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「オールナイトニッポン」の版間の差分

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* 現在「ZERO」を放送しているいわゆる「2部」の枠ではこの時報の後にパーソナリティが「1部」のパーソナリティに向けて「〇〇さん、お疲れ様でした。」と挨拶をしてから始まるのが長らく慣例になっている(これを言わずに始まるパーソナリティもいる)。しかし、[[ラジオ関西]]では直前が裏番組であるTBSラジオの「[[JUNK]]」のため、脈路のない演出になっている。
* 現在「ZERO」を放送しているいわゆる「2部」の枠ではこの時報の後にパーソナリティが「1部」のパーソナリティに向けて「〇〇さん、お疲れ様でした。」と挨拶をしてから始まるのが長らく慣例になっている(これを言わずに始まるパーソナリティもいる)。しかし、[[ラジオ関西]]では直前が裏番組であるTBSラジオの「[[JUNK]]」のため、脈路のない演出になっている。
* ニッポン放送のスタジオにはサブのガラスの向正面に地震発生時のアナウンスが掲示されている。『オールナイトニッポン』では放送時の地震発生などの緊急時にはアナウンサーが安全確保のため、リスナーに注意を呼びかけるが、ベテランパーソナリティの場合、本人が注意事項を暗記しているため、アナウンサーを介さずに注意を呼びかけている。
* ニッポン放送のスタジオにはサブのガラスの向正面に地震発生時のアナウンスが掲示されている。『オールナイトニッポン』では放送時の地震発生などの緊急時にはアナウンサーが安全確保のため、リスナーに注意を呼びかけるが、ベテランパーソナリティの場合、本人が注意事項を暗記しているため、アナウンサーを介さずに注意を呼びかけている。
* ニッポン放送と[[BSフジ]]([[日本における衛星放送#BSデジタル|BSデジタル]][[テレビ局]])共同制作の番組『お笑いネクストブレーカー』の番組内で[[お笑い芸人]]が出されたテーマに、オールナイトニッポンをベースにトークをするコーナー「オールナイトニッポンへの道」があった。
* ニッポン放送と[[BSフジ]]([[日本における衛星放送#BSデジタル放送|BSデジタル]][[テレビ局]])共同制作の番組『お笑いネクストブレーカー』の番組内で[[お笑い芸人]]が出されたテーマに、オールナイトニッポンをベースにトークをするコーナー「オールナイトニッポンへの道」があった。
* [[CBCラジオ]]では、2009年2月1日から2月28日まで、[[親局]]である[[CBCラジオ長島送信所|長島送信所]]の施設改修工事に伴い、午前0時から午前4時までの間放送が休止されたため、1か月間オールナイトニッポンの放送が休止となった(協賛部分のみ休止直前の番組でCMとして流した)。
* [[CBCラジオ]]では、2009年2月1日から2月28日まで、[[親局]]である[[CBCラジオ長島送信所|長島送信所]]の施設改修工事に伴い、午前0時から午前4時までの間放送が休止されたため、1か月間オールナイトニッポンの放送が休止となった(協賛部分のみ休止直前の番組でCMとして流した)。
* [[信越放送]]では2009年4月 - 9月の間、経費削減などのため停波を伴う放送休止時間を設定することに伴い、祝日に当たる日のみ、オールナイトニッポンの放送を休止とした。協賛各社のCMのみ、休止直前と再開直後にまとめて放送していた。
* [[信越放送]]では2009年4月 - 9月の間、経費削減などのため停波を伴う放送休止時間を設定することに伴い、祝日に当たる日のみ、オールナイトニッポンの放送を休止とした。協賛各社のCMのみ、休止直前と再開直後にまとめて放送していた。

2021年4月13日 (火) 10:07時点における版

オールナイトニッポン
愛称 オールナイト、ANN、1部
ジャンル 帯番組 / 深夜トーク番組
放送方式 生放送録音の場合あり)
放送期間 1967年10月2日 -
1999年3月29日 - 2003年3月29日の間、@llnightnippon.comなど)
放送時間 月 - 土曜 25:00-27:00(120分)
放送局 ニッポン放送ほか
ネットワーク NRN他(詳細は下記へ
パーソナリティ 【月】菅田将暉
【火】星野源
【水】乃木坂46
【木】ナインティナイン
【金】霜降り明星
【土】オードリー
テーマ曲BITTERSWEET SAMBA
ハーブ・アルパート
ティファナ・ブラス
公式サイト 公式サイト
特記事項:
1998年3月まで、広義の放送時間は25:00 - 29:00(240分)であり、その中で25:00 - 27:00を「第1部」、27:00 - 29:00を「第2部」(現:『オールナイトニッポン0(ZERO)』)として放送。
各曜日の番組内容については各記事を参照。
テンプレートを表示

オールナイトニッポン』(All Night-NIPPON)は、日本のラジオ放送局ニッポン放送キーステーションとして日本全国で放送されているラジオの深夜番組である。通称「オールナイト」、「ANN[注 1]」。ここでは現在の放送枠である25:00 - 27:00の内容のほか、主に22:00 - 29:00に放送されている「オールナイトニッポン」をタイトル内に含む番組全体の歴史などについても記述する。詳細については枠・番組の記事をそれぞれ参照のこと。

概要

1967年10月2日に開始したラジオの長寿番組であり、2019年10月現在ニッポン放送制作番組の中で、放送期間は『テレフォン人生相談』に次ぐ第2位となっている[1][注 2]

一連のオールナイトニッポンシリーズは基本的に生放送で送るが、パーソナリティの意向や、スケジュールなどの関係で生放送ができない場合などの理由で、録音となる場合がある[2]。録音の場合であってもほとんどは「同時パッケージ」(「録って出し」とも言う)の疑似生放送となる。基本的には有楽町(有楽町の本社ビルを建て替える1997年4月から2003年7月まではお台場FCGビル)のニッポン放送本社ビルからの生放送だが、スケジュールの関係が絡む場合、ネットしている地方局のスタジオや大阪・ブリーゼタワーのニッポン放送関西支社に常設されたスタジオから、さらにはパーソナリティが泊まる地方のホテルなどを借りて機材を置いたり、番組の企画も重ねて屋外や海外から中継などといった形で生放送する場合もある。いずれの場合も通常使うニッポン放送本社のスタジオはBGMやCM出しのための受けサブとして使われ、不備の場合に備えてアナウンサーや2部のパーソナリティも待機する。

また、1999年より「LF+R」時代の『SUPER!』『.com』『R』『サタデースペシャル』や、「LF+R」後の『いいネ!』『サンデー』『エバーグリーン』『GOLD』『0(ZERO)』『Premium』などオールナイトニッポンブランドで多くの番組が放送されており、本来の25 - 29時枠の他、「LF+R」導入後は22 - 24時枠でも断続的に「オールナイトニッポン」の名を冠す番組が放送されている。詳しくは「ニッポン放送の夜ワイドの変遷」を参照。

現在は、旧1部(25:00 - 27:00)を『オールナイトニッポン』、旧2部(27:00 - 29:00)を『オールナイトニッポン0(ZERO)』と称している。

現在放送中の番組枠一覧

2021年度 プロ野球ナイターシーズン(2021年4月~)
放送時間 月曜日 - 木曜日 金曜日 土曜日 日曜日(月一回)
22:00
-
23:30
オールナイトニッポン
MUSIC10
オールナイトニッポン
GOLD
別番組 別番組
23:30
-
24:00
オールナイトニッポン
サタデースペシャル
24:00
-
24:53
オールナイトニッポンX
24:53
-
25:00
別番組
25:00
-
27:00
オールナイトニッポン
27:00
-
28:30
オールナイトニッポン0
(ZERO)
オールナイトニッポン0
(ZERO)
オールナイトニッポン0
(ZERO)[注 3]
高嶋ひでたけの
オールナイトニッポン
月イチ
28:30
-
28:50
別番組
28:50
-
29:00
別番組

放送時間

現在放送中の番組枠放送時間一覧 2021年度(2021年4月~)
番組名 月 - 木 金曜日 土曜日 日曜日(月一回)
MUSIC10 22:00 - 24:00
(120分)
(放送なし)
GOLD (放送なし) 22:00 - 24:00
(120分)
(放送なし)
X 24:00 - 24:53
(53分)
オールナイトニッポン 25:00 - 27:00
(120分)
(放送なし)
0(ZERO) 27:00 - 28:30
(90分)
27:00 - 29:00
(120分)
27:00 - 28:50
(110分)[注 4]
サタデースペシャル (放送なし) 23:30 - 25:00
(90分)
月イチ (放送なし) 27:00 - 29:00
(120分)

ネット詳細は下記参照

オールナイトニッポン
  • 月曜 - 土曜 25:00 - 27:00(36局ネット)
オールナイトニッポン0(ZERO)
オールナイトニッポン MUSIC10
  • 月曜 - 木曜 22:00 - 24:00(19局ネット(東北放送は月曜のみ自社制作番組放送のため非ネット)。火曜 - 木曜は東北放送が23:50飛び降り)
オールナイトニッポンGOLD
  • 金曜 22:00 - 24:00(17局ネット、東北放送は23:50に飛び降り、IBC岩手放送は23:00に飛び乗り)
オールナイトニッポンX
  • 月曜 - 金曜 24:00 - 24:53(月 - 木曜は2局ネット、金曜は関東ローカル)
オールナイトニッポンサタデースペシャル
  • 土曜 23:30 - 25:00(34局ネット)
オールナイトニッポン月イチ
  • 月曜 3:00-5:00(関東ローカル)

現在のパーソナリティ

放送曜日 名称 パーソナリティ 放送方式 番組開始日
オールナイトニッポン MUSIC10(月曜-木曜 22:00 - 24:00)
月曜日 オールナイトニッポン MUSIC10[注 5] 森山良子 生放送 2015年9月28日
火曜日 鈴木杏樹 2015年9月30日[注 6]
第1・3水 名取裕子 2015年9月29日[注 7]
第2水曜日 森高千里 2020年4月8日
第4水曜日 岸谷香 2020年4月22日
木曜日 渡辺満里奈 2018年1月4日
オールナイトニッポンGOLD(金曜 22:00 - 24:00)
第1金曜日 古舘伊知郎のオールナイトニッポンGOLD 古舘伊知郎 生放送or録音 2016年10月21日
第2金曜日 吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLD 吉田拓郎 2020年4月10日
第4金曜日 松任谷由実のオールナイトニッポンGOLD 松任谷由実 2016年4月22日
第3・5金 オールナイトニッポンGOLD スペシャルナイト[注 8] (週替わり) 2013年10月11日
毎月1回 ラブライブ!シリーズのオールナイトニッポンGOLD ラブライブ!シリーズ 2020年7月24日[注 9]
オールナイトニッポンX(月曜-金曜 24:00 - 24:53)
月曜日 ENHYPENのオールナイトニッポンX ENHYPEN 生放送 2021年3月29日
火曜日 YOASOBIのオールナイトニッポンX YOASOBI 2021年3月30日
水曜日 フワちゃんのオールナイトニッポンX フワちゃん 2021年3月31日
木曜日 ぺこぱのオールナイトニッポンX ぺこぱ 2021年4月1日
金曜日 〇〇(パーソナリティー名)のオールナイトニッポンX (週替わり) 2021年4月2日
オールナイトニッポン(月曜-土曜 25:00 - 27:00)
月曜日 菅田将暉のオールナイトニッポン 菅田将暉 生放送 2017年4月3日
火曜日 星野源のオールナイトニッポン 星野源 2016年3月28日[注 10]
水曜日 乃木坂46のオールナイトニッポン 乃木坂46(レギュラー:新内眞衣 2019年4月3日
木曜日 ナインティナインのオールナイトニッポン ナインティナイン 2020年5月14日[注 11]
金曜日 霜降り明星のオールナイトニッポン 霜降り明星 2021年4月3日
土曜日 オードリーのオールナイトニッポン オードリー 2009年10月10日
オールナイトニッポン0(ZERO)(月曜-木曜 27:00 - 28:30/金曜・土曜 27:00 - 29:00)
月曜日 ファーストサマーウイカのオールナイトニッポン0(ZERO) ファーストサマーウイカ 生放送 2020年3月30日
火曜日 Creepy Nutsのオールナイトニッポン0(ZERO) Creepy Nuts 2018年4月3日
水曜日 佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO) 佐久間宣行 2019年4月3日
木曜日 マヂカルラブリーのオールナイトニッポン0(ZERO) マヂカルラブリー 2021年4月1日
金曜日 三四郎のオールナイトニッポン0(ZERO) 三四郎 2019年4月5日
最終土曜日以外 ○○(パーソナリティー名)のオールナイトニッポン0(ZERO) (週替わり) 生放送or録音 2018年4月7日
最終土曜日 水溜りボンドのオールナイトニッポン0(ZERO) 水溜りボンド 生放送 2020年4月2日[注 12]
オールナイトニッポンサタデースペシャル(土曜 23:30 - 25:00)
土曜日 SixTONESのオールナイトニッポンサタデースペシャル SixTONES 生放送 2020年4月4日
オールナイトニッポン月イチ(日曜 27:00 - 29:00)
日曜日(毎月1回) 高嶋ひでたけのオールナイトニッポン月イチ 高嶋ひでたけ 生放送 2019年4月14日

記録

(2024年12月現在。アナウンサーは含まない)

出演期間[注 13]
記録 パーソナリティ 開始年月 終了年月 出演期間
最長レギュラーパーソナリティ 岡村隆史 1994年04月 担当中 25年09か月-[注 14]
最短レギュラーパーソナリティ hide 1998年04月 1998年05月 00年01か月[注 15]
昇格関連
記録 パーソナリティ 開始年月 昇格年月 出演期間
番組初昇格 イルカ 1974年07月 1975年01月 00年06か月
-R初昇格 ゆず 1998年04月 1998年10月
-ZERO初昇格 久保ミツロウ&能町みね子 2012年04月 2013年04月 01年00か月
最短期間での昇格 ダディ竹千代 1980年04月 1980年07月 00年03か月
ナインティナイン 1994年04月 1994年07月
最長期間での昇格 三四郎 2015年03月 2019年04月 04年00か月
復帰関連[注 16]
記録 パーソナリティ 終了年月 復帰年月 中断期間
番組初復帰 あのねのね 1973年12月 1974年10月 00年09か月
最短期間での復帰 松村邦洋 1996年06月 1996年10月 00年03か月
村本大輔 2015年03月 2015年07月
最長期間での復帰[注 17] 鴻上尚史 1989年03月 2018年01月 28年09か月

変遷

番組枠の変遷

パーソナリティーの変遷

「オールナイトニッポンのパーソナリティ一覧」「ニッポン放送の夜ワイドの変遷#オールナイトニッポン」などを参照

歴史

月曜日 - 土曜日

番組黎明期

放送開始の背景として、1960年代半ばの不況と、1964年の東京オリンピックによるテレビの躍進により広告収入が激減し、ラジオ業界にとっては新しいリスナーの層と広告主(スポンサー)の開拓を迫られていた(ラジオ離れ#1960年代も参照)事がある。その状況に対し、ニッポン放送は1964年4月より「オーディエンス・セグメンテーション」編成を導入し編成方針を抜本的に見直していたが、その動きが深夜に波及したことにある。

放送が開始された1960年代後半は、いわゆる団塊の世代が大学生生活を送っていた時代であり、『オールナイトニッポン』はそのような大学生、また受験勉強に明け暮れている高校生・中学生にターゲットを絞り、それまでテレビやラジオで流れることはほとんどなかったビートルズレッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスなど海外のロックミュージックからザ・フォーク・クルセダーズなど日本のフォークソングまで、若者世代の最先端を走る音楽をふんだんに流す編成とした。

前身となる番組は、ニッポン放送にて1959年10月10日から放送していた『オールナイトジョッキー』(DJ:糸居五郎)となる。子会社の「株式会社深夜放送」[28] が制作していたこの番組は、糸居が選曲・ターンテーブルの操作といった通常はスタッフが行う作業を一人でこなすというディスクジョッキースタイルであり、それが局の省力化した番組を作れないかという思惑と合致していたことから、番組を発展させる形で『オールナイトニッポン』は放送を開始した。

1965年8月に、文化放送が、土居まさるをDJとして始めた『真夜中のリクエストコーナー』が「深夜放送の原型」としてみていたのが亀淵昭信だったが、亀淵はのちのインタビューで「土居さんは今の放送では当たり前のように使われている擬音語や擬声語をふんだんに、しかも上手に使って、それまでのアナウンサーのテンポとは全く違う、まるで機関銃のような早口で若者たちに語りかけたのです。ラジオ放送という概念を覆したという意味で、新しい時代の到来を予感させました」と述べている[29]

1967年10月2日深夜から放送開始。放送時間は月曜日 - 土曜日25:00 - 29:00(翌日未明1:00 - 5:00)。当初のDJ(「パーソナリティ」と呼ぶようになったのは1969年頃から)はニッポン放送アナウンサーの糸居五郎(月曜日)、斉藤安弘(火曜日)、高岡尞一郎(水曜日)、今仁哲夫(木曜日)、常木建男(金曜日)、高崎一郎(土曜日。アナウンサーではなかったが、プロデューサー兼DJとしてニッポン放送の番組に出演していた)。初回放送のDJは、前身番組『オールナイトジョッキー』のDJだった糸居が務めた。本番組で最初にかかった曲となる、初回の第1曲目はジェファーソン・エアプレインの「あなただけを」だった[30]

当時編成局長だった石田達郎や当時編成部長だった羽佐間重彰は、番組を立ち上げるに当たって、次のような4つの大原則を立てている[31]

