安西勝一
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安西勝一 七段 | |
---|---|
名前 | 安西勝一 |
生年月日 | 1963年7月2日(61歳) |
プロ入り年月日 | 1985年12月18日(22歳) |
引退年月日 | 2015年4月1日(51歳) |
棋士番号 | 174 |
出身地 | 東京都板橋区 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 佐瀬勇次名誉九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 安西勝一 |
戦績 | |
通算成績 | 283勝432敗(0.3958) |
順位戦最高クラス | C級2組(19期) |
2016年3月31日現在 |
安西 勝一(あんざい しょういち、1963年7月2日 - )は、将棋棋士。東京都板橋区出身。佐瀬勇次名誉九段門下。棋士番号174。
棋歴
[編集]- 羽生善治と同日に四段に昇段した(1985年12月18日奨励会例会にて)。
- 2004年4月より女流育成会幹事を務めた。(2009年3月末、女流育成会の廃止により退任)
- プロ入り以来、順位戦との相性が悪く、C級2組に19期在位して最終局まで昇級争いに残ったのは第50期(1991年度)のみ[1]、第63期(2004年度)で降級点の累積が3点となり、規定によりフリークラスに降級し、順位戦への参加資格を失った。その後10年以内の復帰は叶わず、2016年4月1日の第65期王将戦一次予選で石井健太郎に敗れたのを最後に現役を引退した[2]。
- 順位戦を除く棋戦では、コンスタントに実績を残している。第32期王位戦(1990年度)では予選を勝ち上がり挑戦者決定リーグに白組で出場。3回戦終了の時点でリーグ陥落が確定していたものの、最終戦でそれまで4戦全勝だった郷田真隆[3]に勝ち、郷田のリーグ全勝を阻止し中田宏樹とのプレーオフにもつれ込ませる[4]と同時に、自身のリーグ全敗を回避した。
棋風
[編集]- 振り飛車党であるが、居飛車も指しこなす。特に振り飛車を得意とする女流棋士に対しては、相振り飛車の採用が多い。
人物
[編集]昇段履歴
[編集]→昇段規定については「将棋の段級」を参照
- 1978年10月奨励会入会 : 6級 =
- 1981年 : 初段
- 1983年[7] 1月 : 三段
- 1985年12月18日 : 四段 = プロ入り
- 1991年 5月28日 : 五段(勝数規定/公式戦100勝、通算100勝)
- 2000年[8] 3月14日 : 六段(勝数規定/五段昇段後公式戦120勝、通算220勝)
- 2015年[2] 4月 1日 : 引退
- 2016年[9] 4月 1日 : 七段(引退棋士規定)
主な成績
[編集]在籍クラス
[編集]→竜王戦と順位戦のクラスについては「将棋棋士の在籍クラス」を参照
開始 年度 |
順位戦 出典[10]
|
竜王戦 出典[11]
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1986 | 45 | C248 | 7-3 | 第26期十段戦 予選敗退 | ||||||||||||||
1987 | 46 | C213 | 4-6 | 1 | 5組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1988 | 47 | C231 | 7-3 | 2 | 5組 | -- | 6-1 | |||||||||||
1989 | 48 | C214 | 7-3 | 3 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1990 | 49 | C206 | 6-4 | 4 | 4組 | -- | 5-2 | |||||||||||
1991 | 50 | C216 | 7-3 | 5 | 4組 | -- | 2-3 | |||||||||||
1992 | 51 | C209 | 6-4 | 6 | 4組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1993 | 52 | C217 | 5-5 | 7 | 4組 | -- | 1-4 | |||||||||||
1994 | 53 | C225x | 2-8 | 8 | 4組 | -- | 2-2 | |||||||||||
1995 | 54 | C243* | 5-5 | 9 | 5組 | -- | 4-2 | |||||||||||
1996 | 55 | C228* | 5-5 | 10 | 5組 | -- | 5-2 | |||||||||||
1997 | 56 | C226* | 4-6 | 11 | 5組 | -- | 0-3 | |||||||||||
1998 | 57 | C229* | 4-6 | 12 | 6組 | -- | 1-2 | |||||||||||
1999 | 58 | C233* | 4-3 | 13 | 6組 | -- | 4-2 | |||||||||||
2000 | 59 | C230* | 5-5 | 14 | 6組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2001 | 60 | C224* | 4-6 | 15 | 6組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2002 | 61 | C227* | 5-5 | 16 | 6組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2003 | 62 | C222*x | 1-9 | 17 | 6組 | -- | 1-2 | |||||||||||
2004 | 63 | C242**x | 2-8 | 18 | 6組 | -- | 2-2 | |||||||||||
2005 | 64 | F編 | 19 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2006 | 65 | F編 | 20 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2007 | 66 | F編 | 21 | 6組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2008 | 67 | F編 | 22 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2009 | 68 | F編 | 23 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2010 | 69 | F編 | 24 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2011 | 70 | F編 | 25 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2012 | 71 | F編 | 26 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2013 | 72 | F編 | 27 | 6組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2014 | 73 | F編 | 28 | 6組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2015 | 2015年3月末でフリークラス期限経過 | 2015年4月1日 引退 | ||||||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
年度別成績
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
年度 | 対局数 | 勝数 | 負数 | 勝率 | (出典) |
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2015 | 1 | 0 | 1 | 0.0000 | [12] |
通算 | 715 | 283 | 432 | 0.3958 | [12] |
2015年4月1日引退 |
著書
[編集]- 振り飛車党宣言2(共著、2003年8月、毎日コミュニケーションズ、ISBN 4-8399-1210-6)
脚注
[編集]- ^ 有森浩三と石川陽生の昇級が確定し、残り1枠が争われる状態で迎えた最終局、1敗で丸山忠久、2敗で丸山より順位が高かった中田功、安西、畠山鎮が昇級の可能性を残しており、安西は自身が勝ち、丸山、中田がいずれも負けていたらC級1組に昇級していたが、平藤真吾に敗れ脱落した。
- ^ a b “安西勝一六段が引退|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 郷田は翌期に史上最低段位(四段)で王位を獲得する。
- ^ プレーオフは中田が勝利、挑戦者決定戦でも中田が小林健二に勝利して、当時の王位・谷川浩司への挑戦者となったため、安西が郷田に与えた黒星は、結果的に王位戦七番勝負の歴史に大きな影響を与えたと言える。
- ^ 漫画「スラムダンク」に「安西先生」(本名は安西光義)という人物が登場する。
- ^ 棋士高橋道雄のはっぴーだいあり(2015.4.13ほか)
- ^ 「近代将棋 1983年4月号」『国立国会図書館デジタルコレクション』近代将棋社。
- ^ 『近代将棋 2000年6月号』162頁。
- ^ “昇段・引退棋士のお知らせ|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟. 2017年8月26日閲覧。
- ^ 「名人戦・順位戦」『日本将棋連盟』。
- ^ 「竜王戦」『日本将棋連盟』。
- ^ a b 『平成28年版 将棋年鑑 2016』80頁。