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「1748年」の版間の差分

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* [[干支]] : [[戊辰]]
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* [[元号一覧 (日本)|日本]]
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**[[延享]]5年、[[寛延]]元年7月12日 -
** [[延享]]5年、[[寛延]]元年7月12日 -
**[[神武天皇即位紀元|皇紀]]2408年
** [[神武天皇即位紀元|皇紀]]2408年
* [[元号一覧 (中国)|中国]]
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**[[清]] : [[乾隆]]13年
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* [[元号一覧 (朝鮮)|朝鮮]]
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**[[李氏朝鮮]] : [[英祖 (朝鮮王)|英祖]]24年
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**[[檀君紀元|檀紀]]4081年
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* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
* [[元号一覧 (ベトナム)|ベトナム]]
**[[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]9年
** [[黎朝|後黎朝]] : [[景興]]9年
* [[仏滅紀元]] : 2290年 - 2291年
* [[仏滅紀元]] : 2290年 - 2291年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1160年 - 1162年
* [[ヒジュラ暦|イスラム暦]] : 1160年 - 1162年
* [[ユダヤ暦]] : 5508年 - 5509年
* [[ユダヤ暦]] : 5508年 - 5509年
* [[ユリウス暦]] : 1747年12月21日 - 1748年12月20日
* [[ユリウス暦]] : 1747年12月21日 - 1748年12月20日
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== カレンダー ==
{{年間カレンダー|年=1748}}