  • 外部のタレントではなく、アナウンサーやディレクターといったニッポン放送内部の人間を起用する
  • スポンサーを付けない
    • 提供スポンサーから番組内容に口出しされることを嫌ったため、番組開始後1年間はスポンサーを付けなかった[32]。のちにスポンサーを付ける際にも、「協賛スポンサー」という形で、番組内容にはタッチしないことを条件としており、パーソナリティがスポンサー名を読み上げる際、「以上各社の協賛で」と付け加えるのはこの原則に由来する。この原則は現在も守られているが、とんねるずや『SUPER!!』では「以上各社の提供で」と読み上げていたこともある。
    • これについて、亀淵はのちのインタビューで「番組の自由度を保持するためにはスポンサーに縛られたくはない。とはいっても、無名の番組は安い値段でしか売れない。人気があれば高く売れる。番組を安売りするぐらいだったら無理やりスポンサーを付ける必要はない。良い番組を作って、良い放送をすれば、黙っていてもカロリーの高いスポンサーが付いてくるはずだ。」と述べている[32]
    • 協賛の原則は守っているものの、1988年に始まった『松任谷由実のオールナイトニッポン』以降、土曜のみのスポンサー起用がはじまることになる。1999年の『タイトー サタデースペシャル クールKのウルトラカウントダウン』からは冠スポンサーがつくようになり、2002年の『TOSHIBA Presents @llnightnippon.com LF+R リスナーズBEST!』以降、土曜のオールナイトニッポンは"○○ presents ××のオールナイトニッポン"を正式な番組タイトルとしている。
  • 狭いスタジオを使う、ゲストは呼ばない
    • 狭いスタジオに閉じこめ孤独感を味わわせることで、聴取者と一対一で喋っているような感覚にさせる。同様にゲストを呼ぶことも禁止した。生放送時のスタッフもディレクターのみと最小限の人数であった[注 19]
  • 下ネタはやらない
    • 『オールナイトニッポン』開始前は、深夜帯はお色気番組全盛だった。高崎も懇意にしていた盛田昭夫から「これではソニートランジスタラジオが売りにくい」と苦言を呈されていたという。
    • 40周年となった2007年10月1日、『BEAT CRUSADERS ヒダカトオルのオールナイトニッポン』に特別出演した斉藤安弘は、「ニッポン放送の品位に関わることであって、それで他局に負けてはならないということで、下ネタはやらなかった。そのため、相手を置かずに一人でやった」と語った。その一方、「下ネタはやらない代わりに、自分は26時になると、トイレの話を専門にしていた」とも言った。

この4つの大原則について、亀淵昭信はのちのインタビューで「受験戦争と若者。深夜帯にはチャンスがあると思っていたでしょう。すべては石田イズムでもいうのでしょうか、石田常務と彼の右腕の羽佐間編成局長には、ラジオの将来的ビジョンがありました。それが深夜帯の番組開発に繋がっていくわけです。企画段階で、若者、特に中学生や高校生、浪人生、大学生を対象にすることが明確に打ち出されました。そして、若者は出演者の名前じゃない、DJもパーソナリティの知名度じゃないんだ、何を聞かせてくれるかなんだ、ということを肝に銘じだのです。“それなら、ウチの社員が使える”という感じで基本的な枠組みが決まって行きました。それが石田や羽佐間の掲げた4か条です」と述べている[33]

また、亀淵昭信によれば「孤独な寂しがり屋の若い人々に、若者の広場をつくろう」というのが、オールナイトニッポンの番組開始当初のコンセプトだったという[34]

具体的なコンセプトについて、ニッポン放送新入社員で広報部員だった中川公夫は、「基本は音楽番組の発想、何をしゃべるかについては自分で考える。リスナーからのハガキを使ってもいいし、自分の身辺で起こったことでもいい。困ったら曲をかければいいというイージーな部分をありましたね」と話している。番組としてもこれといったコーナーも設けられず、聴取者からのお便り紹介とパーソナリティ自ら選曲した音楽をひたすら流すというシンプルな番組であった。

そのような初期の番組におけるアイデンティティとして、番組の冒頭の「君が踊り僕が歌うとき、新しい時代の夜が生まれる。太陽の代わりに音楽を、青空の代わりに夢を、フレッシュな夜[35] をリードする オールナイトニッポン」というフレーズがあげられる。このフレーズは1980年代まで笑福亭鶴光が大きくアレンジして使っていたほか、初代DJの斉藤安弘がパーソナリティを務める2003年 - 2009年にかけて放送された『オールナイトニッポンエバーグリーン』、全日空国際線の機内プログラム、SKY AUDIOの『オールナイトニッポンClassics』の中で聞くことができた。 この口上は、当時の番組構成作家、山之井慎によるものである[36]

先述の若者をターゲットとした番組は好評を博す。それを表すエピソードとして、1967年9月に解散コンサートを行ったアマチュアグループ・フォーク・クルセダーズが卒業記念に自主制作したアルバムの楽曲『帰ってきたヨッパライ』を、高崎一郎ラジオ関西の深夜番組で評判になったのを聞きつけ、1967年10月13日に、ラジオ関西の関係者から、この曲の原盤を手に入れて、1967年10月14日、すぐに、オールナイトニッポンでオンエアした所、リスナーからの反響が大きく、一晩のうちに同じ曲を何回かにわたって放送するほどとなり、それを切っ掛けに全国圏のブームとなり2か月で180万枚の売り上げを記録したことが挙げられる[37]。ちなみに、この曲をTBSラジオのパックインミュージックでも放送しようと検討したものの、『パック』の提供スポンサーである日産自動車 [注 20] の存在によって、放送することができなかったという[38]。こういった昼間のラジオ番組では決してかけられないようなマイナーな曲や時に反体制的[注 21]な曲、海外からの新しい音楽を含む深夜番組ならではの選曲が若者を刺激した[注 22]

第1次黄金期(1968年 - 1971年)

「年上のお兄さん」的存在だった気取らないアナウンサーパーソナリティ達の人柄に惹かれて、各パーソナリティ宛には毎週2万枚ものリクエストやお便りが届き、人知れずひっそりと始まった『オールナイトニッポン』は、1年もせず当時の若者層に絶大的な支持を受けるニッポン放送の看板番組に成長、TBS『パックインミュージック』・文化放送『セイ!ヤング』と並んで深夜放送そのものが『深夜の解放区』として一種の社会現象となるに至る。

競合番組が乱立する中、『オールナイトニッポン』は何よりもリスナーとの対話を重視し、サブタイトルに「ビバヤング」(=若者バンザイ!)を採用。前述のオープニングのスタイルもサブタイトルを強調し「“ビバヤング”オールナイトニッポン、この番組は…[39]」となる。また、1968年9月には会報「Viva young」も発行し、発行した5万部は常に完売(ラジオ番組に印刷物というメディアを持ち込んだのも、オールナイトニッポンが最初)。こうして、「ビバヤング」(=若者バンザイ!)は1960年代から1970年代にかけての『オールナイトニッポン』の合言葉となる。

1969年、1月から木曜日担当に高嶋秀武が、10月から土曜日担当に亀渕昭信が参入する。特に、亀渕はアナウンサー出身ではなかったが、月曜未明(日曜深夜)に放送されていた「電話リクエスト」のDJで人気が出て、オールナイトニッポンに起用されることとなった[40]。その亀淵はディレクター出身のパーソナリティとしてマイクの前に座って、それを逆手にスタジオの中を跳んだり走り回ったり、ある日の放送では歌手の沢田研二の自宅から実況中継を行い、トイレに潜入した時に水を流す音まで放送してしまう[注 23]など奇抜かつ斬新なDJスタイルをすることで聴取者から注目が集まり、一気に『オールナイトニッポン』の看板パーソナリティとなると共に、深夜放送に新しい息吹を送り込んだ[注 24]

同年7月には、同じパーソナリティ仲間の斉藤安弘とともに「カメ&アンコー」としてCBS・ソニーレコード(現:ソニー・ミュージックエンタテインメント)からザ・フォーク・クルセダーズが別の名義で使っていたザ・ズートルビーの同名の曲である「水虫の唄」という曲のレコードを出し、20万枚を売り上げるスマッシュヒットとなった。この歌は、ベートーベンや、メンデルスゾーンまで取り込んでしまう自在な遊び心と反骨精神が「帰ってきたヨッパライ」に通じていた。

1970年6月30日深夜(7月1日未明)より、全国ネットを開始。この日の 斉藤安弘のオールナイトニッポン では、「STVラジオ」「静岡放送」「ラジオ大阪」の3局をネット局として、協賛スポンサー各社のクレジット読み上げを聞くことができる。また、この日は全国ネット開始の記念放送として、当時の月曜から土曜までのパーソナリティが勢揃いした(火曜深夜・斉藤安弘の他、月曜・糸居五郎、水曜・高岡尞一郎、木曜・天井邦夫、金曜・今仁哲夫、土曜・亀渕昭信)。

更に、1971年には今仁哲夫と天井邦夫(その後ニッポン放送副社長や顧問を歴任し、2009年12月3日逝去[41])が日本全国を縦断してリスナーと交流するという画期的な企画「ビバくりげ」も行われる。この企画は、もともと学生時代から車好きが高じた天井が、今仁と共に当時発売されたばかりのホンダ1300クーペ9に乗って全国各地でリスナーと握手をするというもので、いわば天井の公私混同である深夜放送ならではの企画だった。斎藤安弘の記憶では、3か月で64万1780人のリスナーが2人と出会ったという。このクーペ9は、ホンダから提供されたもので、あっという間にリスナーからの書き込みによって、真っ黒になっていったとされる。

こうして、最初は関東ローカルであり、協賛スポンサーもニッポン放送サービス(現:ポニーキャニオン)一社だけだった番組も、夜間はラジオの電波が広範囲に届くことから関東のローカル番組であったにもかかわらず日本全国からはがきが届き、それを受けてネット局数が順次増加していき、複数の協賛スポンサーが付くようになった。この時代が『オールナイトニッポン』の第1次黄金期である。これについて、亀淵はのちのインタビューで「実際、開始1年経って番組に力がついてくると、日本を代表するような一流企業が続々協賛スポンサーになってくれました」と述べている[32]

また同年、50歳を迎えた糸居五郎が1月17日13時30分 - 19日15時30分にかけて放送を続けるといった過酷な企画『50時間マラソンDJ』も行われ、無事完走している。

タレントパーソナリティ/2部制導入(1972年 - 1985年)

深夜放送ブームは1970年代に入っても続いていたが、若者層の嗜好の変化や時代の変化(学生運動世代からシラケ世代への移行など)にあわせ、ニッポン放送も新たな放送スタイルを追求し始めることになる。そのため、1972年6月末をもって、亀淵昭信、今仁哲夫、糸居五郎を除くパーソナリティが降板する。

1972年7月からの1年間は亀渕昭信が『ビバカメショー』と称して、毎日25:00 - 27:00を担当した(9月までは月曜日担当の糸居五郎が継続していたため、月曜を除く毎日25:00 - 27:00。10月から月曜を含む毎日25:00 - 27:00となった)。次いで毎日27:00 - 29:00までは最初は今仁哲夫が担当した『ビバテツショー』が、1973年1月からは池田健[要曖昧さ回避]が担当する『ビバケンショー』が放送された。この時に初めて27時で番組を分割する2部制の概念が生まれる。

この時代はオールナイトニッポンにとっての最初の停滞期となっており、亀渕は「僕一人で週6日番組を担当するのはとてもつらかった。番組は“敗戦処理”みたいな感じで始まったと思います。『オールナイトニッポン』だけじゃなくて、深夜放送全体が駄目になってきていたのね。露出過多っていうか、“晴れの舞台”に出てきてしまった。それじゃ深夜放送になってないんだよね。もう一度変えなきゃいけないと、作り手もしゃべり手も思ってはいたんだが、一度出来上がったものはなかなか変えにくい。ネット局も増えて全員がニッポン放送のアナウンサーというわけにもいかなくなって。でも局アナが基本でしたから、じゃあお前がやれって。形を変えるまでの踊り場みたいな感じかな。それまでは音楽担当の糸居さん、今仁さんみたいな面白いことをやる人の中間みたいな放送をやってたんだけど、『ビバカメショー』になってからはもっと音楽に徹しました。サイモン&ガーファンクルの詞を訳して特集したり、ビートルズの海賊版を流したり、僕自身は楽しかった。テーマの『ビタースイートサンバ』も代えたんだよ。デニス・コフィーというモータウンのファンクギタリストがいて、頼んで作ってもらったり(#テーマ曲参照)。残念ながらレーティング(聴取率)はあんまりよくなかった。でもそれで“よし”としました。とにかく次に大きくジャンプするためには一度縮こまって昔のイメージを壊し、まっさらにするのが僕のやること。今度は制作者としてまったく新しい『オールナイトニッポン』を作ろうと思ったんです」と、当時の苦悩を語っている。

一方で1973年にディレクターになった中川も「転機といえば『ビバカメショー』『ビバテツショー』が始まった段階でステーションのアナウンサーがすっかりやめてしまったときでしょうね」と、転機だったことを明かす。さらに「その後にタレントが入るようになるわけで、番組自体が大きくなって、もっとビックな人でも入ってもらえるようなフィールドができたんです」と1973年のタレントパーソナリティ起用の本音を明かす。

こうして、1973年から亀渕昭信は、それまでのパーソナリティから総合プロデューサー兼ディレクターに転身して、オールナイトニッポンの制作に取り組むことになる[42]。そして、1973年7月からはタレントや芸人・歌手が従来通り4時間にわたってパーソナリティを担当するという決定的な転機を迎える。このタレントパーソナリティ第1期の布陣は小林克也(月曜日)、泉谷しげる(火曜日)、あのねのね(水曜日)、覆面パーソナリティであるカルメン(金曜日)、岸部シロー(土曜日)である(木曜日は斉藤安弘が一旦復活した。また、カルメンはオールナイト史上初の女性パーソナリティである)。いわば、第二次『オールナイトニッポン』の始まりでもあり、現在のオールナイトニッポンの原型が完成した。

しかし、岸部シローがわずか3か月で降板したのをはじめ、あのねのねを除く各パーソナリティは翌1974年夏までに全て降板し、その後約3年間はパーソナリティが根付かずに短期間で入れ替わる不安定な時代が続く。その原因として、体力的にも話力的にも4時間のロングラン放送に耐えられないという点があった事から、1974年7月からは27時を境にパーソナリティを入れ換える2部制が本格的に導入される。

2部制の導入でパーソナリティの数が足りなくなったことから、1970年代半ばにはタレントや歌手だけでなく一般オーディションの形(オールナイトニッポン主催・「全国DJコンテスト」)でも無名の新人発掘に力を注いでいる。また、番組をネットしていた地方ローカル局のアナウンサーなどにも一時期番組を持たせたこともあった(『飛び出せ!全国DJ諸君』グランプリの柏村武昭など)。一方、タレントパーソナリティ選考に当たっては基本的に番組スタッフが前もってオーディションをした上で採用の合否を決定していったのだが、あくまでラジオ番組をやっていけるだけの話力や実力があるのなら職種や音楽知識の有無に囚われることなくパーソナリティに採用するようになったため、野坂昭如稲川淳二など本来の『オールナイトニッポン』の流れとは明らかに外れた異色のパーソナリティも登場している。この時点で番組当初のコンセプト(ニッポン放送アナウンサー及び関係者による音楽主体の若者向け4時間枠深夜番組)は失われた[43] が、それでも「若者向け」というコンセプトと、主に歌手が番組を持ったことで「音楽番組」としての体裁はかろうじて保たれた格好となっている。

一方、一旦降板していたDJ・糸居五郎は1975年に金曜2部、さらに水曜を経て1977年10月に古巣である月曜(2部)で復活しており、音楽主体からトーク主体に変わった『オールナイトニッポン』において、唯一開始当初の雰囲気とスピリッツを醸し出していた。糸居五郎の月曜2部は糸居が1981年に定年退職するまで続いた。

迷走状態が続いていた1970年代中盤から1980年にかけて最初に頭角を現したのがあのねのね笑福亭鶴光タモリ所ジョージつボイノリオなどの色物系・コミックソング歌手の担当番組であった。

特に笑福亭鶴光は全て大阪弁で番組を通すという特異性から当初は抗議のはがきが多数寄せられたが、「ミッドナイトストーリー」などのネタコーナー、下ネタを含めた話術の高さもあいまり次第に人気を集め、1970年代末には番組に送られてくるはがきは毎週2万枚、ラジオ聴取占有率80%〜90%という看板パーソナリティに成長、他の曜日が2部制になった後も鶴光担当の土曜日は4時間の放送を継続した(一時期金曜も4時間放送にするが、1年半で元の2部制になる)。当時大人気のあのねのねは番組中、原田伸郎が当時せんだみつおが担当していた『セイ!ヤング』の生放送中に文化放送のスタジオに電話をかけ、清水國明も『セイ!ヤング』の生放送中のスタジオに乗り込み電話を通して「あのねのねのオールナイトニッポン」と番組宣伝、番組ジャックを敢行しファンの人気をさらに広めた。番組後半に一般のファンにスタジオを公開して「七不思議のコーナー」などいろんな企画を進行していく「あのねのね・ハッピースタジオ」も人気を博した。 タモリは鶴光が同じ話題として取り上げる「なんちゃっておじさん論争」や「NHKつぎはぎニュース」などタモリのアングラなキャラクターを発揮した番組内容で話題となる。

さらに当時全盛であったフォークソングニューミュージック系シンガーの番組に火がつき、武田鉄矢南こうせつイルカ山田パンダ加藤和彦・自切俳人〔ジキルハイド〕(北山修)・桑田佳祐長渕剛松山千春吉田拓郎などそうそうたる顔ぶれが入れ替わりながらパーソナリティを務めていった。これに加え、従来からの流れであるくり万太郎上柳昌彦などのLFアナウンサーも番組を支え続けた。そして、中島みゆき1979年- 月曜1部)やビートたけし1981年- 木曜1部)が登場した1980年代初頭には第2期の黄金時代を迎えることになる。

