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* 2007年 - [[中西保志]](アルバム『Standards』に収録)
* 2007年 - [[中西保志]](アルバム『Standards』に収録)
* 2007年 - [[二階堂和美]](アルバム『ハミング・スイッチ』に収録)
* 2007年 - [[二階堂和美]](アルバム『ハミング・スイッチ』に収録)
* 2007年 - [[KOHALA]](アルバム『Cool Breeze』に収録)ハワイアンのインストゥルメンタルにアレンジ。
* 2007年 - KOHALA(アルバム『Cool Breeze』に収録)ハワイアンのインストゥルメンタルにアレンジ。
* [[2008年]] - [[EXILE]](ベストアルバム『[[EXILE ENTERTAINMENT BEST]]』に収録)
* [[2008年]] - [[EXILE]](ベストアルバム『[[EXILE ENTERTAINMENT BEST]]』に収録)
* 2008年 - [[中村あゆみ]](アルバム『[[VOICE (中村あゆみのアルバム)|VOICE]]』に収録)
* 2008年 - [[中村あゆみ]](アルバム『[[VOICE (中村あゆみのアルバム)|VOICE]]』に収録)
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* [[2013年]] - [[絢香]](アルバム『[[遊音倶楽部 〜1st grade〜]]』に収録)
* [[2013年]] - [[絢香]](アルバム『[[遊音倶楽部 〜1st grade〜]]』に収録)
;外国語によるカバー
;外国語によるカバー
* [[1991年]]、[[台湾]]の'''{{仮リンク|剛澤斌|zh|剛澤斌}}'''が「'''妳在他郷'''」というタイトルで[[北京語]]の歌詞でカバーした。
* [[1991年]]、[[台湾]]の'''剛澤斌'''が「'''妳在他郷'''」というタイトルで[[北京語]]の歌詞でカバーした。
* 1991年、[[香港]]の[[歌手]]・'''[[ジャッキー・チュン|張學友]]'''が「[[:zh:每天愛你多一些|'''毎天愛你多一些''']]」というタイトルで[[広東語]]の歌詞でアルバム『[[:zh:情不禁|情不禁]]』に収録。
* 1991年、[[香港]]の[[歌手]]・'''張學友'''が「[[:zh:每天愛你多一些|'''毎天愛你多一些''']]」というタイトルで[[広東語]]の歌詞でアルバム『[[:zh:情不禁|情不禁]]』に収録。
* 1991年、台湾の'''{{仮リンク|林慧萍|zh|林慧萍}}'''が「'''唱歌家己聽'''」というタイトルで[[ビン南語]]の歌詞でカバーした。
* 1991年、台湾の'''林慧萍'''が「'''唱歌家己聽'''」というタイトルで[[ビン南語]]の歌詞でカバーした。
* [[1993年]]、張學友が同一タイトルで北京語の歌詞でカバーして、アルバム『[[:zh:吻別|吻別]]』に収録した。
* [[1993年]]、張學友が同一タイトルで北京語の歌詞でカバーして、アルバム『[[:zh:吻別|吻別]]』に収録した。
* [[1997年]] - [[フィリピン]]の歌手'''[[:en:Donna Cruz|ドナ・クルーズ]]'''が'''Isang Tanong, Isang Sagot'''というタイトルで同名の映画の主題歌として[[タガログ語]]でカバーを行った。
* [[1997年]] - [[フィリピン]]の歌手'''[[:en:Donna Cruz|ドナ・クルーズ]]'''が'''Isang Tanong, Isang Sagot'''というタイトルで同名の映画の主題歌として[[タガログ語]]でカバーを行った。
* [[2000年]] - 台湾の'''{{仮リンク|卜學亮|zh|卜学亮}}'''が「'''恭喜發財歌'''」というタイトルで北京語でカバー。(アルバム『我愛阿亮』に収録)
* [[2000年]] - 台湾の'''卜学亮'''が「'''恭喜發財歌'''」というタイトルで北京語でカバー。(アルバム『我愛阿亮』に収録)
* [[2005年]] - [[アメリカ]]の歌手[[フィリップ・ベイリー]]が『Mid-Summer Blossoms』という曲名で英語でカバー。
* [[2005年]] - [[アメリカ]]の歌手[[フィリップ・ベイリー]]が『Mid-Summer Blossoms』という曲名で英語でカバー。
* [[2008年]] - 香港の'''[[フィオナ・シット|薛凱琪]]'''と'''[[方大同]]'''が「'''復刻回憶'''」というタイトルで北京語の歌詞でカバーした。
* [[2008年]] - 香港の'''[[フィオナ・シット|薛凱琪]]'''と'''[[方大同]]'''が「'''復刻回憶'''」というタイトルで北京語の歌詞でカバーした。

