常光寺 (藤沢市)
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常光寺 | |
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所在地 | 神奈川県藤沢市本町四丁目5番21号 |
位置 | 北緯35度20分48.9秒 東経139度28分53.2秒 / 北緯35.346917度 東経139.481444度座標: 北緯35度20分48.9秒 東経139度28分53.2秒 / 北緯35.346917度 東経139.481444度 |
山号 | 八王山 |
院号 |
攝取院 無量院 |
宗旨 | 浄土宗 |
本尊 | 阿弥陀三尊 |
創建年 | 元亀3年(1572年) |
開山 | 明蓮社光誉(西隠) |
中興年 | 享保年間(1716年 – 1736年) |
中興 | 遵冏 |
正式名 | 八王山攝取院常光寺 |
札所等 | 藤沢七福神、福禄寿 |
法人番号 | 8021005000182 |
常光寺(じょうこうじ)は、神奈川県藤沢市本町四丁目[1]にある浄土宗の寺院。山号は、八王山。正式名は「八王山 摂取院 常光寺」[注釈 1]。鎌倉光明寺の末寺だった[2]。
本尊
[編集]本尊は阿弥陀三尊立像で、中尊阿弥陀如来は像高99センチメートル、全高204センチメートル、印相は上品下生の来迎印を結んでいる。南北朝頃の作でもとは鎌倉扇ヶ谷阿弥陀堂奉安仏の阿弥陀如来[注釈 2]。両脇侍は後世(江戸時代頃)の作[4]。
歴史
[編集]- 元亀3年(1572年) - 光明寺二十七世の明蓮社光誉(西隠)が創立。
- 享保年間(1716年 - 1736年) - 遵冏が中興再建。
- 明治5年(1872年)に藤沢駅邏卒屯所(警察署)が一時期、設置された。
文化財
[編集]- 藤沢市指定彫刻
- 藤沢市指定有形民俗文化財
- 藤沢市指定天然記念物
著名人の墓
[編集]所在地情報
[編集]- 所在地
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- 神奈川県藤沢市本町四丁目5番21号
その他
[編集]- 弁慶塚 - 武蔵坊弁慶の首塚跡と伝わる寺の裏にある塚(北緯35度20分48.3秒 東経139度28分52.5秒 / 北緯35.346750度 東経139.481250度)。首塚は新編相模国風土記稿が成立した頃には廃絶しており、その頃は白旗神社の社領で、八王子権現が祀られていた[2]。
- 亀女の墓 - 美人で藤沢の阿亀(おかめ)と麦搗唄にも唄われたほどの娘がいたが短命で、17歳の時に百日咳で亡くなった。石碑には地蔵の立像が彫られ、寛文五年乙の巳九月十五日とある。咳に苦しむものが祈願に訪れたという[10]。
- 藤沢七福神 - 福禄寿
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弁慶塚
脚注
[編集]注釈
出典
- ^ (高座郡藤沢宿坂戸町、藤沢町西坂戸)
- ^ a b 新編相模国風土記稿 第3巻273p
- ^ 『新編相模国風土記稿. 第3輯 大住・愛甲・高座郡』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 間宮士信 等編 、鳥跡蟹行社、明治17-21年、430コマ。
- ^ 『藤沢の文化財-仏像を訪ねて-』1997年。10頁。
- ^ a b c d e “指定文化財目録”. 藤沢市. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “神奈川)常光寺の地蔵菩薩、修復終わり公開 藤沢”. 朝日新聞デジタル. 2019年10月20日閲覧。
- ^ “議案第34号藤沢市指定重要文化財の指定について次の歴史資料を藤沢市指定重要文化財に指定する2016年(平成28年)1月13日提出” (PDF). 藤沢市. 2019年10月20日閲覧。
- ^ 『藤沢の文化財-仏像を訪ねて-』1997年。11頁。
- ^ “「かながわ名木100選」029番”. 一般社団法人 日本樹木医会 神奈川支部(かながわ樹木医会). 2015年11月21日閲覧。
- ^ 小川泰二『我がすむ里』。
参考文献
[編集]- 小川泰二『我がすむ里』文政13年(1830年)。(藤沢市文書館編 『藤沢市史料集』第2集所収)
- 『新編相模国風土記稿. 第3輯 大住・愛甲・高座郡』 - 国立国会図書館デジタルコレクション 間宮士信 等編 、鳥跡蟹行社、明治17-21年、430コマ。
- 蘆田伊人編 『大日本地誌大系15 新編相模国風土記稿第3巻』 雄山閣 1962年9月。
- 児玉幸多 編『藤沢-わがまちのあゆみ-』(増補版)藤沢市文書館、1984年10月1日。303頁。
- 藤沢市教育委員会 編『藤沢の文化財-仏像を訪ねて-』藤沢市教育委員会、1997年3月。