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現役時代は、[[ローリー・フィンガーズ]]、[[ダン・クイゼンベリー]]と共に、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]における[[リリーフ|クローザー]]の草分け的存在として活躍、通算300[[セーブ]]を挙げた。2006年、[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たした<ref>{{Cite web|publisher=Baseball Crix|url=https://bbcrix.com/articles/32417/original|title=最多セーブを5度も獲得!ブルース・スーター球歴を振り返ってみた!|accessdate=2018-05-07}}</ref>。
現役時代は、[[ローリー・フィンガーズ]]、[[ダン・クイゼンベリー]]と共に、[[メジャーリーグベースボール|MLB]]における[[リリーフ|クローザー]]の草分け的存在として活躍、通算300[[セーブ]]を挙げた。2006年、[[アメリカ野球殿堂]]入りを果たした<ref>{{Cite web|publisher=Baseball Crix|url=https://bbcrix.com/articles/32417/original|title=最多セーブを5度も獲得!ブルース・スーター球歴を振り返ってみた!|accessdate=2018-05-07}}</ref>。

2018年5月29日 (火) 00:22時点における版

ブルース・スーター
Bruce Sutter
2008年
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 アメリカ合衆国 ペンシルベニア州ランカスター
生年月日 (1953-01-08) 1953年1月8日(71歳)
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1971年
初出場 1976年5月9日
最終出場 1988年9月9日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
殿堂表彰者
選出年 2006年
得票率 76.90%
選出方法 BBWAA[:en]選出

ハワード・ブルース・スーターHoward Bruce Sutter , 1953年1月8日 - )アメリカ合衆国ペンシルベニア州ランカスター出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

現役時代は、ローリー・フィンガーズダン・クイゼンベリーと共に、MLBにおけるクローザーの草分け的存在として活躍、通算300セーブを挙げた。2006年、アメリカ野球殿堂入りを果たした[1]

経歴

1970年高校卒業後にワシントン・セネターズ(現:テキサス・レンジャーズ)からドラフト21巡目指名されるも拒否し、オールド・ドミニオン大学に入学。1年後シカゴ・カブスと契約した。1976年5月にメジャーデビュー。当時まだ一般的でなかったSFF(スプリットフィンガード・ファストボール)を駆使し、抑えとして活躍。1979年自身初のセーブ王に輝き、サイ・ヤング賞を受賞。1980年オフにセントルイス・カージナルストレードされ、1982年ワールドシリーズ第7戦を締めくくり、カージナルス15年ぶりの世界一に貢献した。1984年にはフリーエージェントを行使して、当時のレートで「4年契約24億円」という、当時としては破格の契約でアトランタ・ブレーブスへ移籍したが、それ以後は肩を痛め成績は下降、1988年に35歳で引退した。

殿堂入りについて

  • 5回のセーブ王獲得はナショナルリーグ最多。2006年に資格取得後13年目でようやくアメリカ野球殿堂入りを果たした(リリーフ投手としては4人目、先発経験のない投手としては初)。殿堂入りまでに長い年月がかかったのは、リリーフ投手に対して殿堂入り委員会(主に全米野球担当記者協会)の評価が低いためである。
  • 1970年代後半から1980年代前半の抑え投手『ファイアマン(火消し役)』は現在のクローザーとは異なり、ピンチとなれば8回から登板することも珍しくなく、長いイニングを投げ抜いた。スーターも100イニング以上登板は5回記録しており、この時代を代表する抑え投手だった。
  • 殿堂入りに伴い、カージナルス在籍時の背番号42』がスーターの背番号として永久欠番に指定されるが、既に1997年ジャッキー・ロビンソンの永久欠番として定められており、同一の背番号を複数の選手が連名で永久欠番となるのは史上3球団目の例となった。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1976 CHC 52 0 0 0 0 6 3 10 -- .667 332 83.1 63 4 26 8 0 73 2 0 27 25 2.70 1.07
1977 62 0 0 0 0 7 3 31 -- .700 411 107.1 69 5 23 7 1 129 7 0 21 16 1.34 0.86
1978 64 0 0 0 0 8 10 27 -- .444 414 99.0 82 10 34 7 1 106 8 1 44 35 3.18 1.18
1979 62 0 0 0 0 6 6 37 -- .500 403 101.1 67 3 32 5 0 110 9 0 29 25 2.22 0.98
1980 60 0 0 0 0 5 8 28 -- .385 423 102.1 90 5 34 8 1 76 2 4 35 30 2.64 1.21
1981 STL 48 0 0 0 0 3 5 25 -- .375 328 82.1 64 5 24 8 1 57 0 1 24 24 2.62 1.07
1982 70 0 0 0 0 9 8 36 -- .529 424 102.1 88 8 34 13 3 61 5 0 38 33 2.90 1.19
1983 60 0 0 0 0 9 10 21 -- .474 384 89.1 90 8 30 14 1 64 2 2 45 42 4.23 1.34
1984 71 0 0 0 0 5 7 45 -- .417 477 122.2 109 9 23 4 1 77 2 0 26 21 1.54 1.08
1985 ATL 58 0 0 0 0 7 7 23 -- .500 382 88.1 91 13 29 4 3 52 0 0 46 44 4.48 1.36
1986 16 0 0 0 0 2 0 3 -- 1.000 80 18.2 17 3 9 2 0 16 0 0 9 9 4.34 1.39
1988 38 0 0 0 0 1 4 14 -- .200 193 45.1 49 4 11 3 1 40 0 0 26 24 4.76 1.32
通算:12年 661 0 0 0 0 68 71 300 -- .489 4251 1042.1 879 77 309 83 13 861 37 8 370 328 2.83 1.14
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 42(1976年 - 1984年)
  • 40(1985年 - 1986年)
  • 42(1988年)

タイトル・表彰・記録

外部リンク

  1. ^ 最多セーブを5度も獲得!ブルース・スーター球歴を振り返ってみた!”. Baseball Crix. 2018年5月7日閲覧。