1960年のテレビ (日本)
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1960年のテレビ(1960ねんのテレビ)では、1960年(昭和35年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
できごと[編集]
- 1月7日 - 日本教育テレビ(NET、現・テレビ朝日)のテレビドラマ『七色仮面』の第5部にあたる新シリーズ『新 七色仮面』が放送開始。この作品で千葉真一が主演デビュー( - 6月30日)。
- 1月15日 - NHKが成人の日のイベント『NHK青年の主張コンクール』のテレビ放送開始(後に『青春メッセージ』と改題、2004年まで毎年続く)。
- 1月17日 - ラジオ東京(KR、現・TBS)が東京・赤坂本社敷地から東京タワーに送信所移転。同時に映像出力を10kWから50kWに増力。
- NHK東京総合テレビジョン、NHK教育テレビジョン、NET、フジテレビも映像出力を10kWから50kWに増力(※日本テレビは3月12日に増力実施)。
- 2月27日 - NHK東京教育テレビジョン、この日のカラーテレビ実験放送枠にて、自局初のカラーVTR収録による番組「ミュージカルショー『春夏秋冬』」を放映。[1][2]
- 4月9日 - NHK総合テレビにて、自然をテーマとした教養ドキュメンタリー番組『自然のアルバム』が放送開始( - 1985年3月31日)。
- 4月30日 - ソニー、世界初のトランジスタテレビを発売。
- 5月8日 - 毎日放送にて、公開演芸番組『素人名人会』放送開始。2002年3月17日まで40年以上続く長寿番組となる。
- 5月16日 - NHK教育テレビの送信所を紀尾井町から東京タワーへ移転。
- 8月日不明 - アメリカ大統領選挙、リチャード・ニクソンとジョン・F・ケネディ両候補による初のテレビ討論が行われる。
- 9月5日 - NHKの幼児向け番組『おかあさんといっしょ』にて、豚を題材とした着ぐるみ人形劇『ブーフーウー』が放送開始。ブー役は本野摩耶(後に大山のぶ代)、フー役は三輪勝恵、ウー役は黒柳徹子がそれぞれ声を務めた( - 1967年3月28日)。
- 9月10日 - カラーテレビ本放送開始(東京地区ではNHK、日本テレビ、ラジオ東京、大阪地区ではNHK、読売テレビ、朝日放送)[3]。
- 9月20日 - KR→TBSにて、6月19日まで放送された紀行番組『兼高かおる世界飛び歩き』の新シリーズとして、引き続き兼高かおる(ツーリストライター)を起用した『兼高かおる世界の旅』を放送開始。1990年9月30日まで30年続く長寿番組となる。
- 10月10日
- ラジオ東京が東京証券取引所第一部に上場(民放では日本テレビに次いで2番目)。
- NETではこの日、プロ野球日本シリーズ開幕を翌日に控え、毎日大映オリオンズ(大毎、現・千葉ロッテマリーンズ)の西本幸雄、大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)の三原脩両監督による対談特番(司会:佐々木信也〈元高橋ユニオンズ→大映ユニオンズ→大毎内野手、当時同局解説者、後年のフジテレビ『プロ野球ニュース』キャスター〉)を18時から生放送することになっていたが、出演予定だった三原が直前になっても現れず、西本と佐々木の対談に終始する形となった。しかし本番終了後も三原が姿を見せなかったことから西本が激怒、ギャラも受け取らずに早々に自宅へ引き上げてしまった[4][注 1]。
- 10月11日 - 15日 - プロ野球日本シリーズ「大洋対大毎」(第1・2戦:川崎球場、第3・4戦:後楽園球場)をNHK総合(第2戦、4戦)、KR(第3戦を除く全試合)、日本テレビ(第3戦)でそれぞれ中継。第3戦では日本シリーズ初のカラー中継が行われた。
- 10月12日 - 日本社会党の浅沼稲次郎委員長(当時)が演説会中に暗殺される事件が発生。プロ野球日本シリーズ「大洋対大毎」第2戦を中継していたNHK総合は中継を中断し、事件の模様を臨時ニュースで伝えた。「島桂次#政治記者時代」も参照
- 10月30日 - 日本テレビ、「光子の窓」が、この日の回は特別にカラー放送(番組初)で45分枠に拡大したスペシャル版「イグアノドンの卵」を放送。カラーVTRを使用して制作されたこの回は、色彩効果に対してその芸術性の高さが認められ、昭和35年度(第15回)芸術祭奨励賞を受賞した[5]。
- 11月3日 - フジテレビにて、江戸川乱歩原作の探偵ドラマ『少年探偵団』を放送開始( - 1963年9月30日)。
