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初田牛駅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
初田牛駅
駅舎(2018年9月)
はったうし
Hattaushi
厚床 (7.1 km)
(8.5 km) 別当賀
地図
所在地 北海道根室市初田牛340番地5
北緯43度12分16.31秒 東経145度19分21.88秒 / 北緯43.2045306度 東経145.3227444度 / 43.2045306; 145.3227444座標: 北緯43度12分16.31秒 東経145度19分21.88秒 / 北緯43.2045306度 東経145.3227444度 / 43.2045306; 145.3227444
所属事業者 北海道旅客鉄道(JR北海道)
所属路線 根室本線(花咲線)
キロ程 406.0 km(滝川起点)
電報略号 ウシ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1920年大正9年)11月10日
廃止年月日 2019年平成31年)3月16日
備考 無人駅
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初田牛駅(はったうしえき)は、かつて北海道根室市初田牛に所在した北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線(花咲線)の廃駅)である。電報略号ウシ事務管理コードは▲110449[1]。 廃止前までは上下1本の普通列車が当駅を通過していた。

歴史

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1978年の初田牛駅と周囲約500m範囲。右が根室方面。短いながら石組み土盛の単式ホームを持つ。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
  • 1920年大正9年)11月10日鉄道省釧路本線(→根室本線)厚床駅 - 西和田駅間延伸に伴い開業、一般駅[2]
  • 1944年昭和19年)12月2日:駅舎改築[3]
  • 1962年(昭和37年)12月9日:同日付で車扱貨物・集荷配達の取り扱いを廃止[3][4]
  • 1964年(昭和39年)4月1日:業務委託駅に変更[3]
  • 1971年(昭和46年)10月2日:貨物・荷物取扱い廃止し旅客駅となる[5]。同時に無人化[3][6]
  • 1972年(昭和47年)4月:隣の厚床駅まで通学する地元中学生のために、釧路行き貨物列車を臨時停車させ、車掌車に便乗しての乗客取り扱いを開始(取り扱い終了時期不明)[7]
    • それまで中学生たちは、当時の上り始発であった6時22分発の列車で通学していたため、学校に到着後教室で1時間半ほど待機する必要があった。特に冬季には暖房がない中での待機であり、話を聞いた生徒の親たちが根室市教育委員会に訴え、教育委員会から釧路鉄道管理局に働きかけてこの措置が実現した。
    • 貨物列車は7時44分に臨時停車し、生徒たちは前もって発行された「貨物列車便乗承認証」を定期券と共に提示して車掌車に乗車することができた[7]
  • 1977年(昭和52年)10月24日:駅舎改築竣工[3]
  • 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、北海道旅客鉄道(JR北海道)へ移管[8]
  • 2018年平成30年)
    • 10月29日:JR北海道が当駅を2019年(平成31年)3月に実施予定のダイヤ改正で廃止する意向を根室市へ通達[9]
    • 11月15日:初田牛地区で廃止について住民説明会。地域住民、JR北海道と根室市の担当者が出席[10]
  • 2019年(平成31年)3月16日:同日実施のダイヤ改正に合わせ、利用者減少に伴い廃止[JR北 1]

駅名の由来

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地名より。当地を水源とする川の名称ともなっている。山田秀三によるとアイヌ語に由来する以下の2説があり、いずれも永田方正『北海道蝦夷語地名解』から紹介している[11]

  • ブドウ・採る・いつもする・ところ(川)」を表す「ハッタウㇱイ(hat-ta-us-i)」から[11]
  • 「淵が・ついている・もの(川)」を表す「ハッタㇻウㇱイ(hattar-us-i)」から[11]

山田はこの2説について「どっちが正解なのかは今となっては分からない」としつつ、「古い松浦図[注釈 1]は『ハッタウシ』なので」ということを踏まえて「hat-ta-us-i」説を支持した上で、初田牛川の付近を流れる「和田牛(わったらうし)川」のアイヌ語名とされる「オワタラウㇱイ(o-watara-us-i)[注釈 2]」と相互に混合があったのではないか[注釈 3]、と推測している[11]

なお、他文献では駅名・地名の由来は以下のように紹介されている。

  • 1939年に札幌鉄道局が編纂した『駅名の起源』では「アイヌ語『ハッタ、ウシ』から出たもので(葡萄を採る澤)の義を有してゐる」としている[12]
  • 1973年に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』では「オ・ハッタラ・ウシ」(川口にふちのある所)を由来とする、としている[13]
  • 本多『北海道地名漢字解』は「ハッタウㇱ(hat-ta-us)」(いつも・山ブドウを・採る〔処〕)から、としている[14]

廃止当時の駅構造

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単式ホーム1面1線を有する地上駅。営業当時は無人駅で、根室駅の管理下にあった。新吉野駅姉別駅と同一形状の待合所を有した。

利用状況

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乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。

また、「JR調査」については、当該の年度を最終年とする過去5年間の各調査日における平均である。

年度 乗車人員(人) 出典 備考
年間 1日平均 JR調査
1978年(昭和53年) 10 [15]
1979年(昭和54年) 2,410 (6.6) [16]
1980年(昭和55年) 2,200 (6.0)
1981年(昭和56年) 2,160 (5.9)
1992年(平成04年) (4.0) [17] 1日平均乗降客数8人
2015年(平成27年) 「1名以下」 [JR北 2]
2016年(平成28年) 0.2 [JR北 3]
2017年(平成29年) 0.2 [JR北 4]

駅周辺

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駅前(2018年9月)

