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ふかみ とうしゅう 深見 東州 | |
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生誕 |
半田 晴久 1951年3月18日(73歳) 兵庫県西宮市 |
国籍 |
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別名 | 戸渡阿見、レオナルドTOSHU、進撃の阪神 |
出身校 |
同志社大学経済学部[1] 武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)声楽専攻卒業[2] エディスコーエン大学芸術学部大学院修了。創造芸術学修士(MA[3])[4] 精華大学美術学院美術学学科、文学博士[5] 浙江大学中文学科、文学博士[5] |
職業 | 芸術家、福祉活動家、実業家、宗教家、慈善活動家(フィランソロピスト)、画家、書家、歌手、オペラ歌手、能楽師、詩人、作曲家など |
テレビ番組 | サクセス登龍門、世界のいま、HANDA.TVの放映番組 |
肩書き |
ワールドメイトリーダー、在福岡カンボジア王国名誉領事[6] 英国王立盲人協会(RNIB)副総裁[注 1] 世界ブラインドゴルフ協会総裁 日本ブラインドゴルフ振興協会創設者 など |
受賞 | 紺綬褒章[7]など |
公式サイト |
公式ウェブサイト(深見東州) 公式ウェブサイト(半田晴久) 公式ウェブサイト(戸渡阿見) 公式ウェブサイト(戸渡阿見ギャグ) |
深見 東州(ふかみ とうしゅう、本名:半田 晴久(はんだ はるひさ)1951年3月18日 - )は日本の兵庫県出身の人物。宗教家[8]、芸術家[9][10]、福祉活動家[11]、実業家[12][8]、フィランソロピスト(慈善活動家)[13]、評論家[11]。歌手[14]、オペラ歌手[10][13]、画家[10][13]、書家[10][13]、能楽師[13]、詩人[10][13]、作曲家[13]などとして活動している[15][11]。宗教法人「ワールドメイト」代表。
宗教家、芸術家としては深見東州(ふかみ とうしゅう)という通名を使用している。公益、学術、評論等の分野での活動に際しては、本名の半田晴久(はんだ はるひさ)で活動している。また、文芸活動を行う際は、戸渡阿見(とと あみ)というペンネームを使用している[16]。
実践することで初めて分かる本当の良さ、面白さがあるとして、意欲的に芸術活動に取り組む[17]。また、普遍的な宗教性を広めることが大切であるという考えに基づき、特定の宗教に偏らない人類愛、人道主義、平和のメッセージを実行できるよう、活動内容によって、NPO法人など別個の法人格を持つ複数の団体を設立し代表を務めている[15]。
来歴[編集]
学生時代[編集]
1951年、兵庫県西宮市で生まれる[18]。半田の生家は代々酒樽製造業を営んでおり、最盛期には灘五郷の酒蔵の酒樽作りを一手に引き受けていた日本一の酒樽屋だった[19]。テレビアニメや漫画に親しんで育ち、深見は後に「心と魂の一番深い部分にある、音楽のルーツこそが、昭和のアニメソングとテレビ主題歌である」と述べている[20]。1962年、10歳の頃から近隣の世界救世教で信仰に目覚めた母より宗教心を育てられる[21]。1967年、15歳で世のため人のために生きるという人類救済の発願をする[22]。中学3年から川柳をはじめる(後述)。兵庫県立鳴尾高等学校に進学し、16歳より田端曲全に師事し書道部部長をつとめる(後述)[23]。この頃、母の原因不明の病気治癒がきっかけで救世教から大本教へ転向し、大本の教典である『お筆先』や出口王仁三郎の著書『霊界物語』を繰り返し読み、救世教当時の疑問を解決する[24]。18歳より俳句をはじめる(後述)。
同志社大学経済学部では国際金融論を専攻。ゼミのテーマは「南北問題の経済援助について」であった。同志社大学能楽部宝生会にて、柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事し、能をはじめる(後述)。20歳より茶道をはじめる(後述)。大学4年から森田流笛(能管)をはじめる(後述)。また、同大学ESSのプレジデント(委員長)とディスカッションセクションの代表を務めた[25]。
会社の創業、団体の設立[編集]
大学卒業後、大和ハウス工業の営業マンとして東京に赴任[1]。1977年に大本と提携している銀座の道院紅卍字会で根本宏に師事し、中国の古典や様々な宗教の原典を学び、根本より任天(にんでん)の導師[注 2]となる人に違いないと評された。1978年、大和ハウス工業退職後に独立し、25歳で予備校みすず学苑を設立し[1][15]、その経営母体でもあり時計会社のミスズを創設する[23]。1984年、ワールドメイト(旧コスモコア[1])を設立し講演活動を始める。35歳から絵画を始めて初めて著作を執筆し[23]、1987年にたちばな出版を創業[23]。37才でオーストラリアのパースで会社を買収し、海外においても企業経営を始める[26]。
障害者福祉活動としてのブラインドゴルフ[編集]
37歳でゴルフを始め、オーストラリアのパースで視覚障害者のロン・アンダーソンとともにプレーし、ブラインドゴルフを知る[27]。自らが主宰するセミナーで、日本女子大教授(当時)の一番ヶ瀬康子が述べた「福祉とは障害のある方が自己実現することを手伝うことだ」という言葉に感化されて「福祉活動の原点とは、障害者に、自己実現できる場所や環境を提供すること」であるという考えを持っていた[28]深見は、 障害を持っていても健常者とほぼ同じルールでプレーできるブラインドゴルフに、福祉の本来のあり方や人間の本来の姿を見いだし、視覚障害者のためのゴルフ組織を設立しようと決心し[27][29]、翌年日本ブラインドゴルフ振興協会を設立した。初代会長には、かねてから「視覚障害者があらゆる障害者の中でも恵まれない環境にある」と、視覚障害者福祉の必要性を深見に述べていた松井新二郎(当時は日本盲人職能開発センター所長)が就任した。 日本に初めてブラインドゴルフを伝えた「日本のブラインドゴルフの父」と呼ばれている(後述)[27]。
国際的な活動[編集]
2013年3月30日より、HANDA.TV(インターネットテレビ)で毎日番組を発信している。同年春、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の世界文化遺産登録の実現のために、安田喜憲の依頼で第37回世界遺産委員会議長をつとめたカンボジアのソクアン副首相や文化庁長官の近藤誠一等に、三保松原の重要性を直接話すなどの働きをした[30][31]。最終的に、ICOMOS勧告を覆す形で、三保松原も構成資産に決定した[32]。
人物像[編集]
芸術活動、福祉活動、フィランソロピー、公益活動など活動分野は多岐にわたる。
英語を得意とし、神道のみならずキリスト教や仏教、儒教や中国の禅語録にもよく通じている[33][34]。また、ジュリアード音楽院より、名誉人文学博士を授与される際に「現代のルネッサンスマン」と評された[13]。
受賞歴・称号[編集]
ジュリアード音楽院名誉人文学博士[35]。オックスフォード大学名誉フェロー[36]。ロンドン大学東洋アフリカ研究学院(SOAS)名誉フェロー[37]、グロスタシャー大学名誉博士[38]。その他、西オーストラリア州の西オーストラリア大学、カーティン大学[39]、エディスコーエン大学[39]より名誉博士号を授与されている。
対人関係[編集]
- マイケル・ボルトン、ジミ・ジェイミソン(サバイバーのボーカル)、ピーター・セテラと親交がある[17]。マイケル・ボルトンとは人権問題の活動推進を通して意気投合したという[40]。2012年11月にシンガポールでチャリティーライブを共演し[41]、翌2013年9月には、深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館で、ピーター・セテラとともにトリプルバンドでチャリティーライブを共演した[40]。ジミ・ジェイミソンとともに、日本で、ロックコンサート「深見東州と世界の友人コンサートツアー in 名古屋」にダブルバンドで出演した。
- ビル・クリントンと友人関係にあり、クリントンの友人であるマイケル・ボルトンと共通の趣味であるゴルフを通じ友情を深めたという[42][43][14][44]。
- ルネ・フレミングと親交があり、2014年には深見の誘いに応じて三度目の来日を果たし、東京国際コンサートに出演した[45]。
- 映画シャインのモデルとなったデイヴィッド・ヘルフゴットと親交があり、1991年に初来日した際、深見がヘルフゴットのために作曲したという『アンドロメダ・ファンタジア』、ピアノ小品集などが、ヘルフゴットにより演奏録音された[46]。『ヘルフゴット ライブイン・ジャパン91』は、現存する世界唯一のライブ演奏映像である[47]。
- ニック・ファルド(プロゴルファー)と親交が深く、ともにハンダ・ファルド・カンボジアンクラシックを開催した。ニック・ファルド アジアシリーズ公式国際大使[48]やニック・ファルド基金名誉顧問も務めている[49]。
- 阿刀田高のショートショートを評価しており、[50]テレビ番組『世界のいま』で共演もしている。
評価[編集]
- 2014年3月18日の第14回深見東州バースデー個展『れでぃ画画のような肩こってんのほぐれる個展』において 亀井静香、鳩山邦夫、西村眞悟、伊藤憲一が祝辞を述べ、深見を「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」と評価した[51]。2015年に開催されたバースデー個展の開幕式でも、亀井静香、小沢一郎、鳩山邦夫、鈴木宗男より、「レオナルド・ダヴィンチの再来である」と評され、海江田万里からは、「天才を超える奇才」であると評された[52]。
- 栗林義信は、深見の歌声を「天性の美声」と評価した[53]。
- 大友直人は、深見のコンサートのプロデュースに関して「我々専門家では思いつかない、斬新な発想です。しかし、本格志向であることは間違いないく、我々に刺激を与えてくれます。」と述べている。また、深見が、専門として声楽を勉強した上で、音楽の芸術性と娯楽性を踏まえて試行錯誤していくという姿勢に共感した旨も述べている[54]。
- 『TOSHU FUKAMI sings GOLDEN POPS』、『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』などの監修・解説を務めた湯川れい子は、湯川は深見の歌声について、素直で丁寧で優しく暖かい歌声であり、楽曲に対する心からの敬意と愛情が感じられると評価している。[55][56][57]
- 元求龍堂編集長で、美術雑誌出版社代表の松井武利は、深見の書画を「天真爛漫」「融通無碍」「魅了してやまない破格の画風」等、高く評価している[58]。2013年1月から、深見の絵に関する品評を、月刊美術誌『ギャラリー』で「絵を観る人も好き好きこの一品(いっぽん)」で連載している。[59]
- 美術評論家のワシオ・トシヒコは、深見の書に関し、「(中略)深見東州の書もまた、過去の先人の美の様式を徹底して臨書し、吸収した上で、そこから解き放たれ、自由に画く方向への軌跡を辿っているように思われるからにほかならない。」と評価している[60]。
- デイリースポーツ記者の今野良彦は、深見を「現代のレオナルド・ダ・ヴィンチ」の名に恥じない活躍であると評している[61]。また、明るすぎる劇団・東州で行われた深見のギャグパントマイムを、「チャップリン、バスター・キートン、そしてハロルド・ロイドと並び、「世界の四大喜劇王」と呼ばれても不思議ではない」と評した[61]。
- 『浙江文化報』記者の肖非は、深見を「中国文化研究の第一人者」であると評している[62]。また、崔偉は深見の「多芸多才な芸術的才能」について、「最も注目すべきことは深見東州氏の演劇芸術に対する造詣と愛情です」などと評価しており[63]、中国美術学院の評論家、水易は、深見の芸術家としての生き方や作品の芸術表現に関し「豊富かつ俗に落ちない人生の閲歴は、深見東州氏に優秀な芸術家にあるべき独特の気質を備えさせた。彼は様々な画題を知り尽くし、胸中の気を自在に発揮し、芸術に対する没頭と集中によって、最終的に幽(深幽)、玄(神秘)、侘(静淡)、寂(静溢)の心境を表現する最も良い途を探し当てた」と、評価した[64]。中国美術学院一級美術師授与に際し、清蓮は、『中国文化報』で、深見を「明確かつ特色ある、優れた創造性を多方面に発揮し高く評価されると同時に、無私貢献、倦まざる勤勉の精神で奔走し、人類の文化発展、世界平和に力を捧げている」と評価した[65]。
音楽芸術活動[編集]
35歳からピアノ、36歳からバイオリン、38歳から作曲と和歌(岡野弘彦に師事)を始めた(後述)[20]。40歳で本格的に声楽を学ぶことを志して歌手デビューを果たし、毎年、コンサートに出演する(後述)。そして同時に「能や茶道などはアマチュアでもできるが、オペラは素人が何年やってもできない」とも痛感する[66]。42歳よりクラシックバレエをはじめ(後述)、43歳より京劇をはじめる(後述)。44歳で音大受験を決意し、音楽理論や指揮の勉強を始める[66][67]。1997年、46歳で武蔵野音楽大学パルナソスエミネンス(特修科)声楽専攻を修了し[2]、オペラ歌手デビューを果たす(後述)。さらに翌年には47歳で、西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院(Academy of Performing Arts)に入学してオペラ等の舞台芸術を学ぶ。50歳からはオペラの主役を毎年務め、51歳で西オーストラリア州立エディスコーエン大学芸術学部大学院を修了し、創造芸術学修士[4][67][20]を取得した。2002年10月、外国人初の中国国立歌劇舞劇院一級声楽家称号を授与され、正団員及び歌劇舞劇院海外芸術顧問をつとめる[68][69]。その後、グレゴリー・ユーリシッチに師事[70]し、本場イタリア・オペラのベルカント唱法を学んだ[40]。