また1977年以降には『HOUSE ハウス』『宇宙戦艦ヤマト』『銀河鉄道999』『1000年女王』などの映画劇場公開にあわせて、ラジオドラマと出演者やスタッフのトークによる4時間のスペシャルが放送された。のちに文化放送が注力するようになる、アニラジのはしりと言える。

現在のオールナイトニッポンの柱となっている「トーク主体」「コーナー主体」「ネタはがき主体」の番組構成は、この時代に確立したシステムであり、ハガキ職人が幅を利かせるようになったのもこの頃である。このようにオールナイトニッポンが番組内容やDJを大きく変えたことで番組全体に見切りをつけた聴取者もかなり多かったが、逆にそれまでとは違う「パーソナリティそのものの魅力」に惹かれた新規のリスナーを大量に獲得することになり、結果として番組名と放送時間帯、テーマソングだけはそのままに、番組を「作る人」も「聴く人」も、番組の「コンセプト」でさえも時代とともに移り変わっていくという流動的なスタイルが形成されていくことになる。

このスタイルゆえに時代の変化に対応できなかった『パックインミュージック』『セイ!ヤング』のオリジナル放送が1980年代初めに打ち切られる中で『オールナイトニッポン』だけが時代の波にうまく乗りながら、深夜放送の代名詞として唯一生き残り続ける。1973年に第1期黄金期の人気パーソナリティから番組製作・編成部門に戻り、裏方として新時代の『オールナイトニッポン』を模索し続けた亀渕昭信の努力が実を結んだ格好となった[42]。その亀淵は、「僕が番組のチーフプロデューサー時代に、タレント起用が始まった。でも、社員アナウンサー時代の成功と失敗があればこそ、さまざまなことを学ぶことができた」と述べている[40]

安定期間から深夜放送長期低落傾向へ(1986年 - 1999年)

1980年代中盤以降、約10年間はライバルであるTBSラジオの深夜番組が定着せず迷走し、また文化放送も『ミスDJリクエストパレード』以降長らく深夜放送に力を入れなかったことから、「若者向け深夜放送=オールナイトニッポン」という図式が一番確立していた時代でもある。

1985年に足掛け12年にわたった鶴光のオールナイトが終了し、その後もABブラザーズや圭修が土曜のお笑い枠を引き継いだが(ABブラザーズ時代の1986年4月より土曜も2部制に移行)、1988年からはニューミュージックの大御所・松任谷由実が土曜1部を担当し1999年までの長期にわたる活躍をすることになる。

1986年10月1日には20年目突入を記念して『ALL DOGETHER NOW(オール・ドゲザー・ナウ)』という特別番組が放送され、中島みゆきとんねるず小泉今日子ビートたけしサンプラザ中野ABブラザーズの当時の1部パーソナリティ6組が一堂に会した(公式には1985年6月15日開催の国立霞ヶ丘陸上競技場での「国際青年年記念 ALL TOGETHER NOW」のスピンオフ企画とされ、DOGETHERは「TOGETHER」と「土下座」の掛け言葉とされる)。

1980年代半ばから1990年代初頭にかけてはバンドブームが沸き起こり、オールナイトのパーソナリティ人選にもその影響が次第に現れてくる。1部ではサンプラザ中野デーモン小暮大槻ケンヂ木根尚登などが、2部では渡瀬マキLINDBERG)・寺田恵子SHOW-YA)・AYAKOPINK SAPPHIRE)・川村かおりTHE東南西北などが活躍し、ブームの一端を担うことになる。続く1990年代前半も電気グルーヴYUKIJUDY AND MARY)、吉井和哉THE YELLOW MONKEY)、大江千里小沢健二スチャダラパーEAST END×YURIなどの有名どころから、コアなファンが多い加藤いづみ石川よしひろまで幅広い層のパーソナリティを輩出した。

お笑い系パーソナリティは1985年に火曜1部でとんねるずが登場、さらに1989年には金曜1部でウッチャンナンチャンが登場する。落語家の弟子であった伊集院光が水曜や金曜の2部で活躍し一気にラジオスターとしての頭角を見せたのもこの頃である。1980年代を駆け抜けたビートたけしは途中代役を立てながら1990年まで番組を継続したが、その後はたけし軍団浅草キッドなども担当。1993年松村邦洋が、そして1994年には、2014年9月までの長期に渡りパーソナリティを務めたナインティナインが登場する(2014年10月2日から2020年5月7日は岡村隆史が単独で担当し、2020年5月14日から第2期として放送開始となった)。

また、この時代には1970年代の迷走期とは違った意味で、別業種パーソナリティを投入した時代でもある。トップアイドルだった小泉今日子が水曜1部に登場したのは1986年。その後も、女性アイドル担当番組は裕木奈江穴井夕子など散発的に見受けられる様になった。他に、劇団『第三舞台』を主宰していた鴻上尚史、雑誌『週刊プレイボーイ』編集者の小峯隆生、漫画家さくらももこなど。極め付きは1992年に開催された『全日本パーソナリティ選手権[注 25]』優勝者で素人であった浪人生松永並子&北原ゆきを水曜2部に起用したことである(前述の穴井夕子は、この2人が受験勉強のために休んだ間の6週間限定での登板であった)。後に芥川賞作家となった辻仁成も、この時代にECHOESのボーカル・「辻 仁成(つじ じんせい)」としてパーソナリティを務めている。福山雅治(1992年1月から1994年6月、同年11月から1998年3月、及び2000年4月から2015年3月まで担当)が、当時若手イケメン俳優・歌手というポジションで認知されていた彼の「素」を本番組で公に広く知らしめた。ただ、この頃になるとオーディションでパーソナリティを発掘し番組で育てていくことよりも、知名度ありきでパーソナリティに採用することが増えてきた。

1991年10月には、25年目突入を記念して、中島みゆき、タモリ、ビートたけし、笑福亭鶴光の各オールナイトニッポンが、一夜限りの復活放送を行った。また、1997年10月から1998年3月まで、番組放送開始30周年を記念して、過去のパーソナリティが担当する『オールナイトニッポンDX』が、19:00 - 21:00に放送されている。

しかし、1990年代中頃になると、テレビの深夜番組の充実化やビデオデッキゲーム機パソコン携帯電話の普及などによって、若年層を中心としたラジオ離れが顕著になり、深夜ラジオ全体の長期低落傾向が目に見えて現れて来る。さらに同じラジオ業界内でも1980年代末以降の民放FM局急増、『スーパーFMマガジン』(TOKYO FM)『FMナイトストリート』(JFN)など、民放FM局が深夜帯にAMラジオ的なネタ・トークを中心に据えた番組を制作する様になったことから聴取者全体のパイが分散し、一部の地方局でのCM収入の減少による制作費減少など、AMラジオの深夜放送に対する逆風は強くなっていった。1992年10月改編では「一新」と言われたほどそれまでにかつてなかったレベルのパーソナリティ入れ替えを行い(現状維持はウッチャンナンチャン松任谷由実のみ、加藤いづみ電気グルーヴ福山雅治が2部から1部に昇格、2部は総入れ替え)、更にこの時に立てられた企画としてリスナー間コミュニケーションの強化を目的とした「オールナイトニッポンクラブ(仮)」の設置、新人パーソナリティ発掘のために半年ごとに開催する「ゴールデンベロー賞」の開催、番組ノベルティ販売や番組会報の発行などがあったが[44]、結局これらのほとんどは頓挫した。そして番組に寄せられるはがきやFAXの数も激減し(1997年当時、ナインティナインのオールナイトニッポン宛てに送られてくるはがき・FAXの数はトータルで週3000枚程度であり、1960 - 1970年代の人気番組の7分の1程度にまで落ち込んでいた)、オールナイトニッポンだけでなく、AMラジオの若者向け深夜放送自体の将来に暗雲が垂れ込めていた。その様な中で、ニッポン放送はパソコンや携帯電話、メールなど新しいツールに目をつけ、それらのIT機器とAMラジオの関係を融合させるべく『オールナイトニッポン』を含めた夜帯の大改編を行うことになる。

1998年春の改編では、2部枠(27:00 - 29:00)がR(リラックスの略)がついた『オールナイトニッポンR』に改称。金曜深夜と土曜深夜を除き28:30終了と30分短縮された。この時期にはインターネット放送でのスタジオ同時生中継が試験的に行われ、この試みは後に「LFX488」に生かされた。

LF+R(1999年 - 2003年)

1999年春の改編では、開始時間帯を大幅に前倒ししたうえで2部制から3部制になり、夜帯を「LF+R(Love & Friends + Radio)」と称した上で、22:00 - 24:00に今までの旧1部に近い形の『allnightnippon SUPER!』を開始、25:00 - 27:00をインターネットと連動させた『@llnightnippon.com』、27:00 - 29:00、ないし27:00 - 28:30を『allnightnippon-r』と改題したが、「LF+R」開始当初から様々な問題が発生した(LF+Rの項を参考のこと)。

2000年に土曜深夜の23:30 - 25:00の90分枠に『福山雅治のallnightnippon saturday special・魂のラジオ』(『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』の後継番組)を立ち上げ、1998年に降板していた福山雅治を再起用した。

2003年春の改編をもって「LF+R」ブランドは終了し、22:00 - 24:00のSUPER枠は『オールナイトニッポンいいネ!』に改題されパーソナリティを一新。com枠である25:00 - 27:00は4年ぶりにタイトルが『オールナイトニッポン』に、『allnightnippon-r』も『オールナイトニッポンR』と1998年から1年間使用していたタイトルに戻った。

LF+R終了後(2003年 - 2012年)

若者層を中心としたラジオ離れやテレビの終夜放送が進むなかで、ラジオ業界はかつて1960年代 - 1970年代にラジオを聴いていた団塊の世代など高年齢者を対象とした番組を多数制作するようになる。オールナイトニッポンもTBSラジオJUNK』との競争が激化し若者層聴取が先細りする中で、2003年秋の改編では深夜放送に参入したNHKの『ラジオ深夜便』の好調に影響を受け、若者向けであった『オールナイトニッポンR』の月曜から木曜を打ち切り、代わって中高年層を強く意識した『オールナイトニッポンエバーグリーン』を放送開始、パーソナリティは初代DJの1人である斉藤安弘を再起用した。番組は6年続き、斉藤が2009年春改編にて定年退職で降板した後も、1970年代後半にオールナイトを担当したくり万太郎を起用し『くり万太郎のオールナイトニッポンR』が放送された。

また、2009年11月30日からは22時〜23時台の夜ワイド枠において『オールナイトニッポンGOLD』を開始。深夜枠に放送される本来のオールナイトニッポンよりはやや上の年齢層をターゲットとしたパーソナリティが起用されている。

2006年7月には『オールナイトニッポン』の一部番組でポッドキャストを開始。詳細は「ニッポン放送 ポッドキャスティングステーション」を参照

2007年10月1日、40周年を記念して週6日放送の生番組では最長であることから、ギネス・ワールド・レコーズに申請した。同日から、『オールナイトニッポンエバーグリーン』は、ニッポン放送では28:30(翌日早朝4:30)で打ち切られるようになった。

一方、2008年1月29日に放送した特別番組『倖田來未のオールナイトニッポン』での倖田の発言が問題となる。番組は事前収録であり、チェック体制が機能しなかったとして、担当プロデューサーの謝罪(『ナインティナインのオールナイトニッポン』・2月8日放送)や制作担当社員のほぼ半数を入れ替える社内処分が行われた。

8年半ぶりの2部制復活(2012年 - 2016年)

2007年からディレクターとしてオールナイトニッポンを支え、2018年4月にオールナイトニッポンのプロデューサーに就いた冨山雄一は、2000年代後半から2010年代の半ばまでの時期は「辛うじて番組を維持できていた」と述べるように、この時期のオールナイトニッポンは低迷期に入っていた[45]。この時期はエンターテインメントの多様化に加え、若い人たちがラジオを聴かなくなったということが背景にある[45]。さらに、オールナイトニッポン自体、2010年代の半ばには曜日によっては提供スポンサーが無かったりするなど、まさにつらい時期でもあった[45]

そうした中で、2012年4月より携帯端末向けマルチメディア放送として新たにスタートするNOTTVのサービスの目玉の一つとして『オールナイトニッポン0(ZERO)』(月-金曜 27:00 - 29:00)の開始、並びにNOTTVによるサイマル放送が開始された[46]。この『オールナイトニッポン0(ZERO)』は2003年秋に『オールナイトニッポンR』の月曜 - 木曜が終了して以来8年半ぶりの第2部の位置づけ的な番組の復活となった。この枠のパーソナリティオーディションが2012年1月よりYouTubeを活用した一般公募の形式でプロ・アマ問わず実施され、その結果、1609組の応募が集まり、オールナイトニッポンのスタッフによる動画審査の後、それを通過した方による2次審査のオールナイトニッポンのスタッフによる面接を行った結果、2012年3月21日に5組のパーソナリティが発表・選出された[47]。特に、19年ぶりに一般人パーソナリティとして選ばれた本村康祐と西岡隼基が2012年4月から2013年3月の1年間にわたり起用された。

この番組の企画立案者で『オールナイトニッポン0(ZERO)』初代チーフディレクターも務めた松岡敦司は「そもそもオールナイトニッポンという番組は、新しい才能をリスナーに紹介する場だったからです。「新しい才能を発掘していくのがオールナイトニッポンだ」という想いが私自身の中にあったのです」と語っていて[48]、1990年代から2000年代にかけて見られた知名度ありきのパーソナリティを起用するという方針から、かつて、1970年代半ばに見られた新人パーソナリティの発掘・育成を図るという方針に転換している事を窺わせている。また、YouTubeを利用した投稿を用いたことについて松岡は「とにかく面白いことができる人であれば何人でもかまわない。とにかく気軽に応募して欲しいということ。これだけインターネットが普及している時代なのでやはり、動画投稿サイトを使うのが良いだろうという結論に達しました」とも語っている[48]

2018年4月にオールナイトニッポンのプロデューサーに就いた冨山雄一は、第1部の起用について、「完成されているというか、良い状態にある旬の人を起用するという考え方」と述べている[45]。対して、第2部は「伸びしろに期待できる若手を積極的に起用」するというようにパーソナリティの起用に幅を持たせているという[45]

特に、2014年4月から2015年3月に放送された『ウーマンラッシュアワーのオールナイトニッポン0(ZERO)』の場合、27時から29時の放送時間帯にもかかわらず、有楽町にあるニッポン放送本社の出入り口には多くの女性ファンが出待ちする中で、NOTTVにチャンネルを合わせて、この番組を見ていたという[49]

2013年2月22日 22:00 - 2月24日 22:00は『たけし みゆき 千春も登場! 伝説のパーソナリティが今を語る オールナイトニッポン45時間スペシャル』を放送。同番組は24日 9:00 - 12:00「東京マラソン2013」の生中継などを挟みながら45時間の長時間生放送(一部録音)となった。

2013年4月の改編期には、NOTTVが2012年から始まった『オールナイトニッポン0(ZERO)』の映像配信に続いて、火曜日(久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン)と水曜日(ダイノジ 大谷ノブ彦のオールナイトニッポン)のオールナイトニッポン1部でも映像付きの同時生放送が1年間にわたって行われた[50]。また、2014年4月の改編期には、金曜日から水曜日に枠が移動となった「AKB48のオールナイトニッポン」をNOTTVで映像付きの同時生放送を行った[51]

2013年9月16日より21日までの6日間は、「『オールナイトニッポン』×YouTube エンタメウィーク[52][53] 連動企画」と題して、史上初めて月曜から土曜日まで旧1部、2部の枠全て(土曜2部を除く)が動画配信された[53][54]

2015年2月2日からニッポン放送と吉本興業が共同で企画制作するインターネット配信番組『オールナイトニッポンw』(月-金曜19時から10分から15分程度の動画を配信)がYouTubeを用いて配信[55]

2015年10月改編から、これまでの『オールナイトニッポンGOLD』の月曜から木曜の放送枠を引き継ぎ『オールナイトニッポン MUSIC10』の放送が始まった[45]。この番組について、冨山は「『ラジオ深夜便』への導入番組と位置付けていて、40代以上の幅広い人が寝る前に聴きやすい番組を目指している」と述べている[45]

2016年6月末をもって、『オールナイトニッポン0(ZERO)』を同時放送していたNOTTVの放送が終了になったことに伴い[56]、この『オールナイトニッポン0(ZERO)』の動画配信は2016年3月28日の放送分からLINE LIVEに受け継がれた[57]。『AKB48のオールナイトニッポン』は、『オールナイトニッポン0(ZERO)』のLINE LIVE移行後も引き続き放送が続けられたが、NOTTV閉局当日の同年6月30日(6月29日深夜)をもって同時放送を終了し、その後の空白期間を経て、同年8月11日(10日深夜。当日は欅坂46がパーソナリティ。)からSHOWROOMでの映像配信に移行した[58][59]

放送開始50周年(2016年 - 2018年)

2017年10月にオールナイトニッポンが放送開始50年を迎えることを記念した企画の一環として、「オールナイトニッポン50周年記念ロゴ・制作プロジェクト」が発足し、2016年11月10日から2016年12月15日23時59分までの期間を設け、2017年10月2日にオールナイトニッポンが放送開始して50周年を記念するロゴをプロ・アマ問わず一般公募という形でニッポン放送主催によって行い[60]、その結果、応募総数が1081案となり、2017年2月4日に、最終選考結果を『ニッポン放送 オールナイトニッポン50周年 ALL LIVE NIPPON VOL.5』のステージにて発表すると同時に、オールナイトニッポンの放送開始50周年記念ロゴが正式に決定した[61][62]。応募総数が1081案の中から、オールナイトニッポン50周年記念ロゴに選ばれたのは大分県に住むグラフィックデザイナーがデザインしたロゴで、「ヘッドフォンをつけて、ニヤニヤしながらこっそり聴いているリスナー」だと自らデザインした記念ロゴのイメージについて説明した[62]。また、別のインタビューでは「自分がラジオを聴いていた思いを形にできないかって思って、リスナーさんが夜な夜なイヤホンを付けて、こっそり笑って聴いているっていう」イメージで制作したと説明した上で、「1人でニヤニヤ笑いながら、でも時間だけは共有できている。いろいろなパーソナリティのファンの方がいると思いますが、その中で、みんなで時間共有してるというのは、1つの繋がり、絆みたいなものですよね。そういうものを表現しました」というふうにこのロゴを制作した意図について説明している[63]

