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1967年のテレビ (日本)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

1967年のテレビ(1967ねんのテレビ)では、1967年昭和42年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。

主なできごと

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民放UHF新局に予備免許交付開始

民放UHF新局にこの年初めて予備免許が交付された。これにより、地方の多くの県で民放テレビが1局しか視れなかったのが、翌1968年から2局に増えるようになる。(「#予備免許」の項も参照)

全面カラー化に向け、カラー番組が増加し始めた年

この年は先ず、NET及びその系列局(毎日放送九州朝日放送)が、漸くカラー放送を開始。又、前年のTBSに続き、フジテレビ中部日本放送(現:CBCテレビ、TBS系)、関西テレビ(フジ系)、朝日放送(当時TBS系)が、スタジオカラーカメラを使ったカラー番組の制作・放送を開始。更に、今までカラーテレビ中継車を使った番組制作はNHK日本テレビ読売テレビだけだったのがこの年からTBS、フジテレビ、関西テレビで開始され、特にTBSは、ボクシングの世界タイトルマッチを中心としてカラー中継番組が一気に増加、フジテレビと関西テレビは、この年の終わり頃から競馬中継のカラー制作を開始した(NHKでは前年からカラー化)。

NHKでもカラー番組の増加に伴い、この年、全トランジスター化の最新型スタジオカラーカメラを導入、8月に稼働を開始している。同カメラは、NHKが今まで使用していた真空管式のそれらに比べ、色彩感・解像度・S/N比等画質を改善し、安定度を向上させ、従来のモノクロスタジオカメラ並に小型・軽量化させたことから、このカメラはその後NHKにて数多く導入され、NHKテレビの全面カラー化への大きな礎の1つとなった。

放送用2インチVTRでも、1964年に発表された、従来(ローバンド)より高画質録画・再生ができる新規格のハイバンドVTRが、前年のNHK、TBSに続き、この年数多くのテレビ局で導入を開始、カラー録画・編集に於いて性能と実用性の高さも、カラー放送の増加に貢献した(「2インチVTR」の項を参照)。

尚、この年からは、1971年にほとんど全部の番組がカラー化されるまで、毎年のようにカラー番組の増加が目立っていく様になる。全体的な傾向から見ると、先ずは、ゴールデンタイムやスポーツ中継、海外のフィルム制作番組を中心に、カラー化が進んでいる。又、全面カラー化される以前は、普段はモノクロ放送の番組でも、一部の回のみカラー放送となるケースもあった。更に民放では、カラーテレビを製造・販売している会社がスポンサーになっている番組が、いち早くカラー化されるケースが多かった。この年の一社提供番組でも、TBS『東芝日曜劇場』が一部の回にてカラー制作を開始、フジテレビ『ズバリ!当てましょう』(松下電器提供)が毎回カラー放送となっている。複数社提供番組でも、関西テレビの特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影』のスポンサーの一社に同製造・販売会社があり、その会社の存在が番組をカラー制作にする決め手となった経緯がある(「仮面の忍者 赤影#企画経緯」の項を参照)。

