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== CM ==
== CM ==
=== コマーシャルソング ===
=== コマーシャルソング ===
旧・日本石油の[[コマーシャルソング]]として、冬季の[[ストーブ]]用灯油のCMでの『日石灯油だもんネ』(作詞:[[五木寛之]]、作曲:[[越部信義]])がある。この曲は、[[三菱石油]]との合併後も歌詞の一部を変更して(日石灯油→日石三菱→ENEOS灯油にそれぞれ差し替え。)引き続き使用されている<ref>なお、かつて[[題名のない音楽会]]のCMソング特集においてこの曲が取り上げられ、番組に出演していた合唱団によって合唱された事があるが、その際に歌詞の一部である「日石灯油」の部分が、スポンサーが出光興産である事に配慮して「出光灯油」に差し替えられ歌われた。</ref>。60年代頃のCMソングとして『日本石油の唄』『ハイ・ハイ・ハイオクタン』(いずれも作詞・作曲:[[三木鶏郎]])もあった。1988年には日石100周年記念ソングとして[[サーカス (歌手)|サーカス]]と[[いずみたく]]ファミリーの合作『輝くオイルロード』が制作され、1987年及び1992年の2度に渡って日本石油グループの企業CM内でCMソングとして使用していた<ref>それぞれ、歌詞・音程・再生ピッチが異なっており、かつ1992年に放映されたCMでは、冒頭部分の歌詞を子供達がリコーダーを演奏しながら歌っている。</ref><ref>なお、この曲の音源は一般向けに販売されたレコードやCDには一切収録されておらず、当時の日本石油の社内関係者向けに配布された同名タイトルのレコードにのみ収録されている事が、過去に放映された[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]制作で、全国の[[テレビ朝日]]及びABCテレビ系列のテレビ局35局にて放映されている[[探偵!ナイトスクープ]]で判明している{{要出典|date=2020年5月}}。</ref>。また、30年以上の長きにわたって販売されていたエンジンオイルのPANシリーズに代わり新たに1995年に登場したZOAシリーズのCMでは、X JAPANの『[[CRUCIFY MY LOVE]]』『[[DAHLIA (アルバム)|White Poem I]]』の2曲が使用されていた。日石三菱発足後でENEOSブランド転換前の2000年には童謡『[[この道]]』の[[木村充揮|CUM'CUM']]によるカバーが使用された。
旧・日本石油の[[コマーシャルソング]]として、冬季の[[ストーブ]]用灯油のCMでの『日石灯油だもんネ』(作詞:[[五木寛之]]、作曲:[[越部信義]])がある。この曲は、[[三菱石油]]との合併後も歌詞の一部を変更して(日石灯油→日石三菱→ENEOS灯油にそれぞれ差し替え。)引き続き使用されている<ref>なお、かつて[[題名のない音楽会]]のCMソング特集においてこの曲が取り上げられ、番組に出演していた合唱団によって合唱された事があるが、その際に歌詞の一部である「日石灯油」の部分が、スポンサーが出光興産である事に配慮して「出光灯油」に差し替えられ歌われた。</ref>。60年代頃のCMソングとして『日本石油の唄』『ハイ・ハイ・ハイオクタン』(いずれも作詞・作曲:[[三木鶏郎]])もあった。1988年には日石100周年記念ソングとして[[サーカス (コーラスグループ)|サーカス]]と[[いずみたく]]ファミリーの合作『輝くオイルロード』が制作され、1987年及び1992年の2度に渡って日本石油グループの企業CM内でCMソングとして使用していた<ref>それぞれ、歌詞・音程・再生ピッチが異なっており、かつ1992年に放映されたCMでは、冒頭部分の歌詞を子供達がリコーダーを演奏しながら歌っている。</ref><ref>なお、この曲の音源は一般向けに販売されたレコードやCDには一切収録されておらず、当時の日本石油の社内関係者向けに配布された同名タイトルのレコードにのみ収録されている事が、過去に放映された[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]制作で、全国の[[テレビ朝日]]及びABCテレビ系列のテレビ局35局にて放映されている[[探偵!ナイトスクープ]]で判明している{{要出典|date=2020年5月}}。</ref>。また、30年以上の長きにわたって販売されていたエンジンオイルのPANシリーズに代わり新たに1995年に登場したZOAシリーズのCMでは、X JAPANの『[[CRUCIFY MY LOVE]]』『[[DAHLIA (アルバム)|White Poem I]]』の2曲が使用されていた。日石三菱発足後でENEOSブランド転換前の2000年には童謡『[[この道]]』の[[木村充揮|CUM'CUM']]によるカバーが使用された。


