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フィル・リード

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フィリップ・リードから転送)
フィル・リード
グランプリでの経歴
国籍 イギリスの旗 イギリス
活動期間 1961 - 1976
チーム ヤマハMVアグスタ
レース数 158
チャンピオン 125cc - 1968
250cc - 1964, 1965, 1968, 1971
500cc - 1973, 1974
優勝回数 52
表彰台回数 121
通算獲得ポイント 1040 (1150)
ポールポジション回数 8
ファステストラップ回数 36
初グランプリ 1961 350cc マン島
初勝利 1961 350cc マン島
最終勝利 1975 500cc チェコスロバキア
最終グランプリ 1976 500cc イタリア
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フィル・リード(Phil Read)ことフィリップ・ウィリアム・リード (Phillip William Read、1939年1月1日 - 2022年10月6日[1])は、イングランドルートン出身の元オートバイレーサーである。ロードレース世界選手権で活躍し、通算7度の世界タイトルを獲得した。

経歴

[編集]

同時代に活躍したマイク・ヘイルウッドらの影に隠れがちであるが、グランプリ史上初めて125cc、250cc、500ccの3クラスでワールドチャンピオンになるという偉業を成し遂げたライダーである。

1964年ヤマハのマシンで250ccクラスに参戦し、自身初のタイトルを獲得すると、翌年も続けて250ccクラスチャンピオンとなる。1966年はヤマハが新たに開発した4気筒エンジンのマシンの熟成が進まず、マシントラブルに悩まされてマイク・ヘイルウッドにタイトルを譲ることになった。そして1967年、リードとホンダの新型6気筒マシンに乗るヘイルウッドの熾烈なタイトル争いはお互い一歩も譲らず、最終戦終了時点で両者とも50ポイントと全く同点で並んでいた。結局、リードのシーズン4勝に対してヘイルウッドが5勝を挙げていたことが決め手となり、この年のタイトルはヘイルウッドのものとなった。

1968年は大きな物議を醸したシーズンとなった。この年のヤマハ・ファクトリーの戦略は、リードには125ccクラスタイトルに専念させ、250ccクラスではチームメイトのビル・アイビーのタイトル獲得をサポートさせるというものだった。ところがリードは、順当に125ccクラスのタイトルを獲った後、チームオーダーを無視して250ccクラスのタイトルも手にすることを決心した。これは、ヤマハがこの年限りでワークス活動を撤退することを察知したリードが、タイトル獲得の最後のチャンスであるかもしれないと考えての行動であった[2]。その結果リードとアイビーは全くの同ポイントでシーズンを終え、レースタイムの合計で勝敗を決するという判定によりタイトルはリードのものとなったのである。この一件に憤慨したアイビーは4輪レースに転向し、ヤマハは予想通りこの年をもってワークス活動を休止すると同時にリードに対するサポートを打ち切った。

レギュレーションの変更によって多気筒マシンが締め出され、結果として日本の有力ファクトリーがグランプリから撤退した1969年1970年、リードはイギリス国内選手権に活動の場を移し、グランプリにはスポット参戦するにとどまった。そして1971年、ファクトリーのサポートを全く受けない完全なプライベーターとしてグランプリに帰ってきたリードは、ヘルムート・ファスによる徹底的なチューニングを受けたヤマハの市販マシンで通算5度目のタイトルを獲得するという快挙を成し遂げた。

1972年MVアグスタのファクトリーに迎え入れられたリードは、1973年、長年MVアグスタのエースとして君臨していたジャコモ・アゴスチーニを打ち破ってついに最高峰500ccクラスのタイトルを獲得する。そして続く1974年もタイトル防衛に成功し、この数々の栄光を打ち立てたイタリアのメーカーに最後の栄冠をもたらした。これは同時に4ストロークエンジンのマシンによる500ccクラス最後のタイトルでもあった。これ以降4ストロークのマシンによるタイトル獲得は、2002年のMotoGPクラスの開始まで待たなければならない。