== できごと ==
== できごと ==

*[[8月5日]](延享5年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - 日本、[[改元]]して[[寛延]]元年
[[ファイル:William Hogarth - O the Roast Beef of Old England ('The Gate of Calais') - Google Art Project.jpg|サムネイル|『カレーの門』または『あぁ、古き良きイングランドのローストビーフよ』同年、[[カレー (フランス)|カレー]]を芸術家仲間と共に旅行していたホガース(場面左奥)は、フランス当局にスパイ容疑で拘束されている。 [[ウィリアム・ホガース]]筆 [[テート・ブリテン]]所蔵]]
*[[ポンペイ]](イタリア)が発見される
*[[イギリス]] -
*[[ジュネーヴ]]で啓蒙思想家モンテスキューの『[[法の精神]]』が出版される。
**[[ウィリアム・ホガース]]が『{{仮リンク|カレーの門|en|The Gate of Calais}}』を完成。翌1749年3月には、チャールズ・モズレーの手による同作品の銅版画が発売された。
*[[アーヘンの和約 (1748年)|アーヘン和約]]
**[[ホレス・ウォルポール]]が、自身の[[別荘]]である[[ストロベリー・ヒル・ハウス]]の改築に着手。[[ゴシック・リヴァイヴァル建築]]のさきがけとなったこの建物は増築が繰り返され、[[1790年]]頃に最終的な完成をみた。
**[[デイヴィッド・ヒューム]]が、[[因果性]]についての哲学書『{{仮リンク|人間知性研究|en|An Enquiry Concerning Human Understanding}}』(''{{Lang-en-short|An Enquiry Concerning Human Understanding}}'')を発表。
**[[サミュエル・リチャードソン]]による[[長編小説|長編]]の[[書簡体小説]]『[[クラリッサ]]』出版。
*[[オスマン帝国領エジプト|エジプト]] - [[イェニチェリ]]の一派、カーズダグリーヤ<ref group="注釈">カーズドゥグリーヤとも、''Qāzdughliyya''</ref>派による支配権が確立。イブラーヒーム・ケトビュダー<ref group="注釈">''Ibrāhīm Katkhudā''</ref>とリドワーン・ケトビュダーの二頭政治(-[[1754年]]){{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。
*[[スウェーデン]] -
**スウェーデン王立科学アカデミーが{{仮リンク|エヴァ・エーケブラー|en|Eve Ekeblad}}を初の女性会員として迎える。
** ロシアの脅威に対抗するため、ヘルシンキ近郊で[[スオメンリンナの要塞|スヴェアボリ]]要塞が着工。この要塞は[[1918年]]に「スオメンリンナの要塞」と改称され、[[1991年]]には[[世界遺産]]に登録された。
*[[スコットランド]] - [[アダム・スミス]]が[[エディンバラ]]で、初めて教壇に立つ<ref name=":0">{{Cite web|title=Adam Smith {{!}} Biography, Books, & Facts|url=https://www.britannica.com/biography/Adam-Smith|website=Encyclopedia Britannica|accessdate=2021-10-27|language=en}}</ref>{{sfn|坂本|2014|p=123}}{{sfn|根岸|1983|p=33}}([[スコットランド啓蒙]])。
*[[スペイン帝国|スペイン]] - 探検家の[[アントニオ・デ・ウジョーア]]が[[南アメリカ|南米]]の[[プラチナ]]の価値に気づく。プラチナは[[コロンビア]]の{{仮リンク|コルディエラ・オクシデンタル (コロンビア)|en|Cordillera Occidental (Colombia)|label=コルディエラ・オクシデンタル山脈}}やペルー中部の鉱山で発掘された{{Sfn|DK|2013|p=253}}。
*[[フランス]] -
**[[サロン・ド・パリ]]が審査制度を導入。展示選考、および賞を設ける。
**[[シャルル・ド・モンテスキュー]]が『[[法の精神]]』を発表。
**[[ジュリアン・オフレ・ド・ラ・メトリー]]が『人間機械論』を発表。
**[[アーヘンの和約 (1748年)|アーヘンの和約]]締結によって[[オーストリア継承戦争]]終結した後、[[ルイ15世 (フランス王)|ルイ15世]]は[[所得税]]を免除するという公約を撤回。