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* 初登板・初先発登板・初勝利:2006年6月29日、対[[読売ジャイアンツ]]9回戦([[横浜スタジアム]])、6回2安打1失点<ref name="神奈川新聞20060630">[[神奈川新聞]]、2006年6月30日。</ref> |
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* 初奪三振:同上、2回表に[[李承燁 (野球)|李承燁]]から空振り三振<ref name="神奈川新聞20060630">[[神奈川新聞]]、2006年6月30日。</ref> |
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* 初ホールド:2008年9月23日、対[[阪神タイガース]]20回戦([[阪神甲子園球場]])、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点<ref name="神奈川新聞20080924">[[神奈川新聞]]、2008年9月24日。</ref> |
* 初ホールド:2008年9月23日、対[[阪神タイガース]]20回戦([[阪神甲子園球場]])、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点<ref name="神奈川新聞20080924">[[神奈川新聞]]、2008年9月24日。</ref> |
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* 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦([[東京ドーム]])、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点<ref name="神奈川新聞20090506">[[神奈川新聞]]、2009年5月6日。</ref> |
* 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦([[東京ドーム]])、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点<ref name="神奈川新聞20090506">[[神奈川新聞]]、2009年5月6日。</ref> |
2020年6月16日 (火) 22:35時点における版
トロント・ブルージェイズ #1 | |
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読売ジャイアンツ時代 (2019年10月9日) | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 大分県中津市 |
生年月日 | 1987年7月11日(37歳) |
身長 体重 |
6' 2" =約188 cm 198 lb =約89.8 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2005年 高校生ドラフト1巡目 |
初出場 | 2006年6月29日 |
年俸 | $3,175,000(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 日本代表 |
プレミア12 | 2019年 |
この表について
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
日本 | ||
WBSCプレミア12 | ||
金 | 2019 |
山口 俊(やまぐち しゅん、1987年7月11日 - )は、大分県中津市出身のプロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのトロント・ブルージェイズ所属。
レギュラーシーズンにおける平成最後のノーヒットノーランを達成している[2]。
経歴
プロ入り前
柳ヶ浦高等学校1年時の2003年に、第85回全国高等学校野球選手権大会へ出場したが、初戦で常総学院高等学校に敗れた。
2005年の第77回選抜高等学校野球大会に出場し、初戦の天理高等学校戦では、初回に最速151km/hを計測(NHKの中継での表示は148km/h)したが、チームは敗退している[4]。同年夏の第87回全国高等学校野球選手権大分大会では、準決勝の試合中に肘を痛めてしまい、緊急降板。チームも延長11回まで戦った末に敗れた。
2005年のプロ野球高校生ドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名。契約金9,000万円、年俸870万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は「11」。
横浜・DeNA時代
2006年6月23日に一軍へ初昇格。同月29日の対読売ジャイアンツ戦(横浜スタジアム)で両親も観戦する中、公式戦初登板初先発。5回表二死まで走者を1人も出さず、6回を投げて被安打2、四死球0、1失点という内容で勝利投手になった。5試合に先発し、1勝2敗、防御率6.43という成績でシーズンを終えた。