- 11月29日 - ラジオ東京、社名を東京放送(略称:TBS、現:TBSホールディングス)に改称。これに伴い表記も「KRテレビ」から「東京テレビ」に改める(翌年「TBSテレビ」に変更)。
- 12月 - 日本教育テレビが呼称を「NETテレビ」で統一。[6]
- 12月25日 - 日本テレビ、「光子の窓」がこの日を以って終了。最後は「光子の大パーティー」という題で、特別にカラーで制作・放送された。[7]
- 12月30日 - TBSで『第2回日本レコード大賞』生中継。大賞は松尾和子・和田弘とマヒナスターズの「誰よりも君を愛す」。
- 12月31日 - 『第11回NHK紅白歌合戦』放送。
開局・放送開始(いずれも、カラー放送は未実施)[編集]
既存局のカラー放送開始(本放送)[編集]
- 9月10日
- NHK放送センター(東京)(総合・教育共に)
- NHK大阪放送局(総合・教育共に)
- 日本テレビ
- ラジオ東京テレビ(後のTBSテレビ)
- 読売テレビ
- 朝日放送テレビ
テレビ番組[編集]
テレビドラマ[編集]
- NHK
- ママと私たち(カラー)- NHKレギュラードラマ初のカラー制作
- 日本テレビ
- KRテレビ→TBS
- フジテレビ
- トップ屋
- 江戸の影法師
- 日日の背信
- 夜の十時劇場
- ぼうふら紳士(主演:桂小金治、三井弘次、守屋浩) - ロート製薬一社提供(フジテレビ初)。
- サンウエーブ火曜劇場
- 百万人の劇場
- 青春の深き淵より(関西テレビ)
- NETテレビ
子供向けドラマ[編集]
- NHK
- 日本テレビ
- エノケンの爆笑劇場(主演:榎本健一)
- タッちん君の冒険(カラー)
- しゃっくり寛太→続しゃっくり寛太(読売テレビ。主演:藤山寛美)
- 琴姫七変化(読売テレビ)
- ボナンザ(カラー) - 米NBCのカラーテレビ映画ドラマ
- KRテレビ→TBS
- 泣き笑いさくらんぼ劇団(主演:笠置シズ子)
- 夕やけ天使
- ダイラケ二等兵(朝日放送。主演:中田ダイマル・ラケット) - ロート製薬一社提供(TBS初)
- どろん秘帖(朝日放送。主演:中田ダイマル・ラケット)
- やりくり天国(朝日放送)
- やりくり三代記(朝日放送)
- 走れ!白バイ(朝日放送、主演:入川保則)
- フジテレビ
- NETテレビ
特撮番組[編集]
- 宇宙船シリカ(NHK)- 人形劇
- 鉄人28号 (日本テレビ)
- 快傑ハリマオ (日本テレビ)(第1~5話のみカラー)
- 海底人8823 (フジテレビ)
- 怪獣マリンコング→マリンコングの大逆襲 (フジテレビ)(主演:太田博之)
- 新 七色仮面 (NETテレビ)(主演 : 千葉真一) ※デビュー作
- アラーの使者 (NETテレビ)(主演 : 千葉真一) - カバヤ食品一社提供。
- ナショナルキッド (NETテレビ) - 松下電器産業(現:パナソニック)一社提供。
- 未知の世界 (日本テレビ) - 海外作品『ミステリー・ゾーン』第1シーズン
バラエティ番組など[編集]
- それは私です(NHK)
- 今宵たのしく(カラー)(NHK)
- パノラマ劇場(カラー)(NHK)
- 宗教の時間(日本テレビ・読売テレビ)
- 兼高かおる世界の旅(KR→TBS)
- 話題の医学(NETテレビ)[注 2]
- 素人名人会(毎日放送)
ニュース番組[編集]
教養・ドキュメンタリー番組[編集]
- 自然のアルバム(NHK)
- 人形劇 ブーフーウー(NHK総合)
- できたできた(NHK教育)
- スピードさるくん(NHK教育)
- かっちゃん(NHK教育)
- かきましょうつくりましょう(NHK教育)
- 理科教室小学校1年生(1960年度はカラー)(NHK教育)
- 理科教室小学校2年生(NHK教育)
- 理科教室小学校3年生(NHK教育)
- 理科教室小学校4年生(NHK教育)
- 日本の地理・世界の地理(NHK教育)
特別番組[編集]
- カラー本放送開始記念番組(全てカラー)
既存番組のカラー化[編集]
- 美術教室(NHK教育)- カラーテレビ実験放送期の4月7日から(本放送開始(9月10日)後も継続)[注 5][注 6][13][14]
- ジェスチャー(NHK東京教育 カラー実験放送)- 7月17日放送(総合テレビにて7月12日放送分を実験的にカラー制作したもの)[注 5][15]
- 私の秘密(NHK総合)- 9月12日放送分より毎回カラー化[14][16]
- 歌の広場(NHK総合)- 9月12日放送分より毎回カラー化[14][17]
- お笑い三人組(NHK総合)- 9月13日放送分より毎回カラー化[14][18]
- バス通り裏(NHK総合)- 10月3日放送分より毎回カラー化[14][19]
