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「ファミリーコンピュータ」の版間の差分

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アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱える[[RCA端子]]が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古い[[ビデオデッキ]]などを変換用に使うなどである。もしくは、コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンを使う方法がある。ごく一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込み、AV接続対応に改造する業者も存在する。
アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱える[[RCA端子]]が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古い[[ビデオデッキ]]などを変換用に使うなどである。もしくは、コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンを使う方法がある。ごく一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込み、AV接続対応に改造する業者も存在する。


[[2007年]](平成19年)[[10月31日]]をもって任天堂はファミコンおよびスーパーファミコンのサポートを打ち切った。24年にわたり修理などの依頼は受けつけていたが、本体の製造同様、部品の調達が困難になったことなどが理由とされている。
[[2007年]](平成19年)[[10月31日]]をもって任天堂はファミコンおよびスーパーファミコンのサポートを打ち切った。24年にわたり修理などの依頼は受けつけていたが、本体の製造同様、部品の調達が困難になったことなどが理由とされている。その後、ファミコンミニが任天堂から発売されたことにより、一部界隈では再び本体が人気となり、古本屋やリサイクルショップのジャンクコーナーにて本体及びソフトが販売される例が目立つようになった


=== 同人カセット ===
=== 同人カセット ===

2020年3月18日 (水) 01:50時点における版

ファミリーコンピュータ
メーカー 任天堂
種別 据置型ゲーム機
世代 第3世代
発売日 日本の旗 1983年7月15日
アメリカ合衆国の旗 1985年10月18日
カナダの旗 1986年2月
欧州連合の旗 1986年9月1日
中華民国の旗 1986年
香港の旗 1986年
オーストラリアの旗 1987年
大韓民国の旗 1989年
※日本国外では、Nintendo Entertainment Systemとして発売された。
CPU リコーRP2A03
Ricoh 2A03
対応メディア ロムカセット
クイックディスク
ディスクシステム
コンパクトカセット
スタディボックス
ファミリーベーシック
対応ストレージ 任天堂公式では、コンパクトカセット[1]とディスクカード[2]がある。カセット内部に実装された、バッテリーバックアップ
EEPROM[注釈 1]ターボファイルの様な15ピン拡張コネクタを利用したサードパーティーによるものが有る。
コントローラ入力 ケーブル接続、15ピン拡張コネクタによる接続
外部接続 15ピン拡張コネクタ
オンラインサービス ファミリーコンピュータ
ネットワークシステム
売上台数 日本の旗 1,935万台
アメリカ合衆国の旗 3,400万台
世界 6,191万台[3]
最高売上ソフト 日本の旗 スーパーマリオブラザーズ /681万本[4]
スーパーマリオブラザーズ /4,024万本[4]
互換ハードウェア AV仕様ファミリーコンピュータ
ファミコンテレビC1
ツインファミコン
編集ファミコン
ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ
前世代ハードウェア カラーテレビゲーム15
次世代ハードウェア スーパーファミコン
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ファミリーコンピュータ(Family Computer)は、任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機。型番はHVC-001。HVCはHome Video Computerの略である。日本国内での略称・略記はファミコンFC。任天堂の公式表記では「コンピュータ」と末尾の長音を伸ばしていない[5]。当時の発売価格は14,800円。

日本国外では、主要部分の仕様が同一の“Nintendo Entertainment System”(ニンテンドーエンターテインメントシステム、略称:NES)として発売されている。ただし、カセットや周辺機器は接続部分の機械的な仕様の違いでお互いの互換性はない。また、ファミリーコンピュータには搭載されてない「海賊版対策回路」が組み込まれている。

また、2016年(平成28年)に30本のソフトウェアを内蔵し、オリジナルの筐体を小型化したデザインで復刻した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」が発売された。日本国外では同様のコンセプトで“Nintendo Classic Mini”(欧州)/“NES Classic Edition”(北米)が販売されている。

概要

ゲーム&ウオッチの事業を成功させた任天堂が、その利益を投入して開発した家庭用ゲーム機である。当時アーケードゲームで人気を博していた『ドンキーコング』が見劣りなく家庭で遊べる程度の性能を目標に設定して開発された[6]

1981年(昭和56年)3月、シャープオーブンレンジの発売を受けて「ファミコン」を民生用電気機械器具(家電)の区分で商標登録し、1983年(昭和58年)10月には娯楽用具の区分でも商標登録。その後、娯楽用具の区分での「ファミコン」商標を任天堂に譲渡した。そのため、家電区分での「ファミコン」商標はシャープが今も保持している[7]

開発は1981年(昭和56年)11月[6]頃より、当時業務用ゲーム事業の縮小によって[8]手の空いていた開発第二部[6]上村雅之らアーケードゲームの開発陣)が行った。開発開始の直前にコレコ社がコレコビジョンの試作品を任天堂に持ち込んでおり、その性能に開発第二部の技術者たちは驚くとともに、今後開発すべき製品のイメージとしてコレコビジョンを据えた[9]。「ファミリーコンピュータ」の名前は上村が付けた(上村が名称を妻に伝えたところ、妻は「日本人はファミコンて略すに決まってる」と言ったという)。本体にえんじ色が使われているのは当時の社長の山内溥が好きな色だったためで、社長命令により決定[10][11][12]8ビットCPUを搭載し、ゲーム機本体のスロットに差し込むロムカセットを交換することにより様々なゲームを楽しむことができる。当初はアーケードゲームが家庭でできることをセールスポイントにしており、製品パッケージにも「家庭用カセット式ビデオゲーム」と銘打たれていた。

本体と同時発売したローンチタイトルは『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』の3本であるが、ほどなくして『五目ならべ 連珠』と『麻雀』が発売され、その名の通り「家族みんなで楽しめる[13]」ラインアップが揃った。その直後に発売された『マリオブラザーズ』の後は2か月以上新作が途絶えていたものの、既出のアクションゲーム4本は全てアーケード版で実績のある移植作であり、雑誌評価でも好評価を得ていた[注釈 2]。アーケードですでに知名度のあるソフトウェアを移植するこの手法は宣伝費の削減に貢献した[6]。当時、汎用ICを搭載していることが多かった他社のゲーム機やパソコン等と比較して、グラフィック面に特化して設計されており、1980年代前半のアーケードゲームと比べてもあまり遜色のないグラフィックを高いフレームレートで描画できた(例:『スーパーマリオブラザーズ』)。

販売状況は発売当初こそPPUのバグの発覚による出荷停止があり振るわなかったものの[8][注釈 3]、徐々に人気化し1年間で300万台以上を販売した[8]。1985年(昭和60年)には『スーパーマリオブラザーズ』を発売。この作品は大ヒットとなり本体の販売にも大きく貢献し、家庭用ゲーム機の市場を大幅に拡大させていった。同年、アメリカでNESとして発売され、アタリショック以来冷え込んでいたアメリカのテレビゲーム産業を復活させた[注釈 4]

最終的な出荷台数は日本国外版にあたるNESも合わせて、全世界累計で約6,291万台を記録した。内訳は日本国内で約1,935万台、日本国外で約4,356万台である。

