コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

1958年の南海ホークス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1958年の南海ホークス
成績
パシフィック・リーグ2位
77勝48敗5分 勝率.616[1]
本拠地
都市 大阪府大阪市
球場 大阪球場
球団組織
経営母体 南海電気鉄道
監督 鶴岡一人(山本一人)
« 1957
1959 »

テンプレートを表示

1958年の南海ホークスでは、1958年の南海ホークスの動向をまとめる。

この年の南海ホークスは、鶴岡一人監督の13年目のシーズンである(当時は山本一人)。

概要

[編集]

立教大学の先輩である大沢啓二(のちの日本ハム監督)の誘いで杉浦忠が入団したこの年、チームは2年間優勝から遠ざかったうっぷんを晴らすべく前年まで2連覇の西鉄に11.5ゲーム差を付けるなど、8月までは順調に首位を走り、3年ぶりの優勝は目前だった。しかし、杉浦に疲れが見え始めた9月以降はチームも成績が急降下。杉浦の負担を軽くできる投手は皆川睦雄を除けば不調で、さらにBクラスチームへの取りこぼしもあり、最終的に西鉄の3連覇を許して2位に終わった。シーズン終了後、鶴岡監督は夫人の実家である山本家から籍を抜き、登録名も本名の鶴岡一人に復した。対戦成績は西鉄に11勝13敗2分と健闘したものの、西鉄が復調した8月以降はわずか2勝しかできなかった。それ以外では東映と最下位の近鉄に大きく勝ち越したが、例年得意だった阪急に13勝12敗1分と苦戦し、9月21日の26回戦に勝ってようやく勝ち越しを決めた。

チーム成績

[編集]

レギュラーシーズン

[編集]
開幕オーダー
1 広瀬叔功
2 杉山光平
3 長谷川繁雄
4 野村克也
5 岡本伊三美
6 寺田陽介
7 森下正夫
8 穴吹義雄
9 杉浦忠
1958年パシフィック・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 最終成績
1位 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 南海 -- 西鉄 --
2位 西鉄 1.0 西鉄 3.5 阪急 5.5 阪急 6.5 阪急 3.0 南海 1.0
3位 東映 3.0 阪急 4.0 西鉄 6.5 西鉄 10.5 西鉄 3.0 阪急 4.5
4位 大毎 5.0 大毎 4.5 大毎 9.5 大毎 12.5 大毎 13.5 大毎 16.0
5位 阪急 7.5 東映 7.5 東映 12.5 東映 17.0 東映 14.0 東映 22.0
6位 近鉄 10.5 近鉄 19.5 近鉄 29.0 近鉄 37.5 近鉄 38.5 近鉄 49.5
1958年パシフィック・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
1位 西鉄ライオンズ 78 47 5 .624 優勝
2位 南海ホークス 77 48 5 .616 1.0
3位 阪急ブレーブス 73 51 6 .589 4.5
4位 毎日大映オリオンズ 62 63 5 .496 16.0
5位 東映フライヤーズ 57 70 3 .449 22.0
6位 近鉄パールス 29 97 4 .230 49.5

オールスターゲーム1958

[編集]
コーチ 山本一人
ファン投票 杉浦忠 野村克也 杉山光平
監督推薦 広瀬叔功 長谷川繁雄

できごと

[編集]

選手・スタッフ

[編集]

[2]

表彰選手

[編集]
リーグ・リーダー
選手名 タイトル
杉浦忠 新人王
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
野村克也 捕手 3年連続3度目
杉山光平 外野手 2年ぶり2度目[注 1]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 1955年に一塁手部門で受賞しており、通算3度目。

出典

[編集]
  1. ^ 年度別成績 1958年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年5月22日閲覧。
  2. ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7