2017年1月14日からはオールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』の復活版『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン.TV@J:COM』というJ:COM制作のテレビの「地元密着オトナトークバラエティ」番組として放送[64]

また、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、2012年以来、5年ぶりに「新たなラジオパーソナリティ発掘」を目的にした、「オールナイトニッポン50周年・パーソナリティオーディション」をプロ・アマ問わず、行われた[65][66]。応募方法は「LINE LIVE」を用いて、自己PR動画を作り、その上で、ニッポン放送のホームページの中にある応募フォームには、動画のURLと必要事項などを書き、エントリーを完了させるという方法を取る[65][66]。2017年1月11日から2月5日23時59分の期間で応募を受け付け[65][66]、2月中旬に、映像をどのぐらい視聴したのかというその数に加え、LINE LIVEの機能の一つである評価した数を考慮したうえで、1次選考を行い、その結果を応募者に連絡し、2月下旬にオールナイトニッポン番組スタッフによる面接を行い[65]、3月22日にこのオーディションに応募した693組の中から新パーソナリティとしてお笑いコンビのランパンプスが選ばれた[67]。また、惜しくも合格できなかった応募した方の中から相席スタートランジャタイ・EMILY(HONEBONE)・高須克弥の4組が2017年9月までに『オールナイトニッポンR』のパーソナリティに起用された[68][69]

また、2017年3月22日には50周年記念キャッチコピーとして「Live & Fun」を制定した[70]。これは、「Live」=「現在進行形で歴史を作り続けている、生の情報を常に発信している」、「Fun」=「オールナイトニッポンの原点、深夜の解放区、常に若者との絆を大切にするスピリッツ」という意味を込めた[70]。前述のオールナイトニッポン50周年ロゴに「Live & Fun」というキャッチコピーを加えたロゴデザインを同じくオールナイトニッポン50周年ロゴを制作した大分県に住むグラフィックデザイナーが手掛けた[70]

2017年4月28日に、第54回ギャラクシー賞放送批評懇談会主催)の入賞作品が発表され、50年の歴史を刻んて来たオールナイトニッポンのパーソナリティとしては初めてとなる「DJパーソナリティ賞」を星野源が受賞した[71]

2017年6月3日・6月4日には『ALL NIGHT NIPPON 50th Anniversary ブリトニー・スピアーズ -JAPAN TOUR 2017-』と題して、2002年以来の来日となるブリトニー・スピアーズの東京公演を「オールナイトニッポン」という冠を付け、オールナイトニッポン放送開始50周年記念公演として行った[72]

2017年6月からは『コラボレートニッポン』と題して、オールナイトニッポンでのレギュラーの有無を問わず、毎月一組のパーソナリティが1つの企業と組んでコラボレーションをする3分間のコーナーを開始。このコーナーは土曜日を除く平日の2時台に行われる。

2017年7月15日には『ありがとう!オールナイトニッポン50周年』と題して、5時から13時までのレギュラー番組において、「オールナイトニッポンにまつわる曲」を放送し、13時から17時まではパーソナリティに荘口彰久を迎え、「ありがとう!オールナイトニッポン50周年クロニクル」として放送[73]

2017年7月31日からオールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、ニッポン放送が運営しているWebメディア「allnightnippon.com」の新しいサービスとして『オールナイトニッポンi』の運営を始めた[74][75]

2017年8月7日-8月12日にはオールナイトニッポン50周年企画として、「Welcome Ariana!“One Love Manchester” with ALL NIGHT NIPPON」と題して、2017年5月22日にイギリスマンチェスターのライブ会場で行われたアリアナ・グランデの公演でテロが発生したことを受けて行われているチャリティキャンペーン「One Love Manchester」に、放送開始から50年間にわたり、『音楽』と『若者』を大切にしてきた、オールナイトニッポンが、このキャンペーンに賛同した上で、月曜日から金曜日の『オールナイトニッポン』『オールナイトニッポン0(ZERO)』、土曜日の『オールナイトニッポンサタデースペシャル 大倉くんと高橋くん』『オードリーのオールナイトニッポン』において、メッセージを受け付け、その寄せられたメッセージを紹介[76][77][78]

また、東京ガールズコレクションと放送開始50周年を迎えるオールナイトニッポンとのコラボレーションが実現し、2017年9月2日に開催の第25回東京ガールズコレクション2017AUTUMN/WINTERの中でオールナイトニッポンについてプロモーションを行った[79]

また、オールナイトニッポン50周年企画としてYahoo! JAPANの協力により「MY HOMETOWN」をテーマにしたリスナー参加のスマホムービーコンテストを春夏秋冬の4期(2017年10月から2018年9月まで)にわたって行うことになった[80]

2017年10月から2018年3月のいわゆるナイターオフ期には、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、過去に起用されたオールナイトニッポン歴代パーソナリティを起用した『オールナイトニッポンPremium』を放送[81]

2017年11月12日は、当番組のベースにしたテレビでの特別番組『<BSフジサンデープレミアム>『熱響の時 オールナイトニッポン50年の系譜』』(21:00 - 22:55。BSフジ)を放送。過去にパーソナリティを務めた上柳昌彦[82]久保ミツロウ能町みね子[83]、2017年現在現役の新内眞衣乃木坂46)が出演した[注 26]

オールナイトニッポンが放送開始50周年を迎えるにあたって、2017年1月から2018年10月までの期間中、「50の企画」を行っている[84][85]。オールナイトニッポンの50周年記念企画は番組初期のパーソナリティが社員アナウンサー・ディレクターがかかわっていたことから、ニッポン放送のすべての社員から募集をかけ、150の企画案の中から「50の企画」が選ばれた[84][85]

すでに、「星野源制作による50周年記念ジングル(後述)」「ALL LIVE NIPPON Vol.5」「リスナーの一般公募による50周年記念ロゴ制定」「50周年パーソナリティオーディション」「ブリトニー・スピアーズ JAPAN TOUR 2017」「開局記念日特番「ありがとう!オールナイトニッポン50周年クロニクル」」「Welcome Ariana! One Love Manchester with ANN」「東京ガールズコレクションにオールナイトニッポンのパーソナリティが出演」といった8つの企画を行っている[84]

その50周年記念企画の一つとして、スマートフォンで録音した30秒程度の「私とオールナイトニッポン」をテーマにした音声メッセージをメールで募り、その音声メッセージをCreepy Nuts作曲のBGMに乗せてスペシャルジングルとして放送する「〜あなたの声がオールナイトニッポンで流れる!〜「私とオールナイトニッポン」リスナージングル」を実施[84][86]

また、2017年11月27日から2018年2月25日の3か月間で、リスナーの中からオールナイトニッポンを担当する放送作家を発掘する「50年に一度の天才を探せ!オールナイトニッポン放送作家オーディション」を行う[84]。選考方法は、それぞれの番組の対象となっているコーナーで期間中に採用されたネタの数を集計して、毎週ランキングの発表を行い、最終的に、ランキングが上位に入った方とオールナイトニッポンの番組ディレクター面接を行い、何人かを絞り込んで、2018年4月からオールナイトニッポンの番組スタッフとして採用することになっている[87]

また、2017年に続いて次の時代を築くパーソナリティを一般公募して2018年4月からの『オールナイトニッポン0(ZERO)』のレギュラーパーソナリティに起用することになっている「〜次の50年を担うパーソナリティは誰だ?〜オールナイトニッポン “next50 オーディション”」が行われた[84]。応募方法は「LINE LIVE」を用いて、「自分の残念な話」をテーマにした自己PR動画を作り、その上で、ニッポン放送のホームページの中にある応募フォームには、動画のURLと必要事項などを書き、エントリーを完了させるという方法を取る[88][89][90]。期間は2018年1月26日正午から、2018年2月11日23時59分までで、2月中旬に、1次審査を通過した方への連絡をニッポン放送から行い、2月下旬に、2次選考として、面接を行って[88][89][90]、3月23日に合格者が四千頭身と、根本宗子と女優の長井短の2組が正式に発表され、2018年4月からの『オールナイトニッポン0(ZERO)』のレギュラーパーソナリティに起用された[91]。また、ターリーターキー相席スタートが2018年4月からの『オールナイトニッポン0(ZERO)』の土曜週替わり枠で起用された[91]

また、「オールナイトニッポン」をモチーフに家族を題材にした「鴻上尚史書き下ろしミニドラマ「オールナイトニッポン劇場」」という60秒ラジオドラマを2018年4月2日から12週にわたって放送[84][92]。これは、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、鴻上尚史が「60秒の連続ミニドラマ」を執筆したもので、放送形式は全6話で、1話ごとに20回放送されることになっている[92]

そのほか、すでに明らかになっているものとして、

  • オールナイトニッポンなどの番組の裏話やオフショットをつづる「オールナイトニッポン オフィシャルTwitter&Instagramアカウント開設」[84]
  • 50年の歴史を「知られざるエピソード」でつづる「オールナイトニッポン サイドストーリー」[84]
  • オールナイトニッポンのレギュラーパーソナリティが月替わりで登場して、応募した日本全国の学校の中から、毎月抽選で10校限定で、その学校のみ流れる番組を制作し校内放送で流す「オールナイトニッポン in 校内放送」[84][93][94][95][96][97][98]
  • 50年間にわたり放送してきたジングルを放送する「もう一度聴きたい! オールナイトニッポン ジングルライブラリー」[84]
  • 岡村隆史がプロデュースするライブイベント「岡村隆史のオールナイトニッポン歌謡祭 in 横浜アリーナ2017」[84]
  • 森山良子と行く自身の「ライブ&ディナー」を含めた台湾ツアーを行う「森山良子 音楽的晩餐会 オトナ旅 in 台湾 3泊4日の旅」[84]
  • オールナイトニッポンのパーソナリティが集う初の2日間のライブイベント「ALL LIVE NIPPON Vol.6」[84]
  • オールナイトニッポンとセイコーのコラボレーションが実現した限定500個の「大人の腕時計」「オールナイトニッポン50周年記念限定モデル クロノグラフ腕時計」[84]

といった企画が用意されている。

2018年2月26日から3月2日の期間中、21時から21時50分の放送枠(関東ローカル、全国ではradikoプレミアムで聴取可能)で、笑福亭鶴光をパーソナリティに迎えて、「オールナイトニッポン50周年スペシャル〜今だから言えるアノ話」と題して、50年の歴史を誇るオールナイトニッポンが巻き起こした社会現象に加えて、当時の担当ディレクターが書いた「始末書」に至るまで、当時のパーソナリティと当時のスタッフの証言から紐解いていくものである[99]

2018年2月19日から25日の1週間、首都圏のJRと東京メトロの駅で、オールナイトニッポン50周年の記念広告のポスターが貼られることになった[100]。また、これは『#radikoでオールナイトニッポン』キャンペーンの一環として、このポスターを撮影して、ツイッターやインスタグラムで「#radikoでオールナイトニッポン」というハッシュタグを付けて投稿するか、あるいは、SNSの中で、この写真を見つけて、リツイートあるいはリポストすることによって、抽選でオールナイトニッポンとタワーレコードがコラボレーションしたクリアファイルと、radikoオリジナルのブルートゥースイヤフォンをセットにして、50人にプレゼントする企画がある[100]

2018年3月4日に、日本武道館で「オールナイトニッポン50周年記念 あの素晴しい歌声をもう一度コンサート」がおこなわれた[101]

2018年3月28日12時から2018年4月4日24時にかけて、放送開始50周年を迎えたオールナイトニッポンとメジャーリーグ通算50勝を達成した田中将大がコラボレーションした50着限定のスタジアムジャンパーが制作・販売されることになった[102]。田中将大は年末年始に「田中将大のオールナイトニッポンNY」のパーソナリティを担当していて、その関わりが深いことからこの企画が実現[102]。田中は「ニッポン放送では毎年、「田中将大のオールナイトニッポンNY」を放送させてもらっています。自分にとっては正月の風物詩のような存在になっていて、楽しみの1つにもなっています。今回、オールナイトニッポン50周年という事で、昨年達成した自分のメジャー50勝とかけて、コラボレーショングッズとしてスタジアムジャンパーを作らせて頂きました。このジャケットは野口強さんとHUMAN MADE®のNIGO®さんが手がけて下さったのですが、とてもカッコよい仕上がりとなっています。ボタンはHUMAN MADE®製で、リバーシブルにもなっており、シリアルナンバーは刺繍されていて、細部にもこだわっています。自分も普段から着こなしたいと思っています。是非このジャケットを着て、スタジアムに遊びに来てください!」と述べている[102]

2018年4月19日(18日深夜)1時から『菅田将暉のオールナイトニッポン』の中で、オールナイトニッポン50周年スペシャルラジオドラマとして2013年4月から2016年3月までレギュラーとして放送された『アルコ&ピースのオールナイトニッポン』のリスナーを主人公にした小説『明るい夜に出かけて』を、菅田将暉上白石萌音山下健二郎花江夏樹の主要キャストの出演で放送[103][104]

2018年4月24日に、ニッポン放送が「オールナイトニッポン50周年企画」の一環として、福岡県鞍手町に新しく設けられる「くらてブロックチェーンビレッジ」の取り組みに協力することを発表した[105]

2018年5月19日に行われた一般社団法人「放送人の会」主催の「放送人グランプリ2018」の授賞式において、「オールナイトニッポン50周年」が準グランプリを獲得した[106]

2018年8月27日から9月1日にかけて、オールナイトニッポン放送開始50周年を記念して、『オールナイトニッポン お笑いラジオスターウィーク』として、『オールナイトニッポン』と『オールナイトニッポン0(ZERO)』のパーソナリティを12組のお笑い芸人が担当した[107]

2018年10月1日から昨年のナイターオフに続いて『オールナイトニッポンPremium』を放送することになり、放送時間も月曜から金曜の18:00-20:30となり、2017年度と比べると、40分にわたって放送時間が拡大されることになった[108]。特に金曜日は、オールナイトニッポン50周年の歴史でジャニーズのユニットとしては初めてのパーソナリティとしてKis-My-Ft2を起用した[109]

2018年9月28日13:00 - 17:20[注 27] には50周年企画の締めくくりとして『ありがとう50周年!垣花正と新内眞衣のオールナイトニッポンミュージックリクエスト[注 28]』と題し、「『音楽』で『オールナイトニッポン』の50周年」を振り返るもので、「もう一度聴きたい!あの名場面」と「ミュージックリクエスト」、それに、歴代のパーソナリティに話を伺う「あなたとオールナイトニッポン」で番組は構成された[110]。ゲストとして松村邦洋(13時台)、三四郎(14時台)、高嶋秀武(15時台)が出演した。

2018年10月2日には、東京・千代田区の『帝国ホテル』にてオールナイトニッポン50周年の記念企画を支えた関係者が集まってオールナイトニッポン50周年感謝パーティー『オール感謝ニッポン』が行われた[111]。このパーティーにはおよそ500人に及ぶオールナイトニッポンの歴代のパーソナリティと関係者が出席した[112]。この中で、1974年から1985年までオールナイトニッポンを支えた笑福亭鶴光は「28歳から40歳まで人間として大事なときにANNに毒されまして、エロまっしぐら!」とスピーチを行った[113]。また、1988年から1999年までの11年間とオールナイトニッポンの中でも女性パーソナリティの最長出演記録を持つ、松任谷由実は「ANNで人間性を磨かせてもらいました。これからも楽しく続けさせていただきたいです」と決意を新たにした[113]ビートたけしのオールナイトニッポンを手掛けた高田文夫は「『セイ!ヤング』50年、『パックインミュージック』50年、本当におめでとう!」と深夜放送の黄金時代を支えたオールナイトニッポンと人気を分け合った他局の番組タイトルを引き合いにスピーチを行った[113]。また、オールナイトニッポン初期のパーソナリティ「カメ&アンコー」や、長渕剛のオールナイトニッポンに関わった秋元康もスピーチを行い、さらに、オードリー三代目 J SOUL BROTHERS山下健二郎もこのパーティーに駆け付けた[113]。パーティーの最後にはわたなべちひろジョン・レノンの「imagine」を弾き語りして、オールナイトニッポンの次の50年に向け、新たなスタートを切った[111]

平成の時代から令和の時代へ(2018年 - )

2018年4月からオールナイトニッポンのチーフディレクターに石井玄が就いた[114]。その時期に立てた目標が「ANNの裏番組のTBSラジオJUNK』に聴取率で勝つこと」だという[114]。石井は「ラジオを聴いてない人を取り込むのはもちろん、俳優、アーティスト、アイドル、お笑い芸人とパーソナリティの幅が広い“ANNの強み”を生かそうと考えました。」と述べている[114]

2018年10月7日(6日深夜)から2021年3月7日(6日深夜)まで、毎月第1土曜日に『AKIのオールナイトニッポン0(ZERO)〜eスポーツSP〜』と題して、オールナイトニッポンの中で初めてeスポーツを取り扱う番組を放送した[115]

