「秋葉原駅」の版間の差分
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|画像説明 = JR電気街入口(2016年11月) |
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|よみがな = あきはばら |
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|ローマ字 = Akihabara |
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2020年2月15日 (土) 11:11時点における版
秋葉原駅 | |
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JR電気街入口(2016年11月) | |
あきはばら Akihabara | |
所在地 | 東京都千代田区 |
所属事業者 |
東日本旅客鉄道(JR東日本・駅詳細) 東京地下鉄(東京メトロ・駅詳細) 首都圏新都市鉄道(駅詳細) |
乗換 |
S08[1]岩本町駅 (都営地下鉄新宿線) |
秋葉原駅(あきはばらえき)は、東京都千代田区にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)・首都圏新都市鉄道の駅である。
所在地は、JR東日本が外神田一丁目17番6号、東京メトロが神田佐久間町一丁目21番地(住居表示未実施)、首都圏新都市鉄道が神田佐久間町一丁目6番地10(住居表示未実施)である。
乗り入れ路線
JR東日本の各線(後述)、東京メトロの日比谷線、首都圏新都市鉄道のつくばエクスプレスの3社の鉄道路線が乗り入れ、乗換駅となっている。JR東日本の駅には「 AKB 」のスリーレターコードが付与されている。
また、各路線ごとに駅番号が付与されている。
JR東日本の駅に乗り入れている路線は、正式な線路名称上は東海道本線と総武本線の2路線であり、東海道本線に関しては京浜東北線電車と山手線電車の2系統が停車するが、旅客案内では「東海道(本)線」とは案内されていない(詳細は路線記事および鉄道路線の名称参照)。
総武本線に関しては中央・総武線各駅停車と新宿駅方面と千葉駅方面を直通する特急列車(「成田エクスプレス」を除く)やホームライナーの一部が停車するが、旅客案内では単に「総武線」と案内されている。
特定都区市内における「東京都区内」および「東京山手線内」に属している。
- 京浜東北線:電車線を走行する東海道本線・東北本線の近距離電車。横浜駅から根岸線への直通運転も実施している。
- 山手線:電車線を走行する環状路線
- 総武線(各駅停車):総武本線(支線)を走行する近距離電車[※ 2][※ 3]。錦糸町駅から総武本線(本線)緩行線に乗り入れ、隣の御茶ノ水駅から中央本線緩行線に乗り入れる。
東京メトロ日比谷線は、終着駅である北千住駅より、東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)を経由して日光線南栗橋駅まで相互直通運転を実施している。
なお、JR秋葉原駅の事務管コードは、▲441001となっている。
歴史
当駅を建設した日本鉄道は、当初上野駅から北へ、後の東北本線や高崎線に相当する路線を建設し、東京駅側では上野駅で旅客・貨物をともに取り扱う態勢で営業していた。鉄道の取り扱う旅客・貨物が伸びていくに連れて上野駅では逼迫するようになり、さらに同駅周辺の道路が狭隘で同駅へ向かう旅客・貨物を乗せた馬車が渋滞を起こすような状態となっていた。これに対応するために、旅客と貨物の分離が計画された。
同駅より南側は当時既に市街地となっていたが、当駅の存在する辺りは江戸時代より火事対策として設けられた火除地となっており、明治時代にも空き地になっていた[※ 4]。また、上野駅とこの火除地の間に道路が存在していたため、これらの払い下げを受けて用地を確保し、貨物駅として1890年(明治23年)に開設されることになった。当初はこの上野駅からの貨物線を「秋葉原線」と呼び、当駅は秋葉原貨物取扱所と呼ばれていた。
市街地を縦断して地上の線路を建設するため、東西方向の交通を遮断するとして沿線から敷設に対する強い反対運動が起きた。監督していた鉄道局では、交通を遮断しないようにするために高架化することを会社に指示したが、これを会社側は拒否し、後にこの線を東京駅・新橋駅まで延伸して東海道本線と接続させる際には同区間の高架化を実施するとの会社側回答で妥結することになった。また、線路は両側を柵で囲い、踏切には番人を置いて列車通行時には柵で閉鎖し、さらに列車の運行時間帯と運行本数に関する制限が付けられた[2]。沿線住民はなお反対を続けたが、当局の意向を背景に建設が強行され、駅が開業した。
駅には神田川から掘割が引かれ、はしけを使って連絡運輸を行っており、東北や信越からの貨物の東京の水上交通への窓口だった。掘割は国道4号線の西側から引き込まれ、道路の下を潜り、現在のヨドバシAkibaの位置に舟溜があった。太平洋戦争終戦直後の航空写真でもそれが確認できる。舟溜は当駅構内では東西に長くなっており、上野駅から入線して来た貨車は、構内に設置された小型の貨車用転車台に載せられて直角に向きを変え、東西方向に舟溜の両側に敷設された線路に入って船との連絡をとる仕組みになっていた。この掘割は昭和30年代以降に埋め立てられ公園となったが、周囲の路面に比べ地面が低くなっており、バリアフリー化を理由に2013年末から2014年3月の間嵩上げ工事を行う。書泉ブックタワーの隣から当駅に向かってつながっている公園がそれであり、道路脇には今でも橋の欄干が残っている。
上野駅 - 東京駅間の連絡線は高架線で、1925年(大正14年)11月1日に開通した。この高架線は3線からなり、うち2線を旅客線、1線を貨物線とすることになっていた。しかし、貨物取り扱い設備の高架上への移転工事が遅れ、貨物列車は引き続き地上を走っていた。高架貨物設備は第1期工事(西側貨物積卸場)が1928年(昭和3年)4月1日に、第2期工事(東側貨物積卸場)が1932年(昭和7年)7月1日に完成して、この日に地上の貨物線が廃止となり、貨物列車の運転も高架上に移された。また、この日に総武本線御茶ノ水駅 - 両国駅間が開通し、三層立体構造の高架駅となった。
この時点で駅の西半分は旅客駅として使い、東半分を貨物駅としていた。この名残りで駅の北側(蔵前橋通りの辺り)で線路が若干曲がっている。また、この付近の線路沿いの道も東西で対称となっている。地上時代の貨物線は道路に戻されており、上野駅前ではマルイシティ上野店の東側の通りが貨物線の跡である。
高架貨物ホームは2面存在し、全長180メートル、幅9 - 12メートルであり、旅客ホームとともに総武本線の高架を突き抜けていた。エレベーター24台、シューター、滑走機などを設置して、高架下との間での荷役を行っていた。田端操車場で入れ換えを行った後、常磐線の日暮里駅を経由する小運転で当駅へ貨車を送り込む方式で運転が行われていた。線路は14本存在しており、西側から貨物1 - 6番線・上り本線・下り本線・貨物7 - 12番線となっていた。そのうち貨物1番線で単式ホーム1面、貨物2・5番線と貨物8・10番線で島式ホームを1面ずつ使用していた。