この行動は[[高等法院 (フランス)|高等法院]]の抵抗にあい、ルイ15世は{{仮リンク|二十分の一税|en|Vingtième}}(ヴァンティエーム、{{Lang-fr-short|vingtiéme}})で妥協することとなった<ref>{{cite journal|date=December 1895|title=Income Taxation in France|url=http://www.austinlibrary.com:2138/stable/1817921|journal=Journal of Political Economy|volume=4|issue=1|pages=37–53|publisher=The University of Chicago Press|doi=10.1086/250324|author1=H. Parker Willis|quote=The war of the Austrian Succession for the third time threw the treasury back upon the hated fiscal resource in October of 1741, when the income tax was reintroduced accompanied by a royal promise to the effect that upon the close of the war this means of raising revenue should once for all be done away with.|s2cid=154527133}}</ref>。
*[[ファイル:Houghton GC7 Eu536 748i - Introductio in analysin infinitorum.jpg|サムネイル|『無限解析入門』の1ページ[[ハーバード大学]]{{仮リンク|ホートン図書館|en|Houghton Library}}所蔵]][[プロイセン王国]] -
**[[レオンハルト・オイラー]]がベルリンで、[[解析学|純粋解析学]]について説いた『{{仮リンク|無限解析入門|en|Introductio in analysin infinitorum}}』を出版。
**[[フリードリヒ2世 (プロイセン王)|フリードリヒ2世]]が[[サンスーシ宮殿|サンスーシ公園]]に[[廃墟#ロマン主義的廃墟趣味|ロマン主義的廃墟]]、{{仮リンク|廃墟の丘|en|Ruinenberg|de|Ruinenberg}}を建設。
* [[神聖ローマ帝国]] - [[フリードリヒ・ゴットリープ・クロプシュトック]]が『{{仮リンク|ブレーメン論集|de|Bremer Beiträge|en|Bremer Beiträge}}』誌([[ライプツィヒ]])上で、彼にとって最初の3つの{{仮リンク|カント (文学)|en|canto}}である、[[ヘクサメトロス]]で綴られた[[叙事詩]]『{{仮リンク|救世主 (クロプシュトック)|de|Messias (Klopstock)|en|Der Messias (Klopstock)|label=救世主}}』を匿名で出版。
*[[ボヘミア王国]] - [[プロコプ・ディヴィシュ]]が、世界初の[[電子楽器|電子音器]]、{{仮リンク|デニスドール|en|Denis d'or}}を発明<ref>{{citation|url=http://120years.net/1748-denis-dor/|title=The Denis D’Or “Golden Dionysis”, Václav Prokop Diviš. Czech republic, 1748}}</ref>。
*[[ロシア帝国|ロシア]] - オーストリア継承戦争:[[ライン川戦役 (1748年)|ライン川戦役]]。{{仮リンク|ヴァシーリー・アニキーチチ・レプーニン|en|Vassili Anikititch Repnine}}率いるロシア軍3万が、フランスに対抗するためライン川まで到着。5月7日のマーストリヒト陥落によりレプーニンらが戦闘に参加することはなかったものの、ライン川にロシアの大軍が到達した事実はフランス側にアーヘンの和約に同意させる大きな動機となった。
*[[清]]([[乾隆]]13年) -
**[[台湾]][[新竹市]]に{{仮リンク|新竹都城隍廟|zh|新竹都城隍廟|en|Hsinchu Chenghuang Temple}}が建設される<ref name="李金生">{{Cite news|url=|title=小檔案─新竹都城隍 台灣「神主席」|author=李金生|language=zh-tw|newspaper=《中國時報》|date=2001-05-04|accessdate=}}</ref>。
**全国で食料暴動頻発{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。
*[[チベット]] - {{仮リンク|スムパ・ケンポ・イェシェー・ペルジョル|zh|松巴·益西班觉|de|Sumpa Yeshe Peljor}}が、[[歴史書]]『パクサム・ジュンサン』(蔵:Dpag bsam ljon bzang)を完成<ref>{{Cite journal|author=西岡祖秀|year=2005|title=ジャムヤン・シェーパのチベット仏教史年表|url=https://doi.org/10.4259/ibk.54.497|journal=印度學佛教學研究|volume=54|issue=1|pages=497-493|ISSN=0019-4344}}</ref>。
* [[ポンペイ]]が再発見される。