2007年は4試合に先発し、0勝3敗、防御率6.30でシーズンを終える。
2008年はリリーフのみの16試合にとどまったが、同年の防御率は0.76を記録した。
2009年開幕から、セットアッパーとして一軍に定着。救援で10試合に登板した4月には、投球イニング14回ながら14奪三振、防御率0.64、2勝5ホールドを記録した末に、セントラル・リーグの月間MVPを初めて受賞した[5]。シーズンの途中からはクローザーに転向。通算では、51試合の登板で、5勝4敗18セーブ、防御率3.27という成績を残した。
2010年は球団がクローザー候補としてクリス・ブーチェックを獲得したことから、春季キャンプでは、先発投手への再転向を視野に調整していた。しかし、ブーチェックがオープン戦で不振だったことから、公式戦の開幕直前でクローザーに復帰。セントラル・リーグの監督推薦選手として初めて出場したオールスターゲームでは、「2試合を通じて最も印象的な活躍を見せた選手」としてマツダ・プレマシー賞を受賞した。後半戦で本来の調子を取り戻すと、自身初の30セーブを記録した。
2011年は2年連続でオールスターゲームに出場。2年連続で30セーブを記録した。同年10月22日の巨人戦(東京ドーム)にて、長野久義に日本プロ野球史上8人目の代打逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びた。
2012年は開幕前から金髪にしていたが、シーズンに入ると打ち込まれるケースが目立ち、反省の意味をこめて丸刈りにした。9月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で、NPB史上25人目の通算100セーブを達成。25歳と53日での達成は史上最年少であった(それまでの最年少記録は赤堀元之の26歳と55日)。防御率もクローザー定着後では最も低い1.74を記録したが、同点や敗戦処理での登板機会が多かった影響で、セーブ数は前年から減少した。オフに開催された「侍ジャパンマッチ2012「日本代表 VS キューバ代表」」の日本代表に選出された[6]。抑えとして全2試合でセーブを記録[7]。12月13日の契約交渉では、早ければ翌シーズンの終了後にポスティングシステムによるメジャーリーグベースボール(MLB)への移籍を目指す意向を球団側に伝えた[8]。
2013年は、5月の時点で4勝を記録。44試合に登板したが、救援失敗を繰り返したため、二軍への降格を3回経験した。ホルヘ・ソーサが抑えに定着したシーズン途中に1勝を上乗せしたが、全体では、7セーブ、防御率5.40と低迷した。
2014年は開幕からソーサにつなぐセットアッパーを任されたが、5月終了時点の防御率が7.62に達したため、先発へ再び転向すべく二軍で調整[9]。6月1日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)で、2007年9月19日の対広島東洋カープ戦以来7年振りの先発登板を果たすと、6回2被安打無失点の好投でシーズン初勝利を挙げた[10][11]。公式戦での先発登板で勝利投手になったのは、2006年の一軍デビュー戦以来8年振りであった[9]。この月には先発登板4試合で3勝1敗、防御率0.99という好成績を残し、自身2度目の月間MVPに選ばれた[12]。7月1日の対中日ドラゴンズ戦(石川県立野球場)では、3回表の第1打席で初本塁打を記録[13]。9月には、3日の対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)に11奪三振の力投で一軍初の完投勝利を果たす[14]と、さらに9月10日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)では4安打無四球でプロ初完封勝利を挙げた[15]。9月は2完封を含む3完投でリーグトップタイの3勝を挙げ、自身3度目の月間MVPに選ばれた[16]。シーズン全体では、月間MVPを2度獲得したほか、リーグ最多の3完投を記録。8勝5敗3ホールド、防御率2.90という好成績を残したことから、12月11日の契約交渉後の記者会見では、翌2015年も先発投手に専念することを明かした[17]。
2015年4月25日の対中日戦(横浜)でチームのシーズン初完投勝利を挙げるなど、先発投手として自身3連勝を記録。ただし、同年は試合途中の6回に失点を重ねる傾向が見られた[18]ほか、好調な打線の援護にも恵まれていた。5月中旬から不調に転じると、7月4日の対阪神戦でシーズン初黒星。7月11日の対東京ヤクルトスワローズ戦でシーズン3敗目を喫してからは、一軍と二軍を何度も往復した。結局3勝を挙げただけで、7月以降に6連敗を記録。防御率も4.49にとどまった。
