既に円楽一門会所属の落語家ではあったが、プロ落語家としての二重加盟を避ける意味で著名人枠のBコースにも所属していた。三遊亭円楽_(6代目)#人物・逸話を参照。
  19. ^ (1940年5月15日 - 2022年3月11日)静岡県沼津市出身。1972年立川談志に色物弟子として入門「立川文志」。弟子に立川談文(本名:三浦淳一、1968年 - )、「談文」の命名は立川談志。文志没後は江戸文字(有)文志の代表を務める。

出典

[編集]
  1. ^ “落語立川流:家元制度廃止 今後は理事会が意思決定”. 毎日jp. (2012年6月7日). オリジナルの2012年7月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/M1c1 2012年6月7日閲覧。 
  2. ^ 「笑点」新メンバーに立川晴の輔さん 日テレ”. 時事通信 (2024年4月7日). 2024年4月8日閲覧。
  3. ^ a b c 「落語立川流」が一般社団法人に 代表に志の輔”. 中日新聞 (2024年6月18日). 2024年6月19日閲覧。
  4. ^ a b 「落語立川流」が一般社団法人に、代表に立川志の輔さん就任…「登記の日は6並びにこだわった」」『読売新聞』2024年6月20日。
  5. ^ a b c d 構成=田中愛子 著、佐藤友美 編『東京かわら版 令和六年7月号「落語立川流法人化へ!代表 志の輔に聞く」』東京かわら版、2024年6月28日、29頁。ISBN 9784910085494 
  6. ^ 立川流の新年会 談志を喜ばせることが最大の験担ぎだった - NEWSポストセブン 2021年1月2日
  7. ^ 立川こしら (2024年1月3日). “落語立川流新年会2024”. youtube. 2024年1月4日閲覧。
  8. ^ 佐藤友美 編『東京かわら版2024年8月号 50年前、何してた(第10回)』東京かわら版、2024年7月28日。ISBN 9784910085500 
  9. ^ 佐藤友美 編『東京かわら版 令和六年7月号 演芸界最新情報TOPICS「落語議員連盟、動く」』東京かわら版、2024年6月28日、30頁。ISBN 9784910085494 
  10. ^ 立川談春(@tatekawadansyun) (2024年6月20日). “生まれてはじめてリポストした。”. X. 2024年6月23日閲覧。 “いまのところ会見の予定はなし。東京かわら版に代表のコメントが載り記事が掲載される予定。”
  11. ^ 5月特別企画公演「立川流落語会」【渋谷区文化総合センター大和田6階伝承ホール】 - 独立行政法人 日本芸術文化振興会
  12. ^ 吉川潮『談志歳時記』新潮社、2012年11月21日、168 - 170,192 - 193頁。ISBN 9784104118076 
  13. ^ 立川生志(@officePUKUPUKU). “5日福岡から立川流日暮里寄席へ”. X. 2024年11月6日閲覧。 “昨年までは直弟子で追善公演をやっていたが13回忌を機に公演を一区切り。”
  14. ^ <芸道まっしぐら>立川流初、女性真打ちへ 落語家・立川こはる (日本語) - 東京新聞 TOKYO Web 2023年2月24日
  15. ^ 立川志らく、二つ目の弟子全員を前座に降格処分 (日本語) - 日刊スポーツ 2019年5月21日
  16. ^ 立川志らく、志獅丸を真打ちに昇進「戻さないといろんな人に迷惑がかかる」 (日本語) - SANSPO.COM 2019年7月14日
  17. ^ 立川志らくの弟子、志ら鈴と志ら門が二つ目復帰!新年の節目に決断 (日本語) - SANSPO.COM 2020年1月1日
  18. ^ 東京かわら版編・東西寄席演芸家名鑑。
  19. ^ 立川談四楼 [@Dgoutokuji] (2015年10月21日). "立川談四楼さんはTwitterを使っています: 「文字助が立川流を離脱すると言う。ほう、隠居ですな。そりゃいい、祝儀不祝儀の義理から開放されますよ。違う、立川流を辞めて文字助組を結成し、組長になるんだ。組長? 流行りだけど子分はいるの? 飲み友達が子分だ。組長という発想は分からないが、一門に迷惑をかけているとの自覚はあるようだ。」 / Twitter". X(旧Twitter)より2022年11月9日閲覧
  20. ^ 井上正弘 編『落語 第30号 最新東西全落語家名鑑』弘文出版、1990年11月1日、29頁。 NCID AN10301576 
  21. ^ “立川談幸、立川流を脱退 談志の内弟子、落語芸術協会へ”. 朝日新聞. (2014年12月28日). http://www.asahi.com/articles/ASGDM563WGDMUCVL01C.html 2014年12月28日閲覧。 
  22. ^ a b 真打ち目前で前座に逆戻り 数奇な運命を歩んだ立川吉幸が来年5月に真打ち昇進決定 - スポーツ報知 2018年8月6日
  23. ^ 落語家の階級 - 落語ってなに? - 落語はじめの一歩 - 落語芸術協会
  24. ^ 立川談四楼のツイッター - 2019年7月18日閲覧
  25. ^ 佐藤榮子. “夫 立川文志儀 かねてから自宅療養中でございましたが 去る3月11日に永眠いたしました(享年81)”. 江戸文字の文志. facebook. 2022年7月22日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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