坪内利幸
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坪内利幸 八段 | |
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名前 | 坪内利幸 |
生年月日 | 1949年2月1日(75歳) |
プロ入り年月日 | 1970年4月1日(21歳) |
引退年月日 | 2009年3月31日(60歳) |
棋士番号 | 105 |
出身地 | 兵庫県神戸市 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 有吉道夫九段 |
段位 | 八段 |
棋士DB | 坪内利幸 |
戦績 | |
通算成績 | 509勝594敗(0.4615) |
竜王戦最高クラス | 4組(10期) |
順位戦最高クラス | C級1組(22期) |
2016年10月16日現在 |
坪内 利幸(つぼうち としゆき、1949年2月1日 - )は、将棋棋士。棋士番号105。兵庫県神戸市出身。有吉道夫九段門下。2009年3月31日引退[1]。
棋歴
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
第14期(1973年)王位戦で挑戦者決定リーグ紅組に出場したが、師匠の有吉道夫・有吉の師匠の大山康晴と「師弟3代」に亘る同時参戦となった(結果は4戦全敗でリーグ陥落)。
ひねり飛車を得意戦法とし、これにより若手時代の羽生善治・中村修に快勝したことがある。また、対ひねり飛車にも強く、若手時代の屋敷伸之を撃破したこともある。羽生との対戦はこの一戦(1990年・第56期棋聖戦一次予選)のみであり、記録上の勝率は「100%」である。また、当該対局は羽生が初タイトル(竜王)を獲得してから2戦目であり、タイトルホルダーとして初めて喫した黒星であった。
2009年3月31日、フリークラス棋士引退規定により引退した[1]。
昇段履歴
[編集]- 1964年奨励会入会 : 6級 =
- 1966年 : 初段
- 1970年 : 四段(旧三段リーグ東西決戦勝利〈 4月 1日1970年2月26日、田丸昇三段戦〉) = プロ入り [2]
- 1972年 4月 1日 : 五段(順位戦C級1組昇級)
- 1984年 4月 1日 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝〈制度新設・同年5月25日総会で決定〉、五段で242勝)[3][4]
- 1992年 7月 7日 : 七段(勝数規定/六段昇段後公式戦150勝)
- 2009年 3月31日 : 引退(フリークラス規定)[1]
- 2013年 4月 1日 : 八段(引退棋士昇段規定)[5]
主な成績
[編集]通算成績
[編集]- 1103対局 509勝594敗(勝率0.4615)[6]
主な記録
[編集]- 順位戦C級1組 連続在位(連続22期、第27期 - 第30期/第36期 - 第53期)[注 1]
- 順位戦の階級制度が現行のものとなった第7期以降では、日浦市郎(連続35期、第48期 - 第82期)に続く歴代2位の記録。 - 竜王戦 自己最高 4組(第1期=1987年度 - 第10期=1996年度)
- 第14期(1973年)王位戦挑戦者決定リーグ出場
- 第10回(1979年)新人王戦 準優勝(青野照市に2-0で敗北)
在籍クラス
[編集]開始 年度 |
順位戦 出典[7]
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竜王戦 出典[8]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1970 | 25 | C215 | ||||||||||||||||
1971 | 26 | C206 | ||||||||||||||||
1972 | 27 | C115 | ||||||||||||||||
1973 | 28 | C112 | ||||||||||||||||
1974 | 29 | C104 | ||||||||||||||||
1975 | 30 | C104 | ||||||||||||||||
(第30期の次期は第36期/31-35期は回次省略) | ||||||||||||||||||
1976 | 36 | C104 | ||||||||||||||||
1978 | 37 | C111 | ||||||||||||||||
1979 | 38 | C103 | ||||||||||||||||
1980 | 39 | C105 | ||||||||||||||||
1981 | 40 | C104 | ||||||||||||||||
1982 | 41 | C108 | ||||||||||||||||
1983 | 42 | C105 | ||||||||||||||||
1984 | 43 | C102 | ||||||||||||||||
1985 | 44 | C102 | ||||||||||||||||
1986 | 45 | C106 | ||||||||||||||||
1987 | 46 | C108 | 1 | 4組 | -- | |||||||||||||
1988 | 47 | C108 | 2 | 4組 | -- | |||||||||||||
1989 | 48 | C117 | 3 | 4組 | -- | |||||||||||||
1990 | 49 | C109 | 4 | 4組 | -- | |||||||||||||
1991 | 50 | C117 | 5 | 4組 | -- | |||||||||||||
1992 | 51 | C104 | 6 | 4組 | -- | |||||||||||||
1993 | 52 | C115 | 7 | 4組 | -- | |||||||||||||
1994 | 53 | C125 | 8 | 4組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C201 | 9 | 4組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C237 | 10 | 4組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C243 | 11 | 5組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C238 | 12 | 5組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C237 | 13 | 5組 | -- | |||||||||||||
2000 | 59 | F編 | 14 | 6組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | F編 | 15 | 6組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | F編 | 16 | 6組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | F編 | 17 | 6組 | -- | |||||||||||||
2004 | 63 | F編 | 18 | 6組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 6組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 6組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | F編 | 21 | 6組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | F編 | 22 | 6組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
表彰
[編集]- 第4回(1976年度) 連勝賞[注 2]
- 1994年 現役勤続25年
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c “2009年3月31日付引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 『近代将棋 1970年5月号』近代将棋社、1970年5月、169頁 。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1984年7月号「棋界ニュース・日本将棋連盟 新昇段者決まる」(1984年5月25日総会)』217頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ 『近代将棋 1984年8月号「棋界パトロール・新昇段制度」』183頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション収蔵
- ^ “2013年4月1日付昇級・昇段者|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 「現役棋士通算成績(2009年3月27日対局分まで)」『日本将棋連盟』。2009年3月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。