2016年は下園辰哉に代わって、球団の選手会長に就任。球団の仕事始めであった1月4日には、かつてのチームメイトでもあった新任のアレックス・ラミレス監督から、公式戦の開幕投手に初めて指名されたが[19]、オープン戦期間中に調整の目的で登板したロッテとのイースタン・リーグ公式戦(3月12日)で、一塁へのベースカバーへ入った際に右足首を捻挫。この事態を受けて、首脳陣は開幕投手を井納翔一へ急遽変更した[20]。4月9日の対ヤクルト戦(横浜)でシーズン初登板・初先発を果たすと、自身2年振りの本塁打を放ってシーズン初勝利を挙げた[21]。セ・パ交流戦の期間中には、セ・リーグ球団の投手で初めて2試合連続完封勝利を記録[22]。7月上旬の時点で両リーグ単独トップの3完封勝利を記録する[23]ほどの好調を背景に、オールスターゲームでは、セ・リーグの監督推薦選手として第2戦(7月16日・横浜)での先発が内定していた[24]。7月9日の投球練習中に左足首を捻挫。その後の診察で左前距腓靱帯(じんたい)および脛腓靱帯(じんたい)の損傷が判明した[25]ため、オールスターゲームへの出場を辞退するとともに、井納が代替選手として出場。山口と共に監督推薦選手へ選ばれていたチームメイトの石田健大が、第2戦の先発を務めた[24]。8月3日に一軍へ復帰してからも、右のエースとして好調を維持。9月3日の対阪神戦(甲子園)で自身初のシーズン10勝に到達する[26]など、チーム史上初のクライマックスシリーズ進出に大きく貢献した。レギュラーシーズン全体では、規定投球回には到達できず19試合の登板にとどまりながらも、11勝5敗、防御率2.86という好成績をマーク。完投試合数(5)と完封試合数(3)はリーグトップであったが、先発で登板した9月10日の対中日戦(ナゴヤドーム)後に右肩痛を発症したため、レギュラーシーズンの残り試合やポストシーズンでの登板機会はなかった[27]。
- FA宣言
2016年のレギュラーシーズン中に国内FA権を取得[28]。ポストシーズン終了後の11月8日には、「選手としてせっかく取れた権利なので、『プロ野球選手としての評価を聞きたい』という気持ちが強くなった」という理由で、権利を行使する意向を涙ながらに表明した[29]。
11月10日付でNPBからフリーエージェント宣言選手として公示される[30]と、11日には、巨人が3年契約を条件に山口への入団交渉を開始[31]。同年にナゴヤドームでの主催公式戦で山口に2戦全敗を喫した中日も、契約期間5年規模・年俸総額10億円以上という条件で交渉に入った[32]。FA宣言選手の残留を認めているDeNAでも、契約期間3年・年俸総額5億円以上という条件で残留交渉を続けていたが、同月29日の交渉中に山口が他球団へ移籍する意向を表明[33]。12月1日には、巨人が山口から入団の意向を伝えられたことを公表した[34]。
山口は2016年に、推定年俸8,000万円という条件でDeNAと契約していた。FA権の行使に関するNPBの規定では、この年俸がBランク(同年にDeNAへ在籍していた日本人選手の上位4位以下10位以内)に該当するため、巨人にはDeNAに対する人的(または金銭)補償の義務が生じる[35]。このため、巨人は12月12日までに、DeNAが人的補償措置で獲得できる選手の名簿を同球団へ提出[36]。2017年1月5日に人的補償選手として平良拳太郎をDeNAが獲得した[37]。
巨人時代
2016年12月5日に、巨人が山口の入団を正式に発表。山口自身も、ソフトバンクからFA権の行使で移籍した森福允彦と共に入団記者会見へ臨んだ。背番号は「42」で、巨人に在籍する日本人選手が背番号42を付ける事例は、1967年のドラフト3位で入団した大隅正人が、1968年に短期間着用して以来49年振りである[38]。年俸については、入団当初の推定で8,000万円とされていた。しかし、NPBのFA規約第7条による「特別な事情の申請」がコミッショナーに認められていたことが後に判明したため、実際には2億5000万円程度と見られている[39]。
2017年は前年から続く右肩痛の影響で、春季キャンプを三軍でスタート。開幕に出遅れたものの、6月14日の対福岡ソフトバンクホークス戦(東京ドーム)で、先発投手として移籍後初登板を果たした。この試合で6回表終了まで無安打無失点に抑えると、山口の後を受けて登板したスコット・マシソンとアルキメデス・カミネロもソフトバンク打線を無安打に抑えたため、セ・リーグ史上初の継投によるノーヒットノーランで移籍後初勝利を挙げた[40]。
30歳の誕生日に当たる7月11日に東京都内の飲食店で泥酔中に右手の甲を負傷。更に、山口が負傷後に訪れた目黒区の東邦大学医療センター大橋病院で、泥酔状態のままトラブル(出入口の扉の損壊や男性警備員への暴行)に及んだとされる疑いが浮上した。上記の事態を重く見た球団は事態の全容が判明するまで山口の登板を見合わせることを上記の疑いが発覚した7月18日に決定。先発が予告されていた同日の対中日戦(ナゴヤドーム)は、中日球団からの承諾を得たうえで高木勇人を急遽先発させた[41]。
