ブレット・セイバーヘイゲン
2018年 | |
基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | イリノイ州シカゴハイツ |
生年月日 | 1964年4月11日(60歳) |
身長 体重 |
6' 1" =約185.4 cm 200 lb =約90.7 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1982年 ドラフト19巡目 |
初出場 | 1984年4月4日 |
最終出場 | 2001年8月7日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ブレット・ウィリアム・セイバーヘイゲン(Bret William Saberhagen、1964年4月11日 - )は、MLBの元選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国イリノイ州シカゴハイツ出身。
経歴
[編集]カンザスシティ・ロイヤルズ
[編集]1982年のMLBドラフトでカンザスシティ・ロイヤルズから19巡目に指名を受け入団。下位指名ながらすぐに頭角を現し、1983年にA級とAA級合計で16勝5敗・防御率2.55を記録し、1984年4月4日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。9月24日のカリフォルニア・エンゼルスとのダブルヘッダー第1戦でメジャー初完封勝利。新人ながら10勝11敗・防御率3.48を記録し、チームの地区優勝に貢献。レギュラーシーズンで104勝を挙げたデトロイト・タイガースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第2戦に先発し、8回3失点(自責点2)の好投を見せるが延長の末に敗れ、結局3連敗で敗退しリーグ優勝はならなかった。
1985年は20勝6敗・防御率2.87を記録し、チームの2年連続地区優勝の原動力となる。トロント・ブルージェイズとのリーグチャンピオンシップシリーズでは2試合に先発し防御率6.14と振るわなかったが、チームは1勝3敗から3連勝で5年ぶりのリーグ優勝を果たした。セントルイス・カージナルスとのワールドシリーズでは本拠地での第1・2戦を連敗した後の第3戦に先発し、1失点完投勝利。第4戦で敗れて1勝3敗と追い込まれるが、3勝3敗のタイに持ち込んで迎えた第7戦。息子が産まれた翌日に5安打完封勝利を挙げ、シリーズ史上初めて1勝3敗からの逆転でワールドチャンピオンに輝いた。2勝0敗・防御率0.50の成績でシリーズMVPに選出された。この活躍が評価されて初のサイ・ヤング賞を受賞した。
1986年は7勝12敗・防御率4.15と不調に終わる。1987年は前半戦で15勝3敗・防御率2.47を記録し、オールスターゲームに初めて選出され先発投手を務めた。後半戦で3勝7敗・防御率4.61と不調に陥ったが、シーズン通算で18勝10敗・防御率3.36の成績でカムバック賞を受賞した。1988年は14勝16敗に留まり、被安打271はリーグワーストだった。1989年は後半戦で15勝2敗・防御率1.74を記録し、シーズン通算で23勝6敗・防御率2.16、リーグ最多の12完投で、最多勝と最優秀防御率のタイトルを獲得。2度目のサイ・ヤング賞と初のゴールドグラブ賞を受賞した。1990年は内容は悪くなかったが援護に恵まれなかった。3年ぶりにオールスターゲームに選出され勝利投手となるが、後半戦で故障し20試合の登板で5勝9敗に終わった。1991年は途中故障による離脱もあったが、8月26日のシカゴ・ホワイトソックス戦でノーヒッターを達成。13勝8敗・防御率3.07を記録した。12月11日にケビン・マクレイノルズ、グレッグ・ジェフリーズらとの交換トレードで、1選手と共にニューヨーク・メッツに移籍。
ニューヨーク・メッツ
[編集]メッツは前年の地区5位(6球団中)からの巻き返しを狙い、他にボビー・ボニーヤ、エディ・マレーらを獲得する大型補強を敢行。移籍1年目の1992年は開幕から3試合で防御率13.15と打ち込まれ、その後復調するが故障により戦線離脱。3勝に留まり、チームは変わらず5位に終わる。1993年も7勝に終わり、チームはエクスパンションによって誕生した新球団フロリダ・マーリンズすら上回れず最下位に沈んだ。1994年は開幕から好調で前半戦で10勝を挙げ、移籍後初めてオールスターゲームに選出されたが登板機会はなかった。1994年から1995年のMLBストライキでシーズンが打ち切られたが、14勝4敗・防御率2.74を記録。177.1イニングで13四球しか与えず、9イニング平均で0.66という抜群の制球力だった。2桁勝利を挙げ、与四球が勝利数を下回ったというのは長いメジャーの歴史でもほとんど例がない。サイ・ヤング賞の投票では3位に入った。1995年6月2日のロサンゼルス・ドジャース戦で野茂英雄と投げ合い、7回2失点(自責点1)の好投を見せるが敗戦投手となり、野茂がメジャー初勝利を挙げた。7月31日に2選手との交換トレードで、後日発表の1選手と共にコロラド・ロッキーズに移籍。