2019年2月1日に、『オールナイトニッポン』のリスナーでもあるイラストレーターの中村佑介が、『オールナイトニッポン』(火曜から日曜の1時から3時(月曜から土曜の深夜))のパーソナリティのオリジナルイラストを手掛けたことが明らかにされ、そのイラストがニッポン放送のタイムテーブル2019年2月号に掲載され、同時に、2月1日から2月28日までオリジナルイラストを描いたポスターがニッポン放送本社1階にて展示[116][117][118][119]

2019年5月1日、『星野源のオールナイトニッポン』が、平成に替わる新しい元号「令和」の下で最初のオールナイトニッポンとなった。

2019年10月5日から2020年3月21日まで、土曜日の19時から21時までの放送枠に『オールナイトニッポンPremium』が編成され、パーソナリティには2018年度の金曜日のパーソナリティを務めたKis-My-Ft2がリスナーの復活要望に応えて、再び起用された[120]

2019年10月14日から10月19日の1週間にわたって、ニッポン放送開局65周年を記念して「音楽を大切にする1週間」として『オールナイトニッポン ミュージックウィーク』を展開[121]

2019年10月14日

2019年10月15日

2019年10月16日

2019年10月17日

2019年10月18日

2019年10月19日

2019年10月24日から2021年3月21日まで、オールナイトニッポンとSCRAPとの共同制作によるリアル脱出ゲームオールナイトニッポン 最大の危機からの脱出』というイベントが行われた[122][123]

また、2018年4月にオールナイトニッポンのプロデューサーに就いた冨山雄一は「僕が『オールナイトニッポン』のプロデューサーに就任してからは、『オールナイトニッポン』はすでに、聴取率とともにradikoの数値を判断基準にしています。radikoには「ライブ(生放送)」と「タイムフリー(聴き逃し)」、その合計である「トータル」という3つの数値があり、それを番組作りの上での評価軸にしています。」と述べている[124]。また、石井は「パーソナリティのみなさんも交流に積極的で、これをきっかけにほかのANNも聞いてくれる人も増えてきました。今まではANNからANN0という縦のつながりだけでしたが、今はradikoのタイムフリー機能で1週間以内ならいつでも聴けるので、横のつながりが効果的になっています。生放送は“ながら聴き”をしたり、消し忘れで数字としてカウントされている人もいると思いますが、タイムフリーは『その番組を聴こう』という人の数字なので、評価基準にしやすいです。(オードリーの)若林さんが結婚を発表した回や、井口さんがゲストのaikoさんと『カブトムシ』を熱唱した回などは、特にタイムフリー再生が多かったですね」と述べている[114]。また、冨山は「実はradikoだけの数値でいうと、この1年前くらい前から非常に伸びています。『オールナイトニッポン』と『オールナイトニッポン0(ZERO)』の数字は、ここ数年で、タイムフリー数字が生放送の数倍も聴かれていることもあり、トータル数字が非常に底上げされています。」と述べている[124]

この時期はパーソナリティが相互に番組に出演し、パーソナリティが『オールナイトニッポン』『オールナイトニッポン0(ZERO)』にゲストに出演したりした[114]。また、2020年の日本アカデミー賞において、岡村隆史が優秀助演男優賞を受賞し、「話題賞」も狙って、星野源菅田将暉をライバルとしてけん制していた[114]

そして、その間の取り組みが功を奏し、2020年2月のビデオリサーチが行っている「首都圏ラジオ聴取率調査」で『オールナイトニッポン』『オールナイトニッポン0(ZERO)』において、月曜から土曜平均で同じ時間帯で単独首位に立った[114]。この同じ時間帯の単独首位は、2019年12月に行われた「首都圏ラジオ聴取率調査」に続いて2期連続となった[124]。この番組作りの取り組みと聴取率の分析について石井は「JUNKは昔からANNをはじめとする裏番組をしっかり研究していて、『このゲストのときに盛り上がっていた』とか分析をしていた。一方のニッポン放送は、JUNKに聴取率で負けていたのに対策を十分にやっていなかったんです。なので、僕が最初にチーフDになったときに『裏番組をちゃんと気にしましょう。JUNKはいい番組で、どんな企画をやっているのか調べて聴くのも勉強になるし、それを踏まえての戦い方もあるはずです』と話しました。同世代のDが作っているので、ちゃんと聴いていいところは参考にしようと。ANNがナンバーワンという奢りを捨てることから始めました」と述べている[114]。また、石井は「各番組のリスナーはそれぞれのファンが中心ですが、横や縦のつながりで他の番組も聴いてもらえるように意識的に仕掛けて、それが聴取率やradikoの再生数の向上という結果につながっています」とも述べている[114]。また、オールナイトニッポンのリスナーを増やしていったことに伴い、この時期のオールナイトニッポンの提供スポンサーが30社以上になり、21世紀になって提供スポンサーが一番多い状態になった[45]

また、2020年で、radikoがサービスを始めて10年となったので、石井は「極端に言うと、僕がやってる番組はradikoで聴く人をターゲットにしていますし、ANNでは従来の聴取率ではなくradikoの数字が完全な判断基準になっています。ラジオ局全体としては従来のラジオで聴いてくださる方も対象にして番組作りをしますが、ANNとしてはそこを考えなくていい」と述べている[114]。また、冨山は「radikoの登場で、今までのアナログラジオの要素に加えて、デジタルコンテンツの文脈で制作をしています。だからSNSも活用するし、タイムフリーでいつ聴かれてもいいという考え方で。」とした上で「若い人たちとラジオの接点が見つからないという問題点があるなかで、スマホの中にradikoアプリが入ると1人1台、ラジオが入っているのと一緒になるというのはラジオ業界にとって21世紀で最も大きな出来事だと思います。このデジタルと融合することで一番良いのは、ラジオを知らない人との新しい接点と拡散だと思います。」とも述べている[124]

さらに、石井は「ラジオ業界が厳しいことは間違いないので、若いDや放送作家がラジオで生活できるために、コンテンツを制作する人に正しくお金が入る仕組みを作りたいです。ANNは初めてラジオに触れる人の入り口であることが多いので、その突破口になればいいなと。 ANNは“肩書きにとらわれず時代の顔である人が面白いことを話す”というコンセプトは守りながら、いろいろ挑戦していきたい。」と気合を見せた[125]

2020年4月23日に生放送された『ナインティナイン岡村隆史のオールナイトニッポン』で、パーソナリティの岡村隆史が番組の中で女性軽蔑の不適切発言をしたとしてネット上で問題視された。これを受けて、ニッポン放送では、2020年4月27日に、この不適切発言をめぐり、「現在のコロナ禍に対する認識の不足による発言、また、女性の尊厳と職業への配慮に欠ける発言がございました。放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます。」というお詫びコメントを報道機関にリリースした[126]。オールナイトニッポンにおける不適切発言の問題が起きたのは、2008年1月29日に放送された単発特番「倖田來未のオールナイトニッポン」(この時は録音放送だったが、ニッポン放送側が倖田が行った問題の発言を見落とし、そのまま放送に至った為、ネット上で炎上が発生したもの。)以来、およそ12年3か月ぶりとなった。その後、2020年4月30日に岡村がリスナーや関係各位に対し、お詫びしたが、その際、矢部浩之が生出演して、岡村に対し「公開説教」を行った。翌週の5月7日にも、矢部が岡村に対して再び「公開説教」を行った。そして、その翌週の5月14日をもって、およそ5年半ぶりに矢部が本格的にパーソナリティとして復帰し、旧題の『ナインティナインのオールナイトニッポン』に戻してコンビとしての放送が再開された。その後、2020年7月8日に行われたニッポン放送の定例会見で社長の檜原麻希が「女性の尊厳と配慮に欠ける発言だった。今回の発言についておわび申し上げたい」をしたうえで、番組の制作に関わっているニッポン放送の社員や系列の制作会社であるミックスゾーンに所属するディレクターに、この度の「一連の経緯や問題点」をまとめて、それを資料として作り、注意喚起を行ったことを記者会見の場で明らかにした[127]。その上で、「われわれスタッフも本人も真摯にすべてのご批判を受け止めている。リスナーの皆さんからは温かいリアクションをいただき、感謝の気持ちでいっぱいです」と感謝の意を述べた[127]。さらに、生放送の形式に戻すかどうかについて「岡村さんもいい大人ですから、本人もよくよく理解して対応されている。」とした上で[128]、「今、どうしても大河ドラマ(の『麒麟が来る』)とか(岡村の)いろいろなスケジュールや矢部さんも加わったということで、収録にさせていただいていますけど、早期に時間があれば生放送に戻す」としている[2]。その後、2021年4月2日(1日深夜)の放送で生放送の形式に戻った[129]

2020年9月21日-9月26日の1週間に亘って、2018年以来、2年ぶりにお笑い芸人がパーソナリティを務める『オールナイトニッポン お笑いラジオスターウィーク』が行われた[130]

2020年9月21日

2020年9月22日

2020年9月23日

2020年9月24日

2020年9月25日

2020年9月26日

2020年10月3日から2021年3月27日まで『オールナイトニッポンPremium』が土曜日の19時から21時の放送枠で編成されることとなり、パーソナリティには2018年度・2019年度に続いて、Kis-My-Ft2がパーソナリティを務めた[131]。ただし、ニッポン放送では、2020年10月・11月に「ニッポン放送ショウアップナイター」を編成したため、当初は、ストリーミングサービス「SHOWROOM」において、音声という形で配信を行っていた[131][132]

2021年1月から3月にかけて、日曜未明に放送されている『オールナイトニッポン0(ZERO)』の土曜版の中で、月1回、『LIVE in smash.』という番組として、『オールナイトニッポン0(ZERO)』の土曜版とSHOWROOMが開発した「スマホに特化した短尺のバーティカルシアターアプリ」である『smash.』とが手を組み、現在のコロナ禍の中で、観客を入れてのライブの制限がある中で、音声と「スマホで楽しめる動画」アプリである『smash.』の特徴をそれぞれ活かして、複数人がパーソナリティを務め、トークに加えて、ライブも展開していく番組を放送した[133]

2021年1月30日

2021年2月27日

2021年3月27日

2021年4月改編(2021年3月30日(29日深夜))をもって、『オールナイトニッポン』と『オールナイトニッポン0(ZERO』に続く、第3のオールナイトニッポンとして、2021年3月26日(25日深夜)をもって終了する『ミューコミプラス』と、2021年3月27日をもって、放送枠が移動する『三代目 J SOUL BROTHERS 山下健二郎のZERO BASE』の後番組として、火曜日から土曜日の0時枠に、新しいオールナイトニッポンブランドの生ワイド番組『オールナイトニッポンX』が放送される[134][135][136]。なお、火曜日から金曜日の0時台は年越し特番などの特例がない限り『オールナイトニッポン』ブランドの番組が放送されたことはなく[注 29]、2021年10月で55年目を迎えるオールナイトニッポンの歴史で初めてのことになる。ラジオやradikoに加えSHOWROOMが手がけるバーティカルシアターアプリの「smash.」と連動させ、スタジオの様子もを同時配信して、音声と動画をリアルタイムとアーカイブで楽しめるような形式とする[136]。このブランドの概要は2021年3月16日に明らかにされた[137]

日曜日

日曜深夜にも1984年以前に『オールナイトニッポン電話リクエスト』という、糸居五郎や木藤隆雄、はたえ金次郎(波多江孝文)などが担当した電話リクエスト番組があった。歴代担当者は以下の通り。

1984年4月以降はオールナイトニッポンを冠しない、女性アーティストやアイドルが担当する番組となった(最初の番組は『タッチ・ミー・EPO』)。

その後、オールナイトニッポン30年を迎えた1997年10月に日曜日の電話リクエストが復活。以降、LF+Rの期間を含め以下のような番組を行っていた。

  • 赤坂泰彦のオールナイトニッポン電話リクエスト(1997年10月12日 - 1999年3月28日、23:00 - 25:30)
  • @llnightnippon.com HYPER REQUEST SUNDAY!(荘口彰久)(1999年4月4日 - 1999年10月3日、23:00 - 25:00)
  • 桃乃未琴の@llnightnippon.com Sunday Request Night(1999年10月10日 - 2000年3月26日、23:00 - 25:00)
  • SILVAのallnightnippon Sunday Special “Luv mode”(2000年4月2日 - 2001年3月25日、23:30 - 25:00)
  • 中澤裕子のallnightnippon Sunday Special(2001年4月15日 - 2001年9月23日、23:30 - 25:00)
  • 中澤裕子のallnightnippon Sunday SUPER!(2001年10月7日 - 2003年3月30日、23:00 - 24:30)
  • 飯島愛の@llnightnippon Sunday.com(2001年10月7日 - 2003年3月30日、24:30 - 25:30)

他にオールナイトニッポンを冠した番組として、2008年4月 - 2009年3月には、『上原隆のオールナイトニッポン サポーターズ』(25:00 - 25:30)が、2009年10月11日 - 2010年9月12日には、『オールナイトニッポンサンデー』が放送されている。

その後、単発で放送された 『ROLLY谷山浩子のオールナイトニッポンR』(2012年10月14日、27:00 - 29:00)以外は日曜日のオールナイトニッポンは放送されていなかったが、2013年4月改編から2018年10月改編にかけて『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』が放送された。日曜のオールナイトニッポンレギュラー枠では、2003年3月に『中澤裕子のallnightnippon Sunday SUPER!』と『飯島愛の@llnightnippon Sunday.com』が終わって以来、10年ぶりとなる。また『中島みゆきの月イチ』は、一部の局ではあるがネットされており、サンデースペシャルが放送される時間帯はほとんどの局では他番組の遅れネットやプロダクション制作の番組の放送、あるいはメンテナンスに充てることがほとんどのため、日曜日の枠が全国ネット(一部)がなされるのは初めてのこととなった。

2019年4月からは月に一度、25:30 - 27:00に『WANIMAのオールナイトニッポン 〜にちようび〜[142] を、27:00 - 29:00に『高嶋ひでたけのオールナイトニッポン月イチ[143] を放送開始した。WANIMAは土曜の月一放送からのスライドとなり、高嶋は1972年以来、47年ぶりにオールナイトニッポンに復帰した。その後、2020年2月19日の放送分をもって『WANIMAのオールナイトニッポン 〜にちようび〜』が終了し、2020年9月現在は『高嶋ひでたけのオールナイトニッポン月イチ』が放送されている。

テーマ曲

採用の経緯

テーマ曲として採用された経緯については諸説ある。

  • 実際はA面だった曲(「ティファナ・タクシー」)を使用していたが、高崎一郎の番組スタッフが誤ってB面の「ビタースウィート・サンバ」を流したところ、高崎が気に入ってこの曲に変更された(ただし「ビタースウィート・サンバ」はアルバム『Whipped Cream & Other Delights』のA面4曲目。「ティファナ・タクシー」は別のアルバム『Going Places!!』のA面1曲目であり、間違えるはずはないという指摘もある[144]。編集盤やシングル盤という可能性もあるが詳細は不明)。
  • 違う曲(「レモン・ツリー」または「ティファナ・タクシー」)をテーマ曲候補としていたが、収録されたレコードの同じ面に収録されていた「ビタースウィート・サンバ」が誤って流れ、曲を聴いた高崎一郎がテーマ曲として決定した[145]
  • 上記の説を否定する証言が存在する。
    • 1970年代から1980年代にかけてプロデューサーをつとめた近衛正通(岡崎正通)は、高崎一郎からテーマ曲選びを依頼された朝妻一郎が、最初から「ビタースウィート・サンバ」を選んだのに過ぎず、上記のかけ間違え説は高崎が「都市伝説みたいなストーリーを作った」という証言を行っている[146]
    • 斉藤安弘は「もともとこの曲をテーマにする予定だったと聞いていた」と、自身の番組『オールナイトニッポンエバーグリーン』で発言している[信頼性要検証]
    • オールナイトニッポン40周年記念!笑福亭鶴光と松本ひでおの深夜放送ヒット電話リクエスト』(2007年2月19日放送分)[信頼性要検証]の中で、松本ひでおが、スタッフの間違いではなく高崎一郎が初めから決めていたことだと明らかにし、同時に「スタッフ間違え説」を否定した。
    • 栃木放送開局50周年ラジオスペシャル『真夜中のビター・スウィート・サンバ』(2014年3月23日放送)[147][注 30]にて、朝妻一郎がインタビューでこのことに触れており、高崎からテーマ曲の候補を探すよう依頼され、朝妻の会社が著作権を持っている曲の中から選んで高崎に視聴させたところ、「演奏はよいがリズム感が......これじゃないだろう」と言われ、高崎自身が同じ盤の他の曲の中で「ビタースイート・サンバ」を選んだという。その後、高崎が逸話として話を面白くするため「盤を裏返しに…」と話したそうである。 WP:V#SP[148]