なお、旧三菱石油時代の出演者については''[[三菱石油|こちら]]''を参照。
なお、旧三菱石油時代の出演者については''[[三菱石油|こちら]]''を参照。

2021年7月6日 (火) 11:30時点における版

新日本石油株式会社
NIPPON OIL CORPORATION
新日本石油本社ビル
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5001
1949年5月16日 - 2010年3月29日
大証1部(廃止) 5001
2010年3月29日上場廃止
名証1部 5001
2010年3月29日上場廃止
札証 5001
2010年3月29日上場廃止
福証 5001
2010年3月29日上場廃止
略称 新日石、NOC、ENEOS
本社所在地 日本の旗 日本
105-8412
東京都港区西新橋1-3-12
(新日本石油ビル)
設立 1888年(明治21年)5月10日
(有限責任日本石油会社)
業種 石油・石炭製品
事業内容 石油製品および石油化学製品の販売
代表者 西尾進路代表取締役社長
資本金 1394億37百万円
売上高 連結:7兆3892億円
単独:6兆6580億円
(2009年3月期)
総資産 連結:3兆9697億円
単独:2兆8868億円
(2009年3月31日現在)
従業員数 連結:13,692名 単独:2,454名
(2009年12月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 JXホールディングス 100%
主要子会社 新日本石油精製 100%
新日本石油開発 100%
NIPPO 57.2%
日本石油輸送 29.4%
京極運輸商事 26.8%
日新商事
関係する人物 渡文明(前社長・現会長)
内藤久寛
山口権三郎
外部リンク 新日本石油ウェイバックマシン
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新日本石油株式会社(しんにほんせきゆ、: Nippon Oil Corporation)は、かつて存在した石油製品や石油化学製品の販売を行う、日本石油元売最大手の企業である。略称は「新日石」や「NOC」などであった。

グループで合計8か所の製油所を保有し、系列のサービスステーション(ガソリンスタンド)は国内におよそ9,579か所(2010年2月末現在)ある[1]1888年(明治21年)に創業し、2002年(平成14年)にこの社名になった。

2001年(平成13年)に制定されたサービスステーションのブランド名「ENEOS」(エネオス)は、「ENERGY」(エネルギー)と、ギリシア語で「新しい」意を表す「NEOS」を組み合わせた造語である。現在のキャッチコピーは、「エネルギーを、ステキに。ENEOS」。

2010年4月1日に、同社と新日鉱ホールディングスが経営統合し、JXホールディングス(現・ENEOSホールディングス)が発足した。さらに同年7月1日には、JXホールディングス傘下の同社と新日本石油精製、並びにジャパンエナジーの3社が統合し、石油精製・販売事業の新会社JX日鉱日石エネルギー(現・ENEOS)が発足した。なお、サービスステーションのブランドは、旧新日石の「ENEOS」ブランドが存続し、旧ジャパンエナジーの「JOMO」ブランドが置き換えられることになった。

本項目では、源流である日本石油株式会社: Nippon Oil Co., Ltd.)時代、ならびに三菱石油株式会社と合併以後の「日石三菱→新日本石油」時代について記す。

概要

新潟県にあった尼瀬油田の石油開発ブームを受けて創立された有限責任日本石油会社が前身。1999年(平成11年)に日本石油と三菱石油合併し日石三菱株式会社(にっせきみつびし、略称・NMOC)が発足、2002年(平成14年)に同社は新日本石油に社名を変更した(略称は新日石、英文社名は、合併前の日石のものに復した)。

石油元売の一つであるコスモ石油とは業務提携関係にあり、原油調達・石油精製・物流潤滑油の各部門で1999年より提携している[2]2004年(平成16年)には、互いに相手方の対象特許を使用して燃料油の製造・販売することを可能とするクロスライセンス契約を締結した[3]。これらのほか、2002年(平成14年)には出光興産と精製部門で提携[2]2006年(平成18年)にはジャパンエナジーと開発・精製・物流・燃料電池・技術開発の分野における業務提携を結んだ[4]。日本国外の企業では大韓民国SKと提携関係にあり、中華人民共和国中国石油天然気集団公司と協力関係にある。

メインバンクみずほコーポレート銀行で、他に取引行として三井住友銀行[5]三菱東京UFJ銀行があるが、三菱グループの一員である。

事業内容

グループの事業セグメントは、「石油精製・販売」、「石油・ガス開発」、「建設」、「その他事業」の4種類に分類される。中核事業は石油精製・販売であり、グループ売上高の約90%を占める(2008年3月期現在)。

グループのトップである新日本石油が担うセグメントは、中核事業の石油精製・販売部門である。主な製品は、燃料油ガソリン軽油灯油ジェット燃料重油など)やアスファルト液化石油ガス潤滑油(製品名は旧日本石油時代からの名称を使用している)といった石油製品や、ベンゼントルエンキシレンナフサなどの石油化学製品である。これらの製品の精製・製造は、子会社で製造拠点を保有する新日本石油精製(現・ENEOS)などに委託している。

石油・石油化学以外のエネルギー事業では、液化天然ガス石炭の輸入販売や燃料電池エネファームの開発を進めるほか、製油所・製造所併設の発電所や油槽所に設置した風力発電設備などを使用した電力卸供給事業 (IPP) や電力小売事業 (PPS) を展開している。

事業所

本社・支店

製油所・製造所

括弧内は1日当りの原油処理能力。

油槽所・その他

沿革

概略

日本石油のロゴ(1983~2002)

新日本石油株式会社は、2002年(平成14年)に日石三菱株式会社が社名を変更して発足した。その日石三菱は、1999年(平成11年)に日本石油株式会社と三菱石油株式会社が合併して発足した会社である。