戦後は貨物輸送のコンテナ化が進行したが、狭小な立地に高架で貨物取り扱い設備を設けた当駅ではこれに対応することができなかった。このため、1911年時点で東京における貨物駅では隅田川駅に次ぐ第2位の貨物取り扱い量であった当駅は、1970年になると汐留駅、小名木川駅、越中島駅、品川駅などに取り扱い量をはるかに引き離され、1911年時点での取り扱い量よりも減少している状態であった。こうした状況を受けて、1975年2月1日に当駅での貨物営業が廃止され、旅客専用駅となった。廃止後の貨物駅は西半分は東北新幹線工事のために撤去され、東半分は上野駅発着列車の留置線として転用された。留置線は1991年の東北新幹線東京駅 - 上野駅間の開通とともに第1上野トンネル坑口上に移設された。その数年後に残った貨物駅および運輸会社の倉庫地区が解体され、その後も更地となっていたが、2000年代初頭に旧倉庫地区がヨドバシカメラに売却され、2005年にヨドバシAkibaが開店。貨物駅跡もつくばエクスプレス開業に合わせて中央改札口、駅前広場として整備された。
かつて存在していた東京 - 上野間の東北本線線路は、東北新幹線建設に伴い神田駅付近で分断され、当駅構内の線路は留置線として利用されてきた。その後、上野東京ラインが神田駅付近の東北新幹線の高架のさらに上層部に高架で建設され、2015年(平成27年)3月14日に開業したが[3]、コスト面などから当駅にホームは設置されなかった。
年表
- 1890年(明治23年)11月1日:日本鉄道の秋葉原貨物取扱所として開業。
- 1906年(明治39年)11月1日:鉄道国有法により国有化。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により東北本線の所属となる。
- 1925年(大正14年)11月1日:東北本線上野駅 - 東京駅間の高架線が開業、旅客営業開始。
- 1928年(昭和3年)4月1日:高架貨物駅第1期工事(西側貨物積卸場)完成。
- 1931年(昭和6年)10月1日:高架下のスペースを利用した貨物倉庫の営業開始。
- 1932年(昭和7年)7月1日:総武本線、御茶ノ水駅 - 両国駅間が開業し、乗換駅となった。この時に3層構造の高架駅となった。高架線の総武線の開通によりエスカレーターが設置されたが、これは国鉄初のエスカレーターであった[4]。高架貨物駅第2期工事(東側貨物積卸場)が完成して、上野駅とを結ぶ地上の貨物線が廃止された。
- 1945年(昭和20年)3月10日:太平洋戦争中に空襲(東京大空襲)に遭い駅舎が全焼。留置していた客車14両と貨車50両が焼失。
- 1951年(昭和26年)11月:現在の電気街口にアキハバラデパート開店。
- 1953年(昭和28年)10月15日:貨物取扱除外品目に「軽火工品」を追加。
- 1962年(昭和37年)5月31日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)日比谷線秋葉原駅開業。
- 1965年(昭和40年)11月:日本最長(当時)のエスカレーターが昭和通り口=総武線ホーム間に設置。
- 1975年(昭和50年)2月1日:貨物営業廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、国鉄の駅は東日本旅客鉄道(JR東日本)の駅となる[5]。東北本線は長らく東海道本線との乗り入れを行っていたが、上野駅 - 東京駅間の東北本線線路用地の一部を東北新幹線用に使用することが決定したため、連絡運転が停止された。
- 1993年(平成5年)
- 2001年(平成13年)11月18日:JR東日本でICカード「Suica」の利用が可能となる[広報 1]。
- 2004年(平成16年)4月1日:帝都高速度交通営団(営団地下鉄)民営化に伴い、日比谷線の駅は東京地下鉄(東京メトロ)に継承される。
- 2005年(平成17年)
- 2006年(平成18年)12月31日:アキハバラデパートが閉店。同時にデパート口改札を閉鎖。
- 2007年(平成19年)3月18日:東京メトロ・首都圏新都市鉄道でICカード「PASMO」の利用が可能となる。
- 2010年(平成22年)11月19日:アキハバラデパート跡地に新駅ビル完成、アトレ秋葉原1が開業。アトレヴィ秋葉原がアトレ秋葉原2に改称。旧デパート口改札をアトレ1改札口と改称して再設置。
- 2013年(平成25年)3月16日:日比谷線秋葉原駅において、都営地下鉄新宿線岩本町駅との連絡運輸を開始、同駅との乗継割引が適用されるようになる。
- 2016年(平成28年)
- 2019年(平成31年)3月1日:JR東日本の駅が業務委託化[12]。
- 2020年(令和2年)2月7日:日比谷線ホームの発車メロディのバージョンを変更。
駅構造
JR東日本
JR 秋葉原駅 | |
---|---|
JR電気街口(北側から) (2010年11月20日) | |
あきはばら Akihabara AKB | |
所在地 | 東京都千代田区外神田一丁目17-6 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | アキ |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム |
2面4線(京浜東北線・山手線) 2面2線(総武線) |
乗車人員 -統計年度- |
252,267人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 1890年(明治23年)11月1日[5] |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■京浜東北線* |
駅番号 | JK28 |
キロ程 |
2.0km(東京起点) 大宮から28.3 km |
◄JK 27 神田 (0.7 km) (1.0 km) 御徒町 JK 29► | |
所属路線 | ■山手線* |
駅番号 | JY03 |
キロ程 | 2.0 km(東京起点) |
◄JY 02 神田 (0.7 km) (1.0 km) 御徒町 JY 04► | |
所属路線 |
■総武線(各駅停車) (正式には総武本線支線) |
駅番号 | JB19 |
キロ程 |
3.4km(錦糸町起点) 千葉から37.8 km |
◄JB 18 御茶ノ水 (0.9 km) (1.1 km) **浅草橋 JB 20► | |
備考 |
業務委託駅 みどりの窓口 有 東京山手線内・東京都区内駅 |
JR東日本ステーションサービスが駅管理を受託する御茶ノ水駅管理の業務委託駅[12]。
京浜東北線・山手線、およびそれと並走して当駅を通過する上野東京ライン・東北新幹線の高架橋のさらに上を総武線の高架橋が直交して乗り越すオーバークロス構造になっている。
京浜東北線と山手線は島式ホーム2面4線、総武線は相対式ホーム2面2線を有する高架駅である。そのため、京浜東北線・山手線から総武線に乗り換える時は、東京寄りの階段を上ると新宿方面(5番線)に、上野寄りの階段を上ると千葉方面(6番線)につながる。もし途中で間違えたことに気付いた場合は5・6番線ともにアトレ1改札方面に向かえば反対側のホームに出ることができる[※ 6]。