=== 1月~3月 ===

* [[1月12日]] - {{仮リンク|アフマド・シャー・ドゥッラーニーのインド遠征|en|Indian campaign of Ahmad Shah Durrani}}:[[アフマド・シャー・ドゥッラーニー]]が[[ラホール]]占領<ref>{{cite web|title=Ahmad Shah Abdali's invasions|url=http://www.sikh-history.com/sikhhist/events/abdali.html|access-date=2011-11-02|archive-url=https://web.archive.org/web/20111106225410/http://www.sikh-history.com/sikhhist/events/abdali.html|archive-date=November 6, 2011|url-status=dead}}</ref>。
*[[1月27日]] - [[アイルランド島|アイルランド]]、{{仮リンク|キンセール|en|Kinsale}}にある監獄と兵舎で出火、収容されていた捕虜54人が犠牲になる。無事であったおよそ500人の囚人は、別の監獄に移送された<ref name="Fires1748">"Fires, Great", in ''The Insurance Cyclopeadia: Being an Historical Treasury of Events and Circumstances Connected with the Origin and Progress of Insurance'', Cornelius Walford, ed. (C. and E. Layton, 1876) p51</ref>。
*[[1月31日]] - オーストリア継承戦争:[[1748年1月31日の海戦]]。[[ウェサン島]]沖で{{仮リンク|ロバート・ハーランド (初代准男爵)|en|Sir Robert Harland, 1st Baronet|label=ロバート・ハーランド}}指揮下の英海軍の戦列艦2隻がフランス海軍の戦列艦{{仮リンク|マグナニム (戦列艦)|en|HMS Magnanime (1748)|label=マグナニム}}を追撃・拿捕。
* [[2月7日]] - [[ヌエバ・エスパーニャ副王領]]よりさらに北方、現在の[[テキサス州]]中部でのカトリック伝道団体として、聖ガブリエル会が始動する。副王{{仮リンク|フアン・フランシスコ・デ・グエメス (初代レヴィジャヒヘド伯)|en|Juan Francisco de Güemes, 1st Count of Revillagigedo|label=フアン・フランシスコ・デ・グエメス}}の命令で、司教{{仮リンク|プエルトリコの司教一覧|en|Historical list of the Catholic bishops of Puerto Rico|label=フリアル・マリアノ・マルティ}}によって聖フランシスコ・ハビエル伝道所が今のテキサス州[[ミラム郡 (テキサス州)|ミラム郡]]にあたる、{{仮リンク|サンガブリエル川 (テキサス州)|en|San Gabriel River (Texas)|label=サンガブリエル川}}の畔に築かれる<ref>Elizabeth A. H. John, ''Storms Brewed in Other Men's Worlds: The Confrontation of Indians, Spanish, and French in the Southwest, 1540-1795'' (University of Oklahoma Press, 1996) pp282-283</ref><ref>{{Cite web|title=San Francisco Xavier Missions|url=https://www.texasbeyondhistory.net/plateaus/images/he9.html|website=www.texasbeyondhistory.net|accessdate=2021-12-17}}</ref>。現在のテキサス州サンガブリエル市近郊、[[オースティン (テキサス州)|オースティン]]の北東に位置していたこの伝道所は、同年5月2日にアパッチ族の軍勢60人に襲撃を受けた。サン・ハビエルは数年のうちに放棄された。<!-- 翻訳要見直し -->
*[[2月23日]] - スウェーデン王[[フレドリク1世 (スウェーデン王)|フレドリク1世]]が{{仮リンク|熾天使騎士団|en|Royal Order of the Seraphim}}を創設。
*[[2月]] - [[李氏朝鮮]]が[[江戸幕府|日本]]に[[朝鮮通信使]]を派遣{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。
*[[ファイル:The Capture of Port Louis, Cuba, 8 March 1748 RMG BHC0372.jpg|サムネイル|『ポール=ルイの占領、キューバ、1748年3月8日』 18世紀中期から後期[[リチャード・ペイトン]]筆 {{仮リンク|グリニッジ王立博物館|en|Royal Museums Greenwich}}蔵]][[3月11日]] - {{仮リンク|アフマド・シャー・ドゥッラーニーのインド遠征|en|Indian campaign of Ahmad Shah Durrani}}:{{仮リンク|マヌプールの戦い|en|Battle of Manupur}}。マヌプール({{仮リンク|シルヒンド・ファトガー|en|Sirhind Fategarh|label=シルヒンド}}より北東に{{convert|15|km|mi}} )での戦闘で、王子[[アフマド・シャー (ムガル皇帝)|アフマド・シャー・バハドゥール]]率いるムガル帝国の軍勢6万がアフマド・シャー・ドゥッラーニーのアフガン軍(騎兵1万2000騎)を退ける{{Sfn|DK|2013|p=253}}。
*[[3月18日]] - [[ジェンキンスの耳の戦争]]:[[1748年3月18日の海戦]]。[[サン・ヴィセンテ岬]]沖で、英海軍の戦列艦6隻がスペインの戦船9隻で護衛された商船隊を攻撃、うち商船隊5隻を拿捕。
*[[3月22日]] - ジェンキンスの耳の戦争:[[サン=ルイ=デュ=シュドの海戦]]。[[チャールズ・ノウルズ]]提督のイギリス艦隊が[[イスパニョーラ島]]、[[サン=ドマング|サン=ドマング]]のサン=ルイ港にある要塞を砲撃、破壊。
* [[3月25日]] - {{仮リンク|コーンヒル (ロンドン)|en|Cornhill, London|label=コーンヒル}}、{{仮リンク|エクスチェンジ・アレー|en|Exchange Alley}}で出火、[[シティ・オブ・ロンドン]]を2日に渡って焼く。[[サミュエル・ジョンソン]]は後年、「都市の火災は、そのすべての混乱と付随する苦痛とで、この世界が人の目に見せうる最も恐ろしい光景の一つである」と書き残した<ref name="Fires17482">"Fires, Great", in ''The Insurance Cyclopeadia: Being an Historical Treasury of Events and Circumstances Connected with the Origin and Progress of Insurance'', Cornelius Walford, ed. (C. and E. Layton, 1876) p51</ref>。1世紀以上のちに描かれた記録では「この火災は[[火災保険]]の発展を促した」としている。大火は100万[[ポンド (通貨)|ポンド]]以上の被害をもたらした。