オペラ活動[編集]
1991年の「デイヴィッド・ヘルフゴットを迎えてのコンサート」で、近衛秀健指揮、デイヴィッド・ヘルフゴットのピアノ演奏により、ナポリ民謡の「サンタ・ルチア」をイタリア語で歌い歌手としてデビュー[62]。1997年3月、清水脩作曲のオペラ「俊寛」の康頼役でオペラ歌手としてもデビューした[71]。エディスコーエン大学にて創造芸術学修士を取得後は、毎年、オペラの総合プロデューサーをつとめる傍ら、主演や準主演の出演をこなし、日本と西洋の文化を融合している[72]。登場人物の心の動きを日本舞踊で表す、舞台衣装に日本の着物を取り入れる、日本風の空間で上演するなど、日本の風俗を西洋の名作オペラに融合させる演出が特徴である[73]。
2003年12月には、北京の民族文化宮大劇院で、日本人の深見とオーストラリア人と中国人によるコンサート「日中豪歌唱家共演 古典オペラの夕べ」を開催した[74][75]。2004年5月30日に、中国の北京にて、スーパーオペラ『楊貴妃』の初演に協力し自らも赤雄役を演じた[73]。この「楊貴妃」は、複数の中国紙で好評を博したと報道され、日本人声楽家かつ京劇俳優の深見についても報道された。姜昆夫妻が北京日報に高い評価を寄せた[76]ほか、人民日報において日中文化交流への貢献も報道された[77]。また、光明日報では、深見が長年にわたって日中文化の交流に尽力してきた貢献が大きく評価された[78]。2005年10月には、昨年北京で好評を博した、スーパーオペラ『楊貴妃』を、日本の新宿文化センター大ホールで再演し[73]、好評を博したことが中国でも報道された[79]。陝西日報では深見の日中文化交流への貢献への情熱などについても報道された[80]。
コンサート活動[編集]
オペラ歌手の他にシンガーソングライター、ロック歌手、ジャズ歌手、アニソン歌手、演歌歌手、童謡歌手としても活動し、国内外で50回以上のコンサートに歌手として出演する。また、コンサートでは総監督をつとめることも多く、指揮や、ヴァイオリン演奏、クラシックバレエも披露している。指揮は、長瀬清正に師事し[81]、国内外で30回以上のコンサートで、指揮者として出演している[82]。オーストラリアの国立歌劇団であるオペラ・オーストラリアの総裁とゲストアーティストを務めており、2012年から毎年、オーストラリアのシドニー湾上に「ハンダ・オペラ・オン・シドニー・ハーバー」と命名された特設舞台が設けられ、オペラ・オーストラリアによる野外オペラが上演されている[8]。
1994年、ロンドンのロイヤルアルバートホールでチャリティーコンサートを開催し歌手として出演。チケット収入を英国王立盲人協会に寄付し、エリザベス2世から感謝状を授与された。以降、イギリスにおける福祉活動を積極的に行っている。1993年2月と4月、翌年2月には、SEIZAN THIS WAYのラジオ公開収録を兼ねたコンサートを開催し、歌を披露した。
1994年3月26日、大阪サンケイホールにて、チャリティーコンサート「七福神ウィーンを巡る」を開催し、自ら作曲したマーチを演奏する東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団を指揮し、指揮者デビューを果たす傍ら、ゲストの菅原洋一と歌で共演。同年7月4日には、川口リリアホールにて、チャリティーコンサート「真夏の夜のイリュージョン」を開催し、ゲストのライナー・ホーネック、ホセ・フェリシアーノらと、歌と指揮で共演し、クラシックバレエも披露した。
1996年4月26日、かつしかシンフォニーヒルズモーツァルトホールで、チャリティコンサート「中東和平コンサート」で日本アカデミー交響楽団を指揮する傍ら、栗林義信らと歌手としても共演し、チケット収入をパレスチナ子供キャンペーンへ寄付。以降も、カザルスホールなどでチャリティーコンサートを積極的に行ない、カンボジアのシアヌーク病院をはじめ、各所に寄付を行なっている。
1999年、団長をつとめるアルプス合唱団とともに、ローマ法王にバチカンで謁見しオリジナル曲や日本歌曲を披露した[83]。 2000年同年7月22日、中国の北京音楽庁で開催された「第五回 中国国際合唱節」に指揮者として参加した。同年11月14日に中国湖南省の春雷小学校で開催された「春雷小学開学典礼(開校式コンサート)」に姜昆らと出演した。
2001年3月に演歌集『心の旅』をリリース。
2002年1月19日、ロンドンのセント・ジョンズ・スミス・スクエアで開催された「MUSICIAN ACROSS THE WORLD A New Year Celebration」で、ダイアナ湯川らと共演。同年6月12日、福井県武生市(現越前市)の武生市文化センターで開催された「武生国際音楽祭 2002 チャリティーコンサート」に、栗林義信らと出演し、収益金をシアヌーク病院へ寄付[84]。
2010年9月28日、ソルノク市立交響楽団を招き、新宿文化センターで開催したチャリティーコンサート「IFAC ガラコンサート」に出演し、収益金1080万円全額をカンボジア赤十字社等に寄付[85]。
2013年5月21日、名古屋市民会館フォレストホールで、「深見東州と世界の友人コンサートツアー in 名古屋」を開催。同年9月5日には日本武道館で、「深見東州と世界の友人コンサートツアー 日本武道館」を開催ref name="tb1309"/>[86]。同年12月11日、ホテル日航東京で「深見東州 クリスマス・チャリティー・ディナーショー」を開催し、収益金全額をネルソン・マンデラ・チルドレンズ・ファンドに寄付した。
2014年には、オリックス劇場で「深見東州 単独 進撃の阪神 ロック・コンサート!! 大阪公演」、「日本武道館で進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館」、「進撃の阪神巨人 演歌コンサート!!」、「X'mas チャリティ・プロレス・ディナーショー!」を行った。
2015年には、中野サンプラザホールで「新春 ジャズの一人祭典!」、Zeppダイバーシティ東京で「深見東州 グループサウンズ&フォークの一人祭典」と「深見東州 全部オリジナル曲コンサート」を開催した。
2013年より「東京国際コンサート」を主宰し、自身も歌手として参加している。2013年は、なかのZEROホールで開催され、キリ・テ・カナワ、大西宇宙、コナル・コードと共演した[53]。2014年以降は新国立劇場で開催されており、ルネ・フレミング、コナル・コードと共演[53][45]。2015年は、ホセ・カレーラス、コナル・コードと共演した。
作詞・作曲[編集]
2014年3月時点で、作詞は50曲以上、作曲は566曲(バージョン違いを含めると725曲)以上行っている(たちばな出版調べ)。
1990年10月10日、交響曲『箱根神社』が、福村芳一指揮により初演され、同年12月29日、近衛秀健指揮により、室内楽『伊勢神宮天の岩戸びらき』が初演された。
1991年3月9日、作詞作曲したオペラ曲『七福神来天』が、近衛秀健指揮、二期会会員の歌により初演。同年3月30日には、弦楽四重奏『スターライト・イン・パース』が初演された。同年12月29日、近衛秀健指揮により、オラトリオ『天地創造 日本誕生』が初演された。
1992年7月26日、荒谷俊治指揮により、自ら作曲した『北極星扶桑宮殿の夜』と『宇佐八幡マーチ』が初演された。
1997年4月には、ピアノ曲の楽譜集『深見東州ピアノコレクション』を出版した。
1998年7月14日、幻想組曲『光は東方より』より『鳴門海峡にて』が、イギリス室内管弦楽団の演奏、深見自身の指揮により初演された。
2000年1月には、『深見東州マーチ集』(編曲近衛秀健、和田薫)をリリース。同年3月18日の誕生日に、朝日生命ホールで開催した「深見東州 49歳のバースデーコンサート」で、『冠島・沓島』(幻想組曲『光は東方より』より)、『白鴎宮殿・プレリュード~フーガ』などを自ら指揮した。同年9月、西オーストラリアシンフォニーオーケストラがパースで演奏収録したCD『Mon Ami』をリリース。
2008年、小林旭に、自らが作詞・作曲した『ジダンダ!』ほか8曲を提供、週間HIT 演歌/歌謡曲USENチャートで1位を記録した(2009年の年間リクエストは28位[87])。
京劇[編集]
中国では「日本第一の関羽」と呼ばれている[88]。
43歳より京劇をはじめ、1999年5月に48歳で中国京劇の泰斗・王金璐(おうきんろ)、葉蓬に人民大会堂での拝師(ぱいしー)の儀を通して入門する[89][90]。王金璐(おうきんろ)と葉蓬は、師弟関係にとどまらず、ともに京劇を通じて新たな日中文化交流を深めることに尽力した[89]。
2002年8月13日、中国ハルピン市の黒龍江省京劇院にて、自ら総合演出した京劇『漢津口』の関羽役を演じた[91]。2002年8月23日、中国中央電視台主催「国際京昆アマチュアテレビ大コンクール」に出場、「漢津口(はんじんこう)」関羽役を演じ、参加者1000人中金龍賞(最も優れている賞)を受賞した。同年12月、北京京劇院二級京劇俳優に認定され正団員となる[92]。同じく12月、京劇芸術発展の歴史を研究した書である「京劇大典」の編纂プロジェクトを始動した[93]。
明るすぎる劇団・東州[編集]
2007年5月、56歳で、大衆演劇をコンセプトとした「明るすぎる劇団・東州」を旗揚げした[94][95]。戸渡阿見名義で、自ら劇団団長、総合プロデューサー(監督)として原作、脚本、演出、衣装、音楽を全て行っている。 2009年の第1回公演以降、東日本大震災の影響で取りやめになった2011年を除き、毎年定期公演を行っている。2014年10月11日-12日に新国立劇場で開催された第5回定期公演で上演された「アレー人」では、初日に、初代タイガーマスクとザ・グレート・サスケ、西村修が、二日目に三田英津子とブル中野、山田敏代が本人役で登場し、主人公のアレー人にプロレス技をかけるサプライズ演出を行った[61][96]。また、定期公演の際には、毎回、新作の幕間パントマイムを披露している[73]。
バレエ[編集]
42歳から、クラシックバレエを始める[20]。バレエのプリンシパルダンサーとして舞台もこなしており、ジュリアード音楽院よりダンサーと紹介され[13]ている。能楽とバレエ、または能楽とバレエと京劇を融合させるなど、新しい舞台芸術の融合にも取り組む。
1993年12月28日 、三重県阿児アリーナホールにて、オペラバレエ『天の安河のうけひ』にてデビューし、マイヤ・プリセツカヤと共演した。1996年6月29日には、薪バレエ「浜辺に集う妖精たち」にてプリンシパルダンサーとして出演。
1999年2月、マイヤ・プリセツカヤと共演したDVD『天の安河のうけひ』と、バレエ出演したオペラバレエ『やまとは国のまほろば』をリリース。同年10月26日、メルパルクホールにて、世界初の能と京劇とバレエとのコラボ(融合演劇)として、「西遊記・孫悟空」で唐王役(京劇・中国語)、土蜘蛛(能楽師)、釈迦役(中国語にて京劇の一節を歌う)として一人三役を務める[63]。2000年8月31日、マイヤ・プリセツカヤを招き、能とバレエを融合した創作能・バレエ『羽衣ーHAGOROMO』などを上演[97]し、自身も、一噌流の笛を演奏する他、マイヤ・プリセツカヤとクラシックバレエで共演した[98]。同年9月、『華麗なる舞―深見東州バレエ写真集』を出版した。
ファッションデザイン[編集]
社団法人日本デザイン文化協会評議員。自らデザインしたブランド服も販売している。
2001年、日本デザイン文化協会主催のコンテストでデザイン画が5000点中、2位と入選のダブル受賞を果たす。同年、「T.Fukamiファッションショー」を開催。2006年11月27日-28日、東京プリンスホテルと六本木ヒルズで開催された「中国文化フェスティバル2006」中国スーパーモデルファッションショー「流動する紫禁城」に、日本側のデザイナーとして出展 [99][100]した。
ギャグ[編集]
ギャグクリエイターとして、ギャグ作品集を4作、ギャグ写真集を1作、ギャグDVD『ギャグ300連発』『ギャグ600連発』『ギャグ888連発』3作品をリリースしている。1997年10月に、『深見東州のギャグ大爆発!』を、同年12月、『ギャグ写真集』を、1999年7月、『深見東州のウルトラギャグ大爆発!!』を出版。2001年1月に『ポパイの心があたたまるさむい本』と『ベティーの心があたたまるさむい本』を出版し、VHS『深見東州のオペラ漫談』をリリース。2010年3月18日より「戸渡阿見」「レオナルドTOSHU」のTwitterでほぼ毎日ギャグをつぶやいている[101]。
ギャグCM・ギャグ広告[編集]
学苑長をつとめる予備校みすず学苑のCMや広告を自ら手がけ、ユニークで強烈な印象であり[102]、予備校のPRとは思えないなどと話題となっている[103]。個性的なCMへの質問がみすず学苑に寄せられ、みすず学苑の公式ウェブサイトでは、CMの謎を解く回答を掲載している[104][105]。 【↑目次へ移動する】
美術活動[編集]
絵画[編集]
清華大学美術学院美術学学科博士課程修了、文学博士。博士論文のタイトルは、「芸術市場の流通の変遷における日中美術品から見た芸術と市場の関係」(从中日美术品在艺术市场的流通变迁看艺术与市场的关系)であり[106]、日本語の書籍としても出版されている。2001年から毎年、誕生日の前後に1年間書きためた作品の展覧会を開催している[10]。毎年制作するカレンダーには、求龍堂元編集長の武井武利が選んだ自作の絵画を採用している[58]。