番組関係のできごと

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1月
2月
  • 11日 - フジテレビが、自社制作において初のスタジオカラーカメラ(&カラーVTR使用)による番組を放送。第1弾はクイズ番組ズバリ!当てましょう』で、同番組カラー放送第1回にちなんで、『カラーで当てましょう』という題が付けられた。[8][9]
3月
4月
  • 2日 - フジテレビ系でタツノコプロ制作のカラーテレビアニメマッハGoGoGo』放送開始( - 1968年3月31日)。
  • 3日
    • NHK、新年度の番組編成を開始。
    • 九州朝日放送で月~金曜帯枠のローカルニュースショー『ティータイムショー』開始(1975年3月28日に一旦終了[18]し1980年10月6日に再発足。1983年8月5日まで続く) [19]
  • 5日 - 関西テレビ・フジテレビ系で、東映制作によるカラー特撮ドラマ『仮面の忍者 赤影』(横山光輝原作)が放送開始。日本初のカラー製作によるテレビ時代劇となった( - 1968年3月28日)。
  • 8日 - NHKの園芸番組『趣味の園芸』放送開始(2022年現在も継続)[15][20]
  • 9日 - TBS系「タケダアワー」のカラー特撮ドラマ『ウルトラマン』(円谷プロダクション制作)がこの日最終回(第39話)。ウルトラ兄弟の長兄・ゾフィー(CV:浦野光)が初登場。
  • 10日 - 東京12チャンネル(現・テレビ東京)、この日から平日18:45に海外アニメ再放送枠『マンガのくに』を開始、当初は15分枠だったが、1977年4月から30分枠に拡大、1980年3月限りで一旦休止、同年10月から国産アニメ再放送枠に変更し再スタート、1989年9月28日まで22年続く人気番組となった。
  • 16日 - NETで放送していた医療情報番組『話題の医学』(NET:1960年6月 - 1967年3月31日)が放送局を東京12チャンネルへ移籍しこの日放送開始、50年近く続く長寿番組となる( - 2016年12月25日)。
  • 26日 - TBSが初代6号中継車(カラー仕様)を導入(カメラには、前年Gスタで導入されたフィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを4台使用。)。導入日当日にこの中継車を使い、自系列で、川崎球場からのプロ野球ナイター中継「大洋 対 巨人」をカラーで放送。これを機に、自社でのカラー中継車を使った番組制作を、本格的に始める。[6][21][22]
  • 30日 - TBS、前述の初代6号中継車の導入を受け、プロボクシング中継のカラー放送を本格的に開始。この日は自系列にて、世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「サンドロ・ロポポロ藤猛」の試合を、蔵前国技館からカラーで中継[7][23]。関東地区にて39.9%の視聴率を記録(ビデオリサーチ調べ)[4]
6月
7月
9月
10月
11月
12月

その他テレビに関する話題

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  • 2月20日 - NHK徳島放送局UHF大電力放送の技術上の諸問題について実験、調査を行うため徳島教育テレビジョン実験局開局。日本初のUHF大電力局(第38チャンネル、映像出力最大30kW、空中線は双ループ16面3段、全方向、水平偏線)[47]。7月26日、電波技術審議会は実験結果のデータを総合して大電力のUHFの送受信とも技術的には可能、と答申。UHF親局免許を可能とした。翌年2月20日に本放送開始[48]
  • 2月 - 高知放送がカラー放送を開始。[49]
  • 3月27日 - NETが、1週間後に正式なカラー放送を開始する前に、翌週にカラー化する番組予告のみに於いて同放送を行う。[注 9][50]
  • 4月1日
  • 4月3日 - NET、正式にカラー放送を開始(在京民放局では4局目)。[注 9][50][56]
  • 4月10日 - 経営悪化のため前年から放送時間を5時間半に短縮していた東京12チャンネル(現・テレビ東京)が営業活動を再開、放送時間を9時間に拡大。番組は在京キー局やNHKから調達。翌日からはプロ野球ナイター中継を開始。6月5日には11時間40分、10月2日には15時間となる[55]
  • 6月10日 - 任意団体民間放送教育協議会(当時、NETの学校放送をネットする13社が加盟。1961年6月21日設立)が、文部省(現・文部科学省)の認可により、財団法人民間放送教育協会(民教協。現在は公益財団法人)として再発足(事務局はNET内に置く。加盟32社に)。[注 11]
  • 8月1日 - NHK、カラー番組の増加に伴い、全トランジスター化の最新型スタジオカラーカメラの初運用を、先ず放送センターのT-605スタジオにてこの日から開始。最新型のそれは、今までの真空管式のそれらに比べ、色彩感・解像度・S/N比等画質を改善し、安定度を向上させた。[58]
  • 9月13日 - 琉球立法院沖縄放送協会設立法案を与党単独で可決。23日、初代会長に琉球放送常務川平朝清の任命を決定。10月2日、沖縄の公共放送として正式発足。12月22日に宮古、12月23日に八重山で放送開始。[59][60] [注 12]
  • 10月1日 - 山口放送がカラー放送を開始。東京12チャンネルと沖縄2社(沖縄テレビ放送琉球放送)を除く民放全社でカラー放送実施[30]
  • 11月1日 - 郵政省、テレビ1640局に再免許、UHF新局15社16局に予備免許。
    • この日をもって札幌テレビ、読売テレビ、毎日放送が準教育局から総合局となる[34]
    • 総合番組局には教育・教養番組を30%以上、又、主要な会見・イベント等は、NHKが民放と共に代表取材として編成するよう、電波法により条件付ける。
  • 11月14日 - 郵政省、東京12チャンネルに従来認めなかった娯楽番組を認める(全体の20%)[34]

