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「FNNスーパータイム」の版間の差分

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{{redirect|スーパータイム}}
'''FNNスーパータイム'''は、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]で1984年10月から1997年3月までにかけて放送されていた夕方のニュースワイド番組。(週末版は、1985年4月からスタート。地域によっては別タイトルで放送。)
{{出典の明記|date=2023年5月}}
番組で使われる音楽は[[たかしまあきひこ]]が担当した(オープニング曲 ・ アタック音やCM前のジングル等は1993年3月まで変わる事無く使用。テロップ、ヘッドラインBGM等は1994年10月に大幅変更)。番組のタイトルロゴも、色こそ変化したものの、『[[NNNニュースプラス1]]』([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])や、『[[JNNニュースの森]]』([[東京放送|TBS]])のように、ロゴ自体が変化することは最後まで無かった。
{{TVWATCH}}
{{基礎情報 テレビ番組
| 番組名 = FNNスーパータイム<br /><small>FNN Super Time</small>
| 画像 =
| 画像説明 =
|前作 = [[FNNニュースレポート6:00]]<br />(月-金曜版)<br />[[FNNニュースレポート5:30]]<br />(土日版)
|次作 = [[FNNニュース555 ザ・ヒューマン]]<br />(月-金曜版)<br />[[FNNニュース ザ・ヒューマン]]<br />(土日版)
| ジャンル = [[報道番組]]
| 放送国 = {{JPN}}
| 制作局 = [[フジテレビジョン]]([[フジニュースネットワーク|FNN]])
| プロデューサー = [[澤雄二]]<br />村上孝麿
| 音声=[[モノラル放送]]
| OPテーマ=作曲:[[たかしまあきひこ]]
| EDテーマ=同上
| 番組名1=月-金曜版
| 放送時間1=月-金曜 18:00 - 19:00
| 放送分1=60
| 放送枠1=[[フジテレビ系列夕方ニュース枠]]
| 放送期間1=[[1984年]][[10月1日]] - [[1997年]][[3月28日]]
| 放送回数1=
| 出演者1=「[[#歴代出演者|歴代出演者]]」を参照
| 番組名2=土日版
| 放送時間2=【土曜】18:00 - 18:30<br />【日曜】17:30 - 18:00
| 放送分2=共に30
| 放送枠2=フジテレビ系列夕方ニュース枠
| 放送期間2=[[1985年]][[4月6日]] - 1997年[[3月30日]]
| 放送回数2=
| 出演者2=「[[#歴代出演者|歴代出演者]]」を参照
|特記事項=ネット局により番組タイトルが異なる時期があった(詳細は当該項目を参照)。<br />放送回数:全曜日合わせて全4497回
}}
『'''FNN スーパータイム'''』とは、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系列([[フジニュースネットワーク|FNN]])で[[1984年]]([[昭和]]59年)[[10月1日]]から[[1997年]]([[平成]]9年)[[3月30日]](月 - 金曜版は1984年10月1日から1997年3月28日、土日版は1985年4月6日から1997年3月30日まで)にかけて放送されていた夕方の[[報道番組]]である。略称および番組タイトルコールは「'''スーパータイム'''」。


== 概要 ==
それまでの全国ニュースとローカルニュースを統合(全国ニュースを18.00からにしたのは『[[FNNニュースレポート6:00|FNNニュースレポート600]]』が最初)、全国ニュースで初めてキャスターが立ってニュースを伝えるというフォーマットをとる。
前番組『'''[[FNNニュースレポート6:00]]'''』と『'''[[FNNニュースレポート6:30]]'''』を統合した民放初の1時間枠のニュース番組(実際は「あすの天気」が別枠扱いのため55分)。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』等のロゴを手がけた山形憲一、音楽は『[[クイズダービー]]』等を手がけた[[たかしまあきひこ]]が担当。夕方のニュースにおいて、あえて「ニュース」という言葉を外し、『スーパータイム』と銘打った{{Sfn|嶌|1995|p=294}}。この番組の成功により[[1980年代]]後半以降、他の時間枠でも「ニュース」の冠を入れない番組が登場し、柔軟性を活かした報道番組の草分け的存在であった。


この『スーパータイム』の出現で、6時のニュース帯は、激戦区となって行く。3パーセントから4パーセントだったフジテレビの視聴率が、やがて2桁を取り始めたからだ{{Sfn|嶌|1995|p=294}}。そんなとき、[[1985年]](昭和60年)8月12日の[[日本航空123便墜落事故]]で、フジテレビの取材クルーはこの大惨事の中で生存者がいることを伝え、救出作戦を[[生中継]]するという大スクープを演じ{{Sfn|境|2020|p=94}}、テレビ界初の[[日本新聞協会賞]](編集部門)を受賞した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.dailyshincho.jp/article/2022/08120601/?all=1|author=高堀冬彦|title=御巣鷹山「日航機事故」から37年 なぜフジテレビは生存者4人の救出劇を独占生中継できたのか|publisher=デイリー新潮|date=2022-08-12|accessdate=2023-05-27}}</ref>。以後、フジの報道イメージは上がり、スーパータイムは[[TBSテレビ|TBS]]の『[[JNNニュースコープ]]』を追い抜き{{Sfn|嶌|1995|p=190}}、トップに躍り出るようになり{{Sfn|嶌|1995|p=294}}、番組は出演者やスタッフを替えながら、月-金曜版は12年間半、土日版は12年間、それぞれ続いた。
わかりやすさを重視した構成、視聴者の視線に沿った特集、親しみやすい演出などで多くの視聴者の心を掴み、夕方ニュース戦争のきっかけとなった。また、1985年4月にスタートされた『[[夕焼けニャンニャン]]』(17時台)のエンディングで、初代キャスターの故[[逸見政孝]](当時フジテレビアナウンサー)が、その日のニュース項目を伝えるコーナーがあり、視聴者が引き続きスーパータイムに流れるようになった事も追い風となり、結果として同時間帯にあった『[[JNNニュースコープ]]』([[東京放送|TBS]])や、『[[ANNニュースレーダー]]』([[テレビ朝日]])などを追い越し、長期に渡り夕方ニュースの視聴率トップの座を独占した。


== 歴代出演者 ==
放送期間中に『[[日航機墜落事故]]』、『[[リクルート事件]]』、『[[逸見政孝]]の死』、『[[阪神・淡路大震災|阪神 ・ 淡路大震災]]』、『[[オウム真理教]]』の関連事件などTV報道に変化をもたらす出来事も多かったが、1997年3月28日、('''放送回数 : 4495回'''、'''伝えたニュースの数 : 約6万''')をもって、惜しまれつつ放送終了。同年3月31日から、『[[FNNニュース555 ザ・ヒューマン]]』に受け継がれる。(ちなみに週末の放送も含めると、厳密には3月30日が最終回。)スーパータイムとこの後番組は全く別の位置づけながら、花束贈呈などによるキャスターの引継ぎが行われている。
{| class="wikitable" style="white-space:nowrap; text-align:center; font-size:smaller;"
|+『FNN スーパータイム』出演者の変遷
|-
!colspan=2 rowspan=3|期間!!colspan="5"|メインキャスター!!rowspan=2 colspan="3"|スポーツ!!colspan=2 rowspan=2|天気
|-
!colspan=2|男性!!colspan=3|女性
|-
!平日!!週末!!月 - 木曜日!!金曜日!!週末!!月 - 水曜日!!木・金曜日!!週末!!平日!!週末
|-
|1984年10月{{0}}1日||1985年{{0}}3月29日
|rowspan="8"|[[逸見政孝]]<ref name="1980sfujitv">{{Cite book|和書|editor=フジテレビ調査部|title=楽しくなければテレビじゃない : 80年代フジテレビの冒険|publisher=フジテレビ出版|date=1986-11-13|pages=109|id={{NDLJP|12276856/60}}}}</ref><sup>1・2・3</sup>||style="background:#EEE"|([[FNNニュースレポート5:30|放送なし]])||colspan="2" rowspan="4"|[[幸田シャーミン]]<ref name="1980sfujitv"/><sup>4</sup>||style="background:#EEE"|(放送なし)||[[河村保彦]]<ref name="1980sfujitv"/><sup>1</sup>||[[江本孟紀]]||style="background:#EEE"|(放送なし)||rowspan="13" style="background:#EEE"|(下記参照)||style="background:#EEE"|(放送なし)
|-
|1985年{{0}}4月{{0}}1日||1986年{{0}}3月30日
|rowspan="2"|[[陣内誠]]<sup>5</sup>||rowspan="4"|[[城ヶ崎祐子]]||rowspan="13"|[[長田渚左]]||rowspan="13"|[[森末慎二]]<sup>6</sup>||[[川端健嗣]]<sup>7</sup>||rowspan="14" style="background:#EEE"|(メインが兼務)
|-
|1986年{{0}}3月31日||1986年{{0}}9月28日
|rowspan="2"|[[三宅正治]]
|-
|1986年{{0}}9月29日||1987年{{0}}3月29日
|rowspan="2"|[[山中秀樹]]<sup>5</sup>
|-
|1987年{{0}}3月30日||1987年{{0}}9月27日
|rowspan="2"|幸田シャーミン<sup>4</sup>||[[野間脩平]]<sup>7</sup>||[[永麻理]]<sup>8</sup>
|-
|1987年{{0}}9月28日||1988年{{0}}3月31日
|野間脩平<sup>7</sup>||colspan="2"|[[安藤優子]]||[[笠井信輔]]
|-
|1988年{{0}}4月1日||1988年{{0}}7月10日
|rowspan="5"|[[黒岩祐治]]||colspan="2" rowspan="8"|安藤優子<sup>3・4</sup>||rowspan="4"|[[小田多恵子]]||[[筒井櫻子]]
|-
|1988年{{0}}7月11日||1989年{{0}}4月{{0}}2日
|[[塩原恒夫]]
|-
|1989年{{0}}4月{{0}}3日||1989年{{0}}9月30日
|rowspan="3"|[[上田昭夫]]<sup>3</sup>||[[有賀さつき]]
|-
|1989年10月{{0}}1日||1990年{{0}}9月30日
|rowspan="2"|[[木幡美子]]
|-
|1990年10月{{0}}1日||1991年{{0}}3月31日
|rowspan="2"|[[田代尚子]]
|-
|1991年{{0}}4月{{0}}1日||1992年{{0}}3月31日
|黒岩祐治<sup>3</sup>||[[小林穂波]]||[[松井みどり]]
|-
|1992年{{0}}4月{{0}}1日||1993年{{0}}9月26日
|rowspan="7"|[[露木茂]]<sup>9</sup>||rowspan="7"|山中秀樹<sup>10・13</sup>||[[吉崎典子|大林典子]]<sup>11</sup>||[[大坪千夏]]
|-
|1993年{{0}}9月27日||1994年{{0}}3月31日
|rowspan="6"|[[近藤サト]]<sup>13</sup>||rowspan="5"|[[佐藤里佳]]<sup>12・13・14</sup>||rowspan="2"|[[岩谷忠幸]]
|-
|1994年{{0}}4月{{0}}1日||1994年{{0}}9月30日
|colspan="2" rowspan="5"|[[松山香織]]<sup>4</sup>||rowspan="2" colspan=2|上田昭夫<br/>[[中井美穂]]
|-
|1994年10月{{0}}1日||1995年10月{{0}}1日
|rowspan="2"|山形斉子||rowspan="4"|岩谷忠幸<sup>15</sup>
|-
|1995年10月{{0}}2日||1995年12月{{0}}3日
|rowspan="3" colspan=2|上田昭夫<br/>[[八木沼純子]]<sup>16</sup>
|-
|1995年12月{{0}}4日||1996年{{0}}3月31日
|rowspan="2"|[[濱田典子]]
|-
|1996年{{0}}4月{{0}}1日||1997年{{0}}3月30日
|[[菊間千乃]]
|-
| colspan="14" style="text-align:left;"|
* <sup>1</sup> 『[[FNNニュースレポート6:00]]』から続投。
* <sup>2</sup> 1985年4月 - 1987年8月『[[夕やけニャンニャン]]』の本番組ニュース告知コーナーを兼務。
* <sup>3</sup> スポーツコーナーのパートナーキャスターを担当(逸見は1985年4月1日から、安藤は1992年4月1日から)。
* <sup>4</sup> タイトルコールも担当(安藤は1988年4月1日から)。
* <sup>5</sup> 『[[FNNニュース・明日の天気]]』『[[FNNニュースレポート23:30]]』(陣内は1986年3月まで、山中は2番組とも、[[永島信道]]の代役として、1987年1月3日・4日のみ)を兼務。
* <sup>6</sup> 1990年7月 - 同年9月『[[アンテナホット7]]』(金曜日のみ)1991年9月30日 - 1993年4月2日 [[フジテレビ系列平日昼前の情報番組枠|10時台の情報番組]](詳細は各番組のページを参照)を兼務。
* <sup>7</sup> 『[[3時のあなた]]』(川端は木・金曜日担当、野間は月・火曜日担当として)を兼務。
* <sup>8</sup> 『美味しんぼ倶楽部』を兼務。
* <sup>9</sup> 1995年10月から『[[ビッグトゥデイ|ビッグ・トゥデイ]]』のニュースコーナーを兼務。
* <sup>10</sup> 1993年3月まで 木曜から土曜日の『[[FNNスピーク]]』(同年4月 - 1995年3月 土曜日のみ)木・金曜日午後および日曜日昼の『[[産経テレニュースFNN]]』をそれぞれ兼務。
* <sup>11</sup> 吉崎典子の当時の姓。
* <sup>12</sup> 『[[夕食ばんざい]]』を兼務。
* <sup>13</sup> 1994年10月 - 1995年9月『[[FNNニュース2:00]]』を交替制として担当。
* <sup>14</sup> 1995年1月 - 同年3月『[[スポーツWAVE]]』のニュースコーナーを兼務。
* <sup>15</sup> 週末の『[[FNNニュース555 ザ・ヒューマン|FNNニュース ザ・ヒューマン]]』→『[[FNNスーパーニュースWEEKEND|FNNスーパーニュース]]』も続投。
* <sup>16</sup> 平日の『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』→『[[FNNスーパーニュース]]』も続投。
|}
* 前述の月 - 金曜日お天気コーナーはフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、[[気象予報士]]の資格を持っていたため、「気象予報士」の肩書きで出演。


=== 『FNSの日』放送時の特別キャスター ===
後にフリーとなり名司会者として名を馳せた逸見をはじめ、人気女性キャスターの[[安藤優子]]、救急救命士法成立のきっかけを作った[[黒岩祐治]]、[[日航機墜落事故]]の報道で表彰された[[露木茂]]、ルワンダの難民キャンプを取材し著名なジャーナリストに成長した[[松山香織]]などもこの番組を担当していた。特にこの番組にとって逸見の存在は大きく、彼の葬儀の日にはスタジオに遺影が掲げられ、アナウンサー時代の先輩で、共にフジテレビの看板アナウンサーを務めてきた露木が悲痛な面持ちで訃報を伝え、かつて逸見とコンビを組んだ安藤が出棺の模様をレポート。スタジオで号泣した。
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
!期間!!メイン司会!!パートナー司会!!スポーツ!!天気!!中継
|-
|1987年
|rowspan="3"|タモリ<sup>1・2</sup>||逸見政孝||なし||福井敏雄<sup>1</sup><br />長野智子||畑正憲
|-
|1988年
|rowspan="2"|露木茂<sup>2</sup>||笑福亭鶴瓶<sup>3</sup><br />塩原恒夫||rowspan="2"|福井敏雄<sup>2</sup>||黒岩祐治
|-
|1989年
|[[明石家さんま]]<sup>3</sup><br />中井美穂<sup>3</sup>||[[横山隆晴]]<br />黒岩祐治<br />西村洋子
|-
|1990年
|黒岩祐治||小田多恵子||木幡美子||太平シロー<sup>4</sup><br />八木亜希子<sup>4</sup>||なし
|-
|1991年
|[[武田鉄矢]]||露木茂<sup>4</sup>||colspan="2"|なし||須田哲夫
|-
|1992年
|逸見政孝<sup>4</sup><br />[[岡本夏生]]<sup>4</sup>||なし||colspan="2"|木幡美子||なし
|-
|1993年
|[[辰巳琢郎]]<br />[[奥山佳恵]]||安藤優子||colspan="3" rowspan="3" style="background:#EEE"|(不明)
|-
|1994年<sup>5</sup>
|露木茂||安藤優子<br />[[大塚範一]]
|-
|1996年
|[[ラサール石井]]||松山香織
|-
| colspan="6" style="text-align:left;"|
* <sup>1</sup> 『[[FNNニュース工場|タモリのニュースファクトリー]]』も担当。
* <sup>2</sup> 『[[FNN DATE LINE|DATE LINE DX]]』も担当。
* <sup>3</sup> 『[[プロ野球ニュース|プロ野球ニュース DX]]』も担当。
* <sup>4</sup> 『[[FNN NEWSCOM|FNN NEWSCOM SPECIAL]]』も担当。
* <sup>5</sup> タイトル名は「'''オールキャスターニュース'''」。
|}