1975年は前年にヤマハに移籍したアゴスチーニと熾烈なタイトル争いを最後まで繰り広げたが、ランキング2位に終わった。もはや4ストロークのマシンでは太刀打ちできないことを悟ったリードはMVアグスタと袂を分かち、1976年スズキの市販マシンでプライベーターとして参戦する。しかしスズキワークスのバリー・シーンにポイントで大差をつけられたリードは、シーズン半ばにして突如グランプリからの引退を発表した。

グランプリから身を引いたリードは、イギリスの国内レースや耐久レース、そして自身が先頭に立ってその危険性を糾弾していたマン島TTレースなどに出場した。しかしマン島レースの出場は大きなブーイングを受けた。中には「転倒しても救助しない」と彼を嫌うオフィシャルもいた。リードの現役最後のレースは1982年、43歳で挑戦したマン島であった。

2002年、MotoGP殿堂入りを果たした。

フィル・リード1975年

2022年10月6日息子のフィル・リード・ジュニアにより死去が公表された。83歳だった[1]

ロードレース世界選手権での戦績

[編集]
  • 凡例
  • ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
  • ポイント欄は有効得点 カッコ内は総得点
クラス マシン 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 ポイント 順位 勝利数
1961 125cc EMC SPA
-
GER
-
FRA
-
IMN
NC
NED
4
BEL
-
DDR
-
ULS
-
ITA
-
SWE
-
ARG
-
3 12位 0
350cc ノートン GER
-
IMN
1
NED
4
DDR
-
ULS
4
ITA
-
SWE
-
14 5位 1
500cc ノートン GER
-
FRA
-
IMN
NC
NED
4
BEL
-
DDR
-
ULS
-
ITA
-
SWE
-
ARG
-
3 15位 0
1962 350cc ノートン IMN
7
NED
6
ULS
-
DDR
-
ITA
-
FIN
-
1 15位 0
500cc ノートン IMN
NC
NED
3
BEL
-
ULS
3
DDR
-
ITA
4
FIN
-
ARG
-
11 3位 0
1963 250cc ヤマハ SPA
-
GER
-
IMN
-
NED
-
BEL
-
ULS
-
DDR
-
ITA
-
ARG
-
JPN
3
4 10位 0
350cc ジレラ GER
3
IMN
NC
NED
-
ULS
-
DDR
-
ITA
-
FIN
-
JPN
-
4 11位 0
500cc ジレラ IMN
3
NED
2
BEL
2
ULS
-
DDR
-
ITA
-
FIN
-
ARG
-
JPN
-
16 4位 0
1964 125cc ヤマハ USA
-
SPA
-
FRA
-
IMN
-
NED
2
GER
-
DDR
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
-
6 8位 0
250cc ヤマハ USA
-
SPA
3
FRA
1
IMN
NC
NED
2
BEL
-
GER
1
DDR
1
ULS
1
ITA
1
JPN
-
46 (50) 1位 5
350cc AJS IMN
2
NED
-
GER
-
DDR
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
-
6 6位 0
500cc マチレス
ノートン
USA
2
IMN
NC
NED
6
BEL
2
GER
3
DDR
-
ULS
1
FIN
-
ITA
-
JPN
-
25 3位 1
1965 125cc ヤマハ USA
-
GER
-
SPA
-
FRA
-
IMN
1
NED
-
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
-
8 10位 1
250cc ヤマハ USA
1
GER
1
SPA
1
FRA
1
IMN
NC
NED
1
BEL
2
DDR
2
CZE
1
ULS
1
FIN
-
ITA
-
JPN
-
56 (68) 1位 7
350cc ヤマハ GER
-
IMN
2
NED
-
DDR
-
CZE
-
ULS
-
FIN
-
ITA
-
JPN
-
6 9位 0
1966 125cc ヤマハ SPA
4
GER
3
NED
3
DDR
4
CZE
-
FIN
1
ULS
3
IMN
2
ITA
4
JPN
5
29 (37) 4位 1
250cc ヤマハ SPA
3
GER
-
FRA
-
NED
2
BEL
2
DDR
2
CZE
2
FIN
-
ULS
NC
IMN
NC
ITA
-
JPN
2
34 2位 0
350cc ヤマハ GER
-
FRA
