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[[2009年]]、[[全日本自転車競技選手権大会]]([[境川自転車競技場]])のチームスプリントで、強化チームの一員として、競輪学校同期の[[坂本貴史]]、[[深谷知広]]とともに優勝に貢献。同年12月に行われた[[UCIトラックワールドカップ2009-2010]]のカリ大会・ケイリンでは5位に入った。
[[2009年]]、[[全日本自転車競技選手権大会]]([[境川自転車競技場]])のチームスプリントで、強化チームの一員として、競輪学校同期の[[坂本貴史]]、[[深谷知広]]とともに優勝に貢献。同年12月に行われた[[UCIトラックワールドカップ2009-2010]]のカリ大会・ケイリンでは5位に入った。


[[2010年]]、[[特別競輪|GI]]初出場となった[[第19回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寛仁親王牌]]([[前橋競輪場]])で決勝に進出。近畿3車で残りあと2周半付近より約2周近く逃げ、[[村上義弘 (競輪選手)|村上義弘]]の番手捲りからマークした同県の先輩である[[市田佳寿浩]]のGI初制覇に貢献した。また、同年の[[ヤンググランプリ]]([[立川競輪場]])にも出場したが9着となる。
[[2010年]]、[[特別競輪|GI]]初出場となった[[第19回仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寛仁親王牌]]([[前橋競輪場]])で決勝に進出。近畿3車で残りあと2周半付近より約2周近く逃げ、[[村上義弘 (競輪選手)|村上義弘]]の番手捲りからマークした同県の先輩である[[市田佳寿浩]]のGI初制覇に貢献した。また、同年の[[ヤンググランプリ]]([[立川競輪場]])にも出場したが9着となる。


[[2012年]]、[[第63回高松宮記念杯競輪|高松宮記念杯競輪]]([[函館競輪場]])では決勝に進出し、残り1周半から積極的に駆け出し2着に粘りこんだ。その後も[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寬仁親王牌]]と[[オールスター競輪]]で共に決勝7着となったが、年間獲得賞金争いではトップ9に届かず次点となってしまった。
[[2012年]]、[[第63回高松宮記念杯競輪|高松宮記念杯競輪]]([[函館競輪場]])では決勝に進出し、残り1周半から積極的に駆け出し2着に粘りこんだ。その後も[[寬仁親王牌・世界選手権記念トーナメント|寬仁親王牌]]と[[オールスター競輪]]で共に決勝7着となったが、年間獲得賞金争いではトップ9に届かず次点となってしまった。

2021年5月4日 (火) 21:57時点における版

脇本 雄太
Yuta Wakimoto
Yuta Wakimoto (2018)
基本情報
本名 脇本 雄太
Yuta Wakimoto
生年月日 (1989-03-21) 1989年3月21日(35歳)
国籍 日本の旗 日本
身長 180.0cm
体重 80kg
選手情報
所属 日本競輪選手会福井支部
期別 94期
分野 競輪&トラックレース
役割 選手
特徴 先行
プロ経歴
2008 - 日本競輪選手会福井支部
主要レース勝利

平成17年度国体1kmT.T第1位
平成18年度国体1kmT.T第1位
2014年第34回アジア自転車競技選手権カザフスタン・アスタナ男子エリートケイリン優勝
オールスター競輪 2018
寛仁親王牌 2018 2020
ウィナーズカップ 2019
日本選手権競輪 2019

高松宮記念杯競輪 2020
最終更新日
2020年10月18日

脇本 雄太(わきもと ゆうた、1989年3月21日 - )は競輪選手自転車競技選手。福井県福井市出身。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第94期卒業。日本競輪選手会福井支部所属。マネジメント契約先はスポーツビズ

戦績

5人きょうだい[1][2]の3番目(兄・姉・弟2人)。9歳年下の弟・脇本勇希も競輪選手(115期)[3]

福井県立科学技術高等学校在学中、2005年2006年国体・少年1kmタイムトライアルで優勝し、卒業後は競輪学校に実技試験免除で第94期生として入学。師匠は無し。在校成績11位で卒業し、2008年7月12日にホームバンクの福井競輪場でデビューし初勝利を挙げた。

2009年全日本自転車競技選手権大会境川自転車競技場)のチームスプリントで、強化チームの一員として、競輪学校同期の坂本貴史深谷知広とともに優勝に貢献。同年12月に行われたUCIトラックワールドカップ2009-2010のカリ大会・ケイリンでは5位に入った。

2010年GI初出場となった寛仁親王牌前橋競輪場)で決勝に進出。近畿3車で残りあと2周半付近より約2周近く逃げ、村上義弘の番手捲りからマークした同県の先輩である市田佳寿浩のGI初制覇に貢献した。また、同年のヤンググランプリ立川競輪場)にも出場したが9着となる。

2012年高松宮記念杯競輪函館競輪場)では決勝に進出し、残り1周半から積極的に駆け出し2着に粘りこんだ。その後も寬仁親王牌オールスター競輪で共に決勝7着となったが、年間獲得賞金争いではトップ9に届かず次点となってしまった。

2014年、第34回アジア自転車競技選手権大会・ケイリン(アスタナ) 優勝。第65回高松宮記念杯競輪宇都宮競輪場)では決勝は4着だった。

2016年、3月のトラック世界選手権ではケイリンで5位入賞。同年のリオデジャネイロオリンピック同種目の代表に選出された。

2017年12月、チリのサンティアゴで行われたティソUCIトラックサイクリングワールドカップ男子ケイリンで優勝した。[4]