改札口は電気街口・昭和通り口・中央改札口・アトレ1改札口の4ヶ所である。また、電気街口と中央改札口の間に改札外の東西自由通路が設置されている。このうち、アトレ1改札口は総武線ホームと駅ビル「アトレ秋葉原1」を直接連絡する改札口である。これは、2006年12月31日まで存在していた総武線ホームと旧駅ビル(アキハバラデパート)を直接連絡するデパート口改札と同じ場所に再設置されたものである。なお、アトレ1改札口は有人ではあるが原則窓口の開放はされてないため、窓口での精算が必要な場合や有人改札しか通れない切符(青春18きっぷ、ジャパンレールパスなど)を持っている場合は他の改札口に行く必要がある。みどりの窓口が昭和通り口・電気街口、指定席券売機が電気街口・昭和通り口 ・中央改札口および電気街口みどりの窓口内(旧びゅうプラザ秋葉原店内)、短距離自動券売機がアトレ1改札口にそれぞれ設置されている。
以前は、電気街口、昭和通り口ともに改札内コンコースの途中に階段があり、バリアフリーに対応していない上、電気街口からは京浜東北線および山手線ホーム、昭和通り口からは総武線ホーム・デパート口からは総武線千葉方面6番線のみ直結で、直結されていないホームへはそれぞれ直結するホームを経由して乗り換え階段を利用するか、外からの利用であれば直結する改札口へ迂回する必要があるなど不便であったが、2005年のつくばエクスプレスとヨドバシAkibaなどの開業に合わせて構内通路の拡大などの大規模な駅改良工事が行われ、中央改札口と東西自由通路、ならびにエレベーターなどが新設された。
6番線の浅草橋駅寄りは、駅ビル「アトレ秋葉原2」と直結しているが、これは業務用通路であり、関係者以外の通行はできない。
のりば
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | |
---|---|---|---|---|
2階ホーム | ||||
1 | 京浜東北線 | 北行 | 上野・大宮方面 | |
2 | 山手線 | 内回り | 上野・池袋方面 | |
3 | 外回り | 東京・品川方面 | ||
4 | 京浜東北線 | 南行 | 東京・横浜方面 | |
3階ホーム | ||||
5 | 総武線(各駅停車) | 西行 | 御茶ノ水・新宿方面 | |
6 | 東行 | 船橋・千葉方面 |
(出典:JR東日本:駅構内図)
- 総武線では各駅停車のほか、特急列車の一部が停車する。定期列車では最後に残った銚子駅発新宿駅着の「しおさい」が2015年3月13日で廃止されたが、臨時列車では「新宿さざなみ」「新宿わかしお」が停車する。かつては平日の「ホームライナー千葉5号」が停車し、ホームにライナー券売機が設置されていた。以前は千葉駅発着の「あずさ」も停車していたが、2002年12月までに183系から11両編成で運転されることのあるE257系へ全面置き換えされたことに伴い、ホーム有効長が10両分である当駅は通過となった(最末期の183系「あずさ」は千葉発着の列車のみだった)。
- 1階コンコースには4店舗が入ったフードコートがあったが2009年末をもって閉鎖され、2010年4月28日に「Tokyo Food Bar」としてリニューアルオープンした。
- かつては電気街口、昭和通り口がそれぞれ西口、東口という名称だったが、地元商店の要望で現在の名称に改められた。
バリアフリー設備
- エスカレーター:総武線ホーム - 山手線・京浜東北線ホーム、改札口 - ホーム
- エレベーター:コンコース - ホーム(総武線と山手線・京浜東北線ホームを結ぶエレベーターはない)
- 多機能トイレ(中央改札・昭和通り口。但し2ヶ所とも施錠されており、利用の際は係員に申し出る必要がある)
発車メロディ
山手線・京浜東北線ホームの1 - 4番線ではテイチク、総武線ホームの5番線ではサウンドフォーラム、6番線ではサウンドファクトリー制作の発車メロディを使用している。
1 | 線路の彼方 | |
---|---|---|
2 | 小川のせせらぎ V1 | |
3 | スプリングボックス | |
4 | Cappuccino | |
5 | 春 New Version | |
6 | 教会の見える駅 |
-
電気街改札(2019年6月)
-
昭和通り改札(2019年6月)
-
中央改札(2019年6月)
-
アトレ1改札(2019年6月)
-
1・2番線(山手・京浜東北線)ホーム(2019年3月)
-
3・4番線(山手・京浜東北線)ホーム(2019年3月)
-
5・6番線(総武緩行線)ホーム(2019年6月)
東京メトロ
東京メトロ 秋葉原駅 | |
---|---|
あきはばら Akihabara | |
◄H 14 小伝馬町 (0.9 km) (1.0 km) 仲御徒町 H 16► | |
東京都千代田区神田佐久間町一丁目21 | |
駅番号 | H15[1][※ 1] |
所属事業者 | 東京地下鉄(東京メトロ) |
所属路線 | ●[1]日比谷線 |
キロ程 | 6.8 km(北千住起点) |
電報略号 | アキ |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
127,721人/日 -2018年- |
開業年月日 | 1962年(昭和37年)5月31日 |
JR線東側の昭和通りの真下に位置する相対式ホーム2面2線を有する地下駅。
電気街などのJR線西側へは、神田川沿いの道路およびJR中央改札口前の東西自由通路にて連絡している。また、小伝馬町寄りの改札口を出て神田川の和泉橋を渡った場所に都営地下鉄新宿線の岩本町駅がある。当駅と岩本町駅は距離が近いが、同駅の開業以来連絡運輸(メトロ⇔都営地下鉄の乗り継ぎ割引適用)を行っていなかった。しかし、2013年までに乗継割引の適用を開始することが2011年に発表され[13]、同年3月16日から適用が開始された[14]。これに伴い、4・5番出口の出口利用時間制限が撤廃され、終日利用可能となった。
仲御徒町寄りの改札口とホームの間にはエレベーター、つくばエクスプレス開業と同時期に改良された3番出入口と改札外コンコースの間にはエレベーターとエスカレーターが設置されている。
1993年(平成5年)度に行われた改装工事で、ホーム側壁の駅名標上部に電気器具のイメージイラストが飾られるようになった。これは至近距離にある銀座線末広町駅と同様である。ただし、当駅と末広町駅との間での連絡運輸は実施していない。
当駅は、「上野駅務管区 秋葉原地域」として近隣の駅を管理している[15]。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1 | 日比谷線 | 銀座・六本木・中目黒方面 |
2 | 上野・北千住・南栗橋方面 |
- 日比谷線では2020年6月6日より、座席指定列車「THライナー」の運転を開始する予定である[16]。久喜駅始発恵比寿駅行きは降車のみ、霞ケ関駅発久喜駅行きは乗車のみ取り扱いとなるため、東京メトロ線内のみの利用はできない[16]。
発車メロディ