=== 4月~6月 ===

*[[4月9日]] - ジェンキンスの耳の戦争:[[サンティアーゴ・デ・クーバの海戦 (1748年)|サンティアーゴ・デ・クーバの海戦]]。ノウルズ提督の艦隊が[[キューバ]]南東部の[[サンティアーゴ・デ・クーバ]]を襲撃したが、現地のスペイン軍に撃退される。
*[[ファイル:Convoi militaire français en vue du siège de Maastricht en 1748.jpg|サムネイル|オーストリア継承戦争:マーストリヒト包囲戦車上に弾薬や船を載せたフランス軍の車両が町を攻囲した。]][[4月15日]] - [[オーストリア継承戦争]]:[[モーリス・ド・サックス]]がフランス軍を率いて[[マーストリヒト包囲戦 (1748年)|マーストリヒトを包囲]]。3週間ほどの包囲戦ののち、マーストリヒト要塞は5月7日に開城した。
* [[4月24日]] - オーストリア継承戦争終結のため、[[エクス・ラ・シャペル]](現アーヘン)で会議が開かれる<ref name="EB1911">{{Cite EB1911|wstitle=Aix-la-Chapelle, Congresses of}}</ref>(-10月18日)。
* [[4月29日]] - アフガン軍を追撃中に死亡した父ムハンマド・シャーに代わり、アフマド・シャーが[[ムガル帝国|ムガル皇帝]]に即位{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。
* [[5月10日]] - [[ネーデルラント連邦共和国|オランダ共和国]]がマーストリヒトの支配権をフランスに返還することに同意したとの報をうけて、サックス将軍に代わって包囲軍を指揮していた{{仮リンク|ウルリヒ・フォン・レーヴェンダール|en|Ulrich Frédéric Woldemar, Comte de Lowendal|label=レーヴェンダール伯}}は開かれた市門を軍隊とともに行進し、同要塞の降伏を受け入れた。
* [[5月]] - [[蘇州市|蘇州]]で顧堯年らが米騒動を起こす{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。
* [[6月1日]] -
** [[モスクワ]]で火事。482人が犠牲になり、5000軒以上の建物が焼失<ref name="Fires1748" />。
** {{仮リンク|ホセ・デ・エスカンドン (初代シエラ・ゴルダ伯)|en|José de Escandón, 1st Count of Sierra Gorda|label=ホセ・デ・エスカンドン}}が、[[ヌエバ・エスパーニャ]]副王によって{{仮リンク|ヌエボ・サンタンデール|es|Nuevo Santander|en|Nuevo Santander}}の初代王室総督に任命される。新しく置かれたヌエボ・サンタンデールは、現代の[[メキシコ]]・[[タマウリパス州]]と、[[サンアントニオ]]と[[コーパスクリスティ (テキサス州)|コーパスクリスティ]]を含む[[アメリカ合衆国]]・テキサス州の{{仮リンク|グアダループ川 (テキサス州)|en|Guadalupe River (Texas)|label=グアダループ川}}以南の地域に当たった。

