今村成和
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今村 成和(いまむら しげかず 1913年7月20日 - 1996年10月13日)は、日本の法学者。専門は、行政法・経済法。
学位は、法学博士(東京大学、1961年)(学位論文「国家補償法」)。北海道大学名誉教授、北海学園大学名誉教授。日本学士院会員。1985年勲一等瑞宝章受章。京城(後の韓国ソウル)生まれ。父は樺太庁長官の今村武志、柳宗悦は母方の伯父。
経歴
[編集]朝鮮京城生まれ。京城師範学校附属小学校・中学校卒業。1934年3月、 第二高等学校文科甲類卒業。1937年3月 - 東京帝国大学法学部政治学科卒業。
1937年4月、三菱商事株式会社入社(総務部文書課法規係勤務)。
1947年8月、公正取引委員会事務局事務嘱託。1947年9月、公正取引委員会事務局調査部第一課勤務1948年7月、公正取引委員会事務局調査部事業者団体課長。1949年7月、公正取引委員会事務局調査部調査第一課長
1950年3月、北海道大学法文学部講師。1950年4月、北海道大学法経学部講師。
1950年6月、文部省内地調査員(1951年4月まで)。1951年6月、文部省内地調査員(1952年3月まで)。
1952年1月、北海道大学法経学部教授。1955年8月、北海道大学評議員(1961年3月まで)。1959年4月 - 北海道大学法学部長(1961年3月まで)。1965年10月 - 北海道大学附属図書館長(1971年9月まで)。1975年5月 - 北海道大学学長(1981年4月まで)。
東北大学法学部(1967年6月 - )、名古屋大学法学部(1970年8月 - )、東京大学法学部(1971年10月 - )、弘前大学人文学部(1972年7月 - )で非常勤講師を併任した。
1981年、北海道大学退官、北海道大学名誉教授。同年4月、北海学園大学法学部教授。1993年10月、北海学園大学退職。1993年12月、北海学園大学名誉教授。
1996年、脳梗塞で入院中の札幌市内の病院で肺炎のため死去。墓所は多磨霊園。
学外における役職
[編集]- 1953年6月 - 北海道収用委員会委員
- 1957年1月 - 日本学術会議会員(第4期から第11期まで)
- 1957年11月 - 北海道地方労働委員会委員
- 1959年9月 - 北海科学技術審議会委員
- 1960年3月 - 司法試験考査委員
- 1962年1月 - 産業構造審議会専門委員
- 1962年4月 - 学術奨励審議会委員(1964年3月まで)
- 1965年9月 - 人権擁護委員(1975年9月まで)
- 1965年10月 - 公共用地審議会臨時委員(1966年3月まで)
- 1966年 - 日本公法学会理事(1988年まで)
- 1972年 - 租税法学会理事(1988年まで)
- 1974年2月 - 北海道物価対策委員会委員
- 1974年7月 - 道民生活安定審議会委員
- 1975年1月 - 日本学術会議第二部長
- 1975年5月 - 科学技術会議専門委員
- 1975年7月 - 大学設置審議会委員(大学設置分科会)
- 1979年 - 経済法学会理事長(1987年まで)
- 1980年 - 日本土地法学会会長(初代 1983年まで)
- 1991年 - 国際経済法学会会長(初代 1993年まで)
- 1992年 - 日本学士院会員
- 1992年 - 北海道ポーランド文化協会会長
エピソード
[編集]恩師である田中二郎が北海道大学の併任教授をしていたが、その後任で専任教授として赴任した。脳梗塞で倒れて自身が死去した際は、「法律系図書が不足しがちなので、私の蔵書は全て北海学園大学付属図書館に寄贈してもらいたい」と遺言した事により、「今村文庫」として北海学園大学付属図書館に配架されている。カメラ収集や風景写真撮影を趣味としていた。
受賞歴
[編集]主著
[編集]- 『国家補償法』(有斐閣法律学全集、1957年)
- 『独占禁止法(新版)』(有斐閣、1978年)
- 『行政法入門(第6版)』(有斐閣、1995年)
- 『行政法入門(第8版補訂版)』(有斐閣、2007年)*畠山武道が補訂
- 『独占禁止法入門(第4版)』(有斐閣、1993年)
- 『人権論考』(有斐閣、1994年)
門下生
[編集]脚注
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参考文献
[編集]- 『北海道人物・人材情報リスト2004 あ-お』(日外アソシエーツ編集・発行、2003年)
- 髙木正雄編『北海道建設人物事典』(北海道建設新聞社、2008年)