日本石油は、1888年(明治21年)に内藤久寛・山口権三郎らが尼瀬油田の石油開発ブームを受けて設立された。本社および製油所(製油場)は油田近くの新潟県三島郡尼瀬村(現・三島郡出雲崎町尼瀬)に置かれていた。設立時は有限責任日本石油会社を名乗ったが、1894年(明治27年)に日本石油株式会社となった。1899年(明治32年)には柏崎に2番目の近代的製油所を建設、以降新潟県や秋田県北海道に製油所を建設していった。社章は、「日本」の文字をコウモリで模った「コウモリ印」を使用していたが、これは創立記念式典の会場内に一羽のコウモリが舞い込んで来たことに由来している。

左にコウモリ印・右にカルテックス社ロゴが入った日石私有貨車タンク車

1921年(大正10年)、日本の二大石油会社であった日本石油と宝田石油が合併した。宝田石油は1893年(明治26年)、新潟県長岡町で東山油田をもとに創業した。合併時、宝田石油は新潟県や秋田県、そして台湾にも製油所を有していた。1941年(昭和16年)には、日本石油は国内2位の小倉石油と合併した。

太平洋戦争後、日本石油はアメリカカルテックスと業務提携、1951年(昭和26年)に折半出資で両社の石油精製事業を担当する日本石油精製(現在のENEOS)を設立し、カルテックスグループの一員となった。以降、1996年(平成8年)に日本石油精製のカルテックス保有分株式の100%取得及びカルテックスオイル・ジャパンを合併した事により提携を解消して、カルテックスグループを離脱するまで、日本石油は外資系と言われた。

一方の三菱石油は、1931年(昭和6年)に三菱合資会社三菱鉱業三菱商事三菱グループ3社と、アメリカのアソシエーテッド・オイルの折半出資により設立。石油業界初の外資提携であった。

年表

三菱石油の年表については三菱石油#沿革を参照。

日本石油

明治時代
  • 1888年明治21年)
  • 1890年(明治23年)12月 - 尼瀬製油場が操業開始。
  • 1894年(明治27年)1月8日 - 日本石油株式会社に改組。
  • 1895年(明治28年)6月16日 - 新潟鐵工所が発足(1896年5月8日操業開始)。
  • 1899年(明治32年)
    • 6月25日 - 第二製油所が操業開始。
    • 8月1日 - 本社を刈羽郡大洲村大久保(現・柏崎市大久保)に移転。尼瀬製油場を第一製油所に改称。
  • 1903年(明治36年)6月25日 - 第一製油所閉鎖。
  • 1907年(明治40年)
    • 2月1日 - 鷲田製油所を買収、新津製油所(初代)とする。第二製油所を柏崎製油所(初代)に改称。
    • 4月17日 - 新潟市内に新潟硫曹製造所を開設。
    • 4月20日 - 柏崎製油所隣接地に柏崎硝子製造所を開設。
    • 6月1日 - インターナショナル石油の新潟県の全資産を買収(同年6月12日に同社製油所が直江津製油所として発足)。
  • 1909年(明治42年)12月 - 柏崎硝子製造所休止。
  • 1910年(明治43年)
  • 1911年(明治44年)2月6日 - インターナショナル石油の北海道の全資産を買収。
  • 1912年(明治45年)4月13日 - 北海道製油所が発足(同年10月操業開始)。

インターナショナル石油

  • 1900年(明治33年)11月15日 - アメリカ合衆国スタンダード・オイルが、北海道・新潟県の石油開発を目的としインターナショナル石油株式会社を設立。
  • 1901年(明治34年)11月 - 直江津製油所が操業開始。
  • 1902年(明治35年)3月 - 蔵王石油株式会社(1894年7月設立)を買収。
  • 1907年(明治40年)6月1日 - 新潟県の全資産を日本石油に売却。
  • 1911年(明治44年)2月6日 - 北海道の全資産を日本石油に売却
大正時代
日石ビルディング(有楽館)
  • 1914年大正3年)8月3日 - 本社を東京市麹町区有楽町(後の東京都千代田区丸の内)の三菱21号館に移転。
  • 1915年(大正6年)7月1日 - 柏崎製油所内に化学研究所を開設。
  • 1917年(大正6年)
    • 1月31日 - 新潟硫曹製造所を閉鎖・売却。
    • 11月21日 - 新津製油所(初代)閉鎖。
  • 1919年(大正8年)2月 - 初のガソリンスタンドを東京神田に開設。これは、ENEOSグループ全体のガソリンスタンドの中では一番古いため、ENEOSにとって最初のガソリンスタンドとして扱われている。
  • 1920年(大正9年)1月10日 - 中央石油株式会社(1907年7月29日設立)を買収。
  • 1921年(大正10年)10月1日 - 宝田石油株式会社と合併。新潟製油所(旧・沼垂製油所)、柏崎製油所柏崎分工場(旧・柏崎製油所)、秋田製油所豊川支所(旧・豊川製油所)、秋田製油所道川支所(旧・道川製油所)、秋田製油所二田分工場(旧・秋田製油所)、新津製油所(2代目)、台湾製油所(旧・苗栗製油所)、試験所を継承。化学研究所を試験所に統合。
  • 1922年(大正11年)
    • 5月31日 - 直江津製油所休止。
    • 6月30日 - 柏崎製油所(初代)閉鎖。
    • 7月1日 - 旧宝田石油の柏崎分工場が柏崎製油所(2代目)に改称。
    • 7月末 - 本社ビル「有楽館」が完成。
    • 12月31日 - 秋田製油所豊川支所、直江津製油所閉鎖。
  • 1923年(大正12年)
  • 1926年(大正15年)2月28日 - 新津製油所(2代目)休止(1928年7月26日閉鎖)。