=== 7月~9月 ===

* [[ファイル:Bombardement de Pondichery en 1748 par la flotte anglaise.jpg|サムネイル|ポンディシェリ包囲戦:イギリス海軍によるポンディシェリー砲撃]][[7月19日]] - [[第一次カーナティック戦争]]:[[フランス領インド|仏領インド軍]]から{{仮リンク|セント・デイビッド要塞|en|Fort St. David}}を防衛するため、[[イギリス海軍|英海軍]]提督[[エドワード・ボスコーエン]]麾下[[戦列艦]]28隻がインド南東部に到着。歴史家の{{仮リンク|フランシス・グロース|en|Francis Grose}}が後に記したところによると、ボスコーエンは「東インド史上前例のない」大規模な艦隊を率いていた。グロースはまた内訳について、「戦列艦9隻、[[フリゲート]]2隻、[[スループ#戦闘用のスループ|スループ]]1隻、[[テンダーボート|足船]]2隻」 とイギリス東インド会社の船14隻としている<ref>[[Charles Rathbone Low]], ''History of the Indian Navy: (1613-1863)'' (Richard Bentley and Son, 1877) p140</ref>。ボスコーエンの指揮下にある船員は全部で3,580人にのぼった。ボスコーエンはインドに到達すると、[[ポンディシェリ]]にあるフランス軍の要塞を落とし、インドからフランスを一掃することを目的とした攻勢を開始する。
*[[8月5日]](寛延元年[[7月12日 (旧暦)|7月12日]]) - [[桃園天皇]]即位。[[延享]]から[[寛延]]に改元{{Sfn|山本|2007|p=122}}。
*[[8月26日]] - ドイツ出身の[[伝道者]]、{{仮リンク|ヘンリー・ミューレンバーグ|en|Henry Muhlenberg}}が主催した[[フィラデルフィア]]での会議に、{{仮リンク|ルーテル派正統主義|en|Lutheran orthodoxy}}や[[敬虔主義]]の牧師たちが参加し、アメリカ大陸初の[[ルーテル教会]]組織が築かれる{{Sfn|DK|2013|p=253}}。両会派はこの会議において、公的礼拝を統制する共通の典礼を作ることで合意した<ref>Henry Eyster Jacobs, ''A History of the Evangelical Lutheran Church in the United States'' (The Christian Literature Co., 1893 p243</ref>。
*8月 -
**第一次カーナティック戦争:ボスコーエン提督が、[[ジョゼフ・フランソワ・デュプレクス]]と[[フランス東インド会社]]の軍勢が守備していた[[ポンディシェリー包囲戦 (1748年)|ポンディシェリーの包囲]]を始める。これは、第一次カーナティック戦争の大規模な戦闘としては最後のものとなった。同年10月27日、[[モンスーン]]によってイギリス軍は包囲を断念、作戦は失敗に終わった。
**[[キベリタテハ]]の英名"Camberwell beauty"が、発見された[[ロンドン]]、{{仮リンク|キャンバーウェル|en|Camberwell}}にちなんで命名<ref name="umich">{{cite web|last=Vanessa|first=Fonesca|title=Nymphalis antiopa|url=http://animaldiversity.ummz.umich.edu/accounts/Nymphalis_antiopa/|work=Animal Diversity Web|publisher=University of Michigan Museum of Zoology|access-date=4 October 2013}}</ref>。
**[[ペンシルベニア植民地|ペンシルベニア]]の[[北アメリカの毛皮交易|毛皮商人]]たちが[[オハイオ川|オハイオ地域]]で交易所を拡大。同地域に住むインディアンとの話し合いを経て、彼らの信頼を得た{{Sfn|中村|2010|p=287}}。
*[[ファイル:Utagawa Kunisada II - Actors Ichimura Kakitsu IV as Okaru, Ichikawa Danzô VI as Ôboshi Yuranosuke, and Ichikawa Kodanji IV as both Ono Kudayû and Teraoka Heiemon.jpg|サムネイル|『仮名手本忠臣蔵』[[役者絵]] [[市川小團次 (4代目)|四代目市川小団次]]の[[大野知房|斧九太夫]]および[[寺坂信行|寺岡平右衛門]]、[[市川團蔵 (6代目)|六代目市川團蔵]]の[[大石良雄|大星由良之助]]、[[市村家橘 (4代目)|四代目市川家橘]]の[[お軽]] [[文久]]3年10月([[1863年]]) [[歌川国貞]]画 [[ボストン美術館]]蔵]][[9月6日]](寛延元年[[8月14日 (旧暦)|8月14日]]) - 三大名作のひとつ<ref>{{Kotobank|三大名作}}</ref>、[[文楽]]『[[仮名手本忠臣蔵]]』が[[竹本座|大坂竹本座]]初演<ref>{{Cite web|和書|title=文楽編・仮名手本忠臣蔵|文化デジタルライブラリー|url=https://www2.ntj.jac.go.jp/dglib/contents/learn/edc21/haikei/jidai2/ji2b.html|website=www2.ntj.jac.go.jp|accessdate=2021-12-20|publisher=[[日本芸術文化振興会]]}}</ref>。同年旧暦12月1日には大坂嵐座で[[歌舞伎]]が、翌寛延2年には江戸で人形浄瑠璃が初めて上演された。
*9月 - [[バイロイト辺境伯歌劇場]]が完成。こけら落としは、前年の1747年に、劇場の完成を待たずに行われていた。2010年に世界遺産に登録。

=== 10月~12月 ===

* [[10月1日]] - [[シャー・ルフ (アフシャール朝)|シャー・ルフ]]が[[ホラーサーン]]で一度目の即位{{Sfn|小牧|1997|p=370}}。
*[[10月12日]] - {{仮リンク|ハバナの戦い (1748年)|en|Battle of Havana (1748)|label=ハバナの戦い}}
*[[10月18日]] - オーストリア継承戦争:ヨーロッパ列強、[[アーヘンの和約 (1748年)|アーヘンの和約]]に調印{{Sfn|DK|2013|p=253}}。これにより[[ジョージ王戦争]]も終結し、[[北アメリカ大陸|北米大陸]]においても戦闘状態が終わる{{Sfn|中村|2010|p=287}}{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=197}}。[[ファイル:Allegorie frieden aachen 1748.jpg|サムネイル|『アーヘンの和約の[[アレゴリー]]』"Allégorie sur la paix" 1748年以降制作]]