仏画を浅井秀水、日本画と水彩画を犬飼得之に師事する。油絵と西洋画を松下友紀に習い、水墨画を安永麦州に師事した。水彩画、アクリル画、詩画など、様々なジャンルの絵画を描く[107]。
遊美堂刊の「2000年度優秀美術作品全集」に作品2点が選ばれ、収録された。2002年9月、中国芸術研究院より、中国美術界最高称号である[108]外国人初の一級美術師称号を授与され[109][110]、アクリル画「青龍神と緋鯉」が永久所蔵されることが決定した[111]。2003年10月、『日豪芸術交流祭』において、水墨画「キラキラ天の川」作品が、330人の日本の画家の中から選ばれ、「西オーストラリア州芸術文化大臣賞」「パース市長賞」「審査員最優秀賞」の3賞を同時受賞し、パース市より「名誉芸術家」の称号を授かった[112]。
求龍堂より、『深見東州 自選画集』[10]、『深見東州の創造』、『創作 深見東州』、『書画 深見東州』『深見東州画集』の5冊の画集が刊行されている。たちばな出版からは、『墨汁の詩(うた)』(求龍堂制作)、『TOSHU FUKAMI ART WORKS 深見東州画集』、『深見東州 書の世界』、『深見東州 日本画の世界』を出版している。中国の文化芸術出版社より、『A CREATION OF TOSHU FUKAMI』(書画集 深見東州の創造)を出版している。また「ギャグ絵」の創作も行なっている。
書道[編集]
16歳より兵庫県立鳴尾高等学校書道部部長として、田端曲全に師事[18]。35歳より竹中青虎に学び、西川寧の孫弟子となる[23]。1997年9月21日に初の書画展を開催し、以降毎年、書画の展覧会を開催している。書の総作品は953作品(2014年3月7日時点。TOSHU絵かきの店発表)。謙慎書道会評議員。現代日本書家協会顧問。大東文化大学書道研究所認定書道教授者。作品「把手共行」は第67回謙慎書道会展で「秀逸」を受賞。その他の謙慎展でも、「岳」「無位真人」が「褒状」を受賞している。
「現代書家の名品」の一つとして、作品『恕』が、大英図書館に永久所蔵されている。作品収蔵の記念に開催された「現代書家の名品と平成の佐竹本三十六歌仙」展の「日本の伝統芸術21世紀展実行委員会」の副会長をつとめた。また、2014年に大英博物館で、現代の代表的な書家として大英博物館主催の書や水墨画の個展を開催している。個展の初日には、大英博物館のグレート・コートで、書のデモンストレーションを行った。
ギャグ書[編集]
禅語の「和敬清寂」のパロディ作品である「和敬静寂[注 3]、禅語の「一期一会」のパロディ作品である「苺一会[注 4]」など、ギャグを書で表した作品も複数存在する。
展覧会[編集]
1997年9月21日に、自身初の書画展として「深見東州初のIFAC書画展」を開催する[10]。
1999年5月15日、中国済州で開催された「'99 国際美術交流大展」に作品を出品し、セレモニーでは日本人参加者の代表としてスピーチを行った。8月17日、「BESETO美術祭東京展」に出展。同年10月22日、ノートルダム大学で書画展を開催した。同年11月11日、「ロンドン大学演能~書画展」を開催し、ロイヤル・ホロウェイの「HANDA NOH THEATRE」で書画の展示と半能「岩船」シテ(龍神)と仕舞「高砂」を披露した。同年12月1日-14日、ニューヨーク市ソーホーのグラントギャラリーで個展を開催する。
2000年1月、チャリティ「二人展」を開催し、会場で水墨画の実演を行う。同年5月21日-31日、中国政府文化部主催で北京市紫禁城で開催された「深見東州 日本書画展」に、8メートルの水墨画「本栖湖万里長景図」等を出品し、同会場では即興で墨絵を描いて披露した[113]。同年5月11日、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で、日本文化や芸術専攻の生徒の前で、書の実践講義を行う。同年7月9日-15日、中国の著名な画家袁煕坤(えんきこん)と、「日中名人深見東州・袁煕坤(えんきこん)美術作品展」を北京金台美術館で開催した[114]。同年7月25日、第一回全国高校生美術祭(現:高校生国際美術展)の実行委員長に就任し、以降、毎年開催する。同年10月1日、「Toshu アート・ギャラリー」(現・TOSHU絵かきの店)をオープンする。同年11月1日、オーストラリアのパース・カリグラフィー・ギルド主催で毎年開催される書画展覧会に作品を出品。2002年11月、作品「太平洋とご来光」等を北京で主催した「東アジア美術交流祭」に出品[115]した。これ以降「東アジア美術交流祭」を定期的に主催している。同作品は、日中友好会館で11月8日~13日展示された後、11月19日以降、北京の中華世紀壇で展示された。2003年1月23日-28日、パースの『日豪芸術交流祭』で、「東州・麦州二人展」を開催した[112]。
深見東州バースデー個展[編集]
50歳となった2001年3月19日-24日に、大森ベルポートで初のバースデー個展である「深見東州チャリティ書画展」を開催して以降、毎年、誕生日の前後にバースデー個展を開催している[51]。「これが一人の画家の作品か?」と目を疑うほど、書画や水彩、アクリル、油彩、パステル、ギャグ絵作品など、バラエティに富んだジャンルの作品が展示されている[116]。通称は、「第○回深見東州バースデー個展」と呼ばれるが、ユニークな正式名称が、深見自身により名付けられている[116]。
毎年の展示作品についても、「日中新聞」より「ユニークな作品群[9]」、「抱腹絶倒の作品群に圧倒[116]」、「つい声を出して笑い出したくなるほど面白い[116]」と評されるようなユーモア作品が展示されている。個展のオープニングセレモニーでは、巨大書の実演や即興和太鼓演奏[51]、付祝言『高砂』の謡[52]等、さまざまなパフォーマンスが行われている。
深見によると、個展を始めたきっかけは、「己の老化や全人格的な劣化を防ぐため、己に喝をいれるため」であるという[116]。2012年の開幕スピーチでは「忙しい多様な活動の中でも自らに締め切りを課し締め切り効果を利用し、一気に創作する制作方法をとっている」という秘訣が明かされた。[10]。
彫刻・陶芸[編集]
彫刻を荒川明照、陶芸を東紀代美に師事。2002年に東京目白芭雨園で開催した茶会で、自らが制作した茶碗、陶芸皿を披露した(その際、茶杓、水指、花入、掛け軸、畳、抹茶、和菓子等の茶道具を自ら制作、プロデュースした)[117]。
文芸活動[編集]
小説[編集]
日本ペンクラブ会員。ペンネームは、戸渡阿見(ととあみ)を使用している。2005年、井上ひさしの推薦により、日本ペンクラブ会員となる。2007年、パーソナリティをつとめるラジオ番組さわやかTHIS WAYで小説『蜥蜴』を発表し、小説家デビューを果たす。2008年11月、2作品目となる小説『バッタに抱かれて』が、公益社団法人日本図書館協会選定図書[注 5]に選ばれる。2008年より小説を絵本としても出版する。
詩[編集]
1996年3月に初の詩集を出版し、2009年以降は、戸渡阿見というペンネームを使用している。戸渡阿見以前に深見東州名義で、3冊の詩集と1冊の英語詩集を上梓している。戸渡阿見名義では、4冊の詩集、1冊の詩画集を上梓している。
俳句・川柳[編集]
東州句会を主宰。現代俳句協会会員。現代俳句データベースに、深見の句が収録されている[118]。
中学3年から川柳を、18歳から俳句をはじめた。俳句は、18歳から3年間雑誌投稿を続け複数回の佳作を受賞した。1997年より中村汀女の直弟子である伊藤淳子と金子兜太に師事する。2003年からは、藤田あけ烏主宰の同人誌『草の花』に投句し、指導を受ける。2006年に現代俳句協会会長金子兜太の推薦により、現代俳句協会会員となる。
本格的な句集としては、第一句集『かげろふ』(伊藤淳子が300句を選び、深見が100句を選び編集)、第二句集『新秋』(伊藤淳子が59句、金子兜太が159句を選び編集)を上梓している。また、風景写真にマッチする写真と句をコラボレーションによる写真句集や、俳句と書と水墨画のコラボレーションによる『墨汁の詩』を刊行している。 【↑目次へ移動する】
古典芸能における活動[編集]
能[編集]
公益社団法人能楽協会会員[119]。東京大薪能主催者代表。2012年9月時点で、40回以上のシテを演じている[120]。「東州宝生会」を主宰し、全国に1500人以上の所属数を抱える[121]。
同志社大学能楽部宝生会で能を始め、宝生流能楽師の柏原仁兵衞及び辰巳孝に師事していた。1996年6月、能『猩猩』のシテ(猩猩)を舞い、能楽師としてデビュー。同年11月9日、宝生能楽堂で開催された「芸術の秋 演能鑑賞会」で、能『羽衣』のシテ(天人)を演じた。
1998年5月、宝生流能楽師の宝生流嘱託免状及び師範免状を取得し、同年6月宝生東州会を設立した[122]。同年6月26日、東京都庁舎都民広場で開催された第一回東京大薪能で、能『高砂』のシテ(住吉明神)を演じた。
1999年3月12日、国立能楽堂で宝生東州会の第一回発表会を開催し、以降、毎年全国大会を開催する。同年6月1日-2日、ニューヨークのメトロポリタン美術館と国連本部ビル・正面玄関前広場で、宝生流家元とともに能楽公演を行った[123]。同年8月3日には中国・浙江音楽庁で、中国大陸初の流派家元による能楽公演を行い、同年8月3日、浙江大学人文学院日本文化研究所設立10周年記念式典のため、浙江音楽ホールにて仕舞「鶴亀」を演じた[124]。同年11月11日、「ロンドン大学演能~書画展」を開催し、「Hansa Noh Theater」半能「岩船」シテ(龍神)と仕舞「高砂」を演じ、書画の展示も行った。
2000年4月、国立能楽堂で能『乱』のシテを演じ、同年9月5日-6日に北京大学中国戯曲学院で薪能を開催し、「乱」シテを演じた[125]。2001年6月1日、1979年に国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に指定されたスフィンクスの前で、同年5月にユネスコの世界無形遺産に指定された能楽を行う「エジプトスフィンクス薪能」を開催し、半能「石橋(連獅子)」のシテ(白獅子)を演じた[126][127][128]。同年9月19日、北京の中国児童劇場で能「石橋(連獅子)」のシテ(白獅子)を演じた。2002年8月6日には、「鹿島神宮御船祭奉納」で鹿島神宮初の薪能を開催し、能『翁』のシテを演じた[129]。
2007年以降は、自らが主催する東京大薪能で、毎年、一時間程度の能楽のわかりやすい解説講座を行っている[130][131][132]。海外演能や、欧米や中国の学生への能の実演等の講義も行っている[120]。また、海外では、宝生流宗家らとともに、その地域で初めての本格的な能楽公演を[119]、たびたび行う。
邦楽[編集]
大学4年から、森田流笛(能管)を始め[20]、貞光義次、寺井啓之、帆足正規に師事。一噌流笛を藤田次郎に師事。1972年に初舞台を踏み、1997年に、能管の演奏を収録したCD『神笛』をリリース。1998年7月には矢来能楽堂で笛方としてデビューした。
また、幸流小鼓を幸信吾に師事。1997年11月に、太鼓の演奏を収録したCD『神太鼓』をリリース。
茶道[編集]
江戸千家新柳派師範。20歳より裏千家流茶道を学ぶ。大日本茶道学会を経て、35歳より、江戸千家新柳派に入門し江戸千家新柳派師範を取得。1986年より、伝統的な茶会を定期的に開催するほか、2002年3月、茶碗、茶杓、水指、花入、掛軸、畳、抹茶、和菓子などの茶道具を自ら制作、プロデュースし、現代芸術と茶道を融合させた茶会を開催する。
華道[編集]
嵯峨御流師範。水野峨往に師事する。1999年、華道と舞台芸術の融合をテーマに、「藤の花咲くバレエの夕べ」を開催。同年、熊野本宮大社にて「奉納・藤の花咲くバレエ生け花『日本蘇生』」を開催した。
和歌[編集]
38才のときから岡野弘彦に師事し、毎月、歌会を主宰する。 【↑目次へ移動する】
芸術文化振興活動[編集]
世界芸術文化振興協会[編集]
1996年、世界芸術文化振興協会を設立した。
音楽を通じた芸術文化振興[編集]
歌手として芸術を実践する傍ら、世界芸術文化振興協会の会長として、オペラ等の音楽を通した公益活動を日本のみならず、オーストラリアや中国などでも展開している。中国合唱協会名誉理事長、世界中国語合唱大会(東州杯)終身名誉主席。
オーストラリアの若手声楽家を対象とした「IFACオーストラリアンシンギングコンペティション」を、1998年からIFACを通じて支援してしている。2002年5月、西オーストラリア州のパース国際芸術祭ワールドプレジデント(国際実行委員長)に就任し、翌年6月、オーストラリア最古のオペラ劇場、 ヒズ・マジェスティーズ・シアターの 100 周年記念祭の総裁に就任する。西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、パースより「名誉芸術家」の称号を授かり、「西オーストラリア州文化功労賞」や ジョーン・サザーランド特別賞[注 6]を受賞している。中国からは、中国における合唱振興の貢献に対し、「中国合唱事業特別貢献賞」を受賞した[注 7]。
2008年に、米国ジュリアード音学院とIFACの間に、日本人音楽家養成プログラムの支援協定を結び奨学金制度を設立し、日本のオペラ歌手育成にも本格的に力を注ぐことになる[133]。翌2009年に、代表をつとめるIFACの資金援助により、同音楽院に優秀な芸術家を招聘するための「声楽客員芸術家のための寄付講座」を設け、、日本人を対象とした「ジュリアード音楽院声楽オーディション」を設立した。同オーディションは、ジュリアード音楽院に入学するための一次試験を国内で受けられ、「IFAC・ジュリアード賞」受賞者には、ジュリアード音楽院へ留学するための奨学金が、深見が代表をつとめるIFACより授与される。
美術を通じた国際文化交流[編集]
