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「日英関係」の版間の差分

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*[[1825年]] 江戸幕府、[[異国船打払令]]発布。イギリス軍艦を警戒し、あらゆる外国船を砲撃・追い返そうとする内容。その一方で、この頃から[[清朝]]に輸入されたイギリスの物産が現地の商人によって日本に再輸出されたケースも確認されている。
*[[1825年]] 江戸幕府、[[異国船打払令]]発布。イギリス軍艦を警戒し、あらゆる外国船を砲撃・追い返そうとする内容。その一方で、この頃から[[清朝]]に輸入されたイギリスの物産が現地の商人によって日本に再輸出されたケースも確認されている。
*[[1835年]] イギリス人に救助された[[尾張国]]出身の船乗り[[音吉]]、日本人として初めて[[ロンドン]]を訪問。その後、イギリスに[[帰化]]。
*[[1835年]] イギリス人に救助された[[尾張国]]出身の船乗り[[音吉]]、日本人として初めて[[ロンドン]]を訪問。その後、イギリスに[[帰化]]。
*[[1840年]] [[アヘン戦争]]。イギリスが清朝に勝利し、[[香港]]を獲得した事を知った徳川幕府は、異国船打払令を[[1842年]]に撤廃。
*[[1840年]] [[第一次アヘン戦争]]。イギリスが清朝に勝利し、[[香港]]を獲得した事を知った徳川幕府は、異国船打払令を[[1842年]]に撤廃。
*[[1854年]][[10月14日]]([[嘉永]]7年8月23日) [[クリミア戦争]]。イギリス海軍は、ロシア海軍の艦船を拿捕することを名目に、長崎に侵入し、日本の中立を侵犯。その結果、[[日英和親条約]]が調印。徳川幕府を代表している[[長崎奉行]]と[[ジェームズ・スターリング提督]](Admiral Sir James Stirling)により締結。イギリス側の通訳は音吉が務める。[[不平等条約]]。
*[[1854年]][[10月14日]]([[嘉永]]7年8月23日) [[クリミア戦争]]。イギリス海軍は、ロシア海軍の艦船を拿捕することを名目に、長崎に侵入し、日本の中立を侵犯。その結果、[[日英和親条約]]が調印。徳川幕府を代表している[[長崎奉行]]と[[ジェームズ・スターリング提督]](Admiral Sir James Stirling)により締結。イギリス側の通訳は音吉が務める。[[不平等条約]]。
*[[1858年]][[8月26日]]([[安政]]5年7月18日) [[第二次アヘン戦争]]。イギリスが再び、日本の中立を侵犯し、[[日英修好通商条約]]が徳川幕府と[[エルギン伯爵]][[ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)|ジェイムズ・ブルース]]の間で調印。 [[関税自主権]]の制限や[[治外法権]]承認([[領事裁判権]])など、日本に不利な不平等条約が継続・強化される。同年、長崎に日本初の公的な[[英語]]教育機関として[[長崎英語伝習所]]が設立。
*[[1858年]][[8月26日]]([[安政]]5年7月18日) [[第二次アヘン戦争]]。イギリスが再び、日本の中立を侵犯し、[[江戸]]を海上封鎖する。[[日英修好通商条約]]が徳川幕府と[[エルギン伯爵]][[ジェイムズ・ブルース (第8代エルギン伯爵)|ジェイムズ・ブルース]]の間で調印。 [[関税自主権]]の制限や[[治外法権]]承認([[領事裁判権]])など、日本に不利な不平等条約が継続・強化される。同年、長崎に日本初の公的な[[英語]]教育機関として[[長崎英語伝習所]]が設立。
*[[1858年]] [[ヴィクトリア_(イギリス女王)|英国女王]]が、木造スクーナー型蒸気船[[蟠竜丸|エンビロル号]]を幕府に贈呈、砲艦「蟠竜丸」と改称。
*[[1858年]] [[ヴィクトリア_(イギリス女王)|英国女王]]が、木造スクーナー型蒸気船[[蟠竜丸|エンビロル号]]を幕府に贈呈、砲艦「蟠竜丸」と改称。
*[[1859年]][[7月6日]](安政6年6月7日)初代駐日総領事[[ラザフォード・オールコック]]により[[江戸]][[高輪]]の[[東禅寺 (東京都港区)|東禅寺]]に[[駐日英国大使館|英国総領事館]]が開設される<ref>[[#川崎(2012)|川崎(2012)]] p.40</ref>。
*[[1859年]][[7月6日]](安政6年6月7日)初代駐日総領事[[ラザフォード・オールコック]]により[[江戸]][[高輪]]の[[東禅寺 (東京都港区)|東禅寺]]に[[駐日英国大使館|英国総領事館]]が開設される<ref>[[#川崎(2012)|川崎(2012)]] p.40</ref>。

2019年10月25日 (金) 21:17時点における版

日英関係
United KingdomとJapanの位置を示した地図

イギリス

日本

日英関係(にちえいかんけい、英語: Japan-United Kingdom relations)は、日本イギリスの関係のこと。

日英年表

ウィリアム・アダムス

18世紀以前

19世紀

20世紀前半

20世紀後半~21世紀

第2回日英外務・防衛閣僚会合(「2+2」)
岩崎茂統合幕僚長とニコラス・ホートンイギリス国防参謀総長

イギリスと関係のある日本人

政治家、外交官

小説家

軍人

  • 東郷平八郎、「東洋のネルソン」
  • 柴五郎、「コロネル・シバ~日英同盟締結の影の立役者~」

その他

日本と関係あるイギリス人

外交官

条約を調印した国代表

お雇い外国人

教育、研究

宣教師

Reverend Walter Weston

鉄道

建築家

商人

軍人

その他

外交使節

在英日本大使・公使

在日英国大使

脚注

  1. ^ 川崎(2012) p.40
  2. ^ Japan–British Society
  3. ^ 日英協会
  4. ^ いずれも陸上競技。女子800m走のアン・パッカー、女子走幅跳のマリー・ランド、男子20km競歩のケネス・マシューズ英語版、男子走幅跳のリン・デービース英語版
  5. ^ アジアから唯一出場した北朝鮮がベスト8進出。
  6. ^ 『キプリグの日本発見』中央公論新社、2002

参考文献

  • 川崎晴朗研究ノート : 明治時代の東京にあった外国公館(2)」『外務省調査月報』第(1)巻2012年度、外務省第一国際情報官室、2012年8月30日、ISSN 0447-3523 

関連項目

外部リンク