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伊藤博文 (棋士)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 伊藤博文 七段
名前 伊藤博文
生年月日 (1960-02-08) 1960年2月8日(64歳)
プロ入り年月日 1984年8月1日(24歳)
引退年月日 2020年5月26日(60歳)
棋士番号 166
出身地 奈良県大和高田市
所属 日本将棋連盟(関西)
師匠 伊達康夫八段
弟子 西山朋佳藤井奈々
段位 七段
棋士DB 伊藤博文
戦績
通算成績 313勝498敗(0.3859)
竜王戦最高クラス 5組
順位戦最高クラス C級2組(16期)
2020年5月26日現在
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伊藤 博文(いとう ひろふみ、1960年2月8日 - )は、将棋棋士伊達康夫八段門下。棋士番号は166。奈良県大和高田市出身。

棋歴

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中学1、2年の頃、将棋クラブでアルバイトをして将棋に夢中になる[1]

1974年、14歳で奨励会に入会。初段昇段をしてからの2年間、二段に上がれず、退会まで考えた[1]。しかし、1980年8月に王位戦中原誠米長邦雄)の第4局の記録を務めた後に調子を上げ、その翌年から二段・三段と昇段していき、1984年8月に四段昇段(プロデビュー)を果たす。

1985年、第19回早指し将棋選手権の予選で、師匠の伊達との師弟対決で勝利。

1987年、第37回NHK杯戦で予選を勝ち抜き、本戦初出場。第48回(1998年)、第56回(2006年)でも本戦出場。

順位戦C級2組では初参加(1985年度・第44期)から5年間は24勝26敗のほぼ五分五分の成績を挙げるも、第49期(1990年度)第50期に2年連続で降級点を喫する。第51期(1992年度)は6勝4敗で勝ち越し、降級点を1つに戻す。第52期には8勝2敗・6位の成績を収め、これが伊藤にとって順位戦における最高成績となった。第55期(1996年度)第57期(1998年度)に降級点を喫して累計3点となり、フリークラスに降級。

2001年5月29日に順位戦復帰条件の一つである勝率の規定を満たし、C級2組へ復帰が決定。フリークラスからC級2組への昇格は伊奈祐介に次ぎ2例目[2]であるが、フリークラスへ降級後のC級2組復帰は史上初

しかしながら、復帰後すぐの第61期(2002年度)第62期(2003年度)に2年連続で降級点を取ったところで、2004年4月にフリークラス宣言によるフリークラス転出をした。

竜王戦は、第1期で5組からのスタート、以降、昇級も降級もない状態がしばらく続いたが、第20期(2007年度)に残留決定戦で敗れて6組降級。

第66回(2016年度)NHK杯将棋トーナメント予選・東西決勝で中村太地六段を破り、本戦トーナメントへ出場(10年ぶり4回目)。当年度出場者の最年長だったが、本戦1回戦で最年少の増田康宏四段に敗れた。

2020年3月末にてフリークラス在籍期限を満了。2020年5月26日の第33期竜王戦6組昇級者決定戦・今泉健司戦が公式戦最後の対局となり、同日付で現役を引退[3]

棋風

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  • 目立つ特徴はない。本人も相手により、さらに場合によっては対局に臨んで戦法を決めることがあると答えている[4]
  • アマチュアへの丁寧な指導で知られ、関西以外の地方にも気軽に指導に出向く。

人物

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棋士番号が前後する伊藤博文と小林宏は奨励会三段当時、1984年8月の第一例会の第1局でいずれも四段昇段を決めた。 東西で異なる例会日程のため四段昇段決定日は数日異なるが(伊藤は同年8月1日・関西、小林は同年8月3日・東京)[5]、 いずれも同時期の例会(8月第一例会)の第1局で昇段しており、「同じ時点での四段昇段」の事例は当時前例がなかった。 そのため、二人のどちらを昇段順(棋士番号)で先として取り扱うかが問題となった。