美術を通して国際交流と国際理解を深めることを目的として、高校生国際美術展実行委員長[134]として、毎年、高校生を対象とした、出品料無料の国際美術コンクールを主宰している。受賞作品は、毎年、入場無料でギャラリーに展示される[135]。東アジア美術交流祭会長をつとめており、書道と絵画の分野において、アジアの芸術家の交流を深め、現代絵画芸術の紹介に寄与している[136]。
また、西オーストラリア州の芸術文化に対する貢献に対し、「西オーストラリア州文化功労賞」を受賞した。
福祉活動[編集]
「福祉とは障害者や困窮する人の自己実現のお手伝いのことである」、「民間が福祉を行う場合に大切なことは、大きすぎない規模で成果を目の当たりにできるユニークな福祉を行い、福祉を行う喜びを身をもって感じられること」、「福祉を通じた心の交流をする」の3つを満たす福祉が、民間が行う本当に活きた福祉であると述べている[137][137]。
ブラインドゴルフ・障害者ゴルフ振興活動[編集]
1988年に日本で初めてブラインドゴルフ倶楽部を設立し、日本にブラインドゴルフを伝えた[12][138]。日本ブラインドゴルフ振興協会名誉会長[139]と世界ブラインドゴルフ協会の名誉会長を務める[140][注 8]。1997年には、世界中のブラインドゴルファーやブラインドゴルフ協会に呼びかけ、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)を発足させる[141]。世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)は、2014年3月時点で18団体が加盟しており[142]、名誉総裁をつとめている[49]。また、障害者ゴルフ普及のため、2012年1月、英国PGAとISPSを通じ、英国PGAのプロ選手に障害者ゴルファーへのコーチ資格を与える「ISPSハンダPGAアカデミープログラム」を開始した[143]。
2016年のオリンピックからゴルフが正式種目に復帰することになり、ブラインドゴルフを含む障害者ゴルフ競技が、2020年パラリンピック正式種目に採用されるように、普及活動をしている[12][12][144]。また、日本では、まだ障害者ゴルフが全国障害者スポーツ大会の正式種目でないことから、国体への正式採用の運動も推進している。2013年には、ISPSを通じ、スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会と第13回全国障害者スポーツ大会の共通の国体)のデモンストレーション行事として、障害者ゴルフ大会の実施を支援した。
英国における福祉活動[編集]
王立盲人協会(RNIB)の副総裁[注 1]に、日本人で初めて就任した[145][146]。
1994年、ロンドンのロイヤルアルバートホールで、チャリティーコンサート「アラウンド・ザ・ワールド」を主宰した。同副総裁の英国国教会(元)カンタベリー卿ジョージ・ケアリーと協力し、特定地域での青少年の正しい育成を目指して2004年にエリザベス2世が開校した Lambeth Academy(英語)(Learning Trust)(英語)を、自身が代表を務める宗教団体ワールドメイトを通じて支援。2008年、「英国国教会聖職者のためのセントルークス病院」の白血病の子供達のための基金等をワールドメイトを通じて支援した。
カンボジアにおける福祉活動[編集]
救急病院の設立と運営[編集]
米国公益法人シアヌーク病院副会長[147]をつとめる。1996年12月、カンボジアの首都プノンペンにキリスト教と仏教、神道関係者の三者の協力により、カンボジア政府から無料で提供された土地に緊急集中治療設備を擁した近代的な24時間体制の救急無料病院「シアヌーク病院」を、代表をつとめるワールドメイトを通じて建設した。この病院の運営は自らが代表を務めるワールドメイトが毎年億単位の運営費を拠出し、ワールドメイトと「ホープ・ワールドワイド(Hope Worldwide)」(世界75ヶ国で慈善事業を展開するNGO組織)が、同等のパートナーとして協力している[148]。2003年1月に第二病棟が完成した時、ワールドメイトを通じた福祉活動を評され、カンボジア王室よりコマンドール勲章を受勲した[7]。
孤児院への支援[編集]
カンボジアのプノンペン郊外にあるワールドメイト未来の光孤児院会長をつとめる。ワールドメイトを通じ、300名以上の子供たちのための支援を継続的に行い、孤児院内に寮やコンピューターハウスを建設、寄贈し、さらに、里親制度を設立し孤児の里親として生活費や学費の援助を推進している[149]。
クメール・ルージュの犠牲者へ義捐金[編集]
「クメール・ルージュによるジェノサイドの犠牲者への補償、および追悼のためのDr.HANDA 基金」会長。クメール・ルージュの犠牲者の現状を知り自ら3千万円を寄付し、義捐金制度を設立した。同基金にはワールドメイトがさらに1億円の寄付を行った。同基金は義捐金とお米を手渡しで犠牲者へ授与する式典を5度行い、同時に遺族の体験を記録する活動を行った。2009年2月までに、クメール・ルージュの遺族3,703世帯が義捐金を受けた[150]。この功績により、カンボジア王国政府より、モニサラポン・テポドン最高勲章とソワタラ勲章大勲位を授与された[7]。
中国における福祉活動[編集]
2000年3月、IFACより中国児童少年基金会を支援して、中国に100校の「春蕾小学校」を建設することが決まった。これは、中国児童少年基金会と地元の教育委員会の三者が協力して行われ、毎年10校ずつ合計100校(のちに、130校に増加)の小学校を最貧地域に建設する「春蕾小学校」建設を推進プロジェクトである[151]。このプロジェクトでは、校舎の建設支援のほか、学内の備品、1000冊以上の蔵書の図書館、スライドやコンピュータ等を寄贈している[152][153][154][155]。2009年、130校建設のうち、100校の春雷小学校が完成した[137]。
また2000年4月、中華全国婦女連合会が進める中国児童少年基金会「春蕾計画」の一環として、当初は事業家が出資していたが事業不振により支援を打ち切る予定だった[156]ものを引き継ぎ、自身が会長をつとめるIFACを通じて中国全土の11の貧しい少数民族地区出身の優秀な生徒がつどう北京和平里中学「春蕾クラス」30名の香港の高校進学費用を支援した。2001年7月に開催した、「日中名人深見東州・袁煕坤(えんきこん)美術作品展」で春雷クラス30数名の生徒と初めて顔を会わせる[157]。2007年6月「春蕾クラス」30名全員が無事に大学を卒業した[158]。
2001年6月より、中国敦煌市文化経済顧問であったため会長をつとめるIFACの寄付により、「支援百名孤児就学計画」として敦煌の孤児100名の学費を支援した。2001年9月、北京市私立樹人学校に「第2期 東州春蕾クラス」を設立して32名の学費を支援し、芸術分野の才能に秀でた女子学生11名で構成される天津市三毛芸術学校の「春蕾芸術クラス」の学費を支援[158]。同年12月には、中国の伝統文化の振興と繁栄を目的として、IFACを通し、中華人民共和国文化部に、毎年、美術・書道・古典芸術や芸能など、特筆すべき創作や研究において成果をあげた芸術家と研究者を選考し、中国の国宝として表彰する「造形舞台芸術創作及び学術研究成就賞」を設立した。この表彰制度は、中国初で唯一の中国国家による芸術家と芸術理論家を対象とした終身成就賞である[159][160][161]。
中国における児童福祉の貢献に対しIFACの代表として2002年6月「中国児童慈善家」ベスト10人にノミネートされ、中国国家民政部より表彰された[162][163]。
その他の国ににおける福祉活動[編集]
西オーストラリア州立エディスコーエン大学では、ワールドメイトを通じて「ハンダスタジオ」を寄贈したり、パースのスピーチ&ヒアリングセンター(聾唖センター)内に、専門図書館兼遠隔教育センターを設立するなど教育支援、福祉支援を推進している[7]。
アルバニア、ジロカストロ市名誉市民。2001年5月、アルバニアの中でも最貧地域のブトリントにワールドメイトを通じて、近代的な学校を建設し寄付した。その他ワールドメイトを通じてジロカストロに職業訓練校を建設し、その付近の荒廃した病院を近代的な病院として再建した[7]。
宗際化・宗教活動[編集]
宗教者同士が宗教・宗派の違いを超え交流する宗際化(inter religious の日本語訳)活動を推進している。国際的な宗際化活動を推進する団体である世界宗教議会(Parliament of the World's Religions(英語)国際評議委員会(International Advisory Committee)名誉国際顧問[164]とWorld Faiths Development Dialogue(英語)(WFDD)理事[165]をつとめる。 アジアの宗教対話と開発を促進するアジア宗教対話開発協会(AFDD)を創設し、会長をつとめる[166]。また、「平和のための宗教」(en:Religions for Peace)の理事と[167]、その下部組織の「平和のための宗教」米国委員会(Religions for Peace USA)のプレジデントをつとめる[168]。
25歳から禅や神道、中国哲学を勉強・実践する[66][15]。1984年、神道をベースとする宗教団体ワールドメイト(旧コスモコア)を創設。小泉太志命が80歳を超えて病に伏したときに、側近の元官房長官藤波孝生に再三招くように命じて面会をしている。小泉太志命が自分から面会を求めたのは、後にも先にもこのときのみであったという[169]。宗教書を複数著している。[170]
仏教においては天納傳中大僧正に師事し1998年に天台座主(天台宗総本山、比叡山延暦寺住職)の許可のもと在家得度[171]、禅においては臨済宗東福寺派管長の福島慶道師に認められ、居士名「大岳」を得たとしている。
インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)[編集]
国連経済社会理事会(ECOSOC)認可NGOかつ国連広報局(UNDPI)認可NGOである、インターナショナル・シントウ・ファウンデーション(ISF)を設立し、代表をつとめる[172]。
2001年、コロンビア大学宗教学部に「深見東州神道学講座」を設立した[172]。2012年10月28日-30日に、南アフリカのヨハネスブルグで、第4回IFAPA(アフリカにおける平和のために行動する諸宗教)サミットを、ISFが共催した。日本からは深見を含む2名の宗教者が代表として参加し問題解決法を提唱した[173]。
人権活動[編集]
人権の確立こそが普遍的な宗教性の顕現になるという考えに基づき人権のための活動を行っており、オーストラリア人権教育評議会の名誉顧問をつとめている[174]。 西オーストラリア州立カーテン大学に、豪州で初めて人権教育のチェア(講座)を開設し、オーストラリアの全国人権教育委員会より、「Citizen of Humanity」(国際名誉市民)の称号を授与された。また、世界開発協力機構を通じ「人権と国際正義の為の、スタンフォード大学WSD半田センター」を設立。 【↑目次へ移動する】
フィランソロピー[編集]
「スポーツの力」が平和に役立ち社会をよりよくするという信念により、スポーツによる社会貢献や福祉を推進している。深見は「スポーツの力を強く信じている。スポーツを通して、社会に元気を与えたい[175]」「スポーツ全体を見ていかないといけない。スポーツの世界での、社会貢献は文化につながる[175]」「チャリティやフィランソロピーは、ゴルフ文化の奥にある重要な要素[176]」と述べている[176]。
2003年より、ゴルフ界全体が活性化し裾野が広がればブラインドゴルフの輪も拡大するという考えから、国際スポーツ振興協会 (ISPS) を設立し、シニアゴルフ、女子シニアゴルフ、ジュニアゴルフ等の支援の推進を始めた。大会では毎回プロアマ戦を設け、プロ、アマチュア、ブラインドがチームを組んで交流を深める混合大会を開催するなどの新たな試みも行う[177]。ボウリング、アーチェリー、ボート競技、サッカー等の支援も推進している。2010年、アジア太平洋ゴルフパーソナリティー賞(ASIA-PACIFIC GOLF PERSONALITY OF THE YEAR)受賞[178]。大会を主催する際には、フィランソロピー大会[注 9]として収益や賞金の一部を選手が社会福祉団体へ寄付をするほか、国籍、年齢、性別、身体障害の有無等の垣根を越えて共にプレーする大会を多く開催している[179]。また、必ずブラインドゴルファーを招待してプロアマ交流戦を開き、トッププロとブランドゴルファーの交流の場を設けている[27]。
国際スポーツ振興協会(ISPS)の創設[編集]
2003年に日本ブラインドゴルフ振興協会創立15周年の記念大会を神戸ゴルフ倶楽部で開催した際、クラブの人の言葉に感銘を受けゴルフの社会貢献を行う決意をし、国際スポーツ振興協会を設立する。翌2004年、プロゴルファーの稲葉真寿美より女子シニア公式戦は米国にしか存在せず、日本の女子シニアプロは試合に出る機会がないということを聞く。そこで自ら米国女子シニアゴルフ協会(現在のレジェンズツアー)に呼びかけ、2005年4月、米国女子シニアの公式戦「第1回ワールドシニアゴルフレディースオープン選手権」(日本ブラインドゴルフ振興協会 (JBGA)、世界ブラインドゴルフ協会(IBGA)、レジェンズツアー(米国女子シニアゴルフ協会)の共催[注 10])を初めて日本で開催。続いて同年6月、自身が会長を務めるJBGAの主催により「JBGA シニアレディスカップ」を、日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)の協力により開催する。この試合がきっかけとなり、他に日本女子シニアゴルフの大会が二つ開催され、その後、日本においても、女子シニアゴルフの公式戦が毎年複数開催されるようになる。
