利用者‐会話:検見川町

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検見川町さんがウィキペディアにおいて実り多き執筆・活動をなされることを楽しみにしております。--ロボットAlexbotAlexshによる自動操作 2010年6月26日 (土) 14:25 (UTC)[返信]

お願い[編集]

こんにちは、福原です。政令市行政区自治体ではないため、旧町村のページのテンプレートの現在の自治体や隣接自治体の項目に行政区の追加はおやめになるようお願いします。全角括弧の有無は見た目上変わりません。全角括弧の使用は行政区のページの行政区のテンプレートだけにとどめてください。-- 福原実 2010年7月9日 (金) 14:09 (UTC)[返信]

不勉強につき、失礼いたしました。以後注意します。--検見川町 2010年7月9日 (金) 14:45 (UTC)[返信]

愛知県[編集]

投稿する際はプレビューや差分などで自身の編集をご確認ください。この版および差分を見て分かるとおり一切確認していないということは言うまでもありません。--114.146.54.80 2011年7月17日 (日) 06:41 (UTC)[返信]

涌谷県について[編集]

初めまして Orichalcumという者です。

登米県の項目の中で、登米県の前身である「涌谷県」について書かれてますが、『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』、松尾正人『廃藩置県』(1986年)、京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』(1990年)、『岩波日本史辞典』(1999年)等を読む限り、「涌谷県」という存在を確認できません。

現時点で私が確認したのは、

  • 明治2年旧暦8月7日に、東北5県の一つとして「登米県」が設置されたこと(『明治史要』によると『任解目録』が元史料で、『地方沿革略譜』、『府藩県廃置分合一覧』、松尾正人『廃藩置県』(1986年)もこれを採用)
  • 明治2年旧暦8月18日に、東北10県を置くを以て東北諸藩の分管を罷んだこと(『明治史要』によると『太政官日誌』、『東京官中日記』が元史料で、京大日本史辞典編纂会『新編日本史辞典』(1990年)、『岩波日本史辞典』(1999年)はこちらの日付を登米県成立の日付として採用)

ですが、これらの資料には涌谷県の存在が掲載されておりません。『明治史要』と『太政官日誌』を確認しましたが、明治2年旧暦3月28日の項には特に涌谷県について何も書かれていません。

何の資料を出典として涌谷県の項目を書かれたのでしょうか?Orichalcum 2011年9月17日 (土) 11:00 (UTC)[返信]

宮城県ホームページTOP > みやぎのプロフィール > みやぎのあゆみ > 県の行政区画の変遷「地域別で見る」です。角川日本地名大辞典にも掲載されています。仙台藩盛岡藩の処分にともなう一時的な県の設置については、資料によって正式な県の設置と見なすかどうかの解釈の違いがあるようです。--検見川町 2011年9月17日 (土) 14:01 (UTC)[返信]
有難う御座います。ただ明治2年旧暦3月18日にせよ、明治2年旧暦3月28日にせよ、中央政府の公的資料であるはずの『法令全書』と『太政官日誌』の該当する日付を見た限りは、土浦藩取締地、宇都宮藩取締地に涌谷県、栗原県を設置したという記述が見つかりません。来週にでも『角川日本地名大辞典』と『宮城県史』を読んで、該当する地域の変遷を確認してみます。
ところで府藩県三治制の項目ですが、結構日付の間違いがある外、府県の変遷を地域毎に一列に並べようとした結果、記述に不十分な箇所が幾つかありました。これを含め、今月中に色々改訂してみようと思います。Orichalcum 2011年9月17日 (土) 16:45 (UTC)[返信]
了解いたしました。府藩県三治制の項目については、既存の記述を整理したのみで、私が日付を確認していない部分も多々ありますのでご了承ください。--検見川町 2011年9月17日 (土) 17:13 (UTC)[返信]
先ほど近所の図書館で『角川地名辞典』を確認しましたが、涌谷県が明治2年旧暦3月28日に成立したとする元文献は『涌谷町史』下巻で、栗原県が同時期に成立したとする元文献は『一迫町史』であることを確認しました。『涌谷町史』についてはいずれ目を通して見るつもりです。
しかしながら根拠となる資料がこれらの地方史のみとなると、これを正式の県として認めるべきなのかちょっと疑念が生じます。場合によっては「中央政府に認知されていない府県」とでも節を分けて記載するべきかも知れません。『宮城県史』と、他の地名辞典等での取り扱い等を読んでから判断します。少なくとも上で記した書物のほか、宮武外骨『府藩県制史』(1941年)、勝田政治『廃藩置県』(2000年)、松尾正人『廃藩置県の研究』(2001年)、『日本近現代史辞典』(1978年,時野谷勝編集「府藩県対象表」)、等でも涌谷県・栗原県のことは記載されていません。Orichalcum 2011年9月18日 (日) 08:02 (UTC)[返信]

栗原県、涌谷県、桃生県、盛岡県および伊沢県、花巻県、桑折県、北奥県の扱いについて[編集]

一年近く放置していましたが、栗原県、涌谷県、桃生県の扱いについて意見をまとめます。

結論から言うと、『角川地名辞典』にも取り上げられていない伊沢県、花巻県、桑折県、北奥県を含め、これらの県は、明治元年旧暦12月23日の「諸藩取締奥羽各県当分御規則」(法令全書通番明治元年太政官布告第1129)に従って、各藩の取締地に設置された県です。

其方儀今般奥羽御領之内民政取締被 仰付候就テハ兵乱之餘人民愁苦之情状追々被 聞食深ク被為痛聖念候ニ付、兼テ民政相心得候家来精撰之上彼地出張申付 朝廷之御政体ニ基キ人民撫育ニ厚ク心ヲ用ヒ 御一新之 御趣意遺洽ク貫徹致シ候様可取計旨、御沙汰候事  但出張地所之儀ハ府縣掛ヘ可伺出事  別紙 今般家来之者奥羽出張之上ハ新縣御取建ノ場所ヘ検分ヲ遂ケ見込可申出候様可致事

これらは法令に従って設置された県ですが、明治政府が権知県事を任命したわけではなく、そのため明治政府の公文書には全く記録が残っておらず、正式に発足した県と認めるには問題があります。

千田稔、松尾正人『明治維新研究序説―維新政権の直轄地―』(1978年)によると、東北地方民政取締諸藩の状況は以下の通りです。

東北地方民政取締諸藩
民政取締藩 旧領主 国名 郡名 権知県事 民政取締期間 備考
弘前藩 盛岡藩 陸奥 北・三戸・二戸 元年12月7日~2年2月8日 旧盛岡藩領民の津軽氏排斥運動により2年2月8日に黒羽藩と交替
黒羽藩 盛岡藩 陸奥 北・三戸・二戸 村上一挙 2年2月8日~2年8月7日 2年2月8日に弘前藩民政取締地を継承、三戸県を称す(註:北奥県の間違いと思われる)、2年4月26日事務引き継ぎ、7ヶ条の「県治要領」を布告
沼田藩 盛岡藩 陸奥 東磐井 元年12月23日~2年2月30日 2年2月30日に前橋藩と交替
前橋藩 盛岡・仙台・一関藩 陸中 胆沢・東磐井・西磐井 久永真里 2年2月30日~2年8月18日 2年2月30日沼田藩民政取締地を継承、伊沢県を称す、2年3月東磐井郡は旧磐城平藩の転封地となる、4月に19ヶ条の「心得書」を布告
松本藩 盛岡・仙台藩 陸中 紫波・稗貫・和賀・上閉伊・江刺・気仙 西郷庄右衛門 元年12月7日~2年8月18日 花巻県と称す、2年3月に「町村役人心得条目」の布達、遠野出張所開設、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
松代藩 盛岡藩 陸中 岩手・鹿角・九戸・紫波・稗貫・上閉伊・下閉伊 小幡内膳 元年12月7日~2年8月7日 盛岡県と称す、2年5月3日県役所開庁、「心得条目」訴訟箱の設置、2年7月22日和賀紫波稗貫郡は盛岡藩復帰
宇都宮藩 仙台藩 陸前 栗原 大羽楯之進 元年12月23日~2年8月7日 2年3月22日に栗原県を称す、2年8月県下に村明細帳の提出を指示
高崎藩 仙台藩 陸前 牡鹿・桃生・本吉 大野千楯 元年12月7日~2年7月20日 2年7月20日に桃生県を置く、8月13日石巻県になる
土浦藩 仙台藩 陸前 登米・遠田・志田 奥田図書 元年12月7日~2年8月7日 2年3月22日に涌谷県を称す、2年3月28日土浦藩知事涌谷着
中村藩 棚倉・二本松・磐城平・福島・関宿・会津藩・幕府 磐城・岩代 岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達 志賀三左衛門 元年12月7日~2年7月20日 桑折県を称す(磐城平民政局支配に代わる)、2年2月11日に県治の指針を示した「布達」を発行
笠間藩 棚倉・二本松・磐城平・福島藩・幕府 磐城・岩代 岩瀬・信夫・安達・安積・磐前・伊達 加茂卓見 元年12月7日~2年7月20日
三春藩 棚倉・磐城平・泉湯長谷藩 磐城 磐城・猶葉・菊多 元年12月7日~2年8月7日
守山藩 棚倉藩 磐城・岩代 白河・石川・岩瀬 三浦多門 元年12月7日~2年8月7日 2年4月金礼貸与の実施(須賀川生産方に金礼1,000両を貸与)
館林藩 会津藩・幕府領 岩代 大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原 本多黒兵衛 元年12月7日~2年5月4日 郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる
新庄藩 会津藩・幕府領 岩代 大沼・河沼・耶麻・安積・会津・南会津・蒲原 竹村直紀 元年12月23日~2年5月4日 郷村高帳の引き継ぎのみ、若松民政局支配が行われる、2年6月岩代国巡察使により解任される
久保田藩 庄内・米沢・天童上山・羽後亀田・羽後松山藩 羽前・羽後 田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北 佐竹大和・和田掃部之助 元年12月7日~2年7月20日 2年2月22日弁官へ官員派遣延期願を出願、酒田民政局の支配が行われる、同藩は郷村高帳の引き継ぎのみ
新発田藩 庄内・米沢・天童上山・羽後亀田藩 羽前・羽後 田川・置賜・村山・飽海・由利・仙北・河北 元年12月7日~2年7月20日 郷村高帳の引き継ぎのみ、酒田民政局の支配が行われる

(「大日本維新史料稿本」明治元年12月16日・2年1月9日の項、「各県公文録」、『岩手県史』<第6巻・近代編1>、その他より作成)

上の表の内、「三戸県」は「北奥県」の間違いの可能性が高い(『田名部町誌』(1935年)『下北半嶋史』(1952年)などを書いた笹澤魯羊が史料の読み間違いをしており、それが『むつ市史』(1986年)や『岩手県史』(1962年)に引用されて誤解が広まっているが、『三戸町通史』(1979年)、『三戸町史』(1997年)、『野辺地町史』(1997年)によると、『黒羽藩史資料』や他の同時代の日記・史料などから、最初から北奥県と名付けられ、後の三戸県と混同してしまっている。参考:橋本正信「<書評>石崎宣雄著『近代化の中の青森県』」弘前大学國史研究, 72, pp. 37-40 (1981年))ですが、とりあえず、栗原県、涌谷県、桃生県、盛岡県を取り挙げるのなら、同じように伊沢県、花巻県、桑折県、北奥県についても取り挙げないといけないということになります。

『角川地名辞典』では確かに栗原県、涌谷県、桃生県を正式の県として扱っていますが、『角川地名辞典』に先立ち、涌谷県、栗原県、桃生県を正式の県として扱っている専門書は、林正巳著『府県合併とその拝啓』(1970年)だけのようで、他の廃藩置県の専門書では独自の府県として取り上げられていません。最近発売になった新書の類では、おそらく角川地名辞典(もしかしたらwikipedia)などの記述を元にでしょうが、涌谷県、栗原県、桃生県を表に加える本も増えているようですが、上で書いたように『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』を始めとする明治政府の公式の文書では正式な県として認められていません。

そこで提案なのですが、府藩県三治制の「廃藩置県以前に設置された府県」とは別に新たに「東北地方民政取締諸藩に設置された県」という項目を作り、そこに栗原県、涌谷県、桃生県、盛岡県、伊沢県、花巻県、桑折県、北奥県を移して説明を加えるのはどうでしょうか?『角川地名辞典』の表として取り上げられているとはいえ、専門家の書いた廃藩置県の専門書の中ではこれらの県が正式の県として認められている様子はなく、少なくとも本項で積極的に正式の県として扱うには問題があると思われます。

一方、府藩県三治制のtemplateの方では、栗原県、涌谷県、桃生県、盛岡県を外してしまうか、あるいは逆に伊沢県、花巻県、桑折県、北奥県も追加し、例えば△などの記号を付けて脚注を増やし、「△は東北地方民政取締諸藩に設置された県で、明治政府の公文書には記載がない」という説明を加えるのが良いと思われます。Orichalcum会話) 2012年8月15日 (水) 07:40 (UTC)Orichalcum会話2012年8月15日 (水) 07:43 (UTC)[返信]

たいへん貴重な情報をいただき、ありがとうございます。これを踏まえて、どのような形でまとめれば、正確かつ、わかりやすく表現できるか考えて編集を進めさせていただきたいと思います。--検見川町会話2012年8月15日 (水) 09:59 (UTC)[返信]
ご指摘を元に東北地方民政取締諸藩を別表とし、栗原県・涌谷県を正式な県から外しました。桃生県は明治政府から正式に権知事が任命され、石巻県になった後も続投しているため、石巻県の設置当初の名前と見なしてそのままにしています。また、盛岡県は東北地方民政取締諸藩に設置された県と明治3年設置の正式の県が別に存在するため、前者を別表に入れ、後者はそのままにしました。誤記の指摘やご意見がございましたら、よろしくお願いいたします。--検見川町会話2012年8月16日 (木) 07:56 (UTC)[返信]
編集ありがとうございます。桃生県、盛岡県についてはおっしゃる通りです。実のところこの件については1年前に調べた結果を某所に投稿していたのですが、こちらに修正案を出すことをすっかり忘れていました。三戸県・北奥県論争についての決着は、弘前大学の石崎宜雄の著作を引用すれば済みそうです。なお当初、『職務進退録』、『太政官日誌』、『法令全書』、『太政類典』、『地方沿革略譜』、『明治史要』、『府藩県廃置分合一覧』等の資料に従って日時の違いをまとめようと計画しましたけど、そちらは頓挫しました。Orichalcum会話2012年8月18日 (土) 07:17 (UTC)[返信]

お願い[編集]

Himetvと申します。ご活躍拝見しております。今回のご連絡ですが、町・字記事に対する廃止市町村テンプレートを含む旧村の記述を一旦停止してくださるよう、お願いにあがりました。町・字記事に旧村のテンプレートを含む旧村の記述を同居させることは、町・字及び旧村記事の扱う題材を混同させる危険があるため、分割を提案させていただいております。これらの村々は町村制施行辞典で村として成立していたものであり、これについては市町村PJの独立立項基準を達成しているものと考えます。では今後ともよろしくお願いいたします。また、町・字記事においては多くの場合歴史節において旧藩政村の記述を含むものであり、記事の定義部に「ここではXXについても記述する」という但し書きはつけないようお願いいたします。(また、歴史節及び文化財関係以外では旧藩政村の記述は原則として行いません。)--Himetv 2011年9月30日 (金) 09:56 (UTC)[返信]