コロラド・ロッキーズ
[編集]移籍後は2勝1敗・防御率6.28に終わるが、チームはワイルドカードを獲得し、創設3年目で初のポストシーズン進出を果たすが、アトランタ・ブレーブスとのディビジョンシリーズでは第4戦に先発するが、4回6失点で敗戦投手となり、チームも1勝3敗で敗退した。1996年は故障のためプレイできず、オフにフリーエージェントとなり、12月9日にボストン・レッドソックスと契約。
ボストン・レッドソックス
[編集]1997年は実に14年ぶりとなるマイナーを経験。終盤メジャーに昇格し、6試合に先発するも防御率6.58に終わり、再びフリーエージェントとなるが再契約。1998年は前半戦で10勝を挙げ復活を果たす。最終的に15勝8敗・防御率3.96を記録し、チームのワイルドカード獲得に貢献。クリーブランド・インディアンスとのディビジョンシリーズでは第3戦に先発し、7回3失点の好投を見せるが敗戦投手となり、チームも1勝3敗で敗退。オフに2度目のカムバック賞を受賞した。1999年も故障がちながら安定した投球を見せ、10勝6敗・防御率2.95を記録。チームは2年連続ワイルドカードでポストシーズンに進出。再びインディアンスとの対戦となったディビジョンシリーズでは2試合に先発し防御率27.00と滅多打ちにされるが、チームは3勝2敗でシリーズ突破。ヤンキースとのリーグチャンピオンシップシリーズでは第4戦に先発、6回3失点(自責点1)と好投するが敗戦投手。チームも1勝4敗で敗退しリーグ優勝はならなかった。2000年はメジャーでの登板がなく、2001年に3試合に先発するが結果を残せず、同年限りで現役引退。
前述の息子ドルー・セイバーヘイゲンは、2004年のMLBドラフトでオークランド・アスレティックスから38巡目に指名を受けた(入団はせず)。
2005年にロイヤルズの殿堂入りを果たした。
選手としての特徴
[編集]コントロールが良く、9イニング平均の与四球は通算で1.65、1994年に記録したK/BB11.00は規定投球回以上では歴代2位である。同時期に活躍したドワイト・グッデンは3.06、フランク・バイオーラが2.74、ロジャー・クレメンスが2.89。四球が少ないことで知られるグレッグ・マダックスでも1.81である。
投手としての球種はカーブ、スライダー、チェンジアップ『guide to pitchers』(米書 より)
詳細情報
[編集]年度別投手成績
[編集]年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1984 | KC | 38 | 18 | 2 | 1 | 1 | 10 | 11 | 1 | -- | .476 | 634 | 157.2 | 138 | 13 | 36 | 4 | 2 | 73 | 7 | 1 | 71 | 61 | 3.48 | 1.10 |
1985 | 32 | 32 | 10 | 1 | 3 | 20 | 6 | 0 | -- | .769 | 931 | 235.1 | 211 | 19 | 38 | 1 | 1 | 158 | 1 | 3 | 79 | 75 | 2.87 | 1.06 | |
1986 | 30 | 25 | 4 | 2 | 1 | 7 | 12 | 0 | -- | .368 | 652 | 156.0 | 165 | 15 | 29 | 1 | 2 | 112 | 1 | 1 | 77 | 72 | 4.15 | 1.24 | |
1987 | 33 | 33 | 15 | 4 | 4 | 18 | 10 | 0 | -- | .643 | 1048 | 257.0 | 246 | 27 | 53 | 2 | 6 | 163 | 6 | 1 | 99 | 96 | 3.36 | 1.16 | |
1988 | 35 | 35 | 9 | 0 | 1 | 14 | 16 | 0 | -- | .467 | 1089 | 260.2 | 271 | 18 | 59 | 5 | 4 | 171 | 9 | 0 | 122 | 110 | 3.80 | 1.27 | |
1989 | 36 | 35 | 12 | 4 | 4 | 23 | 6 | 0 | -- | .793 | 1021 | 262.1 | 209 | 13 | 43 | 6 | 2 | 193 | 8 | 1 | 74 | 63 | 2.16 | 0.96 | |