その後2006年より日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)で、日本女子シニアプロ登録の制度が始まり、日本女子シニア初のQT(クォリファイングトーナメント)も開催される。
こうしたゴルフ興隆に対する貢献等により[180]、2006年よりライダーカップやソルハイムカップのレジェンツアー版として、本名の半田を冠したハンダカップ(レジェンズツアー主催)という、女子シニアプロ団体戦が毎年開催されている[181][182]。2013年からは、ISPSハンダカップに改称した。
スポーツ平和サミット[編集]
スポーツ平和サミットとは、NPO法人世界開発協力機構が他団体と共催しているスポーツに関する国際会議[183]。 2012年から、親交の深いジョージ・ケアリーや、コリン・モイニハン、 キャサリン・マーシャルらと協力し、スポーツ平和サミットの開催を行っている。2013年7月18日-19日には、東京のホテルニューオータニで、スポーツ平和サミット東京大会を開催した。2014年5月22日-23日には、ニューヨークの国際連合本部ビルで、平和と発展のためのスポーツサミット(World Sports Values Summit for Peace and Development)に参加し、自身が設立した国際スポーツ振興協会と国連『文明の同盟』 (UNAOC)の提携が、発表された[184]。
オーストラリアにおけるゴルフ推進[編集]
ゴルフオーストラリア総裁兼国際大使[185]を務める。
2006年11月、会長をつとめるISPSを通じ、男子シニア、女子シニア、男子ジュニア、女子ジュニアが一緒に、ひとつのタイトルを争う世界初の混合大会ハンダ・オーストラリアカップ(現:ISPSハンダ・オーストラリアカップ)をオーストラリアで開催する。各国の選手が集い、技術やゴルフへの姿勢、またマナーや経験智を継承する機会を得られる機会として以降も毎年開催する[177][注 11]。2009年より、ハンダ・オーストラリアン・シニアオープン(ゴルフオーストラリア)を開始。
アジア・ヨーロッパにおけるゴルフ推進[編集]
女子ヨーロピアンツアー国際大使。アジアンツアー国際大使[186]、ニック・ファルド・アジアシリーズ公式国際大使[48]。
2009年より、ISPSハンダ・ニュージーランド女子オープン(オーストラリア女子ツアーALPG)、2010年よりISPSハンダ・オーストラリアン女子オープン(ALPGツアー)(米国女子ツアーLPGA、欧州女子ツアーLET、オーストラリア女子ツアーALPGの共催大会)、ハンダ・シンガポール・クラシック(アジアンツアー)、2012年よりISPSハンダ・ウェールズオープン(ヨーロピアンツアー)、ISPSハンダ・パース・インターナショナル(ヨーロピアンツアーと豪州PGAツアーの共催)、2013年より、ISPSハンダ・レディス・ヨーロピアン・マスターズ(欧州女子ツアーLET)、ザ・ネルソン・マンデラチャンピオンシップ presented by ISPSハンダ(ヨーロピアンツアーとサンシャインツアーの共催大会)等の公式戦を支援している。
日本におけるゴルフ推進[編集]
2010年より、HANDA CUP 日韓対抗中学・高校生ゴルフ選手権の支援。2007年~2010年、日本プロゴルフ協会(PGA)の申し出により、男子シニアゴルフの三大公式戦の一つ「PGA ハンダカップフィランスロピートーナメント」に会長を務めるISPSが特別協賛(2010年はヨーロピアンシニアツアーとの共催)。2011年は東日本大震災により開催を自粛するが、2012年よりISPSハンダPGAシニアチャンピオンシップ(ヨーロピアンシニアツアー)、「ISPS ハンダカップ・灼熱のシニアマスターズ」(2013年は「ISPS ハンダカップ・五月晴れのシニアマスターズ」)、「ISPS ハンダカップ・秋晴れのシニアマスターズ[187]」を開催。2013年からは、「ISPS ハンダカップ・フィランスロピートーナメント[188]」も加わり、PGAシニアツアーを3試合、「ISPS グローイング シニアオープン ハンダ熱血シリーズ」を5試合、「ISPS スーパーシニア[注 12]」等を支援している[189]。2015年より日本男子プロゴルフツアーで開催しているISPSハンダグローバルカップでは、ガラパゴス化している日本のゴルフ界をグローバル化に転じさせようという深見の意向により、海外の5大ツアーから多くのメジャー覇者を招聘したり、1990年全米プロゴルフ選手権覇者のウェイン・グラディによる海外への英語配信が実現するなど、日本初の試みを複数取り入れている[190][191]。
ISPS・ハンダ・ワールドカップオブゴルフ[編集]
2013年11月21日より4日間、ISPSハンダがタイトルスポンサーとなり、ISPSハンダ・ワールドカップオブゴルフ(W杯)開催に尽力した[192][193][194]。今大会は五輪で採用される新方式の大会であった[43][注 13]。
日本におけるボウリング推進[編集]
2007年より毎年、ISPSを通じ、シニア女子、シニア男子、女子、男子等の複数の公式戦を主催・協賛し、生涯スポーツの一つでもあるボウリングを支援している 。また、主催するフィランスロピー大会では、選手が賞金の一部を社会福祉団体に寄付することとし、ボウリングを通した社会貢献を推進している[195]。また、自身が会長を務めるISPSが主催するプロボウリング大会の公式戦のプロアマ交流戦で、視覚障害者も参戦する混合大会を設けるなどブラインドボウリングの普及にも尽力している。
ISPSを通じ、2007年よりHANDA CUP 全日本プロボウリング選手権大会、HANDA CUP 全日本女子プロボウリング選手権大会、2009年より「HANDA CUP フィランスロピー・女子プロボウリングトーナメント」「HANDA CUP プラチナレディースボウリングトーナメント」、2010年より「HANDA CUP・プロボウリングマスターズ」の支援などを行っている。
シンクタンクにおける活動[編集]
協和協会理事長[編集]
公益財団法人協和協会の理事長をつとめている[196]。2010年11月26日に、3次元物理探査船の複数隻建造をめぐり、日本のあり方を考える発表会・意見交換会を開催し、日本の海洋法整備の遅れと中国の海洋権益に対する動きについて指摘した。3次元物理探査船による調査船建造は安全保障、国境画定、海洋権益等つまり国益に直結した問題であると重要性をアピールするとともに、複数隻建造の政治的決断を望みたいと総括した[197][198]。
日本国際フォーラム理事[編集]
日本の民間政策シンクタンクである公益財団法人日本国際フォーラムの理事をつとめている[199]。政策提言の政策委員や緊急提言委員として、「緊急アピール『対露領土交渉の基本的立場を崩してはならない』(2009月4月30日)[200]や「日本国際フォーラム第32政策提言:積極的平和主義と日米同盟のありかた』(2009年10月)[201]、「日本国際フォーラム第33政策提言:外国人展望の受け入れと課題』(2010年11月)[202]、「日本国際フォーラム第35政策提言:膨張する中国と日本の対応』(2012年1月)[203]などに賛意を示し署名をしている。
世界開発協力機構総裁[編集]
福祉・学術・教育等で国際協力や支援活動等を行う「世界開発協力機構」(Worldwide Support for Development、2008年に特定非営利活動法人認可)の総裁を務める[204][205][206]。2009年5月、BS11にて「北方4島返還を考える」をテーマにモデレーターをつとめ伊藤、丹波、袴田らと討論番組に出演し、その紙面広告の掲載を世界開発協力機構が支援した[207]。 2009年9月から2010年4年に開催されたカンボジア国際会議『ブリッジ』でチェアマンをつとめ、世界開発協力機構(WSD)が支援した[208]。
世界オピニオンリーダーズサミット[編集]
特定非営利活動法人「世界開発協力機構」は世界オピニオンリーダーズサミットという国際会議を主催している[209]。深見と交友関係にある人物を中心に深見が招聘し[210][11]、世界のリーダーと世界平和貢献などを議論する国際会議とされる[11]。[211]
世界の若い議員と語り合う「グローバル・オピニオン・サミット」[編集]
2015年5月30日に、世界開発協力機構の主催で、列国議会同盟(IPU)との共催で、東京ビッグサイト国際会議場において『グローバル・オピニオン・サミット』を入場無料で開催し[212]、深見自ら司会を務めた。IPUの議長や事務局長らが参加し、日本からは城内実・原口一博・平沢勝栄・松木謙公が参加し、副総裁の伊藤憲一がオブザーバーとなった[213]。
教育活動[編集]
カンボジア大学総長兼教授[編集]
2003年に開学したカンボジア大学の総長を務める[204]。2006年1月より、同大学教授も務める[214]。
2004年4月30日には、カンボジア大学の学内図書館があ「Toshu Fukami Library」と名称を変更した。約50,000冊の蔵書があり、カンボジアで最良の図書館の一つとされている[215]。2007年以降、フンセン首相と深見の名を冠した「サムデック・フンセン・ハンダ・ナショナル・スカラーシップ」にワールドメイトが資金提供し、毎年、成績優秀な学生500人が授業料無償で通学、学士の学位を取得できるようにした。2007年-2009年で各500人、計1500人採用した[216][217]。2012年以降は、総長名誉奨学基金(Chancellor’s Honors Scholarship Fund)の制度を設け、学術優秀者に授業料の全額免除を提供している。[218]
2008年12月、世界芸術文化振興協会の代表として、カンボジア王国政府よりロイヤル・モニサラポン大十字勲章を授与された[7]。
浙江工商大学日本文化研究所日本芸術文化教授[編集]
1998年9月から、中国国立浙江大学大学院日本文化研究所客員教授を、2007年9月から、浙江工商大学日本語言語文化学院日本芸術文化教授を歴任。現在は、浙江工商大学日本文化研究所日本芸術文化教授をつとめる[219]。講義のテーマは、「日本文化とその精神的背景」を専門に、能や書や日本画、俳句などの文化芸術を実演したり、 「日本神話と日本的経営」、「能『藤』にみる日本的神仏習合の芸術観」など、神道、仏教、儒教が日本文化に及ぼした影響に関する考察が中心である。[5]
有明教育芸術短期大学教授[編集]
2012年4月より、有明教育芸術短期大学の声楽教授をつとめる。2014年5月より、インターネットテレビのHANDA.TVで、講義の一部を無料放映している。
カンボジア政府顧問・首相顧問・特別領事として[編集]
カンボジア王国首相顧問(オフィシャル・アドバイザー)と、カンボジア王国上級大臣級政府顧問を務めている。
在福岡カンボジア王国名誉領事[編集]
在福岡カンボジア王国名誉領事をつとめる[6]。2009年より毎年、在福岡カンボジア王国名誉領事館で「半田スカラシップ カンボジア遊学生」を公募し、カンボジアに短期留学生を派遣している[220]。
メディア出演と作品[編集]
ラジオ[編集]
さわやかTHIS WAYは、累計22年間継続した。
- 今夜もウェルカム(ラジオ日本)1985年7月~1985年12月
- ハートのプラネタリウム(TBSラジオ)1988年10月15日~1991年9月
- SEIZAN KENZAN(東海ラジオ)1991年10月12日~1993年3月
- SEIZAN THIS WAY(FM福岡)1990年11月4日~1992年3月(題名とキー局を変えて続行)
- さわやかTHIS WAY(FM山口)1992年4月~2012年3月25日
- OVER HEAD COME RADIO(ラジオ日本)1995年4月15日~1997年4月27日
- レオナルドTOSHUの遊びがNight(NACK5)2009年4月~2012年3月
テレビレギュラー番組[編集]
- 『サクセス登龍門』(BS11毎週火曜23:00~23:30) 2011年7月4日~継続中
- TOKYO MX『世界のいま』モデレーター 毎週月曜20:30 ~ 21:30 2011年4月4日~2012年3月26日
- 『本格闘論 FACE』、モデレーター、コメンテーター出演。(BS11)
- 緊急特集!!北方4島返還を考える『4島返還』がなぜ揺らぐのか? 2009年5月3日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、丹波實、袴田茂樹、鈴木哲夫
- 緊急特集!!北方4島返還を考える パート2『危うし!日本の外交』 2009年5月3日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、鈴木宗男、鈴木哲夫
- FACEスペシャル どうする日本の外交 2009年7月5日14:00~15:55 ゲスト:伊藤憲一、田久保忠衛、吹浦忠正、鈴木哲夫
- スフィンクスと日本刀 part1 2009年8月23日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- スフィンクスと日本刀 part2 2009年8月30日18:00~18:55 ゲスト:ヒシャム・バドル、伊藤憲一、吹浦忠正
- 富士山とピラミッドに架ける橋 2010年1月31日18:00~18:55 ゲスト:ワリード・マハムード・アブデルナーセル博士、伊藤憲一
- 日米同盟50周年、次の50年への展望と課題 2010年6月6日18:00~18:55 ゲスト:ロバート・ドゥジャリック、ジェラルド・カーティス、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-1 2010年8月15日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 頑張れ!!日本人 PART-2 2010年10月3日18:00~18:55 ゲスト:ラルフ・コッサ、ヒシャム・バドル、サイモン・テイー、伊藤憲一