2016年3月31日からAKB48の「恋するフォーチュンクッキー」を発車メロディとして使用している[9]。日比谷線への発車メロディ採用は当駅が初。当初は福嶋尚哉が編曲した3秒程度の短いバージョンを使用していたが、2020年2月7日に、塩塚博が編曲した7秒程度の長いバージョンに変更された[17][18][※ 7]。また、先に更新された乃木坂駅と同じく北千住方面では「東武スカイツリーライン直通」の内容が含まれた放送に一新された。
-
3番出入口(2006年12月)
-
ホーム(2006年12月)
-
駅名標
首都圏新都市鉄道
首都圏新都市鉄道 秋葉原駅 | |
---|---|
ホーム(2008年1月) | |
あきはばら Akihabara | |
(1.6km) 新御徒町 02► | |
東京都千代田区神田佐久間町一丁目6-10 | |
駅番号 | 01 |
所属事業者 | 首都圏新都市鉄道 |
所属路線 | つくばエクスプレス |
キロ程 | 0.0 km(秋葉原起点) |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
68,291人/日(降車客含まず) -2018年- |
開業年月日 | 2005年(平成17年)8月24日 |
島式ホーム1面2線を有する地下駅。将来、当駅から東京駅まで延伸される計画があるため、終端部はホームの少し先に設置されている。また、ホームの側壁には部分的につくばエクスプレスのロゴが存在する。駅務管理所所在駅で、秋葉原駅務管理所として当駅 - 南千住駅間を管理している。
JRの中央改札口付近にA1・A2出入口があり、電気街などのJR線西側へは東西自由通路が結んでいる。A3出入口はヨドバシAkibaのエントランスと一体化する形となっている。東京メトロ日比谷線の駅とはコンコースが直結しておらず、ヨドバシAkiba内を通るか地上の道路を経由しての乗り換えとなる。
利用者の増加に伴い、2006年(平成18年)11月24日より自動改札機の増設工事が行われ、翌12月26日に増設分4基の稼動を開始した。その後、利用者がさらに増加したため、2012年(平成24年)9月23日までに改札外トイレの新設とエレベーター専用出入口、エスカレーターの増設工事などが行われた[19]。2019年(令和元年)には、将来の8両編成化に対応するためのホーム延長工事が開始されている[20]。また、要人などの休憩場所や視察者への説明会場として使用する目的で、つくば駅と共に「TXルーム」と称する待合室がある。通常は駅会議室としても使用されている[21]。
当駅では、氷蓄熱システムを利用して施設の空調を管理している[22][23][24]。
2008年(平成20年)4月17日には、駅ビルとして阪急阪神ホールディングスと共同でTX秋葉原阪急ビル(AKIBA TOLIM・remm秋葉原)を開業した[23]。
のりば
番線 | 路線 | 行先 |
---|---|---|
1・2 | つくばエクスプレス | つくば方面 |
出口番号
- 1 - 5(日比谷線)
- A1 - A3(つくばエクスプレス)
利用状況
当駅の1日平均乗降人員は、2004年度までは概ね40万人程度で推移していたが、つくばエクスプレス開業とJR駅東側開発により2005年度以降は増加傾向に転じた。
2016年度における3社合計の1日平均乗降人員は約74万人、年間に直すと約2億7200万人である(岩本町駅を含めた場合1日平均約79万人、年間約2億9000万人)。
- JR東日本 - 2018年度の1日平均乗車人員は252,267人である[利用客数 1]。
- 東京メトロ - 2018年度の1日平均乗降人員は127,721人である[利用客数 2]。
- 同社の全130駅の中では赤坂見附駅に次ぐ第26位。ここ10年は概ね横ばい傾向である。
- 首都圏新都市鉄道 - 2018年度の1日平均乗車人員は68,291人である[利用客数 3]。
- 同社の駅では第1位。東京都内側では分散型ターミナルの傾向がみられるものの新御徒町駅とは3倍以上、北千住駅とは約2万人の開きがあり、開業以来名実ともにターミナル駅の地位を保ち続けている。
年度別1日平均乗降人員
各年度の1日平均乗降人員は下表の通りである(東京メトロのみ)。
年度 | 営団 / 東京メトロ | |
---|---|---|
1日平均 乗降人員 |
増加率 | |
1999年(平成11年) | 133,422 | |
2000年(平成12年) | 132,202 | −0.9% |
2001年(平成13年) | 127,756 | −3.4% |
2002年(平成14年) | 124,101 | −2.9% |
2003年(平成15年) | 116,491 | −6.1% |
2004年(平成16年) | 114,298 | −1.9% |
2005年(平成17年) | 116,333 | 1.8% |
2006年(平成18年) | 122,183 | 5.0% |
2007年(平成19年) | 128,224 | 4.9% |
2008年(平成20年) | 127,388 | −0.7% |
2009年(平成21年) | 122,788 | −3.6% |
2010年(平成22年) | 120,826 | −1.6% |
2011年(平成23年) | 119,184 | −1.4% |
2012年(平成24年) | 119,409 | 0.2% |
2013年(平成25年) | 122,576 | 2.7% |
2014年(平成26年) | 121,225 | −1.1% |
2015年(平成27年) | 121,292 | 0.1% |
2016年(平成28年) | 123,152 | 1.5% |
2017年(平成29年) | 125,928 | 2.3% |
2018年(平成30年) | 127,721 | 1.4% |
年度別1日平均乗車人員(1890年代 - 1930年代)
各社の1日平均乗車人員の推移は下表の通りである。
年度 | 日本鉄道 / 国鉄 |
出典 |
---|---|---|
1890年(明治23年) | [備考 1] | |
1925年(大正14年) | [備考 2]1,824 | [東京府統計 1] |
1926年(昭和元年) | 5,974 | [東京府統計 2] |
1927年(昭和 | 2年)7,153 | [東京府統計 3] |
1928年(昭和 | 3年)8,670 | [東京府統計 4] |
1929年(昭和 | 4年)8,489 | [東京府統計 5] |
1930年(昭和 | 5年)7,484 | [東京府統計 6] |
1931年(昭和 | 6年)6,462 | [東京府統計 7] |
1932年(昭和 | 7年)7,479 | [東京府統計 8] |
1933年(昭和 | 8年)9,080 | [東京府統計 9] |
1934年(昭和 | 9年)9,919 | [東京府統計 10] |
1935年(昭和10年) | 10,693 | [東京府統計 11] |
年度別1日平均乗車人員(1953年 - 2000年)
年度 | 国鉄 / JR東日本 |
営団 | 出典 |
---|---|---|---|
1953年(昭和28年) | 39,037 | 未開業 | [東京都統計 1] |