了解いたしました。通常は新しい項目を立てていたのですが、所沢市の旧山口村吾妻村の場合は旧各村がほぼ現行の大字として存続していると同時に各大字の項目が充実しており、まったく同一区域の旧村について新たに立項すべきか迷って、記述を同居させるという判断をしました。議論の結論が出ましたら、それに従って修正したいと思います。--検見川町 2011年9月30日 (金) 10:25 (UTC)[返信]
了解です。ありがとうございます。--Himetv 2011年9月30日 (金) 10:32 (UTC)[返信]
お疲れ様です。先日当方で行いましたノート:荒幡等における分割提案ですが、強硬な反対者がおられることから、対象とする範囲がが大きくかけ離れている久米 (所沢市)を除き分割提案を撤回することにさせていただく予定です。なお、町字記事に関しては対象の前身となる村に関しては同一名称であるかないかに関係なく歴史節に記述する方針でおりますので、歴史節における言及は今後とも行う予定です。ただし、自治体記事において前身の自治体に関する言及を「なお、この記事ではXXについてもについても記す。」とは書かないのと同様、町字記事についても定義部の書き足された部分及び廃止自治体テンプレートは外させていただきます。なお、今回分割対象から外させていただいた自治体につきましては、連合戸長役場設置関連や官選の村長・助役・収入役に関する査定、村界の決定に関する書類を含む信頼性のある資料が存在することは存じ上げておりますが、多忙なこともあり、私自身による調査時期は未定とさせていただきます。それでは、失礼いたします。 --Himetv 2011年10月28日 (金) 21:50 (UTC)[返信]
「ただし、自治体記事において前身の自治体に関する言及を「なお、この記事ではXXについてもについても記す。」とは書かないのと同様、町字記事についても定義部の書き足された部分及び廃止自治体テンプレートは外させていただきます。」というのは一方的ではないでしょうか。この点に関しても議論が必要かと思います。久米 (所沢市)住居表示の実施によって元の区域より縮小していますが、前身が久米村であることは明白です。--検見川町 2011年10月29日 (土) 04:15 (UTC)[返信]
コメント 横から失礼します。本件議論については検見川町さんがノート:荒幡でなさったコメントに対して意見表明しておりますので、ご一読ください。なお、本件議論は(件の分割議論の続きみたいな話ですから)個人間のやり取りにはなじまないと思いますので、できましたら同ノートか他の適切な場所で広く行っていただくことを希望します。--Si-take. 2011年10月30日 (日) 05:09 (UTC)[返信]
ありがとうございます。Himetvさんが利用者ページに来られたので、対応に苦慮していたところでした。--検見川町 2011年10月30日 (日) 05:22 (UTC)[返信]

郡の個別カテゴリ作成について[編集]

いつも日本の市町村関連の記事整備おつかれさまです。同じ分野でアクティブなユーザーがいると、とても心強く思います。さて、検見川町様が最近作成している郡ごとの個別カテゴリですが、プロジェクト:日本の市町村の過去の議論では作成しないことで合意されています(プロジェクト‐ノート:日本の市町村/カテゴリ)。古い議論ですし、綿密な議論があったわけではないですので1県くらいの範囲ならばと静観していましたが、このまま郡カテゴリの作成をするならばプロジェクト‐ノート:日本の市町村で提案し、過去の合意を変更するべきかと思われます。お手数ですがよろしくお願いいたします。--Knua 2011年11月20日 (日) 09:20 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。以前、プロジェクト‐ノート:日本の市町村#郡カテゴリにて同様の指摘をいただきましたが、特に反対の声がなかったため作成を続けていました。また、昔議論があったことを知りませんでした。同節で再度提案してみます。--検見川町 2011年11月20日 (日) 09:54 (UTC)[返信]
おっと、昨年提起していただいていたのですね。気付いていませんでした、失礼いたしました。この分野も昔は活発でしたが、現在はご他聞にもれず斜陽しつつあります。ですので検見川町様の思うがままにやっていただければと思います。文句があれば誰かが苦情を出すでしょう。--Knua 2011年11月20日 (日) 10:10 (UTC)[返信]

焼津市小川について[編集]

焼津市小川は「こがわ」です(公的な情報で確認可能かと思います)。気になった部分編集しました。もし角川日本地名大辞典にあったなら、そちらのほうのミスかと思います。--MetaNest 2012年1月23日 (月) 02:18 (UTC)[返信]

私の転記ミスでした。申し訳ありません。--検見川町 2012年1月23日 (月) 06:28 (UTC)[返信]

短時間での連続投稿はおやめ下さい[編集]

こんにちは。検見川町さんが Category:三戸郡 というページのリンクを各記事に巡回して連続して投稿されているようでしたので、一括投稿のお願いに参りました。Wikipedia:同じ記事への連続投稿を減らすにあるとおり、同じ記事への連続投稿は履歴の見通しが悪くなるなど、さまざまな面で支障をきたすおそれがあります。細かい節がたくさんある場合は、節ごとに細かく投稿をするのではなく、上位の節または項目全体の編集を行い、一括して投稿していただきますようにお願いいたします。

投稿時、中央のボタンを押すとプレビューできます。(詳細画像

その際に細かいところでミスを起こすのではないかと心配な場合は、「投稿する」ボタンの右隣にある「プレビューを実行」ボタンを活用されることをお勧めします(画面右側の図を参照)。投稿される前に「プレビューを実行」のボタンを押すと、成形結果を先に見ることができます。これを使うことで、

などをあらかじめチェックし、修正した上で記事を投稿することができますので、是非ともご活用ください。 --121.83.98.102 2012年1月27日 (金) 08:35 (UTC)[返信]

同じ記事への連続投稿は以後気をつけますが、カテゴリの作成はリンクを複数の記事に連続して添付しないとできないのですが…。--検見川町 2012年1月27日 (金) 08:39 (UTC)[返信]

地名移動関連[編集]

はじめまして。

検見川町さんの移動によって生じたリダイレクト、川崎村岩崎村下田町WP:CSD#全般8を理由とした{{即時削除}}を貼付されましたが、これらを剥離いたしました。理由は全般8の説明をご覧ください。

また、リダイレクトの内容も曖昧さ回避ページに向けて変更いたしました。川崎村 (曖昧さ回避)川崎村に改名する合意ができた際は、Wikipedia:移動依頼にお願いします。

下田町下田町 (青森県)しか記事が無いので移動の差し戻しの検討をした方がよいのではないでしょうか。該当ノートとプロジェクト:日本の市町村は目を通しました。--LearningBox 2012年2月9日 (木) 15:02 (UTC)[返信]

私の知識不足のせいでお手数をおかけして申し訳ありません。下田町についてはリンクの張り替え作業を終えてしまいましたので、曖昧さ回避ページ化して、近日中に下田町 (高知県)の記事を作成したいと思います。--検見川町 2012年2月9日 (木) 15:59 (UTC)[返信]

高山町→高山町 (鹿児島県)[編集]

一言で済ませます。なぜ事前の改名提案を図らなかったのでしょうか。ノート:郡山町 (鹿児島県)のようなぐだぐだを引き起こしたいのなら別ですが。--Sanjo 2012年2月14日 (火) 13:46 (UTC)[返信]

Wikipedia:ページの改名#改名前にすべきこと > 明らかに、ページ名が記事名の付け方のガイドラインに沿っていないとき > Wikipedia:記事名の付け方#記事名の重複を回避する手段Wikipedia:曖昧さ回避#平等な曖昧さ回避 に基づいています。また、プロジェクト:日本の市町村#重複名称の扱いで既に合意が図られております。ノート:八代町 (山梨県)もご参照ください。--検見川町 2012年2月14日 (火) 14:40 (UTC)[返信]
それは、廃止された自治体が「必ずしも代表的なトピックとは言えないよ」程度の意味でしかないと捉えています。検見川町さんの解釈では極端な話、鹿屋市大浦町の記事が出来れば、川辺郡大浦町を大浦町 (南さつま市)もしくは大浦町 (鹿児島県)に改名しなさい、といわれても文句が言えなくなるのです。そりゃいかんでしょう。「明らかに」が特定のプロジェクトのローカルルールを指すとは考えられません。あくまでも大元の日本語版ウィキペディア全体のルール。だいたい揉めるのが目に見えているのに、提案を図らないのが不思議です。--Sanjo 2012年2月14日 (火) 15:30 (UTC)[返信]
自治体と町丁で扱いを変えるべきだと考えます。そういう場合は、おおむね「自治体>町丁」の扱いになっていて、自治体が1つの場合は自治体の項目からOtherusesで町丁に誘導する形になっていることが多いですが、明確なガイドラインはないようです。ちょっと考えてからプロジェクトで問題提起してみたいと思います。--検見川町 2012年2月14日 (火) 16:51 (UTC)[返信]
高山町については、郡山町と同じく改名提案を提出しました(ノート:高山町 (鹿児島県))。
「明らかに記事の付け方のガイドラインに沿っていない」というのは、誤字だとか全角数字だとかカッコが全角だとか、そういうものです。そうでない場合は、改名提案を図った上で移動することが望ましいとされており、事前の提案なしの移動は喜ばれるものではないのです。とくに、今回は「郡山町」でおわかりのように、私のように反対する人がいると想定できるケースですから。
例に出した川辺郡大浦町は、現在の地名としての立場は鹿屋市大浦町と全く同じ(南さつま市大浦町)なんです。だから「ただちに改名しなさい」ではダメですし、揉めますよ、ということなのです。--Sanjo 2012年2月15日 (水) 03:03 (UTC)[返信]

さて、これから1週間回答されないまま、また、富士見村で同じことをされました。やはり改名提案なんて絶対に不要だとお考えなのでしょうか。--Sanjo 2012年2月22日 (水) 16:36 (UTC)[返信]

・・・と書いた後に投稿履歴を拝見させていただいたところ、複数で同じことをされているんですね。なぜ揉めることがわかっているのに同じような編集を続行されるのかと。--Sanjo 2012年2月22日 (水) 16:43 (UTC)[返信]
プロジェクト:日本の市町村での過去の議論の積み上げに基づく記事作成基準に従っています。過去の議論の積み上げに基づいた「判例」は絶対です(私は「判例」のない事案に関してはきちんと改名提案をしています)。それに異論があるなら、プロジェクトに参加して「平成に廃止された市町村の公平な曖昧さ回避に反対する」という提案をすべきではないでしょうか。あるいは、公平な曖昧さ回避になっている平成に廃止された全市町村の項目で差し戻しの改名提案をすべきです。Sanjoさんの様々なページでの議論を見ていても賛同者は少なく、個人的な意見に固執しているとしか思えません。揉めているのはSanjoさん一人だけです。--検見川町 2012年2月22日 (水) 16:53 (UTC)[返信]
「一人だけ」・・・ノート:郡山町 (鹿児島県)は見なかったことにされているのでしょうか。
さて、高山町のほうには反対意見がありません(検見川町さんからの反対意見すらありません。賛成意見もありませんが)し、賛同者が少ないというよりは「議論する気がない」といったほうがいいんじゃないかな。
その過去の議論というのが多くはありませんし、少なくとも「明らかに」ではない(楽曲記事の記事名がローカルルールに沿っていなくても、丁寧に改名提案を経ているのはそのため)。なのに、改名提案を経ることなく移動させている。これは問題です。だから郡山町において、一人だけ「ではない」人からその手法が問題視されているのです。--Sanjo 2012年2月22日 (水) 17:30 (UTC)[返信]
(追記)吉田 (下関市)については検見川町さんが機械的に差し戻された結果、「豊浦郡」という誤った記述になっています。箇条書きも復活させていますし、自治体テンプレの存在で画像の配置が崩れて、正直見づらいです。3RRに巻き込まれるのも嫌ですので、検見川町さん側で修正なさってください(王喜も厚狭郡です)。--Sanjo 2012年2月22日 (水) 17:40 (UTC)[返信]
吉田 (下関市)の件は作業をしました。私は言葉尻を捕らえた議論に対抗するつもりも、プロジェクトの記事作成基準がある以上は個々の事案について議論する気もありません。プロジェクトで合意形成がなされれば、それに従います。ノート:小阪 (東大阪市)に見られるように、Sanjoさんは本来は冷静な議論ができる方だと思いますし、深い知見には敬意を持っておりますので、プロジェクトで建設的な議論を提起されることを願っています。--検見川町 2012年2月22日 (水) 18:18 (UTC)[返信]
私は必ずしも「全て反対」だとは言っているわけではなく、ちゃんとお墨付きが得られる「改名提案」を経由しましょうよと言っているんです。楽曲記事であっても改名提案を経由した上で移動がなされています。これは、手続き上の問題(「明らか」とはいえないため)もありますが、カッコ内の表現をどうするかという問題もあるためです。そもそも移動させるべきかというのも、その都度で敢えて議論しているのです。そういう丁寧な作業は、いわゆる「旧自治体」の記事でも必要だと思っています。事実、Wikipedia:削除依頼/郡山町でも「改名提案なしの移動」という行動は存続票を投じた方からも問題視されています。
全てが反対ではない。例えば宮崎県北諸県郡高城町(現在は都城市の地名)であれば、提案をしてくだされば、賛成意見を述べます(理由は曖昧さ回避の対象となる、鹿児島県薩摩郡高城町とどちらも、外城としての立場は同じだから)。そういった(面倒ではありながら)必要ではある作業をなさらないから反発しますし、現に必ずしも平等とは言えない記事、土地勘のある記事について差し戻し提案を行っているのみです。
・・・その宮崎県高城町ですが、提案なしで移動されたのですね。非常に残念です
吉田と王喜ですが「豊浦郡」の記述が残っています。お手数ですが再度の編集をお願いします。--Sanjo 2012年2月23日 (木) 12:36 (UTC)[返信]
豊浦郡の件は了解です。何度も申し上げますが、プロジェクトの記事作成基準に対して反対意見があるのなら、プロジェクトで問題提起されたらいかがでしょうか。Sanjoさんの問題提起で新たに明確な基準ができればそれに従いますし、これまで作業したページを元に戻す作業にも全面的に協力します。ただ、私はプロジェクトの記事作成基準が変わらない限り行動を変えません。個々の事案で個々の利用者を言葉尻で追い詰めて議論を混乱させる手法には賛成できませんし、この更新を最後に対応しません。なぜプロジェクトでの開かれた議論を避けるのか、理解できません。--検見川町 2012年2月23日 (木) 13:11 (UTC)[返信]
理由は簡単です。プロジェクト云々以前に、検見川町さん個人の行動が問題だからです。先にも述べたように、検見川町さんが2012年2月27日現在も続けられているような手続きを無視した行動が問題視されているということ。プロジェクトだからとかそういうのではなく、手続きの問題です。なぜ頑なに改名提案を経由することを拒んでいるの、っていうこと。
吉田・王喜については私の修正を「検見川町さんが拒絶した」ためにお願いしているだけです。検見川町さんが拒絶(機械的な差し戻し)さえしなければよかっただけの話です。
高城町については代わりに「根拠」を示しておきました(ノート:高城町 (宮崎県))。本来なら検見川町さんがすべきことです。
ノート:宮村 (岐阜県)にも「○○の記事が出来たから移動させましたよ」と書いておくべきです。ここからは個人的な見解ですが、あたかも移動させることが目的であるかのようなスタブ記事の執筆(例えば宮城県小野田町を移動させたいからといって、山口県小野田町を角川の地名事典以下の内容で立ち上げること)は、あんまりお勧めできません。中身スカスカの記事であるよりは内容のある記事であってほしいものです。スタブ記事の量産が、春休み期間に昼夜問わずになさるような生産的な活動とは思えません。--Sanjo 2012年2月27日 (月) 04:50 (UTC)[返信]
あなたのプロジェクトの合意を守らず、揚げ足取りで議論を混乱させる個人の行動も問題です。なぜ頑なにプロジェクトでの開かれた議論を経由することを拒んでいるの、っていうこと。私の目的はWikipediaの検索性を高めるための、プロジェクトの記事作成基準の完全遵守であり、非生産的とは思いません。--検見川町 2012年2月27日 (月) 06:59 (UTC)[返信]