- 外国人受け入れの展望と課題 2010年12月5日18:00~18:55 ゲスト:伊藤憲一、平林博、井口泰
- 東アジア共同体 ~その戦略と展望 2011年1月2日18:00~18:55 ゲスト:鳩山由紀夫、伊藤憲一、進藤栄一
テレビ特番[編集]
- 「浙江能楽事始」(能・石橋)(TOKYO MX 1999年9月25日)
- 「第二回東京大薪能」(能・岩船)(TOKYO MX 1999年10月24日)
- 「第三回東京大薪能」(能・土蜘蛛)(TOKYO MX 2000年11月5日)
- 「カンボジアに夢を育む」(TOKYO MX 2001年2月1日)
- 「砂漠に舞う~スフィンクス薪能~」(TOKYO MX 2001年7月22日)
- 「第四回東京大薪能」(能・石橋)(TOKYO MX 2001年10月28日)
- 「ブラインドゴルフ・視覚障害者の闘い」(TOKYO MX 2002年5月25日)
- 「第五回東京大薪能」(能・翁)(TOKYO MX 2002年10月27日)
- 「IFACオペラ 聖徳太子」(TOKYO MX 2002年12月7日)
- 「京劇に挑戦した!」(TOKYO MX 2003年1月25日)
- 「豪州異文化交流」(TOKYO MX 2003年5月29日)
- 「カンボジア再建の為に」(TOKYO MX 2003年8月10日)
- 「IFACオペラ 元禄のトラヴィアータ」(TOKYO MX 2003年10月4日)
- 「第六回東京大薪能」(能・鶴亀)(TOKYO MX 2003年11月1日)
- 「甦れ、カンボジア」(TOKYO MX 2003年11月18日)
- 「翔べ、世界のステージへ」(TOKYO MX 2004年6月13日)
- 「ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ2004」(TOKYO MX 2004年7月3日)
- 「第七回東京大薪能」(能・田村)(TOKYO MX 2004年9月13日)
- 「オペラ大正時代のボエーム」(TOKYO MX 2004年10月16日)
- 「南半球に渡った能舞台」(TOKYO MX 2004年12月18日)
- 「ハンディーはゼロ ~盲人ゴルファー女子シニアに出会う」(TOKYO MX 2005年5月21日)
- 「第八回東京大薪能」(能・鞍馬天狗)(TOKYO MX 2005年9月24日)
- 「雛祭りのフィガロの結婚」(TOKYO MX 2005年10月30日)
- 「スーパーオペラ楊貴妃」(TOKYO MX 2005年12月24日)
- 「アンコールワット薪能」(J-sports 2006年3月21日)
- 「第二回ワールドシニアゴルフ レデイースオープン」(J-sports 2006年4月23日)
- 「ふれあいのグリーン ~世界を結ぶブラインドゴルフ~」(TOKYO MX 2006年5月21日)
- 「IFACオペラ リゴレット イン ジャパン」(TOKYO MX 2006年10月21日)
- 「第九回東京大薪能 ~能との出会い・ソプラノ大貫裕子~」(TOKYO MX 2006年12月23日)
- 「The Joining of the Generations 時代を越えて HANDA AUSTRALIA CUP」(TOKYO MX 2007年1月20日)
- 「和の心を伝える中国ファッションショー」(TOKYO MX 2007年1月21日)
- 「女子シニア感動の熱戦 HANDA USA CUP」(TOKYO MX 2007年2月3日)
- 「IFACオペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2007年10月27日)
- 「2007PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2007年10月28日)
- 「WALK WITH ともに歩む――ゴルフの社会貢献」(TOKYO MX 2008年1月13日)
- 「LEGENDS TOUR OPEN 伝説の女子ゴルファー、シドニーで競う」(TOKYO MX 2008年1月27日)
- 「明日への架け橋 ~挑戦と感動のボウリング~ ブラインドボウリング」(TOKYO MX 2008年2月3日)
- 「HANDA CUP USA 世界選抜、あと一打!米ゴルフ殿堂名門コース女子シニア戦」(TOKYO MX 2008年2月17日)
- 「オペラ 大江戸版好色男のファルスタッフ」(TOKYO MX 2008年11月16日)
- 「カンボジア ~次世代を育む~」(BS11 2009年1月25日)
- 「2008PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2009年2月15日)
- HANDA CUP 第40回全日本女子プロボウリング選手権大会 ~心で投げるストライク!!~」(BS11 2009年2月22日)
- 「小林旭 デビュー55周年記念 ラスト・ドリームコンサート ~男の友情は固く、強く~」(BS11 2009年3月29日)
- 「第十二回東京大薪能~伝統芸能を楽しむ~」(TOKYO MX 2009年10月4日)
- 「オペラ ゼウスの化身 ドン・ジョヴァンニ」(TOKYO MX 2009年11月3日)
- 『千客萬来』その壱 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月21日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 『千客萬来』その弐 ゲスト:小林旭(BS11:2009年11月28日、TOKYO MX、TVK、KBSで再放送)
- 「2009PGA HANDA CUP フィランスロピーシニアトーナメント」(TOKYO MX 2010年1月17日)
- 『カンボジア 未来への架け橋』(BS11 2010年3月21日)
- 「心に響け 笑顔のストライク~ HANDA CUP 第41回全日本女子プロボウリング選手権大会~」(BS11 2010年3月28日)
- 「第1回 ジュリアード音楽院声楽オーディション ~大西宇宙の挑戦~」(BS11 2010年8月22日)
- 「第十三回 東京大薪能 みんなが楽しめる伝統芸能の世界~」(TOKYO MX 2010年9月25日)
- 「IFACオペラ「ナブッコ ~わが愛する地球よ~」(TOKYO MX 2010年11月7日)
- 「シニアゴルフの星 煌く『2010HANDACUPシニアマスターズ』」(TOKYO MX 2011年1月9日)
- 『レオナルドTOSHUの月刊・百面相』(TOKYO MX 2012年全6回)
- 「激論!! 太平洋安全保障をどう築くのか?」~アジア・太平洋の海上安全保障と日米中関係~(BSジャパン 2012年9月30日(日)15:00~15:55)
HANDA.TV(インターネットテレビ)[編集]
2013年3月30日より、インターネットテレビのHANDA.TV(ハンダ・ドット・ティーヴィー)が開始した。
- サクセス登龍門
- 明るすぎる劇団・東州定期公演
- 深見東州演能シリーズ
- 深見東州作品展
- 風車の書画展
- こだわりのラッキー&エナジーShow品 毎日9:00~10:00、木曜を除く15:00~16:00
- 南アフリカ宗教サミット 毎週月・水・金17:00~19:00、水曜12:00~14:00
- カンボジア福祉活動リポート2013 毎週木曜14:30~16:00
- ジュリアード音楽院声楽オーディション 第1回~第4回
- ロックコンサート in 名古屋 with ジミ・ジェイミソン
- モーツァルトの謎 B級ホラー漫談
- スポーツ祭東京2013 デモスポ 障害者ゴルフ
- カンボジア薪舞踏
- スポーツ平和サミット東京大会
- 大ウケ! 劇団東州の明るすぎるワケ
- 第1回世界オピニオンリーダーズサミット(ゲスト:トニー・ブレアほか)
- 開局1周年記念特別番組 速報!誕生日書画展2014
CM[編集]
- カンボジアへ行こう(在福岡カンボジア王国名誉領事・九州地域)2012年
新聞[編集]
- 産経新聞
- 「成功する受験生と保護者へのアドバイス」 2003年2月-2005年2月毎週連載
- Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place[12]
- 「ゴルフ天国」 2013年7月11日
- 「アカスリ半田劇場!」 2013年8月28日-11月13日(隔週水曜連載)
雑誌[編集]
- 週刊文春
- 「成功する実践経営論」 2001年10月~2005年1月連載
- 週刊ゴルフダイジェスト
- 盲人ゴルファーと女子世界殿堂プロたちの競演 ワールドシニアレディース選手権が日本で開催[221] 2005年4月
- 月刊 ギャラリー
- 「深見東州の深奥の世界とは?」 2012年5月~11月連載
- 「松井武利の絵を見る人も好き好き この一品 深見東州』 2013年1月-連載中
- 月刊日本
- 半田晴久(深見東州)の「まほろばトーク」2014年4月-連載中
- 中央公論
- 地域・社会に貢献する成長会社 2014 トップインタビュー(みすず学苑)
ポッドキャスティング&ムービー配信[編集]
- 2009年10月23日より、「"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ポッドキャスティング」として、人生相談などのオリジナルコンテンツが毎週配信されている。
- 2009年12月7日より、"レオナルドTOSHUの年中非日常的"ザ・ムービーとして、コンサート映像動画などが毎週配信された。
- 2011年4月4日より、世界のいまが、Ustream(ユーストリーム)で配信されている。
絵画・書[編集]
書籍[編集]
著作は、宗教書のほか、芸術論、人生論、文明論、絵画、書、小説、詩、俳句、福祉、教育、学術、ビジネス、ギャグ、レシピなど、分野は多岐にわたる。7カ国語に翻訳された「強運」は169万部を突破している(2014年3月、本人サイトより)[146]。著書は270冊を超える。音楽CDは86本、DVDは21本リリース。
ネアカ・スピリチュアル本[編集]
- 『神界からの神通力』 (1990/6)---日本文芸社刊 深見青山名義 (1985/12)の改訂版
- 『強運』 (1990/12)---扶桑社刊 深見青山名義 (1986/3)改訂版
- 『神霊界』---日本文芸社刊 深見青山名義(1986/9)改訂版
- 『恋の守護霊』 (1991/12)---「愛の守護霊」扶桑社刊 深見青山名義(1986/11)の改題、改訂版
- 『大金運』 (1991/6)---扶桑社刊 深見青山名義(1986/12)の改訂版
- 『大天運』 (1991/9)---廣済堂出版刊 深見青山名義(1987/8)の改訂版
- 『大除霊』 (1992/5)---角川書店刊 深見青山名義(1989/5) の改訂版
- 『大創運』 (1993/5)---角川書店刊 深見青山名義(1987/12)の改訂版
- 『神社で奇跡の開運』(1995/12)---学研刊 深見青山名義(1991/7)の改訂版
- 『全国の開運神社案内』(1997/2)
- 『信仰の道』(2004/11)
- 『究極の運命論』 (2004/12)
- 『強運―あなたの運がドンドンよくなる』 (2012/3)
- 『運命とは、変えられるものです! 』 (2013/2)
ギャグ・スピリチュアル本[編集]
- 『我輩は霊である』 夏目そうしき 又の名を深見東州 名義 (2013/9) --- 同書(1994/12)刊の改訂版
- 『それからどうした』 夏目そうしき 又の名を深見東州 名義 (2013/9) ---同書(1996/1)刊の改訂版
- 『解決策―瞬間に悩みが消える本』 三休禅師 又の名を深見東州 名義 (2013/9) ---同書(1995/2)刊の改訂版
- 『パリ・コレクション』 ピエール・ブツダン 又の名を深見東州 名義 (2013/9) ---同書(1995/6)刊の改訂版
- 『悪霊おだまり!』 美川献花 又の名を深見東州 名義 (2013/9) ---同書(1996/1)刊の改訂版
- 『金しばりよこんにちは』 フランソワーズ・ヒガン 又の名を深見東州 名義 (2013/9) ---同書(1997/4)刊の改訂版
- 『五十すぎたら読む本』 遠山の金さん銀さん 又の名を深見東州 名義 (2014/1) ---同書(1997/7)刊の改訂版
- 『こどもを持ったら読む本』 東州にわとり 又の名を深見東州 名義 (2014/1) ---同書(1997/7)刊の改訂版
- 『3分で心が晴れる本』 東州チャップリン 又の名を深見東州 名義 (2014/1) ---同書(2008/5)刊の改訂版
- 『よく分かる霊界常識』 東州イグアナ 又の名を深見東州 名義 (2014/3) ---同書(1998/12)刊の改訂版
- 『コルゲン講話』 東州ケロちゃん 又の名を深見東州 名義 (2014/3) ---同書(1999/3)刊の改訂版
- 『宇宙からの強運』 東州土偶ちゃん 又の名を深見東州 名義 (2014/3) ---同書(2001/4)刊の改訂版
- 『どこまでも強運』 スリーピース東州 又の名を深見東州 名義 (2014/3) ---同書(2002/9)刊の改訂版
- 『背後霊入門』 東州ダンシングフラワー 又の名を深見東州 名義 (2014/3) ---同書(2002/11)刊の改訂版
- 『死ぬ十五分前に読む本』 (2014/2) ---同書(1995/10)の再版
学術・教育[編集]