* [[11月21日]](寛延元年閏[[10月1日 (旧暦)|10月1日]]) - 寺社奉行[[大岡忠相]]、奏者番に兼任。また、1万石の大名になる{{Sfn|山本|2007|p=122}}。
*[[11月22日]] - [[ブラウンシュヴァイク=リューネブルク選帝侯領|ハノーヴァー選帝侯]][[ジョージ2世 (イギリス王)|ゲオルク2世アウグスト]]が領内(当時ハノーファーはドイツ北西部の[[ニーダーザクセン州]]のほぼ全域を統治していた)から[[モラヴィア兄弟団]]の信者を追放する法令を発布する<ref>Paul Peucker, ''A Time of Sifting: Mystical Marriage and the Crisis of Moravian Piety in the Eighteenth Century'' (Penn State Press, 2015)</ref>。
*11月 - [[債務者監獄]]に収監されていた[[ジョン・クレランド]]が『[[ファニー・ヒル]]』の第1部を出版<ref>Roger Lonsdale, "New attributions to John Cleland", ''[[The Review of English Studies]]'' 1979 XXX(119):268–290 {{doi|10.1093/res/XXX.119.268}}</ref>。
*[[12月4日]] - オーストリアとスペインがオーストリア継承戦争の調停案に署名(アーヘンの和約)。オーストリアは[[モデナ公国]]と[[ジェノヴァ共和国]]からの撤兵に合意する。
*12月 - 清、[[内閣大学士]]の定員を定める{{Sfn|歴史学研究会|2017|p=196}}。
{{Clear}}


== 誕生 ==
== 誕生 ==
{{see also|Category:1748年生}}[[ファイル:David Self Portrait.jpg|サムネイル|ジャック=ルイ・ダヴィッド]]<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[2月3日]] - [[サミュエル・オズグッド]]、第4代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1819年]])
*不詳
* [[2月15日]] - [[ジェレミー・ベンサム]]、イギリスの[[法学者]](+ [[1832年]])
* [[2月29日]]([[延享]]5年[[2月2 (旧暦)|2月2日]])- [[菅茶山]]、[[学者]]・[[漢詩人]](+ [[1827年]])
**[[山片蟠桃]]本の[[商人]]、[[学者]](+ [[1821年]])
* [[4月12日]] - [[アントワーヌ・ローン・・ジュシュー]]、[[植物学者]](+ [[1836年]])
**[[マッチェム]]、サブレッド[[三大始祖]]のうち一頭(+ [[1781年]])
* [[830日]] - [[ジャック=ダヴィッド]]、[[画家]](+ [[1825年]])
*[[23日]] - [[サミュエル・オズグッド]]、第4代[[アメリカ合衆国郵政長官]](+ [[1819年]])
* [[2月15日]] - [[ジェレミ・ベンサム]]、イギリスの[[法学者]](+ [[1832年]])
* [[2月29日]]([[延享]]5年[[2月2日 (旧暦)|2月2日]])- [[菅茶山]]、日本の[[儒学者]]・[[漢詩人]](+ [[1827年]])
* [[3月5日]] - [[ヨナス・ドリュアンデル]]、スウェーデンの[[植物学者]] (+ [[1810年]])
* [[4月12日]] - [[アントワーヌ・ローラン・ド・ジュシュー]]、フランスの植物学者(+ [[1836年]])
* [[5月7日]] - [[オランプ・ド・グージュ]]、[[劇作家]]・[[俳優#性別での分類|女優]]・[[女権論者]] (+ [[1793年]])
* [[8月30日]] - [[ジャック=ルイ・ダヴィッド]]、フランスの[[画家]](+ [[1825年]])
* [[10月30日]] - [[マーサ・ジェファーソン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1782年]])
* [[10月30日]] - [[マーサ・ジェファーソン]]、[[アメリカ合衆国のファーストレディ]](+ [[1782年]])
* [[11月11日]] - [[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]、[[スペイン]]王(+ 1819年)
* [[11月11日]] - [[カルロス4世 (スペイン王)|カルロス4世]]、[[スペイン]]王(+ 1819年)
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== 死去 ==
== 死去 ==
[[ファイル:Asaf Jah I.jpg|サムネイル|カマルッディーン・ハーン(アザフ・シャー1世とも)の肖像]]
{{see also|Category:1748年没}}
<!--世界的に著名な人物のみ項内に記入-->
* [[1月1日]] - [[ヨハン・ベルヌーイ]]、数学者(* [[1667年]])
* [[1月19日]] - [[エルンスト・アウグスト1世 (ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ公)|エルンスト・アウグスト1世]]、[[ザクセン=ヴァイマル|ザクセン=ヴァイマル公]]および[[ザクセン=アイゼナハ|ザクセン=アイゼナハ公]](* [[1688年]])
*[[3月7日]] - [[ピエトロ・ジャンノーネ]]、[[歴史家]](* [[1676年]])
*[[3月23日]] - [[ヨハン・ゴットフリート・ヴァルター]]、[[バッハ家]]の[[作曲家]]、[[音楽理論家]](* [[1684年]])
*[[4月8日]] - [[孝賢純皇后]]、[[清]]6代皇帝、[[乾隆帝]]の皇后(* [[1712年]])
* [[4月26日]] - [[ムハンマド・シャー (ムガル皇帝)|ムハンマド・シャー]]、[[ムガル帝国]]の第12代君主(* [[1702年]])
*[[6月1日]] - [[カマルッディーン・ハーン]]、ムガル帝国宰相、[[ニザーム王国]]の初代君主(* [[1671年]])
* [[8月27日]] - [[ジェームズ・トムソン (1700年生の詩人)|ジェームズ・トムソン]]、[[スコットランド]]の[[詩人]]、[[劇作家]]、『[[ルール・ブリタニア]]』作詞(* [[1700年]])
*[[12月22日]] - [[ヨーハン・ネポムク・カール]]、[[リヒテンシュタイン]]の公爵(* [[1724年]])
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考文献 ==