備考

  • タモリのオールナイトニッポン』において、ハーブ・アルパートが特別ゲストとして招かれたとき、その当時のテーマ曲のバージョンを、トーク無しのフル演奏で流したことがある。
  • 1973年 - 1974年頃のオープニングには、前述のデニス・コフィー(正確には「デニス・コフィー&ザ・デトロイト・ギター・バンド」)による演奏(1973年にキングレコードより国内向けにリリース。原曲は演奏時間2分40秒。テーマ曲として使われた時のイントロは原曲を多少アレンジしてある)でアレンジされた「ビタースイート・サンバ」を採用。ロック調またはディスコ調ヴァージョン、特にイントロはエレクトリックギターで演奏され、現在使用されているテーマ曲とは異なるリズムで、他の楽器としてボンゴを使用している(本楽曲は海外向けに、A&Mレコードが1973年にリリースしてB面に収録されている[149])。しかし、後にオリジナル(ハーブ・アルパート)版へ随時戻されるようになり、「デニス・コフィー&ザ・デトロイト・ギター・バンド」ヴァージョンの使用は1974年末頃の土曜深夜『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』までとなった。
  • かつては、ネット局により午前3時(第1部終了)までの局(全ての局ではないが、CBCラジオやラジオ大阪など)はそれぞれの局において、第2部のオープニング(午前3時の時報)までにかかる繋ぎの曲の途中からカットインしエンディングとして流し、各局のアナウンサーが番組協賛スポンサー及び番組終了のアナウンスを入れていた。現在は行われておらず、次番組が始まるまでに繋ぎの曲(つまり、第1部のエンディング曲)をフェードアウトしてからコマーシャルなどが入るようになった。
    • CBCラジオの場合、3時で飛び降りる時に前述の「デニス・コフィー&ザ・デトロイト・ギター・バンド」ヴァージョンが使用されていた(2時58分30秒頃から、約1分20秒程)。1986年までは『ビバヤング、オールナイトニッポン。この番組は○○......』のように協賛スポンサーの読み上げも流されていたが、1987年頃は『ビバヤング、オールナイトニッポン。それでは今日はこの辺で。』のみのナレーションが入っていた[注 31]1990年代頃から使用されなくなり、現在のように各CMが流れて3時を迎えている。
    • ニッポン放送の場合、第1部のエンディング曲を3時の時報前まで流し、時報に入る直前に「○○のオールナイトニッポン」というジングルを入れて時報に入り、第2部(現在のZERO/R枠)に突入する。
  • また、現在は、木曜日の『ナインティナインのオールナイトニッポン』、土曜日の『オードリーのオールナイトニッポン』などで一節が繰り返されている物のフル演奏を聴くことができる。また、一部の番組では、先のものとは別の部分を延々繰り返している物を曲紹介・スポンサー読み・コーナー呼び込みまで掛ける事もある。
  • 第2部では番組設置の経緯(4時間の大きな放送枠を便宜上二つに分ける)から、オープニングでは流さず、エンディングに流し、曲の終了と共に番組も終了するというスタイルが長らく続いていた[152] が、「R」では旧オールナイトニッポンとは別の番組枠となったとしてオープニングにもかけられる場合が多数となった他、エンディングも単なるフェードアウトとなる場合が多くなった(土曜単独となっても行われる。また週によってはニッポン放送飛び降りのところで流されることもある)。「ZERO」では旧・第2部の復活という理由付けを行い、旧第2部と同じ構成で曲が使われている。
  • 1988年10月から1989年1月にかけて、昭和天皇の体調の悪化で日本国内が自粛ムードに包まれ、その間全く異なるBGMに差し替えた。
  • 2014年、ニッポン放送開局60周年企画の1つとして行われた投票企画「あなたが『オールナイトニッポン』で出会った忘れられぬミュージックランキング」にて1位を獲得したが、この旨をハーブ・アルパートに連絡したところ「使用されていたこと自体を知らなかった」事が発覚した[153]

ウィークリーソング

  • 週替わりで各曜日にかかわらず「ニッポン放送ディレクターズプッシュ」としてヘビーローテーションで新譜が流される。これはかつて月間(月間時のヘビロテの名称は「オールナイトニッポン・スーパーディスク」)であった。
  • 2012年4月から当番組の推薦曲がエンディングで流されるようになったこともある。

番組ジングル

CM前とCM明けのジングルを数々のアーティストが手がけており、放送開始から40周年・45周年・50周年を記念した特別番組・特別企画においてはこれらのジングルが様々使用された(1990年代後半のものなど、使用されなかったジングルも多い)。現在の通常放送でも、ディレクターの意向により現在使用されていないジングルを放送する場合もある。下記のものは22時・23時台の『SUPER!!』から『MUSIC10』を除く番組で流れた共通ジングル。CM前にこちらを流し、CM明けにそれぞれの番組のジングルを流すパターンもある。

担当 担当期間 備考
スリー・グレイセス 1967年10月2日-
1982年
放送開始から1970年代は「♪オールナーイトニーッポーン♪」や「♪ビバーヤング! パヤパヤ ビバヤーング♪」のジングルが主流であった。
このジングルは、他の担当者では使われなくなっても、笑福亭鶴光のオールナイトニッポンでは1982年まで使用され続けた。
一時期、全ての番組で使用されなくなったが、サンプラザ中野担当回では当時唯一「ビバ!ヤング」をタイトルに付けていたため、全国一斉放送のCMの時のみ(毎時00分から30分頃)使用されていた。
その後、糸居五郎死去の際の追悼番組で流された。過去にはくり万太郎が担当する『くり万太郎のオールナイトニッポンR』や斉藤安弘が担当する『オールナイトニッポンエバーグリーン』でも流れていた。
1970年代、亀渕昭信が担当していた『ビバ・カメショー』にも「カメ、カメー」や、斉藤安弘が担当していた頃の「オールナイートニーッポン、アンコー(アンコーさーん)」などの担当DJ専用ジングルもあった。
大橋純子 1977年4月-
1982年10月
EPO 1982年10月-
1986年4月12日
不定 1980年代 山下達郎竹内まりや大貫妙子中島みゆき谷山浩子が担当した。
角松敏生 1986年4月14日-
1989年1月6日
20周年記念バージョンのジングルで「20th Anniversary」のフレーズが入っている。
20周年目以降も該当部分を削除して使用を継続。
クレヨン社 1989年1月9日-
1992年3月14日
To Be Continued 1992年3月16日-
1992年7月11日
AMステレオ放送開始とともに使用。
中西圭三 1992年7月13日-
1993年2月27日
25周年記念バージョンのジングルで「25th Anniversary」のフレーズが入っている。
Selfish 1993年3月1日-
1994年5月14日
L⇔R 1994年5月16日-
1995年10月7日
このうちの1パターンは『くり万太郎のオールナイトニッポンR』で使用。
平井堅 1995年10月9日-
1997年7月19日
チャーミースマイル&グリーンヘッド 1997年7月21日-
1997年11月1日
30周年記念バージョンのジングルで「thirty Years」のフレーズが入っている。
Ram Jam World 1997年11月3日-
1999年3月27日
不明 1999年3月29日-
2001年3月31日
『LF+R』の初期
smorgas 2001年4月2日-
2001年12月
savage genius 2002年1月-
2003年3月
担当当時はボーカル&歌詞を担当する"ああ"とギター&作曲のtakumiのユニットだった。
「SUPER!」で使用。
チェンジング・マイ・ライフ ボーカル・作詞のmyco、キーボードの辺見鑑孝、作曲・ギターの田辺晋太郎
「.com」で使用。
サム41 2003年3月31日-
2008年9月18日
海外のアーティストがこの番組のジングルを手がけるのはこれが初。
毎日使用していたのは2005年7月1日までであるが、ナインティナイン担当回では2008年9月18日まで1パターンのみ使用され続いた。
Tommy february6 2003年7月7日-
2007年4月12日
毎日使用していたのは2005年7月1日までであるが、木・金のみ2007年4月12日まで使用され続けた。
B-DASH 2003年10月3日-
2009年10月3日
金・土の「R」専用ジングル。
「オールナイトニッポンR〜」と歌っているもの。
「ANN」は全て2009年10月9日より25時台と同じものへ統一されたため、「R」専用のジングルは消滅した。
奥華子 2005年7月4日-
2007年4月10日
倭製ジェロニモ&ラブゲリラエクスペリエンス 2006年5月19日-
2007年4月11日
Remark Spirits 2007年4月13日-
2008年9月30日
40周年記念バージョンのジングルで「40th」もしくは「40th Anniversary」のフレーズが入っている。
GIRL NEXT DOOR 2008年10月1日-
2009年10月3日
さかいゆう 2009年10月5日-
2011年12月31日
MAN WITH A MISSION 2012年1月2日-
2013年3月30日
45周年記念バージョンのジングルで「45th Anniversary」などのフレーズが織り込まれている。
kz(livetune)×八王子P(ボーカル:初音ミク 2013年4月2日未明[注 32]-
2017年1月3日1時台前半[注 33]
後任が使用開始日の放送途中にサプライズ発表となった関係で、発表の直前まで使用された。
星野源 2017年1月3日1時台後半[注 33]-
現在
当初は「50周年」などのフレーズが織り込まれた50周年記念バージョンのジングルとして使用され、その後歌詞を一部変更して使用を継続している。
星野源のオールナイトニッポン』の放送中から使用開始となり、星野の作であることが併せて発表された[154][155][156]

CD・レコード

シングル

  • 今、僕たちにできる事(ポニーキャニオン)- 歌:オールナイトニッポン・パーソナリティーズ(1992年10月期当時のパーソナリティ全員[157] が参加 対後天性免疫不全症候群運動のために制作された。各番組では放送当時のCMフィラーにインスト版が使われた。)
  • ビタースウィート・サンバ(ポリドール) - 演奏:ハーブ・アルパートとティファナ・ブラス(1994年10月26日発売。当初テーマ曲の予定だったティファナ・タクシーも収録。廃盤)

アルバム

  • オールナイトニッポン(LP盤)(キャニオン・レコード : 1970年12月)- 最初のオールナイトニッポンのアルバム、当時のパーソナリティ全員参加
  • 海賊放送局(LP盤)(キャニオン・レコード : 1971年11月)- 今仁哲夫と天井邦夫によるビバ栗毛の珍道中記、パーソナリティ全員参加のラジオドラマ、カメカメ合唱団の歌
  • 深夜放送グラフティ オールナイト・ニッポン(エピック・ソニーレコード : 1991年11月)- 糸居五郎、ビバ・カメショー(ゲスト:あのねのね - オールナイトニッポンに初めてゲストに招かれ、のちパーソナリティとなるきっかけとなった貴重な録音)、斉藤安弘(最終回、電話出演で翌週から木曜深夜のパーソナリティを引き継ぐ海援隊武田鉄矢の他、スタジオゲストに水沢アキ菅原孝(ビリーバンバン))のそれぞれの抜粋を収録
  • オールナイトニッポン Radio Days Bitter Hits(東芝EMI(現EMIミュージック・ジャパン))
  • オールナイトニッポン Radio Days Sweet Hits(UM3/USM Japan
  • オールナイトニッポン パーソナリティーズヒッツ〜青春 ON AIR〜(ポニーキャニオン)
以上の3作品は、2003年に発売した35周年記念のコンピレーションアルバム
  • オールナイトニッポン EVERGREEN(EMIミュージック・ジャパン、ビクターエンタテインメントほか) - 2008年1月23日に6枚同時発売した40周年記念のコンピレーションアルバム

商品

  • 青春のオールナイトニッポン(タカラ
BCLラジオのフィギュア。つまみを模したボタンを押すと、ジングルや糸居五郎や笑福亭鶴光らの番組の一部音声が流れる。ビタースウィートサンバはオリジナル。2004年発売。
  • 懐かしのオールナイトニッポンキャンデー(ブルボン
番組内容の一部とパーソナリティの持ち歌で構成した8cmCD付きのコーヒーキャンデー(食玩)。2004年発売。
ファミリーコンピュータ ディスクシステム用ゲームとして、有名なゲーム『スーパーマリオブラザーズ』の一部キャラクターのグラフィックを、当時のパーソナリティの顔に差し替えたもの。1987年、番組放送開始20周年を記念して任天堂と共同製作した。
  • オールナイトニッポン40周年記念カップ麺が日清食品、明星食品の制作でサークルK/サンクスにて2007年10月31日発売 [3]
  • オールナイトニッポンを作ろう!(ニッポン放送、フジミック)
自分で番組運営ができるほか、多彩なゲストと魅力的なスポンサー集め、他のユーザーとの交流や名刺の奪い合い、携帯電話のGPS機能を利用した位置でエリア拡大などを詰め込んだ番組運営シミュレーションソーシャルゲーム。2011年、mobageにて提供。
  • オールナイトニッポン最大の危機からの脱出(SCRAP
体験型ゲームイベントが東京ミステリーサーカスで2019年より開催。

ネット局

現在、『オールナイトニッポン(1部)』は全国36局ネットであり、放送対象地域上では全ての都道府県で聴取可能な番組である。地方でのネット局は、主にニッポン放送がキー局を務めている全国ラジオネットワーク(NRN)の加盟系列局が多いが、3部制となった1999年のLF+R時代以降、時間帯によってネット局が変わるなど状況が複雑化した。2019年10月現在、日本の民間AM局のうち、ニッポン放送のエリア以外で『オールナイトニッポン』シリーズを一切放送していないのは岐阜放送(ぎふチャン)、MBSラジオ琉球放送(RBCiラジオ)の3局のみとなっている。

一覧

  • 表中「放送番組」欄については以下の通り。
    10…オールナイトニッポン MUSIC10(月 - 木曜 22:00 - 24:00:月 18局、火 - 木 19局)[注 34]、オールナイトニッポンGOLD(金曜 22:00 - 24:00:17局)[注 34]
    A1…オールナイトニッポン(月 - 土曜 25:00 - 27:00:36局)
    A0…オールナイトニッポン0(ZERO) 平日(月 - 木曜 27:00 - 28:30、金曜 27:00 - 29:00:19局)[注 34]
    0S…オールナイトニッポン0(ZERO) 土曜(土曜 27:00 - 29:00:21局)[注 34]
    SS…オールナイトニッポンサタデースペシャル(土曜 23:30 - 25:00:34局)
※…かつて同時間帯の番組をネットしていたが打ち切りとなった枠[注 35]
放送対象地域 放送局 系列 放送番組 備考 ネット開始年月
関東広域圏 ニッポン放送 NRN 10 A1 A0 0S SS 制作局
[注 36]
1967年10月2日
北海道 STVラジオ 10 A1 A0 0S [注 37]
[注 38]
1970年6月30日
北海道放送 NRN / JRN - - - - SS 2003年10月
青森県 青森放送 10 A1 A0 SS [注 39]
[注 40]
[注 41]
1973年7月2日[158]
岩手県 IBC岩手放送 10 A1 0S SS [注 42]
[注 43]
[注 44]
1972年4月
宮城県 東北放送 10 A1 A0 SS [注 45]
[注 46]
[注 47]
1970年10月
秋田県 秋田放送 - A1 - - SS 1979年10月
山形県 山形放送 10 A1 - 0S SS [注 44] 1977年4月
福島県 ラジオ福島 A1 - - SS [注 48] 1982年4月
茨城県 茨城放送 NRN A1 A0 0S SS [注 49]
[注 50]
2001年4月
栃木県 栃木放送 - A1 A0 0S - 1995年7月
山梨県 山梨放送 NRN / JRN 10 A1 SS [注 51]
[注 52]
1991年4月[注 53]
静岡県 静岡放送 A1 A0 0S SS [注 54]
[注 55]
[注 56]
1970年6月30日
中京広域圏 東海ラジオ NRN 10 - A0 - SS [注 57]
[注 58]
1999年10月
CBCラジオ JRN - A1 - [注 59]
[注 60]
1972年10月
新潟県 新潟放送 NRN / JRN - A1 A0 SS [注 61] 1976年6月
長野県 信越放送 10 A1 A0 SS [注 62]
[注 63]
[注 64]
1970年10月8日[159]
富山県 北日本放送 A1 A0 - SS [注 65]
[注 66]
1977年4月
石川県 北陸放送 10 A1 - SS [注 67]
[注 68]
1982年3月
福井県 福井放送 10 A1 0S SS [注 69]
[注 70]
[注 44]
1981年4月
京都府滋賀県 KBS京都
KBS滋賀
NRN A1 A0 0S SS [注 71]
[注 72]
1978年4月
近畿広域圏 ラジオ大阪 - A1 - - - 1970年6月30日
朝日放送ラジオ NRN / JRN - - - SS [注 73]
[注 74]
2009年11月
FM COCOLO MegaNet 10 - - - - [注 75]
[注 76]
[注 77]
2013年10月[注 78]
和歌山県 和歌山放送 NRN / JRN 10 A1 0S [注 79]
[注 80]
[注 44]
[注 81]
1981年4月
兵庫県 ラジオ関西 独立局 - A0 0S - [注 82]
[注 83]
[注 84]
2001年4月
鳥取県島根県 山陰放送 NRN / JRN A1 - - SS [注 85] 1985年4月
岡山県 RSK山陽放送 10 A1 - - SS [注 86] 1997年10月
広島県 中国放送 A1 SS [注 87]
[注 88]
[注 89]
1970年10月
山口県 山口放送 10 A1 - 0S SS [注 90] 1988年4月
愛媛県 南海放送 A1 A0 0S SS [注 91]
[注 92]
[注 93]
1979年4月
香川県 西日本放送 A1 A0 0S SS [注 94]
[注 95]
[注 96]
1971年4月
徳島県 四国放送 - A1 - 0S SS [注 93] 1977年4月
高知県 高知放送 A1 A0 0S SS [注 94]
[注 97]
[注 93]
1971年4月
福岡県 九州朝日放送 NRN 10 A1 A0 0S - [注 98]
[注 99]
1970年7月15日
RKB毎日放送 JRN - - - - SS 2000年3月
長崎県佐賀県 長崎放送
NBCラジオ佐賀
NRN / JRN 10 A1 A0 0S SS [注 100]
[注 101]
[注 102]
1970年10月
熊本県 熊本放送 A1 SS [注 103]
[注 104]
[注 105]
1971年3月31日
大分県 大分放送 10 A1 - 0S SS [注 106]
[注 107]
1979年4月
宮崎県 宮崎放送 10 A1 - 0S SS [注 108] 1977年4月
鹿児島県 南日本放送 A1 - 0S SS [注 109]
[注 110]
1979年10月
沖縄県 ラジオ沖縄 NRN - A1 A0 - SS [注 111]
[注 112]
1977年4月