Botの導入をご検討ください[編集]

こんにちは。プロジェクト:Botに参加しておりますTriglav(トリグラフ)と申します。検見川町様が継続的に行っている地方自治体のリンク元修正ですが、そろそろBotの導入についてお考えいただけますでしょうか。もしくはWikipedia:Bot作業依頼という作業を代行する制度もございます。これら連続した単純作業を自動化することによって普段の執筆編集作業に割り当てる時間を効率的に増やすことができます。ぜひご検討願います。--Triglav 2012年2月22日 (水) 17:57 (UTC)[返信]

貴重なアドバイスをありがとうございます。ただ、同名自治体のリンクは間違っていることが多いため、そこが悩みどころです。--検見川町 2012年2月22日 (水) 18:18 (UTC)[返信]
そのような場合のために、各Botツールには更新直前にプレビューを表示して確認を求めるような機能が備わっています。また作業依頼をする場合でも、イレギュラーを記事名から推測して事前に修正→Bot作業依頼に提出→実行結果の差分をみて再修正、という手順をとるとほぼ確実に修正ができるかと思います。完全自動と比べると少し手間になりますが、それでも現状よりははるかに楽になるかと思われます。--Triglav 2012年2月22日 (水) 18:44 (UTC)[返信]

こんにちは。Wikipedia:Bot作業依頼#郡名 (令制国) → 郡名 (都道府県)のリンク修正を提出されているのを拝見しました。作業の方は既に完了しているようですので、確認をしていただけないでしょうか。以上、よろしくお願いいたします。--Dr.Jimmy会話2014年2月28日 (金) 00:57 (UTC)[返信]

確認のコメントをしました。失礼いたしました。--検見川町会話2014年2月28日 (金) 01:09 (UTC)[返信]

ちょっと編集の手を止めてください[編集]

すみません。増田町のリンクを増田町 (秋田県)に変更されているようですが、ちょっと待って頂けませんか?先に改名提案をして頂かないと、赤リンク(リンク切れ)が多発します。これでは利用者の便を損なうことになります。おそらく平等な曖昧さ回避を念頭に置かれての対処とは思いますが、改名提案を先になさってください。当方、改名自体には同意です。--ろう(Law soma) D C 2012年2月27日 (月) 08:13 (UTC)[返信]

プロジェクト合意であれば提案せずに改名もあり得ますので、rvは1つにとどめますが、先に改名をしてください。短時間であっても支障が出ます。宜しくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2012年2月27日 (月) 08:17 (UTC)[返信]
すみません。一気に編集するつもりが、途中で急用ができて手が止まってしまいました。--検見川町 2012年2月27日 (月) 09:24 (UTC)[返信]
改名を確認しました。先に異動先ページを作成している場合には問題になりませんが、今回のように改名で対処する場合には、不意の所用等に備え、リンク修正より先に改名を済ませることをお勧めします。利用者のクリック数が1つ増えてしまいますがリダイレクト化によってリンク切れは避けられますので。では今後も宜しくお願いします。--ろう(Law soma) D C 2012年2月27日 (月) 09:35 (UTC)[返信]

西白河郡矢吹町の大字名および字名について[編集]

私は今、西白河郡の最新版の地図を作成してますけど、白河市と現在の西白河郡に所属している町村の明治時代の郡域の地図が完成しましたけど、残っている矢吹町に苦戦してます。矢吹町の大字の区域が載っている古地図を探しても、どこも見つかりません。あるとすれば、矢吹町の現行町名の区域が載っている地図しか見つかりません。どうにか、暇な時に探してくれたらありがたいです。--BigBang19会話2012年4月6日 (金) 01:41 (UTC)[返信]

矢吹町の旧所属郡の記述を失念していましたが、先ほど加筆しました。明治期の自然村と現在の大字が大幅に異なり、郡域の比定が困難なため、地図には反映できず、キャプションでフォローしています。です。私は角川日本地名大辞典の記述を追っていく方法で執筆しているため、古地図の捜索はしておりませんが(それほど微細な境界の変遷はWikiの画像ではフォローできないと考えています)、矢吹町の大字名の変遷についてはさらに調査を続けます。--検見川町会話2012年4月6日 (金) 02:41 (UTC)[返信]
『日本歴史地名大系 7 福島県の地名』(平凡社)に旧大字と現行町名の関係がわかりましたので、矢吹町の項目に加筆しました。同町内に郡界があったのは郡区町村編制法施行前ですので、同法施行後を基準とした郡域図への影響はなさそうです。--検見川町会話2014年2月11日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

各都道府県の郡域の地図に関して[編集]

検見川町さんへ、一部の郡記事にすでに各郡域の地図のファイルが掲載されていますが、いちいち既存している各郡域の地図のファイル(japan-map.pngを元に作成した地図)を新しい郡域の地図のファイル(大きい地図)に置き換えなくても、既存のファイルの最新版をアップロードするだけで大丈夫です。--BigBang19会話2012年4月7日 (土) 06:09 (UTC)[返信]

青森県の郡記事のように、japan-map.pngを元に作成した地図が適切な解像度の場合は元の地図を更新していますが、解像度が小さすぎて、数字を入れたり、細かい郡域の変更が反映できない場合は置き換えています(もともとjapan-map.png版は南北が押しつぶされているため数字が入れにくい欠点があります)。BigBang19さんがjapan-map.png版の地図に統一する作業を進めているのであれば、私の地図は暫定版として、順次置き換えていただければと思います。--検見川町会話2012年4月7日 (土) 07:37 (UTC)[返信]

磐城国の自治体記事等につき[編集]

検見川町様

自治体関連記事での御活躍、拝見致しております。特に磐城国分の自治体記事が貴殿の多大なる御尽力により一通り揃いましたことは多少なりとも関与致しました者として慶祝に堪えません。さて、私より四点ほど貴殿に申し上げたい件があり、こちらに御邪魔致しました。

まず、先ほど旧高旧領取調帳の項目を作成致しました。貴殿は歴博作成の同書のデータベースを自治体記事の編集の際に参考文献として多用されており、こちらで迂闊にあちこちのリンクを張り直そうとすると無用の混乱を招きかねませんので、御手数かとは存じますが必要に応じて適宜リンクを調整していただけますよう御願い致します。また私の作成した内容につき不備がございましたら補訂を加えていただけますよう御願い致します。

次に、小斎村に対し統合提案が仕掛けられている件についてで御座います。私が横着をせずに予め丸森町分や新地町分の旧町村記事も立項しておけば何の問題も発生しなかったことでは御座いますが、貴殿が字記事を立項されてより後で、別に独立した町村記事を作成致しました(なお、投稿時間の差でこちらが若干遅れをとった駒ヶ嶺村は兎も角、他についてはあえて『角川日本地名大事典』は参考文献に使用しておりません)。

何故このような措置を執ったかと申しますと、丸森町を例にとれば、同じく新制の丸森町の構成要素である舘矢間村・大張村などとの統一性を欠くこと、耕野村のように旧村と字の範囲が完全に合致しない(川前・沼ノ上が分立)ことがあり、しかもさらなる字の分立や字名変更および住居表示の導入などによって、時間の経過と共にますます旧村域とその村名を用いた字名との合致性が低下することこそあれ、逆はほとんど無いと考えるためであります。故に私としましては、字の記事は字の記事、旧自治体の記事は旧自治体の記事として各々独立した項目として存在すべきと考える次第で御座います。ただ、こちらで今後加筆予定のない地域についてはわざわざこの種の措置を執ることは致しません(例:石住・貝宿・荷路夫など)。

なお、小斎の項において除去されていた明治4年から9年までの同地の所属県の誤り(平県云々)が「小斎に関する有意な記述あり。除去を戻す」なる名目の下に戻されてしまっております。おそらく貴殿以外の方が除去・修正作業をした場合ひたすらリバートをかけ続けると思われますので、御手数かとは存じますが応急処置としてその部分だけは速やかに修正していただけますよう宜しく御願い申し上げます。

三つ目は、年月日の表記についてで御座います。

  • 1868年(明治元年)
    • 12月7日 - 陸奥国が~
    • 12月24日 - 仙台藩のうち~
  • 1869年(明治2年)
    • 7月 - 白石藩が~
    • 8月7日 - 陸奥国が~

と、貴殿の編集された項目では、上記のように実際には和暦に基づいて月日をくくりながら和暦前置ではなく西暦前置となっております。明治6年以降であれば和暦と西暦の月日が完全に一致するためこうした表記でも全く問題は無いかと存じますが、御存知の通り明治5年以前は和暦と西暦の月日が一致しておらず、例えば上記のように明治元年のうち西暦1869年に係る43日間、すなわち明治元年11月19日以降が1868年のくくりに入れられておりますと、この両件が1868年12月7日および12月24日に発生したものと誤認させることになろうかと存じます(現状12月7日・12月24日には旧暦へのリンクが張られておりますが、リンク先の記事でもこの両日が西暦では1869年であると知ることが出来ません)。 つきましては明治5年以前の部分で西暦を前置する場合、まことに御面倒かとは存じますが

  • 1869年
    • 1月19日(明治元年12月7日) - 陸奥国が~
    • 2月5日(明治元年12月24日) - 仙台藩のうち~
    • 9月12日(明治2年8月7日) - 旧白石藩領を~

のように表記していただけませんでしょうか。「明治2年7月」のような、1869年8月なのか9月なのか断定できない箇所がありながらも、無理矢理にでも西暦前置にしなければ記事が攻撃を受けるが故の苦肉の策とは存じますが、現状では明らかに事実誤認を招く表記になっておりますので、何卒善処していただけますよう宜しく御願い申し上げます。

最後に、不勉強な質問で申し訳御座いませんが明治元年の陸奥国分割の際に、伊具・刈田・亘理の三郡が当初岩代国の所属であったとする記述の典拠を御教示いただきたく存じます。私はこの三郡が岩代国に所属していた時期があったということを知らず、そのような旨の記載を目にした記憶が御座いませんでしたので(なお、宮城県における郡制施行年次は明治27年で御座います)。また、宇多郡の項にて町村の配列は大正9年の第1回国勢調査に基づいていますとの仰せですが、第1回国勢調査の参考元は活字本でしょうか、web上の情報でしょうか、御教示いただきたく存じます。私は基本的に相馬・双葉・石城のような例を除けば、現在の自治体に合わせて町村制施行当時の自治体名をくくる方針を採ってきましたが、参考元の確認が取れましたら亘理郡も他の諸郡との統一を図るため体裁を戻すことに致します。

以上、長文乱筆を以て失礼致しました。--218.110.90.214 2012年4月26日 (木) 15:32 (UTC)[返信]

以下、トピック別にお答えします。
  1. 旧高旧領取調帳の件は了解しました。私も記事があるべきだと思っていました。リンクはおいおい修正します。
  2. 町村制時に1村(現在の1大字)で自治体を形成した場合は大字記事内に旧自治体の記述を並存させる方針を取っています。2つの記事を並存させるほどの情報量があるとも思えませんし、「小斎」という土地の歴史を一覧できた方が有用と考えています。ご指摘のように、たとえ住居表示等の実施で区域が変わったとしても(たとえ極めて狭小な区域しか残らなかったとしても)、「小斎村」の後身が「大字小斎」であることは変わりがないからです。これはあくまで私個人の意見ですが、こういう場合は分割提案を経るのがルールとなっておりますので、編集合戦を防ぎ、今後の執筆の方針を議論する上でも、分割する前に分割提案をおすすめします。
  3. 西暦標記の件は、そこまで気が回っていなかったというのが正直なところです。他の記事はどうなっているのでしょうか。
  4. 所属国は角川日本地名大辞典の記述です。ただ、伊具郡刈田郡はいったん岩代国に所属していますが、亘理郡に関しては誤りだったため修正しました。国勢調査については政府統計の総合窓口>国勢調査です。活字版をスキャンしたものが閲覧できます。郡記事の体裁については私が個人的にコツコツと作り上げたもののため、他の人が変えたからといって非難することはできませんが、個人的には統一されていたほうがうれしいです。なお、貴殿と思しきIPユーザーの方が旧高旧領取調帳に関する記載を移動した「郡域」の節については、私が作った体裁では現在の視点から書いています。--検見川町会話2012年4月26日 (木) 15:48 (UTC)[返信]


早速の御回答有難う御座いました。

1と4につきましては承知致しました。伊具・刈田両郡については『角川事典』および関連資料を再度逐一確認致します。なお体裁につきましては、その郡が現在のどこにあたるかは表題部に置くのが望ましく、「郡域」の節では郡制を念頭に置き行政主体としての郡の範囲を示す。『取調帳』の記載内容を「沿革」節の冒頭に置くのは望ましくない(磐城国を例にとりますと、ほとんどの郡は明治元年が基準年ですが、刈田・伊具・亘理は明治2年、菊多に至っては明治9年とかなりのばらつきがあるため)という私見に基づき編集致しました。尤も私もこれが最善の体裁であると断言する積もりは毛頭ございません。郡記事の体裁については、他に郡記事を執筆されている方々の御意見も取り入れつつ、今後もより良いスタイルの追求がなされていくべきかと存じます。

3につきましては、現状は惨憺たるものと申し上げておきます。磐前県の項を例にとりますと、武井守正の退任日が「1871年(明治4年)12月26日」となっており、12月26日に旧暦へのリンクが張られております。 なお武井の退任日は明治4年12月26日=西暦1872年2月4日であり、1871年12月26日は和暦の明治4年11月27日にあたります。これを一見した場合、大多数の方は武井の退任日を1871年12月26日と誤認するのではないでしょうか。また、この項目の場合は問題が無さそうですが、もとは「明治4年(1871年)12月26日」となっていたものを、何者かが「1871年(明治4年)12月26日」と改変した場合には、果たしてそれが本当に明治4年12月26日を指しているのか、あるいは1871年12月26日を指しているのか、もはやこの記事からだけでは確定することは出来ません(私はこのような場合、和暦を一括して書き、括弧内に西暦を付記するようにしております。無論私の凡ミスや見落としも多々有るかとは存じますが)。

「和暦においては、太陽暦移行(1873年(明治6年)1月1日)以後は新暦を、それより前は原則として旧暦を用います」との方針が定まっていながら、ありとあらゆる項目・局面において西暦前置表記を強要する手合いにより多くの記事でこうした事態が生じており、和暦の○月とまでしか判らない事項では特に深刻でございます。誤認を防ぐ記述に努めて国内・国外の閲覧者の益を図るよりも、欧米の正朔を奉じることに命を懸ける意味は私などには到底理解し難しいですが。

2については、ここで結論を定めたく存じます。私は旧自治体を基準に立項し、必要に応じ「旧○○村域のその後」のような節を設けて記述するというスタイル(例外は貴殿が執筆された「小名浜」と「小名浜町」のような場合)を想定しておりましたが、貴殿の御意向は「大字記事内に旧自治体の記述を並存させる方針」とのこと。この見解の相違が伊具小斎・大内・金山・筆甫、黒川吉岡、宇多駒ヶ嶺の6町村の記事で現れ、町村記事と字記事が並立し(私が『角川事典』を参照しなかったのは、記事の分割ではなく新設であるとの立場を示す目的からでございました)、これに乗じて小斎村の項で統合提案が仕掛けられているのが現状でございます。