1990 | 20 | 20 | 5 | 0 | 2 | 5 | 9 | 0 | -- | .357 | 561 | 135.0 | 146 | 9 | 28 | 1 | 1 | 87 | 1 | 0 | 52 | 49 | 3.27 | 1.29 | |
1991 | 28 | 28 | 7 | 2 | 3 | 13 | 8 | 0 | -- | .619 | 789 | 196.1 | 165 | 12 | 45 | 5 | 9 | 136 | 8 | 1 | 76 | 67 | 3.07 | 1.07 | |
1992 | NYM | 17 | 15 | 1 | 1 | 0 | 3 | 5 | 0 | -- | .375 | 397 | 97.2 | 84 | 6 | 27 | 1 | 4 | 81 | 1 | 2 | 39 | 38 | 3.50 | 1.14 |
1993 | 19 | 19 | 4 | 1 | 1 | 7 | 7 | 0 | -- | .500 | 556 | 139.1 | 131 | 11 | 17 | 4 | 3 | 93 | 2 | 2 | 55 | 51 | 3.29 | 1.06 | |
1994 | 24 | 24 | 4 | 0 | 2 | 14 | 4 | 0 | -- | .778 | 696 | 177.1 | 169 | 13 | 13 | 0 | 4 | 143 | 0 | 0 | 58 | 54 | 2.74 | 1.03 | |
1995 | 16 | 16 | 3 | 0 | 1 | 5 | 5 | 0 | -- | .500 | 452 | 110.0 | 105 | 13 | 20 | 2 | 5 | 71 | 2 | 0 | 45 | 41 | 3.35 | 1.14 | |
COL | 9 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | -- | .667 | 206 | 43.0 | 60 | 8 | 13 | 1 | 5 | 29 | 1 | 0 | 33 | 30 | 6.28 | 1.70 | |
'95計 | 25 | 25 | 3 | 0 | 1 | 7 | 6 | 0 | -- | .538 | 658 | 153.0 | 165 | 21 | 33 | 3 | 10 | 100 | 3 | 0 | 78 | 71 | 4.18 | 1.29 | |
1997 | BOS | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | -- | .000 | 120 | 26.0 | 30 | 5 | 10 | 0 | 2 | 14 | 1 | 0 | 20 | 19 | 6.58 | 1.54 |
1998 | 31 | 31 | 0 | 0 | 0 | 15 | 8 | 0 | -- | .652 | 725 | 175.0 | 181 | 22 | 29 | 1 | 6 | 100 | 4 | 0 | 82 | 77 | 3.96 | 1.20 | |
1999 | 22 | 22 | 0 | 0 | 0 | 10 | 6 | 0 | 0 | .625 | 480 | 119.0 | 122 | 11 | 11 | 0 | 2 | 81 | 1 | 0 | 43 | 39 | 2.95 | 1.12 | |
2001 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 64 | 15.0 | 19 | 3 | 0 | 0 | 1 | 10 | 0 | 0 | 11 | 10 | 6.00 | 1.27 | |
通算:15年 | 399 | 371 | 76 | 16 | 23 | 167 | 117 | 0 | -- | .588 | 10421 | 2562.2 | 2452 | 218 | 471 | 34 | 59 | 1715 | 53 | 12 | 1036 | 952 | 3.34 | 1.14 |
- 各年度の太字はリーグ最高
タイトル
[編集]- 最多勝利 1回:1989年
- 最優秀防御率 1回:1989年
表彰・記録
[編集]- サイ・ヤング賞 2回:1985年, 1989年
- ゴールドグラブ賞 1回:1989年
- MLBオールスターゲーム選出 3回:1987年, 1990年, 1994年
- カムバック賞 2回:1987年, 1998年
- ワールドシリーズMVP 1回:1985年
- ベーブ・ルース賞1回:1985年