== 放送時間 ==
2004年、この番組の立ち上げプロデューサーだった[[沢雄二]]が[[参議院議員]][[選挙]]に[[公明党]]から立候補。当選を飾った。
月-金曜版、土日版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。以下、[[日本標準時|日本時間(JST)]]で表記。
{| class="wikitable" style="text-align:center;"
|-
!colspan="2"|月 - 金曜日!!colspan="2"|土曜日!!colspan="2"|日曜日
|-
!全編!!全国枠!!全編!!全国枠!!全編!!全国枠
|-
|18:00 - 19:00<br />(60分)||18:00 - 18:20<br />(20分)<br />(後に18:25まで)||18:00 - 18:30<br />(30分)||18:00 - 18:20<br />(20分)||17:30 - 18:00<br />(30分)||17:30 - 17:50<br />(20分)
|-
|}
年末年始も休止せず通常の出演者・体裁で放送されたが、月-金曜版については日によって18:30までの短縮版で放送される場合もあった(主に正月三が日や『[[FNS番組対抗NG大賞|FNS番組対抗NG名珍場面大賞]]年末スペシャル』が放送される日が該当){{Efn|その場合、全国ニュースの部分は通常の流れで進行したが、関東ローカルパートはニュース数本と天気予報を伝えるのみで終わっていた。}}。


==歴代出演者==
== ==
===キャスター===
====平日====
*1984年10月~1986年 9月 / [[逸見政孝]] ・ [[幸田シャーミン]]
**1986年8月頃、幸田が夏休みのため、女優の[[紺野美紗子]]が代役に出演された。
*1986年10月~1987年 9月 / [[逸見政孝]] ・ [[幸田シャーミン]](月~木)、[[逸見政孝]] ・ [[野間脩平]](金)
*1987年10月~1989年 3月 / [[逸見政孝]] ・ [[安藤優子]]
*1989年 4月~1991年 3月 / [[上田昭夫]] ・ [[安藤優子]]
*1991年 4月~1992年 3月 / [[黒岩祐治]] ・ [[安藤優子]]
*1992年 4月~1994年 3月 / [[露木茂]] ・ [[安藤優子]]
*1994年 4月~1997年 3月 / [[露木茂]] ・ [[松山香織]]
====週末====
*1985年 4月~1986年 3月 / [[永島信道]] ・ [[益田由美]]
*1986年 4月~1988年 3月 / [[陣内誠]] ・ [[城ヶ崎祐子]]
*1988年 4月~1989年 3月 / [[黒岩祐治]] ・ [[城ヶ崎祐子]]
*1989年 4月~1990年 3月 / [[黒岩祐治]] ・ [[小田多恵子]]
*1990年 4月~1991年 3月 / [[黒岩祐治]] ・ [[須田珠理]]
*1991年 4月~1992年 3月 / [[小林穂波]] ・ [[吉崎典子]]
*1992年 4月~1994年 3月 / [[山中秀樹]] ・ [[木幡美子]]
*1994年 4月~1997年 3月 / [[山中秀樹]] ・ [[近藤サト]]


=== 番組開始の背景 ===
===スポーツコーナー===
[[1984年]](昭和59年)10月の改編期を前に、フジテレビの編成部長だった中出傳二郎(のち常務)は突然、報道センター室長に替わり、新しいニュース番組を担当することになった{{Sfn|嶌|1995|p=291 -292}}。中出は藤村邦苗報道局長(のち副社長)らとともに<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/life/278168/2|title=牛次郎 流れ流され80年 <17>原稿を持ち込んだ「夕刊フジ」で記者に…忙しい日々に|publisher=日刊ゲンダイ|date=2020-09-03|accessdate=2023-05-27}}</ref>、新番組の責任者として、[[気象庁]]や[[科学技術庁]]詰めだった[[小櫃眞佐己]](のち常務)や[[澤雄二]](のち[[公明党]][[参議院議員]])を引っ張り、「6時台の1時間枠で、今までにないまったく新しいタイプのニュース番組を作り出してほしい」と命じた{{Sfn|嶌|1995|p=292}}。当時、フジテレビの夕方6時台のニュース視聴率は3パーセントから4パーセントだった{{Sfn|嶌|1995|p=292}}。「ニュースも視聴率を上げなけりゃ、電波のムダ使いだ。[[新聞]]には"[[5W1H]]"という原稿書きの方法論があるが、テレビではこの5W1Hに何かプラスワンかツーをつけたテレビ的特色、テレビ感覚を入れてほしい」と中出は注文をつけた{{Sfn|嶌|1995|p=293}}。小櫃と澤らにも、「これまでの各局のニュース番組に欠けているのは"感性"だ」という思いがあった。感性が出すぎると、ニュースの信頼性を失う危険性はあるが、「"感性の箱"のなかで論理の世界を扱わねばならない矛盾を矛盾として受けとめながら、とにかく感性の部分をニュースに取り入れ、そこから視聴率競争に切り込みをはかろうと」考えた{{Sfn|嶌|1995|p=293}}。[[タイトル]](見出し)には派手な音([[効果音]])をつけ、[[スーパーインポーズ (映像編集)|字幕スーパー]]をカラー化し、映像も面白くて、視聴者が見たいと思うものを出していった{{Sfn|嶌|1995|p=293}}。こうした手法には視聴者が服装や音、刺激的な映像に気をとられ、論理がおろそかになるという批判はあった。が、論理を歪める気はさらさらなかったものの、「テレビとはそういうものだ」と割り切ったのである{{Sfn|嶌|1995|p=294}}。
====平日====
*1985年 4月~1992年 3月 / [[森末慎二]]
*1992年 4月~1994年 3月 / [[森末慎二]](月~水)、[[長田渚左]](木 ・ 金)
*1994年 4月~1995年 9月 / [[上田昭夫]] ・ [[中井美穂]]
*1995年10月~1997年 3月 / [[上田昭夫]] ・ [[八木沼純子]]
====週末====
*1989年 4月~1992年 3月 / [[有賀さつき]]
*1992年 4月~1994年 9月 / [[大坪千夏]]
*1994年10月~1997年 3月 / [[富永美樹]]


===レポーター(平日み)===
=== 電子テロップ装置開発 ===
スーパータイム開始に合わせ、「放送用[[ワードプロセッサ]]」(BWP-5100、以下放送用ワープロ)をフジテレビと[[日本電気]]等が開発・運用開始した<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=横井亮介, 上瀬千春, 御手洗毅, 萩原啓司, 相馬孝雄, 庄子健一 |url=https://doi.org/10.11485/tvtr.8.41_55 |title=ニュース送出用文字発生装置の開発 : 放送用ワードプロセッサーBWP-5100 |journal=テレビジョン学会技術報告 |year=1985 |volume=8 |issue=41 |pages=55-60 |doi=10.11485/tvtr.8.41_55 |ISSN=0386-4227 |publisher=映像情報メディア学会 |ref=harv}}</ref>。それまではフジテレビに限らず、日本のテレビ局でのニュース番組における字幕スーパーは、[[写真植字機]]あるいは手書きで[[テロップ|テロップカード]]と呼ばれる紙に文字や図形等を入力し、それを専用のスキャナーへ装填して[[映像信号]]へと変換させ、ニュース映像に合成していた。この放送用ワープロは、日本語用の業務用ワードプロセッサを応用した装置で、入力する書体と文字の色や大きさや文字の映像効果<ref>スーパータイムでは、ヘッドラインでは文字が一文字ごと出される「タイプイン」を用いていた。</ref>を変えることができ、電子的かつ即時に字幕スーパーを発生できた<ref name=":0" />。使用された日本語フォント<ref>ゴシック体・丸ゴシック体・明朝体が搭載され、手書きで入力した文字にも対応。</ref>は[[産経新聞|サンケイ新聞]]電算技術部の協力を得た<ref name=":0" />。放送用ワープロは、1984年8月から一部で、10月1日から全面的に運用を開始<ref name=":0" />。主にフジテレビの報道番組とスポーツ番組<ref>『[[プロ野球ニュース]]』など</ref>限定にて運用していた。同装置は[[JTCウイン|JTCウィン]]フォントを搭載した次世代機へ移行する1994年7月まで使用された。
*[[吉沢孝明]]
*[[軽部真一]]
*[[中村江里子]]
*[[菊間千乃]]
*[[佐々木恭子]]
*[[藤村さおり]]


=== 1984年度後期 - 1987年度(逸見・幸田時代) ===
===お天気コーナー===
1984年10月1日に放送開始。メインキャスターには『FNNニュースレポート6:00』から引き続き[[逸見政孝]](当時フジテレビアナウンサー)、フリーアナウンサーの[[幸田シャーミン]]が起用され、スポーツコーナーは月 - 水曜日は『FNNニュースレポート6:00』から[[野球解説者]]の[[河村保彦]]、木・金曜日は野球解説者の[[江本孟紀]]が担当。
====平日====
*[[八木亜希子]]
*[[小島奈津子]]
*[[西山喜久恵]]
*[[濱田典子]](当初は新人女子アナウンサーとしての出演だったが、後に資格を取り、気象予報士として出演した。)
*[[木佐彩子]]
*[[武田祐子]]
====週末====
*[[岩谷忠幸]]


; 1984年
==地方局による番組名==
* 10月1日 - 放送開始。
*[[北海道文化放送]]では、『[[uhbイブニングニュース]]』 (昭和63年(1988年4月)からは、『[[uhbスーパータイム]]』)(平成5年(1993年10月)からは、『[[スーパータイムHOKKAIDO]]』
*[[岩手めんこいテレビ]]では、(平成3年(1991年4月1日開局)『[[mitスーパータイム]]』
*[[仙台放送]]では、『[[仙台放送イブニングニュース]]』後番組に、『[[仙台放送スーパータイム]]』
*[[秋田テレビ]]では、『[[テレポートあきた]]』(平成元年(1989年)4月から『[[スーパータイムあきた]]』)
*[[山形テレビ]]では、「[[YTSニュースワイド600]]』後番組は、『[[YTSニュース・スーパータイム]]』(平成5年(1993年3月31日終了)
*[[福島テレビ]]では、1973年10月からスタートした長寿番組『[[FTVテレポート]]』
*[[新潟総合テレビ]]では、『[[NSTワイド600]]』後番組に、『[[NSTスーパータイム]]』
*[[長野放送]]では、『[[NBSイブニング600]]』後番組に、『[[NBSスーパータイムNEWS&SPORTS]]』
*[[富山テレビ放送|富山テレビ]]では、『[[イブニングとやま]]』昭和63年(1988年4月)後番組に、『[[スーパータイムとやま]]』
*[[石川テレビ放送|石川テレビ]]では、『[[ニュースワイド石川6:00]]』(昭和61年(1986年)からは、『[[石川テレビスーパータイム]]』
*[[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]では、『[[福井テレビニュース600]]』後番組に、『[[福井テレビスーパータイム]]』
*[[テレビ静岡]]では、『[[FNNテレビ静岡ニュース|FNNテレビ静岡スーパータイム]]』
*[[東海テレビ放送|東海テレビ]]では、『[[イブニングニュース600]]』 (平成2年(1990年)からは、月曜日~土曜日は『[[東海テレビスーパータイム]]』、日曜日は現在も続く『[[中日新聞テレビ日曜夕刊]]』)
*[[関西テレビ放送|関西テレビ]]では、『[[アタック600]]』 (日曜日は『[[アタック530]]』)
*[[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]では、1978年10月から1985年3月まで『[[TSKニュースレポート]]』(昭和60年(1985年4月)後番組に、『[[TSKイブニングワイド6:00]]』(昭和62年(1987年4月)からは、『[[TSKスーパータイム]]』
*[[岡山放送]]では、『[[報道センターOHK]]』後に、『[[OHKスーパータイム]]』
*[[テレビ新広島]]では、『[[tssワイドニュース]]』後に、『[[tssスーパータイム]]』
*[[テレビ愛媛]]では、『[[スーパータイムEBC6:00]]』後番組に、『[[EBCスーパータイム]]』
*[[テレビ西日本]]では、『[[テレポートTNC]]』後番組に、『[[TNCスーパータイムNEWS&SPORTS]]』
*[[サガテレビ]]では、『[[stsニュースレポート]]』(平成3年(1991年)からは、『[[stsスーパータイム]]』)
*[[テレビ長崎]]では、『[[ニュースワイドKTN]]』(平成元年(1989年)4月からは、『[[KTNスーパータイム]]』)
*[[テレビ熊本]]では、『[[TKUニュースアイ]]』(平成元年(1989年)4月からは、『[[TKUスーパータイム]]』)
*[[テレビ大分]]では、『[[ニュースインおおいた]]』
*[[テレビ宮崎]]では、『[[UMKニュースレポート]]』(昭和63年(1988年4月)からは、『[[UMKニュースリポート]]』(平成4年(1992年4月)からは、『[[UMKスーパータイム]]』
*[[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]では、『[[KTSスーパータイムNEWS&SPORTS]]』後番組は、『[[KTSスーパータイム]]』
*[[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]では、『[[OTVイブニングワイド]]』(昭和62年(1987年4月)からは、『[[OTVスーパータイム]]』に番組終了までそれぞれ変更されており、最後まで全局の足並みは揃わなかった。この番組のスポンサーの中には、現在放送中の『[[FNNスーパーニュース]]』までずっと同局の夕方ニュースのスポンサーを務めている企業もある。
*[[中日新聞テレビ日曜夕刊]]では、現在もエンディングにこの番組のテーマ曲(アレンジ後のもの)を使用している。
*また、[[鹿児島テレビ]]と[[テレビ西日本]]では独自のタイトルロゴを使用していた。1987年から同局で放送されている『[[FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]]』、『[[平成教育テレビ]]』(現在の『[[27時間テレビ]]』) 内でも、「'''スーパータイムDX'''」、「'''スーパータイムSP'''」 と題し、普段とはキャスターも内容も違う(主に芸能人がキャスターを務める)ものを放送していたり、改編期や国政選挙投票日の夜に特別番組として、スーパータイムスペシャルが放送されたこともあった。
*年末年始も、時間を短縮して休まず放送していた。(主に15分間や30分間放送していた。)
*最終回で露木がCX社員が逮捕されたと言う身内の大バカモノのニュースを伝えた。


; 1985年
==番組進行==
* 4月1日 - リニューアル。スポーツコーナーは月 - 水曜日はスポーツ記者の[[長田渚左]]、木・金曜日は[[体操競技]]選手で[[ロサンゼルスオリンピック (1984年)|ロサンゼルスオリンピック]]金メダリストの[[森末慎二]]が担当。また同番組の開始前に生放送[[バラエティ番組]]・『[[夕やけニャンニャン]]』がスタートした。
===平日===
* 4月6日 - 週末版がスタート。メインキャスターは[[陣内誠]]、[[城ヶ崎祐子]]、スポーツコーナーは[[川端健嗣]]がそれぞれ担当。土曜日は『[[FNNニュースレポート5:30]]』から30分繰り下がり18:00開始となった。2001年3月31日の『[[FNNスーパーニュースWEEKEND]]』までこの体制が続いた。
*18.00 / オープニング、全国ニュース(中断CMあり)
* 8月12日 - 日本航空123便墜落事故が発生。夏休み期間中で地元の大阪に帰る予定のあった逸見政孝も当初定期123便ボーイング747SR-100に乗る予定だったが家族の勧めで[[東海道新幹線]]に変えた事で難を逃れる。逸見の夏休み期間中、代理メインキャスターを務めていたのが[[露木茂]]で、当番組を含めた臨時ニュースのメインキャスターを務めた功績で[[日本新聞協会賞]]を受賞。
*18.25 / 全国パート~ローカルパートへ(提供スーパーが流れる)
*特報(関東ローカル)系列局はローカルニュース、特集(中断CMあり)
*スポーツ(任意ネット)
*NEWS JOCKEY(関東ローカル、NEWS SCRAMBLEなどタイトルはいろいろ変化)
*天気予報、エンディング
===週末===
*18.00(土)、17.30(日) / オープニング、全国ニュース、スポーツ(中断CMあり)
*18.20(土)、17.50(日) / ローカルニュース、天気予報、エンディング


; 1986年
==歴代テーマ曲&BGM==
* 3月30日 - 川端が降板。『[[FNNモーニングコール]]』の司会となる。
===タイトルボイス===
* 4月5日 - 週末版のスポーツコーナーに[[三宅正治]]が登板。
*初代
* 7月7日 - [[第38回衆議院議員総選挙]]及び[[第14回参議院議員通常選挙]]の開票が行われ'''『ダブルマッチ'86ニャンだって16時間ぶっつづけ開票速報』'''が放送され司会を本番組から逸見と幸田、『[[FNNニュースレポート11:30]]』の露木が、またレポーターを[[おニャン子クラブ]]が担当。バラエティ路線のかなり強い特番であったがこの傾向の選挙特番はこの回のみとなった。
**1984年10月~1987年 9月 / [[幸田シャーミン]]
* 9月28日 - 陣内が降板。営業局に異動。
*初代リニューアル
* 10月4日 - 週末版のメインキャスターに[[山中秀樹]]が登板。
**1987年10月~1989年 3月 / [[安藤優子]]
*2代目
**1989年 4月~1993年 3月 / [[安藤優子]](初代のアレンジ)
*3代目
**1993年 4月~1994年 3月 / [[安藤優子]](2代目のアレンジ)
*3代目リニューアル
**1994年 4月~1996年 3月 / [[松山香織]]
*3代目短縮
**1996年 4月~1997年 3月 / [[松山香織]]
なお、東海テレビの場合、タイトルが『東海テレビスーパータイム』になった後も、フジテレビのタイトルコールを採用せず、東海テレビ独自のタイトルコールを使用していた(ローカルパートではCM入りの際にも使用)。


