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1946年の政治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1946年の政治(1946ねんのせいじ)では、1946年昭和21年)の政治分野に関する出来事について記述する。

できごと

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「野坂参三歓迎国民大会」で壇上に立つ野坂参三(1946年1月26日日比谷公園で)
昭和天皇の全国巡幸が始まる(写真は2月1946年、横浜市に行幸した際の様子)。天皇は国民と直接接し、敗戦に打ちひしがれた国民は天皇を熱烈に歓迎した。
第22回衆議院議員総選挙後の党派別勢力図
  • 4月5日 - 東京で第1回連合国対日理事会が開催。
  • 4月8日 - 首相官邸徳田球一共産党書記長ら「国民代表」がデモ。
  • 4月10日 - 第22回衆議院議員総選挙
    • 日本自由党141議席、日本進歩党94議席、日本社会党93議席、日本協同党14議席、日本共産党5議席、諸派38議席、無所属81議席。
    • 初めて婦人議員38名が当選。内訳は日本社会党8名、日本進歩党6名、日本自由党5名、日本共産党1名、諸派9名、無所属9名。
  • 4月16日
    • 幣原首相、日本進歩党総裁に就任。政権維持を画策。
    • 社会党中央執行委員会。
  • 4月17日 - 社会党中央執行委員会、幣原内閣打倒のために自由党、協同党、共産党の各党と共同闘争実施方針を決定。
  • 4月18日 - 国際連盟が解散を決議。
  • 4月19日
    • 衆議院議長応接室で幣原内閣打倒共同委員会開催。幣原内閣の即時退陣の声明と決議文を作成。
    • 共同委員会代表の三木武吉、徳田球一、井川忠雄ら首相官邸に幣原首相を訪問。
  • 4月20日
  • 4月22日 - 幣原内閣総辞職。
  • 4月23日
    • 幣原首相、首相官邸に鳩山一郎自由党総裁と片山哲社会党書記長と個別に会談。第一党である自由党の鳩山首班で合意。
    • 自由党、鳩山首班による自由、進歩、社会三党の挙国連立内閣組閣の方針決定。
    • 河野一郎自由党幹事長、片山社会党書記長と会談。正式に連立政権参加を打診。
    • 社会党常任中央執行委員会、「首班か野党か」の方針を決定。
  • 4月24日
    • 片山社会党書記長、河野自由党幹事長に連立参加拒否を応答。河野は4回、片山を訪問。
    • 沖縄民政府発足。初代知事に志喜屋孝信
  • 4月25日
    • 河野・片山会談。自社共協4党共同委員会による時局収拾で合意。
    • 4党共同委員会開催。首班問題は自社両党で政策問題は4党小委員会で討議。
  • 4月26日
    • 社会党常任中央執行委員会、連立打ち切りを決定。
    • 4党小委員会決裂。
  • 4月27日
    • 鳩山・片山会談。片山書記長、自由党の単独内閣と個別政策の閣外協力を提案。
    • 自由党代議士会で鳩山総裁が公職追放疑惑を打ち消す声明。
  • 4月28日 - 河野自由党幹事長、自由党単独内閣、社会党閣外協力で工作。
  • 4月30日 - 社会党常任中央執行委員会、自由党単独内閣支援を決定。
第17回メーデーで演説する徳田球一共産党書記長。共産党の指導する労働攻勢は次第に拡大していった。
  • 5月1日 - 第17回メーデー(復活第1回)開催。
  • 5月2日
    • 自由、社会両党の政策協定委員による協議。
    • 自社両党による政策協定協議案、共産党を除く4党共同委員会で承認。
    • 鳩山一郎自由党総裁、首相官邸に幣原首相を訪問。
    • 幣原首相、宮中に参内し、鳩山を首班に奏請。GHQに鳩山首班を公文書で提出。
    • 鳩山一郎自由党総裁に大命降下
  • 5月4日 - 鳩山一郎が公職追放。大命を拝辞する。
「ワンマン宰相」吉田茂登場。
  • 7月2日 - 政府、食糧緊急措置令事後承認を衆議院に上程。社会党など野党各党が反対。
  • 7月4日 - フィリピンがアメリカから独立(フィリピン第三共和国)。
  • 7月9日 - 芦田均委員長の質問をもって、憲法改正特別委員会総括質問修了。
  • 7月11日
    • 憲法改正特別委員会、逐条審議入り。
    • 各党、修正案決定作業。
  • 7月12日 - 中国で国民政府軍が解放区への攻撃を開始。第3次国共内戦開始。
  • 7月16日 - 衆議院、「輸入食糧放出感謝決議」案を上程。
  • 7月25日 - 憲法改正特別委員会の下に修正案を作成する小委員会設置。
1946年(昭和21年)10月29日、「修正帝国憲法改正案」(日本国憲法案)を全会一致で可決した枢密院本会議の模様。
1946年(昭和21年)11月3日、日本国憲法に署名される昭和天皇

脚注

[編集]
  1. ^ ウィキソース出典 Winston Churchill (英語), Sinews of Peace, ウィキソースより閲覧。 
  2. ^ 「米英同法組合樹立の要 チャーチル氏、対ソ攻撃演説」、1946年3月7日付毎日新聞(大阪)、2面(フルトン特電5日発UP)。田村幸策「チャーチルのフルトン演説――「鉄のカーテン」産みの親」(『日本政教研究所紀要』第5号、国士舘大学日本政教研究所、1981年)、1頁。
  3. ^ “アチソン ジョージ(Jr.) Atcheson George(Jr.)”, 20世紀日本人名事典, 日外アソシエーツ, (2004), https://archive.is/hfW8k