ところで、貴殿には今後近いうちに上記6字の記事を発展させていく心積もりがお有りでしょうか。統合後早急に貴殿がこれらの記事に加筆なさるお積りでしたら宜しいのですが、統合を仕掛けた者が参考文献を調べ上げて記事を充実させていくことも無いでしょうから、貴殿に加筆の御予定無くば、有志の方が現れ無い限りこれらの記事は統合後ほとんど捨て置かれることとなるでしょう。貴殿は10日の時点で磐城を「制覇」と表現されており、現在は越中を手掛けておられる処より愚考致しますに、『角川事典』と『取調帳』に基づく日本全国の郡市町村記事の網羅(未作成記事ゼロ)を当面の執筆目標に設定されていると御見受け致します。一方、私が今後立項を予定しているのは宮城県の残部と岩手県の一部(気仙・胆沢・磐井)辺りまでが精々で、あとは折に触れて既存記事の肉付けを進めて参る所存でございます。そこで私の考えました妥結案を提示致しますと共に、貴殿が案を是とされた場合と否とされた場合の今後の私の方針を申し述べます。

  • 小斎村に対して加えられた統合提案を斥けるべき旨を、字記事の立項者である検見川町氏に表明していただく。
  • 小斎および伊具大内・金山・筆甫、黒川吉岡、宇多駒ヶ嶺の6町村の記事は、今後もこれを存置する。
  • 私はこれより後、検見川町氏が大字記事内に旧自治体の記述を並存させる形式で立項した場合に新設の体裁を以て旧自治体記事を立項しない。

以上が提案内容でございます。もし貴殿が今回の統合提案を斥けるべしと小斎村のノートにて表明して下さり、無事に自治体記事が存続を得ましたならば、これらの記事に順次加筆致します(新地町分については近く加筆を考えております)。逆に貴殿が今回の統合提案を是とされ、あくまでも自治体記事は潰して字記事に取り込むべしという御意向であれば、統合が行われた時点でこれら6字の記事についてはもはや私の与り知るところではございませんので、以後は貴殿ないしは有志の方に加筆していただきたく存じます。これら6字の記事につきましては先着者である貴殿の最終的な御判断が優先されるべきと考え、不躾ながらあえてこのような案を提示させていただきました。御無礼の段、何卒御容赦下さいますよう御願い申し上げます。

以上、長文乱筆を以て失礼致しました。--218.110.90.214 2012年4月26日 (木) 23:03 (UTC)[返信]

再び、トピック別にお答えします。
  1. 「その郡が現在のどこにあたるかは表題部に置くのが望ましく」とありますが、それだと表題部が煩雑となるため、「郡域」の節を作り、そこで現在の視点から書くことにしています。「沿革」節は歴史的視点からの項目であり、全町村の沿革を一覧するために、歴史的視点からの項目である「沿革」の項目に『取調帳』の記載内容を記載するという考えで執筆しております。
  2. 小名浜」は「磐城市」に対応するもので、「小名浜町」に対応するものではないため、「例外」ではありません。百科事典は現在の視点を優先すべきものであり、旧町村を基準にして現在の旧町村域について記述する形では調べものの役に立たなくなります。よって、旧町村と現大字が一致する場合は統合すべきと考えております。よって、私は統合提案に賛成します。また、私は最低限の沿革のみ記して立項するところまで手がけ、記事の充実は地元の土地勘のある方の手で行われるべきと考えます。統合提案によって議論し、議論の結論が統合となった場合は、貴殿も統合された現大字の記事への加筆に協力すべきと考えます。「統合されたら執筆しない」というのはWikipediaの趣旨に反します。そもそも特定の執筆者の会話ページではなく、当該ノートページでオープンな議論をすべきです。
  3. 西暦の件は、今後の執筆では留意します。
  4. 1に同じ。--検見川町会話2012年4月27日 (金) 00:03 (UTC)[返信]

御返答有難うございました。これで最後に致しましょう。

貴殿が統合提案に賛成された上で他の記事も統合提案をなされた旨、確認致しました。これら6項目は字を主体とする記事に戻ることでしょう。さて、これまでの問答からも明らかな通り、字記事と自治体記事の関係性等における私と貴殿の想定・認識の間にはあまりに大きな隔たりがございます。よって私には貴殿の想定されている字記事のスタイルに則して上手く加筆する自信がございませんので、これらの字記事につきましては、貴殿の想定されたスタイルに則って書き上げる自信の有る方(貴殿御自身も含めて)に全てお任せを致します。ということです。例えば私が統合を不服として統合後の記事へ不当に介入するということであれば当然糾弾されるべきかとも存じますが、自分に出来ないことや自信の無いことをしないという類の不作為をけしからんと仰られましても私には如何ともし難く只々御容赦を願うばかりでございます。

次に、今回の統合提案の処理につき、私が変則的措置を採った理由を申し上げておきます。当該提案が貴殿ないし普通の第三者の方により行われたものであれば、当然にノートでの通常の手続きを践むべきであり、また私もそう致しました。ただ今回の提案者は分割提案の直前に古川市の項目などで(10.99平方km、1,435人)などの『町村合併誌』所載の現況表等に基づく必要な数字情報を抹消する等の行為を働いていたため、これらの項目にリバートを加えたところ「移管の際に発生した面積・人口等の情報は町村の廃止の説明の文章にあまり重要なものでなく、トリビアでしかないと思い除去」云々と嘯いて再リバートした上、小斎村の統合提案を掛けっ放して離脱しました。このため先行きが読めず、かつまた貴殿の平県云々の部分が戻ってしまっていたことから、速やか且つ確実に決着を図るため、やむなく貴殿への直談判を選択した次第でございます。仰せの通り、手続きの不備の責は全く私が負うべきものでございます。

この度は何かとお手を煩わせまして申し訳ございませんでした。今後のより一層の御活躍をお祈り申し上げます。--218.110.90.214 2012年4月27日 (金) 11:07 (UTC)[返信]

了解いたしました。おかげさまでWikipedia:表記ガイド#年月日・時間の存在を知り、勉強になりました。議論の提起のために貴殿の編集をリバートしましたが、所属県に関する誤りは修正しました。議論の提起なしにリバートをかけまくることはいたしませんので、統合された折には、貴殿の知識を各大字の項目の「歴史」の節に加筆していただければ幸甚に存じます。--検見川町会話2012年4月27日 (金) 11:47 (UTC)[返信]

岩瀬郡鏡石町について[編集]

実はこの地図を見ますと鏡石町の一部はもともと磐城国石川郡でした。[1]なお、この資料を見ますと、鏡石町の大字は2000年12月25日に廃止しております。[2]これらの資料が今後、鏡石町のウィキサイトの編集に役に立つと思います。--BigBang19会話2012年6月22日 (金) 06:38 (UTC)[返信]

ありがとうございます。編集は当面先になりそうですが…。--検見川町会話2012年6月29日 (金) 15:25 (UTC)[返信]
岩瀬郡の編集を終えました。私は郡域の画定を郡区町村編制法とする立場を取っているため、さしあたって上記の資料を記事には反映できていません(明治8年に笠石村・成田村が石川郡から編入されたことに触れるのみ)。BigBang19さんが郡域図を作成するときにお役立ていただければと思います。--検見川町会話2012年10月6日 (土) 09:16 (UTC)[返信]

気仙沼町などの分割につき[編集]

ノート:気仙沼町に意見を付しましたので、御足労願いたく存じます。そもそもこれらの分割作業について事前提案は必要無いのでしょうか。手続き上の詳細については存じませんので、この場合は無用であると仰るのであれば、それは構わないのですが。--218.110.90.191 2012年9月17日 (月) 02:10 (UTC)[返信]

プロジェクト:日本の市町村に、本件についての疑義三点を提起致しました。宜しく検討・協議の程、貴殿ならびにプロジェクト参加者の皆様にお願い申し上げます。以下は余談となりますが、郡区町村編成法の宮城県における実施時期について、先送りになったする旨の記事は今のところ見当たりません。郡制のように予め四年の猶予期間が定められていたり、郡の廃置分合について加美郡のように揉めたりするという要因が無く、同法の施行により不評だった大区小区制を廃せるというメリットがあったため、特に実施を遅らせる必要が無かったものと思われます。ただ、岩手県については、同法施行と同時に行われる予定だった和賀・閉伊・九戸諸郡の再編制の実施が間に合わず、翌年1月4日にずれこみましたが、法自体の施行が先送りされた訳ではありません。何かしらの追加情報があれば、こちらでその旨を各記事に付記致します。--218.110.90.191 2012年9月17日 (月) 05:00 (UTC)[返信]
ありがとうございます。建設的な議論になればと思います。--検見川町会話2012年9月17日 (月) 05:46 (UTC)[返信]

地震記事の改名について(依頼)[編集]

ぶっつけなお願いで失礼します。As6022014です。ここ一ヶ月間で日本の地震記事の編集を行われたアカウントユーザーの方に呼びかけています。

ノート:元禄大地震にて天正大地震, 慶長地震, 慶長大地震, 元禄大地震, 安政の大地震の改名提案を提出しています。より多くの方の意見を伺いたいと考えておりますので、意見表明いただけますと幸いです。--As6022014会話2012年10月11日 (木) 09:41 (UTC)[返信]

私は地名のリンクを張り替えただけで地震に詳しいわけではありませんので、意見の表明は辞退させていただきます。申し訳ありません。--検見川町会話2012年10月11日 (木) 13:22 (UTC)[返信]

新潟県白岩村について[編集]

検見川町さん、白岩村は古志郡と三島郡に二箇所あります。この地図を見れば白岩村が二箇所あります。どうにかこの地図を見てから修正してください。お願いします。[3]--BigBang19会話2012年10月26日 (金) 03:49 (UTC)[返信]

ありがとうございます。「旧高旧領取調帳」には三島郡に白岩村(桑名藩領)と向岩村(長岡藩領)が記載されていますが、向岩村は解説が何もないので、恐らく古志郡白岩村の「白」の字が「向」になり、所属郡が間違って掲載されていると解釈しました。ある村が隣接郡に紛れ込み、そのせいか解説が付いていないのは同帳によくある間違いで、その場合は「角川日本地名大辞典」等で補完しています。--検見川町会話2012年10月26日 (金) 06:02 (UTC)[返信]

記事名の常用漢字化について[編集]

いつも編集おつかれさまです。さて、『記事名を常用漢字に』ということでいくつかの記事を移動していますが、Wikipedia:記事名の付け方#漢字にありますように市町村名などの固有名詞は常用漢字化は不要です。ご存知かと思いますが、つい最近まで都道府県名でさえ常用漢字ではなかったくらい市町村名に常用漢字でないものは数多くあります。差し戻しをよろしくお願いいたします。--Knua会話2012年11月2日 (金) 12:37 (UTC)[返信]

鹿嶋市のように、あえて旧字体・異体字を使用している場合は常用漢字化の適用外に当てはまると思いますが、私が移動したものは明白に旧字体を使用しているものです(各種資料でも「島」「曽」と表記しています)。そうしないと、戦前に廃止された自治体はすべて当時の表記である旧字体にしなければ整合性が取れなくなる(例:「三島町」は正確には「三嶋町」)と思いますが、いかがでしょうか。--検見川町会話2012年11月2日 (金) 13:27 (UTC)[返信]
ちと難しい問題に触れたのかな。現代日本語で使わないような旧字体であれば常用漢字化も良いかもしれないが、基本的に固有名詞として使われている用語を記事名とするべきでしょう。戦前には「島」という漢字が無かったのであれば「三嶋町」とすべきですが…、常用漢字は戦後で旧字体は戦前とかいう区別のものではないのでは?。私は国語には強くないのでなんともですけど。--Knua会話2012年11月2日 (金) 14:12 (UTC)[返信]
星組背番号10と申します。通りすがりで失礼します。市町村名称の(常用漢字ではなく)当用漢字への置き換えにつき、自治庁行政局長通知が出ています。詳細は、当用漢字#地名における使用をご参照ください。以上、ご参考になれば幸いです。--星組背番号10会話2012年11月27日 (火) 15:17 (UTC)[返信]
情報をありがとうございます。常用漢字は当用漢字の後継です。つまり、改称に当たらないということは、歴史的地名を常用漢字で表記しても同義ということになります。--検見川町会話2012年11月27日 (火) 16:28 (UTC)[返信]
貴方は「檜山町」という記事を作成されました。旧字体の"檜"も新字体の"桧"も常用漢字ではありません。貴方の常用漢字POV(現代POV)な基準にしたがえば、記事名は「ひ山町」とすべきなのではありませんか?なぜ「檜山町」としたのでしょうか?非常にご都合主義的に感じられます。ちなみに"檜"も"桧"も「人名用漢字」には入っていますが、人名用漢字はもちろん地名用漢字ではありません。--49.135.30.222 2012年12月14日 (金) 23:16 (UTC)[返信]
「檜」は仰る通り人名用漢字ですが常用漢字ではありません。「桧」は人名漢字表に載っていますが俗字です[4]。よって「ひ」の現状の正確な表記は「檜」です。常用漢字の旧字を用いた歴史地名は常用漢字に統一すべきですが、常用漢字表にない漢字を使ってはいけないとは主張していません。--検見川町会話2012年12月15日 (土) 08:03 (UTC)[返信]

北海道の記事作成について[編集]

いつもお疲れ様です。 いま北海道の各郡の記事を編集してくれてますが、郡域について話したいと思います。 北海道の郡域の地図を作成してくれたますが、消滅している室蘭郡、津軽郡、幌別郡の3郡含む、ほとんどの郡が1郡1町(あるいは1郡1村、または明治期に設立した郡の全域がそのまま市になっている)状態であります。いちいち新しいものを作るよりも、既存ファイルを使ったほうがいいと思います。 私は、すでに室蘭郡、津軽郡(渡島国)、幌別郡、白老郡、二海郡、奥尻郡、島牧郡、古平郡、増毛郡の地図を差し替えときました。--BigBang19会話2012年11月21日 (水) 03:32 (UTC)[返信]

1郡1市町村が多いのは理解しています。ただ、郡地図が統一されたフォーマットのほうが読者の便になるかと思って作成したのですが、いかがでしょうか。見た目の統一性を重視するか、無駄なファイルを作らないことを重視するか、という問題かと思います。--検見川町会話2012年11月21日 (水) 06:27 (UTC)[返信]
非常に手間がかかっていることはよくわかります。でも、見ずらいです。「支庁」共用になっているので、「○○郡の地図」として貼ってあっても、どこがその郡の位置なのか直感的に分かりにくい。どうやら番号の説明がしてあるところが当該地らしいと想像するのですが、色が多すぎて、しかも時代による変遷も1枚で表現しようとしていて複雑になっていて、ぱっと見て「ここです!」という明解さがないんです。目指すエリアが赤いとか、「○○年時点での地図」とか限定していただいたほうが分かりやすいと思います。--116.81.39.76 2012年12月5日 (水) 07:05 (UTC)[返信]

ファイル:Akita Akita-gun.pngへの出典とライセンス明記のお願い[編集]

出典とライセンスがありません出典とライセンスがありません

こんにちは。ファイル:Akita Akita-gun.pngをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後に削除されますので御注意ください。

このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。

加えて、そのファイルをどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。ファイルの著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、ファイルの著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際はファイルページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同ファイルを再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます203.90.20.39 2012年12月1日 (土) 05:27 (UTC)[返信]

出典を付けました。お手数をおかけいたしました。--検見川町会話2012年12月1日 (土) 05:31 (UTC)[返信]