- 光子の窓(日本テレビ)- 10月30日及び12月25日(最終回)放送分のみ特別にカラー化
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ ちなみに佐々木と西本は後年、フジテレビ『プロ野球ニュース』でキャスター、解説者それぞれで出演することとなる。
- ^ 1967年3月まで放送。1967年4月より東京12チャンネル→テレビ東京へ移行し、2016年12月まで放送された。
- ^ 放送当日の朝日新聞朝刊5ページのラジオ・テレビ欄の「KRテレビ」の番組表に、当番組のカラー表記はない。
- ^ 西日本初のスタジオカラーカメラによる音楽番組。出演は、トリオ・コイサンズ、ハニー・ナイツ、日方誠、ほか。
- ^ a b カラーテレビ実験放送期は、通常の総合・教育の番組をカラーで制作した場合は、初めに通常のモノクロで放送した後で、東京の教育テレビ枠内のカラー実験放送の時間帯でカラーで放送した。
- ^ この番組の場合、カラー本放送前の同実験放送期に於いては、モノクロ放送の翌日にその実験放送の枠内でカラー放送をしている。
出典[編集]
- ^ 日本放送協会放送文化調査研究所放送情報調査部『NHK年鑑'61』日本放送出版協会、1961年、421頁。
- ^ NHKクロニクル カラーテレビ実験放送(東京ローカル) ミューシカル・ショー 「春夏秋冬」(NHKアーカイブスのサイト)
- ^ “昭和毎日 - カラーテレビ本放送開始”. 毎日新聞 (1960年9月10日). 2012年1月27日閲覧。
- ^ NHK教育テレビ『知るを楽しむ 「個性がプロ野球を救う」』(2005年4月 - 6月、佐々木信也が出演)より
- ^ “昭和31年度(第11回)〜昭和40年度(第20回)” (PDF). 文化庁. p. 5. 2017年11月12日閲覧。
- ^ テレビ朝日「社史」より
- ^ 読売新聞 1960年11月15日朝刊及び同年12月25日朝刊 共にテレビ欄
- ^ a b 朝日新聞 1960年9月10日 東京版朝刊P.5 ラジオ・テレビ欄 及び 同日大阪版朝刊 ラジオ・テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、173~4頁。
- ^ 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、332頁。
- ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、284頁。NDLJP:12274683/332。
- ^ 讀賣テレビ社史編集委員会 編『近畿の太陽 : 読売テレビ10年史』讀賣テレビ放送株式会社、1969年3月21日、404頁。NDLJP:12274683/457。
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル「美術教室」
- ^ a b c d e 朝日新聞 1960年9月8日 東京版朝刊 P.5 ラジオ・テレビ欄記事「カラー番組のご案内」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月12日「私の秘密」
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月12日「歌の広場」
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年9月13日「お笑い三人組『低姿勢の巻』」
- ^ NHKアーカイブス NHKクロニクル 1960年10月03日放送 「バス通り裏(646)」
参考文献[編集]
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1961』日本放送出版協会、1960年12月25日 。
- 日本放送協会 編『NHK年鑑1962』日本放送出版協会、1961年12月1日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- 日本放送協会 編『放送五十年史 資料編』日本放送出版協会、1977年3月10日 。
- NHK 編『放送の五十年 昭和とともに』日本放送出版協会、1977年3月30日 。
- 「NHK大河ドラマ大全」(NHK出版、2011年)
- 「全怪獣怪人大百科」(ケイブンシャ、〜1985年)
- NHKは何を伝えてきたか-NHKテレビ番組の50年
- NHKアーカイブスカタログ―テレビ番組放送記録+番組小史 1953〜2008
- テレビドラマデータベース
など