; 1987年
==オープニングの流れ==
* 3月29日 - 三宅が降板。スポーツ実況に専念。
===平日===
* 4月1日 - この日以降、幸田は、担当曜日を月 - 木曜日の週4日に縮小。
*1984年10月~1989年 3月
* 4月3日 - 金曜日メインキャスターとして[[野間脩平]]が登板。逸見との男性コンビとなる。
**タイトルコール(系列局は除く)→提供読み→キャスター挨拶(ローカル)→ヘッドライン(5つ)→全国向け挨拶→ニュース
* 4月4日 - 週末版のスポーツコーナーに[[美味しんぼ倶楽部]]の総合司会担当の[[永麻理]]が登板。
*1989年 4月~1993年 3月
* 7月18日・19日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島]]』が放送され本番組も『'''[[スーパータイムスペシャル|FNNスーパータイムスペシャル]]'''』として放送。司会は同番組総合司会のタモリと平日版メインキャスターの逸見が担当。天気予報はお天気キャスターの[[福井敏雄]]と[[長野智子]]アナウンサー(当時)が、宮城県からの中継をムツゴロウさんこと[[畑正憲]]が担当した。
**タイトルコール(関西テレビ、テレビ大分、福島テレビは除く)→提供読み→キャスター挨拶(ローカル)→ヘッドライン (3つ) →全国向け挨拶→ニュース
* 9月27日 - 山中・城ヶ崎・永が揃って降板。山中・城ヶ崎は『[[FNNモーニングコール]]』のキャスターとなり、永は『美味しんぼ倶楽部』に専念となる。
*1993年 4月~1994年 3月
* 10月2日 - 金曜日、週末版のメインキャスターに[[安藤優子]]が登板。
**キャスター挨拶(ローカル)→ヘッドライン(3つ)→タイトルコール(関西テレビ、テレビ大分、福島テレビは除く) →提供読み→全国向け挨拶→ニュース
* 10月3日 - 週末版のメインキャスターに金曜日メインキャスターを担当した[[野間脩平]]、スポーツコーナーは[[笠井信輔]]がそれぞれ担当。
*1994年 4月~1996年 3月
**ヘッドライン(4つ)→タイトルコール (関西テレビ、テレビ大分、福島テレビは除く)→提供読み→全国向け挨拶→ニュース
*1996年 4月~1997年 3月
**タイトルコール(関西テレビ、テレビ大分、福島テレビは除く)→全国向け挨拶→ニュース(一回目のCMイン時に提供読み)<br>
※ヘッドラインナレーションは、1994年3月まで平日担当の声となっていたが、1994年4月のリニューアルでヘッドラインナレーションが男性ナレーションの声になった。


; 1988年
===週末===
* 3月27日 - 野間・笠井が降板。野間は『[[FNNスピーク]]』の金曜日メインキャスター。笠井は『[[タイム3]]』のキャスターとなる。
*1985年 4月~1993年 3月
* 3月31日 - 幸田が降板。[[ハーバード大学]]ケネディスクールに留学。
**タイトルコール→日付け表示(系列局は提供読み) →ヘッドライン(3つ)→キャスター挨拶→ニュース<br>

※1993年4月から以降は平日と同じ。<br>
=== 1988年度(逸見・安藤時代) ===
※1994年10月~1996年9月までは平日と同じだがヘッドラインナレーションが週末担当の声となっている。
[[フリーアナウンサー]]となった逸見政孝と[[上智大学]]大学院グローバル・スタディーズ研究科を卒業し、それまで金曜日、週末版を担当した安藤優子の全曜日担当に昇格。

; 1988年
* 4月2日 - 週末版のメインキャスターに[[黒岩祐治]](当時記者)、[[小田多恵子]](当時記者)が登板。スポーツコーナーは[[筒井櫻子]]が担当。
* 7月10日 - 筒井が降板。
* 7月16日 - 週末版のスポーツコーナーに[[塩原恒夫]]が登板。
* 7月16日・17日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'88]]』が放送され本番組も『'''[[スーパータイムスペシャル|スーパータイムデラックス]]'''』として放送。司会は同番組総合司会のタモリと『FNNスピーク』の露木が担当。スポーツコーナーは塩原と[[笑福亭鶴瓶]]が務めた。[[福岡県]][[小呂島]]からの中継で当時[[九州産業大学]]の学生・[[松村邦洋]]が登場。この時に[[片岡鶴太郎]]と出会い芸能界に入るきっかけとなった。また黒岩は東京上空から中継リポーターを務めた。
* 9月17日 - 10月2日 - [[ソウルオリンピック]]が開催。9月27日には競泳男子100m背泳ぎで金メダルを取った[[鈴木大地]]選手がゲスト出演。
* 11月17日 - 逸見政孝が本番前に控室で倒れ緊急入院し、番組を3日休む。フリーとして本格的な活動を始めた直後のストレスが原因であった。当時『[[FNN DATE LINE]]』を担当していた[[上田昭夫]](当時記者)が代役として出演。

; 1989年
* 3月31日 - 逸見が降板。1978年10月からスタートした『FNNニュースレポート6:30』から足掛け10年半にわたる活躍だった。降板後はフリーアナウンサーだけではなく[[タレント]]としても活躍。
* 4月2日 - 塩原が降板。スポーツ実況に専念。

=== 1989年度 - 1990年度(上田・安藤時代) ===
『FNN DATE LINE』の司会を務めた上田が2代目メインキャスターとして移籍登板。

; 1989年
* 4月8日 - 週末版のスポーツコーナーに[[有賀さつき]]が登板。
* 7月15日・16日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'89]]』が放送され本番組も『'''スーパータイムデラックス'''』として放送。司会は前年同様タモリと露木が担当。スポーツコーナーを[[明石家さんま]]と『[[プロ野球ニュース]]土日版』の[[中井美穂]]。ゲスト解説委員に政治評論家の[[舛添要一]]と報道局解説委員長の[[竹内貞男]]。天気を福井が担当。
* 7月23日 - [[第15回参議院議員通常選挙]]の開票が行われ'''『参院選速報“選挙列島そりゃもう大さわぎ”」』'''が放送。司会は『FNNスピーク』の露木とタレントの[[三田寛子]]。解説は[[俵孝太郎]]、宮川隆義、[[三宅久之]]。本番組から[[竹内貞男]]報道局解説委員長も出演。その他、[[海老一染之助・染太郎]]もゲスト出演。
* 9月30日 - 有賀が降板。
* 10月1日 - 週末版のスポーツコーナーに[[木幡美子]]が登板。

; 1990年
* 2月18日 - [[第39回衆議院議員総選挙]]の開票が行われ『'''[[スーパータイムスペシャル|スーパータイム選挙スペシャル]]'''』が放送。司会は上田と安藤、レポーターは『FNNスピーク』の露木と『FNN DATE LINE』の[[木村太郎 (ジャーナリスト)|木村太郎]]。解説は舛添要一、[[野坂昭如]]、[[堺屋太一]]、[[田英夫]]、[[山口敏夫]]、[[猪瀬直樹]]。
* 7月21日・22日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島'90]]』が放送され、本番組も『'''FNNスーパータイムスペシャル'''』として放送。司会は通常の黒岩・小田コンビが[[海部俊樹]][[内閣総理大臣]](当時)[[内閣総理大臣官邸|自宅]]前(敷地内)からニュースを伝え、木幡が[[スタジオアルタ]]からスポーツを伝え、天気予報は[[太平シロー]]と[[八木亜希子]]が県境に建つ家から伝える特別構成で放送された。
* 9月30日 - 小田が降板。報道局ディレクターに専念する。
* 10月6日 - 週末版のメインキャスターに[[田代尚子]]が登板。

; 1991年
* 3月29日 - 上田が降板。報道記者に転じる。
* 3月30日 - 19:00 - 20:54枠にて本番組の番外編『'''[[スーパータイムスペシャル|スーパータイムスペシャル ニュース好プレー珍プレー]]'''』を放送。司会はこの4月より『[[FNN World Uplink]]』に出演する露木とパリ特派員としてレポーターを務める[[河野景子]]、そして当時『[[志村けんのだいじょうぶだぁ]]』のレギュラーであったタレントの[[田代まさし]]が担当。
* 3月31日 - 木幡が降板。『おめざめ天気予報』のキャスター(月 - 水曜日担当)と『FNN World Uplink』の天気キャスター(金曜日担当)に異動する。

=== 1991年度(黒岩・安藤時代) ===
週末版のメインキャスターを務めた黒岩が平日版に異動。週末版メインキャスターは『FNNモーニングコール』や『[[FNN朝駆け第一報!]]』の司会を務めた[[小林穂波]]が務めた。

; 1991年
* 4月6日 - 週末版のスポーツコーナーは[[松井みどり]]が登板。
* 7月20日・21日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSスーパースペシャル1億2000万人のテレビ夢列島'91]]』が放送され本番組も『'''FNNスーパータイムスペシャル'''』として放送。司会は当時『[[101回目のプロポーズ]]』に出演していた俳優・タレントの[[武田鉄矢]]と『FNN World Uplink』の露木が、東京上空からのヘリ中継は『[[タイム3]]』の[[須田哲夫]]が担当。

; 1992年
* 3月29日 - 小林・田代・松井が揃って降板。小林は人事異動で外信部デスクとなり、また『[[週刊フジテレビ批評]]』のコメンテーターとなる。田代は『FNN World Uplink』のパリ中継の為、パリ支局に異動。松井はスポーツ中継に専念。
* 3月31日 - 黒岩が降板。『[[報道2001]]』の司会となる。

=== 1992年度 - 1993年度(露木・安藤時代) ===
『FNN World Uplink』の司会を務めた露木が平日版メインキャスター、[[大林典子]]、『FNNスピーク』の金曜日メインキャスターを務め、木曜日 - 土曜日→土曜日のメインキャスターと兼務する山中が週末版メインキャスターとして登板。

; 1992年
* 4月1日 - 平日版リニューアル。露木がメインキャスターとして登板。番組冒頭、露木は「今日から私、『スーパータイム』を担当することになりました。どうぞよろしくお願いします。[[エイプリルフール]]ではありません」と登板の挨拶をした。
* 4月4日 - 週末版リニューアル。4年半ぶりに山中が再登板。スポーツコーナーは[[大坪千夏]]が登板。
* 7月18日・19日 - 『[[平成教育テレビ|FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ]]』が放送され、本番組も『'''FNNスーパータイムスペシャル'''』として放送。司会は初代メインキャスターで『[[平成教育委員会]]』の司会者であった逸見と同じく『平成教育委員会』の解答者であった[[岡本夏生]]が担当。スポーツ・天気コーナーは『[[モーニングLIVE]]』および『FNN World Uplink』(いずれも、木・金曜日担当)さらに、『FNNスピーク』土曜版の木幡が担当。この日の放送では、第1回放送のオープニング部分とエンディング(関東ローカル)部分の一部が放送された。
* 7月26日 - [[第16回参議院議員通常選挙]]が開票され『'''スーパータイム選挙スペシャル'''』が放送<ref>{{Cite journal|和書|editor=日本民間放送連盟|title=“早打ち競争”の時代へ対応する出口調査 フジテレビ / 山本潤|journal=月刊民放|volume=22|issue=11|publisher=日本民間放送連盟|date=1992-11-01|pages=17 - 19|id={{NDLJP|3471083/9}}}}</ref>。司会は露木と安藤。コーナー司会に『[[上岡龍太郎にはダマされないぞ!]]』の[[上岡龍太郎]]が担当。コメンテーターは[[早坂茂三]]と野坂昭如。

; 1993年
* 4月1日 - [[FCI]]ワールドコーナーが設けられ、ニューヨーク支社特派員として城ヶ崎が5年半ぶりに再登板。同時にオープニング演出及びCMに突入時のアタック音楽も変更となる。
* 7月18日 - [[第40回衆議院議員総選挙]]が開票され『'''スーパータイム選挙スペシャル'''』が放送。司会は露木と安藤、レポーターは前メインキャスターで『報道2001』司会の黒岩が担当。
* 7月24日・25日 - 『[[平成教育テレビ|FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ]]』が放送され、本番組も『'''FNNスーパータイムスペシャル'''』として放送。月-金曜版メインキャスターの安藤と『平成教育委員会』解答者の[[辰巳琢郎]]、[[奥山佳恵]]が担当。
* 9月26日 - 大林・大坪が降板。大林は半年の休養の後、『[[おはよう!ナイスデイ]]』のキャスターに再就任。大坪は『[[タイムアングル]]』のキャスターとなる。
* 9月27日 - 平日版のお天気コーナーに気象予報士の[[岩谷忠幸]]が登板。
* 10月1日 - 10年目に突入。同時に『[[スーパータイム関東]]』が放送開始。また進行胃癌([[スキルス#スキルス胃癌|スキルス胃癌]])で入院中の逸見からメッセージが届く。メッセージは、安藤が代読した。
* 10月2日 - 週末版のメインキャスターに『[[FNN おはよう!サンライズ]]』から[[近藤サト]]、スポーツコーナーに[[佐藤里佳]]が登板。
* 12月25日 - 平日版初代メインキャスターの逸見が末期のスキルス胃癌・再発転移による癌性[[悪液質]]の為死去(享年48)。この日の当番組でも逸見の死をトップニュースで伝え、逸見が入院していた東京都内の病院前からの中継を担当した[[吉沢孝明]]はリポートの締めくくりにフジテレビアナウンサー時代の逸見との思い出を語ったほか、平日版メインキャスターの露木のお悔やみのコメントも放送された。そして、週末版のメインキャスターだった山中はニュースの最後に「今日はスタジオにいる私にとっても、中継に出ているアナウンサーにとっても辛い1日となりました。(逸見さんは)プロのアナウンサーでした。ご冥福をお祈り致します」とコメントした。また、この日は逸見の死去を受け、本番組の後続の時間帯(18:30 - 19:54)に『追悼・衝撃のガン告白から110日…逸見政孝さんついに逝く』を急遽放送した(テレビ大分・鹿児島テレビでは土曜日の19時台が日本テレビの『[[なんだろう!?大情報!]]』をネットしている関係〈鹿児島テレビは当時〉上非ネット。遅れネットも行わず。前述の2局は、日本テレビ系においての逸見の緊急追悼特番の方を同時ネットした)。
* 12月27日 - 逸見政孝の葬儀・告別式をトップで伝え、露木が葬儀の様子を、安藤がフジテレビ前で逸見の棺を乗せた霊柩車が通過した様子をそれぞれリポートした。その後在りし日の逸見の映像を流し、安藤が号泣する場面があった。

; 1994年
* 3月25日 - 『[[スーパータイム関東]]』が放送終了。
* 3月30日 - 長田が降板。[[ノンフィクション作家]]に専念。
* 3月31日 - 安藤・森末が降板。安藤は同年4月1日開始の『[[ニュースJAPAN]]』のメインキャスターへ異動。以降、2000年4月に『[[FNNスーパーニュース|スーパーニュース]]』のメインキャスターに就任するまで夕方の時間帯から離れる事となる。

=== 1994年度 - 1996年度(露木・松山時代) ===
『報道2001』の司会を務めた元[[中部日本放送]](現:[[CBCテレビ]])アナウンサーで、フリーアナウンサーの[[松山香織]]が安藤と入れ違いでメインキャスターとして登板。また、前月まで『FNNおはよう!サンライズ』の司会を担当し、[[慶応義塾大学]]のラグビー部の監督に再就任した2代目メインキャスターの上田、『[[プロ野球ニュース]]』を担当していた中井がスポーツキャスターとして登板。

; 1994年
* 7月23日・24日 - 『[[平成教育テレビ|FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー]]』が放送され、『'''オールキャスターニュース'''』として司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤、『[[めざましテレビ]]』の[[大塚範一]]が担当。
* 10月1日 - 平日版を担当した岩谷が、週末版に異動。
* 10月3日 - 10周年。これを機にオープニング演出およびセットが一新。また新たに気象予報士として山形斉子が登板。
* 10月8日 - この日、[[ナゴヤ球場]]でプロ野球セ・リーグの[[中日ドラゴンズ]]と[[読売ジャイアンツ]]の同率首位同士による最終戦(勝ったチームが優勝・いわゆる[[10.8決戦]])が行われ、この日の本番組でも番組冒頭からナゴヤ球場から生中継を実施。この日は番組のほとんどをこの試合の中継に充て、冒頭数分間ナゴヤ球場からの中継を伝えた後、山中は「今日はナゴヤ球場以外のニュースは3つ、4分20秒しかお伝え出来ません。ほとんどナゴヤ球場の中継になります」と告げ、一旦他のニュースを伝えた後再び野球中継に切り替えた。

; 1995年
* 1月17日 - この日の早朝に[[阪神・淡路大震災]]([[兵庫県南部地震]])が発生。昼頃から報道特番体制となり、昼過ぎ以降は本番組の露木・松山が進行を担当。18:00 - 19:00の間は通常通り『スーパータイム』として放送されたが、この日は午後帯の報道特番からの流れで、普段使用している第7スタジオからではなく報道フロアからの放送{{Efn|報道フロア内の緊急ニュース用のブースに地震の被害状況などが記されたボードが掲げられた簡易的な仕切り板を置き、そこに露木・松山が座って放送していた。}}となり、内容も終盤にこの日会派離脱届提出の動きがあった[[日本社会党|社会党]]に関するニュースや関東地方の天気予報を伝えた以外は全て[[関西テレビ]]の『[[FNNアタック600]]』(近畿地区のローカルパート)のスタジオと結びながら地震関連のニュースで持ち切りだった。
* 4月8日 - 『FNNスピーク』の木 - 土曜日→土曜日メインキャスターと兼務して務めていた山中がこの日以降、本番組に専念となる。
* 7月23日 - [[第17回参議院議員通常選挙]]が開票され、'''『激動待ったなし!!FNN参院選スペシャル』'''が放送。司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤が担当。コメンテーターは舛添要一と『めざましテレビ』より[[森田実]]が務めた。
* 9月29日 - 中井が降板。同年12月、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルト]]選手・[[古田敦也]]と結婚し退社、フリーアナウンサーとなる。
* 10月2日 - 平日版のスポーツキャスターとして[[フィギュアスケート]]選手の[[八木沼純子]]が登板。この日のスポーツコーナーはスケート場から生中継で行われ、コーナー冒頭八木沼が滑りを披露したが、転倒するハプニングがあった。
* 12月1日 - 山形が降板。
* 12月4日 - 平日版のお天気コーナーに気象予報士の資格を取った[[濱田典子]]が登板。