競輪ではGIレースで数多く決勝戦に進出するも、タイトルは中々獲れなかった。だが、2018年は5月の日本選手権競輪平塚競輪場)で3着、翌6月の高松宮記念杯競輪岸和田競輪場)では最後の直線で三谷竜生に交わされ2着とタイトル獲得まであと一歩と迫り、8月のオールスター競輪いわき平競輪場)では逃げ切って優勝し、遂に初のタイトル獲得を果たす。なお、GIレース決勝戦はこれが14度目であり、14度目の挑戦での戴冠はグレード制導入後最多であった[5]。さらに、10月の寛仁親王牌でGI連覇を果たした。準決勝では前橋競輪場のバンクレコードタイとなる8秒8も出した。そして同年10月、フランスのパリで行われたティソUCIトラックサイクリングワールドカップ男子ケイリンで、自身大会通算2度目となる優勝をした。ただ、同年末のKEIRINグランプリ2018では打鐘(残り1周半)から積極的に仕掛けて逃げるも最後の直線で末脚を欠いて5着に終わった。

この頃、ブノワ・ベトゥの元で[6]、ナショナルチームの一員として自転車競技にも積極的に参加しており海外のレースに出場することが多く、競輪の出走は少なくなった。2019年も同様にナショナルチームとしての活動・練習に重点を置くため、同じくナショナルチームの一員である新田祐大とともに、S級S班ながら2月の全日本選抜の出場は辞退した。

その後、4月のG2レースのウィナーズカップ(大垣競輪場)で優勝。5月の日本選手権競輪(松戸競輪場)で、大会33年ぶりのオール1着・完全優勝を果たし(G1としても21年ぶり)[7]、G1において3つ目の戴冠となった。オールスター競輪(第62回大会)のファン投票で初めて1位に選ばれた[8]。年末のKEIRINグランプリ2019では先行するも2着。2019年度における異名は『異次元』(の強さという意味)。

2020年6月4日2021年開催予定の東京オリンピック自転車トラック種目スプリントケイリン)で新田祐大とともに男子代表に内定した[9]。そして同月22日第71回高松宮記念杯競輪和歌山)において高松宮記念杯競輪としては1997年(第48回)の吉岡稔真以来、23年ぶりのオール1着・完全優勝を成し遂げ[10]、GI4つ目のタイトルを獲得。同年のオールスター競輪名古屋)では2年連続のオールスターファン投票1位。10月の寛仁親王牌前橋)で優勝し、GI5つ目のタイトルを獲得。これらの成績を評価され、JKAより2020年表彰選手として、最優秀選手賞(初受賞)と国際賞をそれぞれ受賞した[11]

2021年は東京オリンピック出場に向けて合宿やトレーニングを優先するため、当面は競走には参加せず欠場する。

主な獲得タイトル

競走スタイル

一度先頭に立って逃げると、後方から捲らせない程の絶妙なスピードを維持し、そのまま直線まで逃げ切りにかかる、競輪界では有数のロングスパート力を誇る。

エピソード

2012年名古屋競輪場で開催された共同通信社杯競輪の決勝において、脇本は残り2周半で先頭誘導員の後位に位置し、振り向いて後方の様子を確認し続けていたが、再び正面を向いた直後に誘導員へ追突し落車してしまい、さらに追突された誘導員も影響を受けて走路から退避せざるを得なくなった。競走は成立したものの脇本は誘導妨害で失格となってしまう。

この過失により脇本は名古屋競輪場から斡旋停止6ヶ月の処分を受けたため、改めてJKAによる全体処分も受けることになったが、JKAからは重罰の斡旋停止ではなく1ヶ月間「あっせんをしない処置」の処分が下された。しかし結果的にこの処分が賞金争いに影響を与えることになった。

脚注

  1. ^ 脇本 亡き母との約束果たしたケイリン男子で初切符
  2. ^ 脇本、「今度は世界一ね」亡き母との約束リオで果たす…トラック代表5選手発表
  3. ^ 【競輪】脇本勇希、目指す兄貴超え 東京五輪メダル候補・雄太の弟7月デビュー - デイリースポーツ・2019年6月28日
  4. ^ 強豪を下し、脇本雄太が初のワールドカップ金メダル/2017-18トラックワールドカップ4戦男子ケイリン | トラック競技/ロードレース/競輪ニュース-More CADENCE”. 競輪/KEIRIN/ロードレースのメディア-More CADENCE (2017年12月10日). 2021年3月25日閲覧。
  5. ^ “脇本雄太14度目挑戦で悲願のG1初制覇/いわき平”. 日刊スポーツ (日刊スポーツ新聞社). (2018年8月20日). https://www.nikkansports.com/public_race/news/201808200000291.html 2018年8月23日閲覧。 
  6. ^ 脇本雄太8番手まくり炸裂34大会ぶり完全V/松戸 - 日刊スポーツ、2019年5月6日
  7. ^ 脇本完全V 松戸・日本選手権 - 西日本スポーツ、2019年5月6日
  8. ^ 『第62回オールスター競輪【GI】』 ファン投票結果 - KEIRIN.JP
  9. ^ オリンピック競技大会自転車トラック競技日本代表内定選手の決定”. KEIRIN.JP (2020年6月4日). 2020年6月10日閲覧。
  10. ^ 脇本雄太選手が23年ぶりに高松宮記念杯(GI)完全優勝を達成!!”. KEIRIN.JP (2020年6月21日). 2020年6月22日閲覧。
  11. ^ 2020年表彰選手一覧表” (PDF). KEIRIN.JP (2021年1月25日). 2021年1月26日閲覧。

外部リンク