「町村統合は町村制前日」とは?[編集]

取り急ぎ失礼致します

本日「町村統合は町村制前日」として、宮城県内各郡の記事において、町村制施行前日の3月31日に各町村が統合されたとの編集を一斉に加えておられますが、その典拠を示していただきたく存じます。伊具郡について言えば『角田市史』にも『丸森町史』にも「3月31日に各町村が統合された」旨を確認出来る記述は見当たりません。なにぶん影響範囲の広い事項ですので、速やかな典拠の提示を御願い致します。--210.139.159.57 2013年1月15日 (火) 11:54 (UTC)[返信]

宮城県令第8号宮城県令第9号宮城県令第27号をご参照ください。茨城県・千葉県・神奈川県でも3月31日、静岡県でも3月1日に町村の統合が行われています(順次修正します)。--検見川町会話2013年1月15日 (火) 12:22 (UTC)[返信]
典拠確認致しました。有難うございました。ただ表記の方法については、煩雑化を避けるため、以後の編集の際に典拠と併せて脚注を用いた方法に変えるかもしれません〔案:町村の統合自体は前日の3月31日に実施されている(明治22年(1889年)2月9日、宮城県令第8号〕。--210.139.159.57 2013年1月15日 (火) 12:46 (UTC)[返信]
お手数をおかけいたしました。問い合わせをいただいたついでで大変恐縮ですが、宮城県での郡区町村編制法の施行日の資料をご存知でしたらご教示いただけないでしょうか。大きな図書館で宮城県史や各市町村史を見ても、記述がぼかしてあったり、日付が明記されていなかったりして、確たる典拠が見つからないのです。--検見川町会話2013年1月15日 (火) 12:57 (UTC)[返信]
残念ながら私の管見の範囲でも、今のところは同法の宮城県における施行日についての明確な典拠を得られておりません(県史・郡史・市町村史など)。何かしらの情報が得られた場合には、先ず宮城県郡区町村編制法の記事に典拠つきで加筆することに致します。--210.139.159.57 2013年1月15日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
ありがとうございます。情報が得られましたら、よろしくお願いいたします。--検見川町会話2013年1月15日 (火) 13:14 (UTC)[返信]

宮城県における郡区町村編成法施行につき、日付に言及した資料を発見しましたが、県による根拠法令が付記されておらず、これを確定情報とすることは出来ませんので、記事への加筆ではなくにこちらに載せておきます。
〈典拠〉『志田郡沿革史』(宮城県志田郡役所、1912年)97頁。※原文は旧字体で句読点なし
「十一年七月、第十七号布告郡区町村編成法ノ発表アリ。即チ府県ノ下、郡区町村トシ、毎郡ニ郡長、毎町村ニ戸長一人ヲ置ク制ヲ始トシ、従テ郡ノ分合等ニ至ル実例ヲ示サル。県ハ其年十月二十一日、大区ヲ郡トシ、小区ヲ町村ト改メ、志田・玉造ノ二郡ニ郡長一人ヲ置キ(以下略)」
上記内容より、明治11年(1878年)10月21日が宮城県における同法の施行日であろうと推測出来ます。--202.223.88.118 2013年1月21日 (月) 11:50 (UTC)[返信]

ありがとうございます。--検見川町会話2013年1月22日 (火) 14:42 (UTC)[返信]

大曲駅 (秋田県)に関する記述の確認修正のお願いについて[編集]

初めまして。大曲駅 (秋田県)に関して、検見川町さんは2012年12月3日に大曲町#鉄道路線において「奥羽本線が町域を通過していたが、駅は所在しなかった。大曲駅は花館村に所在。」と記載なさいました(本日現在までこの部分の修正履歴はなし)。一方、2012年12月9日には花館村#鉄道路線において「村域を奥羽本線が通過したが、駅は所在しなかった。」と記載なさいました(こちらも同様に修正履歴はなし)、整合性が取れていない状態になっていると思われましたので、今一度ご確認のうえ、記述修正をお願いしたいと思います。

尚、以下蛇足になりますが、当の大曲駅 (秋田県)#歴史には「官設鉄道(国鉄)の駅として仙北郡大曲町に開業」(2013年2月9日付け、フォットさん)と記載されています。--Marinesnow5会話2013年4月5日 (金) 13:05 (UTC)[返信]

大曲駅が所在する大曲通町は旧大字大曲の一部のため、旧大曲町に所在したものと確認できました。丸子川の北側は旧花館村と早合点して編集してしまったようです。大変失礼いたしました。--検見川町会話2013年4月5日 (金) 15:15 (UTC)[返信]

大館駅の開業時の所在地について[編集]

はじめまして、こんにちは。突然ですが、ノート:同和鉱業花岡線において、大館駅が開業した当時の自治体について質問されております。私が検見川町さんが立項された大館町および釈迦内村の記事で「大館駅は隣接する釈迦内村に所在。」と書かれたものを元に同和鉱業花岡線の脚注内に「免許は大館町から花岡村までであるが、実際に開業したのは釈迦内村から花岡村の区間である」と記載しました。実際に私は大館市に住んだことがあるのですが、確かに大館駅周辺は釈迦内だったと記憶はあるのですが、厳密に大館駅が釈迦内村だったというのは断定できませんし、出典も見つけられませんでした。

もしかしたら、釈迦内村と大館町を立項された検見川町さんならご存じではないかと思い、出典などを伺いにきました。なお、私自身が大館駅大館市にも大館駅が釈迦内村だったと加筆しましたが、事実関係によっては修正をしなくてはなりませんので、できればお返事は今議論の場となっているノート:同和鉱業花岡線の方にしていただければありがたいのですが。 --フォット会話) 2013年5月2日 (木) 00:50 (UTC) 若干修正 --フォット会話2013年5月2日 (木) 00:52 (UTC)[返信]

JRの大館駅の住所は大館市御成町となっていますが、敷地の大部分は旧釈迦内村の大館市松木であり、御成町は住居表示の実施によって誕生した町丁のため、当時の所在地を釈迦内村と比定しました。また、小坂製錬小坂線の大館駅の敷地は大館市字清水堰添に所在します。御成町と字清水堰添の旧所属自治体について資料をあたってみますので、少々お待ちください。--検見川町会話2013年5月3日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
調査の結果、御成町・字清水堰添ともに旧大館町のため、大館駅の所在地は旧大館町ということが判明しました(ただしJRの敷地の大部分は旧釈迦内村)。記事を修正いたします。--検見川町会話2013年5月5日 (日) 05:03 (UTC)[返信]
修正を確認しました。早速のご対応ありがとうございます。 --フォット会話2013年5月6日 (月) 00:15 (UTC)[返信]

地理の座標値について[編集]

こんにちは。「Category:座標タグに誤りがあるページ」に関連し、ご案内に参りました。「野田町 (樺太)」の編集差分 を御覧ください。座標値を十進型から度分秒型に変換する際には、このような変換は行えません。十進型の座標値を度分秒しかないテンプレートに挿入する場合には、度の部分に十進型の座標値をそのまま挿入して下さい。よろしくお願いします。--Frozen-mikan会話2013年5月5日 (日) 13:15 (UTC)[返信]

編集前の数値をそのままコピペしたつもりでしたが、失礼いたしました。--検見川町会話2013年5月5日 (日) 15:36 (UTC)[返信]
上記の方と同じ苦言を呈すことになりますが、検見川町さんが編集した座標タグ、特に2012年11月6日から10日頃に掛けての樺太関係の編集で、複数の誤り(10進法と60進法の混同)を修正しました。数値が60を超えている場合はエラーを吐き出すので発見が容易ですが、10進法で記載しても数値が60以下の場合は発見が困難です。もう一度ご自身が行なった編集を確認してもらえるようお願いします。--OskNe会話2013年5月28日 (火) 23:08 (UTC)[返信]
すべて修正いたしました。大変ご迷惑をおかけいたしました。--検見川町会話2013年6月1日 (土) 17:08 (UTC)[返信]
お手数をおかけしました。迅速な対応、有難うございました。--OskNe会話2013年6月2日 (日) 03:42 (UTC)[返信]

長野県の市町村について[編集]

検見川町さん、お久しぶりです。 このページを見る限り、小船山村は埴科郡所属で、後の千曲市大字中の前身である向八幡村は更級郡所属でした。千曲市のウィキペディアのページでも小船山村は埴科郡、向八幡村は更級郡でした。 長野県内の他の市町村でも間違えている可能性もありますので、長野県・信濃国の郡域の追加投稿する際、このページを参考にしてください。よろしくお願いします。[5] --BigBang19会話2013年5月8日 (水) 04:39 (UTC)[返信]

ありがとうございます。千曲市のページや編集前の両郡のページではそうなっていましたが、「角川日本地名大辞典」の明治12年所属郡変更という記述に従って修正しました。ただ、「角川」も誤記や項目ごとの不統一が見受けられるため、ご紹介いただいた官公庁の公式史料に従って修正していきたいと思います。各村名の表記の確認もしたいと思いますので、少々お待ちください。--検見川町会話2013年5月8日 (水) 10:24 (UTC)[返信]
ご紹介いただいた史料を精査してみましたが、村名の表記等を見ると「旧高旧領取調帳」を引き写したもののようです。また、相給の村の領主が一つしか記載されていないなど、かなり端折られています(ただし県域の変遷図は非常に役立ちました)。私はこれまで通り、「旧高旧領」と「角川」を突き合わせて執筆を進めていきますので、BigBang19さんの方で新たな史料が見つかりましたら、ご教示いただければ幸甚に存じます。--検見川町会話2013年5月11日 (土) 11:13 (UTC)[返信]

石川県の地図について[編集]

すいません。 石川県の郡域の地図を投稿してくれてありがとうございます。しかし、すでに地図の一覧-日本-中部にて、既存ファイルがあります。石川県以外での都道府県の地図ファイルでも、同じです。どうにか、既存ファイルを使って、最新の画像をアップロードしてください。これならば、いちいち削除依頼しないで済みます。--BigBang19会話2013年6月30日 (日) 10:24 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。ただ、既存ファイルが現時点あるいは消滅時のものを示すファイル名となっているため新規ファイルを上げたのですが、そのまま上書きして問題ないでしょうか。--検見川町会話2013年6月30日 (日) 10:50 (UTC)[返信]
よく見たら能美郡・石川郡は時点を示すファイル名ではなかったため、既存ファイルを使いました(能美郡の重複は即時削除を依頼)。河北郡は時点を示すファイル名だったため、別途アップしました。能登国は、羽咋郡・鹿島郡は既存ファイルが使えますが、鳳至郡・珠洲郡は既存ファイルがないようです。--検見川町会話2013年7月1日 (月) 13:14 (UTC)[返信]

奄芸郡大部田村について[編集]

検見川町さん、お久しぶりです。 三重県安濃郡と奄芸郡の記事を編集してありがとうございます。 しかし、大部田村については編集していなかったので、私が追記しましたが、現在の町名は不詳のため、所属していた奄芸郡の記事だけを編集しました。--BigBang19会話2013年12月17日 (火) 06:10 (UTC)[返信]

ありがとうございます。「角川日本地名大辞典」によると、大部田村は明治22年津市大字大部田、明治24年上浜町に改称、昭和19年下部田の一部を編入のうえ一部が江戸橋・島崎町・大谷町になったとありましたので、それに従って修正しました。--検見川町会話2013年12月21日 (土) 07:19 (UTC)[返信]

それにしても、隣接する桜橋や栄町も昭和19年まで上浜町でしたか?あと、分割後の新・上浜町などになった部分は具代的に何丁目までが(昭和19年までの)上浜町に含まれ待ていましたか?--BigBang19会話2013年12月22日 (日) 04:11 (UTC)[返信]

桜橋・栄町の前身はいずれも愛宕町・下部田と記載されており、上浜町の項に愛宕町の名はないため、大部田村の区域は含まないようです。また、「角川」は「XX町1 - X丁目」のようにひとまとめに記述しているため、何丁目が大部田村に該当するのかは不明です。正確なところは、もはや地籍表を見ないとわからないと思われます。--検見川町会話2013年12月22日 (日) 04:56 (UTC)[返信]
(追記)精査したところ、栄町の前身には塔世の一部(茶屋町)も含み、下部田の項によると、上浜町のうち下部田を含むのは1 - 3丁目でした。平凡社の「日本歴史地名大系」にもあたってみましたが、こちらは桜橋3丁目・栄町4丁目の各一部も大部田村の区域に含めています。塔世橋の北側では昭和19年に区画整理が行われていて、地籍から追うのも難しいようです。もともと大部田・下部田の各一部(地籍は下部田)から成る余慶町という通称地名もあったくらいなので、各大字が錯綜していたと思われます。 --検見川町会話2013年12月22日 (日) 06:50 (UTC)[返信]

ファイル:Mie Age-gun.pngへの出典とライセンス明記のお願い[編集]

出典とライセンスがありません出典とライセンスがありません

こんにちは。ファイル:Mie Age-gun.pngをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後に削除されますので御注意ください。

このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。

加えて、そのファイルをどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。ファイルの著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、ファイルの著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際はファイルページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同ファイルを再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます

ファイル:Mie Suzuka-gun.pngファイル:Mie Mie-gun.pngファイル:Mie Kawawa-gun.pngファイル:Mie Kawage-gun.pngファイル:Mie Inabe-gun.pngファイル:Mie Asake-gun.pngファイル:Mie Ano-gun.pngファイル:Mie Aki-gun.pngも同様。 203.90.20.38 2013年12月18日 (水) 07:39 (UTC)[返信]

申し訳ありません。うっかり忘れていました。すぐに対応しました。--検見川町会話2013年12月18日 (水) 12:03 (UTC)[返信]

富山県の地図に関して[編集]

検見川町さん、 富山県の地図に関してのことです。 実際に誰かさんが作成した2つのファイルがありました。 遅れて申し訳けございません。 その2つのファイルはToyama Imizu.pngとToyama Kaminiikawa.pngです。 ほかにも既存ファイルがあるはずだと思います。 私も探しますが、発見しだい報告します。--BigBang19会話2014年2月8日 (土) 21:10 (UTC)[返信]

ご指摘ありがとうございます。富山県に関してはBigBang19さんから既存ファイル活用のご指摘を受ける前の時期に初版のファイルをを作成したと記憶しておりますので、その点で配慮が足りませんでした。今後新規ファイルを上げる場合には気をつけます。--検見川町会話2014年2月9日 (日) 00:51 (UTC)[返信]

地図ファイルの改名提案[編集]

もうひとつ、伝えたいことがあります。 現在ウィキペディアに投稿されているすべての日本の郡の地図画像のファイルを今の名前からファイル:■ □-gun(黒い四角道府県名、白い四角は郡名)に改名したほうがいいんじゃないかなと思います(例として北都留郡の場合は現在のファイル:Kita-tsurugun.pngからファイル:Yamanashi Kitatsuru-gunに改名)。ただし、すでにファイル:■ □-gun名前になっているものはそのまま。--BigBang19会話2014年2月8日 (土) 21:21 (UTC)[返信]

ご指摘の点、私も気になっておりましたので賛成です。これまではその県の既存ファイルに合わせる形で命名していました。また、日本の「郡」の英訳は「district」ですが、恥ずかしながら私が「地域」と勘違いして、都道府県名と被る場合は「Kagawagun-district」のようにしてしまったものもあります。--検見川町会話2014年2月9日 (日) 01:07 (UTC)[返信]

福島県に関しては、commonsにあるものを削除したほうがいいと思います。私は、既存ファイルを削除するのは反対です。--BigBang19会話2014年2月12日 (水) 13:51 (UTC)[返信]