その後、ファミリーコンピュータの一部のゲームソフトはWiiWii Uニンテンドー3DSの配信サービスであるバーチャルコンソールでもプレイ可能になった(ただし、いわゆるポケモンショックの影響により画面の明度が下げられていたり、点滅表現が抑えられているなどの修正が加えられたソフトが多数ある)。

仕様

当時の家庭用ゲーム機としては群を抜く高性能を備えており、本体の記憶域についても「複雑なゲームに耐えるよう、巨大なスペースを持っている」と評された[13]。コストと性能のバランスを考慮した上で汎用性を割り切った設計になっている。[17]

主記憶は、アプリケーションのROMカートリッジによる供給を前提に、16KbitのSRAMで構成されている。音源は、デューティ比の変更が可能な矩形波と、ノイズ、三角波、DPCMが使用可能になっており、当時の低価格帯の汎用音源[注釈 5]を搭載したハードウエアよりも高い表現力を有しており、カートリッジ側とミキシング可能になった拡張スロットは、さらにその拡張も可能にしていた。

また、NTSC信号を直接生成し、スプライトを含むキャラクターに対し、カラーで制御が可能になっているカスタムチップによる設計は、汎用チップで構成された低価格帯のコンピュータや、ゲーム機に対し、その発売されたソフトウエアも相まって、特にキャラクタが多く動くリアルタイムゲームの実行という目的において大きな優位性を示した[注釈 6]

仕様は下記の通り[18]

  • ロムカセット(カートリッジ)によりゲーム内容を交換できる方式である。
  • CPU:リコーRP2A03MOS 6502にサウンド用DACおよびDMA転送機能を追加し、BCD演算機能を削除したカスタムチップ。1.79MHz動作。8bit。)
  • 音源pAPU 上記のとおり、CPUに組み込まれている。下記の項目に詳述。
  • ビデオ用PPU:リコー製 RP2C02
    • ラスタ検出可能(0番スプライトの表示ラインによる)
  • ワーキングRAM:2kバイト(16kビットSRAM
  • VRAM:2kバイト(16kビットSRAM)
  • 表示画素数:横256ドット×240ライン(表示可能な範囲外を含む)
    • 本機はVRAM上の理論値240ラインのうち上下端の数ラインはRF出力ではまともに表示できず、実質的には224ラインほどが有効[注釈 7]。それを見越して本機はVRAM上の仮想的な上下端の数ラインに異常な表示が出ることを許容した設計になっている。エミュレータでは表示範囲の制限は無いため、上下の異常な表示を隠すため縦を(2進法で)切りの良い224ラインとすることもある。[注釈 8]
  • 色表示性能:52色から56色まで諸説(数え方による)
    • RGBでの指定ではなく、NTSC信号を直接生成する方式のため、与えるパラメータは64種であるものの、(有彩色12色相+無彩色2系統)×4種類(彩度と輝度の組み合わせ)という構成。表示色の数が中途半端になるのは、無彩色の一部が重複しているため。
    • ファミリーベーシックの取扱説明書では52色と記述がある。
    • 最終的に宮本茂が色を選択したと取れるドキュメントや記事もあるが、実際の仕様は色を一色ずつ選んで指定するようにはなっておらず、「色」を選択したのではなく、52色という色表現の選択幅を決定したとするのが正しいと考えられる。
  • 同時発色数:25色
    • スプライト用、BG用それぞれ4パレットで、1パレットは4色で構成されるが、うち1つは全パレット共通色(スプライトの場合は透明色)となる。8パレット×3色+共通1色=25色
  • スプライト(オブジェクト):サイズ8×8ドットまたは8×16ドット1画面中に64枚表示可能(水平には8枚まで)
    • スプライトのキャラクターパターン(グラフィック)は64種類定義できる。
    • スプライトは、水平・垂直反転可能。
    • スプライトの表示位置は、BGの手前か後ろかを選べる。
  • BG画面:256×240の領域を2画面(追加VRAMにより最大4画面)
    • BGキャラクターはスプライトと同じく8×8ドットを256個。ただし、スプライトとは別にBGキャラクタセットを持てる。
    • 色は16×16ドットの範囲ごとにパレットで指定。
    • 内部的には256×240の領域を4つタイル状に並べた画面を構成し、そのうちスクロールレジスタによって指定された256×224の領域が表示できる。ただし、本体内のVRAMは2領域分しか用意されていないので、ロムカセット内の結線によって縦または横方向、単一画面にミラーされる。したがって、ロムカセットごとに縦スクロールをするか横スクロールをするかによって、都合のよい方を選択している。ソフトから切り替えられるようにしたロムカセットもある(下記MMCの項を参照)。また、ロムカセット内にVRAMを追加し、4領域をすべて使用することもできる。中にはキャラクタROMを256×224の領域として使用できるロムカセット[19]もある。
    • 前述の制約から、カートリッジ側での拡張機能を使わずに上下左右にスクロールするゲームは、ミラーされている方向へのスクロールの際は、画面端でBGキャラクターの描き換えがチラついて見える。
    • PPUの制約から、テレビへの信号出力とBG面の描き換えを同時に行えない。このため、通常はVSYNC期間中にBG面の描き換えを行うが、一度のVSYNC割り込み期間内で描き換えられるのは32キャラクターに制限されている。このため、『ウィザードリィ』のような画面全体のキャラクター描き換えによる擬似3D視点タイプのゲームでは、テレビへの信号出力を止め(ブランクの信号を出力)、その間に画面全体を描き換える。このため、画面を描き換える度に画面全体がチラつく。なお、描き換え時にティアリングが発生しても問題ない場合はこの限りではない。
  • ACアダプタ端子、RF出力端子
    • コンポジットビデオ端子は発売当時は装備していたテレビが少数だったこともあり、搭載されなかった。基板から出る映像信号にアンプ回路を組み込み配線を引き出すことで、容易にコンポジット映像信号を出力させることが出来る。
    • RGBは出力していない(サードパーティ製の専用基板を取り付ける改造が必要[20]。)。
  • 1ch / 2chチャンネルセレクトスイッチ(RF出力先)、ゲーム / テレビ切り替えスイッチ
  • 初期にはなかったが、後にこれらの機能を説明するための漫画「これがファミリーコンピュータだ!! ファミリーコンピュータ編」が同梱されるようになった。
  • 15ピン拡張コネクタ - ジョイスティックキーボード光線銃などが接続可能、独自規格。初期を除きカバーが附属。
  • カートリッジイジェクトスイッチ、電源スイッチ(スライド式)、リセットボタン、コントローラ×2(本体筐体内コネクタにて接続)
  • 外形寸法:幅150mm×奥行き220mm×高さ60mm
  • 重量:620g

筐体

筐体のえんじと白を基調としたカラー配置は、当時最も安価な部材の色だったためとよく言われているが、ファミコンの開発者である上村によると、実際のところは山内が好きな色で、当時山内が着ていたマフラーの色だったという[21]。またプラスチックの筐体は、コスト的には廉価だった金属製のボディがあまりに脆かったため強度的に勝るプラスチックに変更したもので、コストが理由との噂を明確に否定している。[注釈 9]

コントローラ、マイク

改良後のコントローラ外観

十字ボタン(Directional Pad)、A / Bボタン(A Button / B Button)、STARTボタン(START Button)、SELECTボタン(SELECT Button)をそなえたコントローラを、本体に直接接続した形で2つ持つ。