商号変更

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  • 4月1日 - ラジオ中国→中国放送(ラテ兼営局で正式社名に“ラジオ”を付けていた最後の局。)[55]

既成局のカラー放送開始

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予備免許

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当時の郵政省による「テレビジョン放送用周波数の割り当て計画」の大幅修正により、UHFのうち、従来中継局のみ使用している第45チャンネルから第62チャンネルに加え、親局用として第33チャンネルから第44チャンネルの使用が新たに開放された(10月13日)。これによりUHF第1次チャンネルプランで新規UHF局の予備免許が下りる。なおこの時のテレビ単営民放については、“JO*H”のパターンで揃えられた。

予備免許が下りた日及び主な局は、以下の通り[61][62]。同一市区町村内で移転した場合は現所在地の記述を略す。

11月1日付で予備免許を受けた局(全て民放)
放送対象地域 呼出符号 交付時社名 本社所在地 備考
北海道 JOHH-TV 北海道テレビ放送株式会社 札幌市豊平区 現所在地:同市中央区
長野県 JOLH-TV 株式会社長野放送 長野市
新潟県 JONH-TV 株式会社新潟総合テレビ 新潟市中央区[注 13] 現社名:株式会社NST新潟総合テレビ
富山県 JOTH-TV 富山テレビ放送株式会社 富山市
石川県 JOIH-TV 石川テレビ放送株式会社 金沢市
静岡県 JOQH-TV 株式会社静岡ユー・エッチ・エフテレビ 静岡市駿河区 現社名:株式会社テレビ静岡
JORH-TV 同上、浜松局に対する交付
中京広域圏 JOCH-TV 中京ユー・エッチ・エフ・テレビ放送株式会社 愛知県名古屋市昭和区 現社名:中京テレビ放送株式会社。

現所在地:同市中村区

岐阜県 JOZF-TV 株式会社ラジオ岐阜 岐阜市 現社名:株式会社岐阜放送
三重県 JOMH-TV 三重電波放送株式会社 津市 現社名:三重テレビ放送株式会社
京都府 JOBR-TV 株式会社近畿放送 京都市中京区 現社名:株式会社京都放送。