- 『Understanding Japan』 (1997/6)
- 『下手な英語の話し方―入門の入門・英会話』 (2000/1)
- 『古神道入門―吾郷清彦・松本道弘・深見東州鼎談集』 (2000/10)
- 『神道の祭り』神道国際学会篇 (2003/11)
- 『皇室と伊勢神道』神道国際学会篇 (2003/12)
- 『今まで誰も説かなかった大学入試合格の秘訣!―受験生と保護者のために』 (2005/3)
- 『美術と市場―日本と中国の美術品交流と変遷からの視点』 (2007/10)
福祉論[編集]
- 『ブラインド(視覚障害者)の皆さん、外へ出てゴルフをしよう!』 (2006/4)
経営論[編集]
- 『絶対成功する経営』 (1995/3)
- 『これがわかれば会社は儲かり続ける』 (1995/7)
- 『超一流のサラリーマン・OLになれる本』 (1998/2)
- 『中小企業の経営の極意』 (1999/6)
- 『本当に儲かる会社にする本』 (1996/9)
- 『ビジネス成功極意』 (1996/10)
- 『経営と未来予知―楠木正成の経営術』 (1998/12)
- 『「日本型」経営で大発展』 (2001/6)
- 『成功経営の秘訣』 (2001/7)
- 『営業力で勝て!企業戦略』 (2001/8)
- 『人づきあいで人を動かす』 (2001/9)
- 『経営者よ気概を持て―成功する実践経営論』 (2005/7)
新書[編集]
- 『運命とは何だ』 (1995/7)
- 『幸せを運ぶ宝石の伝説』 (1995/10)
- 『日本経済大発展の理由』 (1995/12)
- 『深見東州爆笑対談』 (1996/12)
- 『生命の神秘 動物の伝説』 (1997/8)
- 『観葉植物の伝説』 (1998/8)
- 『開運!フラワー・ヒーリング』 (1999/7)
- 『願いがかなう!星座の伝説』 (1999/12)
- 『こんな恋愛論もある』 (2000/6)
- 『自分を変えれば未来が変わる』 (2001/9)
- 『音楽の伝説―火の鳥になる16分前に読む本』 (2002/5)
- 『たちまち晴れるその悩み!』 (2008/10)
- 『パワーストーン付 宝石の伝説』 (2010/12)
- 『ブレスレット付 星座の伝説』 (2011/5)
- 『エンゼルキャッチャー付 天使のお仕事』 (2011/11)
詩集[編集]
- 『神との語らい』 (1996/3)
- 『神との語らい2』 (1996/10)
- 『神との語らい3』 (1997/12)
- 『明日になれば』 - 戸渡阿見 詩集 (2009/3)
- 『ハレー彗星』 - 戸渡阿見 詩集 (2009/4)
- 『泡立つ紅茶』 - 戸渡阿見 詩集 (2009/8)
- 『魔女の目玉』 - 戸渡阿見 詩集 (2011/05)
詩画集[編集]
- 『明日になれば……メルヘン』 - 戸渡阿見 詩画集 (2010/03)
英語詩集[編集]
- 『Conversations with God 1』 Toshu Fukami 名義 (2002/6)
書画集[編集]
画集[編集]
- 『深見東州 日本画の世界』 (1999/8)
- 『深見東州画集』 求龍堂 (2001/3)
- 『TOSHU FUKAMI ART WORKS』 (2002/10)
- 『深見東州の創造』 求龍堂(2004/8)
- 『A CREATION OF TOSHU FUKAMI』文化芸術出版社[注 14] (2004/7)
- 『深見東州 自選画集』(日本図書館協会選定図書)求龍堂 (2010/8)
句集(俳句)[編集]
- 第一句集『かげろふ』 (2000/4)
- ディズニー俳句集『四季』 (2002/3)
- 第二句集『新秋』 (2009/2)
句書画集[編集]
俳句と書と水墨画のコラボレーション著作である。
- 『墨汁の詩―句・書・水墨画集』(水墨画・安永麦州) (2008/7)
写真句集[編集]
写真句集は、写真に合う句を写真家が選び収録したものであり、必ずしも芸術的に優れた句とは限らないが、完成しすぎない句だからこそ、写真のイメージを補って溶け合う作品であるという。
- 『風はグリーンに吹いてきて』 写真:横井隆和 (2002/4)
- 『海はブルーにいきいきと』 写真:横井隆和 (2002/7)
- 『父よ母よ、僕は元気です』 写真:横井隆和 (2003/01)
- 『山はピンクに花もよう』 写真:横井隆和 (2003/5)
- 『冬の山、ホワイトチョコをかけました』 写真:横井隆和 (2004/3)
小説[編集]
ギャグ集[編集]
- 『深見東州のギャグ大爆発!』 (1997/10)
- 『深見東州のウルトラギャグ大爆発!!』 (1999/7)
- 『ポパイの心があたたまるさむい本』 (2001/1)
- 『ベティーの心があたたまるさむい本』 (2001/1)
気学[編集]
- 『ネコにも分かる気学入門』 (2002/3)
- 『誰でもできる気学鑑定』 (2005/2)
- 『図解 イヌでもできる「気学鑑定ノート」』 (2011/12)
謡曲・道歌集[編集]
レシピ集[編集]
写真集[編集]
- 『深見東州フォトグラフ・ライブラリ- 熊野・よみがえる日本の心篇』 (1997/8)
- 『ギャグ写真集』 (1997/12)
- 『深見東州写真集 鹿島灘篇』
- 『演劇 鞍馬天狗』
- 『深見東州演能写真集 幽玄の美』 (1999/6)
- 『華麗なる舞―深見東州バレエ写真集』 (2000/9)
楽譜集[編集]
- 『深見東州ピアノコレクション』 (1997/4)
絵本原作[編集]
- 『雨』絵・ゆめのまこ 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『チーズ』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『てんとう虫』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『わんこそば』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『リンゴとバナナ』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『ある愛のかたち』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/3)
- 『赤ちゃん天使』絵・ゆめのまこ 戸渡阿見 名義 (2008/7)
- 『犬』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/9)
- 『人食い熊』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2008/9)
- 『十二月の詩』絵・ゆめのまこ 戸渡阿見 名義 (2008/12)
- 『黄金伝説 清拭篇』絵・いとうのぶや 戸渡阿見 名義 (2009/3)
英語絵本原作[編集]
- 松本道弘訳『A Christmas Story』絵・ゆめのまこ 戸渡阿見 名義 (2009/11)
コミック監修[編集]
- 『成功の道』 (絵・人見倫平、古城武司) (1995/6)
- 『恋愛・結婚物語―恋が成就できる秘密の本』(絵・RYO、あいざっく蕪殷) (1995/10)
- 『守護霊が動けば運命は変わる』 (絵・望月あきら、ほしのあき) (1996/2)
- 『強運 マンガ版―あなたの運がこれで開ける』(絵・保沢環) (2002/3)
- 『恋の守護霊―マンガ版』(絵・岡映子) (2002/9)
- 『大金運 マンガ版―あなたの成功をリードする』(絵・大森夏) (2002/10)
- 『マンガ版 開運神社案内』(絵・石森章太郎プロ、佐口賢作) (2002/12)
- 『大天運 マンガ版―あなた自身の幸せの呼び方』(絵・玉屋カツキ) (2003/10)
- 『強運 マンガ版〈2〉星のパワーをもらおう』(絵・保沢環) (2004/1)
他
楽曲[編集]
管弦楽曲[編集]
- 交響曲『箱根神社』(1990年10月10日、福村芳一指揮による演奏が初演)
- 室内楽『伊勢神宮 天の岩戸びらき』(1990年12月29日、近衛秀健指揮による演奏が初演)
- 弦楽四重奏『スターライト・イン・パース』(1991年3月30日、自身のヴァイオリンのソロ演奏、「ラ・プレシューズ」による演奏が初演)
- オラトリオ『天地創造 日本誕生』(1991年12月29日、近衛秀健指揮による演奏が初演)
- 『北極星扶桑宮殿の夜』(1992年7月26日、荒谷俊治指揮による演奏が初演)
- 『宇佐八幡マーチ』(1992年7月26日、荒谷俊治指揮による演奏が初演)
- 『鳴門海峡にて』(幻想組曲『光は東方より』より)(1998年7月14日、自身が指揮し、イギリス室内管弦楽団が演奏等)
- 幻想組曲『光は東方より』(『冠島・沓島』、『金華山』、『明石海峡』、『淡路島』、『鳴門海峡にて』)(1998年11月10日の演奏等)
- 『白鴎宮殿』(1998年11月10日、自ら指揮)
- 『光の列車のテーマ』(1998年11月10日、自ら指揮)
- 『とうろう流し』(1998年11月10日、自ら指揮)
- 『銀河を渡ってカシオペアへ』(1998年11月10日、自ら指揮)
- 『帝釈天と四天王』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『楠木正成のバラード』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『幻の大陸ムー』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『せせらぎのセレナーデ』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『火星よ優しくなれ』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『蓮華台上釈迦牟尼世尊』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『ミレニアムの鐘』(2000年3月18日、自ら指揮)
- 『勇者ペルセウス』(2000年3月18日、自ら指揮)
他
オペラ曲[編集]
DVD[編集]
オペラ[編集]
- オペラ「魔笛」ザラストロ役/創作バレエ「顕現」
- オペラ「俊寛」能バレエ「黎明」付祝言「高砂」総監督/平判官入道康頼役/歌・剣舞/仕舞・謡 (1997/3)
- オペラ『聖徳太子』総合プロデューサー/厩戸皇子(聖徳太子)役 (2006/7)
- オペラ『聖徳太子』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- オペラ『元禄のトラヴィアータ』総合プロデューサー/慈兵衛流門(ジェルモン)役 (2006/7)
- オペラ『元禄のトラヴィアータ』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- 新作「『西遊記・孫悟空』能楽とバレエと京劇の共演」唐王・土蜘蛛・[[釈迦役)(2006/7)
- スーパーオペラ『楊貴妃』全中国語上映 総監修/赤雄役(2006/10)
- スーパーオペラ『楊貴妃』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- オペラ『大正時代のボエーム』総合プロデューサー/磨千絵浪(マルチェッロ)役 (2006/7)
- オペラ『大正時代のボエーム』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』総合プロデューサー/日賀朗(フィガロ)役 (2006/1)
- オペラ『雛祭りのフィガロの結婚』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- オペラ『リゴレット in ジャパン』総合プロデューサー/詈業劣徒(リゴレット)役 (2006/12)
- オペラ『リゴレット in ジャパン』(ドキュメンタリー)(2007/7)
- オペラ『大江戸版 好色男のファルスタッフ』総合プロデューサー/春舌夫(ファルスタッフ)役(2009/6)
- オペラ「ゼウスの化身 怪人ドン・ジョヴァンニ」総合プロデューサー/貪・女蛮兄(ドン・ジョヴァンニ)役(2010/3)
- オペラ『ナブッコ・我が愛する地球よ!』総合プロデューサー/名武鼓(ナブッコ)役 (2011/3)
能[編集]
- 『浙江能楽事始』 (2007/7)
- 『砂漠に舞う-エジプト・スフィンクス薪能-』 (2007/7)
- 『東京大薪能』 (2007/7)
- 『南半球へ渡った能舞台』 (2007/7)
- 『アンコールワット薪能』 (2007/7)
- 『第三回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第四回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第五回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第六回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第七回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第八回東京大薪能』 (2007/7)
- 『第九回東京大薪能』 (2007/7)
- 『仕舞・舞囃子・笛 シテ・笛 深見東州』 (2010/7)
- 能「猩々」 (2010/7)
- 能「羽衣」 (2010/7)
- 能「竹生島」 (2010/7)
- 能「西王母」 (2010/7)
- 能「橋弁慶」 (2010/7)
- 能「嵐山」 (2010/7)