ネット局で年末年始特番が行われる場合があるほか、地元のプロ野球チームが優勝した日は優勝記念特別番組放送が編成され、いずれも休止となる場合がある。一例として、

などが挙げられる。

中京広域圏

愛知・岐阜・三重県では1部枠をJRN単独系列のCBCラジオ(以下「CBC」)で放送している関係から、CBCはニッポン放送の音声を東京都千代田区九段のCBC東京支社を経由してネットしている(伝送にはNTTコミュニケーションズの帯域保証のIP回線を使用[160])。これは、ANNの開始当初に放送地域の拡大を試み、NRN系列の東海ラジオに放送を依頼したが、自社制作の人気番組『ミッドナイト東海』(現在の『東海ラジオミッドナイトスペシャル』)を放送している関係からネットを断られ、CBCに依頼したためである。CBCは『CBCビップ&ビップス〜ミッドナイトレインボー〜』→『CBCビップ・ヤング』』といった自社制作番組が『ミッドナイト東海』の後塵を拝していたことや、社内部の反発などもあって、放送が了承された。後に東海ラジオは22時枠及び『サタデースペシャル』の放送を開始したため、中京広域圏では本番組シリーズが局を超越して放送される事態となった。

CBCは1部のみの放送[注 113]、かつ東海ラジオは平日27・28時台に『日野ミッドナイトグラフィティ 走れ!歌謡曲』(文化放送)をネットしているため、中京広域圏では27:00以降の枠が放送されていなかったが、走れ!歌謡曲が2021年3月をもって終了することを契機に、同年4月から平日27:00以降の枠をネット開始した。また、東海ラジオは2012年10月から月 - 木曜25・26時台に『リッスン? 〜Live 4 Life〜』(文化放送)のネットを開始したため、月 - 木曜の25・26時台は全国で唯一NRN系のネット番組が両方放送されていた。なお、2015年10月からは25時台(『ユニゾン!』→『&CAST!!!アワー ラブナイツ!』)のみ継続する。2020年3月で一旦終了したが、走れ!歌謡曲の代わりに2021年4月から『CultureZ』を1年ぶりに文化放送からネットを開始した。一方、26時台は『リッスン? 2-3』を3か月で終了させ自社制作枠に回帰した。

京阪神地区

京阪神地区で本番組をネットしていたのは、長らくラジオ大阪(以下、OBC)とKBS京都(以下、KBS)であったが、2001年4月から3年にわたり独立局のAM KOBE(以下、AMK、現在のCRK・ラジオ関西)でも『SUPER!』→『いいネ!』がネットされた。それまでは自社製作の深夜ワイド番組『神戸アコースティックストーリー』を放送していたが、ニッポン放送からの番販購入の形でこの番組を同時ネット受けすることになった。また、2007年4月からは変則的に『エバーグリーン』の飛び乗りネットを開始し、10月以降は27時からのフルネットに枠拡大、その後継枠である『くり万太郎のオールナイトニッポンR』『オールナイトニッポン0(ZERO)』もネットを継続している。CRKは全国のラジオ局の中で25時 - 28時台をTBS『JUNK』→LF『オールナイトニッポン0(ZERO)』の順で編成している唯一の局である。また、2021年3月までは『オールナイトニッポン(1部)』をネットしないが『オールナイトニッポン0(ZERO)』はネットする唯一の局でもあった[161]

2009年7月、京阪神地区で長年22時台に独自の夜ワイド番組『ABCミュージックパラダイス』を製作していた朝日放送(以下、ABC、現在の朝日放送ラジオ)は、月曜 - 木曜の自社製作を打ち切り、ニッポン放送の『銀河に吠えろ!宇宙GメンTAKUYA』をネットすることになった。この枠は2009年11月に『オールナイトニッポンGOLD』に移行したため、在阪局ではOBCに次いで、ABCでも本番組シリーズがネットされることになった。ただし、当該時間帯におけるABCのニッポン放送からのネット受け開始を受けて、CRKとKBSは『TAKUYA』の途中の2009年10月改編で当該時間帯のネット受けを撤退し、KBSは金曜を除いて文化放送の裏番組『レコメン!』を全編ネット、CRKは当該時間帯の自社制作を再開[162] している。また、2010年4月からは『サタデースペシャル』枠の『魂のラジオ』もABCラジオでネット開始され、その後継枠である『大倉くんと高橋くん』も引き続きネットを継続している。

2013年10月からは『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』を、大阪のFM局FM COCOLO[注 114] がネットすることとなり[163]、本番組の歴史上、初めてFM局でネットされることとなった。さらに2014年4月改編からは『オールナイトニッポンGOLD』のABCのネット終了を受ける形で、FM COCOLOでネットすることとなった(金曜を除く。2015年10月からの『オールナイトニッポン MUSIC10』も引き続きネット)[164]

この結果、2021年1月時点で京阪神地区においては、『MUSIC10』はFM COCOLO、1部はOBCとKBS、『0(ZERO)』はCRKとKBS、『サタデースペシャル』はABCとKBSというように、番組ごとにネット局が変わる事態となった。

KBSは1978年4月に開始しているが、ネット開始する以前(1976年7月当時)は『日本列島ズバリリクエスト』(23:00 - 26:00)と『ミュージック・オン・ステージ』(26:00 - 29:00 木曜 - 土曜は別番組の関係で時差開始)を放送していた。

サタデースペシャル

土曜 23:30 - 25:00の『サタデースペシャル』枠(『魂のラジオ』→『大倉くんと高橋くん』)はもともとの『ドリアン助川の正義のラジオ!ジャンベルジャン!』がオールナイトニッポン枠でなかったことも影響しさらにネット局事情が複雑化している。

北海道では、以前は25:00 - 29:00枠と同様STVラジオがネットしていたが、2002年3月に打ち切ったため、1年半のブランクを置いて、2003年10月より競合局の北海道放送(HBC)でネットしている。福岡県でも同様に、22:00 - 23:00枠、25:00 - 29:00枠(月イチも含む)は全て九州朝日放送(KBC)で流れているにもかかわらず、『サタデースペシャル』枠だけはRKB毎日放送がネットするという現象が起きている。特に、RKBラジオはNRNには加盟していないため、CBC同様特殊なケースとなっている。東海地区では、『ジャンベルジャン』枠を引き継いだ東海ラジオが『魂のラジオ』放送開始時からネット、2010年4月からは上記の通りABCでもネットを開始しているなど、特に都市圏における『サタデースペシャル』枠は1部のネット局とは異なっている状況である。

ネット局での番組割愛時の対応

12月25日 1:00(新聞上は12月24日の放送欄)からの本番組は『オールナイトニッポン ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』として放送される(ラジオ・チャリティー・ミュージックソンの一環)。以前は、ニッポン放送は関東ローカル独自の放送のため放送されず、裏送りのみされたが、2007年度以降は、ニッポン放送発の番組をミュージックソン非参加局を含む各ネット局がネットしている。通常の内容を休止してその年のニッポン放送のパーソナリティーが務める場合と通常の「1部」パーソナリティーの内容で放送し、その年のニッポン放送のパーソナリティーなどをゲストで迎える場合の二通りがある。一方、独自で『ラジオ・チャリティー・ミュージックソン』の企画番組を放送する中国放送などのネット局は、この日に限りネットは割愛し、1部の協賛社は企画番組のスポンサーとしてCMのみネットする代替対応を取るが、年によってはニッポン放送発の番組を受ける場合もある。また2017年までは24日 22:00 - 24:00もミュージックソンの一環で『オールナイトニッポン MUSIC10(オールナイトニッポンGOLD)』を送るが、こちらはニッポン放送+ミュージックソン非参加局のみで放送する。ただし隣県でミュージックソンを展開する局がある場合は、別パーソナリティの特別版を送る場合があった(茨城、大阪、山口など)。2018年以降はニッポン放送では『MUSIC10(GOLD)』の時間も関東ローカルの内容を放送し別パーソナリティの特別版を非参加局に裏送りしている。

ワールド・ベースボール・クラシックFIFAワールドカップなど、日本時間の深夜に日本あるいは海外で行なわれる野球・サッカー中継をニッポン放送が中継・ネットする当日に、本番組の放送と重なる場合は、本番組を放送せず、裏送りのみを行なう。その際、放送される試合によっては放送権の関係でradikoでの放送はできないため、フィラー音楽とその間にニッポン放送のアナウンサーによる「放送権の都合によりradikoでの放送は行ないません。地上波でお聴きください」という説明が放送される。また、NRN系の多くの局も試合の中継を優先するため、本番組は放送されない(場合によっては飛び乗り)。そのため、場合によってはネット受けがラジオ大阪とCBCの2局のみの時もある(中京広域圏では東海ラジオ、関西広域圏はABCでサッカー中継をネットすることが多いため)。

放送時間以前に自然災害地震台風大雨風水害)が発生した場合でも、基本的には一部の例外[注 115]を除き本番組のシリーズを通常通り放送することが多いが、その自然災害の被災地ではその日の放送は割愛と言う形になる場合もある(例として、2016年の熊本地震時においての熊本をはじめとする九州の一部地域が該当)。

備考

  • いわゆる「1部」の枠では協賛スポンサー名が読み上げられるが、協賛スポンサー名の読み上げはパーソナリティ自身が生放送で読み上げている[注 116]。オールナイトニッポンのネットが始まってからはニッポン放送の所在地と放送日時点のネット局の数も併せて読み上げられる(読み上げ内容は「『○○のオールナイトニッポン』、この番組は…以上各社の協賛で、東京都千代田区有楽町[注 117]・ニッポン放送をキーステーションに全国36局ネットでお送りします(しました)。」で固定されている。)。この体制は当時から一貫して変わっていないが、オールナイトニッポンのネットが始まって間もない1970年代は、ネット局を北から1つずつ紹介していた時期もあった。なお、パーソナリティによっては事前に録音したものを流すパーソナリティもいたり、ピンチヒッターの場合は自身が読み上げずニッポン放送のアナウンサーが同じ内容を読み上げた事前録音のアナウンスとなるケースもある。
  • 2021年現在平日(月曜~金曜)1部のCM枠は25時台4枠、26時台3枠で、協賛スポンサーのネットセールス枠は25時台の前半2枠と26時台の前半2枠、そのうち26時台の1枠は、2017年6月からANN50周年企画として始まった本編とは別のパーソナリティが担当し、毎月提供スポンサーが変わるインフォマーシャル「コラボレートニッポン」として放送されている。土曜日の1部については25時台3枠、26時台4枠となっているが、1988年4月から平日と違って冠スポンサーがついている。CM数が多かった1980年代~1990年代には25時台及び26時台それぞれ6枠でネットセールス枠が3枠ずつあったが、2000年代から全体のCM数が減少していったため、徐々にネットセールスのCM枠数が削減されていき、現在の枠数となっている。ただし、ネットセールス以外のCM枠および「ZERO」ではネット局で各自ローカルCMを放送する枠になっていて、この間、ネット回線からはCMフィラーとしてCM枠ごとに違う楽曲が流されるが、流される曲は歴代パーソナリティ・スタッフの趣味趣向・パーソナリティにちなんだ楽曲など工夫を凝らした選曲になっており、パーソナリティによっては自身が選曲した音楽を流している場合もある。
  • いわゆる「1部」の放送時間は3:00までだが、一部ネット局(主に「オールナイトニッポン0(ZERO)」非ネット局)では、局名告知もしくはCMのため2時59分頃にフェードアウトして終了する。このため、2時59分までには必ず放送を終了するように(大概は2時58分前後に喋り終えている)構成されている。それは金曜と土曜の「ZERO」においても同様であるが、多くの局は5:00が24時間放送の基点時間としているため、局名告知の時間を設ける都合上、4:58までにはコメントを切り上げるように構成されている[注 118]。なお、ニッポン放送など一部の局では「1部」の終わりで各パーソナリティによるタイトルコールが入って時報へつなぎ、「ZERO」となる。非ネット局でもCMを入れずに時報まで放送し、TBSラジオ文化放送の番組に切り替える局がある。
  • 現在「ZERO」を放送しているいわゆる「2部」の枠ではこの時報の後にパーソナリティが「1部」のパーソナリティに向けて「〇〇さん、お疲れ様でした。」と挨拶をしてから始まるのが長らく慣例になっている(これを言わずに始まるパーソナリティもいる)。しかし、ラジオ関西では直前が裏番組であるTBSラジオの「JUNK」のため、脈路のない演出になっている。
  • ニッポン放送のスタジオにはサブのガラスの向正面に地震発生時のアナウンスが掲示されている。『オールナイトニッポン』では放送時の地震発生などの緊急時にはアナウンサーが安全確保のため、リスナーに注意を呼びかけるが、ベテランパーソナリティの場合、本人が注意事項を暗記しているため、アナウンサーを介さずに注意を呼びかけている。
  • ニッポン放送とBSフジBSデジタルテレビ局)共同制作の番組『お笑いネクストブレーカー』の番組内でお笑い芸人が出されたテーマに、オールナイトニッポンをベースにトークをするコーナー「オールナイトニッポンへの道」があった。
  • CBCラジオでは、2009年2月1日から2月28日まで、親局である長島送信所の施設改修工事に伴い、午前0時から午前4時までの間放送が休止されたため、1か月間オールナイトニッポンの放送が休止となった(協賛部分のみ休止直前の番組でCMとして流した)。
  • 信越放送では2009年4月 - 9月の間、経費削減などのため停波を伴う放送休止時間を設定することに伴い、祝日に当たる日のみ、オールナイトニッポンの放送を休止とした。協賛各社のCMのみ、休止直前と再開直後にまとめて放送していた。
  • KBCラジオでは、北部九州ローカル番組で、月に1回、オールナイトKBCという番組が放送されている。
  • ホームページ・メールアドレスは基本的にニッポン放送の深夜放送の番組(オールナイトニッポンの冠が入っていない番組も含む)で使用される「allnightnippon.com」のドメインが使われているが、一部の派生番組(MUSIC10・サンデーなど)では通常番組のドメイン「1242.com」が使われる番組もある。