現所在地:同市上京区

兵庫県 JOUH-TV 兵庫テレビ放送株式会社 神戸市長田区 現社名:株式会社サンテレビジョン。

現所在地:同市中央区

岡山県[注 14] JOOH-TV 岡山放送株式会社 岡山市北区
香川県[注 14] JOVH-TV 株式会社新日本放送[注 15] 高松市 現社名:株式会社瀬戸内海放送
佐賀県 JOSH-TV 佐賀放送株式会社 佐賀市 現社名:株式会社サガテレビ
鹿児島県 JOKH-TV 鹿児島テレビ放送株式会社 鹿児島市
11月14日付で予備免許を受けた局
放送対象地域 呼出符号 業態 交付時社名 本社等所在地 備考
徳島県 JOXB-TV NHK 徳島教育テレビジョン 徳島市 実験局を減力して実用化
香川県 JOHP-TV NHK 高松(総合)テレビジョン 高松市
JOHD-TV 高松教育テレビジョン
佐賀県 JOSP-TV NHK 佐賀(総合)テレビジョン 佐賀市
JOSD-TV 佐賀教育テレビジョン
長崎県 JOWH-TV 民放 株式会社テレビ長崎 長崎市
熊本県 JOZH-TV 民放 熊本中央テレビ株式会社 仮事務所:熊本市中央区[注 16] 現社名:株式会社テレビ熊本

視聴率

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(関東地区、ビデオリサーチ調べ)[4]

  1. 第18回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)76.7%
  2. プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ベルナルド・カラバロ」(フジテレビ、7月4日)57.0%
  3. 連続テレビ小説 おはなはん(NHK総合、1月19日)55.7%
  4. プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×ジョー・メデル」(フジテレビ、1月3日)53.9%
  5. 連続テレビ小説 旅路(NHK総合、10月7日)52.9%
  6. ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)49.0%
  7. プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「フラッシュ・エロルデ×沼田義明」(TBS、6月15日)48.5%
  8. プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×ウイリー・クワルトーア」(TBS、11月16日)47.9%
  9. ニュース台風22号関連)(NHK総合、9月13日 7:00-7:20)44.4%
  10. スタジオ102(NHK総合、9月13日)43.2%
  11. ウルトラマン(TBS、3月26日)42.8%
  12. プロボクシング・世界ジュニアライト級タイトルマッチ「沼田義明×小林弘」(TBS、12月14日)41.9%
  13. ザ・ガードマン(TBS、9月22日)40.5%
  14. てなもんや三度笠(TBS、1月1日)40.4%
  15. プロボクシング・世界ジュニアウェルター級タイトルマッチ「藤猛×サンドロ・ロボポロ」(TBS、4月30日)39.9%
  16. 即日開票当選者当確者写真紹介(第31回衆議院議員総選挙)(NHK総合、1月30日 7:20-8:00)39.0%
  17. メキシコ国際スポーツ大会フラッシュ(NHK総合、10月28日 8:05-8:13)38.1%

テレビ番組

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テレビドラマ

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NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

子供向けドラマ

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NHK
日本テレビ系
TBS系
フジテレビ系
NETテレビ系