8月18日には、上記のトラブルに関して傷害と器物損壊の疑いで書類送検に処された。山口は容疑を認めており、記者会見で謝罪を行った[42]。被害者との示談も成立しており、当初被害者が警察署に提出していた被害届も取り下げられているといい、同月23日に東京地検は山口を不起訴処分とした[43]。球団は一連の行為が統一契約書第17条(模範行為)に違反し、プロ野球協約第60条の不品行に該当すると判断。同協約に基づき、8月18日からシーズン終了の11月30日までの出場停止、事件当日の7月11日から出場停止処分が決まるまでの8月17日までは1日につき年俸の300分の1に相当する罰金、出場停止期間中にあたる8月18日から11月30日までも、1日につき年俸の300分の1に相当する減俸を科すことも決まった。罰金と減俸の総額は1億円以上に上るとされている[44]。この処分については、甘すぎるとの苦情が球団に寄せられているが[45]、日本プロ野球選手会からは交渉時の経緯等から「処分は不当に重い」として、球団に処分の再検討を求めた[46]。その後、山口は、2日後の20日に練習を球場で再開し、チームメートに謝罪した[47]。前述の抗議については「知らなかった」と困惑していた[48]。オフの契約更改では、契約期間が1年短縮されたものの現状維持でサインした。移籍1年目の成績は1勝1敗だった。
2018年7月27日に史上79人目のノーヒットノーランを達成した[49][50][51][52]。投球内容は、出塁を許したのは大島洋平への四球1つのみ、準完全試合としては史上14人目である。この日の中日ドラゴンズの先発は奇遇にも前回のセ・リーグのノーヒットノーラン達成者山井大介(2013年6月達成)であった[49]。また、100セーブ以上をマークしてからノーヒットノーラン達成は、山口俊が史上初の快挙となった[53]。さらに、これがレギュラーシーズンにおける平成最後のノーヒットノーランになった。チーム事情で9月以降はリリーフに回ったものの、プロ13年目で自身初となる規定投球回に到達した。成績は30登板、154回、6完投、2完封、9勝9敗1セーブ1ホールド、防御率3.68、144奪三振だった。
2019年は背番号を横浜時代と同じ「11」に変更した。3、4月の月間MVPを開幕4連勝で4勝0敗・防御率1.59で受賞したが、5月は未勝利だった。6月29日の対ヤクルト戦(秋田)でプロ通算1000投球回を達成した[54]。6月は4勝0敗、防御率0.77の成績で、今季2度目の月間MVPを受賞した[55]。オールスターには監督推薦で、自身3度目の出場を果たした[56]。7月16日の対ヤクルト戦(神宮)で、勝利投手になり、10勝目を挙げ、巨人移籍後初の二桁勝利した[57]。8月1日時点で、11勝2敗、勝率.846、防御率2.55、131奪三振と4部門でリーグトップの成績を残していたが、右肘周囲の筋肉に張りを訴え、登録を抹消された[58]。その後無事に復帰し、26登板、170回を投げ15勝4敗(勝率.789)、防御率2.91、188奪三振のキャリアハイの成績を残し、自身初のタイトルとなる最多勝利、最多奪三振、最高勝率を獲得し、自身初のベストナインも受賞した。防御率もリーグ3位で、援護率6.19という数字を残した。さらに自身初となるチームのリーグ優勝に大きく貢献した[59]。ポストシーズンではCSファイナルステージの対阪神戦(東京ドーム)の第1戦目に先発し7回1/3、1失点の好投で勝利投手になった[60]。自身初の日本シリーズでは対ソフトバンク戦(ヤフオクドーム)の第1戦目に先発し6回3失点の好投するも敗戦投手になり、チームは4連敗し日本シリーズ優勝はならなかった[61]。
オフの11月に開催された第2回WBSCプレミア12の日本代表に選出された。同大会ではオープニングラウンドのベネズエラ戦で4回1失点、スーパーラウンドのオーストラリア戦では4回2失点と試合を作り日本代表初となるプレミア12の決勝進出に貢献した。決勝の韓国戦では1回3失点と打ち込まれたがチームが逆転してくれ勝利し自身初の国際大会での優勝を経験した[62]。シーズン終了後にポスティングシステムを利用しMLBへ挑戦することが明らかとなった。これまで巨人軍ではポスティングシステムの利用は認められていなかったが山口は球団から認められたため、巨人軍史上初のポスティング利用者となった。
ブルージェイズ時代
2019年12月27日にトロント・ブルージェイズと2年総額635万ドルで契約を結んだことが発表された[63]。背番号は「1」で[64]、ポスティング費用として巨人にはブルージェイズから127万ドルが支払われる[65]。これにより、山口は巨人からポスティングシステムを利用してメジャー移籍した初の選手となった。
選手としての特徴
球種 | 配分 % |
平均球速 km/h |
---|---|---|
フォーシーム | 44 | 145 |
フォーク | 27 | 136 |
スライダー | 20 | 131 |
カーブ | 8 | 115 |
ツーシーム | 1 | 142 |
打者に対してやや左足を一塁方向へずらしてセットするスリークォーター[68]から、平均球速約145km/h[70]、最速157km/h[71]のフォーシームと落差の大きいフォークボールを軸に、縦横のスライダー、カーブを織り交ぜて勝負する速球派投手。先発転向後はシュート、SFFも使用し始めた[72]。さらに、2016年からはワンシームを習得している[73]。