1954年(昭和29年) | 40,985 | [東京都統計 2] | |
1955年(昭和30年) | 42,131 | [東京都統計 3] | |
1956年(昭和31年) | 45,646 | [東京都統計 4] | |
1957年(昭和32年) | 48,789 | [東京都統計 5] | |
1958年(昭和33年) | 52,832 | [東京都統計 6] | |
1959年(昭和34年) | 56,771 | [東京都統計 7] | |
1960年(昭和35年) | 60,980 | [東京都統計 8] | |
1961年(昭和36年) | 63,177 | [東京都統計 9] | |
1962年(昭和37年) | 71,506 | [備考 3]10,101 | [東京都統計 10] |
1963年(昭和38年) | 86,544 | 19,968 | [東京都統計 11] |
1964年(昭和39年) | 95,541 | 28,282 | [東京都統計 12] |
1965年(昭和40年) | 101,381 | 35,693 | [東京都統計 13] |
1966年(昭和41年) | 104,597 | 39,176 | [東京都統計 14] |
1967年(昭和42年) | 108,191 | 45,454 | [東京都統計 15] |
1968年(昭和43年) | 112,518 | 49,964 | [東京都統計 16] |
1969年(昭和44年) | 109,394 | 48,688 | [東京都統計 17] |
1970年(昭和45年) | 106,509 | 50,592 | [東京都統計 18] |
1971年(昭和46年) | 107,833 | 53,025 | [東京都統計 19] |
1972年(昭和47年) | 105,926 | 55,666 | [東京都統計 20] |
1973年(昭和48年) | 109,189 | 54,342 | [東京都統計 21] |
1974年(昭和49年) | 115,402 | 57,630 | [東京都統計 22] |
1975年(昭和50年) | 113,437 | 59,052 | [東京都統計 23] |
1976年(昭和51年) | 112,836 | 60,696 | [東京都統計 24] |
1977年(昭和52年) | 112,140 | 62,099 | [東京都統計 25] |
1978年(昭和53年) | 108,364 | 60,427 | [東京都統計 26] |
1979年(昭和54年) | 107,347 | 61,036 | [東京都統計 27] |
1980年(昭和55年) | 103,655 | 61,195 | [東京都統計 28] |
1981年(昭和56年) | 103,140 | 62,690 | [東京都統計 29] |
1982年(昭和57年) | 102,959 | 62,956 | [東京都統計 30] |
1983年(昭和58年) | 105,691 | 64,511 | [東京都統計 31] |
1984年(昭和59年) | 111,041 | 66,375 | [東京都統計 32] |
1985年(昭和60年) | 111,824 | 66,384 | [東京都統計 33] |
1986年(昭和61年) | 114,789 | 67,323 | [東京都統計 34] |
1987年(昭和62年) | 116,842 | 68,716 | [東京都統計 35] |
1988年(昭和63年) | 126,962 | 71,101 | [東京都統計 36] |
1989年(平成元年) | 125,443 | 72,008 | [東京都統計 37] |
1990年(平成 | 2年)129,750 | 73,536 | [東京都統計 38] |
1991年(平成 | 3年)133,191 | 74,301 | [東京都統計 39] |
1992年(平成 | 4年)132,699 | 74,441 | [東京都統計 40] |
1993年(平成 | 5年)135,241 | 73,932 | [東京都統計 41] |
1994年(平成 | 6年)135,268 | 72,964 | [東京都統計 42] |
1995年(平成 | 7年)137,888 | 72,877 | [東京都統計 43] |
1996年(平成 | 8年)140,378 | 71,981 | [東京都統計 44] |
1997年(平成 | 9年)137,176 | 70,370 | [東京都統計 45] |
1998年(平成10年) | 137,375 | 69,362 | [東京都統計 46] |
1999年(平成11年) | [JR 1]137,904 | 67,710 | [東京都統計 47] |
2000年(平成12年) | [JR 2]137,736 | 66,767 | [東京都統計 48] |
年度別1日平均乗車人員(2001年以降)
年度 | JR東日本 | 営団 / 東京メトロ |
首都圏 新都市鉄道 |
出典 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
定期外 | 定期 | 合計 | ||||
2001年(平成13年) | [JR 3]137,045 | 63,663 | 未開業 | [東京都統計 49] | ||
2002年(平成14年) | [JR 4]145,157 | 62,192 | [東京都統計 50] | |||
2003年(平成15年) | [JR 5]142,517 | 57,989 | [東京都統計 51] | |||
2004年(平成16年) | [JR 6]141,963 | 56,455 | [東京都統計 52] | |||
2005年(平成17年) | [JR 7]171,166 | 58,107 | [備考 4]36,028 | [東京都統計 53] | ||
2006年(平成18年) | [JR 8]200,025 | 60,518 | 43,725 | [東京都統計 54] | ||
2007年(平成19年) | [JR 9]217,237 | 63,511 | 49,968 | [東京都統計 55] | ||
2008年(平成20年) | [JR 10]224,084 | 62,989 | 53,764 | [東京都統計 56] | ||
2009年(平成21年) | [JR 11]224,608 | 61,090 | 55,296 | [東京都統計 57] | ||
2010年(平成22年) | [JR 12]226,646 | 60,049 | 56,763 | [東京都統計 58] | ||
2011年(平成23年) | [JR 13]230,689 | 59,177 | 57,590 | [東京都統計 59] | ||
2012年(平成24年) | [JR 14]126,683 | [JR 14]107,503 | [JR 14]234,187 | 59,164 | 59,174 | [東京都統計 60] |
2013年(平成25年) | [JR 15]130,193 | [JR 15]110,133 | [JR 15]240,327 | 60,712 | 62,130 | [東京都統計 61] |