; 1996年
* 3月29日 - FCIワールドコーナーが終了。城ヶ崎は帰国後、広報局に異動。
* 3月31日 - 佐藤が降板。『[[めざまし天気]]』、『[[夕食ばんざい]]』、『[[風まかせ 新・諸国漫遊記]]』の専念となる。
* 4月6日 - 週末版のスポーツコーナーに[[菊間千乃]]が登板。
* 7月13日・14日 - 『[[FNSスーパースペシャルテレビ夢列島|FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック]]』が放送され、本番組も『'''FNNスーパータイムスペシャル'''』として放送。司会は『平成教育委員会』解答者の[[ラサール石井]]と平日版メインキャスターの松山が担当。
* 9月30日 - この日からオープニング演出を大幅に簡略化。平日版の場合、冒頭5秒間トップ項目のニュース映像をバックにタイトルCGを表示{{Efn|BGMは従来のオープニング音楽の出だしの部分をアレンジしたもの+タイトルコールとなっていた。}}し、その後すぐスタジオに映像が切り替わりキャスター挨拶→トップニュースという形となり、ヘッドラインは廃止された(ネットスポンサーの前提供クレジットは最初のCM入り前に移動)。また、同時にニュース部分のVTR導入時のアタック音やCM前ジングルなどの各種演出も一新された。
* 10月20日 - [[第41回衆議院議員総選挙]]が開票され、'''『FNN選挙の鉄人』'''が放送。司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤、『めざましテレビ』の大塚と[[八木亜希子]]、『プロ野球ニュース』・『[[料理の鉄人]]』の[[福井謙二]]が担当。
* 12月ごろ - 翌年3月の放送終了を発表{{要出典|date=2023年10月}}。

; 1997年
* 3月10日 - フジテレビの[[お台場]]への本社移転に伴い、新社屋(現社屋)から放送開始。ただ、この3週間後に番組が終了する事となっていた為スタジオセットは組まれず、報道フロアの一角に河田町の旧社屋から持ってきたテーブルを置いて放送していた(スポーツコーナーはお台場の夜景を見渡す社内の渡り廊下に看板とテーブルを置いて放送した)。
* 3月28日 - 平日版終了。特集コーナーでは歴代キャスター陣の取材シーンやハプニング映像をまとめた特別企画を放送。また、「NEWS SCRAMBLE」のコーナーでフジテレビのプロデューサーと芸能事務所の社員が少女に暴行した容疑で逮捕されたニュースを報じた際、露木が「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならないのは大変情けないと思います」と前置きでコメントした場面があった。そして番組終盤の天気予報の後、露木・松山が各々挨拶を行い、露木は本番組を担当した5年間は自分のアナウンサー生活の中で一番激動した時期だったと振り返った。その後、後継番組『[[FNNニュース555 ザ・ヒューマン]]』のメインキャスター・笠井、[[笹栗実根]]から露木・松山に花束が贈られた。エンディングでは濱田・上田も挨拶を行い(濱田には次番組の天気キャスター・[[三井良浩]]から花束が贈られた)、露木が笠井・笹栗に「24時間頑張ってください」とエールを送った。最後は松山が「どうもありがとうございました」と視聴者に感謝し、番組は終了した。終了後、露木は『報道2001』の司会を、松山は『[[ニュースJAPAN WEEKEND]]』のメインキャスター、上田はラグビー部の監督に専念と同時にスポーツ局スポーツ業務推進センター・スポーツ業務部デスク担当部長となる。濱田は同時期に[[福原直英]]と結婚し、フジテレビを退社。フリーとして『[[Grade-A]]』を担当。八木沼は引き続き次番組のスポーツコーナーを担当。
* 3月30日 - 週末版終了(放送回数:4497回)。終了後、山中は『[[森田一義アワー 笑っていいとも]]』のテレフォンアナウンサーに専念。近藤は『FNNスピーク』の月-金曜版メインキャスターとなる。菊間は『めざましテレビ』のリポーターに専念。岩谷は引き続き次番組の天気コーナーを担当。

== 主なコーナー ==
; 月〜金曜日
* オープニング{{Efn|秋田テレビ、福島テレビ、山陰中央テレビは司会者の横顔のアップを写してスタートしていた。}}(18:00)
*ヘッドライン
** 初期は「それでは今日の主な項目です。」のセリフをきっかけに通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半ネット各局のローカルニュースから2-3項目(フジテレビは特報とスポーツの内容)という体裁。オープニングの挨拶はフジテレビのみの放送だったため、ヘッドラインが終わった後に全国向けに改めて挨拶を入れた。
** 中期以降は各局出しのオープニングロゴ{{Efn|富山テレビのように系列局ではロゴを表示しなかった局もあった。}}とともにヘッドラインを開始し、1994年10月からはフジテレビから全国ニュース2項目、各局からローカルニュース2項目(フジテレビは特報とスポーツの内容)という体裁になった{{Efn|後半2項目から提供部分までをローカルパートの挨拶に充てていた局もある。福島テレビでは1項目だけ伝えた後に4項目目の部分でタイトル・提供を入れ、その後フジテレビがタイトル・提供に充てている部分でキャスター挨拶と全国ニュースのトップ項目の紹介を行って福島テレビのキャスターが「まず東京からお伝えします」と言ったところで飛び乗り、東海テレビと富山テレビは4項目をローカルニューススタジオからの挨拶に当ててタイトル・提供を挟んで飛び乗っていた。}}。提供クレジットとオープニングをヘッドライン後に回す形となった。
* FNN全国ニュース(中断CM2枠あり。CM2前は、フジテレビでは関東ローカルにCM3明けの内容を表示。フジテレビ以外では何も表示しない局や、自局ローカル枠の予告テロップを送出する局もあった。{{Efn|番組末期のCM前の予告テロップは画面左上に「スーパータイム(番組ロゴ) NEXT」と表示していたが、全国ネット枠でのCM1前は、タイトルを差し替えてネットしている地域に配慮し「NEXT」とだけ表示し、CM2(ローカル枠へ切り替わる直前のCM)前(ここは関東ローカルのみに送出)からは「スーパータイム」のロゴが追加されていた。}})
* 提供クレジット(18:22〈初期は18:20〉)
**東京都内の天気カメラの中継映像をバックに、まずネットスポンサーの後提供クレジットを全国送出で表示{{Efn|その際の「ここまではご覧のスポンサーがお送りしました」という提供読みのアナウンスもそのまま全国で流れていたが、関西テレビなど一部系列局ではBGMを差し替え、提供読みのアナウンスも自社送出のものを流していた。またテレビ静岡のように、同じ曲なのに途中でネットを切って自局出しした局もあった他、提供読み自体を自社送出した局もあった。}}。フジテレビ以外のネット局ではネットスポンサーの後提供クレジットを表示し終えたところで各局送出の映像に切り替えられる。その後、関東地区ではバックの映像はそのまま(1995年からはタイトルコール後は特報のVTRに切り替え)でオープニングとは別パターンのタイトルCG(1993年3月まではテロップ表示)がと共に「スーパーターイム!!」のタイトルコールが流れた後、関東ローカルスポンサーの前提供クレジットが表示されていた{{Efn|ローカルパート突入後の対応については他局の夕方ニュースでも言えることだが、各局の任意。}}他、岡山放送など一部の系列局でもタイトルコールが流れていた。
**北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからの[[NTT中継回線|ネット回線]]の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから[[札幌市]]内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。
**FNNでもキー局フジテレビに従属的な東海テレビの場合は、ローカル切り替えを行う際に全国のニュースを終了する上でのスポンサー表示後、同局のスタジオでメインキャスター(高井 一ら)がキャスターデスクに着席してスタンバイ中の光景が提供スポンサーのバックとして映し出されていた。その後、キー局版スーパータイムの構成などに変更などがあると全国ニュースの提供スポンサーの背景として名古屋市内のビル群などを映し出すようになり、『FNNスーパータイム』以上に硬派気味な番組内容を『イブニングニュース600』の頃から実施していた。
* 特報(18:24、[[関東ローカル]]、ネット局はローカルニュース(ローカルパートの内容に関しても各局任意で編成)、中断CMあり/初期は「NEWS JOCKEY」・「外信コーナー 〜松浦さんの海外うらおもて〜」)
** 記者やキャスターによる実験・体験ものから検証・密着まで硬軟にとらわれない様々な企画が放送された<ref>{{Cite journal|和書|title=フジ・スーパータイムの創り方――数字なければ報道番組じゃない / 溝上晴夫|journal=月刊政治と経済|volume=22|issue=2|publisher=政治と経済|date=1996-02-01|pages=42 - 46|id={{NDLJP|2877858/22}}}}</ref>。逸見・幸田時代には「ニュース塾」と題して視聴者からの投稿ビデオコーナー、露木・松山時代には「FNNスーパー映像」と題してFNN系列各局から届いた季節ものやハプニング映像を紹介する企画も放送されていた。
** 重大ニュースが起きた日は全国枠を拡大し、このコーナー枠を使ってその他のニュースを伝える。
* NEWS JOCKEY(18:34、[[関東ローカル]]、ネット局は引き続きローカルニュース)
** 関東各地の話題やニュース、視聴者から送られてきた映像、フジテレビからのお知らせなどを紹介。ここでのアタック音は全国パートとは異なりピアノの音だった。このコーナーでは椅子に座る形で進行が行われ、キャスターの前には視聴者からの情報提供のための電話番号が書かれたプレートがあった。1994年10月からはこのコーナー専用の椅子とテーブルが設けられ電話番号のプレートはCGになった。
* スポーツ(18:40、愛称は「わくわくスポーツ」。全国ネット〈関西テレビを除く〉、東海テレビも独自の時期あり)
** スタジオセットの右端(1994年10月からは左端)に設けられた専用セットから伝えていた。場合によっては現役アスリートがゲスト出演する事もあった。
* きょう1日 → NEWS SCRAMBLE(18:47、関東ローカル、ネット局は再びローカルニュース・天気予報)
** 「きょう1日」時代は岡山放送・山陰中央テレビでもネットされていた。初期のきょう1日は街の映像などをバックに今日起きたニュースや天気予報・為替などを電子テロップで表示し、その後はキャスターが出てきて短いトークなどをして一旦中締めとなり、天気予報に繋がる{{Efn|岡山放送はキャスターが出てくるタイミングでOHKのスタジオの戻り、モニターにはオープニングと同様にフジテレビの映像が映っていた。山陰中央テレビはこのコーナーが終わったと同時に番組自体が終わっていた。}}。
**「NEWS SCRAMBLE」はミニ特集かニュースを数項目読み上げていた。
* [[天気予報]]・エンドカード(18:53、初期は「きょう1日」・エンドカード・天気予報の順)
**放送初期は、先に「スーパータイム」としてのエンドカードを出した後に別途天気予報のタイトル・エンドカードを表示していたが、1980年代末期からは天気予報のエンドカードを無くしたうえで天気予報の後に「スーパータイム」としてのエンドカードを出す形となった{{Efn|それまで「スーパータイム」としてのエンドカードを表示していた箇所は関東ローカルスポンサーの後提供クレジットを残してキャスターの天気予報への短い繋ぎコメントとなった。}}。
**天気予報は1994年9月まではお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。1994年10月からはスタジオセットの背景をクロマキー{{Efn|河田町では最後となったこのセットは背景を全国ニュースの時間帯は宇宙空間のイラスト、特報以後の時間帯は新宿の夜景写真、天気予報や全国ニュースの時間帯に中継を呼ぶ際はグリーンクロマキーと3つのパネルにそれぞれ切り替える事が出来た。}}にする事で対応している。天気予報を伝え終わるとメインキャスターが軽めのフリートークと締めの挨拶をして番組は終了する。
**天気予報は殆どの場合フジテレビの構内だが、イベントや観光地など中継先から天気を伝える場合もあった(この場合は「NEWS JOCKEY」でも繋ぐ事があった)。濱田がキャスターになってからはスタジオからクロマキー合成によるCG画面をバックに伝え、お台場に移転した最後の3週間は7階の屋上庭園(後に「フジさんテラス」という名称が付く)から伝えていた。BGMには服部克久『ディオリッシモ・残香』が長らく使われていた。

; 土・日曜日
*オープニング(土曜:18:00・日曜:17:30、中断CMあり)
*全国ニュース
*スポーツ
*フラッシュニュース
*ローカルニュース(土曜:18:20・日曜:17:50、オープニング映像→中断CMあり)
*天気予報
**前半は全国の予報、後半は関東地方の予報と季節の話題1本という流れで、全国天気の部分は一部の地方局でもネットされていた。
*終了タイトル
**土日版のヘッドラインは月-金曜版と違い、オープニングタイトル終了後すぐ始まっていた。東海テレビは1993年3月までヘッドライン終了後に飛び乗っていた。その後、1994年10月以降は月-金曜版と同様番組開始と同時にヘッドラインが始まっていた。ただ、月-金曜版とは異なりヘッドラインは石井康嗣ではなくメインキャスターの山中・近藤が生で読み上げていた。
**フジテレビは日曜日のみノンスポンサーだったため1996年9月までは提供部分に日付テロップを、10月以後はCM明けの予告テロップを2回(2回目は関東のみ)出す事で対応していた。また、土日版ではネットスポンサーがなかった。
**天気予報・終了タイトルは、お天気カメラの映像が表示されたクロマキー(月-金曜版と異なり画面全体)の前にキャスターが座って放送していた。男性キャスターは正面を向いていたが女性キャスターは斜め45度で浅めに腰掛けるという特色があった。エンドカードは月-金曜版とは違っていた。

== ネット局の番組名の変遷 ==
番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本・鹿児島テレビの4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた(ただし、この4局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、例えばテレビ静岡においては『FNN テレビ静岡 スーパータイム』など、各ネット局の名前も入った番組タイトルとなっていた。)。

このため、キー局フジテレビでは『スーパータイム』のオープニングをベース{{Efn|初期のものは金一面の画面が割れ、FNNが現れ、奥の魚眼レンズから見た街のCGに向かって飛び散った破片が吸い込まれ、魚眼レンズから見た街のCGに一本の赤い線が差し込むというもの。赤い線が差し込む前にロゴができる。YTSではこの下地のみを流用して『[[YTSニュース]]』にも使用していた。}}に番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。ただし連続するスポンサークレジットは、急なスポンサー降板に備えて東京から送られていたため、オープニングとスポンサークレジットでは本来同じタイトルバックのはずがズレが生じていた(BGMはスポンサークレジットの都合のため東京から送られていたがテレビ大分のように地元局発に差し替えた局もあった)。また、同じ理由で、当番組の前の時間帯(17時台)に放送されていた『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは『スーパータイム』の名前が使えずに「'''6時のニュース'''」等と表現したり、全国のニュースの冒頭の『主な項目』(=ヘッドライン)の紹介の直後に(系列各局がフジテレビからの放送に飛び乗るタイミングで)「全国の皆さん、こんばんは」と挨拶をしたりしていた(1993年3月31日まで){{Efn|番組開始当初はヘッドライン直前に飛び乗りポイントがあり、「今日のニュースの主な項目です」と言ってヘッドラインになり、ヘッドライン終了後ニュース本編に入るなど、全国向け挨拶はなかった。後にヘッドラインからの飛び乗り、ヘッドライン終了後の挨拶に改められた。}}。ちなみにこの挨拶は、後年、当番組とほぼ同じ時間帯にて2018年4月から2019年3月まで放送されていた『[[プライムニュース イブニング]]』及びその後継番組『[[Live News イット!|Live News it』→『イット!]]』の18時台全国ネット枠冒頭のキャスター挨拶にも取り入れられている。もう一つこの両番組の共通する事項は番組のテーマソングである。フジテレビではテーマソングに月-金曜版女性キャスターによる"'''Super Time!'''"のタイトルコールが乗っていた。一方でネット局向けにはタイトル差し替えの場合は乗せていなかった{{Efn|初期で多いパターンであった。また、同一タイトルでもフジテレビのタイトルコールのタイミングがずれていた局(山形テレビでの改題当初)や、タイトルコール自体がない局(テレビ愛媛)もあった。さらに、テレビ静岡では1988年3月までフジテレビのテーマをそのまま流していた。尚、1988年4月以降は同一タイトルの場合、テーマ曲と共にタイトルコールも同時に乗っている状態で系列局に配布されていた。また、東海テレビなど一部では独自の"'''Super Time!'''"コールを送出していた。}}。『プライムニュース イブニング』及びその後継番組『Live News it』→『イット!』では番組コールの乗っているものと乗っていないものを各々配布、タイトルコールは各局で差し替えるなどして対応できるように配慮がなされるようになった。