死球によって相手打者の負傷が相次いだことにより、「壊し屋」と呼ぶメディアも存在する。2012年7月8日の中日戦(名古屋)では中日の4番・トニ・ブランコの左手に死球。ブランコは左手甲を骨折し、長期離脱となった。抑えで登板した同年8月2日の広島戦(横浜)では、9回表一死一、二塁、DeNAが5 - 1でリードした場面で代打・會澤翼の右目下部に死球をぶつけ危険球退場。會澤は鼻骨を骨折して顔面から大量出血し、救急車がグラウンド内に乗り入れる騒ぎとなった。試合は菊地和正が1失点に抑えてDeNAが5 - 2で勝利したものの、DeNAは広島に配慮してハイタッチ及びヒーローインタビューを自粛した[74]。先発で登板した2014年7月21日の対中日戦(横浜)では、先頭打者から4球で3連打を浴びて先制を許すと、4番・和田一浩の左頭部に死球。「試合開始から5球目での危険球退場処分」という当時NPB一軍史上最短記録を残した[75](後に畠世周が4球で退場[76])。NPBの一軍公式戦で一死も取れずに危険球で退場した先発投手は、史上3人目であった[77]。2015年4月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、田中浩康の頭部に死球をぶつけ危険球退場。危険球退場の回数が、NPB最多タイ記録の3回に達した。
人物
2014年12月25日に、グラビアアイドルの高木加織と結婚した。この時点で加織が芸能活動を事実上休止していたことから、当初の発表では、結婚相手を「一般女性」と表現。加織自身も、同日付の公式ブログで結婚と懐妊を伝える記事を掲載した際に、山口への配慮などから結婚相手の氏名を伏せていた[78]。しかし、夫が山口であることを一部の週刊誌が報じたことから、2015年3月14日に公式ブログを通じて山口との結婚を正式に公表[79]。同月21日には、前日(20日)に第1子(長女)を出産したことを報告した[80]。2016年には、山口の先発が予告されていた8月20日の対中日戦(横浜)試合前に、加織が第2子(長男)を出産。山口自身も、当時の自己最多記録に並ぶシーズン8勝目を挙げている[81]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2006 | 横浜 DeNA |
5 | 5 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | 0 | .333 | 93 | 21.0 | 22 | 8 | 8 | 0 | 2 | 17 | 0 | 0 | 15 | 15 | 6.43 | 1.43 |
2007 | 6 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | .000 | 94 | 20.0 | 21 | 4 | 10 | 0 | 1 | 14 | 1 | 0 | 16 | 14 | 6.30 | 1.55 | |
2008 | 16 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 2 | .500 | 96 | 23.2 | 10 | 1 | 16 | 0 | 1 | 28 | 2 | 0 | 2 | 2 | 0.76 | 1.10 | |
2009 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 4 | 18 | 7 | .556 | 223 | 55.0 | 44 | 7 | 17 | 0 | 4 | 68 | 5 | 0 | 22 | 20 | 3.27 | 1.11 | |
2010 | 54 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 8 | 30 | 2 | .200 | 282 | 68.2 | 57 | 6 | 24 | 5 | 1 | 78 | 3 | 0 | 20 | 20 | 2.62 | 1.18 | |
2011 | 59 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 6 | 34 | 1 | .250 | 253 | 61.1 | 46 | 5 | 19 | 1 | 4 | 48 | 3 | 0 | 20 | 17 | 2.49 | 1.06 | |
2012 | 60 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 22 | 3 | .333 | 258 | 62.0 | 46 | 1 | 22 | 4 | 5 | 62 | 2 | 0 | 13 | 12 | 1.74 | 1.10 | |
2013 | 44 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 2 | 7 | 6 | .714 | 202 | 46.2 | 46 | 6 | 16 | 1 | 2 | 48 | 5 | 0 | 28 | 28 | 5.40 | 1.33 | |
2014 | 33 | 17 | 3 | 2 | 1 | 8 | 5 | 0 | 3 | .615 | 536 | 124.0 | 107 | 5 | 60 | 0 | 3 | 96 | 5 | 0 | 58 | 40 | 2.90 | 1.35 | |
2015 | 20 | 20 | 2 | 0 | 0 | 3 | 6 | 0 | 0 | .333 | 508 | 114.1 | 127 | 13 | 42 | 0 | 3 | 119 | 6 | 1 | 67 | 57 | 4.49 | 1.48 | |