成績内容による判断なども検討された中、関東関西の異なる例会日を基にするのではなく、 同時四段昇段の二人を「登録順位決定戦」(非公式戦)で戦わせることになった[5]。この「登録順位決定戦」は1984年8月17日に東京・将棋会館で小林宏の先手(振り駒・持ち時間各90分)で行われ、120手で伊藤が勝利した[5]

この結果、昇段順は伊藤が先、小林が後となり、棋士番号は伊藤が166番、小林が167番となった。また、両者初参加となる第44期順位戦のC級2組の順位についても、伊藤(43位)、小林(44位)の順となった。

  • 森雞二九段は「終盤の魔術師」と呼ばれるが、伊藤は「終盤の話術師」と呼ばれる[1]
  • 2004年5月19日放送のテレビ番組「トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜」の企画で、安用寺孝功と史上初めて大局将棋の対局を行い[6]、計3805手、32時間41分で敗れた[7]。対局後に伊藤は「負けて悔しさはない」と語っている[7]
  • テレビ出演 NHK総合「日本人のおなまえ 同姓同名さんいらっしゃ~い!」(2021年5月20日)

弟子

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女流棋士

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名前 女流プロ入り日 段位、主な活躍
藤井奈々 2018年6月6日 女流初段
西山朋佳 2021年4月 1日 女流五段
永世女王、クイーン王将
白玲3期、女王7期、女流王座2期、女流名人1期、女流王将5期

(2024年5月12日現在)

昇段履歴

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  • 1974年00月00日 : 6級 = 奨励会入会
  • 1978年00月00日 : 初段
  • 1984年08月01日 : 四段 = プロ入り
  • 1991年04月08日 : 五段(勝数規定 /公式戦100勝
  • 2002年04月01日 : 六段(フリークラス規定)
  • 2017年04月01日 : 七段(フリークラス規定[8][9]
  • 2020年05月26日 : 現役引退(フリークラス棋士引退規定、通算313勝498敗、勝率0.3859)[3][10]

主な成績

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在籍クラス

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順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦
出典[11]
(出典)竜王戦
出典[12]
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1984 43 四段昇段前 第24期十段戦 予選敗退
1985 44 C243 6-4 第25期十段戦 予選敗退
1986 45 C219 3-7 第26期十段戦 予選敗退
1987 46 C237 4-6 1 5組 -- 2-2
1988 47 C235 4-3 2 5組 -- 1-2
1989 48 C236 7-3 3 5組 -- 3-2
1990 49 C208x 2-8 4 5組 -- 0-2
1991 50 C245*x 2-8 5 5組 -- 1-2
1992 51 C250**+ 6-4 6 5組 -- 2-2
1993 52 C220* 8-2 7 5組 -- 1-2
1994 53 C205* 5-5 8 5組 -- 2-2
1995 54 C219* 3-7 9 5組 -- 2-2
1996 55 C239*x 1-9 10 5組 -- 1-2
1997 56 C245** 5-5 11 5組 -- 1-2
1998 57 C224**x 1-9 12 5組 -- 2-2
1999 58 F編 13 5組 -- 3-2
2000 59 F編 14 5組 -- 2-2
2001 60 F編 15 5組 -- 1-2
2002 61 C241x 3-7 16 5組 -- 3-2
2003 62 C235*x 1-9 17 5組 -- 1-2
2004 63 F宣 18 5組 -- 1-2
2005 64 F宣 19 5組 -- 1-2
2006 65 F宣 20 5組 -- 0-3
2007 66 F宣 21 6組 -- 1-2
2008 67 F宣 22 6組 -- 4-2
2009 68 F宣 23 6組 -- 0-2
2010 69 F宣 24 6組 -- 3-2
2011 70 F宣 25 6組 -- 1-2
2012 71 F宣 26 6組 -- 0-2
2013 72 F宣 27 6組 -- 0-2
2014 73 F宣 28 6組 -- 3-2
2015 74 F宣 29 6組 -- 1-2
2016 75 F宣 30 6組 -- 1-2
2017 76 F宣 31 6組 -- 0-2
2018 77 F宣 32 6組 -- 2-2
2019 78 F宣 33 6組 -- 0-2
2020 2020年3月末でフリークラス期限経過 2020年5月26日 引退
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