2014年(平成26年) | [JR 16]131,608 | [JR 16]109,386 | [JR 16]240,995 | 60,093 | 61,725 | [東京都統計 62] |
2015年(平成27年) | [JR 17]132,986 | [JR 17]110,935 | [JR 17]243,921 | 60,033 | 62,387 | [東京都統計 63] |
2016年(平成28年) | [JR 18]134,017 | [JR 18]112,605 | [JR 18]246,623 | 61,019 | 63,849 | [東京都統計 64] |
2017年(平成29年) | [JR 19]134,878 | [JR 19]115,372 | [JR 19]250,251 | 62,312 | 66,070 | [東京都統計 65] |
2018年(平成30年) | [JR 20]134,724 | [JR 20]117,543 | [JR 20]252,267 | 68,291 |
- 備考
駅周辺
このセクションは周辺施設の雑多な箇条書きで構成されています。文章による解説を中心に据え、施設の箇条書きは解説に必要な程度に絞り込む必要があります。 |
総武本線は東西に、東北本線(山手線)は南北に通る。南側を神田川が東西に、東側を昭和通りが南北に通る。北隣の御徒町駅にかけての高架下は、ジェイアール東日本都市開発により商業施設「SEEKBASE AKI-OKA MANUFACTURE」として利用されている[25]。
JRの駅構内では、キャラクターの絵を使用した店舗や企業の広告も数多く掲示されている(秋葉原電気街振興会)。2000年代中頃よりマスメディアによって秋葉原電気街がアキバとして紹介されることも多くなった。
電気街口
世界屈指の電気街である秋葉原電気街への出入口であり、駅の西側に位置する。JR専用の改札・出入口ではあるが、南側につくばエクスプレス線A1出入口および中央改札口を連絡する東西自由通路があり、この通路を通ることで東京メトロ日比谷線への行き来も可能。なお、秋葉原電気街の詳細は秋葉原を参照されたい。
西側の電気街にある中央通りの地下には東京メトロ銀座線が通っているが、同線における電気街への最寄り駅は末広町駅である。電気街の中心地はおおよそ同駅と神田駅の中間付近となる。なお、1930年から1931年にかけてはこの付近に仮設駅の万世橋駅が存在していた。
国鉄中央本線のターミナル駅であった万世橋駅は駅南西の神田川対岸にあった。跡地はその後交通博物館となったが、2006年5月14日に閉館し、埼玉県さいたま市大宮区に2007年(平成19年)10月14日開館した鉄道博物館にその役割を譲った。交通博物館の跡地にはオフィスビル「JR神田万世橋ビル」が2013年1月に、9月には駅構内(ホーム含む)跡地を改装し商業施設「mAAch ecute神田万世橋」が竣工した。なお、万世橋駅の開設以前にはその西側に昌平橋駅が存在していたこともあった。
かつては総武線ホームの北側に隣接してアキハバラデパートがあり、同路線ホームに直結するデパート口改札が設置されていたが、2006年12月31日をもって閉店した[26][27]。その後建物は解体され、建て替えや電気街口のリニューアル工事が行われ、2010年11月19日に新しく「アトレ秋葉原1」がオープンした[28]。これに伴い、閉鎖されたデパート口改札もアトレ1改札口として再設置された。
- アトレ秋葉原1 - 3階のアトレ1改札口が総武線ホームと直結。この地には元々アキハバラデパートが建っていた。
- JR東日本ホテルメッツ 秋葉原(旧:JR東日本秋葉原ビル跡)
- 秋葉原クロスフィールド
- 秋葉原ダイビル
- 秋葉原コンベンションホール
- 人間総合科学大学東京サテライトキャンパス
- 首都大学東京サテライトキャンパス
- 東京大学大学院情報理工学系研究科
- 秋葉原UDX
- 秋葉原UDX内郵便局
- アキバ・イチ
- アキバ・スクエア
- 秋葉原UDXパーキング
- 三菱UFJニコスカードギャラリー
- 東京タイムズタワー
- 東京消防庁神田署
- 東京消防庁消防技術試験講習場
- 秋葉原ダイビル
- 警視庁万世橋署
- ガンダムカフェ
- AKB48 CAFE&SHOP AKIHABARA
- CHABARA AKI-OKA MARCHE
- 2k540 AKI-OKA ARTISAN
- 千代田区万世橋区民会館
- 千代田区万世橋出張所
- 昌平童夢館
- 千代田区立昌平小学校
- 千代田区立昌平幼稚園
- 昌平まちかど図書館
- 千代田区立神田児童館
- 神田郵便局
- ワテラス
- 神田明神
- 講武稲荷
- 国道17号
- 松住町架道橋
- 万世橋
- 住友不動産秋葉原ビル(旧:日本通運本社ビル跡)
- JR神田万世橋ビル(旧:交通博物館跡)
- マーチエキュート神田万世橋(旧:万世橋駅遺構)
- 秋葉原ラジオ会館
- コトブキヤ秋葉原館
- AKIBAカルチャーズZONE
- 秋葉原ラジオセンター
- オノデン
- エディオンAKIBA(旧:石丸電気)
- ラオックス
- AKIBAビックマップ
- 九十九電機
- アニメイト 秋葉原店
- コミックとらのあな
- AKIHABARAゲーマーズ(ゲーマーズ本店)
- らしんばん
- まんだらけコンプレックス
- @ほぉ〜むカフェ本店
- ドン・キホーテ 秋葉原店(旧:ミナミ電気館・T-ZONEミナミ→アソビットシティ)
- @ほぉ〜むカフェ ドンキ店(1号店)
- 東京レジャーランド
- AKB48劇場
- 肉の万世 本店
中央改札口
つくばエクスプレスのA1 - A3出口前と同じエリアである。
北側はかつて貨物の集積場であり、貨物駅や船溜が広がっていた。現在、それらの跡地はヨドバシAkibaやバスターミナルになっている。駅付近の留置線は貨物駅の名残である。
- 駅前広場
- ヨドバシカメラ マルチメディアAkiba店 - A3出入口直結
- 富士ソフト 秋葉原ビル
- 富士ソフト アキバプラザ
- 全国新聞情報農業協同組合連合会(JA新聞連)、日本農業新聞
- 正栄食品工業
- 秋葉原ワシントンホテル
- ブックオフ 秋葉原店
- MUSICVOX AKIHABARA(ラオックス)
- 東京都中小企業振興公社 秋葉原庁舎
- TX秋葉原阪急ビル(AKIBA TOLIM、remm秋葉原) - A1出入口直結
- チョムチョム秋葉原
- JEBL秋葉原スクエア
昭和通り口
東京メトロ日比谷線の1 - 5出口前とおおよそ同じエリアで、駅の東側に位置する。東京メトロの出入口は、1 - 3番が北寄り、4・5番が南寄りで、3番出入口が最も昭和通り口改札に近い。
都営地下鉄新宿線の岩本町駅がJRの昭和通り口および日比谷線の5番出口から昭和通りを南へ神田川を渡ったところにあり、徒歩2 - 3分の距離である。開業から約30年間は連絡運輸を一切行っておらず、都営⇔東京メトロの乗継割引なども適用されなかったが、2013年3月16日より、両駅での連絡運輸が行われ、正式に乗換駅となり、都営⇔東京メトロの乗継割引なども適用されるようになった。以前は、岩本町駅および日比谷線秋葉原駅の改札出口の案内サインには都営⇔東京メトロ連絡乗車券での乗り換えはできない旨の注意が表示されていた(練馬駅の都営大江戸線ホームにある案内サインにも同様の表示がされている)。