私が即時削除を依頼したものは、既存ファイル自体が2つ存在しており、「-District」と「-gun」のうちの前者です。ちょっと見ていただければご理解いただけると思います。--検見川町会話2014年2月12日 (水) 13:57 (UTC)[返信]
BigBang19さんのご提案に則った場合に改名が必要な既存ファイルをまとめてみました。★は現在リンクされていないものです。福島県(磐城国の大部分)・茨城県・群馬県・千葉県・富山県・静岡県は私がCommonsにアップ、滋賀県は全既存ファイルがCommonsにあります。--検見川町会話2014年2月13日 (木) 13:51 (UTC)[返信]
統一が必要な郡地図ファイル名
青森
宮城
山形
福島
関東複数県
栃木
埼玉
千葉
東京
神奈川
新潟
富山
石川
長野
山梨
静岡
近畿複数県
兵庫
奈良
和歌山

検見川町さん、実はもう一つ見落としています。岩手県気仙郡の郡域画像が今の画像よりも前に投稿していたものが有る事を伝えます。ファイル:Iwate Kesen-gun.pngが先に投稿していたので、今の:ファイル:Kesengun-district.pngを削除して、先に投稿したものを改定したほうがいいと思います。--BigBang19会話2014年2月13日 (木) 19:42 (UTC)[返信]

気仙郡の件、対処いたしました。他のファイル名の統一作業は、月内にBigBang19さんの改名提案に異論が出なければ、私がアップロードしたものから順に対処したいと思います。--検見川町会話2014年2月14日 (金) 12:49 (UTC)[返信]

Commonsに投稿していた名取郡と牡鹿郡の郡域の削除依頼し、現在共にローカルで再投稿しています。--BigBang19会話2014年2月17日 (月) 00:11 (UTC)[返信]

すでにCommonsとローカルにぞれぞれ投稿している富山県・福島県・千葉県・長野県・静岡県の各郡地図を、ローカルに統一して再投稿したほうがいいと思います。滋賀県の郡はすでに誰かさんが先にCommonsで投稿して、後に検見川町さんが改めて最新版を投稿しているので、Commonsに残したまま、そのままで改名したほうがいいと思います。群馬県と茨城県は既にすべての郡地図がCommonsで投稿しているので、群馬県と茨城県の郡地図も改名するだけでいいと思います。--BigBang19会話2014年2月25日 (火) 02:33 (UTC)[返信]

了解いたしました。BigBangさんが改名提案の期限を今月中に区切ってらっしゃるため、月が明けてから作業に取りかかります。--検見川町会話2014年2月25日 (火) 03:18 (UTC)[返信]
月が変わったため、Commonsに投稿した県の郡域図のローカル版を再投稿し、Commonsの方を削除依頼する作業を開始しました。千葉県・静岡県に関してはJapan mapを元にした図を作成してから作業をしたいと思います。--検見川町会話2014年3月2日 (日) 05:25 (UTC)[返信]

地図ファイルを改名してくれて、ありがとうございます。しかし、青森県津軽郡の地図名はまだ:ファイル:Map aomori tsugaru district.PNGのままです。時間があればファイル:Aomori Tsugaru-gun.pngに改名してください。--BigBang19会話2014年5月28日 (水) 22:56 (UTC)[返信]

ありがとうございます。改名提案を出しました。郡域図と関連しますが、Wikipedia:削除依頼/神崎郡 20140522での議論に参加していただけると助かります。--検見川町会話2014年5月29日 (木) 01:12 (UTC)[返信]

海部郡 (和歌山県)の地図について[編集]

海部郡 (和歌山県)の地図の番号がズレていますので、よろしければ修正お願いします。--Eimadivot会話2014年2月15日 (土) 10:49 (UTC)[返信]

修正いたしました。ご指摘ありがとうございます。--検見川町会話2014年2月15日 (土) 12:21 (UTC)[返信]

和歌山県那賀郡・伊都郡および奈良県宇智郡について[編集]

またしてもすいません。 この間、3つの郡を大量加筆してくれましたが、実は数箇所の見落としがありましたが、私が加筆しました。 伊都郡はかつらぎ町の旧伊都郡天野村の旧那賀郡長谷宮村だった部分と、宇智郡は五條市の旧伊都郡真土村だった部分を、それぞれ郡域項目(那賀郡・伊都郡・宇智郡)にて加筆しておきました。但し、現在伊都郡天野村大字長谷宮と宇智郡牧野村大字真土は消滅しており、今はどの大字に編入されたかわかりませんので三重県津市大部田町の時同様に、町村制施行以前の町村名で加筆しました。--BigBang19会話2014年2月27日 (木) 04:18 (UTC)[返信]

ウォッチリストで確認しておりました。角川の記述では天野村の旧長谷宮村分、牧野村の旧真土村分ともに町村制時に大字として編成されていないため、ともに飛地で、周囲の大字に吸収されたものと推測されます。--検見川町会話2014年2月27日 (木) 04:41 (UTC)[返信]

ありがとうございます。2016年10月19日時点であと2郡で日本に存在したすべての郡の記事の投稿が終了すると思いますが、残りの2郡の記事の投稿が終わったら和歌山県かつらぎ町の旧伊都郡天野村の旧那賀郡長谷宮村だった部分と奈良県五條市の旧宇智郡牧野村の旧和歌山県伊都郡真土村だった部分が、1889年にそれぞれどの大字に編入したか調べてください。よろしくお願いします。--BigBang19会話2016年10月20日 (木) 03:30 (UTC)[返信]

こちらこそ、編集中はいろいろご指導いただき、ありがとうございました。真土については有力な資料が見つかりました。飛地は畑田町にあったとのことです[6]。長谷宮については引き続き調査を続けます。--検見川町会話2016年10月23日 (日) 09:29 (UTC)[返信]
長谷宮の方は「和歌山県史」の町村制施行時の表の天野村の欄に「那賀郡長谷宮村ノ内字嶽原段別三段四畝拾五歩 字長野盛段別壱町六段壱畝廿九歩」とあり、現在のかつらぎ町新城の字名一覧[7]に「嶽原」と「長ノ盛」が現存するため、旧長谷宮村の飛地は天野村大字新城に吸収されたと確定してよさそうです。ただ、「角川日本地名大辞典」の小字一覧では長谷宮の項に「長ノ盛 岳原」、新城の項に「長盛 岳原」と双方に名がありますが(嶽は岳の旧字体のため常用漢字表記に統一されているようです)、これは調査時点が明記されていないため、重複しているだけと思われます。 --検見川町会話2016年10月29日 (土) 08:27 (UTC)[返信]

ファイルに対する即時削除適用について[編集]

おはようございます、Jkr2255です。

さて、検見川町さんが多数のファイルに{{sd|ファイル1-2}}を貼っていらっしゃいましたが、これはコモンズからローカルにコピーされたファイルについてのものです。逆に、ローカルからコモンズに移動されたファイルについてはファイル1-5が存在しますが、こちらについても利用条件があります。ご確認の上でのご活用をお願いいたします。--Jkr2255 2014年3月3日 (月) 23:01 (UTC)[返信]

申し訳ありません。即時削除には当たらないようですので、削除依頼を出しました。--検見川町会話2014年3月4日 (火) 01:08 (UTC)[返信]

ファイル:Kagawa Shozu-gun.pngへの出典とライセンス明記のお願い[編集]

出典とライセンスがありません出典とライセンスがありません

こんにちは。ファイル:Kagawa Shozu-gun.pngをアップロードして頂き、ありがとうございます。しかし、この画像(ファイル)には出典が明記されていないため、著作権の状態が明らかになっておりません。出典とライセンスが明らかでないファイルは、1週間後に削除されますので御注意ください。

このファイルがあなた自身による著作ではない、あるいはそのようなファイルをあなたが加工したものならば、ファイルの(原)著作者、ウェブサイトへのリンクなどファイルの入手先など出典、そしてこのファイルがウィキペディアの画像利用の方針に沿っているという根拠を示す必要があります。あなた自身の撮影・著作であるならばその旨を明記してくださいますようお願い致します。

加えて、そのファイルをどのようなライセンスでウィキペディアに提供するのかを明記してください。ファイルの著作権表示タグを添付するのが簡単ですので、その中から、この画像(ファイル)の著作権の状態にあてはまるタグをご利用ください。タグの意味は、ファイルの著作権表示タグに書いてあります。なお、「非営利のみ利用可」「利用には許可が必要」などの自由な利用ができないファイルのアップロードは認められません。どうぞよろしくお願いします。

出典とライセンスを明記する際はファイルページにアクセスし「編集」タブをクリックして記載してください。同ファイルを再アップロードしても記入した内容は反映されません。

重要: あなたがこのファイルの他にもファイルをアップロードされているならば、あなたのアップロード記録を見て、他のファイルにも同様に出典とライセンスが明記されているかどうか今すぐ確認してください。それらのファイルや、今後あなたがアップロードされたファイルに出典やライセンスが記載されていなければ、同様に削除されます211.15.40.98 2014年3月10日 (月) 04:34 (UTC)[返信]

申し訳ありません。対応しました。--検見川町会話2014年3月10日 (月) 05:20 (UTC)[返信]

各郡記事の式内社の移動について[編集]

検見川町さん、初めまして。Saigen Jiroと申します。各郡記事の式内社を各国式内社の一覧に移動なさっていることについて、元の各郡記事から記述を除く必要があるのかと思い、そのおうかがいで書かせて頂きました。平凡社の『日本歴史地名体系』を見ましても郡名記事に式内社の言及はありますし、古代の郡の基礎情報として有意な記述であるかと個人的に思っています。重複させるという選択肢について、ご一考願えないでしょうか。よろしくお願いいたします。--Saigen Jiro会話2014年3月30日 (日) 11:55 (UTC)[返信]

奈良県で同じ作業をしたところ、特に反対意見がなかったため作業を進めました。郡記事の式内社に関する記述は県によってあるところとないところが混在しています。各国式内社の一覧の記事ができたことから、重複は無駄であり、両方を編集する手間や表記の統一を図る手間がかかるため、一覧記事に集約するのが妥当かと思います。一案として、郡記事の関連記事の節に「○○国の式内社一覧」を加えるのはいかがでしょうか。--検見川町会話2014年3月30日 (日) 13:37 (UTC)[返信]
お返事ありがとうございます。大和国で違和感は感じておりましたが、今回河内国の編集をなさるまで忘れておりました。すぐお伝えするべきでしたね。記事の内容を移した場合に「○○国の式内社一覧」として移動先を示すのは当たり前ではありますが、それ以前として、情報を削ることには未だ納得しかねております。近現代の郡の変遷を重視する方には邪魔なのでしょうけれども。重複は無駄ということですが、有意な情報のためわざわざワンクリックを設けるのは少し理解に苦しむところではあります。例えば一宮で一覧表があるからといって、各国記事で一宮を記載する必要がない、と言ったら全くそんなことはないと思っています(近代史の方に古代史の話で失礼します)。情報自体、「式内社の数」とは当時の各郡の文化水準の1つの指標であり、「式内社の社名」もまた当時の氏族の各郡での動静を表す非常に有意なものになります。確かに膨大な量で、とりかかるには私もためらう案件ですが。とりあえず「プロジェクト‐ノート:神道#各郡記事の式内社の掲載について」にて議論提起いたしましたので、該当記事の編集はその議論がまとまってからにして頂ければと思います。--Saigen Jiro会話2014年3月30日 (日) 14:38 (UTC)[返信]
意見を表明させていただきました。私は近現代の沿革を中心に執筆していますが、式内社の重要性に気づいていなかっただけで、他の時代の記述について邪魔だと思ったり、軽視したりしているわけではありません(重複は無駄ですが、記述自体が無駄とは思っていません)。逆に「○○県の市町村変遷」等の記事ができ、合意形成が図られた場合は、私が加筆した部分が移動することも考えられると思っています。--検見川町会話2014年4月1日 (火) 00:53 (UTC)[返信]
承知しました。議論参加に感謝申し上げます。--Saigen Jiro会話2014年4月1日 (火) 01:27 (UTC)[返信]

「神山県」の読みについて[編集]

[この編集]で「かみやまけん」から「じんざんけん」に変更なさっていますが、なにか根拠となる資料をご存じなのでしょうか?--124.98.149.135 2014年4月30日 (水) 06:25 (UTC)[返信]

当時、愛媛県に「じんざんけん」と書いてあったこと(現在は「かみやまけん」に修正)と、信頼できるサイトでも「じんざんけん」となっていたため、それを信じてしまいました。当時は出典をチェックする意識が希薄でした。申し訳ありません。--検見川町会話2014年4月30日 (水) 07:35 (UTC)[返信]
ご返答ありがとうございます。承知いたしました。--124.98.149.135 2014年4月30日 (水) 10:06 (UTC)[返信]

ファイル:Japan map.pngについて[編集]

数日前、ファイル:Japan map.pngの最新版をアップロードしました。 この最新版にはちょっと工夫をしたり、新たな部分を追加しました。

日本の領土である部分について[編集]

1. 市域は白い部分。
2. 郡部は所属郡ごとに色づけされ、今後、市に合併および単独市制した時点で1に移行。
3. 日本の最南端である沖ノ鳥島を追加。
4. 2014年4月5日までの合併を反映。
5. ロシアが実効支配している北方領土は、1945年時点の境界線、すなわち、ファイル:Hokkaido Nemuro Br 16cl.pngにて投稿している境界線を参考にして追加。
6. 南北を5310px(すなわち、北緯20度から50度まで)に拡大。今後は東西を6195px(東経120度から東経155度まで)に拡大予定。

日本国外である部分[編集]

1. 当時の領土であった樺太庁(南樺太)を追加。今後、この地図に載せている樺太を使って再作成予定。現在の樺太の地図はJapan map.pngに投稿している樺太の地図との採寸が合わないため、合わせるように作成。
2. 朝鮮半島は済州島全域、北緯30度から35度までの地図を追加(この間、韓国の地図を作成しようとしたけど、Japan map.pngとの採寸が合わないため断念)
3. そのほかの国外の領土については、陸地である部分は全体を白色にし、全域が海である部分は青系で着色。陸海混合地域も白色に、地図の領域が作成に成功した場合、合わせるように追加。
以上の変更を行い、最新版を投稿しました。--BigBang19会話2014年5月31日 (土) 20:39 (UTC)[返信]

履歴を継承しない改名中止のお願い[編集]

こんにちは検見川町さん。Kansai explorer会話)と申します。松原町の記事書き換えと松原町 (曖昧さ回避)の投稿を見て参りました。

記事分割・記事改名の際の決まりについてお知らせいたします。ウィキペディアでは文章をGFDLに基づいて正しく利用するために編集の履歴を保存する必要があり、従って、記事の改名や新しい記事にもその履歴を引き継がなければなりません。松原町 (曖昧さ回避)松原町の曖昧さ回避頁だった時の履歴を継承しておらず、GFDL違反として削除の対象となります。

履歴を継承する方法がWikipedia:ページの改名Help:ページの移動)、記事の分割の仕方に書かれていますので、今後はこれを良くお読みの上で改めて記事改名や分割作業を行ってくださいますようお願い申し上げます。--Kansai explorer会話2014年12月5日 (金) 14:00 (UTC)[返信]

松原町が曖昧さ回避ページだったため、履歴継承不要と考えて書き換えましたが、ご指摘をいただいたため、松原町 (曖昧さ回避)の即時削除の手続きを取りました。--検見川町会話2014年12月5日 (金) 14:30 (UTC)[返信]

淘綾郡と大住郡の地図[編集]