-
NED
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
IMN
-
ITA
-
JPN
1
8 8位 1
1967 125cc ヤマハ SPA
2
GER
-
FRA
2
IMN
1
NED
1
BEL
-
DDR
2
CZE
-
FIN
-
ULS
2
ITA
-
CAN
-
JPN
-
40 2位 2
250cc ヤマハ SPA
1
GER
2
FRA
2
IMN
2
NED
-
BEL
NC
DDR
1
CZE
1
FIN
-
ULS
-
ITA
1
CAN
2
JPN
-
50 (56) 2位 4
1968 125cc ヤマハ GER
1
SPA
-
IMN
1
NED
1
DDR
1
CZE
1
FIN
1
ULS
2
ITA
2
40 (60) 1位 6
250cc ヤマハ GER
-
SPA
1
IMN
NC
NED
2
BEL
1
DDR
2
CZE
1
FIN
1
ULS
-
ITA
1
46 (52) 1位 5
1969 250cc ヤマハ SPA
-
GER
-
FRA
-
IMN
NC
NED
-
BEL
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
1
YUG
-
15 13位 1
350cc ヤマハ SPA
-
GER
-
IMN
NC
NED
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
1
YUG
-
15 13位 1
1970 250cc ヤマハ GER
-
FRA
-
YUG
-
IMN
-
NED
2
BEL
-
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
3
SPA
-
22 12位 0
350cc ヤマハ GER
-
YUG
-
IMN
-
NED
3
DDR
-
CZE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
-
SPA
-
10 17位 0
1971 250cc ヤマハ AUT
-
GER
1
IMN
1
NED
1
BEL
-
DDR
3
CZE
-
SWE
-
FIN
10
ULS
-
ITA
6
SPA
2
73 1位 3
350cc ヤマハ AUT
-
GER
-
IMN
NC
NED
2
DDR
-
CZE
-
SWE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
-
SPA
-
12 16位 0
500cc ドゥカティ AUT
-
GER
-
IMN
-
NED
-
BEL
-
DDR
-
SWE
-
FIN
-
ULS
-
ITA
4
SPA
-
8 18位 0
1972 250cc ヤマハ GER
-
FRA
1
AUT
-
ITA
-
IMN
1
YUG
-
NED
4
BEL
3
DDR
-
CZE
3
SWE
-
FIN
-
SPA
-
58 4位 2
350cc MVアグスタ GER
-
FRA
-
AUT
-
ITA
4
IMN
NC
YUG
3
NED
5
DDR
1
CZE
-
SWE
2
FIN
-
SPA
-
51 5位 1
1973 350cc MVアグスタ FRA
2
AUT
-
GER
-
ITA
-
IMN
-
YUG
-
NED
2
CZE
3
SWE
3
FIN
2
SPA
NC
56 3位 0
500cc MVアグスタ FRA
2
AUT
-
GER
1
IMN
-
YUG
-
NED
1
BEL
2
CZE
2
SWE
1
FIN
2
SPA
1
84 (108) 1位 4
1974 500cc MVアグスタ FRA
1
GER
-
AUT
-
ITA
3
IMN
-
NED
3
BEL
1
SWE
2
FIN
1
CZE
1
82 (92) 1位 4
1975 500cc MVアグスタ FRA
3
AUT
3
GER
2
ITA
2
IMN
-
NED
3
BEL
1
SWE
2
FIN
-
CZE
1
76 (96) 2位 2
1976 500cc スズキ FRA
NC
AUT
3
ITA
2
IMN
-
NED
NC
BEL
NC
SWE
-
FIN
-
CZE
-
GER
-
22 10位 0

脚注

[編集]
  1. ^ a b RIP Dad. Phil Read MBE passed away peacefully in his sleep on 6th October, 2022. Phil Read Jr 2022年10月6日
  2. ^ マイケル・スコット『The 500cc World Champions』(ウィック・ビジュアル・ビューロウ発行) ISBN 978-4-900843-53-0

外部リンク

[編集]