横長の板状で左に十字キー、右にボタンを複数個配置した形態は、その後のゲーム機のコントローラの雛形となった。初期に製造されたコントローラA・Bボタンは四角いシリコン樹脂(シリコンゴム)製だったため連打がきかず、ボタンを酷使すると押し込まれたまま操作できなくなるトラブルが発生していたことから[23]、のちに耐久性を増した円形のプラスチック製ボタンへと改良がなされた[24][注釈 10]。また、この四角ボタンの最初期の出荷分(発売日から半年分)に関しては[要出典]コントローラのケーブルが灰色になっているロットがある。

RFスイッチは黒いままである。コントローラは本体に直接接続されているが、本体の内部では基板とコネクタ接続されているため、分解すれば自分で交換することもできる。交換用コントローラは店頭でも販売しており、ボタンを含むコントローラの外装パーツのみでの販売もあった。

コントローラII(IIコン、ツーコン)にはマイクロフォン(以下、マイク)を搭載しており、音声認識機能はないがある一定以上の大きさの音声が入力されているかどうかをソフト側で判別できた[10]。この機能を利用した主なゲームには『バンゲリングベイ』や『スターラスター』、『たけしの挑戦状』、『ゼルダの伝説』、『ドラえもん(ハドソン版)』、『スターソルジャー』、ファミリーベーシックV3のサンプルプログラム『ハート』などがある。しかし、これも故障の原因となることがあった[注釈 11]。また、本体の製造時期によってオン / オフの判別が逆にされたため、ゲームに有効なかたちでこの機能を利用するのは困難だったといわれる。後に発売されたAV仕様ファミリーコンピュータ(通称ニューファミコン)では、この機能は削除された。マイクの機能は開発者が、新しい遊び方として将来カラオケのように音声で遊ぶ可能性を想定して、コントローラの一つに内蔵させたものである[25]。マイクの穴は23個あるが、左上の穴1つだけが本物になっている。

2005年(平成17年)9月13日に任天堂より発売された携帯ゲーム機、『ゲームボーイミクロ』のカラーバリエーションの一つである『ファミコンバージョン』は、このコントローラーのデザインが元になっている。また、クラブニンテンドー会員専用景品としてIIコンバージョンのフェイスプレートも存在する。これをファミコンバージョンに装着すればIIコンバージョンとなる。

コントローラーのボタンの数は十字キーを4キー分として8キーである。その後に発売されたゲーム機のコントローラと比較して決して多くないが、当時はこれらの数のボタンをテレビ画面を見ながら一度にどうやって操作するのかという論争が一部のゲーム専門誌の中にあった。

音源

ファミリーコンピュータの内蔵音源はカスタムLSI (RP2A03) の機能の一つである[26]。この音源により奏でられるBGMは、電子ゲームのようなピコピコというビープ音よりは格段に豊かな表現力を備えながらも、FM音源などと比べればまだ原始的な電子音じみている独特の音色であり、ゲームに対するイメージの1つを作り上げた。PSGと呼ばれることがあるが狭義にはAY-3-8910またはその相当品のことであり、別設計であるpAPUは該当しない。

以下、ファミコン音源の仕様と実際のゲームでの使われ方を挙げる。

  • パルス波(矩形波)発生装置 - 2系統
    • デューティ比 3:1, 1:1, 1:3, 1:7 切り替え
    • 音量を15段階に設定できる。減衰音の使用もできるが低機能で、ほとんどのゲームソフトではソフトウエアでリアルタイムに音量を変化させて表情をつけていた。
    • 主にメロディライン、サブメロディに使われた。
  • 三角波発生装置 - 1系統
    • 4bit波形
    • 音量は仕様上固定だが、DPCMと絡んだバグに近い挙動が存在し、若干音量が変わる。
    • 理想的な三角波と比較してかなり歪んだクセのある音が鳴るが、むしろそれが独特の印象を与えている。
      • いわゆるファミコン互換機ではファミコン三角波のこれら特徴を再現していないものが多い。
    • 上記のように音量の制御が大雑把であるため、ベースラインに使われる事が多かったが、高域では正弦波に近い音に聞こえるので、木管楽器系の印象を出すためのメロディーラインに使われたり、ソフトウエア的なポルタメントによって、シンセドラムとして使われる事もあった。
  • ノイズ発生装置 - 1系統
    • 擬似ホワイトノイズ・短周期ノイズ切り替え、周波数変更、15段階の音量設定が可能。
    • ホワイトノイズは爆発・打撃音などの効果音として使われる事が多かった。
    • 音楽ではドラム系やハイハット的な利用が多かった。
    • 短周期ノイズは金属的な響きがある。
      • 最初期型(コントローラのボタンが四角いゴム)のファミコンでは短周期ノイズを指定しても通常のホワイトノイズが鳴った。
  • DPCM - 1系統
    • レジスタは7bit幅だが、下位1bitがハード的に無視されているため、実際上6bitのデルタPCMとなる。
    • 再生周波数(再生速度)を16段階に変更できる。これは単純な比ではなく音階となるよう設定されており、下位からCDEFGABCDFGACEGC となる(C毎にオクターブが上がる)。
    • サンプリングされた効果音を鳴らすのに利用されたが、カートリッジの容量に対し、大きなデータを必要とするため、積極的に使われるようになるのは後期に入ってからである。
    • 初期の利用例としては、『スパルタンX』の音声がそれにあたる。
    • 音楽としては、発音の短いバスドラムタムタム他、パーカッション系の音を出すのによく使われた。
  • キーオフカウンタ
    • 上記の出力ポートにはキーオフカウンタが設けられており、値を書きこんだ時点から設定されたフレームレートを基準に書き込まれた値の長さの間キーオンされ、フラグによってその終了を確認する事も出来る。
    • 書き込んだ時点からカウントされる主に効果音に用いるための機能であり、ポートごとにカウンタが用意され自動では同期しないなどの仕様から数は少ないものの、BGMの音長管理にカウンタを用いているソフトウェアもある。
    • エミュレータや互換機など、このレジスタ、フラグ、カウンタが正しく実装されていない環境ではこれらを用いた効果音は音が違ったりBGMの演奏が正常に行われないなどの状況が発生する。
  • ミキサー

生成された音声はミキサーを通した後、さらにRFに変換されて出力される。ニューファミコンではオーディオ端子に出力される。この回路や部品が本体の製造時期によって異なるため、同じファミコンであっても本体によって音量バランスや高音域などの出方が異なる。製造期間が長いゲーム機ならではの現象といえる。

なおRF変換の際に高音域がかなり減退しているためAV出力されるニューファミコンではだいぶニュアンスが違って聞こえる。一部のサウンドトラック製作では音質追求のため、RF変換される前の信号を直接取り出すよう改造された本体を使って収録したもの[注釈 13]も存在する。

MMC

I/Oを含むアドレス空間が64kバイトしかなかったため、中期以降のファミリーコンピュータの歴史は、メモリサイズを確保するためのさまざまな工夫が施される。ディスクシステムの登場もその一環といえる。