2020年6月20日 (土) 18:13時点における版

真夏の果実
サザンオールスターズシングル
初出アルバム『稲村ジェーン
B面 ナチカサヌ恋歌 (Live at BUDOKAN)
リリース
規格 8cmCD('90,'98)
カセットテープ('90)
12cmCD('05)
デジタル・ダウンロード
録音 1990年 - 6月
VICTOR STUDIO
MUSIC INN STUDIO
ジャンル ロック
時間
レーベル タイシタレーベル
作詞・作曲 桑田佳祐 (#1,#2)
プロデュース サザンオールスターズ
ゴールドディスク
チャート最高順位
  • 週間4位(オリコン
  • 1990年8月度月間5位(オリコン)
  • 1990年9月度月間3位(オリコン)
  • 1990年10月度月間8位(オリコン)
  • 1990年度年間9位(オリコン)
サザンオールスターズ シングル 年表
フリフリ'65
1989年
真夏の果実
(1990年)
ネオ・ブラボー!!
1991年
稲村ジェーン 収録曲
Love Potion No. 9
(5)
真夏の果実
(6)
マンボ
(7)
テンプレートを表示

真夏の果実」(まなつのかじつ)は、サザンオールスターズの楽曲。自身の28作目のシングルとして、タイシタレーベルから8cmCD1990年7月25日に発売された。

1998年2月11日にも8cmCDとして、2005年6月25日には12cmCDで再発されている。

背景

前作の「フリフリ'65」から、約8か月ぶりとなるシングル。

公式のファン投票でも200数十曲の中から、ライブでのリクエスト第1位に選出されるなど、自身の中で屈指の人気を博す代表作である。

受賞歴

チャート成績

ビクターエンタテインメントによる出荷枚数では累計85万枚を記録している[4]

オリコンのシングルTOP10獲得週間数では、本作は12週であり、自身の中では「いとしのエリー」「TSUNAMI」「勝手にシンドバッド」に次いで4番目に高く、「涙のキッス」と同記録となる[5]

日本音楽著作権協会(JASRAC)の著作権使用料分配額ランキングでは、「真夏の果実」が 平成(1989年〜2019年)の中で歴代68位にランクインした[6]

収録曲

  • 収録時間:9:32
  1. 真夏の果実 (4:39)
    (作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ & 小林武史
    桑田の監督映画『稲村ジェーン』主題歌。桑田出演のリクルート「B-ing」CMソングフジテレビ水曜劇場悪魔のKISS』挿入歌[注 2]auLISTEN MOBILE SERVICE』キャンペーンソング[注 3]
    弦楽器は、ギター大森隆志によるウクレレのみで一貫している。ミュージック・ビデオは、ほぼ映画『稲村ジェーン』から派出した映像のみの構成となっている。MVのほか、2003年DVDInside Outside U・M・I』にイメージ・ビデオが収録された。
    俳人エッセイスト夏井いつきはこの曲が好きであると述べており、特に「マイナス100度の太陽みたいに」という比喩表現に鳥肌が立ったことを述べている[7]。また、女優桐谷美玲が選んだ男性に歌ってもらいたい曲TOP3で、1位にこの曲を挙げている[8]
    2008年に行われた「真夏の大感謝祭」では、ファンによる"ライブでの選挙リクエスト投票"が行われ、数ある楽曲の中から投票数第1位に輝いた[9]。2018年にオリコンが調査した平成に発売した好きな夏ソングをアンケートした結果、2位にランクインした[9]
  2. ナチカサヌ恋歌 (Live at BUDOKAN) (4:53)
    (作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ)
    1990年発売のアルバム『Southern All Stars』収録曲。コンサートツアー『夢で逢いまSHOW』の日本武道館公演の音源である。原由子ボーカル曲。

収録アルバム

※斜字は廃盤作品。

参加ミュージシャン

カバー

「真夏の果実」には日本とその他のアジア圏を中心に多数のカバーが存在し、主に以下のようなものがある。全アジアでのカバー版の売上は1995年時点で700万枚に達する[10]

日本語によるカバー
外国語によるカバー

脚注

注釈

  1. ^ 2003年6月度までの旧基準。最低累計正味出荷枚数40万枚以上の作品に適用。
  2. ^ 1993年に使用
  3. ^ 2008年に使用

出典

関連項目

外部リンク