「防府駅」の版間の差分
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|ローマ字 = Hōfu |
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2020年2月14日 (金) 22:39時点における版
防府駅* | |
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みなとぐち | |
ほうふ Hōfu | |
◄富海 (7.2 km) (7.8 km) 大道► | |
所在地 | 山口県防府市戎町一丁目1-1 |
所属事業者 | 西日本旅客鉄道(JR西日本) |
所属路線 | ■山陽本線 |
キロ程 | 441.4 km(神戸起点) |
電報略号 |
ホフ ミタ(三田尻駅時代) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
4,370人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1898年(明治31年)3月17日 |
備考 |
直営駅 みどりの窓口 有 |
* 1962年に三田尻駅から改称。 |
防府駅(ほうふえき)は、山口県防府市戎町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線の駅。
概要
開業時の駅名は三田尻駅(みたじりえき)。日本で最初の食堂車運用が山陽鉄道京都駅 - 三田尻駅で行われた。2009年(平成21年)3月の夜行列車全廃以降は普通列車のみの停車となっている。また、かつては防府天満宮の初詣列車や当駅折り返し列車も設定されていたが、現在は廃止された。
徳山地域鉄道部管理の直営駅であり、隣接する富海駅および大道駅の管理面での窓口となっている。
歴史
- 1898年(明治31年)3月17日 - 山陽鉄道が徳山駅から延伸し、その終着たる三田尻駅として開業。同時に駅構内に三田尻機関庫が設置される。
- 1899年(明治32年)5月25日 - 国内で初めての食堂車連結の急行列車が京都駅との間で運行開始。
- 1900年(明治33年)
- 1906年(明治39年)12月1日 - 山陽鉄道の国有化により官設鉄道の駅となる。
- 1909年(明治42年)10月12日 - 線路名称制定。山陽本線の所属となる。
- 1914年(大正3年) - 当駅と山口米屋町間で乗り合い自動車営業開始。
- 1919年(大正8年) - 防石鉄道が上和字駅まで開業。
- 1926年(大正15年) - 富海駅から当駅まで複線化。
- 1928年(昭和3年) - 三田尻機関庫閉庫、小郡駅(現新山口駅)小郡機関庫(現山口鉄道部車両管理室)に移転。
- 1930年(昭和5年) - 当駅から大道駅まで複線化。
- 1931年(昭和6年)5月31日 - 省営バス(旧国鉄バス・現 JRバス )が全国で2番目の路線を山口との間に運行開始
- 1962年(昭和37年)11月1日 - 防府駅に改称。
- 1963年(昭和38年) - コンクリート造2階建ての駅舎に改築。
- 1964年(昭和39年)7月1日 - 防石鉄道廃止。
- 1965年(昭和40年)9月24日 - みどりの窓口営業開始。
- 1977年(昭和52年) - 高架給水塔撤去。
- 1986年(昭和61年)11月1日 - 高架化工事準備につき貨物取扱業務を新設の防府貨物駅に移管し廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、JR西日本の駅となる。
- 1993年(平成5年)10月29日 - 下り線が改築した新駅で営業開始。
- 1994年(平成6年)5月27日 - 高架駅舎落成、上り線も新駅に移る。(上りエスカレーター設置)
- 2008年(平成20年)11月 - 駅舎西側にアイスタ防府出店。
- 2009年(平成21年)3月 - エレベーター設置。
- 2011年(平成21年)3月14日 - 防府おどりをアレンジした接近メロディを使用開始(使用開始のセレモニーも同日行われる予定だったが中止となった)
駅構造
現在は島式1面2線のホームを持つ高架駅である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。改札口は高架下に1箇所。改札員兼務のため規模は小さいがみどりの窓口・みどりの券売機がある。2009年3月には改札口からホームへのエレベーターが設置された。南北2箇所ある駅出口にはそれぞれ愛称があり、北口は防府天満宮にちなんで「てんじんぐち」、南口は三田尻中関港にちなんで「みなとぐち」と名付けられている。