その中でも最も多く使われた方法がMMC(Multi-Memory Controller)である。MMCはプログラムROMおよびキャラクタROMをバンクに分割し、必要に応じて切り替えるためのゲートアレイであり、カートリッジ内に搭載されている。MMCには実際に実用化されたものだけでも6種類が存在し、スクロール方向の制御などのPPUを補う機能のほか、バッテリーバックアップメモリ、割り込みを発生させるタイマカウンタ(ラスタースクロールなどで活用される)を搭載したものなどもあった。この方式は同社のゲームボーイにおいてもMBC(Memory Bank Controller)として使用されることになる。

MMCと類似のICはサードパーティー各社で開発されており、コナミのVRCチップ等がある。

カセット

カセットは長方形で、下部の左右にへこみがある。本体のカセットイジェクト用レバー(取扱説明書ではイジェクト)をカセット側にスライドさせると、このへこみ部分が本体から押し上げられ、カセットが出てくる仕組みとなっている。

取扱説明書によると、電源オフ後にイジェクトを使用し、静かに抜き取ると指示があるが、イジェクトを使わず抜いても問題ない(実際、AV仕様ファミコンではイジェクトは省略された)。イジェクト機構をわざわざ入れたのは、その仕掛けで子供が喜ぶのでは、という判断によるものである[27]

なお任天堂が発売するカセットラベルは、全ソフト共通の模様がつけられ意匠が統一されていたが、のちに化粧箱と同じイラストをあしらうように改められ、最終的にはサードパーティー同様、ラベルの意匠は統一されなくなった。

カセットは作品によって色が違っており、色以外に独自の意匠を凝らしたものも存在した。大容量のロムを採用した作品はカセット自体が大きくなっている。カセットの色やサイズがバラバラなのはソフトメーカーが自前でカセットを作っていたためである[10]

カセットのパッケージは、紙製の化粧箱にカセット本体とマニュアルなど[28]を収めた樹脂製の内部トレイを収納した形のものが一般的である。ごく初期に発売されたソフトにはトレイが存在せず、カセットとほぼ同サイズの化粧箱に直接カセットが収納されていたが、こうした初期ソフトも再販時にはトレイを使うタイプの箱に変更されている。

箱のサイズはメーカーやソフトによって異なっており、標準サイズと比較して微妙に小さい場合もあれば、大型のマニュアルやカセット以外の付属品が存在する都合上、より大きな箱を使用したソフトも存在している。大型サイズのカセットも同様で、カセットに合わせた大型の箱が使われていた。

プラスチック製のハードケースを採用するメーカーも存在していたが[29]、メーカー間での箱のサイズはまちまちであった。

こうしたパッケージ面での規格統一は、次世代機であるスーパーファミコンで図られていく。

バリエーション

AV仕様ファミリーコンピュータ

ファミコンボックス

ファミコンボックスの例。

ファミコンボックスは、任天堂が開発し、1986年(昭和61年)に交通公社トラベランド興業(のちのJTBトラベランド)より販売された業務用向けファミリーコンピュータ。

本体内に最大15個のファミコンソフトを内蔵する(交換可能)。主にホテル旅館に設置されており、本体側面に設置されているコインボックスにコインを入れると、本体に内蔵されたファミコンソフトを10分または20分間(ディップスイッチの設定による)遊ぶことができる。制限時間内であれば、リセットボタンを押すことで他のゲームに切り替えることができる。

制限時間1分前には時間切れを知らせるブザーが鳴らされ、さらにコインを入れるとプレー時間が追加される。コインを追加しない場合はゲームの進捗にかかわらず「Time Up」と表示される画面に切り替わり、強制終了される。課金方式は設置者により他に2種類(フロントなどで客用の鍵を貸し出して運営する「ビジターキー方式」、および「CATV方式」)あるほか、フリープレイモードがあり、これらに設定した場合は制限時間はない。プレー中以外は内蔵されたソフトのデモ画面を順番に繰り返して表示する。

附属のコントローラと光線銃はNESから流用され、ファミコンボックスのソフトもNESと同じ形状のカセットになっている(ただし、NESとの互換性はない)。 シャープ版の「ファミコンステーション」もあり、メニュー画面の任天堂ロゴが「SHARP」の文字に変更されているなどの違いがある。

2013年(平成25年)現在でも、佐渡汽船カーフェリー内や一部の旅館などでファミコンボックスが稼動しており、実際に遊ぶことが出来る[30]

類似品として北米市場には “Nintendo M82” が存在するが、こちらは店頭でゲームをテストプレーするための販促用デモ機であった。

1990年(平成2年)には後継機として、業務用向けスーパーファミコンのスーパーファミコンボックスがリリースされた。

周辺機器

ファミリーコンピュータ用カセット。カセットの色や形状はタイトルにより異なる。
アルカノイド専用コントローラ
通信アダプタセット

任天堂純正

型番 名称 備考
HVC-001 ファミリーコンピュータ 1983年(昭和58年)7月15日発売。本体カラーは白と赤。1993年(平成5年)12月1日には一部の機能を廃止し、小型化した「AV仕様ファミリーコンピュータ(Newファミコン)」も発売された。AV仕様ファミリーコンピュータについては後述。
HVC-002 ACアダプタ ファミコン本体附属。AV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコン、スーパーファミコンJr.、バーチャルボーイ(ACアダプタタップが別途必要)に流用可能。
HVC-003 RFスイッチ ファミコン本体附属。テレビとRF接続する為に使用。スーパーファミコンに流用可能。オプション使用でAV仕様ファミリーコンピュータ、スーパーファミコンJr.、NINTENDO64にも使用可能。
HVC-004 75Ω / 300Ω変換器 75Ω同軸ケーブルを300Ωフィーダ線に変換する。スーパーファミコンでも使用可能。
HVC-005 光線銃シリーズガン ファミリーコンピュータ用の光線銃。
HVC-006 光線銃シリーズホルスター ガンを腰に下げるホルスター。
HVC-007 キーボード ファミリーベーシックに附属するキーボード。
HVC-008 データレコーダ 対応ソフトのデータをカセットテープに保存できる。
HVC-012 ファミリーコンピュータ ロボット ゲームと連動して動かせるロボット。光線銃の技術を応用したもの。
HVC-021 ディスクカード ファミリーコンピュータ ディスクシステムの記録媒体。クイックディスクがもとになっている。書き換えができ、通常の黄色のものとシャッターが付いている青色のもの等がある。
HVC-022 ディスクドライブ ファミリーコンピュータ ディスクシステムの読み込み装置。専用ACアダプタ、もしくは単二乾電池6本で駆動する。
HVC-023 RAMアダプタ ディスクドライブとファミリーコンピュータ本体を接続する機器。
HVC-025 ディスクドライブ専用ACアダプタ ディスクドライブの電源の一つ。DC端子が現在主流のタイプではない特殊なACアダプタ。
HVC-026 RF延長コード RFケーブルを2メートル延長することができる。
HVC-027 カードクリーナー ディスクカードをクリーニングする機器。
HVC-028 カートリッジ ディスクカードをクリーニングする機器。
HVC-029 クリーニングスプレー クリーニングカードに吹きかけて使用する洗浄液。
HVC-030 クリーニングカード ディスクドライブのディスクヘッドをクリーニングする機器。
HVC-031 3Dシステムスコープ 対応ソフトの映像を立体的に見ることができる。
HVC-032 3Dシステムアダプタ 3Dシステムとファミリーコンピュータを接続するアダプタ。
HVC-050 通信アダプタ ファミリーコンピュータネットワークシステムに接続でき、株取引や馬券購入などが可能。
HVC-051 通信コントローラ 通信アダプタに附属するコントローラ。横長でテンキー状のボタンが付いているのが特徴。通常のゲームソフトにも使用でき、操作性も良い。
HVC-053 モジュラーケーブル 電話線。市販品で代用可能。NINTENDO64のモデムや、ニンテンドーゲームキューブのモデムアダプタにも附属している。
HVC-054 テレフォンスイッチ 電話線を分岐させることができる機器。市販品で代用可能。
HVC-BS ファミリーベーシック ファミリーコンピュータで簡単なプログラムの作成などが出来る機器。1984年(昭和59年)6月21日発売。