宝田石油

長岡市にあった宝田石油本社(1912年頃撮影)
  • 1893年(明治26年)3月29日 - 山田又七らにより、宝田石油株式会社(ほうでんせきゆ)設立。
  • 1896年(明治29年)9月24日 - 古志石油と合併、古志宝田石油株式会社に社名変更。
  • 1898年(明治31年)
    • 6月16日 - 全越石油の製油所(後の長岡製油所)を買収し、製油事業に進出。
    • 10月 - 宝田石油株式会社に社名変更。
  • 1901年(明治34年)10月 - 第一次合同、1903年10月までに浅野製油所など30の会社・組合を買収。
  • 1904年(明治37年)10月 - 第二次合同、1905年3月までに宝扇石油商会・浅野削井部など19の会社・組合を買収。
  • 1906年(明治39年)10月 - 第三次合同、1907年3月までに村井石油部など36の会社・組合を買収。
  • 1907年(明治40年)4月 - 第四次合同、1908年9月までに新南北石油など27の会社・組合を買収合併。
  • 1919年(大正8年)7月 - 沼垂製油所が操業開始。
  • 1920年(大正9年)5月1日 - 中外石油アスファルト株式会社(1913年10月28日に中外アスファルトより社名変更、1907年4月15日会社設立)を合併。
  • 1921年(大正10年)10月1日 - 日本石油株式会社と合併。
昭和時代(戦前)
  • 1927年昭和2年)3月31日 - 秋田製油所道川支所閉鎖。
  • 1929年(昭和4年)5月10日 - 下松製油所発足(1930年4月10日操業開始)。
  • 1934年(昭和9年)2月2日 - 道路部門を分離、日本舗道株式会社(現・株式会社NIPPO)を設立。
  • 1936年(昭和11年)12月1日 - 関西製油所発足(1937年5月24日操業開始)。
  • 1937年(昭和12年)
    • 10月 - 石油取扱量増加のため、浅野物産の仲介で英バンクライン社から「コラバンク」(Corabank)(9,181トン)を購入し、力行丸と改名。海運部門を設立。
  • 1939年(昭和14年)
    • 9月2日 - 販売部門を石油共販株式会社に譲渡、石油精製専業に。
    • 11月 - 試験所閉鎖。
  • 1940年(昭和15年)12月30日 - 和田製油所(新潟県)を買収。
  • 1941年(昭和16年)
    • 1月28日 - 北村製油所(千葉県)を買収。
    • 6月1日 - 小倉石油株式会社と合併。横浜製油所、東京製油所、中央研究所を継承。
  • 1942年(昭和17年)
    • 4月1日 - 鉱業部門を帝国石油株式会社(現・国際石油開発帝石)に譲渡。
    • 6月1日 - 愛国石油株式会社を吸収合併。長岡製油所、川崎製油所を継承。
    • 12月30日 - 諸橋製油所(秋田県)を買収。
  • 1943年(昭和18年)
  • 1944年(昭和19年)
    • 1月 - 海運部門を共同企業株式会社に譲渡。
    • 8月25日 - 高雄製油所発足。台湾製油所を苗栗製油所に改称。
    • 9月1日 - 末武製油所発足。
  • 1945年(昭和20年)6月30日 - 東京製油所閉鎖。

小倉石油

  • 1889年(明治22年) - 小倉常吉(1865年埼玉県生まれ)が小倉油店を創業[6]
  • 1894年(明治28年) - 小倉石油店に改称。
  • 1902年(明治35年)12月27日 - 釜屋堀工場(後の東京製油所)を買収。
  • 1917年(大正6年)6月5日 - 大久保製油所(秋田県大久保)が操業開始。
  • 1922年(大正11年)1月21日 - 横浜に原油貯油所を開設。
  • 1923年(大正12年)4月30日 - 大久保製油所閉鎖。
  • 1925年(大正14年)4月10日 - 小倉石油株式会社に改組。
  • 1929年(昭和4年)
    • 8月21日 - 小倉丸(7,270トン)竣工。海運部門が設立。
    • 12月 - 横浜製油所が操業開始。
  • 1941年(昭和16年)6月1日 - 日本石油株式会社と合併。