高架化以前は貨物設備も備えた2面4線の地上駅だったが、鉄道による南北分断(駅出口も北側1箇所のみ)や、貨車入換えに伴う開かずの踏切問題などが慢性化したため、駅周辺の高架化工事を実施、南北に通り抜けできるロビーを備えた高架駅となった。当初は高架の旅客駅2面4線とする予定であったが、利用状況を精査した結果に基づき駅の規模の縮小を同時実施、あわせて貨物取扱業務は駅東側に新たに建設された防府貨物駅(現在の防府貨物オフレールステーション)に移管し、廃止された。
貨物営業を行っていた頃には駅南側に貨物ホームが設置されていた他、港に面する地点にあるカネボウ防府工場(跡地の活用として・イオンタウン防府)、日本たばこ産業防府工場、協和醗酵工業(現・協和発酵キリン)防府工場へ専用線が続いていた。貨物駅からは工場専用線の線路を残す計画もあったが、復元されていない。
のりば
のりば | 路線 | 方向 | 行先 |
---|---|---|---|
1 | ■山陽本線 | 上り | 徳山・柳井方面 |
2 | 下り | 新山口・宇部方面 |
駅弁
防府駅高架化工事に伴い「木村寿軒」が一旦休業後、1階コンコースへ店舗を再開した。
- 特製お弁当(木村寿軒)
駅周辺
元々の出入口のあったてんじんぐち周辺が古くからの市街地であるが、連続立体高架に併せたみなとぐち西側の区画整理が完了し、開発が進んでいる。
てんじんぐち周辺
駅前から北に向かって山口県道54号防府停車場線が延びる。
- 三井住友信託銀行山口防府支店
- 中国労働金庫防府支店
- もみじ銀行防府支店
- 東山口信用金庫防府駅前支店
- アスピラート(防府地域交流センター)
- ルルサス防府
- 広島銀行防府支店
- 防府市立図書館
- 防府駅前郵便局
- 防府郵便局
- 鉄道記念広場(防石鉄道で使用された、蒸機1両客車2両がそのまま保管されている)
- 防府天満宮(日本三大天神)
- ゆめタウン防府
- 防府市公会堂
- 周防国分寺
みなとぐち周辺
- アイスタ防府
- イオン防府店(1999年3月までは防府ニチイ=防府ぱる、2011年3月までは防府サティ)
- 山口銀行防府支店
- 西京銀行防府支店
- YIC看護福祉専門学校
- 山口県立防府商工高等学校
- 山口県立防府高等学校
- 防府看護専門学校
- 誠英高等学校
- 桑山公園
- 山口県防府総合庁舎
- 防府市役所
- 防府警察署
- イオンタウン防府
- 三田尻中関港(重要港湾)
路線バス
てんじんぐちに4面、みなとぐちに3面の7面のバスターミナルを有する(乗り場番号は両ターミナルで通し番号となっている)。バス発券窓口は駅舎にはないが、防長交通案内所がてんじんぐち近くにある。
防長交通の防府市内線の拠点となっているほか、中国JRバス(防長線)も乗り入れる。
てんじんぐち乗り場
1番のりば - 4番のりば。
- 2番のりば
- 3番のりば
- 県立総合医療センター - 自由ケ丘方面/落合方面、
- (西高 - )大道駅 - 秋穂方面
- 新山口駅方面
- 4番のりば
みなとぐち乗り場
5番のりば - 7番のりば。全て防長交通が使用。
- 5番のりば
- 堀口通 - 中浦方面、市役所 - 中浦方面
- 堀口通 - 鶴浜工業団地
- 6番のりば
- 市役所 - 四辻・西浦小茅方面
- 堀口通 - 小田港方面/三田尻港方面
- 7番のりば
利用状況
1日の平均乗車人員は以下の通りである。
乗車人員推移 | |
---|---|
年度 | 1日平均人数 |
1999 | 4,411 |
2000 | 4,318 |
2001 | 4,281 |
2002 | 4,227 |
2003 | 4,225 |
2004 | 4,306 |
2005 | 4,292 |
2006 | 4,182 |
2007 | 4,163 |
2008 | 4,133 |
2009 | 4,019 |
2010 | 4,004 |
2011 | 4,076 |
2012 | 4,073 |
2013 | 4,190 |
2014 | 3,976 |
2015 | 4,139 |
2016 | 4,160 |
2017 | 4,258 |
2018 | 4,370 |
鉄道唱歌
1900年(明治33年)に大和田建樹が作詞した鉄道唱歌第2集(山陽・九州篇)25番の歌詞は、三田尻駅を題材にしている。
出船入船たえまなき 商業繁華の三田尻は 山陽線路のをはり(終わり)にて 馬關に延ばす汽車のみち
当時は馬関駅(現在の下関駅)開業前[1]で、三田尻駅が山陽鉄道の終点駅だった。この後鉄道唱歌では、徳山駅まで一旦戻って海路で門司へ行き、そこから九州鉄道線に入っていった。
隣の駅
かつて存在した路線
- 防石鉄道
- 防石鉄道線
- 防府駅 - 周防宮市駅
脚注
- ^ 大和田本人は下関開業後に作詞したかったと回顧している。