待合室は北海道道1127号初田牛厚床線から分岐する砂利道の先に位置した。森の中にあり、付近に初田牛地区の集会所があるが民家は疎らである。駅裏には北海道道142号根室浜中釧路線付近へ至る道路があるが、渡線路などは設置されていないため迂回が必要であった。なお、この付近は霧の発生が比較的多い場所であり、駅付近には防霧保安林が設けられている[18]

駅跡については、廃止前の2018年11月15日に初田牛地区で行われた住民説明会の席上で、住民側から「モニュメント的なものの設置」が要望され[10]、その後沿革などが記された記念看板が設置されている[19]

隣の駅

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北海道旅客鉄道(JR北海道)
根室本線(花咲線)(廃止時点)
厚床駅 - 初田牛駅 - 別当賀駅

脚注

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注釈

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  1. ^ 松浦武四郎『東西蝦夷山川地理取調図』のこと。
  2. ^ 「川尻に・岩が・ある・もの(川)」を意味する[11]
  3. ^ 山田は現在の「和田牛」のよみである「わったらうし」や下流の地名「オワッタラウシ」は「o-watara-us-i」の「watara(岩)」が「hattar(淵)」と同義の「wattar」と混合されて生じたのではないか、と解釈したうえで、逆に「hat(ブドウ)」が「hattar」と読まれることも「ありそうなことだ」としている[11]

出典

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  1. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、233頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  2. ^ 内閣印刷局, ed (1920-10-30). “鉄道省告示 第113号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (2475). https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2954589/5. 
  3. ^ a b c d e 『JR釧路支社 鉄道百年の歩み』北海道旅客鉄道株式会社釧路支社、2001年12月25日、89, 97, 98, 103, 108頁。 
  4. ^ 日誌(昭和37年度12月分)」『鉄道統計月報――昭和37年度12月分』、日本国有鉄道経理局審査統計課、1963年3月、doi:10.11501/2267839 
  5. ^ 「日本国有鉄道公示第408号」『官報』1971年10月2日。
  6. ^ 「通報 ●根室本線西帯広駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報日本国有鉄道総裁室文書課、1971年10月2日、2面。
  7. ^ a b 「通学は貨物列車で」『朝日新聞』1972年4月24日、朝刊、9面。
  8. ^ 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、884頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  9. ^ “「秘境駅」根室・初田牛駅廃止へ JR、来年3月で”. 北海道新聞. (2018年10月30日). オリジナルの2018年10月30日時点におけるアーカイブ。. https://archive.fo/OSgUM 2018年10月30日閲覧。 
  10. ^ a b “初田牛駅廃止 住民説明会開く【根室】”. 北海道ニュースリンク. 根室新聞社 (十勝毎日新聞社). (2018年11月16日). オリジナルの2019年3月24日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190324114808/http://www.hokkaido-nl.jp/article/8685 2019年3月24日閲覧。 
  11. ^ a b c d e f 山田秀三 (2018-11-30). 北海道の地名. アイヌ語地名の研究 別巻 (2 ed.). 浦安市: 草風館. p. 245. ISBN 978-4-88323-114-0 
  12. ^ 札幌鉄道局 編『駅名の起源』北彊民族研究会、1939年、67頁。NDLJP:1029473 
  13. ^ 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、157頁。ASIN B000J9RBUY 
  14. ^ 本多 貢 (1995-01-25). 児玉芳明. ed (日本語). 北海道地名漢字解. 札幌市: 北海道新聞社. p. 74. ISBN 4893637606. OCLC 40491505. https://www.worldcat.org/oclc/40491505 2018年10月16日閲覧。 
  15. ^ 藤田, 稔 編『国鉄全駅大事典』藤田書店、1980年4月30日、873頁。doi:10.11501/12065814https://dl.ndl.go.jp/pid/12065814 
  16. ^ 根室市 (1985-03-20). “第8編 運輸・通信” (pdf). 昭和59年度根室市統計書: 52. オリジナルの2022-09-11時点におけるアーカイブ。. https://archive.ph/Os5EV. 
  17. ^ 宮脇俊三原田勝正 著、二見康生 編『北海道630駅』小学館〈JR・私鉄各駅停車〉、1993年6月20日、121頁。ISBN 4-09-395401-1 
  18. ^ 牛山 隆信 『いま行っておきたい秘境駅2』 p.30 自由国民社 2015年12月28日発行 ISBN 978-4-426-12033-7
  19. ^ “初田牛駅跡に記念看板 住民が要望「駅があったこと思い出して」”. 北海道新聞. (2019年7月9日). オリジナルの2019年7月9日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/LlLgL 2019年7月9日閲覧。 

JR北海道

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  1. ^ 2019年3月ダイヤ改正について』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道株式会社、2018年12月14日、4頁。オリジナルの2018年12月14日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20181214051017/https://www.jrhokkaido.co.jp/CM/Info/press/pdf/20181214_KO_H31Kaisei.pdf2018年12月14日閲覧 
  2. ^ 極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
  3. ^ 根室線(釧路・根室間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)』、北海道旅客鉄道、2017年12月8日。オリジナルの2017年12月9日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20171209102705/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/senku/pdf/senku/05.pdf2017年12月10日閲覧 
  4. ^ 根室線(釧路・根室間)」(PDF)『線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために)』、北海道旅客鉄道株式会社、3頁、2018年7月2日。オリジナルの2018年8月19日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20180818152757/http://www.jrhokkaido.co.jp/corporate/region/pdf/senku/05.pdf2018年8月19日閲覧 

関連項目

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