フジテレビ特有の挨拶の理由は、FNNの場合、スーパータイム以前は長らく6時から全国ニュース、6時半からローカルニュースだったので、フジテレビ以外の系列局の固定視聴者層に配慮して、1時間の全国・ローカル混合型へ改編する際、秋田テレビ、山陰中央テレビ以外の局ではローカルニュース担当キャスターの挨拶にほぼ差し替えられていた。その為キー局のフジテレビは上述の通り挨拶が重複。関東エリアと全国への挨拶を行っていた。ちなみにフジテレビ以外の他系列はその当時すべて、ワイド化する以前は6時台後半に全国ニュースを持ってきていた。 斬新な編成は画期的であり、最終的に高い人気を博し、当時の民放の雄[[TBSテレビ|TBS]]「[[JNNニュースコープ|ニュースコープ]]」を終了させるなど、営業的には大成功を収めた。しかし内容面では系列との軋轢が多く、全国ニュースはあくまでも「ローカルニュースワイドの前半部に内包する枠」という立ち位置だった為、系列局のタイトルが違うことにより、関東の視聴者層の中にはスーパータイムは関東ローカルだと思っていた人が多くいた。また、前番組では全国ニュースの枠の中に挿入していたスポーツコーナーを、この番組においてでは別立てにしたため、全国ニュースの枠というのは正味20分足らずだった。

土日版も同様に差し替えた地域に配慮して、冒頭の挨拶では「○月○日土曜日(日曜日)のニュースです」(1995年以降は「○月○日土曜日(日曜日)です」)と言っており、番組名は入れていなかった。1994年9月までは挨拶の際にキャスター名をフルネームで言っていたが、その後は挨拶と日付 • 曜日のみなった。

番組放送後期にさしかかった頃には福島テレビ『FTVテレポート』、関西テレビ『アタック600(日曜日はアタック530)』、テレビ大分『ニュースインおおいた』(ただし、福島テレビは1985年12月までの月-金曜・土曜のネットパートを独立番組扱いならびに1993年3月までの日曜日を、テレビ大分は1985年度の日曜版にスーパータイムのタイトルを使用していた)の3局(+日曜日はここに『中日新聞テレビ日曜夕刊』に差し替える東海テレビ・富山テレビ・石川テレビが加わり6局)を除くネット局(あくまでこの番組放送当時だが)で「'''スーパータイム'''」に番組タイトルが統一されていた(1992年4月から)。

以下に表記するネット局による差し替えタイトル表は、番組放送当時のものである。下の表で1984年10月番組開始となっている番組は、テレビ新広島を除いて土日版は1985年4月放送開始であるが、煩雑になる為注記を省略した。また、●は『スーパータイム』が放送開始した1984年10月以前からの番組名を引き継いでいる番組である(「FNN」が付けられたものや、「600」など数字部分のみの変更も含む)。

{| class="wikitable" style="font-size:small"
!放送局名!!番組名
|-
|style="white-space:nowrap"|CX '''フジテレビ'''<br />('''基幹・報道部番組制作局''')||'''FNNスーパータイム'''
|-
|UHB [[北海道文化放送]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[uhbイブニングニュース|FNN イブニングニュース]] / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNNイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNNイブニングニュース(土曜)、[[Uhbニュース|uhbニュースレポート5:30 FNN]] / [[道新ニュース]]・[[天気予報]](日曜)<br />1988年4月1日 - 1993年9月30日:[[uhbスーパータイム|FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN]] / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN(土日)<br />1993年10月1日 - 1996年3月31日:[[スーパータイムHOKKAIDO|FNNスーパータイムHOKKAIDO]] / キリンお天気ジョッキー → ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、uhbスーパータイム FNN(土日)<br />1996年4月1日 - 1997年3月30日:uhbスーパータイム FNN / ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、uhbスーパータイム FNN(土日)
|-
|mit [[岩手めんこいテレビ]]<br />([[1991年]]4月1日開局)||1991年4月1日 - 1997年3月30日:[[mitスーパータイム|mitスーパータイム FNN]]
|-
|OX [[仙台放送]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[FNN仙台放送イブニングニュース]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN仙台放送イブニングニュース(全曜日)<br />1988年4月1日 - 1997年3月30日:[[FNN仙台放送スーパータイム]]<br />※1992年4月3日 - 1994年9月30日は『[[ニュース一番星|FNNとうほく 金曜ニュース一番星]]』(OX・mit・YTS(1993年[[3月26日]]まで)・AKT・FTV)、1994年10月3日 - 1996年12月は『[[夕やけTV編集局]]』、1997年1月6日 - [[9月26日]]は『[[ほっとチャンネル (仙台放送)|ほっとチャンネル]]』として放送。
|-
|AKT [[秋田テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[テレポートあきた|FNNテレポートあきた]] / [[お天気Diary|お天気ダイアリー]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー(月-金曜)、FNNスーパータイム / [[FNN AKTニュース|AKTニュース]]・お天気ダイアリー(土日)<br />1989年4月3日 - 1997年3月30日:[[スーパータイムあきた|FNNスーパータイムあきた]](月-金曜)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(土日)
|-
|YTS [[山形テレビ]]<br />(現:[[テレビ朝日]]系列)||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[YTSニュースワイド60|FNN YTSニュースワイド60]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN YTSニュースワイド60(月-金曜)、FNN YTSニュースワイド60 / [[YTSニュース]]・[[天気予報]](土日)<br />1987年4月1日 - 1993年3月31日:[[YTSニュース スーパータイム|FNN YTSニュース スーパータイム → YTSニュース スーパータイム FNN]]<br />※1993年[[3月31日]]で番組終了。{{Efn|ただし、近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・仙台放送・福島テレビ・秋田テレビ)をケーブルテレビなどで受信できた場合は引き続き見ることができた。ネットチェンジ後はテレビ朝日の[[ステーションEYE]]をネット。}}
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|SAY [[さくらんぼテレビジョン|さくらんぼテレビ]]||1997年[[3月15日]] - 3月30日:[[SAYスーパータイム|スーパータイム]]<br />※約2週間の[[サービス放送]]期間中のみの放送だったため、最後までタイトルに「FNN」が付かなかった。サービス放送開始当初はローカル枠も全てフルネットだったが最後の1週間のみ山形ローカル枠が設けられ、スポーツコーナーの後に15分程度放送された。
|-
|FTV [[福島テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイム / [[FTVテレポート]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1986年[[1月5日]]:FNNスーパータイム / FTVテレポート(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)<br />1986年[[1月6日]] - 1993年3月28日:[[FTVテレポート|FNN FTVテレポート]] / [[お天気リポート (福島テレビ)|お天気リポート]](月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)<br />1993年3月29日 - 1996年[[6月30日]]:FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜)、FNN FTVテレポート(日曜)<br />1996年[[7月1日]] - 1997年3月30日:[[テレポート525]](月-土曜17時台) / FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜18時台)、FNN FTVテレポート(日曜)
|-
|NST [[NST新潟総合テレビ|新潟総合テレビ<br />(現:NST新潟総合テレビ)]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[NSTワイド6:00|FNN NSTワイド6:00]] / [[お天気ホットライン]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1990年9月30日:FNN NSTワイド6:00 / お天気ホットライン(月-金曜)、FNNスーパータイム / [[NSTニュースコーナー]]・天気予報(土日)<br />1990年10月1日 - 1993年3月31日:[[NSTニュース|NSTニュース予告編]] / [[NSTスーパータイム|NSTスーパータイム FNN]](月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日)<br />1993年4月1日 - 1997年3月30日:[[NSTスーパータイム|NSTスーパータイム予告編]] / NSTスーパータイム FNN(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日)
|-
|NBS [[長野放送]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[NBSイブニング6:00|FNN NBSイブニング6:00]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN NBSイブニング6:00(月-土曜)、[[NBSイブニング5:30|FNN NBSイブニング5:30]](日曜)<br />1990年4月2日 - 1997年3月30日:[[NBSスーパータイム NEWS&SPORTS|FNN NBSスーパータイム NEWS&SPORTS]]
|-
|SUT [[テレビ静岡]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[FNNテレビ静岡スーパータイム]] / [[HOT6 GOGO]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(月-金曜)、FNNテレビ静岡スーパータイム(土日)
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|T34 → BBT [[富山テレビ放送|富山テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[FNN イブニングワイド とやま6:00|FNNイブニングワイド6:00]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1986年3月30日:[[FNN イブニングワイド とやま6:00|FNNイブニングワイドとやま6:00]](月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『[[中日新聞テレビ日曜夕刊|FNN北陸中日新聞 日曜夕刊]]』として放送中)<br />1986年3月31日 - 1992年4月5日:[[FNNスーパータイムとやま]](月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)<br />1992年4月6日 - 1994年3月27日:[[スーパータイムとやま530]] / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)<br />1994年3月28日 - 1997年3月30日:[[5時ってうきうき]] / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
|-
|ITC [[石川テレビ放送|石川テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[FNNニュースワイド石川6:00]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNニュースワイド石川6:00(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)<br />1986年4月1日 - 1997年3月30日:[[FNN石川テレビスーパータイム]](月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
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|FTB [[福井テレビジョン放送|福井テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[FNN福井テレビニュース6:00]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1989年4月1日:FNN福井テレビニュース6:00(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)<br />1989年4月3日 - 1997年3月30日:[[FNN福井テレビスーパータイム]]
|-
|THK [[東海テレビ放送|東海テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[イブニングニュース600|FNNイブニングニュース600]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNイブニングニュース600(月-土曜)、[[中日新聞テレビ日曜夕刊|中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN]](日曜 / 現在も放送中)<br />1990年4月2日 - 1997年3月30日:[[FNN東海テレビスーパータイム]](月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中)
|-
|KTV [[関西テレビ放送|関西テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[アタック600|FNN KTVアタック600]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNN KTVアタック600(月-金曜)、[[KTVニュース|KTVニュース FNN]](土日)<br />1986年3月31日 - 1997年3月30日:FNN KTVアタック600 → FNNアタック600(月-土曜)、[[アタック530|FNN KTVアタック530 → FNNアタック530]](日曜)<br />※[[年末年始]]のみ『KTVニュース FNN』として放送された時期がある。
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|TSK [[山陰中央テレビジョン放送|山陰中央テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[TSKイブニングワイド|FNN TSKイブニングワイド]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1988年4月3日:FNN TSKイブニングワイド(全曜日)<br />1988年4月4日 - 1997年3月30日:[[TSKスーパータイム|FNN TSKスーパータイム → TSKスーパータイム FNN]]<br />※年末年始のみは『FNNスーパータイム』として放送。
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|OHK [[岡山放送]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[OHK報道センター6:00|FNN OHK報道センター6:00]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN OHK報道センター6:00(月-金曜)、[[FNNニュースレポート6:00]] / [[OHKニュース]](土曜)、[[FNNニュースレポート5:30]] / OHKニュース(日曜)<br />1988年4月1日 - 1997年3月30日:[[OHKスーパータイム|FNN OHKスーパータイム → OHKスーパータイム FNN]]<br />※1992年10月10日 - 1997年3月29日、土曜のみは『[[OHKスーパータイムWEEKLY]]』として放送。
|-
|tss [[テレビ新広島]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[tssワイドニュース|FNN tssワイドニュース]] / 天気予報(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNN tssワイドニュース / [[カープとお天気]](月-金曜)、FNN tssワイドニュース(土日)<br />1987年10月5日 - 1997年3月30日:[[tssスーパータイム|FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN]] / カープとお天気 → [[カープっ娘TV]](月-金曜)、FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN(土日)
|-
|EBC [[テレビ愛媛]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[スーパータイムEBC600|FNNスーパータイムEBC600]] / 天気予報(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(月-土曜)、[[スーパータイムEBC530|FNNスーパータイムEBC530]] / 天気予報(日曜)<br />1990年4月2日 - 1997年3月30日:[[EBCスーパータイム|EBCスーパータイム FNN]] / 天気予報
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|KSS [[高知さんさんテレビ]]||1997年[[3月20日]] - 3月30日:[[SUNSUNスーパータイム|SUNSUNスーパータイム FNN]]<br />※サービス放送期間中に放送。
|-
|TNC [[テレビ西日本]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[TNCスーパータイム NEWS&SPORTS|FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS]] / [[とべとべトピックス]](月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS / とべとべトピックス → [[とべとべホークス]](月-金曜)、FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS(土日)
|-
|sts [[サガテレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[stsニュースレポート|FNN stsニュースレポート]] / [[佐賀新聞ニュース]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース(月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日)<br />1989年4月3日 - 1991年3月31日:FNN stsニュースレポート / [[デイリーフラッシュ]](月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日)<br />1991年4月1日 - 1995年4月2日:[[stsスーパータイム]] / デイリーフラッシュ(月-金曜)、stsスーパータイム(土日)<br />1995年4月3日 - 1997年3月30日:stsスーパータイム
|-
|KTN [[テレビ長崎]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[ニュースワイドKTN|FNNニュースワイドKTN]] / 天気予報(月-金曜)<br />1985年4月1日 - [[1987年]][[10月4日]]:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(月-金曜)、FNNニュースワイドKTN(土日)<br />[[1987年]][[10月5日]]<ref>[[長崎新聞]][[1987年]][[10月2日]]、[[10月3日]]、[[10月4日]]、[[10月5日]]付朝刊ラ・テ欄で確認。</ref> - 1997年3月30日:[[KTNスーパータイム|FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN]] / 天気予報(月-金曜)、FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN(土日)
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|TKU [[テレビ熊本]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[テレビ熊本夕方ニュース枠|FNN TKUニュース・アイ]] / 天気予報●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日)<br />1989年4月3日 - 1997年3月30日:[[テレビ熊本夕方ニュース枠|FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN]] / 天気予報(月-金曜)、FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN(土日)
|-
|TOS [[テレビ大分]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[ニュースインおおいた|FNNニュースインおおいた TOS]] / [[あしたのお天気 (テレビ大分)|あしたのお天気]]・[[おはなしマイク]]●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土曜)、[[TOSスーパータイム|FNN TOSスーパータイム]](日曜)<br />1986年3月31日 - 1989年4月2日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日)<br />1989年4月3日 - 1996年9月30日:FNNニュースインおおいた TOS / おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日)<br />1996年10月1日 - 1997年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気
|-
|UMK [[テレビ宮崎]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[UMKニュースレポート|FNN UMKニュースレポート]] / 天気予報●(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1988年[[4月17日]]:FNN UMKニュースレポート / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / [[UMKニュース]](土日)<br />1988年[[4月18日]] - 1992年3月31日:[[UMKニュースリポート|FNN UMKニュースリポート → UMKニュースリポート FNN]] / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(土日)<br />1992年4月1日 - 1996年3月31日:[[UMKスーパータイム|UMKスーパータイム FNN]] / 天気予報(月-金曜)、UMKスーパータイム FNN(土曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(日曜)<br />1996年4月1日 - 1997年3月30日:UMKスーパータイム FNN
|-
|KTS [[鹿児島テレビ放送|鹿児島テレビ]]||1985年4月1日 - 1995年[[10月31日]]:[[KTSスーパータイム NEWS&SPORTS|FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS]]<br />1995年[[11月1日]] - 1997年3月30日:[[KTSスーパータイム530]] / FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(月-金曜)、FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(土日)<br />※1985年3月31日までは[[Nippon News Network|NNN]]のニュースをネット。
|-
|OTV [[沖縄テレビ放送|沖縄テレビ]]||1984年10月1日 - 1985年3月29日:[[OTVイブニングワイド|FNN OTVイブニングワイド]] / 天気予報(月-金曜)<br />1985年4月1日 - 1992年3月31日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日)<br />1992年4月1日 - 1997年3月30日:[[OTVスーパータイム|OTVスーパータイム FNN]] / 天気予報(月-金曜)、OTVスーパータイム FNN(土日)
|}

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|author=[[嶌信彦]]|title=メディア 影の権力者たち|publisher=[[講談社]]|date=1995-4|isbn=978-4062076289|ref={{sfnref|嶌|1995}}}}
* {{Cite book|和書|author=[[境政郎]]|title=そして、フジネットワークは生まれた|publisher=[[扶桑社]]|year=2020|month=1|isbn=978-4594084028|ref={{sfnref|境|2020}}}}

{{前後番組
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[[Category:FNNスーパータイム|*]]
[[Category:1984年のテレビ番組 (日本)]]

2024年8月8日 (木) 07:56時点における最新版

FNNスーパータイム
FNN Super Time
ジャンル 報道番組
オープニング 作曲:たかしまあきひこ
エンディング 同上
製作
プロデューサー 澤雄二
村上孝麿
制作 フジテレビジョンFNN
放送
音声形式モノラル放送
放送国・地域日本の旗 日本
月-金曜版
出演者歴代出演者」を参照
放送期間1984年10月1日 - 1997年3月28日
放送時間月-金曜 18:00 - 19:00
放送枠フジテレビ系列夕方ニュース枠
放送分60分
土日版
出演者歴代出演者」を参照
放送期間1985年4月6日 - 1997年3月30日
放送時間【土曜】18:00 - 18:30
【日曜】17:30 - 18:00
放送枠フジテレビ系列夕方ニュース枠
放送分共に30分
番組年表
前作FNNニュースレポート6:00
(月-金曜版)
FNNニュースレポート5:30
(土日版)
次作FNNニュース555 ザ・ヒューマン
(月-金曜版)
FNNニュース ザ・ヒューマン
(土日版)