テレビアニメ

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特撮番組

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バラエティ番組

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クイズ番組

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音楽番組

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芸能番組

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トーク番組

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ドキュメンタリー番組

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趣味・教養番組

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報道・情報・ワイドショー番組

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子供向け番組

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映画番組

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単発特別番組枠

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特別番組

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既存番組のカラー化

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参考文献

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など

脚注

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注釈

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  1. ^ 実際は全49話だが、第12話が欠番のため1話削減。
  2. ^ RKB毎日放送、長崎放送熊本放送大分放送宮崎放送南日本放送
  3. ^ 窓をあけて九州』『電撃黒潮隊』など。
  4. ^ 巨泉は前作『窓からコンチワ』(ハウス食品一社提供、4月1日 - 9月30日)に続き主演を務めた。
  5. ^ 芸術祭参加番組。放送五十年史資料編 805頁 日本放送協会編
  6. ^ この国葬の模様は、武道館内部ではNHKが代表取材として3台のカラーカメラを使用して中継、民放にもその映像・音声を分岐して放送が行われた。又、NHKでは武道館の外では4台のカラーカメラを使用、更に、青山通りと大磯の吉田邸からは共にモノクロで中継し、カラー中継車、モノクロ中継車を各々2台、計4台の中継車を使用して放送した[31]。尚、当日の朝日新聞朝刊9ページのテレビ番組表では、NHK総合はカラーなのに対し、日本テレビ、TBS、フジテレビ、NET、東京12チャンネルの中継はモノクロ放送だった。
  7. ^ 当初は1966年5月15日に第20話として放送する予定だったが「怪獣が出ないうえにストーリーが難解」という理由で本放送が見送られていた(この時は放送日程を1週ずつ繰り上げとし、7月10日には次作『ウルトラマン』(1966年7月17日 - 1967年4月9日、全39回)の事前特番として『ウルトラマン前夜祭 ウルトラマン誕生』(杉並公会堂で収録)を急遽放送した)。
  8. ^ 朝日放送が2000年に刊行した「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の「Ⅴ.大淀時代はじまる 4.カラー化とテレビ番組」内の「トップは『てなもんや三度笠』」(162~3ページ)及び「朝日放送の50年 Ⅱ 番組おもしろ史」の「藤田まこと、売り出す! 『てなもんや三度笠』」(51~61ページ)内に於いての「カラー番組の第1号に」に、その際の模様が記されている。但し、後者の文書内にカラー初放送の日付が12月7日と記されているが、この日は木曜日で、番組を放送する日ではないので誤り。正確には、「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分及び「朝日放送の50年 Ⅲ 資料集」の年表項目の1967年の「朝日放送の動き」(300ページ)に記されている「12月17日」(この日は番組を放送する日曜日)が正しい。更に「朝日放送の50年 Ⅰ 本史」内の該当部分には、初カラーの第294話が同年11月10日にABCホールにて収録されたとあり、カラー・カメラは1969年6月までNEC製のそれが入るまでは、当時キー局のTBSも使用していたフィリップス社製のプランビコン式を使用していたと記されている。
  9. ^ a b c 同局のカラー放送第一号は、アニメ『魔法使いサリー』の同年4月3日放送分の第18話「パパはにせもの」で、その放送の1週間前の前月(3月)27日に同予告のみが初めてカラーで放送された。ちなみに1984年に全国朝日放送(当時のテレビ朝日の正式社名)が発行した「テレビ朝日社史 : ファミリー視聴の25年」の402ページでは、同局は同月23日に(関東電波管理局の)カラー放送化の落成検査に合格し、3日後の26日にマスターのカラー化工事を完成し、同日に火入れ式を行い、翌月(4月)の3日にカラー放送を開始したと記載されている。即ち、この予告編が放送された時点では既に、カラー本放送の落成検査に合格して、同免許を取得した状況で放送していることとなる。
  10. ^ ちなみに、両局共初のカラー番組は、この日午前7時45分から45分間に渡って同時ネットで放送された『開幕迫るモントリオール博』だった。[54]
  11. ^ 設立発起人会は前年の12月7日。民放の公共的使命をいっそう認識し、特に教育放送を重視しようという要望が高まり団体を強化することになり再発足を決めた。主務官庁である文部省は民教協の活動を育成する方針をたて、1967年度下半期の教育テレビ放送実施委託費約5,300万円(内訳は社会教育番組制作費にネット料、電波料含めて約5,000万円、番組調査研究費約300万円)を計上、国会審議を経て決定された。[57]
  12. ^ 略称はOHK。同じ略称を使用する岡山放送(1968年設立、1969年開局)とは無関係。
  13. ^ 演奏所(スタジオ)となる放送センターは当時長岡市に置かれた。
  14. ^ a b 岡山県と香川県を民放テレビに限り同一エリアとしたのは1979年から。
  15. ^ 現在のMBS毎日放送グループが、1951年9月のラジオ開局時から1958年5月末まで、同じ「新日本放送」の名称で放送を行っていたが、それとは別の会社である。但し東阪のテレビ腸捻転ネットが解消されるまでは、同じANN系列であった。
  16. ^ 開局時から運用されている本社演奏所は飽託郡北部町に置かれたが、同町は1991年に熊本市に編入され、現在は北区に属する。
  17. ^ 当初『夢みるアン』として放送開始される予定だった。
  18. ^ 後年『初笑いうるとら寄席』に改題。
  19. ^ 「ナッソーの魅力」(#357 1967年7月16日放送)、「スコットランドの想い出」(#362 1967年8月20日放送)、「第18次取材ハイライト U.S.A.」(1967年9月10日放送)はモノクロ放送
  20. ^ この番組を制作している米NBCでは、第1話からカラーで制作・放映されている。
  21. ^ フィリップス社製(型番:PC-60)のカラーカメラを備えた中継車(同局初代6号、カラー仕様)を導入したことにより、本格的なカラー中継が実現した。