南側にある秋葉原公園は、船溜に通じる運河の名残である。
- アトレ秋葉原2(旧:アトレヴィ秋葉原) - 昭和通り口直結
- 昭和通り(国道4号)
- 首都高速1号上野線
- 書泉ブックタワー - 日比谷線5番出入口前
- 千代田区和泉橋区民館 - 日比谷線5番出入口前
- 千代田区和泉橋出張所
- 和泉橋
- 岩本町駅(都営地下鉄新宿線) - 神田川対岸
- 三菱UFJ銀行 - 日比谷線1番出入口付近
- YKK - 北方
- りそな銀行 - 北方
- 凸版印刷本社 - 北東方
- 三井記念病院 - 北東方
- 台東法務合同庁舎 - 北東方
- 台東区台東一丁目区民館 - 北東方
- 台東区台東地区センター
- 新進本社・東京営業部 - 東方
- 王将フードサービス東京地区本部 - 南方
- 貝印本社 - 南東方
- 山崎製パン本社 - 南東方
- 加賀電子本社(旧:東京近鉄ビル跡) - 北方
- 佐久間公園 - 「ラジオ体操会発祥の碑」が建てられている。
- 秋葉原公園
バス路線
中央改札口付近に設置された交通広場に都営バスや千代田区の「風ぐるま」、高速バスなどが乗り入れている。かつては成田空港・佐原方面の高速バスも乗り入れていた。
2005年8月24日に現在地に駅前広場が完成する前までは、都営バスの秋26系統は電気街口前(副名称として「サトームセン前」が付与されていた)、東42乙系統は昭和通り上の停留所を使用していた。また、2000年12月11日まで運行した都営バスの秋76系統は、書泉ブックタワー前に「秋葉原駅東口」(現在は同じ位置に「風ぐるま」の和泉橋出張所バス停を設置している)、電気街口南側に「秋葉原駅前」の2つのバス停から発車していた。
2015年12月30日までは、電気街口付近の西側交通広場にも、千代田区「風ぐるま」が乗り入れていた。
- 都営・1番乗り場
- 都営・2番乗り場
- 日立自動車交通専用乗り場
- 高速バス乗り場
- 昼行便
- 夜行便
- 「遠野・釜石号」遠野・釜石・大槌・山田行(運行:国際興業、岩手県交通)
- 「夕陽号」(東京駅発着便)鶴岡・酒田行(運行:国際興業、庄内交通)
- 「WILLER EXPRESS」仙台行(運行:WILLER EXPRESS東北)
- 「VIPライナー」なんば行/名古屋行(運行:平成エンタープライズ)
- 「さくら高速バス」名古屋行(運行:桜交通)
- 「東京・さいたま - 富山・金沢線」富山・金沢行(運行:日本中央バス)
- 「大阪 - 銚子線」京都・大阪・USJ行(運行:南海バス、千葉交通)
- 「東京特急ニュースター号」京都・大阪行(運行:大阪バス、東京バス)
- 「ムーンスター号」京都・大阪行(運行:イーグルバス)
- 「LimonBus」京都・新大阪・三宮・姫路行(運行:神姫観光バス)
- 「LimonBus 城崎-東京線」京都・新大阪・三宮・姫路・城崎温泉駅行(運行:全但バス)
- 「JAMJAMライナー」広島行(運行:ジャムジャムエクスプレス)
「秋葉原」の読み
秋葉原の名の由来は、元々この地にあって人々が秋葉社(あきばしゃ、あきはしゃ)と呼んだ神社であり、「秋葉社の原っぱ」が語源である。なお、同社は1890年(明治23年)の駅開設に伴い台東区松が谷三丁目10番7号移転されている。この縁で、駅の西側にある神田明神のお祭りでは駅構内に神輿が巡幸する。また、秋葉社が当駅内に分祀されており、こちらの祭事はJRの駅長が行うことになっている。
地名としての秋葉原の読みは、駅の開業までは「あきばがはら」だった[要出典]。古くは「秋葉の原(あきばのはら)」「秋葉っ原(あきばっぱら)」と呼ばれていた。一方、駅の呼称としては、1907年(明治44年)に「あきははら」(Akihahara)から「あきはばら」(Akihabara)へと変更された[29]。
台東区秋葉原という町名が駅北側(本駅と御徒町駅の中間付近)に実在するが、由来は同じである。
なお、国鉄時代、駅名標において「AKIHABABA」と誤ったローマ字表記がされていた時期があった[要出典]。
隣の駅
- 首都圏新都市鉄道
- つくばエクスプレス
- ■快速・■通勤快速・■区間快速・■普通
- 秋葉原駅 (01) - 新御徒町駅 (02)
- ■快速・■通勤快速・■区間快速・■普通
脚注
記事本文
注釈
- ^ a b 虎ノ門ヒルズ駅開業後はH 16に変更予定。
- ^ 中央線(快速)(中央本線急行線)と早朝・深夜の新宿方面は御茶ノ水駅での乗り換えを必要とする。
- ^ 総武線(快速)(総武本線快速線)は錦糸町駅での乗り換えを必要とする。
- ^ 直接の区画確定の元となった火除地は、明治に入ってから制されたもの。
- ^ 上野駅、霞ヶ関駅、銀座駅、新橋駅、御茶ノ水駅、葛西駅と同時に導入。翌1994年に導入された後楽園駅も合わせて、営団では数少ない継続定期券発売機設置駅であった。
- ^ 6番線は京浜東北線・山手線の各ホーム向かうエスカレーターの方に向かっても5番線に出られる。また、5番線、6番線とも反対側のホームへの乗り換え案内のサインが設置されている。
- ^ 福嶋編曲のバージョンは、サビのアレンジが1番線で、Aメロのアレンジが2番線で使用されていたが、塩塚編曲のバージョンは、Aメロのアレンジが1番線で、サビのアレンジが2番線で使用されている。
出典
- ^ a b c 東京地下鉄 公式サイトから抽出(2019年05月26日閲覧)
- ^ 日本貨物鉄道株式会社貨物鉄道百三十年史編纂委員会『貨物鉄道百三十年史(中巻)』pp.659 - 662 日本貨物鉄道株式会社 2007年
- ^ 上野東京ライン、来年3月14日開業…常磐線は品川発着に 2014年10月30日15時23分、Responseより
- ^ 『日本国有鉄道百年写真史』(1972年刊、p241)より。
- ^ a b 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 26号 総武本線・成田線・鹿島線・東金線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月17日、18-19頁。
- ^ 『東京メトロハンドブック2008』
- ^ 『'94営団地下鉄ハンドブック』
- ^ "千代田線 乃木坂駅 日比谷線 秋葉原駅・銀座駅 お客様リクエストによる発車メロディ導入日決定! 3月26日(土)始発より乃木坂駅から順次導入" (PDF) (Press release). 東京メトロ. 22 March 2016. 2018年8月16日閲覧。
- ^ a b "日比谷線 秋葉原駅・銀座駅 千代田線 乃木坂駅 お客様リクエストによる 発車メロディ導入曲決定! ~リクエスト楽曲第1位は、乃木坂駅の乃木坂46「君の名は希望」~" (PDF) (Press release). 東京メトロ. 20 January 2016. 2016年1月20日閲覧。
- ^ 「JR秋葉原駅前の大型ビルが解体に、ベッカーズなどが入店」AKIBA PC Hotline!(2016年4月13日)2020年1月2日閲覧