2016 | 19 | 19 | 5 | 3 | 0 | 11 | 5 | 0 | 0 | .688 | 570 | 138.2 | 112 | 10 | 44 | 0 | 4 | 121 | 5 | 0 | 48 | 44 | 2.86 | 1.13 | |
2017 | 巨人 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | .500 | 97 | 21.0 | 24 | 5 | 16 | 0 | 1 | 22 | 1 | 1 | 15 | 15 | 6.43 | 1.90 |
2018 | 30 | 21 | 6 | 2 | 0 | 9 | 9 | 1 | 1 | .500 | 644 | 154.0 | 127 | 18 | 60 | 1 | 9 | 144 | 4 | 0 | 66 | 63 | 3.68 | 1.21 | |
2019 | 26 | 26 | 0 | 0 | 0 | 15 | 4 | 0 | 0 | .789 | 705 | 170.0 | 137 | 8 | 60 | 1 | 13 | 188 | 4 | 0 | 60 | 55 | 2.91 | 1.16 | |
NPB:14年 | 427 | 116 | 16 | 7 | 1 | 64 | 58 | 112 | 25 | .525 | 4561 | 1080.1 | 926 | 97 | 414 | 13 | 53 | 1053 | 46 | 2 | 450 | 402 | 3.35 | 1.24 |
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更
WBSCプレミア12での投手成績
年 度 |
代 表 |
登 板 |
先 発 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ | ブ |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ | ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2019 | 日本 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 40 | 9.0 | 11 | 2 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 6 | 6 | 6.00 |
タイトル
表彰
- ベストナイン:1回(2019年)
- 月間MVP:5回 (投手部門:2009年4月、2014年6月、2014年9月、2019年3・4月、2019年6月)
- オールスターゲーム マツダ プレマシー賞:1回 (2010年)
- 最優秀バッテリー賞:1回(2019年、捕手:小林誠司)
記録
- 投手記録
- 初登板・初先発登板・初勝利:2006年6月29日、対読売ジャイアンツ9回戦(横浜スタジアム)、6回2安打1失点[82]
- 初奪三振:同上、2回表に李承燁から空振り三振[82]
- 初ホールド:2008年9月23日、対阪神タイガース20回戦(阪神甲子園球場)、9回裏に3番手で救援登板、1回無失点[83]
- 初セーブ:2009年5月5日、対読売ジャイアンツ4回戦(東京ドーム)、9回裏に4番手で救援登板・完了、1回無失点[84]
- 初完投・初完投勝利:2014年9月3日、対阪神タイガース18回戦(阪神甲子園球場)、9回5安打1失点11奪三振
- 初完封勝利:2014年9月10日、対東京ヤクルトスワローズ21回戦(横浜スタジアム)、9回4安打5奪三振無四球
- 打撃記録
- 初安打:2006年7月15日、対広島東洋カープ9回戦(横浜スタジアム)、2回裏に大島崇行から中前安打[85]
- 初打点:2010年7月17日、対読売ジャイアンツ12回戦(横浜スタジアム)、8回裏に久保裕也から右前2点適時打[86]
- 初本塁打:2014年7月1日、対中日ドラゴンズ9回戦(石川県立野球場)、3回表に朝倉健太から左越ソロ
- 節目の記録
- 100セーブ:2012年9月4日、対東京ヤクルトスワローズ17回戦(横浜スタジアム)、9回表に2番手で救援登板・完了、1回無失点 ※史上25人目[87]
- 1000投球回:2019年6月29日、対東京ヤクルトスワローズ10回戦(秋田こまちスタジアム)、7回裏1死目に中山翔太から見逃し三振 ※史上353人目
- 1000奪三振:2019年8月12日、対広島東洋カープ18回戦(MAZDA Zoom-Zoomスタジアム広島)、3回裏に鈴木誠也から見逃し三振 ※史上150人目
- その他の記録
- 先発投手最短危険球退場:2014年7月21日、対中日ドラゴンズ11回戦(横浜スタジアム)、1回表に5球目を和田一浩へ頭部死球
- オールスターゲーム出場:3回(2010年、2011年、2019年) ※2016年は選出されるも出場辞退
- ノーヒットノーラン:2018年7月27日、対中日ドラゴンズ12回戦(東京ドーム)、1四球の準完全試合 ※史上79人目、90度目
背番号
- 11(2006年 - 2016年、2019年)
- 42(2017年 - 2018年)
- 1(2020年 - )
登場曲
- EXILE THE SECOND「WILD WILD WILD」(2017年)