特記事項:
ネット局により番組タイトルが異なる時期があった(詳細は当該項目を参照)。
放送回数:全曜日合わせて全4497回
テンプレートを表示

FNN スーパータイム』とは、フジテレビ系列(FNN)で1984年昭和59年)10月1日から1997年平成9年)3月30日(月 - 金曜版は1984年10月1日から1997年3月28日、土日版は1985年4月6日から1997年3月30日まで)にかけて放送されていた夕方の報道番組である。略称および番組タイトルコールは「スーパータイム」。

概要

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前番組『FNNニュースレポート6:00』と『FNNニュースレポート6:30』を統合した民放初の1時間枠のニュース番組(実際は「あすの天気」が別枠扱いのため55分)。タイトルデザインは『なるほど!ザ・ワールド』等のロゴを手がけた山形憲一、音楽は『クイズダービー』等を手がけたたかしまあきひこが担当。夕方のニュースにおいて、あえて「ニュース」という言葉を外し、『スーパータイム』と銘打った[1]。この番組の成功により1980年代後半以降、他の時間枠でも「ニュース」の冠を入れない番組が登場し、柔軟性を活かした報道番組の草分け的存在であった。

この『スーパータイム』の出現で、6時のニュース帯は、激戦区となって行く。3パーセントから4パーセントだったフジテレビの視聴率が、やがて2桁を取り始めたからだ[1]。そんなとき、1985年(昭和60年)8月12日の日本航空123便墜落事故で、フジテレビの取材クルーはこの大惨事の中で生存者がいることを伝え、救出作戦を生中継するという大スクープを演じ[2]、テレビ界初の日本新聞協会賞(編集部門)を受賞した[3]。以後、フジの報道イメージは上がり、スーパータイムはTBSの『JNNニュースコープ』を追い抜き[4]、トップに躍り出るようになり[1]、番組は出演者やスタッフを替えながら、月-金曜版は12年間半、土日版は12年間、それぞれ続いた。

歴代出演者

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『FNN スーパータイム』出演者の変遷
期間 メインキャスター スポーツ 天気
男性 女性
平日 週末 月 - 木曜日 金曜日 週末 月 - 水曜日 木・金曜日 週末 平日 週末
1984年10月01日 1985年03月29日 逸見政孝[5]1・2・3 放送なし 幸田シャーミン[5]4 (放送なし) 河村保彦[5]1 江本孟紀 (放送なし) (下記参照) (放送なし)
1985年04月01日 1986年03月30日 陣内誠5 城ヶ崎祐子 長田渚左 森末慎二6 川端健嗣7 (メインが兼務)
1986年03月31日 1986年09月28日 三宅正治
1986年09月29日 1987年03月29日 山中秀樹5
1987年03月30日 1987年09月27日 幸田シャーミン4 野間脩平7 永麻理8
1987年09月28日 1988年03月31日 野間脩平7 安藤優子 笠井信輔
1988年04月1日 1988年07月10日 黒岩祐治 安藤優子3・4 小田多恵子 筒井櫻子
1988年07月11日 1989年04月02日 塩原恒夫
1989年04月03日 1989年09月30日 上田昭夫3 有賀さつき
1989年10月01日 1990年09月30日 木幡美子
1990年10月01日 1991年03月31日 田代尚子
1991年04月01日 1992年03月31日 黒岩祐治3 小林穂波 松井みどり
1992年04月01日 1993年09月26日 露木茂9 山中秀樹10・13 大林典子11 大坪千夏
1993年09月27日 1994年03月31日 近藤サト13 佐藤里佳12・13・14 岩谷忠幸
1994年04月01日 1994年09月30日 松山香織4 上田昭夫
中井美穂
1994年10月01日 1995年10月01日 山形斉子 岩谷忠幸15
1995年10月02日 1995年12月03日 上田昭夫
八木沼純子16
1995年12月04日 1996年03月31日 濱田典子
1996年04月01日 1997年03月30日 菊間千乃
  • 前述の月 - 金曜日お天気コーナーはフジテレビの若手女性アナウンサーがシフトで担当。なお濱田は当時フジテレビアナウンサーであったが、気象予報士の資格を持っていたため、「気象予報士」の肩書きで出演。

『FNSの日』放送時の特別キャスター

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期間 メイン司会 パートナー司会 スポーツ 天気 中継
1987年 タモリ1・2 逸見政孝 なし 福井敏雄1
長野智子
畑正憲
1988年 露木茂2 笑福亭鶴瓶3
塩原恒夫
福井敏雄2 黒岩祐治
1989年 明石家さんま3
中井美穂3
横山隆晴
黒岩祐治
西村洋子
1990年 黒岩祐治 小田多恵子 木幡美子 太平シロー4
八木亜希子4
なし
1991年 武田鉄矢 露木茂4 なし 須田哲夫
1992年 逸見政孝4
岡本夏生4
なし 木幡美子 なし
1993年 辰巳琢郎
奥山佳恵
安藤優子 (不明)
1994年5 露木茂 安藤優子
大塚範一
1996年 ラサール石井 松山香織

放送時間

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月-金曜版、土日版(1985年4月6日開始)ともに放送時間は一貫して変わらなかった。以下、日本時間(JST)で表記。

月 - 金曜日 土曜日 日曜日
全編 全国枠 全編 全国枠 全編 全国枠
18:00 - 19:00
(60分)
18:00 - 18:20
(20分)
(後に18:25まで)
18:00 - 18:30
(30分)
18:00 - 18:20
(20分)
17:30 - 18:00
(30分)
17:30 - 17:50
(20分)

年末年始も休止せず通常の出演者・体裁で放送されたが、月-金曜版については日によって18:30までの短縮版で放送される場合もあった(主に正月三が日や『FNS番組対抗NG名珍場面大賞年末スペシャル』が放送される日が該当)[注釈 1]

歴史

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番組開始の背景

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1984年(昭和59年)10月の改編期を前に、フジテレビの編成部長だった中出傳二郎(のち常務)は突然、報道センター室長に替わり、新しいニュース番組を担当することになった[6]。中出は藤村邦苗報道局長(のち副社長)らとともに[7]、新番組の責任者として、気象庁科学技術庁詰めだった小櫃眞佐己(のち常務)や澤雄二(のち公明党参議院議員)を引っ張り、「6時台の1時間枠で、今までにないまったく新しいタイプのニュース番組を作り出してほしい」と命じた[8]。当時、フジテレビの夕方6時台のニュース視聴率は3パーセントから4パーセントだった[8]。「ニュースも視聴率を上げなけりゃ、電波のムダ使いだ。新聞には"5W1H"という原稿書きの方法論があるが、テレビではこの5W1Hに何かプラスワンかツーをつけたテレビ的特色、テレビ感覚を入れてほしい」と中出は注文をつけた[9]。小櫃と澤らにも、「これまでの各局のニュース番組に欠けているのは"感性"だ」という思いがあった。感性が出すぎると、ニュースの信頼性を失う危険性はあるが、「"感性の箱"のなかで論理の世界を扱わねばならない矛盾を矛盾として受けとめながら、とにかく感性の部分をニュースに取り入れ、そこから視聴率競争に切り込みをはかろうと」考えた[9]タイトル(見出し)には派手な音(効果音)をつけ、字幕スーパーをカラー化し、映像も面白くて、視聴者が見たいと思うものを出していった[9]。こうした手法には視聴者が服装や音、刺激的な映像に気をとられ、論理がおろそかになるという批判はあった。が、論理を歪める気はさらさらなかったものの、「テレビとはそういうものだ」と割り切ったのである[1]

電子テロップ装置の開発

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スーパータイム開始に合わせ、「放送用ワードプロセッサ」(BWP-5100、以下放送用ワープロ)をフジテレビと日本電気等が開発・運用開始した[10]。それまではフジテレビに限らず、日本のテレビ局でのニュース番組における字幕スーパーは、写真植字機あるいは手書きでテロップカードと呼ばれる紙に文字や図形等を入力し、それを専用のスキャナーへ装填して映像信号へと変換させ、ニュース映像に合成していた。この放送用ワープロは、日本語用の業務用ワードプロセッサを応用した装置で、入力する書体と文字の色や大きさや文字の映像効果[11]を変えることができ、電子的かつ即時に字幕スーパーを発生できた[10]。使用された日本語フォント[12]サンケイ新聞電算技術部の協力を得た[10]。放送用ワープロは、1984年8月から一部で、10月1日から全面的に運用を開始[10]。主にフジテレビの報道番組とスポーツ番組[13]限定にて運用していた。同装置はJTCウィンフォントを搭載した次世代機へ移行する1994年7月まで使用された。

1984年度後期 - 1987年度(逸見・幸田時代)

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1984年10月1日に放送開始。メインキャスターには『FNNニュースレポート6:00』から引き続き逸見政孝(当時フジテレビアナウンサー)、フリーアナウンサーの幸田シャーミンが起用され、スポーツコーナーは月 - 水曜日は『FNNニュースレポート6:00』から野球解説者河村保彦、木・金曜日は野球解説者の江本孟紀が担当。

1984年
  • 10月1日 - 放送開始。
1985年
1986年
1987年
  • 3月29日 - 三宅が降板。スポーツ実況に専念。
  • 4月1日 - この日以降、幸田は、担当曜日を月 - 木曜日の週4日に縮小。
  • 4月3日 - 金曜日メインキャスターとして野間脩平が登板。逸見との男性コンビとなる。
  • 4月4日 - 週末版のスポーツコーナーに美味しんぼ倶楽部の総合司会担当の永麻理が登板。
  • 7月18日・19日 - 『FNSスーパースペシャル1億人のテレビ夢列島』が放送され本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。司会は同番組総合司会のタモリと平日版メインキャスターの逸見が担当。天気予報はお天気キャスターの福井敏雄長野智子アナウンサー(当時)が、宮城県からの中継をムツゴロウさんこと畑正憲が担当した。
  • 9月27日 - 山中・城ヶ崎・永が揃って降板。山中・城ヶ崎は『FNNモーニングコール』のキャスターとなり、永は『美味しんぼ倶楽部』に専念となる。
  • 10月2日 - 金曜日、週末版のメインキャスターに安藤優子が登板。
  • 10月3日 - 週末版のメインキャスターに金曜日メインキャスターを担当した野間脩平、スポーツコーナーは笠井信輔がそれぞれ担当。
1988年
  • 3月27日 - 野間・笠井が降板。野間は『FNNスピーク』の金曜日メインキャスター。笠井は『タイム3』のキャスターとなる。
  • 3月31日 - 幸田が降板。ハーバード大学ケネディスクールに留学。

1988年度(逸見・安藤時代)

[編集]

フリーアナウンサーとなった逸見政孝と上智大学大学院グローバル・スタディーズ研究科を卒業し、それまで金曜日、週末版を担当した安藤優子の全曜日担当に昇格。

1988年
1989年
  • 3月31日 - 逸見が降板。1978年10月からスタートした『FNNニュースレポート6:30』から足掛け10年半にわたる活躍だった。降板後はフリーアナウンサーだけではなくタレントとしても活躍。
  • 4月2日 - 塩原が降板。スポーツ実況に専念。

1989年度 - 1990年度(上田・安藤時代)

[編集]

『FNN DATE LINE』の司会を務めた上田が2代目メインキャスターとして移籍登板。

1989年
1990年
1991年

1991年度(黒岩・安藤時代)

[編集]

週末版のメインキャスターを務めた黒岩が平日版に異動。週末版メインキャスターは『FNNモーニングコール』や『FNN朝駆け第一報!』の司会を務めた小林穂波が務めた。

1991年
1992年
  • 3月29日 - 小林・田代・松井が揃って降板。小林は人事異動で外信部デスクとなり、また『週刊フジテレビ批評』のコメンテーターとなる。田代は『FNN World Uplink』のパリ中継の為、パリ支局に異動。松井はスポーツ中継に専念。
  • 3月31日 - 黒岩が降板。『報道2001』の司会となる。

1992年度 - 1993年度(露木・安藤時代)

[編集]

『FNN World Uplink』の司会を務めた露木が平日版メインキャスター、大林典子、『FNNスピーク』の金曜日メインキャスターを務め、木曜日 - 土曜日→土曜日のメインキャスターと兼務する山中が週末版メインキャスターとして登板。

1992年
  • 4月1日 - 平日版リニューアル。露木がメインキャスターとして登板。番組冒頭、露木は「今日から私、『スーパータイム』を担当することになりました。どうぞよろしくお願いします。エイプリルフールではありません」と登板の挨拶をした。
  • 4月4日 - 週末版リニューアル。4年半ぶりに山中が再登板。スポーツコーナーは大坪千夏が登板。
  • 7月18日・19日 - 『FNSスーパースペシャル1億2000万人の平成教育テレビ』が放送され、本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。司会は初代メインキャスターで『平成教育委員会』の司会者であった逸見と同じく『平成教育委員会』の解答者であった岡本夏生が担当。スポーツ・天気コーナーは『モーニングLIVE』および『FNN World Uplink』(いずれも、木・金曜日担当)さらに、『FNNスピーク』土曜版の木幡が担当。この日の放送では、第1回放送のオープニング部分とエンディング(関東ローカル)部分の一部が放送された。
  • 7月26日 - 第16回参議院議員通常選挙が開票され『スーパータイム選挙スペシャル』が放送[14]。司会は露木と安藤。コーナー司会に『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』の上岡龍太郎が担当。コメンテーターは早坂茂三と野坂昭如。
1993年
  • 4月1日 - FCIワールドコーナーが設けられ、ニューヨーク支社特派員として城ヶ崎が5年半ぶりに再登板。同時にオープニング演出及びCMに突入時のアタック音楽も変更となる。
  • 7月18日 - 第40回衆議院議員総選挙が開票され『スーパータイム選挙スペシャル』が放送。司会は露木と安藤、レポーターは前メインキャスターで『報道2001』司会の黒岩が担当。
  • 7月24日・25日 - 『FNS大サービスバラエティー1億2450万人の平成教育テレビ』が放送され、本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。月-金曜版メインキャスターの安藤と『平成教育委員会』解答者の辰巳琢郎奥山佳恵が担当。
  • 9月26日 - 大林・大坪が降板。大林は半年の休養の後、『おはよう!ナイスデイ』のキャスターに再就任。大坪は『タイムアングル』のキャスターとなる。
  • 9月27日 - 平日版のお天気コーナーに気象予報士の岩谷忠幸が登板。
  • 10月1日 - 10年目に突入。同時に『スーパータイム関東』が放送開始。また進行胃癌(スキルス胃癌)で入院中の逸見からメッセージが届く。メッセージは、安藤が代読した。
  • 10月2日 - 週末版のメインキャスターに『FNN おはよう!サンライズ』から近藤サト、スポーツコーナーに佐藤里佳が登板。
  • 12月25日 - 平日版初代メインキャスターの逸見が末期のスキルス胃癌・再発転移による癌性悪液質の為死去(享年48)。この日の当番組でも逸見の死をトップニュースで伝え、逸見が入院していた東京都内の病院前からの中継を担当した吉沢孝明はリポートの締めくくりにフジテレビアナウンサー時代の逸見との思い出を語ったほか、平日版メインキャスターの露木のお悔やみのコメントも放送された。そして、週末版のメインキャスターだった山中はニュースの最後に「今日はスタジオにいる私にとっても、中継に出ているアナウンサーにとっても辛い1日となりました。(逸見さんは)プロのアナウンサーでした。ご冥福をお祈り致します」とコメントした。また、この日は逸見の死去を受け、本番組の後続の時間帯(18:30 - 19:54)に『追悼・衝撃のガン告白から110日…逸見政孝さんついに逝く』を急遽放送した(テレビ大分・鹿児島テレビでは土曜日の19時台が日本テレビの『なんだろう!?大情報!』をネットしている関係〈鹿児島テレビは当時〉上非ネット。遅れネットも行わず。前述の2局は、日本テレビ系においての逸見の緊急追悼特番の方を同時ネットした)。
  • 12月27日 - 逸見政孝の葬儀・告別式をトップで伝え、露木が葬儀の様子を、安藤がフジテレビ前で逸見の棺を乗せた霊柩車が通過した様子をそれぞれリポートした。その後在りし日の逸見の映像を流し、安藤が号泣する場面があった。
1994年

1994年度 - 1996年度(露木・松山時代)

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『報道2001』の司会を務めた元中部日本放送(現:CBCテレビ)アナウンサーで、フリーアナウンサーの松山香織が安藤と入れ違いでメインキャスターとして登板。また、前月まで『FNNおはよう!サンライズ』の司会を担当し、慶応義塾大学のラグビー部の監督に再就任した2代目メインキャスターの上田、『プロ野球ニュース』を担当していた中井がスポーツキャスターとして登板。