年度別成績

[編集]
公式棋戦成績
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1984 0. [13]
1985 0. [14]
1986 0. [15]
1987 0. [16]
1988 0. [17]
1989 0. [18]
1990 0. [19]
1984-1990
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
1991 0. [20]
1992 0. [21]
1993 0. [22]
1994 0. [23]
1995 0. [24]
1996 0. [25]
1997 0. [26]
1998 0. [27]
1999 0. [28]
2000 0. [29]
1991-2000
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2001 0. [30]
2002 0. [31]
2003 0. [32]
2004 0. [33]
2005 0. [34]
2006 0. [35]
2007 0. [36]
2008 0. [37]
2009 0. [38]
2010 0. [39]
2001-2010
(小計)
年度 対局数 勝数 負数 勝率 (出典)
2011 0. [40]
2012 0. [41]
2013 0. [42]
2014 0. [43]
2015 0. [44]
2016 0. [45]
2017 0. [46]
2018 0. [47]
2019 0. [48]
2020 0. [49]
2011-2020
(小計)
通算 811 313 498 0.3859
2020年5月26日引退

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 将棋世界」2000年1月号付録。
  2. ^ 吉田正和四段、フリークラスからC級2組へ昇級|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2011年1月20日). 2019年6月8日閲覧。
  3. ^ a b 土佐浩司八段、伊藤博文七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2019年6月8日). 2020年6月9日閲覧。
  4. ^ 現役最後の対局も「今泉四段は振り飛車党なので対抗型では不利と思い相振り飛車にした」と述べている(日本将棋連盟・携帯中継(2020年5月26日
  5. ^ a b c 『近代将棋 1984年10月号』「駒と青春・将棋で決着を-登録順位決定戦-」(観戦記 湯川博士)」『国立国会図書館デジタルコレクション』157–165頁。
  6. ^ 「トリビアの泉」に伊藤六段・安用寺四段が出演”. 公益社団法人日本将棋連盟関西本部. 2012年4月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年2月26日閲覧。
  7. ^ a b フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 9』講談社、2004年。 
  8. ^ 昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2017年3月31日). 2019年6月8日閲覧。
  9. ^ フリークラス在籍年数が加味された上での昇段であるが、当該規定による昇段を2回経験した棋士は、伊藤が初めてとされる。
  10. ^ 「令和3年版 将棋年鑑 2021」p82.
  11. ^ 名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
  12. ^ 竜王戦」『日本将棋連盟』。
  13. ^ [1][名無しリンク]
  14. ^ [2][名無しリンク]
  15. ^ [3][名無しリンク]
  16. ^ [4][名無しリンク]
  17. ^ [5][名無しリンク]
  18. ^ [6][名無しリンク]
  19. ^ [7][名無しリンク]
  20. ^ [8][名無しリンク]
  21. ^ [9][名無しリンク]
  22. ^ [10][名無しリンク]
  23. ^ [11][名無しリンク]
  24. ^ [12][名無しリンク]
  25. ^ [13][名無しリンク]
  26. ^ [14][名無しリンク]
  27. ^ [15][名無しリンク]
  28. ^ [16][名無しリンク]
  29. ^ [17][名無しリンク]
  30. ^ [18][名無しリンク]
  31. ^ [19][名無しリンク]
  32. ^ [20][名無しリンク]
  33. ^ [21][名無しリンク]
  34. ^ [22][名無しリンク]
  35. ^ [23][名無しリンク]
  36. ^ [24][名無しリンク]
  37. ^ [25][名無しリンク]
  38. ^ [26][名無しリンク]
  39. ^ [27][名無しリンク]
  40. ^ [28][名無しリンク]
  41. ^ [29][名無しリンク]
  42. ^ [30][名無しリンク]
  43. ^ [31][名無しリンク]
  44. ^ [32][名無しリンク]
  45. ^ [33][名無しリンク]
  46. ^ [34][名無しリンク]
  47. ^ [35][名無しリンク]
  48. ^ [36][名無しリンク]
  49. ^ [37][名無しリンク]

関連項目

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外部リンク

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