- X JAPAN「Rusty Nail」(2017年)
- 布袋寅泰「バンビーナ」(2018年 - 2019年9月)
- ゆしん「裸~Nude~」(2019年10月)
代表歴
- 2005年AAAアジア野球選手権大会日本代表
- 2019 WBSCプレミア12 日本代表
脚注
注釈
出典
- ^ “Shun Yamaguchi Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2020年1月16日閲覧。
- ^ “巨人山口俊ノーノー、100S後達成は史上初の快挙 - プロ野球番記者コラム - 野球コラム : 日刊スポーツ” (日本語). nikkansports.com 2018年7月28日閲覧。
- ^ “横浜・山口の父、元幕内力士の久さん死去”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン) (2010年10月20日). 2016年11月9日閲覧。
- ^ 春の選抜 2日目・第3試合 天理4―0柳ヶ浦2005年3月25日
- ^ “横浜 山口、中継ぎでは8年ぶりの受賞”. スポニチ Sponichi Annex (スポーツニッポン). (2009年5月9日) 2013年8月1日閲覧。
- ^ 侍ジャパンマッチ2012 日本代表メンバー[リンク切れ] NPB公式サイト (2012年11月6日) 2015年4月14日閲覧
- ^ 山口2試合連続S「結果出た」/強化試合スポーツニッポン、2013年1月5日
- ^ DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指すスポーツニッポン、2013年1月5日
- ^ a b DeNA山口、先発再転向で8年ぶり白星日刊スポーツ2014年6月2日配信
- ^ 先発マウンドで山口汚名返上「ここ2年間ふがいないピッチングで…」スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ 山口7年ぶり先発で6回零封DeNA3連勝 ロッテは3連敗スポーツニッポン2014年6月1日配信
- ^ DeNA山口が月間MVP「うれしい」日刊スポーツ2014年7月8日配信
- ^ 山口 プロ初本塁打も6失点で黒星「粘れなかった」スポーツニッポン2014年7月1日配信
- ^ DeNA・山口がプロ初完投勝利!「連敗したらずるずる行くと…」サンケイスポーツ2014年9月3日配信
- ^ DeNA 2試合連続完封勝ち!山口 プロ9年目初のシャットアウトスポーツニッポン2014年9月10日配信
- ^ 山口、ロサリオ、金子、銀次が月間MVP日刊スポーツ2014年10月7日配信
- ^ DeNA山口800万増「沢村賞目指す」日刊スポーツ2014年10月7日配信
- ^ DeNA山口完投3勝目、嶺井リードに感謝日刊スポーツ2015年2月20日配信
- ^ DeNA山口にラミレス監督直電 開幕指名伝える日刊スポーツ2016年1月7日配信
- ^ DeNA山口 開幕回避濃厚 代役候補は井納か久保康日刊スポーツ2016年3月20日配信
- ^ DeNA山口やっと開幕 今季初登板で1号&1勝日刊スポーツ2016年4月9日配信
- ^ DeNA山口セ初の交流戦連続完封 単独2位浮上日刊スポーツ2016年6月13日配信
- ^ DeNA山口3度目完封、両リーグ単独トップ日刊スポーツ2016年7月5日配信
- ^ a b DeNA山口が球宴辞退、井納が補充選手に日刊スポーツ2016年7月11日配信
- ^ DeNA山口練習中に足首負傷 球宴にも影響か練習中に足首負傷 球宴にも影響か日刊スポーツ2016年7月9日配信
- ^ DeNA山口、初の2桁勝利に「先発として憧れだった」デイリースポーツ2016年9月4日配信
- ^ DeNA山口、CS第1ステージは登板回避へ日刊スポーツ2016年9月30日配信
- ^ DeNA山口、FA権行使も…残留か他球団か、揺れるエース右腕スポーツニッポン2016年10月15日配信
- ^ DeNA山口が涙のFA表明日刊スポーツ2016年11月8日配信
- ^ 2016年度フリーエージェント宣言選手日本野球機構
- ^ DeNA山口 巨人と初交渉「先発で評価してくれた」スポーツニッポン2016年11月11日配信
- ^ 中日5年総額10億円超提示へ、FA山口獲り本気日刊スポーツ2016年11月30日配信
- ^ DeNA山口 他球団移籍伝える 高田GM「うちは無理」スポーツニッポン2016年11月29日配信
- ^ DeNA山口俊が巨人へFA移籍の意向伝える日刊スポーツ2016年12月1日配信
- ^ 【巨人】山口俊&森福に続き陽も!FAで獲得できる選手数は?スポーツ報知2016年12月5日配信
- ^ DeNA、巨人プロテクト28人以外の名簿受け取る日刊スポーツ2016年12月13日配信
- ^ 平良拳太郎選手 獲得のお知らせ 横浜DeNAベイスターズ公式サイト (2017年1月5日) 2017年1月5日閲覧
- ^ 日本に帰化した在日韓国・朝鮮人を含めると、1968年秋にドラフト外で入団した新浦寿夫が、大隅から背番号42を譲り受けて以来の事例になる。