脚注

注釈

  1. ^ テレビ朝日のニュースネットワークとは別。余談ではあるが、オールナイトニッポンシリーズを放送している九州朝日放送のテレビ放送のネットワークはテレビ朝日系列に属している。
  2. ^ 新日鉄コンサート』の放送期間が49年6か月のため、2017年3月をもってオールナイトニッポンの放送期間が歴代2位になった。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 一部のネット局は29:00まで。
  4. ^ 一部のネット局は120分。
  5. ^ 2020年4月以降、第5水曜日がある月の場合、当該日はスペシャルパーソナリティが担当
  6. ^ 2020年3月までは水曜日。
  7. ^ 2020年3月までは火曜日。
  8. ^ 『○○(パーソナリティー名)のオールナイトニッポンGOLD』として放送。
  9. ^ 第2期の開始日。第1期は2019年7月 - 2020年3月に放送された。
  10. ^ 2017年3月までは月曜日。
  11. ^ 第2期の開始日。第1期は1994年4月から2014年9月まで放送された。
  12. ^ 2021年3月までは木曜日。
  13. ^ 放送時間では4時間放送していた笑福亭鶴光が最長である。またアナウンサーを含めると、斉藤安弘は5年半の期間を毎週4時間、エバーグリーンとして5年半、週4日を2時間放送(更に増刊号放送もある)したのが放送時間最長となるほか、糸居五郎は11年半の期間DJを務めている。
  14. ^ 2014年10月から2020年5月までは単独で、それ以外はコンビ(ナインティナイン)で担当。2010年7月 - 11月は休養のため出演せず
  15. ^ 1998年5月2日 不慮の事故により他界。享年33
  16. ^ アナウンサーを含めると、番組初復帰は今仁哲夫(1969年9月)である。
  17. ^ アナウンサーを含めると、最長期間での復帰は高嶋秀武の47年3か月である。
  18. ^ ニッポン放送の場合は、2020年10月・11月に限って「ショウアップナイター」を編成しているため、動画配信サービスの「SHOWROOM」において音声という形で配信することになっている。
  19. ^ その時の放送中のスタジオの様子について、1968年に入社し、後に泉谷しげる、あのねのね、笑福亭鶴光のオールナイトニッポンのディレクターとして名をはせる鈴木隆は「(有楽町の旧社屋の)第5スタジオというのが4階にあって、そこで『オールナイト』をやっていたんだけど、とにかく静かでしたよ。なぜかというと、ディレクターが一人しかいない。ミキサーも兼ねているわけですから。構成作家もいないし、しゃべり手が自分でハガキを選んで曲を決める。基本的にそれだけだし、ちょっと、仕掛けを考えるのも本人ですし。それが第一次黄金時代のパターンですよ。だから、ディレクターにも責任があるし、緊張感ありますよね。僕らが夜中に通ってもスタジオには入れなかったんですもん。外から覗いて『やってるな』という印象は強烈にありましたね」と語っている。[要出典]
  20. ^ この曲は、酔っ払らい運転で事故を起こして死んだ男の天国での愚行、そして天国から追放されて生還するまでの顛末を歌ったものであり、飲酒運転を撲滅する立場にある自動車メーカーがスポンサーの番組で流すには相応しくないことも理由に挙げられる。なお、日産は1971年の秋をもって提供スポンサーから降板している。
  21. ^ ある日の放送でザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」をサンプル盤として放送したこともあったが、これについて斉藤安弘は「反体制までいかないけど、放送局の自主規制に突っかかっていた。安保闘争など世の中が騒然として活気があり、面白いことをやろうという深夜放送を、受け入れてくれる素地がありました」と当時の時代背景を振り返る[34]
  22. ^ 初代のパーソナリティの1人である斉藤安弘は「多岐にわたる選曲で、音楽の世界になじんだ人がいっぱいいた。さだまさしも私の放送をよく聞いて、リクエストはがきを何十枚も出したそうです」と番組初期の当時のエピソードを語る[34]
  23. ^ これについては亀淵自身が「くだらないことがいくらでもできた。テレビと違ってスターが“化粧”をしないラジオで、普段の声を伝えたかった」と、当時このような放送をした意図について語っている[34]
  24. ^ 亀渕は当時について、「僕は、女の子3人組、モコ・ビーバー・オリーブの『ザ・パンチ・パンチ・パンチ』とか、前田武彦さんの『ヤング・ヤング・ヤング』といった番組を作っていたんですけど、よくしゃべるし、面白いからお前がしゃべれよと。自由にさせてもらったし、いい時代だったと思いますね」「僕は“制作上がり”でしたから、“てをには”とか早口言葉とかがうまくないわけ。その分、ほかでカバーしないと追いつかない。立ってしゃべったらとか、走り回ったらとか、ハガキを放り投げたら(当時リスナーから届いた2万枚のはがきをスタジオに放り投げ、一番遠くに飛んだハガキ(リスナー)に1万円をプレゼントしていた)とか、一生懸命いろんなことをやりましたね。演出感覚ですね、それがちょっと違ってたんじゃないでしょうか」と語っている。さらに、亀淵は、「特に、常木さんや高岡さんには感謝している。お二人のベースの路線がしっかりあったからこそ、僕やアンコー(斉藤)さんが“ハネた”放送をしても番組がもった。そういうものばかりでは番組は長続きしないから」と述べている。
  25. ^ オールナイトニッポン25周年記念企画。雑誌「宝島」とのコラボレーションで開催された。
  26. ^ 上柳は1983年4月-86年3月まで月曜2部を担当。久保と能町は2012年4月-2013年3月まで火曜ZERO、2013年4月-2014年3月まで火曜1部、2015年4月-9月まで木曜GOLDを担当。新内は2016年4月から水曜ZEROを担当中。
  27. ^ 13:42 - 13:49にミニ番組『ニッポンチャレンジドアスリート』14:30頃に『ショウアップナイター一番ノリ!』、15:26頃 - 15:33頃に通販番組『快適生活ラジオショッピング』、16:42 - 16:48に『街角ステーション〜噂を求めてどこまでも』をそれぞれ途中挿入。
  28. ^ 当初は上柳昌彦が新内と共にパーソナリティを担当する予定だったが、上柳が喉の不調により出演を辞退したため垣花正が代役を務めた。それに伴ってタイトルも一部変更された。
  29. ^ 土曜日の0時台はニッポン放送ローカルで「堀内健とビビる大木のallnightnippon SUPER FRIDAY!」(金曜日22:00-1:00、2002年10月~2003年3月)が放送されていた。
  30. ^ 2014年 日本民間放送連盟賞優秀賞受賞作品。放送ライブラリーの視聴ブースで聴取可能。
  31. ^ これについて、生放送でトークが続いていてもこのオリジナルエンディングのために強制的にカットされるために、1988年1月8日放送のビートたけしのオールナイトニッポンのエンディングコメントが全部放送されなかったことや[150]、極めつけは1989年4月1日放送の鴻上尚史のオールナイトニッポン最終回での最後の言葉「泣かないように、負けないように、いい夢を見てください」がこのエンディングでカットされたことを「この責任は重大です」として[151]、月刊ラジオパラダイス宛にこの件で苦情が寄せられたことがある。
  32. ^ 編成上は4月1日深夜
  33. ^ a b 編成上は1月2日25時台後半
  34. ^ a b c d 地域によって放送時間が異なる。
  35. ^ "10"・"SS"については『オールナイトニッポン』の冠がついた番組に限る。
  36. ^ 0Sは1998年4月(当時「土曜R」) - 2020年12月は4:30飛び降り。2021年1月からは4:50飛び降り。
  37. ^ オールナイトニッポンXもネット(月 - 木曜)。
  38. ^ SSは2002年3月終了。
  39. ^ 10は2000年10月(当時「SUPER」)開始。
  40. ^ A0は1977年7月(当時「第2部」)終了。2021年3月29日再開。
  41. ^ 0Sは2001年3月(当時「土曜R」)終了。
  42. ^ 10は2001年10月(当時「SUPER」)開始。金曜のみ23:00飛び乗り(2012年10月 - 2013年3月はフルネット)。
  43. ^ A0は1970年代(当時「第2部」)に放送していた(終了時期不明)。
  44. ^ a b c d 0Sは2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。
  45. ^ 10は2013年4月2日(当時「GOLD」)開始。火 - 金曜のみ放送で、23:50飛び降り(開始 - 2016年3月の金曜は23:30飛び降り)。
  46. ^ A0・0Sは1970年代(当時「第2部」)に放送していた(終了時期不明)。2013年4月1日よりA0のネット再開。
  47. ^ SSは2000年10月開始。
  48. ^ 10は2000年1月(当時「SUPER」)開始。2011年9月(当時「GOLD」)終了。
  49. ^ 10は2009年11月(当時「GOLD」)開始。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台は2004年9月27日からネット開始されていた。金曜は2020年9月25日終了。月 - 木曜は2021年3月25日終了。
  50. ^ SSは2004年10月開始。
  51. ^ A0・0Sは1980年3月31日 - 1983年3月31日(当時「第2部」)に放送していた。0Sは1995年4月に再開。2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。2015年3月終了。
  52. ^ SSは2002年4月開始。
  53. ^ 以前に1980年3月31日 - 1983年3月31日はA1をネットしていた事がある。その後1991年4月にネット再開した。
  54. ^ 10は2000年10月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台のネットは2008年3月27日まで。
  55. ^ A0は1970年代(当時「第2部」)に放送していた(終了時期不明)。2021年3月29日再開。
  56. ^ 0Sは2003年3月(当時「土曜R」)終了。2021年4月再開。
  57. ^ A0は2021年3月29日開始(金曜は4:30飛び降り)。
  58. ^ SSは2000年3月の放送開始から。また、ネット開始の時の放送枠は22時枠(当時「SUPER」)。
  59. ^ A0は2009年4月 - 2010年3月(当時「くり万太郎R・金曜R」)を4:00飛び降り。
  60. ^ 0Sは1974年4月13日(当時「第2部」)開始。2005年4月(当時「土曜R」)からは4:00飛び降り。2017年4月終了。
  61. ^ A0・0Sは1976年6月(当時「第2部」)開始、1993年9月終了。2020年3月30日よりA0のネット再開。
  62. ^ 10は1999年10月(当時「SUPER!」)開始(2000年11月 - 2004年3月にかけては火 - 金曜のみネット)。
  63. ^ A0は1970年代にA0(当時「第2部」)を放送していた(終了時期不明)。2020年9月28日に再開。
  64. ^ 0Sは2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。2012年3月に打ち切り後に2014年4月再開、2015年3月に再度打ち切り。
  65. ^ 10は2000年4月 - 2004年3月(当時「SUPER」および「いいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日 22時台のネットは2005年3月まで。
  66. ^ A0は2020年9月28日開始。
  67. ^ 10は2002年4月(当時「SUPER」)開始。月 - 木曜のみネット(2018年4月 - 2020年9月は23:49まで)。金曜は2018年3月終了。
  68. ^ 0Sは2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。2005年9月終了。
  69. ^ 10は2000年4月(当時「SUPER」)開始。
  70. ^ A0は1995年9月(当時「第2部」)終了。
  71. ^ 10は1999年10月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台のネットは2008年12月まで。
  72. ^ SSは2005年10月開始。
  73. ^ 10は2009年11月(当時「GOLD」)開始、ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台は同年7月からネット開始されていた。月 - 木曜のみ。2014年3月終了。
  74. ^ SSは2010年4月開始。
  75. ^ オールナイトニッポンとその関連番組のネット局の中で、唯一のFM放送局。
  76. ^ 10は2014年4月(当時「GOLD」)開始。月 - 木曜のみ。
  77. ^ 正確な放送対象地域は、大阪府大阪市堺市東大阪市関西国際空港兵庫県神戸市尼崎市京都府京都市奈良県奈良市
  78. ^ ネット開始年月は『中島みゆきのオールナイトニッポン月イチ』の開始日を起点。
  79. ^ 10は2000年1月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日 22時台のネットは2007年3月まで。2010年4月(当時「GOLD」)再開。
  80. ^ A0は1995年9月(当時「第2部」)終了。
  81. ^ SSは2009年3月終了。
  82. ^ 10は2001年4月 - 2004年3月(当時は「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台のネットは2009年9月まで。
  83. ^ A0は2007年4月(当時「エバーグリーン」)から月 - 木曜のネット開始(2007年9月までは4:00飛び乗り)、金曜は2012年10月からネット開始。
  84. ^ 0Sは2021年1月ネット開始。
  85. ^ 10は2001年4月(当時「SUPER」)開始。2010年3月(当時「GOLD」)終了。
  86. ^ 10は2015年4月(当時「GOLD」)開始。
  87. ^ 10は2000年10月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台のネットは2004年7月まで。
  88. ^ A0・0S(当時「第2部」)も放送していたが、1976年12月6日に『走れ!歌謡曲』のネット局になったため放送打ち切りとなった。
  89. ^ SSは2002年10月開始。
  90. ^ 0Sは1995年4月以降(当時「第2部」)に開始。2005年4月 - 2013年3月(当時「土曜R」)は4:00飛び降り。
  91. ^ 10は2000年10月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)まで放送。
  92. ^ A0は1998年10月(当時「R」)開始。2004年4月(当時「エバーグリーン」・「金曜R」) - 2020年9月25日は4:00飛び降り(2013年4月 - 2015年9月は金曜のみフルネット)。
  93. ^ a b c 0Sは2005年4月 - 2013年3月(当時「土曜R」)は4:00飛び降り。
  94. ^ a b 10は2001年10月(当時「SUPER」)開始。2010年9月(当時「GOLD」)終了。
  95. ^ A0は2004年4月(当時「エバーグリーン」・「金曜R」) - 2021年3月26日は4:00飛び降り。
  96. ^ 0Sは2005年4月(当時「土曜R」) - 2021年3月27日は4:00飛び降り。
  97. ^ A0は1995年9月(当時「第2部」)に一時終了したのち、1998年10月(当時「R」)再開。2004年4月(当時「エバーグリーン」・「金曜R」) - 2013年3月は4:00飛び降り。
  98. ^ 10は1999年10月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日22時台のネットは2008年3月まで。2010年10月(当時は「GOLD」)再開。
  99. ^ 0Sは2008年4月 - 9月(当時「土曜R」)は4:30飛び降り。
  100. ^ 10は2000年4月(当時「SUPER」)開始。
  101. ^ A0は1982年3月(当時「第2部」)終了。2021年3月29日再開。
  102. ^ 0Sは長崎エリアは2005年4月 - 2014年3月、佐賀エリアは2005年4月 - 2013年3月(当時「土曜R」)は4:00飛び降り。
  103. ^ 10は2000年1月 - 2004年3月(当時「SUPER及びいいネ!」)放送。ニッポン放送のANNシリーズ以外平日 22時台のネットは2009年10月2日まで。
  104. ^ A0は1970年代にA0(当時「第2部」)を放送していた(終了時期不明)。2010年4月(当時「くり万太郎R・金曜R」)再開で4:00飛び降り。2015年3月終了。
  105. ^ 0Sは2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。2015年3月終了。
  106. ^ 10は2001年4月(当時「SUPER」)開始。
  107. ^ 0Sは2013年4月(当時「土曜R」)開始。
  108. ^ 0Sは2009年10月(当時「土曜R」)開始。 2019年9月までは4:00飛び降り。
  109. ^ 10は2003年4月 - 9月の金曜のみ(当時「フライデースペシャル」)放送。
  110. ^ 0Sは1988年10月(当時「第2部」)開始。2005年4月(当時「土曜R」)から4:00飛び降り。
  111. ^ A0は2021年3月29日開始。
  112. ^ SSは2004年4月開始。2009年3月に打ち切り後、2012年4月に再開。
  113. ^ 2017年4月まで土曜はRを27時台のみ放送。2003年3月までは27:00 - 29:00に放送。2009年4月 - 2010年3月は平日にRを28:00までネットしていた
  114. ^ 現在の運営会社であるFM802はニッポン放送が筆頭株主という資本的繋がりがある。
  115. ^ 東日本大震災など被害があまりにも甚大な場合や、令和元年東日本台風など交通事情や安全確保の都合でパーソナリティーのニッポン放送来社が難しい場合は休止する場合がある。
  116. ^ ニッポン放送の他の番組ではアシスタントやアナウンサーが読み上げを担当し、パーソナリティは読まない。
  117. ^ FCGビルに本社があった期間は「東京港区台場
  118. ^ 月〜木は「ZERO」は4:30で終わるが、そのあとの番組である『上柳昌彦 あさぼらけ』が同じような構成にしている。なお、「2部」が全曜日5:00で終わっていた時代は全局でこの措置をとり、ニッポン放送は局名告知・君が代の演奏を挟んで次の番組に移っていた。

出典

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  133. ^ 『オールナイトニッポン0(ZERO) LIVE in smash.』ラジオとスマホ動画配信でライブを届ける新番組スタート!」『ニッポン放送』2021年1月19日。2021年1月23日閲覧。
  134. ^ 第3の「オールナイトニッポン」平日24時台に誕生、明日パーソナリティ発表会見」『お笑いナタリー』2021年3月15日。2021年3月15日閲覧。
  135. ^ ニッポン放送、平日深夜0時台に『ANN』新ブランド アプリ「smash.」で同時動画配信も」『オリコンニュース』2021年3月15日。2021年3月15日閲覧。
  136. ^ a b この春『”第3の”オールナイトニッポン』が誕生! 新ブランド名・パーソナリティ発表の瞬間を「smash.」で生配信!」『ニッポン放送』2021年3月15日。2021年3月15日閲覧。
  137. ^ ニッポン放送、新ブランド『ANNX』立ち上げ」『オリコンニュース』2021年3月16日。2021年3月16日閲覧。
  138. ^ 『会報「Viva young」』No.4 より。
  139. ^ 『会報「Viva young」』No.20 より。
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  141. ^ a b 『朝日新聞縮刷版』番組欄より。
  142. ^ WANIMAのANN
  143. ^ 高嶋ひでたけ、およそ50年ぶりに「オールナイトニッポン」をレギュラーで担当!
  144. ^ オールナイトニッポン Radio Days Sweet Hits (Media notes). ユニバーサルミュージック. 2005. pp. 6ページ. {{cite AV media notes2}}: 不明な引数|bandname=|albumlink=が空白で指定されています。 (説明); 不明な引数|notestitle=は無視されます。 (説明)
  145. ^ 「ビタースウィート・サンバ」と「レモン・ツリー」は同一アルバム内、A面の4曲目と5曲目
  146. ^ オールナイトニッポン50年 黄金期プロデューサーが語る「たけし伝説」(3ページ目) 文春オンライン、2017年8月20日
  147. ^ 公益財団法人 放送番組センター「放送ライブラリー」真夜中のビター・スウィート・サンバ/栃木放送開局50周年ラジオスペシャル 2019年8月19日閲覧。
  148. ^ [2]
  149. ^ 1973年12月30日放送の『あのねのねのオールナイトニッポン』のオープニングより。
  150. ^ ラジオパラダイス 1988年3月号 p.107「RADIPARA READERS CLUB・オレは知ってるぜコーナー」
  151. ^ ラジオパラダイス 1989年6月号 p.101「らじぱらりーだーずくらぶ・いちゃもんつけさせてもらいますコーナー」
  152. ^ しかし、一部のパーソナリティ(田中義剛川村かおり浅草キッド電気グルーヴ等)では、第1部と同じくオープニングに「ビタースウィート・サンバ」を流して番組を始めており、例外も存在している。
  153. ^ 2014年12月19日放送「オールナイトニッポンGOLD 忘れられぬミュージックスペシャル」にて吉田尚記が発言
  154. ^ “星野源『オールナイトニッポン』50周年ジングルを制作 ファンクやメタル調も”. オリコンスタイル. (2017年1月3日). https://www.oricon.co.jp/news/2084059/full/ 2017年1月4日閲覧。 
  155. ^ 第40回 「重大発表!」(星野源のオールナイトニッポン公式サイトより)”. 2017年1月8日閲覧。
  156. ^ “星野源「オールナイトニッポン」ジングル作成”. Narinari.com. (2017年1月3日). http://www.narinari.com/Nd/20170141604.html 2017年1月3日閲覧。 
  157. ^ この企画に反感を持っていた電気グルーヴだけ参加していない(CDのクレジットと寄せ書きには電気グルーヴの名も入っている)。
  158. ^ 出典・1973年6月と7月の東奥日報・RABラジオ欄から(五所川原市立図書館にて閲覧)。
  159. ^ 1970年10月8日 信濃毎日新聞 ラジオ欄
  160. ^ 中部日本放送 編「CBC技術報告会」第55回、中部日本放送、2012年3月
  161. ^ 2021年3月29日からは東海ラジオでもこの形になった。
  162. ^ 2019年10月現在は、金曜を除いて文化放送の裏番組『レコメン!』を全編ネット
  163. ^ MEDIA INFO - NAKAJIMA MIYUKI OFFICIAL SITE
  164. ^ 史上初、『オールナイトニッポンGOLD』がFM COCOLOでもレギュラー放送開始,BARKS,2014年3月18日

参考文献

  • 夜明けの紙風船(ペップ出版、1975年刊行)
  • 夜明けの紙風船 パート2(ペップ出版、1977年刊行)
  • オールナイトニッポン大百科(主婦の友社、1997年刊行)- オールナイトニッポン30周年記念。
  • 村野まさよし『深夜放送がボクらの先生だった』(実業之日本社、2008年刊行)
  • 文化放送&ニッポン放送&田家英樹『セイ!ヤング&オールナイトニッポン70年代深夜放送伝説』(扶桑社、2011年刊行)
  • 伊藤友治+TBSラジオ『パック・イン・ミュージック 昭和が生んだラジオ深夜放送革命』(ディスクユニオン(DU BOOKS)、2015年刊行)

関連項目

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