淘綾郡大住郡の地図が逆になっていると思うので、修正お願いします。--Eimadivot会話2014年12月18日 (木) 09:55 (UTC)[返信]

修正いたしました。失礼いたしました。--検見川町会話2014年12月18日 (木) 12:00 (UTC)[返信]

米田町について[編集]

検見川町さんが既存の米田町 (兵庫県印南郡)と重複させた米田町の扱いについてはノート:米田町で議論中です。ご自分が重複させた項目を主とする形で勝手に統合することはおやめください。--Claw of Slime (talk) 2015年1月5日 (月) 13:34 (UTC)[返信]

統合提案が出てからノートで議論が始まるまでの間に気付いて、自分自身が作成した重複記事だったため、慌てて統合してしまいました。議論終了を待ちます。--検見川町会話2015年1月5日 (月) 13:36 (UTC)[返信]

葛飾郡や足立郡などの地図のサイズについて[編集]

こんにちは、検見川町さん。Winter59kと申します。 去年、ファイル:Map 5katsushika district.PNGファイル:Saitama adachi district.PNGなどを更新されていらっしゃいますが、そのねらいについてお伺いしてもよろしいでしょうか。いずれのケースも、画像の解像度が半分以下に落とされてしまっており、非常に見づらく感じます。元画像のファイル:JpLargeMap KantoTokai.pngの縮尺どおりですから、拡大こそすれ、縮小する必要はないのではないでしょうか。なぜ「他県と縮尺を合わせて全面改訂」する必要があったのでしょうか?--Winter59k会話2015年1月18日 (日) 15:12 (UTC)[返信]

お返事が遅くなり申し訳ありません。郡域図については全国各地の郡と規模を比較できるよう縮尺を統一し、見づらくなってしまう点は私が追加した町村制時点の町村の地図で補えればと考えています。また、元画像の当時より町村数が減っており、境界線の密度も薄くなっているため、縮尺を落としても問題ないと考えました。--検見川町会話2015年2月21日 (土) 05:39 (UTC)[返信]

韓国の郡について[編集]

お久しぶりです。今回は大韓民国の郡についてですが、そらみみさんが検見川町さんが大幅に編集する前の状態、すなわち、市制・町村制施行時に誕生した市町村となった以前の町村が投稿していない(韓国の場合は郡面統合後の府面が投稿しており、それ以前の面が投稿していない)、あるいは市郡が一緒の記事になっている状態になっていますが、これを日本の郡や市町村の記事みたいにしようかなと思います。-BigBang19会話2015年3月11日 (水) 03:35 (UTC)[返信]

土佐山田町(香美市)について[編集]

表題についてご質問があり、お答えください。 一つは文を読むと全域が住居表示を実施しているように見えるが、単なる土佐山田町(その後に番地が来る)は住居表示を実施していません。 二つ目は旧町村をなぜ旧自治体の土佐山田町ではなくこの記事に記したか。 以上です。 --118.238.204.154 2015年9月27日 (日) 16:20 (UTC)[返信]

一つ目、「住居表示実施地区の北・東・南を取り囲む区域」を指し、住居表示実施地区自体は指していません。
二つ目、歴史の節に書いてあるように「香美市土佐山田町←香美郡土佐山田町(大字なし)←香美郡山田町」という経緯をたどっており、旧山田町の記事は区域が同一(住居表示実施地区が分立していますが)の土佐山田町 (香美市)で触れるのが適当だからです。逆に、「土佐山田町=山田町」ではないため(土佐山田町=山田町+佐岡村+片地村+大楠植村+明治村+新改村)、土佐山田町の中に旧山田町について書くのは区域が同一ではないため不適当です。--検見川町会話2015年10月1日 (木) 12:54 (UTC)[返信]
横から失礼します。上記のIPとは別人です。2つ目の質問について補足しておくと、旧山田町は旧土佐山田町成立時に廃止した自治体であり、旧土佐山田町とは全くの別物。旧山田町については、旧山田町単独記事あるいは香美市の1地区として記すべき(もちろん後者が妥当ですがね)で、いずれにしろ廃止自治体である旧土佐山田町に記すのは不適当です。さて本題に入りますが、旧山田町を統合させていることに正直疑問を感じます。旧土佐山田町(大字なし)を、香美市の土佐山田町および旧山田町を同等と見做している点です。そもそも旧土佐山田町(大字なし)は、単に大字を設けなかっただけの便宜上の区域に過ぎないのではございませんかね。旧山田町域は、土佐山田町成立時には大字がなく、その後現在では大字・町丁が設けられ、香美市の土佐山田町と住居表示実施地区(土佐山田町百石町 等)に分かれていると考えたほうがよろしいかと。--114.146.55.203 2015年10月2日 (金) 13:47 (UTC)[返信]
角川日本地名大辞典」の旧山田町の項目には「29年土佐山田町の一部となる。なお、当地域は山田野地地区となり、大字なしの地域として行政通称地名が用いられた」と記載されており、旧山田町と旧土佐山田町大字なしの区域は同一です。香美郡には山田野地村→山田町→土佐山田町(大字なし)→香美市土佐山田町と、山田村→明治村大字山田→土佐山田町大字山田→土佐山田町山田の2つの「山田」があり、土佐山田町発足時に区別のために町の中心部である旧山田町を大字なしとしたと思われます。--検見川町会話2015年10月7日 (水) 01:36 (UTC)[返信]
前の114.146.55.203です。大字を設けなかった理由については分かりました。しかしポイントはそこではなく、先ほどの発言を言い換えれば、住居表示実施後の旧土佐山田町(大字なし)と住居表示実施前の旧土佐山田町(大字なし)を同じものと見做してよいのか、ということです。大字なしは地名ではありません。旧土佐山田町(大字なし)は、大字だけでなく小字という概念を設けなかった、空集合のような区域に過ぎません。それを1つの大字と見做して旧山田町を香美市土佐山田町と同等として書かれていることに違和感を感じます。住居表示実施地区を設けられたことによって、現に香美市土佐山田町の区域と旧山田町域は異なっていますよね。旧山田町を統合させるならば、主題を香美市土佐山田町だけでなく住居表示実施地区を含めるべきではないかと考えます。--60.37.187.43 2015年10月7日 (水) 14:00 (UTC)[返信]
住居表示実施地区は当該地域から「分立」したものですから、その時点で主題から外れます。また、分立前の「大字なし」と分立後の「大字なし」は区域が変わっても別の概念ではありません。よって、「大字なしは地名ではありません」とはいっても、その地域の前身が旧山田町であり、後身が香美市土佐山田町であるという事実に変わりはありません。一つの土地の歴史の流れを一つの項目で述べているわけです。--検見川町会話2015年10月18日 (日) 12:51 (UTC)[返信]
「分立前の「大字なし」と分立後の「大字なし」は区域が変わっても別の概念ではありません。」←両者は「大字なし」という概念が共通しているだけのことですから、そのようなことが言い切れるはずがありません。--114.165.180.246 2015年10月19日 (月) 13:20 (UTC)[返信]
分立前の「大字なし」と分立後の「大字なし」は明確に同じルーツを持った地域です。言葉尻を捉えているだけで論理性がなく、議論になりませんので、分割提案をして広く意見を募ることをおすすめします。あるいは「住居表示実施地区を含めるべきではないかと考えます」とおっしゃるのなら、住居表示地区について加筆するなど、生産性のある活動をされてはいかがでしょうか。--検見川町会話2015年10月20日 (火) 02:17 (UTC)[返信]

手を出していない郡の項目について[編集]

お久しぶりです。 今、私が残りの県(広島県と岡山県、さらに沖縄県を除く九州全域)の郡の項目を編集しています。 なぜなら、検見川町さんが山口県の郡を編集して以来、あまり進んでいません。 これまでに、郡の一部に郡域の項目を追記し、一部の郡に関して、虫食い状態に場合は、暇な時に追記しています。BigBang19会話2015年10月18日 (日) 01:39 (UTC)[返信]

本業が忙しくなって、誤記の指摘や問い合わせへの対応以外、編集が滞っていて申し訳ありません。郡記事の編集と町村記事の編集をバランスよく進めるべく、まずは四国を制覇しようと思っておりましたが、かえって中途半端になってしまいました。よろしくお願いいたします。--検見川町会話2015年10月18日 (日) 12:55 (UTC)[返信]

私はどうにか、虫食い状態であった熊本県宇土郡下益城郡、宮崎県北諸県郡、さらに鹿児島県阿多郡出水郡揖宿郡頴娃郡の町村制施行時の変遷を追記しました。今後、虫食い状態である各郡の記事を発見し各市町村のリンクがあり次第、町村制施行時の変遷を追記しようと思います。--BigBang19会話2015年11月2日 (月) 06:58 (UTC)[返信]

私も広島県の郡記事を編集しました。とりあえず地図は後回しにしています。岡山県、九州へと進めていく予定です。--検見川町会話2015年11月3日 (火) 05:28 (UTC)[返信]

岡山県の場合は、美作国が虫食い状態だったので、今のところ真島郡大庭郡英田郡吉野郡勝南郡の5郡を編集しました。ほかにも、備中国上房郡も虫食い状態だったので、それも編集しました。--BigBang19会話2015年11月4日 (水) 06:21 (UTC)[返信]

横から失礼致します。私も、未編集だった飛騨国大野郡を検見川町さんのスタイルに準拠して編集してみました。また、ほかの飛騨国の郡についても同様に進めたいと思います。--Eimadivot会話2015年11月4日 (水) 13:27 (UTC)[返信]

ありがとうございます。飛騨国は町村制施行後も自然村の町村組合のままだった美濃国とは逆に統合が多くて大変だったと思います。郷まで分けるのは東北地方の各郡を編集された別の方のスタイルです。--検見川町会話2015年11月10日 (火) 16:49 (UTC)[返信]

美作国の郡は前述のとおり、全体が虫食い状態だったので、未編集状態だった残り7郡を編集しました。--BigBang19会話2015年11月9日 (月) 23:40 (UTC)[返信]

ありがとうございます。美作国はちょうど編集中だったため助かりました。町村の配列は現在の自治体別となっていましたが、他郡に合わせて第1回国勢調査順とさせていただきました。--検見川町会話2015年11月10日 (火) 16:49 (UTC)[返信]

ここ数日間、新たに南海部郡穂波郡嘉麻郡も虫食い状態だったので編集しておきました。--BigBang19会話2015年11月15日 (日) 09:59 (UTC)[返信]

後述の愛知県と飛騨国を除く岐阜県の郡の記事でKoneさんともめている間に、虫食い状態だった、山鹿郡託麻郡山本郡を編集しておきました。あなたが天草郡球磨郡の記事を編集していた理由で肥後国を編集中だったため、助かると思います。--BigBang19会話2015年12月21日 (月) 23:35 (UTC)[返信]

検見川町さん、先ほど虫食い状態だった飽田郡を編集しました。--BigBang19会話2015年12月22日 (火) 23:15 (UTC)[返信]

ありがとうございます。BigBang19さんが加筆された飽田郡・下益城郡の明治初期の村落統合の出典をご教示いただけると助かります。私は「角川日本地名大辞典」で一つひとつ調べているため時間がかかっています。--検見川町会話2015年12月23日 (水) 06:01 (UTC)[返信]

以前にも、虫食い状態のものに関しては、それぞれの市区町村の記事にリンクされて、そのリンク先の記事に町村制までの沿革が書かれていた場合に限って、それぞれの郡の記事に転用しています。--BigBang19会話2016年1月8日 (金) 01:58 (UTC)[返信]

先ほど岐阜県のうち、郡上郡と、以前Koneさんともめていた山県郡 (岐阜県)を編集しておきました。やり方は、前述で言った通りのやり方でしています。美濃国の郡も虫食い状態なので、他の郡は後日編集します。あと、飛騨国の郡の記事はすでに他人があなたと同じやり方で編集しております。--BigBang19会話2016年2月11日 (木) 22:31 (UTC)[返信]

先ほど、岐阜県海西郡を編集しておきました。--BigBang19会話2016年2月16日 (火) 05:36 (UTC)[返信]

本日、京都府相楽郡を編集しましたが、相楽郡に関しては、町村制施行直前の町村が書かれていません。--BigBang19会話2016年2月18日 (木) 06:05 (UTC)[返信]

改めてですが、数週間前に、他人が綴喜郡久世郡宇治郡と途中だった相楽郡をへんしゅうしてましたことを伝えに来ました。但し、廃藩置県から町村制施行までの間の変遷は投稿してませんでした。--BigBang19会話2016年3月27日 (日) 09:35 (UTC)[返信]

新たに岐阜県羽栗郡を編集しました。美濃国は郡区町村編成法までは21郡あったので、まだ手に出してない17郡含むすべての郡はすでに虫食い状態だったので、以前のやり方で編集する予定です。--BigBang19会話2016年2月22日 (月) 23:06 (UTC)[返信]

美濃国席田郡大野郡を編集したことを、伝えに来ました。--BigBang19会話2016年4月2日 (土) 01:32 (UTC)[返信]

「天皇_(地名)」という記事(現状はリダイレクト)について[編集]

こんにちは。㭍月例祭と申します。

「天皇_(地名)」というリダイレクトに関わった方にお声をかけています。詳しくはノート:天皇 (曖昧さ回避)#_(地名)のリダイレクトの取り扱いについてに書いたのですが、「天皇_(地名)」→「天皇_(曖昧さ回避)」というリダイレクトの扱いについて、ご意見をいただけないでしょうか。

よろしくお願いいたします。--柒月例祭会話2015年12月10日 (木) 17:59 (UTC)[返信]

ある地名に関しての依頼。[編集]

突然、申し出て非常に恐縮ですが、私は現在、名古屋市中区丸の内が丸の内 (名古屋市)とあるので、名古屋市東区丸の内との区別の為、丸の内 (名古屋市中区)に改名したらどうかと、Wikipedia:改名提案ノート:丸の内 (名古屋市)に提出しているのですが、どうにも東区の丸の内に特筆性を感じないことと、丸の内 (名古屋市東区)という記事がないことから、改名に反対票が入っています。全国各地の大字に特筆性があるものと、特筆性がないものに別れるのか知りませんが、この件について、全国各地の地名や大字について詳しい検見川氏の意見を聞きたいと思っています。私は改名提案中の中に、丸の内同様、名古屋市内で2つの区にある(またがる)名駅のように、文中に中区と東区を併記するのも手と見ています。なお、私は東区の丸の内の記事を執筆する気はないのです。--まっきんりい会話2015年12月18日 (金) 07:57 (UTC)2015年12月18日 (金) 07:57 (UTC)[返信]

消滅した郡の記事について[編集]

お忙しいところ、申し訳ありません。 先ほど、私が編集したものを差し戻されたことで、伝えに来ました。 私は消滅した郡の記事から人口、面積、消滅する前日までにあった町村の項目を削除しましたが、Koneさんが編集前の状態に戻されました。私は、この事情を伝えた上、今度戻したら「荒らしとみなして通報しますよ」、と伝えました。 BigBang19会話2015年12月21日 (月) 05:54 (UTC)[返信]

ありがとうございます。利用者‐会話:Koneに私の見解を書きました。私の名前を出さなくても、BigBang19さんご自身の意見として主張されればよいと思います。--検見川町会話2015年12月21日 (月) 12:48 (UTC)[返信]

弥生町における統合について[編集]

こんばんは。Haifun999と申します。弥生町における検見川町さんの統合作業についてお尋ねします。検見川町さんは弥生町における 2016-02-07T07:12:52‎(UTC)の版(統合作業が行われた版)において要約欄に「弥栄町を統合」とされていますが、これは「弥栄町 (京都府)を統合」の間違いではないでしょうか。ご確認いただければ幸いです。--Haifun999会話2016年2月7日 (日) 13:39 (UTC)[返信]