- 能「高砂」 (2010/7)
- 半能「養老」 (2010/7)
- 能「藤」 (2010/7)
- 半能「石橋」 (2010/7)
- 能「岩船」 (2010/7)
- 能「乱」 (2010/7)
- 能「土蜘」 (2010/7)
- 半能『石橋 連獅子』 (2010/7)
- 能「翁」 (2010/7)
- 能「鶴亀」 (2010/7)
- 半能「田村」 (2010/7)
- 半能「鞍馬天狗」 (2010/7)
- 半能「項羽」(2010/7)
- 『能解説』~初めて能をご覧になる方へ~ (2010/7)
京劇[編集]
- 『京劇に挑戦した!』 (2007/7)
- 『豪州異文化交流』 (2007/7)
バレエ[編集]
- 『天の安河のうけひ』共演:マイヤ・プリセツカヤ (1999/2)
- オペラ・バレエ『やまとは国のまほろば』ヤマトタケル役(バレエ出演)/神笛演奏 (1999/2)
- 創作 能・バレエ『羽衣』白竜役(能・バレエ出演)
ライブ[編集]
- 『鹿島の神を呼ぶ御歌』 (1999/3)
- 『心ときめく廣田神社奉納演奏』 (2007/9)
- 『2007年箱根神社奉納演奏』 (2008/4)
- 『2007年鹿島神宮奉納演奏』 (2008/4)
- 『光は東方より』 (2009/3)
ロック CG[編集]
- 『GAT MAN(ガット・マン)』(C/W 恋に狂って支離滅裂)作詞・作曲・歌・映像出演 (2012/4)
ビジネス[編集]
- 『強運力開発セミナー』(2011/9)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ ビジネス(1) ビジネスアイディア豊かな若き経営者達』 (2011/4)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ ビジネス(2) 大震災に負けない若き経営者たち』 (2011/4)
- 『サクセス登龍門~夢へ!学ビジョン~ 政治・社会(1) 若者達へメッセージ』 (2011/4)
ほか、講演会やシンポジウムCD179本を、自らが経営するコンサルタント会社会員限定で頒布している。
作曲・指揮・総監督[編集]
- 『七福神ウィーンを巡る』(1994)
- 『中東和平コンサート』(1996)
- 『交響曲 箱根神社』 (1999/12)
ドキュメンタリー[編集]
- 『カンボジアに夢を育む-ある日本人福祉活動家の姿を追って-』(2007/7)
- 『カンボジア再建のために』 (2007/7)
- 『蘇れ!カンボジア』 (2007/7)
- 『翔べ!世界のステージへ』 (2007/7)
- 『ブラインドゴルフ・ジャパンオープン・チャンピオンシップ2004』 (2007/7)
- 『ハンディーはゼロ-ブラインドゴルファー女子シニアに出会う-』 (2007/7)
- 『ふれあいのグリーン』 (2007/7)
ギャグ[編集]
- 『ギャグ333連発』
- 『ギャグ666連発』
- 『ギャグ888連発』
- 『深見東州のオペラ漫談』 (2001/10)
CD[編集]
アルバム[編集]
- 『心の旅』 (2001/3)
- 『深見東州アンソロジー1 永遠の旅人』 (2006/8)
- 『深見東州アンソロジー2 いでよ!鹿島の神』 (2006/8)
- 『深見東州 奇跡の即興歌集1』 (2006/9)
- 『深見東州 奇跡の即興歌集2』 (2006/9)
- 『ダニーボーイ』 (2007/5)
- 『涙そうそう』 (2007/5)
- 『心ときめく廣田神社奉納演奏』 (2007/9)
- 『深見東州のクリスマスソング集』 (2007/12)
- 『アメリカンポップス&JPOPS・ライブ名曲集』 (2008/6)
- 『雨の中のバラード』詞・曲・唄・表紙絵 (2008/12)
- 『深見東州クラシックベストセレクション』(旧タイトル:オー・ソレ・ミオ)バリトン (2008/12)
- 『日本の歌』日本歌曲集 唄・絵・題字 (2009/6)
- 『日本の心』日本歌曲集 唄・絵・題字 (2009/6)
- 『TOSHU FUKAMI sings GOLDEN POPS』ライブ盤 (2010/12)
- 『Toshu Fukami クリスマス計画』唄・作詞・作曲(2011/11)
- 『男らしい歌で元気になる!』-ルパン三世のテーマ、Go the Distance、What a Wonderful World (2012/12)
- 『TOSHU FUKAMI sings ゴールデン演歌』ライブ盤 (2013/1)
- 『TOSHU FUKAMI sings ゴールデンアニメ&主題歌』ライブ盤 (2014/3)
シングル[編集]
- 『福岡帰行』
- 『こころ』
- 『仙台の女性』
- 『福岡の女性』
- 『札幌の女性』
- 『松山の女性』
- 『千の風になって―ベートーヴェン交響曲第9番』 (2007/7)
- 『千の風になって―霧の摩周湖/卒業写真/赤いスイートピー』 (2007/7)
- 『君のいないメリークリスマス C/Wメタボの雀』表紙絵・作詞・作曲・歌 (2009/12)
- 『シンドバッド C/Wメスの狼』表紙絵・作詞・作曲・歌 (2010/6)
- 『南極のペンギンとアザラシ!』表紙絵・作詞・作曲・歌 (2013/12)
他
作曲(管弦楽曲・器楽曲)[編集]
- 『組曲 大宇宙』
- 『天地創造 日本誕生』
- 『天の岩戸びらき』
- 『交響曲 箱根神社』
- 『大九頭龍』
- デイヴィッド・ヘルフゴット演奏『ヘルフゴット ライブイン・ジャパン91』 (1997/3)
- デイヴィッド・ヘルフゴット演奏『アンドロメダ・ファンタジア』 (1997/4)
- デイヴィッド・ヘルフゴット演奏『ヘルフゴットピアノ小品集』 (1997/4)
- 美野春樹 演奏『星のピアノコンサート』(1997)
- 美野春樹 演奏『ミュージカルを見に行こう』(1997/6)
- 美野春樹 演奏『テムズ川よりウィンザー城へ』(1997/6)
- 美野春樹 演奏『マンハッタン・ラプソディ』(1997/6)
- 三戸泰雄弦楽四重奏団演奏『スターライト・イン・パース』(1997/8)
- 『天雅の旋律1 銀河のドラマが今始まる』 (1997/8)
- 『天雅の旋律2 十大惑星のテーマ』 (1997/8)
- 『深見東州マーチ集』編曲:近衛秀健、和田薫 (2000/1)
- 西オーストラリアシンフォニーオーケストラ演奏『Mon Ami』 (2003/2)
- 美野春樹 演奏『日本の情景』(2003/2)
- 美野春樹 演奏『ヨーロッパの情景』(2003/2)
- 『ときめきは聖く』作曲 (2003/2)
- 『天雅の旋律3 アンドロメダ星雲とM32』 (2003/6)
- 『天雅の旋律4 オシリスとピラミッド』 (2003/6)
- 『天雅の旋律5 海辺の強烈サンバ』 (2003/6)
- 『天雅の旋律6 アンデスの恋』 (2003/6)
- 『2003年鹿島灘 花火大会の想い出』 (2003/6)
- 『天雅の旋律7 ストーンヘンジより北極星を仰ぐ』 (2003/10)
- 『天雅の旋律8 バンザイ蒸気機関車がやってきた』 (2003/12)
- 『2004年鹿島灘 花火大会の想い出』 (2004/6)
- 『華展のテーマ』 (2004/6)
- 『世界遺産の素晴らしさ』 (2005/7)
- 『天雅の旋律9 エジプト王朝は我が胸に永遠にあり』 (2004/6)
- 『天雅の旋律10 白山に登れば雨もまた楽しき』 (2004/6)
- 『天雅の旋律11 組曲 ゼウス』 (2004/6)
- 『天雅の旋律12 銀河の宇宙に集まろう』 (2004/8)
- 『深見東州ダンスナンバーコレクション』 (2004/8)
- 『天雅の旋律13 御殿場オリンピックと花の妖精』 (2005/2)
- 『天雅の旋律14 琉球の女王』 (2005/2)
- 『宇宙開闢ビッグバン花火神事の想い出』 (2005/7)
- 『天雅の旋律15 我ら人類の住む渦巻銀河』 (2005/8)
- 『天雅の旋律16 君に捧げる盛り花、生け花、ベルサイユのバラ』 (2005/12)
- 『天雅の旋律17 ミレニアムの鐘』 (2006/9)
- 『天雅の旋律18 愛と青春の血糖値974』 (2006/12)
- 『交響曲 箱根神社』指揮も担当 (2006/12)
- 『天雅の旋律19 獅子座レグルス』 (2007/10)
- 『MAKKOU』 (2008/3)
ライブ[編集]
- オラトリオ『七福神来天』 (2006/10)
- 『交響曲第9番二短調 op. 125』合唱付 (2006/12)
- 『オンブラ・マイ・フ』 (2007/4)
- 『神よ聞きたまえ』 (2007/4)
- 『カタリ・カタリ』 (2007/4)
- 『夕星の歌』 (2007/4)
- 『ヴォルガの舟歌』 (2007/4)
- 『夕星の歌』 (2007/4)
- 『Time to say goodbye』 (2007/4)
- 『Messiah』 (2007/4)
- 『美女と野獣』 (2007/4)
- 『プロヴァンスの海と陸』 (2007/4)
- 『深見東州クラシックベストセレクション!』 (2008/12)
演奏[編集]
- 『神笛』 (1997/11)
- 『神太鼓』 (1997/11)
- 『口笛メロディー』 (1998/1)
朗読[編集]
- 『十二月の詩』 (2010/12)
脚注[編集]
- ^ a b RNIBの活動に大きな貢献をした者が就任する役職であり、2014年現在は16人が就任している。
- ^ 任天(にんでん)の導師とは、天がその人にすべてをまかす人間界、天上界ふたつながらの指導者という意味(大原一浩 1992, p. 73)。
- ^ 清の漢字を、一般的に間違いやすい静と表記し、あたかも間違った作品であるかのように見えるが、ギャグとして、故意に別の字をあてたギャグ書である。
- ^ 生涯に一度と思われるほど、おいしい苺に出会った感動を表現したギャグ作品
- ^ 公共図書館や学校図書館に図書情報を提供することを目的として、公益社団法人日本図書館協会が毎年選定する。
- ^ 2005年11月受賞。オーストラリアでの音楽への貢献、および芸術促進への貢献」(For services to Music and For services to the promotion of the Arts in Australia) により、ジョーン・サザーランドから直接授与。
- ^ 2006年8月受賞
- ^ 米国、英国、豪州、カナダ、日本など、世界15カ国17地域のブラインドゴルフ協会が加盟。
- ^ 身体の不自由な人の福祉に対するチャリティー大会
- ^ 日米初のシニアの共催大会
- ^ この第1回大会優勝者に森田理香子がいる。他、薗田峻輔も出場した。以降、藤本麻子、森桜子等が出場している
- ^ 65歳以上男子で争うゴルフトーナメント
- ^ 日本代表は初出場の石川遼と3度目の出場となる谷原秀人。
- ^ 中国の出版社
出典[編集]
- ^ a b c d 井上順孝 et al. 1996, pp. 323–324.
- ^ a b “武蔵野音楽大学特修科声楽専攻卒業”. Toshu Fukami. 2014年2月10日閲覧。
- ^ 「MA」表記は深見東州公式サイトのプロフィールに基づく。
- ^ a b “西オーストラリア州立 エディス・コーエン大学芸術学部大学院修了”. Toshu Fukami. 2014年2月10日閲覧。
- ^ a b c “学術活動”. 半田晴久公式ホームページ. 2013年12月21日閲覧。
- ^ a b “駐日外国公館リスト アジア”. 外務省. 2013年11月4日閲覧。
- ^ a b c d e f “福祉、教育、スポーツ、学術、芸術などの公益活動”. ワールドメイト. 2013年12月26日閲覧。
- ^ a b c “シドニー湾に浮かぶ「蝶々夫人」”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2014年4月14日). オリジナルの2014年4月17日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b “深見東州氏「こてんこてんの個展」開く ユニークな作品ズラリ 会場にビッグな「衝撃波」”. 日中新聞 (日中新聞社). (2008年4月22日)
- ^ a b c d e f g h i 「深見東州の深奥の世界とは? 第1回芸術の脈絡に誘い込む? 深見東州の活動奇跡 美術、書、演劇、オペラ、小説、詩etc.…」『ギャラリー』第325号、ギャラリーステーション、2012年、94-97頁。
- ^ a b c d e “「世界オピニオンリーダーズサミット」で熱き議論”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社). (2013年11月18日)
- ^ a b c d e “Olympics-Father of blind golf pushing for Paralympic place”. REUTERS (2012年6月29日). 2014年3月27日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i “6 Honorary Degrees to Be Awarded at Commencement”. THE JUILLIARD SCHOOL (2009年5月). 2014年2月19日閲覧。
- ^ a b “クリントン元米大統領来日 半田晴久WSD総裁と世界平和日米関係語り合った”. 東京スポーツ (東京スポーツ新聞社). (2013年11月19日)
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- 半田晴久『ブラインドの皆さん、外に出てゴルフをしよう!』たちばな出版、2006年。