任天堂純正・AV仕様ファミリーコンピュータ関連

型番 名称 備考
HVC-101 AV仕様ファミリーコンピュータ 通称Newファミコン。コントローラが取り外せるようになり、マイクが廃止された。AV出力になり、安定した画質が出力できるようになった。なお、テレビとの接続はスーパーファミコンなどと共通のケーブルを使用するが、モノラルケーブルとステレオケーブルしか使用できない。RF出力にはRFモジュレータを使用する。
HVC-102 コントローラ AV仕様ファミリーコンピュータ専用のコントローラ。本体に2つ同梱。初代ファミリーコンピュータには使用できない。初代ファミリーコンピュータ専用のものと大きく形状が変わり、スーパーファミコン同様、I / IIコントローラの区別がなくなった。
HVC-103 RFモジュレータ AV仕様ファミリーコンピュータ専用のRFモジュレータ。RFスイッチを接続する為に使用する。
SHVC-007 モノラルAVケーブル AV仕様ファミリーコンピュータとテレビを接続する為のケーブル。スーパーファミコンNINTENDO64ニンテンドーゲームキューブと共用。本来はスーパーファミコンの周辺機器。
SHVC-008 ステレオAVケーブル AV仕様ファミリーコンピュータとテレビを接続する為のケーブル。このケーブルを使用してもステレオ音声にはならない。スーパーファミコンNINTENDO64ニンテンドーゲームキューブと共用。本来はスーパーファミコンの周辺機器。
NUS-009 RFスイッチUV RFスイッチの改良版。スーパーファミコンNINTENDO64と共用。本来はNINTENDO64の周辺機器。

他社発売

グッズ

ファミコンの人気が出始めた1984年(昭和59年)頃から早くもハードウエアやキャラクターを立体化した「消しゴム」がカプセルトイ自販機にて街中の玩具店等で売られ始めた。その中には任天堂の許諾商品があったが、文字を一部入れ替えた無許諾商品も存在した。また「ポケットファミコン」と言う任天堂許諾商品のキーホルダー(ケースはカセット用を流用)、そしてロッテからは食玩の「ファミコンチョコ」が、サードパーティーによるゲームソフトのボードゲーム等数多くの関連商品が売られた。

ファミコンの製造が終了した2003年(平成15年)以降、本体やコントローラを模した形のグッズが出るようになった。キーホルダークッション時計など様々なものが発売されている。懸賞プレゼントやプライズゲーム用景品など、非売品として世に出るものも多い。これらは子供時代にファミコンに親しんだ人々を主な対象とし、懐かしさを喚起する商品として企画される。グッズではないが、ゲームボーイアドバンスSPゲームボーイミクロには本機をイメージしたカラーバリエーションがある。

人気要因

ファミリーコンピュータが発売された1983年(昭和58年)当時、日本では家庭用ゲーム機、並びに低価格帯のコンピュータの市場はまだ黎明期で、複数のメーカーが争っていた(ファミコン登場以前に一歩抜けだしていたのはエポック社カセットビジョンで累計40万台を販売している[36])。その中でファミコンは競合製品と同価格帯にありながら、特化された設計により、ゲームに対しては高い性能を誇ること[注釈 14]、任天堂自身の優れたソフト開発力、サードパーティーによる豊富なラインアップを実現したことで、他を圧倒する人気を得た[注釈 15]

発売初期には家庭用ゲーム機業界内の後発商品としての利点もあった。アタリはファミコン発売以前に日本で大量の宣伝攻勢をかけており、テレビゲームの認知度および需要を大きく上げていた[41]

1984年(昭和59年)7月に発売されたハドソンの『ロードランナー』が140万本、同年11月に発売されたナムコの『ゼビウス』が127万本を販売すると、タイトーコナミカプコンジャレコなどが相次いでファミコンに参入した(1987年末までにはゲーム業界大手から異業種の企業まで60社近くがサードパーティーに名を連ねることになる)[42]。そして、1985年(昭和60年)9月に発売された任天堂の『スーパーマリオブラザーズ』でファミコンの人気は決定付けられた。これら三本の人気ソフトの貢献でファミコンブームに火が付き、1984年度(昭和59年度)294万台、1985年度(昭和60年度)411万台を販売。最終的には累計1,900万台以上という空前の販売台数を記録することとなった[43]

ファミコンソフトの発売タイトル本数はナムコが83本で1位、2位はコナミで59本、3位はバンダイで58本、4位は任天堂で51本、5位はタイトーで49本である[7]

ファミコンが採用している、ゲーム機本体とゲームソフトを別にする「ロムカセット取り替え式」という仕組みは1976年(昭和51年)に発売されたフェアチャイルドセミコンダクターの家庭用ゲーム機Video Entertainment System[注釈 16]、サードパーティーという概念は1977年(昭和52年)にアタリが発売したVideo Computer Systemがすでに作り上げたもので[注釈 17]、任天堂のオリジナルではない。

当時の任天堂の販売戦略としては次のような要目があった。

低価格設定
手軽に買える価格設定を行い、親が子供に買い与えやすいようにする。
高性能
パソコン的な部分を排除し、ゲーム専用機に絞ったことにより高性能化を実現する。
ソフトの重視
多彩なソフトをどんどん発売し作品数拡充を図る。ユーザーが常に新しいソフトを欲しがるようにする。

高いコストパフォーマンス

当時の任天堂社長である山内は、当初「本体価格を1万円以下に抑えよ」との要求を出しており、それを踏まえて上村らのハード開発部隊は徹底的に製造費を下げる方針を採った。一例として、本体附属のコントローラがアタリジョイスティック型ではなく十字キー型を選択したのは、「子供がうっかり踏んづけても壊れにくい」構造にするという理由もあるが[51]、主眼は製造費用の抑制のためである[52]。さらに当初コントローラはコネクタ接続を予定していたが、コスト低減のためにコネクタを省略して本体直付けとした[53]。また本体のプラスチックが白と赤の二色となったのも「プラスチックの中で最も原価が安いものを選んだ」結果である[52]。ただし本体の色については「山内の指示で赤が選ばれただけで、製造費低減のためではない」とする説もある[54]。またこれまでのゲーム機は主に玩具流通で販売されていたが、この頃の機種はディスカウントストアでも販売され、価格も値下げされていた。値下げ前の価格でも敬遠していた一般層がこれを機に購入するようになり、爆発的な人気に発展したとされている[41]。ただし値下げ販売を快く思わなかった任天堂は、値下げ店への対策として一時出荷を停止している[55][注釈 18]

