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角田三男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 角田三男 八段
1939年ごろ
名前 角田三男
生年月日 (1910-02-02) 1910年2月2日
没年月日 (1985-05-06) 1985年5月6日(75歳没)
プロ入り年月日 1934年10月1日(24歳)[注 1]
引退年月日 1985年3月(75歳)
棋士番号 13
出身地 鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町
所属 日本将棋連盟(関西)
→将棋大成会(関西)
→日本将棋連盟(関西)
師匠 木見金治郎九段
弟子 賀集正三
段位 八段
棋士DB 角田三男
順位戦最高クラス B級2組(1期)
2017年8月21日現在
テンプレートを表示

角田 三男(かくた みつお、1910年2月2日 - 1985年5月6日)は、将棋棋士。棋士番号13。鳥取県西伯郡岸本町[注 2](現・伯耆町)出身。木見金治郎九段門下。

生涯

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  • 第5期王位戦で予選を勝ち抜き、挑戦者決定リーグに進出。リーグ戦白組では1勝3敗に終わった。
  • 順位戦はB級2組に1期在籍。第37期順位戦昇降級リーグ4組(順位戦C級2組)は0勝10敗で3つ目の降級点がつき、リーグ陥落するも、1985年3月まで現役を続行した。
  • 1985年5月6日に死去。同日に八段を追贈。

弟子

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棋士

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名前 四段昇段日 段位、主な活躍
賀集正三 1956年1月22日 七段

エピソード

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  • 近代将棋』の講座で加藤治郎が「打ち歩回避のナラズは実戦ではない」と書いたところ、読者に1958年度C級1組順位戦12回戦、佐藤庄平五段-角田六段戦で74手目の△同角不成という実戦例があるという指摘がなされ、棋譜が注目されたことがある。
  • 「角田流ひねり飛車」(角田流空中戦法)と呼ばれる戦法の創始者。
  • 藤沢桓夫が『小説棋士銘々伝』において角田を主人公にした小説『角田流空中戦法』を著している。

昇段履歴

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  • 1929年00月00日: 入門
  • 1934年10月01日: 四段
  • 1948年04月01日: 五段
  • 1954年04月01日: 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1973年11月03日: 七段(表彰感謝の日表彰)
  • 1985年03月31日:引退
  • 1985年05月06日:死去(享年75)
    1985年0506同日:八段(追贈)

主な成績

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将棋大賞

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  • 第10回(1982年度) 東京記者会賞[3]

在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[4]
(出典)竜王戦
出典[5]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1947 1 不参加
1948 2 不参加
1949 3 C2 2-2
1950 4 C2 3-3
1951 5 C2 7-5
1952 6 C202 7-5
1953 7 C202 9-3
1954 8 C111 9-3
1955 9 B213 5-8
1956 10 C102 6-7
1957 11 C104 7-4
1958 12 C103 5-7
1959 13 C108 7-5
1960 14 C103 6-3
1961 15 C102 3-7
1962 16 C109 2-9
1963 17 C110 5-6
1964 18 C108 3-8
1965 19 C107 5-7
1963 20 C107 2-8
1967 21 C111 2-10
1968 22 C114 6-6
1969 23 C108 4-8
1970 24 C113 5-7
1971 25 C111x 4-8
1972 26 C117* 3-5
1973 27 C111*x 1-9
1974 28 C201 4-6
1975 29 C208x 3-7
1976 30 C218*x 3-7
1977 (第30期の翌期は第36期/第31-35期は回次省略)
1978 36 C224** 4-6
1979 37 C224**x 0-10
1980 38 F編
1981 39 F編
1982 40 F編
1983 41 F編
1984 42 F編
1985年3月31日引退 ( 棋戦創設前 )
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

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公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1947 7 5 2 0.7143
1948 5 2 3 0.4000
1949 6 3 3 0.5000
1950 13 7 6 0.5385
1951 13 7 6 0.5385
1952 20 14 6 0.7000
1953 19 12 6 0.6316
1954 19 5 14 0.2632
1955 27 13 14 0.4815
1956 26 19 7 0.7308
1957 26 11 15 0.4231
1958 18 9 9 0.5000
1959 20 10 10 0.5000
1960 18 5 13 0.2778
1961 20 4 16 0.2000
1962 17 6 11 0.3529
1963 26 12 14 0.4615
1964 31 14 17 0.4516
1965 21 5 16 0.2381
1966 25 8 17 0.3200
1967 22 10 12 0.4545
1968 24 9 15 0.3750
1969 28 13 15 0.4643
1970 30 15 15 0.5000
1971 20 6 14 0.3000
1972 24 4 20 0.1667
1973 26 9 17 0.3462
1974 27 9 18 0.3333
1975 24 7 17 0.2917
1976 13 3 10 0.2308
1977 23 6 17 0.2609
1978 19 2 17 0.1053
1979 12 2 10 0.1667
1980 12 2 10 0.1667
1981 9 0 9 0.0000
1982 8 1 7 0.1250
1983 14 3 11 0.2143
1984 17 3 14 0.1765
1985年3月31日引退

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ここでは四段昇段日をプロ入り日として扱う。なお、関西奨励会の創設は1935年であるため、当時は「初段昇段時から専門棋士として扱われていた」可能性がある。昭和9年(1934年)に大阪で升田幸三が初段になった頃までは、「初段からが専門棋士」だった[1]。その頃、それと並行して奨励会ができた(東京は昭和3年(1928年)、大阪は昭和10年(1935年))ことをきっかけに、「(奨励会を卒業して)四段からプロ棋士」という制度が確立していった[2]
  2. ^ a b ただし、岸本町は1955年成立であり、角田が生まれた時期には未成立。

出典

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  1. ^ 東公平『升田幸三物語』(日本将棋連盟)P.36
  2. ^ 加藤治郎原田泰夫田辺忠幸『証言・昭和将棋史』(毎日コミュニケーションズ)P.10、P.215-220
  3. ^ 将棋大賞受賞者一覧|棋士データベース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2024年8月4日閲覧。
  4. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  5. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。

外部リンク

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