- ^ “巨人・山口俊、罰金1億円超…今季出場停止「今後、酒は自粛。」”. SANSPO.COM(サンスポ) (2017年8月19日). 2018年6月7日閲覧。
- ^ “や~っと巨人デビュー!山口俊、マシソン&カミネロとセ初のノーヒッ投リレー”. サンケイスポーツ (2017年6月14日). 2017年6月18日閲覧。
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- ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「[https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/07/17/kiji/20190717s00001173018000c.html 巨人・18日にもM点灯!山口 10勝一番乗り - スポニチ Sponichi Annex 野球]」『スポニチ Sponichi Annex』。
- ^ “【巨人】ピンチ!投手4冠の山口俊が登録抹消「右肘周囲の筋肉の張り」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2019年8月1日) 2019年8月1日閲覧。
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- ^ 株式会社スポーツニッポン新聞社マルチメディア事業本部「巨人・山口「勝つしかないと思ってマウンドに上がった」8回途中4安打1失点、126球力投- スポニチ Sponichi Annex 野球」『スポニチ Sponichi Annex』。
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- ^ “侍ジャパンが悲願世界一!/プレミア12ライブ速報”. 日刊スポーツ (2019年11月17日). 2019年11月17日閲覧。
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- ^ “ブルージェイズ山口正式発表 巨人に譲渡金1・4億 - MLB : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年1月9日閲覧。
- ^ a b “1.02 - Essence of Baseball, DELTA Inc.”. 1point02.jp. 2020年3月26日閲覧。
- ^ 26先発・170.0回。1point02.jpによる。[66]
- ^ 堀内恒夫氏、山口俊はフォームの乱れを直さないと「次もやられるぞ」 サンスポ(2019.5.20)
- ^ 『2011プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2011年、184頁頁。ISBN 978-4-930942-98-2。
- ^ 2019年シーズンデータ[66]。リリーフ時代の2011年シーズンは平均148km/h[69]。
- ^ “DeNA山口 ポスティングで13年オフ米移籍目指す”. スポニチ Sponichi Annex. (2013年1月5日)
- ^ “DeNA・山口、守護神失格も7年ぶり先発で勝利 豊富な球種で生まれ変わった”. 夕刊フジ. (2014年6月3日)
- ^ “DeNAの山口、新球ワンシーム習得 右打者えぐる!!”. 中日スポーツ. (2016年1月24日)
- ^ “顔面への死球で横浜スタジアムが凍りついた! “壊し屋”DeNA・山口に批判の声続出!”. リアルライブ (フェイツ). (2012年8月3日) 2018年2月26日閲覧。
- ^ DeNA・山口 1死も奪えず5球で危険球退場スポーツニッポン2014年7月21日配信
- ^ “【巨人】畠、史上最少4球目で危険球退場「変に力入った」”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2017年10月1日) 2018年2月26日閲覧。
- ^ 山口先発最短5球で危険球退場日刊スポーツ2014年7月22日配信
- ^ “山口投手と菊地投手”. 加織、結婚お相手はDeNA山口俊投手 昨年報告も氏名明かさず. (2015年3月14日)
- ^ “皆様へ”. 加織オフィシャルブログ『kaori's diary』. (2015年3月14日)
- ^ “Hello Baby”. 加織オフィシャルブログ『kaori's diary』. (2015年3月21日)
- ^ DeNA山口に第2子長男が誕生、吉報祝う8勝日刊スポーツ2016年8月20日配信
- ^ a b 神奈川新聞、2006年6月30日。
- ^ 神奈川新聞、2008年9月24日。
- ^ 神奈川新聞、2009年5月6日。
- ^ 神奈川新聞、2006年7月16日。
- ^ 神奈川新聞、2010年7月18日。
- ^ 神奈川新聞、2012年9月4日。
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 山口俊 - NPB.jp 日本野球機構
- 山口俊オフィシャルブログ「いまがしゅん」 - Ameba Blog
- 山口俊 (@shun_yamaguchi0711) - Instagram