大島映二
大島 映二 八段 | |
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名前 | 大島 映二 |
生年月日 | 1957年6月6日(67歳) |
プロ入り年月日 | 1976年10月1日(19歳) |
引退年月日 | 2015年3月12日(57歳) |
棋士番号 | 130 |
出身地 | 静岡県沼津市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 高柳敏夫名誉九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 大島 映二 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
竜王戦最高クラス | 3組 |
順位戦最高クラス | C級2組(28期) |
2020年4月1日現在 |
大島 映二(おおしま えいじ、1957年6月6日 - ) は、将棋棋士。高柳敏夫名誉九段門下。棋士番号は130。東京都品川区生まれ[1]、静岡県沼津市出身[2]。
棋歴
[編集]将棋を覚えたきっかけは、10歳ぐらいのときに新聞の将棋欄に書かれていた「不思議な数字」(棋譜)に興味を持ったことであり[1]、後にプロになる者としては、かなり遅いスタートであった。
しかしながら、1971年、14歳で奨励会に入り、5年後の1976年に19歳でプロ入りを果たす。
1980年度、若手の登竜門である若獅子戦(第4回)で、棋戦初優勝。
1989年度、第2期竜王ランキング戦4組で準優勝し、3組へ昇級。ちなみに、このときの4組優勝者は森下卓五段(当時)であった。
1991年度、第32期王位戦でリーグ入り。
順位戦では、初参加の第36期C級2組(1977年度)以来、昇級も降級点もなく第54期(1995年度)を迎えた。この期では、残り1局の時点で8勝1敗で4番手という絶好のポジションにつけた。ライバルは、大島より順位が下で9勝無敗の北浜健介、および、大島より順位が上で同じく8勝1敗の先崎学、中田宏樹の計3名であった。自力ではないものの、最終10回戦で勝てば昇級の可能性は高かった。しかし、最終局では大島だけでなくライバル3人もすべて勝ったため、大島は9勝1敗で次点という“頭ハネ”を食らってしまった。以降、順位戦で勝ち越すことが出来ず、第56期(1997年度)に2勝8敗で初の降級点を喫する。第61期(2002年度)に2勝8敗で2度目の降級点。第63期(2004年度)に3勝7敗で3度目の降級点を喫し、フリークラスに陥落した。その後10年間でC級2組復帰を果たすことができず、フリークラス引退規定により2015年3月12日付で引退となった[3]。
人物
[編集]- 趣味はラテン音楽、落語、俳句[1]。
- 大のプロレスマニアで、特に悪役レスラーが好み。若手時代にプロレスのために大金はたいてビデオデッキを購入し、棋士仲間や連盟職員が住みかに集まると、次々とプロレスビデオをかけるというほか、プロレス会場にいくと子供にまじってレスラーにサインをねだっていたという[5]。
昇段履歴
[編集]昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。
- 1971年奨励会入会 : 7級 =
- 1974年 : 初段
- 1975年 : 三段
- 1976年10月 : 四段(三段で12勝3敗) = プロ入り 1日
- 1984年 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝) 4月 1日
- 1989年 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝) 8月22日
- 2000年 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝、通算370勝) 3月 6日
- 2015年 : 引退(フリークラス規定) 3月12日
- 2020年 4月 1日 : 八段(引退棋士昇段規定)
主な成績
[編集]棋戦優勝
[編集]- 若獅子戦(1980年度 = 第4回)
- 優勝合計1回
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[6]
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竜王戦 出典[7]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1977 | 36 | C231 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C216 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | C220 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | C215 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | C204 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | C222 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C210 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C231 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C206 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C227 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C210 | 1 | 4組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C206 | 2 | 4組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | C212 | 3 | 3組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C213 | 4 | 3組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C217 | 5 | 3組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C221 | 6 | 3組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C219 | 7 | 4組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C214 | 8 | 4組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C203 | 9 | 4組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C221 | 10 | 4組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C240 | 11 | 5組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C226 | 12 | 5組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C226 | 13 | 5組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | C234 | 14 | 5組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C234 | 15 | 5組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | C230 | 16 | 5組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | C238 | 17 | 5組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | C233 | 18 | 5組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 5組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 5組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | F編 | 21 | 5組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | F編 | 22 | 6組 | -- | |||||||||||||
2009 | 68 | F編 | 23 | 6組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | F編 | 24 | 6組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | F編 | 25 | 6組 | -- | |||||||||||||
2012 | 71 | F編 | 26 | 6組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | F編 | 27 | 6組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | F編 | 28 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 現役勤続25年表彰(2001年)[8]
脚注
[編集]- ^ a b c 「将棋年鑑」平成10年版より。
- ^ “大島映二|棋士データベース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ “大島映二七段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2015年3月19日). 2017年8月26日閲覧。
- ^ a b 「将棋世界」2000年1月号付録より。
- ^ 能智映「フォークが顔にグサリ」棋士の楽しみ(最終回)プロレス(『将棋世界』1983年6月号)
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「第27回「将棋の日」感謝状・表彰状贈呈者(日本将棋連盟からのお知らせ)」『日本将棋連盟』。2001年11月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。