愛国石油

  • 1934年(昭和9年)4月 - 愛国石油合資会社として設立。川崎工場が操業開始。
  • 1935年(昭和10年)4月 - 愛国石油株式会社に改組。
  • 1940年(昭和15年)
    • 3月 - 新愛国石油株式会社設立、加藤製油所および加藤製油所新津工場を継承。
    • 11月4日 - 愛国石油が新愛国石油を合併、長岡製油所・新津製油所が発足。
  • 1941年(昭和16年)4月 - 新津製油所閉鎖。
  • 1942年(昭和17年)6月1日 - 日本石油株式会社に合併。
昭和時代(戦後)・平成時代
  • 1945年(昭和20年)
    • 8月15日 - 苗栗製油所、高雄製油所閉鎖。
    • 10月5日 - 末武製油所、上海製油所閉鎖。
    • 10月22日 - 本社有楽館がGHQに接収、本社機能を東京都内に分散。
    • 12月20日 - 中央研究所を中央技術研究所に改称。
  • 1946年(昭和21年)6月4日 - 本社を三菱仲5号館に移転。
  • 1947年(昭和22年)1月20日 - 東京製油所跡地に東京工場を開設。
  • 1949年(昭和24年)
    • 2月28日 - 鶴見製油所、関西製油所閉鎖。
    • 3月 - 占領政策の変更を見越して実施したアメリカのカルテックス(CALTEX)社との交渉に基づき、同社と「石油製品委託販売契約」を締結[7]
    • 4月1日 - 石油元売業者として営業再開。
    • 5月16日 - 株式上場。
  • 1950年(昭和25年)
    • 1月20日 - 東京工場閉鎖。
    • 6月 - 北海道製油所休止(1957年12月31日閉鎖)。
  • 1951年(昭和26年)
    • 7月23日 - 東京タンカー株式会社(現・ENEOSオーシャン)を設立。
    • 10月1日 - カルテックス社との折半出資で日本石油精製株式会社(現・ENEOS)を設立、横浜製油所・下松製油所を譲渡。
  • 1952年(昭和27年)
    • 12月1日 - 防火壁・計量器(又は計量機とも呼ぶ。)や給油所の屋根部分(通称・キャノピー)に設置されるサインポール(一部店舗のみ)等の設備に日石蝙蝠(にっせきこうもり)ロゴ&CALTEXの旧カラー仕様ロゴが丸い輪の中に描かれる日石カルテックスロゴの使用及びカルテックスロゴを使用した旧式サインポールの全国の給油所での掲揚を開始。1983年まで長らく日石マークとして親しまれた。
  • 1955年(昭和30年)
    • 2月3日 - 日本石油瓦斯株式会社(後の新日本石油ガス)を設立。
    • 8月11日 - 日本石油化学株式会社(現・ENEOS)を設立。
  • 1956年(昭和31年)7月23日 - 本社を「日石ビル」(旧・有楽館)に移転。
  • 1957年(昭和32年)10月21日 - 和信商事株式会社(現・ENEOSトレーディング)を設立。
  • 1959年(昭和34年)10月10日 - 日石不動産株式会社(現・ENEOS不動産)を設立。
  • 1960年(昭和35年)4月1日 - 日本加工油株式会社(後の新日本石油加工)を設立。
  • 1962年(昭和37年)8月13日 - 「日石本館」(現・新日本石油ビル)が東京都港区芝田村町(現・西新橋)に完成、同ビルに本社を移転。
  • 1966年(昭和41年)
    • 3月21日 - 柏崎製油所(2代目)を柏崎工場に改称。
    • 5月1日 - 全国の給油所で、カーピット(通称・日石チューンナップ)の設置を開始。
  • 1967年(昭和42年)
  • 1970年(昭和45年)4月1日 - 秋田製油所を日本石油加工に譲渡。
  • 1983年(昭和58年)
    • 1月1日 - ガソリンエンジン油「PAN」シリーズの製品として、新たに「ニューPAN-A 10W-30」・「PANディーゼルターボ」・「PANサイクロスーパー」を発売。
    • 3月1日 - 新シンボルマークを制定。
    • 4月1日 - 新シンボルマークの給油所への掲揚を開始(1985年3月を以て全給油所に掲揚されると共に、名称を「サンライズ」に決定。)。給油所に設置される防火壁のデザインが、日石カルテックスロゴから通称・日石モザイクと呼ばれた新デザインの物へと変更。同じく、給油所に設置されているキャノピーやサービスルーム・日石チューンナップ・洗車スペースが入る建屋のカラーリングを従来の白色基調(ブランドロゴは白地に赤色の文字。)の物から、白と青の2色基調(ブランドロゴは青地に白色の文字。)の物へと変更。なお、カルテックスロゴはサービスルームの壁に看板を設置する形で1996年ごろまで継続使用。
    • 9月1日 - プレミアムガソリンの「日石ゴールドガソリン」を無鉛化かつオクタン価98に設定した製品である、「ニュー日石ゴールドガソリン」を発売。
    • 同年度 - 新ガソリンの名称を決める為の抽選プレゼント付き一般公募キャンペーンを実施。
コウモリ印・カルテックス社のロゴが消去され(左側)、新シンボルマークの「サンライズ」が貨車の右隅に描かれている。
  • 1984年(昭和59年)
    • 1月1日 - 前年度に行った、抽選プレゼント付き新ガソリンの名称一般公募キャンペーンの結果、レギュラーガソリンの名称がそれまでの「日石シルバーガソリン」(レギュラーガソリン)及び「ニュー日石ゴールドガソリン」(無鉛プレミアムガソリン)からそれぞれ「日石ダッシュガソリン」及び「日石ダッシュガソリンスペシャル」へと変更された。
    • 11月30日 - 三菱石油と業務提携契約を締結。
  • 1986年(昭和61年)7月1日 - 「ニュー日石ダッシュガソリンスペシャル」発売。
  • 1987年(昭和63年)7月1日 - 無鉛100オクタンガソリンである「日石ダッシュレーサー100ガソリン」を発売。CMには、当時ル・マン24時間耐久レースに参戦する際にトラストとの合同チームが使用していたポルシェ・962Cを使用していた。
    • 10月1日 - 日本信販と提携し「日石ONE-UPカード」の発行を開始。
パステルグリーンにカラーリングされた旧日本石油ガソリンスタンド (1999年)
  • 1991年平成3年)
    • 6月26日 - 資源開発子会社の業務を統括する日本石油開発株式会社(現・JX石油開発)を設立。
    • 同年度 - 給油所のカラーリングをパステルグリーンに変更し、従来の「日本石油」ロゴに代わり、ローマ字表記の「NiSSEKI」をブランド名として使用開始[8]
  • 1994年(平成6年) - 新型洗浄剤「ワーキレー」を配合した、「日石ダッシュワーキレーガソリン」及び「日石ダッシュワーキレーレーサー100ガソリン」を発売。
  • 1996年(平成8年)4月 - カルテックス社が所有する日本石油精製の全株式を取得、100%子会社とする。