1994年
  • 7月23日・24日 - 『FNS総力スペシャル1億2500万人の平成夏休みバラエティー』が放送され、『オールキャスターニュース』として司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤、『めざましテレビ』の大塚範一が担当。
  • 10月1日 - 平日版を担当した岩谷が、週末版に異動。
  • 10月3日 - 10周年。これを機にオープニング演出およびセットが一新。また新たに気象予報士として山形斉子が登板。
  • 10月8日 - この日、ナゴヤ球場でプロ野球セ・リーグの中日ドラゴンズ読売ジャイアンツの同率首位同士による最終戦(勝ったチームが優勝・いわゆる10.8決戦)が行われ、この日の本番組でも番組冒頭からナゴヤ球場から生中継を実施。この日は番組のほとんどをこの試合の中継に充て、冒頭数分間ナゴヤ球場からの中継を伝えた後、山中は「今日はナゴヤ球場以外のニュースは3つ、4分20秒しかお伝え出来ません。ほとんどナゴヤ球場の中継になります」と告げ、一旦他のニュースを伝えた後再び野球中継に切り替えた。
1995年
  • 1月17日 - この日の早朝に阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)が発生。昼頃から報道特番体制となり、昼過ぎ以降は本番組の露木・松山が進行を担当。18:00 - 19:00の間は通常通り『スーパータイム』として放送されたが、この日は午後帯の報道特番からの流れで、普段使用している第7スタジオからではなく報道フロアからの放送[注釈 2]となり、内容も終盤にこの日会派離脱届提出の動きがあった社会党に関するニュースや関東地方の天気予報を伝えた以外は全て関西テレビの『FNNアタック600』(近畿地区のローカルパート)のスタジオと結びながら地震関連のニュースで持ち切りだった。
  • 4月8日 - 『FNNスピーク』の木 - 土曜日→土曜日メインキャスターと兼務して務めていた山中がこの日以降、本番組に専念となる。
  • 7月23日 - 第17回参議院議員通常選挙が開票され、『激動待ったなし!!FNN参院選スペシャル』が放送。司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤が担当。コメンテーターは舛添要一と『めざましテレビ』より森田実が務めた。
  • 9月29日 - 中井が降板。同年12月、ヤクルト選手・古田敦也と結婚し退社、フリーアナウンサーとなる。
  • 10月2日 - 平日版のスポーツキャスターとしてフィギュアスケート選手の八木沼純子が登板。この日のスポーツコーナーはスケート場から生中継で行われ、コーナー冒頭八木沼が滑りを披露したが、転倒するハプニングがあった。
  • 12月1日 - 山形が降板。
  • 12月4日 - 平日版のお天気コーナーに気象予報士の資格を取った濱田典子が登板。
1996年
  • 3月29日 - FCIワールドコーナーが終了。城ヶ崎は帰国後、広報局に異動。
  • 3月31日 - 佐藤が降板。『めざまし天気』、『夕食ばんざい』、『風まかせ 新・諸国漫遊記』の専念となる。
  • 4月6日 - 週末版のスポーツコーナーに菊間千乃が登板。
  • 7月13日・14日 - 『FNSの日十周年記念1億2500万人の超夢リンピック』が放送され、本番組も『FNNスーパータイムスペシャル』として放送。司会は『平成教育委員会』解答者のラサール石井と平日版メインキャスターの松山が担当。
  • 9月30日 - この日からオープニング演出を大幅に簡略化。平日版の場合、冒頭5秒間トップ項目のニュース映像をバックにタイトルCGを表示[注釈 3]し、その後すぐスタジオに映像が切り替わりキャスター挨拶→トップニュースという形となり、ヘッドラインは廃止された(ネットスポンサーの前提供クレジットは最初のCM入り前に移動)。また、同時にニュース部分のVTR導入時のアタック音やCM前ジングルなどの各種演出も一新された。
  • 10月20日 - 第41回衆議院議員総選挙が開票され、『FNN選挙の鉄人』が放送。司会は本番組から露木、前メインキャスターで『ニュースJAPAN』の安藤、『めざましテレビ』の大塚と八木亜希子、『プロ野球ニュース』・『料理の鉄人』の福井謙二が担当。
  • 12月ごろ - 翌年3月の放送終了を発表[要出典]
1997年
  • 3月10日 - フジテレビのお台場への本社移転に伴い、新社屋(現社屋)から放送開始。ただ、この3週間後に番組が終了する事となっていた為スタジオセットは組まれず、報道フロアの一角に河田町の旧社屋から持ってきたテーブルを置いて放送していた(スポーツコーナーはお台場の夜景を見渡す社内の渡り廊下に看板とテーブルを置いて放送した)。
  • 3月28日 - 平日版終了。特集コーナーでは歴代キャスター陣の取材シーンやハプニング映像をまとめた特別企画を放送。また、「NEWS SCRAMBLE」のコーナーでフジテレビのプロデューサーと芸能事務所の社員が少女に暴行した容疑で逮捕されたニュースを報じた際、露木が「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなければならないのは大変情けないと思います」と前置きでコメントした場面があった。そして番組終盤の天気予報の後、露木・松山が各々挨拶を行い、露木は本番組を担当した5年間は自分のアナウンサー生活の中で一番激動した時期だったと振り返った。その後、後継番組『FNNニュース555 ザ・ヒューマン』のメインキャスター・笠井、笹栗実根から露木・松山に花束が贈られた。エンディングでは濱田・上田も挨拶を行い(濱田には次番組の天気キャスター・三井良浩から花束が贈られた)、露木が笠井・笹栗に「24時間頑張ってください」とエールを送った。最後は松山が「どうもありがとうございました」と視聴者に感謝し、番組は終了した。終了後、露木は『報道2001』の司会を、松山は『ニュースJAPAN WEEKEND』のメインキャスター、上田はラグビー部の監督に専念と同時にスポーツ局スポーツ業務推進センター・スポーツ業務部デスク担当部長となる。濱田は同時期に福原直英と結婚し、フジテレビを退社。フリーとして『Grade-A』を担当。八木沼は引き続き次番組のスポーツコーナーを担当。
  • 3月30日 - 週末版終了(放送回数:4497回)。終了後、山中は『森田一義アワー 笑っていいとも』のテレフォンアナウンサーに専念。近藤は『FNNスピーク』の月-金曜版メインキャスターとなる。菊間は『めざましテレビ』のリポーターに専念。岩谷は引き続き次番組の天気コーナーを担当。

主なコーナー

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月〜金曜日
  • オープニング[注釈 4](18:00)
  • ヘッドライン
    • 初期は「それでは今日の主な項目です。」のセリフをきっかけに通常は前半FNN全国ニュースから2-3項目→後半ネット各局のローカルニュースから2-3項目(フジテレビは特報とスポーツの内容)という体裁。オープニングの挨拶はフジテレビのみの放送だったため、ヘッドラインが終わった後に全国向けに改めて挨拶を入れた。
    • 中期以降は各局出しのオープニングロゴ[注釈 5]とともにヘッドラインを開始し、1994年10月からはフジテレビから全国ニュース2項目、各局からローカルニュース2項目(フジテレビは特報とスポーツの内容)という体裁になった[注釈 6]。提供クレジットとオープニングをヘッドライン後に回す形となった。
  • FNN全国ニュース(中断CM2枠あり。CM2前は、フジテレビでは関東ローカルにCM3明けの内容を表示。フジテレビ以外では何も表示しない局や、自局ローカル枠の予告テロップを送出する局もあった。[注釈 7]
  • 提供クレジット(18:22〈初期は18:20〉)
    • 東京都内の天気カメラの中継映像をバックに、まずネットスポンサーの後提供クレジットを全国送出で表示[注釈 8]。フジテレビ以外のネット局ではネットスポンサーの後提供クレジットを表示し終えたところで各局送出の映像に切り替えられる。その後、関東地区ではバックの映像はそのまま(1995年からはタイトルコール後は特報のVTRに切り替え)でオープニングとは別パターンのタイトルCG(1993年3月まではテロップ表示)がと共に「スーパーターイム!!」のタイトルコールが流れた後、関東ローカルスポンサーの前提供クレジットが表示されていた[注釈 9]他、岡山放送など一部の系列局でもタイトルコールが流れていた。
    • 北海道文化放送では全国パートからローカルパートへの切り替えの際、全国パートの提供スーパー終了後、フジテレビからのネット回線の映像を縮小して、札幌市内の天気カメラの映像を一旦2画面にした状態で映し出し、ネット回線映像を先に左へスライドアウトしてから札幌市内の天気カメラの映像をズームする形で画面いっぱいに表示し、ニューススタジオに切り替わる構成をとっていた。
    • FNNでもキー局フジテレビに従属的な東海テレビの場合は、ローカル切り替えを行う際に全国のニュースを終了する上でのスポンサー表示後、同局のスタジオでメインキャスター(高井 一ら)がキャスターデスクに着席してスタンバイ中の光景が提供スポンサーのバックとして映し出されていた。その後、キー局版スーパータイムの構成などに変更などがあると全国ニュースの提供スポンサーの背景として名古屋市内のビル群などを映し出すようになり、『FNNスーパータイム』以上に硬派気味な番組内容を『イブニングニュース600』の頃から実施していた。
  • 特報(18:24、関東ローカル、ネット局はローカルニュース(ローカルパートの内容に関しても各局任意で編成)、中断CMあり/初期は「NEWS JOCKEY」・「外信コーナー 〜松浦さんの海外うらおもて〜」)
    • 記者やキャスターによる実験・体験ものから検証・密着まで硬軟にとらわれない様々な企画が放送された[15]。逸見・幸田時代には「ニュース塾」と題して視聴者からの投稿ビデオコーナー、露木・松山時代には「FNNスーパー映像」と題してFNN系列各局から届いた季節ものやハプニング映像を紹介する企画も放送されていた。
    • 重大ニュースが起きた日は全国枠を拡大し、このコーナー枠を使ってその他のニュースを伝える。
  • NEWS JOCKEY(18:34、関東ローカル、ネット局は引き続きローカルニュース)
    • 関東各地の話題やニュース、視聴者から送られてきた映像、フジテレビからのお知らせなどを紹介。ここでのアタック音は全国パートとは異なりピアノの音だった。このコーナーでは椅子に座る形で進行が行われ、キャスターの前には視聴者からの情報提供のための電話番号が書かれたプレートがあった。1994年10月からはこのコーナー専用の椅子とテーブルが設けられ電話番号のプレートはCGになった。
  • スポーツ(18:40、愛称は「わくわくスポーツ」。全国ネット〈関西テレビを除く〉、東海テレビも独自の時期あり)
    • スタジオセットの右端(1994年10月からは左端)に設けられた専用セットから伝えていた。場合によっては現役アスリートがゲスト出演する事もあった。
  • きょう1日 → NEWS SCRAMBLE(18:47、関東ローカル、ネット局は再びローカルニュース・天気予報)
    • 「きょう1日」時代は岡山放送・山陰中央テレビでもネットされていた。初期のきょう1日は街の映像などをバックに今日起きたニュースや天気予報・為替などを電子テロップで表示し、その後はキャスターが出てきて短いトークなどをして一旦中締めとなり、天気予報に繋がる[注釈 10]
    • 「NEWS SCRAMBLE」はミニ特集かニュースを数項目読み上げていた。
  • 天気予報・エンドカード(18:53、初期は「きょう1日」・エンドカード・天気予報の順)
    • 放送初期は、先に「スーパータイム」としてのエンドカードを出した後に別途天気予報のタイトル・エンドカードを表示していたが、1980年代末期からは天気予報のエンドカードを無くしたうえで天気予報の後に「スーパータイム」としてのエンドカードを出す形となった[注釈 11]
    • 天気予報は1994年9月まではお天気カメラの映像が表示された窓状のクロマキーがある専用セットにキャスターが立って、お天気キャスターと対話する形で放送していた。1994年10月からはスタジオセットの背景をクロマキー[注釈 12]にする事で対応している。天気予報を伝え終わるとメインキャスターが軽めのフリートークと締めの挨拶をして番組は終了する。
    • 天気予報は殆どの場合フジテレビの構内だが、イベントや観光地など中継先から天気を伝える場合もあった(この場合は「NEWS JOCKEY」でも繋ぐ事があった)。濱田がキャスターになってからはスタジオからクロマキー合成によるCG画面をバックに伝え、お台場に移転した最後の3週間は7階の屋上庭園(後に「フジさんテラス」という名称が付く)から伝えていた。BGMには服部克久『ディオリッシモ・残香』が長らく使われていた。
土・日曜日
  • オープニング(土曜:18:00・日曜:17:30、中断CMあり)
  • 全国ニュース
  • スポーツ
  • フラッシュニュース
  • ローカルニュース(土曜:18:20・日曜:17:50、オープニング映像→中断CMあり)
  • 天気予報
    • 前半は全国の予報、後半は関東地方の予報と季節の話題1本という流れで、全国天気の部分は一部の地方局でもネットされていた。
  • 終了タイトル
    • 土日版のヘッドラインは月-金曜版と違い、オープニングタイトル終了後すぐ始まっていた。東海テレビは1993年3月までヘッドライン終了後に飛び乗っていた。その後、1994年10月以降は月-金曜版と同様番組開始と同時にヘッドラインが始まっていた。ただ、月-金曜版とは異なりヘッドラインは石井康嗣ではなくメインキャスターの山中・近藤が生で読み上げていた。
    • フジテレビは日曜日のみノンスポンサーだったため1996年9月までは提供部分に日付テロップを、10月以後はCM明けの予告テロップを2回(2回目は関東のみ)出す事で対応していた。また、土日版ではネットスポンサーがなかった。
    • 天気予報・終了タイトルは、お天気カメラの映像が表示されたクロマキー(月-金曜版と異なり画面全体)の前にキャスターが座って放送していた。男性キャスターは正面を向いていたが女性キャスターは斜め45度で浅めに腰掛けるという特色があった。エンドカードは月-金曜版とは違っていた。

ネット局の番組名の変遷

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番組開始当初から数年間、この番組はテレビ静岡・テレビ愛媛・テレビ西日本・鹿児島テレビの4局を除いて地域ごとに独自のタイトルに差し替えていた(ただし、この4局もフジテレビと全く同一のタイトルではなく、例えばテレビ静岡においては『FNN テレビ静岡 スーパータイム』など、各ネット局の名前も入った番組タイトルとなっていた。)。

このため、キー局フジテレビでは『スーパータイム』のオープニングをベース[注釈 13]に番組タイトルを各局のものに差し替えたオープニング用VTRも制作・提供していた。ただし連続するスポンサークレジットは、急なスポンサー降板に備えて東京から送られていたため、オープニングとスポンサークレジットでは本来同じタイトルバックのはずがズレが生じていた(BGMはスポンサークレジットの都合のため東京から送られていたがテレビ大分のように地元局発に差し替えた局もあった)。また、同じ理由で、当番組の前の時間帯(17時台)に放送されていた『夕やけニャンニャン』のニュースコーナーでは『スーパータイム』の名前が使えずに「6時のニュース」等と表現したり、全国のニュースの冒頭の『主な項目』(=ヘッドライン)の紹介の直後に(系列各局がフジテレビからの放送に飛び乗るタイミングで)「全国の皆さん、こんばんは」と挨拶をしたりしていた(1993年3月31日まで)[注釈 14]。ちなみにこの挨拶は、後年、当番組とほぼ同じ時間帯にて2018年4月から2019年3月まで放送されていた『プライムニュース イブニング』及びその後継番組『Live News it』→『イット!』の18時台全国ネット枠冒頭のキャスター挨拶にも取り入れられている。もう一つこの両番組の共通する事項は番組のテーマソングである。フジテレビではテーマソングに月-金曜版女性キャスターによる"Super Time!"のタイトルコールが乗っていた。一方でネット局向けにはタイトル差し替えの場合は乗せていなかった[注釈 15]。『プライムニュース イブニング』及びその後継番組『Live News it』→『イット!』では番組コールの乗っているものと乗っていないものを各々配布、タイトルコールは各局で差し替えるなどして対応できるように配慮がなされるようになった。

フジテレビ特有の挨拶の理由は、FNNの場合、スーパータイム以前は長らく6時から全国ニュース、6時半からローカルニュースだったので、フジテレビ以外の系列局の固定視聴者層に配慮して、1時間の全国・ローカル混合型へ改編する際、秋田テレビ、山陰中央テレビ以外の局ではローカルニュース担当キャスターの挨拶にほぼ差し替えられていた。その為キー局のフジテレビは上述の通り挨拶が重複。関東エリアと全国への挨拶を行っていた。ちなみにフジテレビ以外の他系列はその当時すべて、ワイド化する以前は6時台後半に全国ニュースを持ってきていた。 斬新な編成は画期的であり、最終的に高い人気を博し、当時の民放の雄TBSニュースコープ」を終了させるなど、営業的には大成功を収めた。しかし内容面では系列との軋轢が多く、全国ニュースはあくまでも「ローカルニュースワイドの前半部に内包する枠」という立ち位置だった為、系列局のタイトルが違うことにより、関東の視聴者層の中にはスーパータイムは関東ローカルだと思っていた人が多くいた。また、前番組では全国ニュースの枠の中に挿入していたスポーツコーナーを、この番組においてでは別立てにしたため、全国ニュースの枠というのは正味20分足らずだった。

土日版も同様に差し替えた地域に配慮して、冒頭の挨拶では「○月○日土曜日(日曜日)のニュースです」(1995年以降は「○月○日土曜日(日曜日)です」)と言っており、番組名は入れていなかった。1994年9月までは挨拶の際にキャスター名をフルネームで言っていたが、その後は挨拶と日付 • 曜日のみなった。

番組放送後期にさしかかった頃には福島テレビ『FTVテレポート』、関西テレビ『アタック600(日曜日はアタック530)』、テレビ大分『ニュースインおおいた』(ただし、福島テレビは1985年12月までの月-金曜・土曜のネットパートを独立番組扱いならびに1993年3月までの日曜日を、テレビ大分は1985年度の日曜版にスーパータイムのタイトルを使用していた)の3局(+日曜日はここに『中日新聞テレビ日曜夕刊』に差し替える東海テレビ・富山テレビ・石川テレビが加わり6局)を除くネット局(あくまでこの番組放送当時だが)で「スーパータイム」に番組タイトルが統一されていた(1992年4月から)。