出典

[編集]
  1. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、144頁。 
  2. ^ 『放送の五十年 資料編』, p. 634、800.
  3. ^ a b c d 朝日新聞 1967年1月3日 朝刊9ページ 1月3日テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  4. ^ a b c d e f g あの時の視聴率 1967年 ビデオリサーチ
  5. ^ 九州朝日放送三十年史 資料編108頁 九州朝日放送株式会社編
  6. ^ a b c 株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、254~5頁。 
  7. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、338頁。 
  8. ^ a b 朝日新聞 1967年2月11日 朝刊P.9及び夕刊P.12 テレビ・ラジオ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  9. ^ フジ・メディア・ホールディングスの株主用決算報告書に記載。
  10. ^ a b 1967年3月1日 朝日新聞朝刊 P.9 テレビ欄 番組紹介欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)、及び同日読売新聞朝刊 P.10 テレビ欄(読売新聞ヨミダス歴史館で閲覧)
  11. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'67』日本放送出版協会、1967年、103, 188頁。 
  12. ^ a b NHK札幌放送局 (1984). 札幌とともに半世紀ーNHK札幌放送局のあゆみ 
  13. ^ a b 1967年3月3日 朝日新聞 朝刊 P.9 テレビ欄 番組表及び記事「ヒット番組とその出演者中心に構成 ●世紀のバラエティ●」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  14. ^ a b 1967年2月22日 読売新聞朝刊 P.10 テレビ欄記事「世紀のバラエティー フジテレビ・開局8周年の記念番組」(読売新聞ヨミダス歴史館で閲覧)
  15. ^ a b c d 放送五十年史資料編 800頁 日本放送協会編
  16. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、142頁。 
  17. ^ a b c 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、128頁。 
  18. ^ 熊本日日新聞 昭和50年3月28日14頁(ラジオ•テレビ欄)
  19. ^ 九州朝日放送三十年史 360〜363頁 九州朝日放送株式会社編
  20. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、126頁。 
  21. ^ a b 株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、246,338頁。 
  22. ^ 朝日新聞 1967年4月26日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  23. ^ 朝日新聞 1967年4月30日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  24. ^ 朝日新聞 1967年6月15日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  25. ^ 日本放送協会 編『20世紀放送史 上』日本放送出版協会、2001年、556頁。 
  26. ^ 番組表検索結果詳細 宇宙中継「われらの世界」 —OUR WORLD—〜5大陸14か国を結んで〜”. NHKクロニクル. 日本放送協会. 2023年9月30日閲覧。
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  29. ^ 朝日新聞 1967年9月24日 朝刊8ページ 9月24日テレビ欄 番組記事「日曜劇場 おたふく物語 36歳で舞込んだ縁談 童心を失わぬ下町の女」の記事に記載。(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  30. ^ a b c 放送五十年史資料編 803頁 日本放送協会編
  31. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'68』日本放送出版協会、1968年、206頁。 
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  37. ^ 朝日新聞 1967年11月16日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  38. ^ 朝日新聞 1967年11月26日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  39. ^ 朝日新聞 1967年12月14日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
  40. ^ 朝日放送社史編修室『朝日放送の50年 Ⅰ 本史』朝日放送株式会社、2000年3月31日、161~3頁。 
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