勝利まで
勝利まで | |
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Jusqu'à la victoire (Méthodes de pensée et de travail de la révolution palestinienne) | |
PFLPの兵士、1969年 | |
監督 |
ジガ・ヴェルトフ集団 (ジャン=リュック・ゴダール ジャン=ピエール・ゴラン) |
脚本 |
ジガ・ヴェルトフ集団 (ジャン=リュック・ゴダール ジャン=ピエール・ゴラン) |
製作 |
ジガ・ヴェルトフ集団 アラブ連盟 |
出演者 | パレスチナ解放機構 |
撮影 | アルマン・マルコ |
配給 | - |
公開 | - |
製作国 | フランス |
言語 |
アラビア語 フランス語 |
『勝利まで』(原題:Jusqu'à la victoire (Méthodes de pensée et de travail de la révolution palestinienne)、「勝利まで (パレスティナ革命の思考と労働の諸方法)」の意)は、映画監督ジャン=リュック・ゴダールとジャン=ピエール・ゴランが「ジガ・ヴェルトフ集団」の名のもとに匿名で、1970年(昭和45年)に撮影し、完成しなかったフランスのドキュメンタリー・フィルムである。
概要
[編集]1970年(昭和45年)2月、『イタリアにおける闘争』の撮影を終了した「ジガ・ヴェルトフ集団」ことゴダールとゴラン、そして同集団に設立から参加しているカメラマンのアルマン・マルコらは、ヨルダンとパレスチナへ飛んだ[1]。フィルムは、1968年(昭和43年)に発売され1977年(昭和52年)3月に製造中止した[2]カラーネガティヴフィルム「コダック7254」を使用した[1]。
本作製作に際して、「ジガ・ヴェルトフ集団」は、アラブ連盟から6,000米ドル(当時のレートで200万円)の製作費を得ている[1]。最初の場面を撮ったすぐ後にパレスチナ解放機構のメンバーたちが殺されてしまい、意図するようには撮影を完遂することはできなかった[3]。
同年4月には撮影を終え、帰国した[1]。「ジガ・ヴェルトフ集団」の次作『ウラジミールとローザ』の撮影に入り、同年9月までにはその撮影を終えている[1]。同月6日に、パレスチナ解放機構(PLO)の下部組織・パレスチナ解放人民戦線(PFLP)が「PFLP旅客機同時ハイジャック事件」を起こし、それを引き金としてヨルダン内戦が勃発している。『勝利まで』の編集は行なわれなかった。
同作の撮影済みフィルム断片は、「ジガ・ヴェルトフ集団」解散後の1974年(昭和49年)に、ゴダールとアンヌ=マリー・ミエヴィルが共同監督した『ヒア & ゼア こことよそ』のアーカイヴ・フッテージとして使用され、『勝利まで』は再利用された形で日の目を見ることになる。
スタッフ・キャスト
[編集]- 監督・脚本 : ジガ・ヴェルトフ集団(ジャン=リュック・ゴダール、ジャン=ピエール・ゴラン)
- 撮影監督 : アルマン・マルコ
- 出演 : パレスチナ解放機構ほか
- 製作 : ジガ・ヴェルトフ集団、アラブ連盟
関連事項
[編集]- ジャン=リュック・ゴダール監督作品一覧
- en:List of motion picture film stocks#Fine Grain color negative films (1950–1964)
註
[編集]- ^ a b c d e Jean-Luc Godard: Documents, éditeur : Centre Georges Pompidou, Paris, 2006., p.132-133
- ^ コダック株式会社公式サイト内の記事「コダック映画用フィルムの変遷 - 1960-1979」の記述を参照。
- ^ Jane de Almeida, Opening cans of Campbell's soup, in Dziga Vertov Group book. ISBN 8598100056