- ^ JR秋葉原駅前にホテルが建設予定 東西自由通路横の「JR東日本 秋葉原ビル」跡地アキバ総研(2016年9月15日)20201月2日閲覧
- ^ a b “「平成30年度営業関係施策(その1)について」提案を受ける”. 東日本ユニオン東京地本. 2019年11月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年11月15日閲覧。
- ^ 「メトロと都営 地下鉄一元化へ 改善策続々」『東京新聞』2011年11月3日付(同日時点のインターネット・アーカイブ)
- ^ 平成25年3月16日(土) 東京の地下鉄がさらに便利になります (PDF) - 東京地下鉄(2013年2月15日付、同日閲覧) ※ソースは東京都交通局との連名。
- ^ 『鉄道ピクトリアル』2016年12月臨時増刊号【特集】東京地下鉄 p.17
- ^ a b "2020年6月6日(土)東武鉄道・東京メトロダイヤ改正 東武線・日比谷線相互直通列車に初の座席指定制列車「THライナー」が誕生!" (PDF) (Press release). 東武鉄道/東京地下鉄. 19 December 2019. 2019年12月19日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2019年12月21日閲覧。
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- ^ 塩塚博. “メトロ日比谷線に新作駅メロデビュー!!”. ☆♪☆ 鉄のみゅーじしゃん ☆♪☆. 2020年2月7日閲覧。
- ^ 秋葉原駅がより便利になります (PDF)
- ^ “TX 8両編成に増強”. 茨城新聞クロスアイ (2019年5月31日). 2019年6月2日閲覧。
- ^ "首都圏新都市鉄道株式会社", "TX開業5周年の歩み", pp. 53
- ^ “低炭素社会の実現に向けての取組み”. 首都圏新都市鉄道. 2017年5月5日閲覧。
- ^ a b “TXかわら版 2008年初夏号 Vol. 3” (PDF). 首都圏新都市鉄道 (2008年5月). 2017年5月5日閲覧。
- ^ 都市高速鉄道研究会 編 編『つくばエクスプレス建設物語 ―構想・施工・新技術の紹介―』成山堂書店、2007年3月18日、192頁。ISBN 978-4-425-96121-4 。
- ^ SEEKBASE(2020年1月2日閲覧)
- ^ アキハバラデパート、55年の歴史に幕 売り上げ、ピーク時の半分以下 - ITmedia ニュース
- ^ ビジネスモデル発信基地、アキハバラデパートが閉店 - 日経BP社
- ^ 11月19日にオープンする「アトレ秋葉原1」へ潜入! - ASCII.jp
- ^ 齋藤良治(秋葉原驛長)「秋葉原驛の驛名稱呼に就て」『鐵道時報』第1781~1785號、1933年。
広報資料・プレスリリースなど一次資料
利用状況
- JR・私鉄・地下鉄の1日平均利用客数
- JR東日本の1999年度以降の乗車人員
- ^ 各駅の乗車人員(1999年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2000年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2001年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2002年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2003年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2004年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2005年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2006年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2007年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2008年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2009年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2010年度) - JR東日本
- ^ 各駅の乗車人員(2011年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2012年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2013年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2014年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2015年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2016年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2017年度) - JR東日本
- ^ a b c 各駅の乗車人員(2018年度) - JR東日本
- JR・私鉄・地下鉄の統計データ
- 東京府統計書
- 東京都統計年鑑
- ^ 昭和28年 (PDF) - 13ページ
- ^ 昭和29年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和30年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和31年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和32年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和33年 (PDF) - 10ページ
- ^ 昭和34年
- ^ 昭和35年
- ^ 昭和36年
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- ^ 昭和38年
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- ^ 平成25年
- ^ 平成26年
- ^ 平成27年
- ^ 平成28年
- ^ 平成29年
参考文献
(著者・編者の五十音順)
- 日本国有鉄道『日本国有鉄道百年写真史』交通協力会、1972年10月14日 発行。(復刻版:『日本国有鉄道百年写真史』成山堂書店、2005年10月)。ISBN 978-4425301638。)
- 中川浩一「秋葉原貨物駅の記録」『鉄道ピクトリアル』No.808 2008年9月号、電気車研究会、pp. 18-23。
関連項目
外部リンク