単純に定価だけ見るのであれば同日に発売されたSG-1000と同程度、ほぼ同時期に発売のカセットビジョンJr.と比べれば実に3倍近い価格である。同年に日本で発売された主な「家庭用テレビゲーム専用機」に限っても(すなわちテレビにつながないCRT一体型機種や、キーボードの付いたゲームパソコン類を除けば)、2万円を超えるものはほぼ前述のAtari 2800くらいしかない。つまり価格そのものは、競合製品と同水準であり、前述の「低価格」は、売価そのものではなく、後述するような高いパフォーマンスを、競合製品[注釈 19]と同水準の価格で提供したことにある。

高性能

1980年代前半はまだ家庭用ゲーム機の普及率が低く、汎用のICチップ[注釈 20]を流用することが一般的であった。結果として画面解像度は低く(100×100程度)、色数も数色程度で、画面スクロールの実現も難しいゲーム機が多かった。

任天堂は家庭用ゲーム機でアーケードで稼働しているゲームを遜色なく遊べるようにするために、当時人気のあったドンキーコングのアーケード基板を参考に、ゲーム向けに仕様を最適化した各種カスタムICの開発を行った。山内溥は、他社が「真似をするのに一年間はかかる」性能を要求したという[56]。コスト要因もあり、CPUの速度やメモリの容量は抑えられることで、汎用性は低い半面、ゲームの表現力に必要で、コスト負担の比較的少ない要素は搭載[注釈 21]した強力な周辺回路の機能により汎用パーツによって構成されたハードウェアに対し、飛躍的に表現力を向上させる事に成功した。

発売半年で47万台、翌年には165万台を売り上げ、その牙城を崩す家庭用ゲーム機が競合他社から出ることはなかった。任天堂がリコーに「2年で300万台保証する」と約束したためにカスタムLSIの価格を抑えられたという話があるが、山内はこの話を否定している[57]。また、1988年(昭和63年)に発行された書籍『電視遊戯大全』によれば、任天堂の「2,000円で売ってほしい」という要求に対し、リコーが「100万台の生産を保証するなら可能であるが、それ以下であれば不可能である」という回答をしたという記述がある。

カスタムチップのベースCPUに、当初任天堂側はアーケードゲームで使い慣れていたZ80を希望したが、リコー側は自社がロックウェルからライセンス取得の見通しが立っていた6502を使うことを提案した[58]。リコーは「Z80のライセンス交渉には相当の時間を要するため、開発期間が長期化する恐れがある」[58]「6502を使うとチップ面積がZ80の1/4になりコスト面で有利なほか、日本国内で6502はあまり普及しておらず他社に真似されにくい」との理由で6502を勧め、任天堂側でも検証の結果「面積をとるZ80よりも、音源電子回路と6502を一つのLSIに組み込んでカスタム化したLSIを採用することで低コスト化の課題が解決できる」[26]「新設計の画像表示用プロセッサとの相性が良い」との理由で6502を採用することになった[59]。カスタムチップの仕様を決めるに当たり、宮本茂の様なゲームデザイナーの要望を取り入れたことも当時としては画期的なことだった。当初上村らが設計したチップでは最終的な本体価格が高額になってしまうことが判明したため、製造費低減策として使用できる色の数を減らしたり、音源の性能を落としたりする必要が出てきたが、この際最終的な色の仕様などは宮本が決定したという[60]。この様な工夫により製造費を下げつつもゲームの品質を損なわない一定の水準を確保したことも、後の人気の大きな要因となった。

リコーが選ばれた背景には、

  1. 三菱電機で任天堂と「カラーテレビゲーム15」の後のゲーム機用LSIの開発に携わっていた八木広満がリコーに移籍し、1980年(昭和55年)に半導体事業に参入しており、任天堂と縁があったこと[61]
  2. リコーは1981年(昭和56年)4月に75億円をかけて、大阪府池田市にカスタムIC専用工場を完成させたが、実績不足から顧客を獲得できず苦境にあったこと。
  3. リコーは、当時機械式複写機を電子化することを予測し、最新の半導体設備と技術陣を準備していたが、その電子化には多くの時間を要するところから、新しい半導体設計をこなせるだけの余裕が残っていた[61]
  4. 当時はアメリカを中心にパソコン市場が急速に拡大していた時代で、半導体を生産する日本のメーカは「DRAM戦争」と呼ばれていた主記憶素子の高速化・大容量化の技術競争に巻き込まれていたが、リコーは半導体専業メーカではなかったことからその影響を受けていなかった[61]

リコーの半導体事業はファミコンの好調な売れ行きのおかげで好転し、4年で黒字転換した[8][62]

ファミコン互換機

2003年(平成15年)9月の任天堂の正規ファミコン製造終了後も、膨大な数の中古ファミコンソフトが日本中に流通しており、ファミコンソフトを遊ぶための本体が必要とされている。これらの需要に応えるため、および家庭用ゲーム市場が発達していない途上国向けに、2012年(平成24年)現在においてもファミコン(およびNES)のソフトが動作する安価な互換機が多数製造され、国内外で販売されている。

復刻版

2001年発売のNINTENDO64用ソフト『どうぶつの森』ではゲーム内で入手出来る家具として「ファミコン」があり、プレイヤーの自宅に置くと一部のファミコンゲームがプレイ可能[63]。続編のニンテンドーゲームキューブ用ソフト『どうぶつの森+』、『どうぶつの森e+』でもファミコン家具は継続された。

2004年にはゲームボーイアドバンス向けにファミコンソフトを移植したシリーズファミコンミニが展開された。

2006年発売のWiiでは、ファミコンなどかつて発売された一部のコンピューターゲームをダウンロード購入し、遊ぶことの出来るサービスバーチャルコンソールが展開され、ニンテンドー3DSWii Uでも継続された。

Nintendo Switchではオンラインサービス「Nintendo Switch Online」が2018年9月に有料化されたことにあわせて、専用ソフト『ファミリーコンピュータ Nintendo Switch Online』がオンラインサービスの加入者向けにダウンロード可能となっている。ファミコンゲームが収録(サービス開始時は20本)されており、オンラインで対戦や協力プレイが可能。また、同ソフト専用としてファミコンのコントローラを実物大に再現した「ファミリーコンピュータ コントローラー」がオンラインサービス加入者限定で通信販売されている[64]

ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ

ファミリーコンピュータを当時のデザインのまま小型化した、任天堂公式の復刻版が2016年(平成28年)11月10日に発売された[65][66]。ロムカセットを差して遊ぶことは出来ないが、当時のゲームのうち30種類が標準で内蔵されている。

海外では日本版とは別にNintendo Entertainment Systemを模した製品も発売されている[67][68]。商品名は、米国では「NES Classic Edition」、欧州では「Nintendo Classic Mini」として発売されており、国内版と海外版は一部収録タイトルが異なる[69]

また、2018年7月7日には集英社発行の漫画雑誌『週刊少年ジャンプ』の創刊50周年を記念し、同誌連載作品が原作となったゲームや同誌が制作に関わったゲーム20作品を収録した「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ 週刊少年ジャンプ50周年記念バージョン」が発売された[70]

ファミコンが与えた影響とその後

ファイル:Unlicensed Famicom ROM cassette.jpg
非公認ファミコンソフト
ファイル:Unlicensed Famicom ROM cassette 2.jpg
パッケージデザインの盗作