ご指摘の通りです。大変失礼いたしました。--検見川町会話2016年2月7日 (日) 13:47 (UTC)[返信]
申し訳ありません。私も先ほどのメッセージ内に間違いがありました。「弥生町」とあるは「弥栄町」が正当です。大変失礼いたしました。--Haifun999会話2016年2月7日 (日) 13:58 (UTC)[返信]

廃藩置県前の諸藩の管轄に関し[編集]

倉敷県に移管した諸藩御預所について[編集]

倉敷県へ移管された諸藩預地に関し、とりあえず風早郡の記述を修正しました。国立公文書館所蔵「公文録 倉敷県之部 (辛未自正月至七月)」によると、伊予国宇摩郡新居郡桑村郡越智郡四郡の内1万9682石余の高知藩御預所と風早郡内三村754石余の大洲藩御預所が倉敷県に引き渡されたとあります。

http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?XSLT_NAME=frame&NO=6&BID=F0000000000000001605&IS_STYLE=default&IS_TYPE=AJAX&LANG=default&ID=&act=&GID=&IMG_FLG=&TYPE=

http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?XSLT_NAME=frame&NO=26&BID=F0000000000000001605&IS_STYLE=default&IS_TYPE=AJAX&LANG=default&ID=&act=&GID=&IMG_FLG=&TYPE=

なお「御高帳」が倉敷県に渡された日付は、高知藩御預所が辛未年の文書において旧蝋17日(明治3年旧暦12月17日)、その他(大洲藩・津山藩・岡山藩御預所)が同24日(明治3年旧暦12月24日)とあり、津山藩や岡山藩の預地が正式に倉敷県の管轄となった日付を含め修正が必要ではないでしょうか?明治3年後半頃の諸府藩県管轄を記載していると思われる国立公文書館所蔵「府藩県高帳」でもこれらの4藩御預所の記述は残ったままです。

http://www.digital.archives.go.jp/DAS/meta/listPhoto?XSLT_NAME=frame&NO=9&BID=F0000000000000001605&IS_STYLE=default&IS_TYPE=AJAX&LANG=default&ID=&act=&GID=&IMG_FLG=&TYPE=

なお、別に「府藩県高帳」の記述が絶対と思っているわけではありません。ただ、大洲藩御預所に関しては二種類以上のほぼ同時代の文書で「旧高旧領取調帳」とは異なる記述があり、ほかならぬ倉敷県に関する公文書の記述からも、前者を採用した方が良いと思いました。他にもいくつか気になる点があったので、随時こちらに要修正と思われる点を追加します。Orichalcum会話2016年3月4日 (金) 02:09 (UTC)[返信]

しばらくウィキブレイクしていたため返信が遅れました。全国のどの郡にも言えるのですが、太政官布告で指示された日付と、実際の引き渡し日が違う場合が多々あり、引き渡し日が判明していないところは太政官布告の日付としています。お示しの史料に沿って日付の修正を進めていただければと存じます。--検見川町会話2016年9月28日 (水) 11:25 (UTC)[返信]

新潟県中頸城郡/刈羽郡谷根村、三島郡/古志郡古河新田・古志郡/三島郡河辺村、西蒲原郡/三島郡真木山村の所属郡組替と、岩船郡/蒲原郡楢木新田の所属府藩県について[編集]

2012年10月末頃に、明治12年に新潟県中頸城郡谷根村・三島郡古河新田・西蒲原郡真木山村の所属国郡が変更になったとする編集を行っておりますが、こちらは何かしらの文献によるものなのでしょうか?同時期に行われた新潟県の他の村の所属郡組替については、『稿本新潟県縣史 第一巻 政治部』(1991年)収録の新潟県令甲第四十一号による法的根拠が確認できますが、追加で古志郡河辺村に関しても所属郡の変更があったことを見い出しました。

越後国ノ内左ノ通郡界組替候條此皆布達候事

 明治十二年四月廿八日
 新潟縣令永山盛輝
越後國三島郡 大島村
       水梨村
       青山村
       前島村
       青島村
       川邉村
以上六ヶ村
 古志郡ヘ組替
仝國蒲原郡 脇川新田
 三島郡ヘ組替
仝國刈羽郡 嶺村
 頸城郡ヘ組替

郡組替が実際にはなかった、あるいは郡組替が実際にはあった可能性のある村を整理すると以下の通りです。『日本歴史地名体系』でも明治初期にこれらの村の所属郡が一時的に変更されたとする記述はありません。

  • 『旧高旧領取調帳』では刈羽郡谷根村だが、『天保郷帳』では最初から頸城郡谷根村で、所属郡組替の法令が見つからない。
  • 『旧高旧領取調帳』では古志郡古川新田だが、『天保郷帳』では最初から三島郡古川新田で、所属郡組替の法令が見つからない。
  • 『旧高旧領取調帳』では三島郡真木山村だが、『天保郷帳』では最初から蒲原郡真木山村で、所属郡組替の法令が見つからない。
  • 『旧高旧領取調帳』では最初から古志郡川辺村古新田だが、『天保郷帳』では三島郡河辺村古新田で、明治12年4月28日付の県令で古志郡へと郡の組替が行われた。
  • 追記 『旧高旧領取調帳』では蒲原郡楢木新田だが、『天保郷帳』には記載がなく(岩船郡大内淵村の枝村か?)、『地方行政区画便覧』では岩船郡楢木新田となり、所属郡組替の法令が見つからない。

上を調べるきかっけになったのは、廃藩置県時の各府藩県の所属国郡を調べる過程で谷根村の所属国郡について資料間での矛盾があることに気付いたからです。

『旧高旧領取調帳』によると、高田藩は越後国苅羽郡谷根村(後に中頸城郡、現柏崎市内)306石3斗2升2合(天保郷帳と『旧高旧領取調帳』で石高同一)の所領を有していましたが

  • (1) 天保郷帳によると、谷根村306石3斗2升2合は越後国頸城郡所轄。
  • (2) 新潟県中頚城郡教育会編『中頚城郡誌 第壱巻』(1940年)収録の「旧高田領取調帳」によると、廃藩置県当時、谷根村を含む全高田藩領は越後国頚城郡所轄。
  • (3) 国立公文書館所蔵『府藩県高帳』によると、全高田藩領は越後国頚城郡所轄で、越後国苅羽郡に高田藩の所領の記載がない。
  • (4) 『稿本新潟県縣史』に明治12年前後での郡組替に関する法令に記載がない。

以上より、幕末から一貫して谷根村は頸城郡(中頸城郡)所轄であり、旧高旧領取調帳は記述を誤ってしまったのではないかと疑っています。ややこしいことに越後国頸城郡内には別の同名の谷根村(後に西頸城郡、現糸魚川市内)288石5斗7升3合(天保郷帳と『旧高旧領取調帳』で石高同一)が存在し、こちらは明治元年旧暦4月に高田藩の当分預所となった旧幕府領で、明治元年旧暦9月5日に柏崎県川浦民部局へと管轄が変更となっています。同一郡内での同一村名を使うことの混乱を避けるため、一時的に刈羽郡に隣接する方の谷根村の所轄を刈羽郡にした可能性も考えました。しかしながら改めて明治12年頃の郡の組替に関する資料を調べたところ、上記の『稿本新潟県縣史』(新潟県立図書館の書庫に保管されている、明治18年頃に明治政府に提出された「府県史料・新潟県史料」の副本を撮影したもの)に出会い、旧高旧領取調帳の方に幾つか誤記があるのではないかと思います。具体的には、旧高旧領取調帳自体は廃藩置県からしばらく経ってから各府県で編纂されたものであり、大区小区制時代の複雑な区分により所属国郡を間違って記載してしまったのではないのかと想像します。

私としては、これらの新潟県の村に関しては、「『旧高旧領取調帳』では○○郡所属と記載されているが、天保郷帳などでは××郡所属と記載されている」などと断りを入れ、明治12年の所属国郡変更の部分を削除した方がいいかと思います。Orichalcum会話) 2017年4月22日 (土) 15:19 (UTC)Orichalcum会話2017年4月22日 (土) 15:24 (UTC)[返信]

追記 国立公文書館所蔵『府藩県高帳』に、越後国岩船郡石高5万9855石3斗1升3合7勺5才の内、61村2万3313石5斗2升6合と代地3万6533石9斗5升1合7勺5才が村上藩領、1村7石8斗3升6合が新潟県領との記載があります。 代地というのは、明治3年旧暦6月以降、越後の諸藩県領で実施された村替の結果、新潟県から村上藩へ移管となった土地を指し、『旧高旧領取調帳』によるとこの結果すべての岩船郡内領が村上藩領になったことになっており、新潟県1石8斗3升6合の正体が謎でした。しかしながら改めて関連地域を調べたところ、既に検見川町さんが指摘されたように、『旧高旧領取調帳』では蒲原郡楢木新田として記載されている旧会津藩領7石8斗3升6合が、実際には岩船郡である可能性が高いことが判りました。旧高旧領取調帳では楢木新田の旧領は「会津藩領分」→「村上県」と書かれておりますが、旧高旧領取調帳は郡名自体を間違えている可能性が高く、府藩県高帳の記載(村上藩ではなくて新潟県)の方が正しいと思われます。Orichalcum会話2017年4月23日 (日) 13:03 (UTC)[返信]

しばらく編集から離れていたため、お返事が遅れて申し訳ありません。私の編集は「旧高旧領取調帳」を基本的文献に定め、それを町村制施行時のデータと照合し、齟齬があった場合は「角川日本地名大辞典」で確認し、誤りがあった場合は注釈を入れる形で執筆しており、そもそも「旧高旧領」も「角川」も誤記や齟齬が多いため、ご指摘のような県史等との違いや、単純な見落としが発生することがあります。ただ、「旧高旧領」をベースに研究されている方も多いと思いますので、注釈で断りを入れたうえで編集していただければと存じます。よろしくお願いいたします。 --検見川町会話2017年6月18日 (日) 08:54 (UTC)[返信]
上記の件、了解しました。ただ、今度は自分の方が忙しくなってしまったため、しばらく編集に携わることができなさそうです。Orichalcum会話2017年7月1日 (土) 04:28 (UTC)[返信]

ファイル:Hyogo Akashi-gun.png[編集]

こんにちは。私は明石郡の英語ページを作成しまして、郡の地図を載せたいです。そのファイルをCommonsにコピーしてもらえますか?よろしくお願いします。Athomeinkobe会話2016年5月12日 (木) 07:00 (UTC)[返信]

しばらくウィキブレイクしていたため返信が遅れました。ご自身でコピーしていただいて構いません。ただ、画像中に日本語があるため、Commons向きではないと思います。--検見川町会話2016年9月28日 (水) 11:16 (UTC)[返信]

ファイル名間違いについて[編集]

こんにちは。ファイル:Gifu Tagi-gun.pngとするところを誤ってファイル:Gifu Tage-gun.pngでアップロードして即時削除依頼を出されておりましたが、ファイル名間違いは移動依頼で対処できます。168時間に縛られずいつでも訂正が利きますので、今後もしも間違えたら是非移動依頼もご検討ください。--Marine-Bluetalkcontribsmail 2016年9月29日 (木) 15:40 (UTC)[返信]

ポータルの紹介[編集]

Portal:歴史Portal:仏教と、Portal:日本の都道府県の各都道府県ポータルを紹介します。新着項目の更新にご協力ください。--RJANKA会話2017年7月3日 (月) 16:25 (UTC)[返信]

お尋ね[編集]

この方はあなたの本体ではないですか?--アーカマ会話2017年9月19日 (火) 05:46 (UTC)[返信]

「大津県」の記述についてお尋ねします[編集]

大津県の項目の平成25年10月3日の編集で、大津裁判所が大津県へ改組された日付を「慶長4年(明治元年)閏4月25日」から「4月28日」に変更した理由として、「角川日本地名大辞典」の記述を上げておられます。 本日図書館で「角川日本地名大辞典 25 滋賀県」の1184pにある「藩府県沿革表」を確認したところ「元・閏・4・25」と記されていました。1979年出版のものでしたが、ご覧になった同書ではいかがだったでしょうか。 お手数とは思いますが、ご回答いただけますと幸いです。 --Shurey会話2017年11月7日 (火) 11:57 (UTC)[返信]

「吉備町 (和歌山県)」の「吉備町」への統合を取り消しました。[編集]

あなたが2015年12月29日に実施された吉備町 (和歌山県)吉備町への統合を取り消しました。理由については、ノート:吉備町に記載していますのでそちらをご覧ください。--2001:268:C02C:6A41:A49D:DF4:594E:DBD6 2018年7月10日 (火) 03:35 (UTC)[返信]

License of maps based on File:Japan map.png[編集]

Hi! Sorry to write to you in English!

You have made a lot of files based on File:Japan map.png including these 750 files.

The original file is licensed {{GFDL}} and {{Cc-by-sa-3.0}} but the copyright of the changes you made are not clear. They would have to checked one by one. You added {{GFDL}} and {{Cc-by-sa}} to many of these files.

It would be a very big help if you could confirm that you agree to {{Cc-by-sa-3.0}} on all the files so we are sure that the file and the changes of the file have the same license. Thank you. I hope you see this message. --MGA73会話2020年10月8日 (木) 17:43 (UTC)[返信]

Hello again! {{Cc-by-sa}} is version 1.0 so I have changed the template to {{Cc-by-sa-1.0}}. But it would still be a big help if you would add {{Cc-by-sa-3.0}}. --MGA73会話2020年11月4日 (水) 20:47 (UTC)[返信]
I haven't edited Wikipedia recently, so I'll leave it to you.--検見川町会話2021年8月25日 (水) 11:39 (UTC)[返信]

江戸時代以前の郡の変遷[編集]

お久しぶりです。 最近、それぞれの郡の記事の加筆が全て終わった後に、さらに加筆されてます。私は歴代の郡長などが含まれている行政項目の部分を加筆してます(全ての郡まではいかないけど)。出来れば江戸時代以前の変遷や沿革を加筆や修正した方がいいんじゃないかなと思います。---BigBang19会話2021年11月15日 (月) 00:00 (UTC)[返信]

下北郡の旧町村について[編集]

2012年1月30日 (月) 15:25‎ 頃に追加いただいた地図なのですが、「5.大畑町」内の飛び地(恐山)が「4.大湊町」になっていますが、正しくは「1.田名部町」です。

菩提寺の住所は「青森県むつ市田名部字宇曽利山3-2」となっております。田名部中心街にある「円通寺」の社寺境内地なのです。--NewLong3会話2023年8月11日 (金) 19:05 (UTC)[返信]

栃木県芳賀郡の範囲の図の修正依頼[編集]

こんにちは。2014年に検見川町さんが全面改訂されたファイル:Tochigi Haga-gun.pngの修正をお願いしたく参りました。清原村およびのちに編入された河内郡瑞穂野村大字桑島新田を補っていただきたいです。お時間がある際に対応していただけると幸いです。--IXTA9839会話2023年10月31日 (火) 22:50 (UTC)[返信]

勝手ながらFile:Tochigi Haga-gun.pngを参考にFile:Tochigi Haga-gun.svgを作製し、芳賀郡で画像を差し替えました。何か不都合があればお知らせください。--IXTA9839会話2023年11月5日 (日) 16:12 (UTC)[返信]

ウィキブレイクしていたため返信が遅れました。修正いただき、ありがとうございます。--検見川町会話2024年3月8日 (金) 05:54 (UTC)[返信]