三菱石油

日石三菱→新日本石油

  • 1999年(平成11年)
    • 4月1日 - 日本石油と三菱石油が合併し、日石三菱株式会社に商号変更(手続き上の存続会社は日本石油)。新潟製油所を日本石油加工に譲渡。
    • 7月 - 水島製油所を日本石油精製に譲渡。
    • 9月 - 興亜石油株式会社を子会社化。
    • 10月 - コスモ石油と、原油調達・精製・物流・潤滑油の各部門で業務提携。
    • 10月1日 - 川崎製油所が川崎事業所に改称。
  • 2001年(平成13年)
    • 3月31日 - 和歌山石油精製海南製油所での原油処理を停止。
    • 7月1日 - ブランド名を「NiSSEKI」から「ENEOS」に統一[9]。2016年現在、NiSSEKIの名称は一部のENEOSブランドのオートガスステーションに使われオレンジと赤でNISSEKI GASとペイントされている。また、希に旧日石やNiSSEKI時代の青やエメラルドのタンカーを目にすることもある。
    • 10月1日 - 石油・天然ガス資源開発部門を日本石油開発に譲渡。
  • 2002年(平成14年)
    • 4月1日 - 新日本石油精製が東北石油・興亜石油を合併。
    • 6月27日 - 新日本石油株式会社に商号変更。
  • 2004年(平成16年)3月31日 - 富士興産の潤滑油事業を譲受け。
  • 2005年(平成17年)7月1日 - 新日本石油ガスを合併。
  • 2006年(平成18年)10月1日 - 新日本石油加工が新日本石油精製に合併、同社から秋田事業所・下松事業所を移管。
  • 2008年(平成20年)
    • 4月1日 - 三洋電機と合弁で定置用燃料電池事業にかかわる新会社「ENEOSセルテック」を設立。出資比率81%。
    • 10月1日 - 九州石油の大分製油所における石油精製事業・付帯関連事業を分割し子会社の新日本石油精製に承継させた上で、九州石油を吸収合併[10]
  • 2009年(平成21年)10月30日 - 新日鉱ホールディングスとの経営統合契約を締結。2010年(平成22年)4月1日付けで共同持株会社『JXホールディングス』(後のJXTGホールディングス、現:ENEOSホールディングス)を設立。
  • 2010年(平成22年)7月1日 - ジャパンエナジー・新日本石油精製と事業統合し、JX日鉱日石エネルギー(後のJXエネルギーおよびJXTGエネルギー、、現:ENEOS)が発足。統合後もENEOSブランドが引き続き使用される。

かつて保有していた製油所

※新日本石油精製移管および移管後の閉鎖を除く。なお、上海・高雄・末武の3製油所は操業に至らなかった。

  • 尼瀬製油場 - 1890年12月開設・1903年6月閉鎖、新潟県三島郡出雲崎町尼瀬
  • 柏崎製油所(初代) - 1899年6月開設・1922年7月閉鎖、新潟県柏崎市大久保
  • 新津製油所(初代) - 1907年2月買収・1917年11月閉鎖、新潟市秋葉区田家
  • 直江津製油所 - 1907年6月買収・1923年1月閉鎖、新潟県上越市頸城区西福島
  • 秋田製油所 - 1910年7月開設・1970年3月閉鎖、秋田市土崎港相染町
  • 北海道製油所 - 1912年4月開設・1957年12月閉鎖、札幌市手稲区
  • 新潟製油所 - 1921年10月移管・1999年3月閉鎖、新潟市中央区竜が島
  • 柏崎製油所(2代目) - 1921年10月移管・1967年10月閉鎖、新潟県柏崎市日石町
  • 秋田製油所豊川支所 - 1921年10月移管・1922年12月閉鎖、秋田県潟上市昭和豊川船橋
  • 秋田製油所道川支所 - 1921年10月移管・1927年3月閉鎖、秋田市上新城道川
  • 秋田製油所二田分工場 - 1921年10月移管・1923年3月閉鎖、秋田県潟上市天王二田
  • 新津製油所(2代目) - 1921年10月移管・1928年7月閉鎖、新潟市秋葉区
  • 苗栗製油所 - 1921年10月移管・1945年8月閉鎖、台湾苗栗県苗栗市
  • 鶴見製油所 - 1923年5月開設・1949年2月閉鎖、横浜市鶴見区安善町(跡地は在日米軍鶴見貯油施設
  • 関西製油所 - 1936年12月開設・1949年3月閉鎖、兵庫県尼崎市扇町
  • 東京製油所 - 1941年6月移管・1945年6月閉鎖、東京都江東区大島
  • 長岡製油所 - 1942年6月移管・1943年11月閉鎖、新潟県長岡市草生津
  • 川崎製油所 - 1942年6月移管・1943年12月閉鎖、神奈川県川崎市川崎区扇島
  • 上海製油所 - 1943年4月開設・1945年10月閉鎖、中国上海市
  • 高雄製油所 - 1944年8月開設・1945年8月閉鎖、台湾高雄市
  • 末武製油所 - 1944年9月開設・1945年10月閉鎖、山口県下松市西豊井