「ファミコン」は、その影響力の大きさから早々に普通名称化し、テレビゲームの事情に疎い年配層を中心にテレビゲームそのもののこと(特にゲームハード)を指す代名詞として用いられた。

任天堂は新型機となるAV仕様ファミリーコンピュータへの生産切り換えを行いつつ、日本国内においては新作ソフトの製作・販売を終えた後も本体の製造を続けていたが、発売から20年後となる2003年(平成15年)の9月末、部材調達の困難などを理由として生産を打ち切った。累計販売台数約1,935万台の大ヒット商品となった。

その影響力の大きさと他のゲーム機と比して圧倒的な普及率の高さゆえに当時の子ども達の遊びや話題の主流を占めるに至ったが、「ゲームに没頭し、勉強しなくなる」という理由からファミコンやコンピュータゲーム全般に対し根強い反感や嫌悪感を示す保護者や教育者も存在し、頑として買い与えないケースも見受けられた。また金銭的事情でゲーム機やソフトの購入が困難な家庭も存在した。

1986年(昭和61年)12月、九州大学教育学部は、ファミコンをやる子は暴力的傾向が目立つという研究結果を発表。小学校高学年で週4回以上ゲームをする子としない子では「物を壊したり暴力をふるいたくなるか」の問いに、ゲームをする方がより多く「そう思う」と答えた。さらに「テレビゲームで遊んでいる最中は自分がすべてをコントロールしている」などの優越感、支配感が強くなりがちだという。結果としては「テレビゲームは子供の中にある攻撃性を短絡的に引き出してしまう。子供が弱者いじめを平気ですることと、テレビゲームの流行は同じ素地にあるのではないか」とまとめられている[71]

また、日本を除く東アジアを中心に任天堂へライセンス料を払わずに、日本で発売されたファミコンソフトをそのまま違法コピーしたものやPCエンジン・スーパーファミコン・アーケードゲームなどから勝手に移植されたゲームなどの海賊版ファミコンソフトが出廻っていた。中には日本製ゲームのパッケージデザインをそのまま盗作しているものまであった。

2003年(平成15年)にファミコン本体の特許が切れたため、日本でもファミコン互換機が販売されている。しかし日本国内で市販されているハードにおいてもファミコンの人気ソフトを基にして作成したソフトが内蔵されている場合がある。また海外ではファミコンの特許が切れる2003年(平成15年)以前から任天堂へライセンス料を払っていない互換機が見られた。この中には数百本のファミコンソフトを内蔵したハードすら存在する。2011年(平成23年)からはスーパーファミコン互換機も特許が切れたため販売されている。

2011年(平成23年)に地上波デジタル放送への完全移行が行われたことによって、アナログチューナー付きのテレビが姿を消しつつある。ファミコンはアナログテレビの電波信号を使って出力する仕組みであり、デジタルチューナーには対応していないので使用することが出来ない。これは他のRF接続にしか対応していないレトロゲーム機でも起きている問題である。これはアナログ放送でも、ケーブルテレビなどで1chと2chが同時に使われている場合があり、似たような問題が起こっている。

アナログテレビ放送と同じコンポジット映像信号を扱えるRCA端子が備わっているテレビであれば、RF出力の信号をコンポジット出力信号に変換する周辺機器を使うか、新たに回路を組んでコンポジット映像信号を取り出すことで使用が可能になる。例えば、家庭にある古いビデオデッキなどを変換用に使うなどである。もしくは、コンポジット映像信号を出力可能なAV仕様ファミリーコンピュータやツインファミコンを使う方法がある。ごく一部では通常のファミリーコンピュータに電子回路を組み込み、AV接続対応に改造する業者も存在する。

2007年(平成19年)10月31日をもって任天堂はファミコンおよびスーパーファミコンのサポートを打ち切った。24年にわたり修理などの依頼は受けつけていたが、本体の製造同様、部品の調達が困難になったことなどが理由とされている。その後、ファミコンミニが任天堂から発売されたことにより、一部界隈では再び本体が人気となり、古本屋やリサイクルショップのジャンクコーナーにて本体及びソフトが販売される例が目立つようになった。

同人カセット

後年になっても主にファンの手により何度か非公認の新作ファミコンソフトが発表されている。例えば、2007年(平成19年)にはCS番組『TVゲームジェネレーション 8bitの魂』内の企画でPROJECT-F(プロジェクト エフ)から『ミスタースプラッシュ!』という2人用ゲームが作成され、「13年ぶりの新作ソフト」と称された[72]。これは翌年発売の同番組のDVDボックスにROMデータが(初回限定版では実物のパッケージとマニュアルも)収録され、一部のショップでは限定特典として実物のファミコン用ROMと基板が自作キットの形(カセットの外装は無し)で付属した[73]

また漫画家・イラストレーターのRIKIはかねてより同人ファミコンゲーム『キラキラスターナイト』を制作しており、そのROMデータが書籍のCD-ROMに収録という形で2013年(平成25年)に販売されている[74]。そのRIKIのプロデュースにより、2016年(平成28年)1月30日にはコロンバスサークルから新作ファミコンソフト『8BIT MUSIC POWER』が全国発売された[75]。同作はゲームではなく音楽アルバムソフトであり、なおかつ任天堂ライセンス製品ではないが21年ぶりの新作ファミコンソフトの発売ということで話題となった[76]。続編『8BIT MUSIC POWER FINAL』も2017年(平成29年)4月6日に発売された[77]。ゲームについても上記『キラキラスターナイト』に改良を加えたものが『キラキラスターナイトDX』として同サークルから2016年(平成28年)10月6日に発売。"ウラワザ"と称するデバッグモードも搭載した[78]。また2017年9月には平安京エイリアンの移植作『NEO 平安京エイリアン』も発売[79]など、にわかに活気を帯びてきている。その後も同サークルでは過去の作品Battle Kid: Fortress of Perilをアレンジ移植した『バトルキッド 危険な罠』を発売したり[80]、オリジナルのリズムゲーム『8ビットリズムランド』を発売する[81]など、継続的に活動している。

その他の団体や個人からも、例えば2018年にはIMPACT SOFTから『HARADIUS ZERO(ハラディウス・ゼロ)』[82]のβ版が発売され、2019年にはマスターアップ版も発売予定[83]。2019年には漫画家のむっく制作の『ぽるんちゃんのおにぎり大好き』[84]が発売された。この頃にはWindowsでのファミコンソフト開発を解説する同人誌が登場し[85]、自作ソフトを書き込めるカートリッジが販売される[86]など、ファンの手による開発の敷居は下がってきている。

なお音楽目的のファミコン用カートリッジの例としては、ファミコンの内蔵音源を利用してSDカード経由でNSFファイル形式の音楽再生を行う「TNS-HFC5」等が、自主製作ハードウエアサークルT.N.S.(テラネットワークシステム)から何度か発表されている。これはRF出力ではなくカートリッジのLINE OUTから音声出力されるもので、ソフトというよりは周辺機器に近い外装なしの基板だった。増設ユニット「TNS-HFX4」を併用することで、拡張音源を備えた一部のゲームカセット(ディスクシステムのRAMアダプタを含む)の独自音源で再生することもできた[87][88]