* {{Cite journal|author=[[小牧昌平]]|year=1997-09-30|date=1997|title=一八世紀中期のホラーサーン : ドッラーニー朝とナーデル・シャー沒後のアフシャール朝|url=https://doi.org/10.14989/155132|journal=東洋史研究|volume=56|issue=2|pages=366-390|ref={{SfnRef|小牧|1997}}|DOI=10.14989/155132}}
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*{{Cite|和書||first=卓生|last=堂目|author=堂目卓生|authorlink=堂目卓生|title=アダム・スミス-『道徳感情論』と『国富論』の世界|year=2008|series=中公新書|publisher=中央公論新社|isbn=978-4121019363}}
*{{Cite book|和書 |title=ビジュアル版 人類の歴史大年表 |date=2013-11-11 |publisher=[[柊風舎]] |isbn=9784864980074 |author=ドーリング・キンダースリー |author-link=DK (出版社) |editor-link=樺山紘一 |translator=[[藤井留美]] |editor=樺山紘一 |ref={{SfnRef|DK|2013}}}}
*{{Cite book|和書 |title=アメリカ史「読む」年表事典1 |date=2010-10-22 |year=2010 |publisher=原書房 |isbn=978-4562046423 |author=中村甚五郎 |ref={{SfnRef|中村|2010}}}}
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*{{Cite book|和書|title=見る、読む、調べる 江戸時代年表|publisher=[[小学館]]|date=2007-10-10|editor=山本博文|editor-link=山本博文|isbn=978-4-09-626606-9|ref={{SfnRef|山本|2007}}}}
*{{Cite journal|author=吉田,弘夫|year=1965|title=ブルターニユにおける新税(十分の一税、二十分の一税)の創設と変容 : 《régie》と《abonnement》|url=https://hdl.handle.net/2115/33293|journal=北海道大學文學部紀要|volume=13|issue=2|pages=125-183|accessdate=2021-12-18}}

* {{Cite book|和書 |title=世界史年表 第3版 |date=2017-10-28 |publisher=[[岩波書店]] |isbn=9784000612265 |editor-link=歴史学研究会 |ref={{SfnRef|歴史学研究会|2017}} |editor=歴史学研究会}}

== 関連項目 ==
{{Commonscat|1748}}
* [[年の一覧]]
* [[年表]]
* [[年表一覧]]
<!-- == 外部リンク == -->

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千年紀: 2千年紀
世紀: 17世紀 - 18世紀 - 19世紀
十年紀: 1720年代 1730年代 1740年代 1750年代 1760年代
: 1745年 1746年 1747年 1748年 1749年 1750年 1751年
オーストリア継承戦争終結後のヨーロッパ情勢

1748年(1748 ねん)は、西暦グレゴリオ暦)による、月曜日から始まる閏年

他の紀年法

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できごと

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『カレーの門』または『あぁ、古き良きイングランドのローストビーフよ』同年、カレーを芸術家仲間と共に旅行していたホガース(場面左奥)は、フランス当局にスパイ容疑で拘束されている。 ウィリアム・ホガース筆 テート・ブリテン所蔵

1月~3月

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4月~6月

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7月~9月

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10月~12月

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誕生

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ジャック=ルイ・ダヴィッド

死去

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カマルッディーン・ハーン(アザフ・シャー1世とも)の肖像

脚注

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注釈

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  1. ^ カーズドゥグリーヤとも、Qāzdughliyya
  2. ^ Ibrāhīm Katkhudā

出典

[編集]
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参考文献

[編集]

関連項目

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