関係会社

日本国内のグループ企業

石油関連

会社名 本社所在地 主な事業内容
新日本石油精製株式会社 東京都港区 石油製品・石油化学製品の製造受託
日本海石油株式会社 富山市 石油製品の製造・販売
和歌山石油精製株式会社 和歌山県海南市 潤滑油の製造・販売
谷口石油精製株式会社 三重県三重郡川越町 絶縁油・潤滑油の製造
大分パラキシレン株式会社 東京都千代田区 パラキシレンの製造
水島パラキシレン株式会社 岡山県倉敷市 パラキシレンの製造
水島エルエヌジー株式会社 岡山県倉敷市 天然ガスの貯蔵・送出し
水島エルエヌジー販売株式会社 岡山県倉敷市 天然ガスの輸入・販売
ネクストエネルギー株式会社 東京都港区 天然ガスの販売
新日本石油基地株式会社 鹿児島市 石油類の貯蔵
沖縄石油基地株式会社 沖縄県うるま市 石油類の貯蔵
志布志石油備蓄株式会社 横浜市中区 国家石油備蓄基地の操業
上五島石油備蓄株式会社 横浜市中区 国家石油備蓄基地の操業
新日本石油タンカー株式会社 横浜市中区 原油・石油製品の海上輸送
雄洋海運株式会社 横浜市中区 原油・石油製品の海上輸送
鶴見サンマリン株式会社 東京都港区 石油製品の海上輸送
日本グローバルタンカー株式会社 東京都港区 外航タンカー・内航タンカーの運航
日本石油輸送株式会社 東京都品川区 石油製品の鉄道輸送
京極運輸商事株式会社 東京都中央区 石油製品の陸上輸送
東西オイルターミナル株式会社 東京都港区 油槽所の運営
株式会社ENEOSフロンティア 東京都品川区 石油製品の販売
株式会社ネクステージ関西 大阪府豊中市 石油製品の販売
株式会社ネクステージ九州 福岡市中央区 石油製品の販売
新日石プラスト株式会社 東京都港区 合成樹脂加工製品の製造・販売
新日石液晶フィルム株式会社 東京都港区 液晶ディスプレイフィルムの製造・販売
株式会社フロンティアエネルギー新潟 東京都千代田区 火力発電所の運営
新日本石油開発株式会社 東京都港区 石油・天然ガスの開発

建設関連

会社名 本社所在地 主な事業内容
株式会社NIPPO 東京都中央区 道路工事・土木工事などの請負い
アナテックサービス株式会社 岡山県倉敷市 分析計のメンテナンス

その他

会社名 本社所在地 主な事業内容
新日石トレーディング株式会社 東京都港区 カー用品の販売
新日石不動産株式会社 横浜市中区 不動産の売買
株式会社新日石総研 東京都港区 石油事業に関するコンサルティング
新日石インフォテクノ株式会社 横浜市中区 システム開発・保守・運用
日本グラファイトファイバー株式会社 東京都中央区 炭素繊維製品の製造・販売
川崎天然ガス発電株式会社 東京都港区 天然ガス発電所の運営

日本国外のグループ企業

国籍 会社名 主な事業内容
イギリスの旗 イギリス Nippon Oil Europe Limited 原油・石油製品の売買・輸出入
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 NIPPON OIL (U.S.A.) LIMITED 船舶用および航空用燃料・潤滑油の販売
Nippon Oil Lubricants (America) LLC 潤滑油の製造
Atlanta Nisseki CLAF Inc 不織布の製造・販売
NISSEKI CHEMICAL TEXAS INC. 感圧紙用溶剤・絶縁油などの製造・販売
シンガポールの旗 シンガポール NIPPON OIL (ASIA) PTE.LTD 原油・石油製品の売買・輸出入
オーストラリアの旗 オーストラリア NIPPON OIL (AUSTRALIA) PTY. LIMITED 石炭・液化天然ガスの売買・輸出入
中華民国の旗 台湾 台湾日石股份有限公司 石油製品の販売・輸出入
中華人民共和国の旗 中国 天津日石潤滑油脂有限公司 潤滑油・グリースの製造・販売
新日石(上海)貿易有限公司 石油製品の販売
新日石(広州)潤滑油有限公司 潤滑油の製造・販売
新日石液晶(蘇州)有限公司 液晶ディスプレイ用フィルムの製造・販売
タイ王国の旗 タイ NIPPON OIL (THAILAND) Ltd. 石油製品の販売・輸出入

