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第3期王将戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第3期 王将戦
開催期間 1953年 - 1954年2月13日
前王将 大山康晴(初)
第3期王将 大山康晴(2期目)
リーグ
リーグ
0 残留
升田幸三 / 原田泰夫 / 高柳敏夫 / 二上達也
リーグ
0 陥落
塚田正夫 / 小堀清一 / 丸田祐三 / 板谷四郎
王将戦
第2期第4期 >
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第3期王将戦(だい3きおうしょうせん)は、1953年度王将戦である。

概要

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今期の挑戦者を決める挑戦者決定リーグ戦は、シードの棋士5名と予選通過者3名の合計8名で行われた。シードの棋士は、前期の被挑戦者決定戦で敗れた升田幸三八段、七番勝負で敗れた丸田祐三八段、リーグ成績上位の小堀清一八段、塚田正夫九段、板谷四郎八段。予選を勝ち抜いた棋士は、原田泰夫八段、高柳敏夫八段、二上達也六段[1]

挑戦者決定リーグ戦の結果は、升田幸三八段が6勝1持将棋の成績で挑戦権を獲得した[1]。なお、大山康晴が王将と名人を独占していたため、被挑戦者決定戦[注 1]は実施されなかった。

王将戦七番勝負は、大山康晴王将が升田幸三八段に4勝2敗で制した。タイトル防衛を果たした大山は、2期連続2期目の王将位獲得となった[1][4][5]

第3期王将戦七番勝負

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対局者 第1局 第2局 第3局 第4局 第5局 第6局
1953年
12月2日・3日
1953年
12月10日・11日
1953年
12月23日・24日
1954年
1月10日・11日
1月23日・24日
1954年
2月3日・4日
1954年
2月12日・13日
大山康晴王将 王将位防衛
升田幸三八段

挑戦者決定リーグ

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挑戦1名・陥落4名

順位 棋士 備考 升田 原田 高柳 二上 塚田 小堀 丸田 板谷
升田幸三八段 6 0 1 挑戦
原田泰夫八段 5 1 1
高柳敏夫八段 4 3 0
二上達也六段 3 3 1
塚田正夫九段 3 3 1 陥落
小堀清一八段 3 4 0 陥落
丸田祐三八段 2 5 0 陥落
板谷四郎八段 0 7 0 陥落

残留決定戦

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残留決定戦
二上達也六段
塚田正夫九段

二次予選

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二次予選は、第8期順位戦時点のA級棋士7名と一次予選の勝者9名によるトーナメント戦で、リーグ戦に進出する3名を決定した[1]

一次予選から勝ち上がった棋士には、★を表記する。

1回戦 2回戦 決勝
大野源一八段
大野
加藤恵三六段
二上達也六段 リーグ入り
灘蓮照八段
二上
二上達也六段
南口繁一八段
南口
五十嵐豊一八段
高柳敏夫八段 A
高柳敏夫八段
高柳
高島一岐代八段
花村元司八段
花村
坂口允彦八段
原田泰夫八段 リーグ入り
原田泰夫八段
原田
熊谷達人六段
神田鎮雄六段
清野
清野静男七段
清野静男七段 B
金高清吉七段
金高
松田茂行八段

敗者復活

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決勝
A 高柳敏夫八段 リーグ入り
B 清野静男七段

一次予選

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一次予選は、第8期順位戦時点のB・C級棋士から、二次予選に進出する9名が決められた[1]


二次予選進出者

一次予選敗退者

脚注

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注釈

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  1. ^ 王将保持者と名人保持者の三番勝負により被挑戦者を決める制度[2][3]

出典

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  1. ^ a b c d e スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 14
  2. ^ スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 12.
  3. ^ スポーツニッポン新聞社他(2021), p. 16.
  4. ^ ALSOK杯王将戦 過去の結果”. 日本将棋連盟. 2021年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月13日閲覧。
  5. ^ 田辺(2006), pp. 260–261.

参考文献

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  • スポーツニッポン新聞社毎日新聞社日本将棋連盟『王将戦 70年のあゆみ』2021年2月8日。ISBN 978-4-910319-20-9 
  • 田辺忠幸『将棋 八大棋戦秘話』河出書房新社、2006年2月16日。ISBN 4-309-26870-6 

外部リンク

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