以下に表記するネット局による差し替えタイトル表は、番組放送当時のものである。下の表で1984年10月番組開始となっている番組は、テレビ新広島を除いて土日版は1985年4月放送開始であるが、煩雑になる為注記を省略した。また、●は『スーパータイム』が放送開始した1984年10月以前からの番組名を引き継いでいる番組である(「FNN」が付けられたものや、「600」など数字部分のみの変更も含む)。

放送局名 番組名
CX フジテレビ
基幹・報道部番組制作局
FNNスーパータイム
UHB 北海道文化放送 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN イブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)
1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNNイブニングニュース / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNNイブニングニュース(土曜)、uhbニュースレポート5:30 FNN / 道新ニュース天気予報(日曜)
1988年4月1日 - 1993年9月30日:FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN / キリンお天気ジョッキー(月-金曜)、FNN uhbスーパータイム → uhbスーパータイム FNN(土日)
1993年10月1日 - 1996年3月31日:FNNスーパータイムHOKKAIDO / キリンお天気ジョッキー → ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、uhbスーパータイム FNN(土日)
1996年4月1日 - 1997年3月30日:uhbスーパータイム FNN / ホクレンお天気アイズ(月-金曜)、uhbスーパータイム FNN(土日)
mit 岩手めんこいテレビ
1991年4月1日開局)
1991年4月1日 - 1997年3月30日:mitスーパータイム FNN
OX 仙台放送 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN仙台放送イブニングニュース●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN仙台放送イブニングニュース(全曜日)
1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN仙台放送スーパータイム
※1992年4月3日 - 1994年9月30日は『FNNとうほく 金曜ニュース一番星』(OX・mit・YTS(1993年3月26日まで)・AKT・FTV)、1994年10月3日 - 1996年12月は『夕やけTV編集局』、1997年1月6日 - 9月26日は『ほっとチャンネル』として放送。
AKT 秋田テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNNテレポートあきた / お天気ダイアリー(月-金曜)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(土日)
1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNNスーパータイムあきた(月-金曜)、FNNスーパータイム / AKTニュース・お天気ダイアリー(土日)
YTS 山形テレビ
(現:テレビ朝日系列)
1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN YTSニュースワイド60(月-金曜)
1985年4月1日 - 1987年3月31日:FNN YTSニュースワイド60(月-金曜)、FNN YTSニュースワイド60 / YTSニュース天気予報(土日)
1987年4月1日 - 1993年3月31日:FNN YTSニュース スーパータイム → YTSニュース スーパータイム FNN
※1993年3月31日で番組終了。[注釈 16]
SAY さくらんぼテレビ 1997年3月15日 - 3月30日:スーパータイム
※約2週間のサービス放送期間中のみの放送だったため、最後までタイトルに「FNN」が付かなかった。サービス放送開始当初はローカル枠も全てフルネットだったが最後の1週間のみ山形ローカル枠が設けられ、スポーツコーナーの後に15分程度放送された。
FTV 福島テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイム / FTVテレポート●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1986年1月5日:FNNスーパータイム / FTVテレポート(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)
1986年1月6日 - 1993年3月28日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)
1993年3月29日 - 1996年6月30日:FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜)、FNN FTVテレポート(日曜)
1996年7月1日 - 1997年3月30日:テレポート525(月-土曜17時台) / FNN FTVテレポート / お天気リポート(月-土曜18時台)、FNN FTVテレポート(日曜)
NST 新潟総合テレビ
(現:NST新潟総合テレビ)
1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NSTワイド6:00 / お天気ホットライン●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1990年9月30日:FNN NSTワイド6:00 / お天気ホットライン(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日)
1990年10月1日 - 1993年3月31日:NSTニュース予告編 / NSTスーパータイム FNN(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日)
1993年4月1日 - 1997年3月30日:NSTスーパータイム予告編 / NSTスーパータイム FNN(月-金曜)、FNNスーパータイム / NSTニュースコーナー・天気予報(土日)
NBS 長野放送 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN NBSイブニング6:00●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNN NBSイブニング6:00(月-土曜)、FNN NBSイブニング5:30(日曜)
1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN NBSスーパータイム NEWS&SPORTS
SUT テレビ静岡 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(月-金曜)
1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNNテレビ静岡スーパータイム / HOT6 GOGO(月-金曜)、FNNテレビ静岡スーパータイム(土日)
T34 → BBT 富山テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNイブニングワイド6:00(月-金曜)
1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNイブニングワイドとやま6:00(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
1986年3月31日 - 1992年4月5日:FNNスーパータイムとやま(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
1992年4月6日 - 1994年3月27日:スーパータイムとやま530 / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
1994年3月28日 - 1997年3月30日:5時ってうきうき / FNNスーパータイムとやま(月-金曜)、FNNスーパータイムとやま(土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
ITC 石川テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイド石川6:00●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1986年3月31日:FNNニュースワイド石川6:00(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
1986年4月1日 - 1997年3月30日:FNN石川テレビスーパータイム(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も『FNN北陸中日新聞 日曜夕刊』として放送中)
FTB 福井テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN福井テレビニュース6:00●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1989年4月1日:FNN福井テレビニュース6:00(月-土曜)、FNNスーパータイム(日曜)
1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN福井テレビスーパータイム
THK 東海テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNイブニングニュース600●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNイブニングニュース600(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中)
1990年4月2日 - 1997年3月30日:FNN東海テレビスーパータイム(月-土曜)、中日新聞テレビ日曜夕刊 FNN(日曜 / 現在も放送中)
KTV 関西テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN KTVアタック600●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNN KTVアタック600(月-金曜)、KTVニュース FNN(土日)
1986年3月31日 - 1997年3月30日:FNN KTVアタック600 → FNNアタック600(月-土曜)、FNN KTVアタック530 → FNNアタック530(日曜)
年末年始のみ『KTVニュース FNN』として放送された時期がある。
TSK 山陰中央テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TSKイブニングワイド(月-金曜)
1985年4月1日 - 1988年4月3日:FNN TSKイブニングワイド(全曜日)
1988年4月4日 - 1997年3月30日:FNN TSKスーパータイム → TSKスーパータイム FNN
※年末年始のみは『FNNスーパータイム』として放送。
OHK 岡山放送 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OHK報道センター6:00(月-金曜)
1985年4月1日 - 1988年3月31日:FNN OHK報道センター6:00(月-金曜)、FNNニュースレポート6:00 / OHKニュース(土曜)、FNNニュースレポート5:30 / OHKニュース(日曜)
1988年4月1日 - 1997年3月30日:FNN OHKスーパータイム → OHKスーパータイム FNN
※1992年10月10日 - 1997年3月29日、土曜のみは『OHKスーパータイムWEEKLY』として放送。
tss テレビ新広島 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN tssワイドニュース / 天気予報(月-金曜)
1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNN tssワイドニュース / カープとお天気(月-金曜)、FNN tssワイドニュース(土日)
1987年10月5日 - 1997年3月30日:FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN / カープとお天気 → カープっ娘TV(月-金曜)、FNN tssスーパータイム → tssスーパータイム FNN(土日)
EBC テレビ愛媛 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(月-金曜)
1985年4月1日 - 1990年4月1日:FNNスーパータイムEBC600 / 天気予報(月-土曜)、FNNスーパータイムEBC530 / 天気予報(日曜)
1990年4月2日 - 1997年3月30日:EBCスーパータイム FNN / 天気予報
KSS 高知さんさんテレビ 1997年3月20日 - 3月30日:SUNSUNスーパータイム FNN
※サービス放送期間中に放送。
TNC テレビ西日本 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS / とべとべトピックス(月-金曜)
1985年4月1日 - 1997年3月30日:FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS / とべとべトピックス → とべとべホークス(月-金曜)、FNN TNCスーパータイム NEWS&SPORTS(土日)
sts サガテレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN stsニュースレポート / 佐賀新聞ニュース(月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日)
1989年4月3日 - 1991年3月31日:FNN stsニュースレポート / デイリーフラッシュ(月-金曜)、FNN stsニュースレポート(土日)
1991年4月1日 - 1995年4月2日:stsスーパータイム / デイリーフラッシュ(月-金曜)、stsスーパータイム(土日)
1995年4月3日 - 1997年3月30日:stsスーパータイム
KTN テレビ長崎 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(月-金曜)
1985年4月1日 - 1987年10月4日:FNNニュースワイドKTN / 天気予報(月-金曜)、FNNニュースワイドKTN(土日)
1987年10月5日[16] - 1997年3月30日:FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、FNN KTNスーパータイム → KTNスーパータイム FNN(土日)
TKU テレビ熊本 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1989年4月2日:FNN TKUニュース・アイ / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日)
1989年4月3日 - 1997年3月30日:FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、FNN TKUスーパータイム → TKUスーパータイム FNN(土日)
TOS テレビ大分 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気おはなしマイク●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1986年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土曜)、FNN TOSスーパータイム(日曜)
1986年3月31日 - 1989年4月2日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気・おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日)
1989年4月3日 - 1996年9月30日:FNNニュースインおおいた TOS / おはなしマイク(月-金曜)、FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気(土日)
1996年10月1日 - 1997年3月30日:FNNニュースインおおいた TOS / あしたのお天気
UMK テレビ宮崎 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報●(月-金曜)
1985年4月1日 - 1988年4月17日:FNN UMKニュースレポート / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(土日)
1988年4月18日 - 1992年3月31日:FNN UMKニュースリポート → UMKニュースリポート FNN / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(土日)
1992年4月1日 - 1996年3月31日:UMKスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、UMKスーパータイム FNN(土曜)、FNNスーパータイム / UMKニュース(日曜)
1996年4月1日 - 1997年3月30日:UMKスーパータイム FNN
KTS 鹿児島テレビ 1985年4月1日 - 1995年10月31日FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS
1995年11月1日 - 1997年3月30日:KTSスーパータイム530 / FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(月-金曜)、FNN KTSスーパータイム NEWS&SPORTS(土日)
※1985年3月31日まではNNNのニュースをネット。
OTV 沖縄テレビ 1984年10月1日 - 1985年3月29日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(月-金曜)
1985年4月1日 - 1992年3月31日:FNN OTVイブニングワイド / 天気予報(月-金曜)、FNNスーパータイム(土日)
1992年4月1日 - 1997年3月30日:OTVスーパータイム FNN / 天気予報(月-金曜)、OTVスーパータイム FNN(土日)

脚注

[編集]

注釈

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  1. ^ その場合、全国ニュースの部分は通常の流れで進行したが、関東ローカルパートはニュース数本と天気予報を伝えるのみで終わっていた。
  2. ^ 報道フロア内の緊急ニュース用のブースに地震の被害状況などが記されたボードが掲げられた簡易的な仕切り板を置き、そこに露木・松山が座って放送していた。
  3. ^ BGMは従来のオープニング音楽の出だしの部分をアレンジしたもの+タイトルコールとなっていた。
  4. ^ 秋田テレビ、福島テレビ、山陰中央テレビは司会者の横顔のアップを写してスタートしていた。
  5. ^ 富山テレビのように系列局ではロゴを表示しなかった局もあった。
  6. ^ 後半2項目から提供部分までをローカルパートの挨拶に充てていた局もある。福島テレビでは1項目だけ伝えた後に4項目目の部分でタイトル・提供を入れ、その後フジテレビがタイトル・提供に充てている部分でキャスター挨拶と全国ニュースのトップ項目の紹介を行って福島テレビのキャスターが「まず東京からお伝えします」と言ったところで飛び乗り、東海テレビと富山テレビは4項目をローカルニューススタジオからの挨拶に当ててタイトル・提供を挟んで飛び乗っていた。
  7. ^ 番組末期のCM前の予告テロップは画面左上に「スーパータイム(番組ロゴ) NEXT」と表示していたが、全国ネット枠でのCM1前は、タイトルを差し替えてネットしている地域に配慮し「NEXT」とだけ表示し、CM2(ローカル枠へ切り替わる直前のCM)前(ここは関東ローカルのみに送出)からは「スーパータイム」のロゴが追加されていた。
  8. ^ その際の「ここまではご覧のスポンサーがお送りしました」という提供読みのアナウンスもそのまま全国で流れていたが、関西テレビなど一部系列局ではBGMを差し替え、提供読みのアナウンスも自社送出のものを流していた。またテレビ静岡のように、同じ曲なのに途中でネットを切って自局出しした局もあった他、提供読み自体を自社送出した局もあった。
  9. ^ ローカルパート突入後の対応については他局の夕方ニュースでも言えることだが、各局の任意。
  10. ^ 岡山放送はキャスターが出てくるタイミングでOHKのスタジオの戻り、モニターにはオープニングと同様にフジテレビの映像が映っていた。山陰中央テレビはこのコーナーが終わったと同時に番組自体が終わっていた。
  11. ^ それまで「スーパータイム」としてのエンドカードを表示していた箇所は関東ローカルスポンサーの後提供クレジットを残してキャスターの天気予報への短い繋ぎコメントとなった。
  12. ^ 河田町では最後となったこのセットは背景を全国ニュースの時間帯は宇宙空間のイラスト、特報以後の時間帯は新宿の夜景写真、天気予報や全国ニュースの時間帯に中継を呼ぶ際はグリーンクロマキーと3つのパネルにそれぞれ切り替える事が出来た。
  13. ^ 初期のものは金一面の画面が割れ、FNNが現れ、奥の魚眼レンズから見た街のCGに向かって飛び散った破片が吸い込まれ、魚眼レンズから見た街のCGに一本の赤い線が差し込むというもの。赤い線が差し込む前にロゴができる。YTSではこの下地のみを流用して『YTSニュース』にも使用していた。
  14. ^ 番組開始当初はヘッドライン直前に飛び乗りポイントがあり、「今日のニュースの主な項目です」と言ってヘッドラインになり、ヘッドライン終了後ニュース本編に入るなど、全国向け挨拶はなかった。後にヘッドラインからの飛び乗り、ヘッドライン終了後の挨拶に改められた。
  15. ^ 初期で多いパターンであった。また、同一タイトルでもフジテレビのタイトルコールのタイミングがずれていた局(山形テレビでの改題当初)や、タイトルコール自体がない局(テレビ愛媛)もあった。さらに、テレビ静岡では1988年3月までフジテレビのテーマをそのまま流していた。尚、1988年4月以降は同一タイトルの場合、テーマ曲と共にタイトルコールも同時に乗っている状態で系列局に配布されていた。また、東海テレビなど一部では独自の"Super Time!"コールを送出していた。
  16. ^ ただし、近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・仙台放送・福島テレビ・秋田テレビ)をケーブルテレビなどで受信できた場合は引き続き見ることができた。ネットチェンジ後はテレビ朝日のステーションEYEをネット。

出典

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  1. ^ a b c d 嶌 1995, p. 294.
  2. ^ 境 2020, p. 94.
  3. ^ 高堀冬彦 (2022年8月12日). “御巣鷹山「日航機事故」から37年 なぜフジテレビは生存者4人の救出劇を独占生中継できたのか”. デイリー新潮. 2023年5月27日閲覧。
  4. ^ 嶌 1995, p. 190.
  5. ^ a b c フジテレビ調査部 編『楽しくなければテレビじゃない : 80年代フジテレビの冒険』フジテレビ出版、1986年11月13日、109頁。NDLJP:12276856/60 
  6. ^ 嶌 1995, p. 291 -292.
  7. ^ 牛次郎 流れ流され80年 <17>原稿を持ち込んだ「夕刊フジ」で記者に…忙しい日々に”. 日刊ゲンダイ (2020年9月3日). 2023年5月27日閲覧。
  8. ^ a b 嶌 1995, p. 292.
  9. ^ a b c 嶌 1995, p. 293.
  10. ^ a b c d 横井亮介, 上瀬千春, 御手洗毅, 萩原啓司, 相馬孝雄, 庄子健一「ニュース送出用文字発生装置の開発 : 放送用ワードプロセッサーBWP-5100」『テレビジョン学会技術報告』第8巻第41号、映像情報メディア学会、1985年、55-60頁、doi:10.11485/tvtr.8.41_55ISSN 0386-4227 
  11. ^ スーパータイムでは、ヘッドラインでは文字が一文字ごと出される「タイプイン」を用いていた。
  12. ^ ゴシック体・丸ゴシック体・明朝体が搭載され、手書きで入力した文字にも対応。
  13. ^ プロ野球ニュース』など
  14. ^ 日本民間放送連盟(編)「“早打ち競争”の時代へ対応する出口調査 フジテレビ / 山本潤」『月刊民放』第22巻第11号、日本民間放送連盟、1992年11月1日、17 - 19頁、NDLJP:3471083/9 
  15. ^ 「フジ・スーパータイムの創り方――数字なければ報道番組じゃない / 溝上晴夫」『月刊政治と経済』第22巻第2号、政治と経済、1996年2月1日、42 - 46頁、NDLJP:2877858/22 
  16. ^ 長崎新聞1987年10月2日10月3日10月4日10月5日付朝刊ラ・テ欄で確認。

参考文献

[編集]
フジテレビおよびFNN 月-金曜夕方のFNNニュース(1984年10月1日 - 1997年3月28日)
前番組 番組名 次番組
FNNスーパータイム
※全国・ローカル枠を統合
フジテレビおよびFNN 土日夕方のFNNニュース(1985年4月6日 - 1997年3月30日)
FNNスーパータイム
FNNニュース ザ・ヒューマン
フジテレビ系列 土曜18:00枠(1985年4月6日 - 1997年3月29日)
あした天気になあれ
(金曜19:00へ移動)
FNNスーパータイム
FNNニュース ザ・ヒューマン