CM

コマーシャルソング

旧・日本石油のコマーシャルソングとして、冬季のストーブ用灯油のCMでの『日石灯油だもんネ』(作詞:五木寛之、作曲:越部信義)がある。この曲は、三菱石油との合併後も歌詞の一部を変更して(日石灯油→日石三菱→ENEOS灯油にそれぞれ差し替え。)引き続き使用されている[11]。60年代頃のCMソングとして『日本石油の唄』『ハイ・ハイ・ハイオクタン』(いずれも作詞・作曲:三木鶏郎)もあった。1988年には日石100周年記念ソングとしてサーカスいずみたくファミリーの合作『輝くオイルロード』が制作され、1987年及び1992年の2度に渡って日本石油グループの企業CM内でCMソングとして使用していた[12][13]。また、30年以上の長きにわたって販売されていたエンジンオイルのPANシリーズに代わり新たに1995年に登場したZOAシリーズのCMでは、X JAPANの『CRUCIFY MY LOVE』『White Poem I』の2曲が使用されていた。日石三菱発足後でENEOSブランド転換前の2000年には童謡『この道』のCUM'CUM'によるカバーが使用された。

なお、旧三菱石油時代の出演者についてはこちらを参照。

出演タレント

日本石油時代
日石三菱時代
新日本石油改称後

提供していた番組

テレビ

ラジオ

なお、2001年一時期はJX時代の「ENEOS」として提供クレジットされていた。

スポーツ関連事業

2010年度のJXホールディングス発足により、同部は「JX-ENEOS野球部」に改称された。

公式スポンサー

関連項目

脚注

  1. ^ よくある質問 サービスステーション Archived 2008年12月13日, at the Wayback Machine.(新日本石油ウェブサイト)、2010年4月4日閲覧
  2. ^ a b 石油便覧Archived 2008年9月18日, at the Wayback Machine.
  3. ^ 2004年9月15日付 新日本石油ニュースリリース Archived 2009年6月20日, at the Wayback Machine.
  4. ^ 2006年6月20日付 新日本石油ニュースリリース Archived 2009年6月21日, at the Wayback Machine.
  5. ^ 三井銀行時代には日石本社ビル内に支店を所有していた。
  6. ^ 小倉常吉『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
  7. ^ 新しい「ENEOS」誕生までのあゆみ 1930・1940年代(ENEOS公式・2020年1月2日閲覧)
  8. ^ あたらしいENEOS誕生までのあゆみ 1990・2000年代。なお、一部店舗ではENEOSに統一されるまで従来のカラーリングのままであった。2016年現在でも店舗の柱や、当時のタンクローリーにおいてNiSSEKI及び日本石油の名称が残されている場合もある。
  9. ^ 合併からENEOSブランドへの統一までは旧看板のままの営業であった(合併以後に建てられた店舗および旧日石系販売店は日石のペイント、旧三菱系販売店は三菱のペイントではあったが「NiSSEKI」や「三菱石油」の部分が「日石三菱」に差し替えられていた(合併以後に建て替えられた店舗でも旧三菱系販売店の場合、三菱タイプのペイントとなっていた。))。ENEOSブランドへ統一後もサインポールが旧日石系は正方形、旧三菱系は縦長の長方形で合併前の名残が見られるが、徐々に旧三菱系のサインポールも交換の際に正方形に変わっている。また、給油機に貼り付けてある燃料油名のシールも例として、旧日石系はハイオク:赤、レギュラー:青、軽油:緑、灯油:黄、旧三菱系はハイオク:黄緑・レギュラー:赤・軽油:紺・灯油:オレンジの配色で名残が見られるが、新規オープン及びリニューアル販売店やセルフ式スタンド等ではハイオク:黄、レギュラー:赤、軽油:緑、灯油:紺の配色となっていた(現在、旧日石系、旧三菱系の販売店に関わらず徐々にこの配色に変わってきている。)。尚、2002年4月よりハイオクはセルフ式スタンドを除き「ヴィーゴ」を記して販売している。
  10. ^ なお、旧九州石油が行っていたコウノトリ放鳥支援事業については、新日本石油のCSR事業として継承されている。
  11. ^ なお、かつて題名のない音楽会のCMソング特集においてこの曲が取り上げられ、番組に出演していた合唱団によって合唱された事があるが、その際に歌詞の一部である「日石灯油」の部分が、スポンサーが出光興産である事に配慮して「出光灯油」に差し替えられ歌われた。
  12. ^ それぞれ、歌詞・音程・再生ピッチが異なっており、かつ1992年に放映されたCMでは、冒頭部分の歌詞を子供達がリコーダーを演奏しながら歌っている。
  13. ^ なお、この曲の音源は一般向けに販売されたレコードやCDには一切収録されておらず、当時の日本石油の社内関係者向けに配布された同名タイトルのレコードにのみ収録されている事が、過去に放映されたABCテレビ制作で、全国のテレビ朝日及びABCテレビ系列のテレビ局35局にて放映されている探偵!ナイトスクープで判明している[要出典]

外部リンク