また、2018年にはNintendo Switch版『STEINS;GATE ELITE』の初回特典としてダウンロードソフト『ファミコレADV シュタインズ・ゲート』が制作された。こちらは動作こそNintendo Switch上で行われるがROMデータは実際にファミコンの環境で動作する物となっており、任天堂の許諾を得てカセットを作成し実機で動作させている映像が公開されている。このカセットは一般には頒布されないが、公式の許諾を得ているソフトとしては24年ぶりの新作となる[89]

ファミコンのゲーム作品一覧

脚注

注釈

  1. ^ 一部セーブ機能を持っていながらもバッテリーバックアップを搭載していないソフトがある。
  2. ^ 例えば当時の月刊コロコロコミックでは当時のライバル機を含む家庭用ゲームソフト全般の評価として、『マリオブラザーズ』が1位、『ポパイ』が2位など、4本すべてが9位以内の好評価だった。なお3位はSG-1000の『スター・ジャッカー』であるなど、他機種を含めアーケードからの移植作が多くランクインしていた[14]
  3. ^ 初期の製品には多くの不具合があり[6]、多くのクレームが寄せられていたと言う[6]。例えば野球ゲームである『ベースボール』で、ダイヤモンドが表示されなくなるという問題が発生するなどし、正月休みを返上して回収に当たったと上村は語っている[15]
  4. ^ 当時、米国任天堂社長だった荒川實によれば、ビデオゲームに対する拒絶反応があまりに強いので、最初はほとんど商売にならなかったとのことである[16]
  5. ^ 競合製品の搭載した、AY-3-8910やSN76489等では、デューティ比の固定された矩形波が三音とホワイトノイズのみが出力可能であり、デューティ比が変更できること、⊿PCMを搭載していることは表現の幅という点において大きな差となった。
  6. ^ 当時の多くの競合製品、ならびに低価格帯のコンピュータは、スプライトがあっても一キャラクタで指定できるのは単色のみであったり、スムーズスクロールなどはできないものであり、高価格帯の高解像度な機種は、スプライトなどはなく、グラフィックス処理は当時のCPUにとって非常に重たい処理であり、色数も8色から16色が主流という時代であった。
  7. ^ これはLCDテレビやPCのTVキャプチャなどで画面の端まで表示可能な環境の場合である。一般的なブラウン管テレビでは全ての走査線が表示されるわけではないので、表示範囲がさらに狭くなる可能性もある。
  8. ^ ファイナルファンタジー 任天堂 このページ内の動画で上下端8ラインが表示されていないことが見て取れる。
  9. ^ 上村雅之へのインタビューによる[22]
  10. ^ 同世代のハードウェアでは、セガSG-1000IIでこれと同様のボタン改良を行っている。
  11. ^ 例えば、マイクの機能を使わない状態に戻しても雑音が常に入ってしまう状態になるなど。
  12. ^ 移殖された作品ではオーケストラアレンジなど同曲はパイプオルガンを意識した物となっていない。
  13. ^ EGG MUSIC RECORDSからリリースされたファミコン用サウンドトラック等
  14. ^ 特に当時のアーケードゲームで人気のジャンルに関しては次元の違う性能を発揮した。岩崎啓眞は「当時家庭用ゲームハードでは不可能だった全方向スムーススクロール・多色スプライト・当時としては悪くない音源を備えたマシンで、もうゲームをやるために必要な機能はパーフェクトに備えている」と評価している。[37]
  15. ^ カセットビジョンの開発に携わったエポック社の堀江正幸によればファミコンとは「技術的にはたいした違いはなかった」[38]としている。堀江はファミコンの勝因を、カセットビジョンはソフトを全て自社開発する方針だったのに対し、ファミコンはサードパーティーを引き込んだことでソフトラインアップが豊富だったことを挙げている[38]。反対にソード電算機システムのM5(82年発売。テレビゲーム機市場を意識したホビーパソコンでタカラにもOEM供給され、初年度に当時としては異例の10万台を販売した[39])はゲームソフトは自社では作らず全て他社からの移植という方針だったが、ソード創業者の椎名堯慶は「任天堂さんはゲーム作りが優れていた。ゲームの世界で育ってきた会社ですから、お客さんを喜ばせる方法を知っていた」[40]とファミコンの勝因を分析している。
  16. ^ 日本初のロムカセット取り替え式の家庭用ゲーム機はカセットビジョンである[44]。このほか日本国外の技術を流用した日本国内機種も含めるのであれば、より古い製品もいくつか存在する[45]
  17. ^ ただし、当時の日本ではゲームソフトのサードパーティーという概念は普及しておらず、発売当初からサードパーティーの参入が想定されていたわけではない[46]。ファミリーコンピュータへのサードパーティーの参入はファミリーコンピュータが発売されて約1年後の1984年7月28日に『ナッツ&ミルク』を発売したハドソンが初めてであり、それによって日本で初めて家庭用ゲーム機のサードパーティービジネスが切り開かれるとともに、ソフト媒体の委託生産システムが生まれた[17][47]。ハドソンが参入した約1か月後にナムコが『ギャラクシアン』で2番目のサードパーティーとなったが、ファミリーベーシックの開発を受託したことからハードウェアに関する知識を得られたハドソン[48][49]と異なり、ナムコはハードウェアを独自に解析してソフト開発を行っていた[50]
  18. ^ 高橋はインタビューで「そこで(任天堂の)社長さんがちょっと怒ったようで、『安く売るなら(出荷を)やめよう』となって、3カ月くらい出荷を止めたみたいです。」と語っている[55]
  19. ^ 例えば、カセットビジョンJr.は価格差はあっても、解像度は54×62であり、SG-1000も、発色数は16色、サウンドもデューティ比50:50固定の矩形波と、ノイズのみである。実際の細かい差異は、個々のページを参照。
  20. ^ 他のホームコンピュータ向けに開発されたものや、テレビのチャンネル表示IC等
  21. ^ 少ないとはいえ選択が可能になっている音源の波形、⊿PCMの搭載、パレットによる選択可能な色数など。

出典

  1. ^ ファミリーベーシックとデータレコーダー経由
  2. ^ ディスクシステム経由
  3. ^ 任天堂株式会社 連結販売実績数量推移表” (PDF). 任天堂. 2013年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月24日閲覧。リンク先はアーカイブ。
  4. ^ a b http://www.vgchartz.com/platform/12/nintendo-entertainment-system/
  5. ^ 例として、サポート終了の案内では「コンピュータ」と伸ばしていない [1]
  6. ^ a b c d e f “成功の鍵「ドンキーコング」 ファミコン30歳 開発責任者に聞く”. 毎日新聞 朝刊 (東京): p. 7. (2013年7月17日) 
  7. ^ a b QBQ(編)『懐かしファミコン パーフェクトガイド』マガジンボックス〈M.B.ムック〉、2016年、103頁。ISBN 9784906735891 
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  12. ^ 出版物としては、集英社『週刊プレイボーイ』第48巻第16号(2013年4月22日発売、同年5月13日no18・19合併号)に収録 p. 111
  13. ^ a b 月刊コロコロコミックNo.68(1983年12月号)、「2大テレビゲーム徹底チェック」、pp.327-331
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参考文献

関連項目

外部リンク

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